○
鈴木(宗)
委員 例えばアフリカなんかでも、お金を借りたらそれを借りたまま、そのままでいいんだみたいな安易な考え方を持つ国もありますね。私は、そういうところは厳しく言っているのです、借りたものは返すというのが、これがやはり最大のルールですよと。その裏づけがあって初めて、また
信頼関係のもとに新たな貸し出しもできるのですよと
説明するのですけれども、なかなか、困っていると、背に腹はかえられないというか、何か滞納したり、あるいはルーズな扱いをする人もおりますけれども、私は、そこら辺もきちっとチェックしながらも、ただ、
日本が今日あるのは、やはり世界のおかげであるという
認識を持たぬといけませんね。あの五十六年前、廃墟と化した
日本が今日あるのは、やはり世界の国が助けてくれたからでないか、こう思っているのですね。その思いだけは忘れてはいけない、私はいつもそんなふうに思っているのです。
ただ、私はアフリカをよく面倒を見ます。私自身も、
大臣みたく裕福じゃありませんから、限られた浄財の中で、アフリカに学校をつくったり、いろいろなサポートもしているのです。ことしの秋にもタンザニアに
鈴木ホールができるから、私は行こうか、こう思っているのですけれども、私は私なりに、できる範囲でやっているのですけれども、やはり、
日本の国は、何といったって世界の経済の一五%を占めるのですから、その国力にふさわしいきちっとした協力、私は、援助というのは何となく差がついているようでおこがましいと思っているのです。やはり協力という
言葉で統一してやっていった方がいいのでないか、私はこう思うのです。
私はなぜアフリカをやるかというのは、簡単なんです。私は昭和二十三年生まれです。
大臣が十九年ですから、それなりの
共通認識もあると思いますけれども、私ら子供のころ、田舎では栄養失調で、佝僂病といって、手足が曲がったり、背骨が曲がった子供が必ずクラスに一人か二人いました。助けてやりたいと思っても、こっちも力がないから助けられぬかったわけですよ。私はそのことがいつも頭にありますから、今こうして話をしておっても、アフリカでは何万人という人が物が食べられなくて死んでいっているのですよ。
しからば、私は、
日本の善意というか、
日本国民の優しさといいますか、それを、ちょっとでもふやすことによって、あるいはちょっとでも協力することによって、全く見る目が違ってくるのですね。これがまた将来にも生きていくし、今度、
日本がいつの日か困ったときに、あのアフリカなんかは資源のある国ですよ、そして、
政治も安定して、市場経済のノウハウもしっかり得たならば、相当な力を持ちますね。そうしたら、
日本は資源のない国ですから、
日本がいつまでも今の状態であるとは思っていません。何か困ったとき、我々が一番つらいときに、我々が苦しかったときに一番助けてくれたのが、どこの国でもない、
日本が一番だ、
日本はいい国だと、その発展途上国といいますか、そういった国々が言ってくれたならば、必ず我々の子供や孫たちの
時代に裨益するものがあると私は思っているのです。
私は、それがまたODAであるし、経済協力の
一つに考えてもいいと思っているのですよ。私はそんな思いで、アフリカにしろあるいは中南米のペルーだとか、あるいは東南アジアの国だとかモンゴルなんかも、私なりにやっているのですね。
ただ、私がそういった応援をすると、すぐ何か利権があるのではないかとか余計なことを言われますから迷惑でありますけれども、私は、こうやって平場で言う以上、この
委員会でもケニアのソンドゥ・ミリウのダムの問題で、何かあるのでないかなんという
質問もした人がおりましたけれども、私は、公電を出しても、オープンにしても何らやましいところはありませんから、問題ないんですね。
一生懸命やれば批判されるという今の構造は、私はおかしいと思いますから、どうぞ
大臣、こういったODAなんかも少し自信を持って、私はぜひとも対応していただきたい、こんなふうに思っているのですが、
大臣の考えはいかがでしょうか。