○中村敦夫君 これまで
法務委員会でこの
少年法改正についてのさまざまな議論がありました。しかし、私には、
少年犯罪の
現実、それとこの
少年法改正というものがどうしても脈絡がつながらない、整合性がわからないんです。
一部マスコミがあおっているように、実際に
凶悪犯罪が今急にふえているのか、犯罪が非常に異質化しているのかということの問題に関しては、これは偶然二、三の人格障害、精神病理学的なタイプの
少年の犯罪というものが連続したということ以外に、統計的に見てもそのように断定するのは非常に難しいんですね。
発議者の皆さんも認められているとおり、これは統計の読み方でかなり主張が違ってくるということは一致した
考え方なんです。つまり、統計の読み方で多少違ってくるという程度の
現実なんです。これが事実だと私は思うんですね。ですから、それが根拠になって
法改正をするということには私はならないと思っているんです。
それでは、一体この
法改正の基本的な
趣旨は何なのかということを
考えてみると、やはり大目的が
少年の
規範意識を確立するというところに尽きるんだなと思うんです。それで、この
規範意識の概念に関しての
発議者たちの今までの説明、これも非常にあいまいですし、一人一人の
方々の答えの性格も違うというふうに感じています。
一般に社会的規範というのは私は二つに分類されていると思うんです。
一つは
法律です。これは今回は
少年法の
ケースですから、
少年の
更生教育を目的としつつも、やはり刑罰化という刑法的な
部分も与えて国家的な秩序維持のルールとしてこの規範があるわけですね。もう
一つは、道徳的規範というものがあると思うんです。この道徳的規範というのは共同体というものが歴史的、文化的に持つ善悪の尺度でありまして、多くの国々ではそれが宗教というものの教えと深く関連しているわけです。ですから、規範というものは二つに分けなきゃいけないと思うんです。
そうすると、現行の
少年法というものが国家基盤を守るためのものとしてどんなものだろうかというふうに判断したときに、純
法律的には私は非常に理想的な
法律であるというふうに
考えている。そして、その
法律を家裁中心に運営してきたこれまでの実績というのは、それは
一つ二ついろいろな間違いがあったとしても、おおむねうまくいっている、そして判断も正しいのではないかと。これは
前回の
委員会でも私は実例を挙げて説明したはずなんです。そして、
更生の効果も上がっていると。
今の
少年法で欠けているのは、やはり
被害者に対する対策、ケアというものの
部分が抜けている。これはやはり何とかしなければならない。私はそれだけで十分じゃないかと。それ以外に問題があるとすると、むしろ検察とか警察の捜査、これが十分じゃない、しっかりしていないということじゃないかと思うんです。そしてまた、
被害者に対する当局の態度というものが親切でない、丁寧でないというような、むしろ現場的な問題ということが実は世の中が問題にしている本質ではないかということであって、現行法の
少年法の問題ではないというのが私の
考え方です。
一方、道徳の問題です。これはもう著しく崩壊しつつあるというふうに私は思うんですね。これは
少年だけじゃなくて、大人の社会でひどく崩壊の進行が進んでいるということだと思うんです。そうすると、では
日本の道徳というのは何なのか、私はよくそのことを
考えるんです。そうしますと、伝統的に言えば儒教的な規律とか仏教的な教え、あるいは武士道、これは禅と儒教というものの合体の中から生まれてきたような規律です。そしてまた、近代ではヨーロッパ的な倫理観がそれに混合してきて、そしてあるバランスをとりながら社会的な道徳的規範というものがあったと思うんです。しかし、世の中がだんだん経済至上
主義になって、金権
主義、物欲崇拝みたいなものが価値観になっていくようなところで、だんだんこの道徳的な
部分というのが崩れてきた。
その規範というものに対する
発議者たちのお答えを聞いていると、どうもこっちの話のようなニュアンスの方が多いんですよ。ですから、これは何か
法律的なものと道徳的なものをごちゃまぜにしながら答えられているんじゃないかと。だから、この法案の論議というものがずっとすれ違いで、あいまいで、宙に浮いたような議論になってここまで来てしまったのではないかと思うんです。どうでしょうか。これは
法律の問題なんですか、道徳の問題なんですか、皆さんが言う規範というものは。