○
河野国務大臣 大変長い時間が経過をしておりまして、ロシア
自体が、かつてはソ連邦であったものが現在はロシアに変わっているというぐらい、長い
歴史と変化の上にこの問題が未解決でずっと残ってきてしまったわけでございます。
一九五六年の共同宣言、あの当時は相当踏み込んで、一九五六年に平和
条約をもう
締結しようという決意でモスクワで交渉を行ったわけでございまして、当時は、平和
条約を
締結するためには大きな問題が三つあると。一つは戦争の終結をやる、もう一つは賠償問題について片をつける、三つ目は領土問題で決着をする、この三つを決着をつければ、もちろんそれ以外に抑留者の問題などもございますけれども、大きく分けてその三つの決着をつければ平和
条約が結べるということで、相当思い切って踏み込んでいろいろな
議論をしたわけですが、四島のうち二島までは何とか向こう側から明示的に引き出したわけですけれども、四島というのはとうとう合意ができずに、平和
条約が結べずに、日ソ共同宣言という形で、戦争状態の終結ということだけは決めて、賠償問題も決着をつけて、そこで終わったといいますか、そこから始まったといいますか、そういうことがあった。
それ以来、ソ連時代は非常に厳しい冷戦の時代でございましたから、その冷戦の時代には、ソ連側は、例えば
日米安保
条約のもとで米兵が駐留している間は云々とかいろいろ厳しい
発言が出た。さっき
議員は、一九五六年宣言はもう既に
両国が批准している問題で、これは再確認する必要もないぐらいのものだというふうにおっしゃいました。確かに私もそのとおりだと思います。
両国の首脳が署名をして
両国国会が批准をしているんですから、それはもう本当にこれ以上のものはない、それぞれの国に義務的に存在するものだとすら私は思いますけれども、ただ、今申し上げたように、それは、その当時のソ連と
日本の署名であった。
そのソ連がロシアになった。ロシアになったときにロシアのリーダーは、これまでソ連邦がやってきたさまざまな国際的な約束はそのまま全部引き継ぎますと言ってはおりました。言ってはおりましたけれども、五六年からそれまでの間に、今申し上げたように、この五六年を否定するような
発言がソ連側からあったりした経過もございますから、これはもう一度文章で確認ができればそれはできた方がいいというふうに私は思っております。
長い経過の中でクラスノヤルスク合意というものができまして、何とか二〇〇〇年までには、つまり世紀をまたがずにこの問題を解決しようということであったと思いますし、それから、エリツィン大統領の非常に強い指導力と日ロ
関係というものに対する思いがあって、ここは二〇〇〇年までに何とか
処理をしたいという思いが双方にあったことも事実だと思います。
しかし、それが皮肉なことに、その二〇〇〇年を迎えるちょうど正月にエリツィン大統領が引退
声明をされる、そこでプーチン大統領に大統領がかわられるということもあって、ついに二〇〇〇年という約束のといいますか、
両国で
考えていた時間内には問題が解決しなかったという経緯があって、そしてことしになったわけです。
私はやはり、今
議員がおっしゃったように、これまでさまざまなことがあったわけですから、二〇〇〇年というクラスノヤルスク合意を踏まえて、これまでのこと、これまでのことというのは五六年宣言に代表される、ここから始まったんだということを確認し、さらに二〇〇一年からは何を目指してやるか、九三年の宣言を目指していこうという合意が
両国首脳によってなされたということは、私は、それは非常に
意味のあることだったというふうに思っているわけです。