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参考人(
前田英昭君)
駒澤大学の
前田英昭でございます。
今回、
参議院に提出をされました
公職選挙法の
改正案について、私の率直な
意見を申し上げさせていただきます。
参議院の
選挙制度につきましては、これまで各党の間でいろいろ
協議をされ、まだ結論を得るに至っていないと承知しておりましたところ、急遽最近、
現行の
拘束名簿式比例代表制を非
拘束に改める案が浮上してまいりまして、先ごろ
参議院に
改正案が提出されたところであります。
参議院の
比例代表制廃止論が多かった最近の動きの中で、
比例代表制が廃止されなかったことは、私はまずはほっといたしたところであります。
衆議院の
選挙というものは
政権選択ということだと思います。そういう意味から、
政党中心になるのは私は当然だと考えておりまして、それに比べて
参議院は、
衆議院に代表されなかった
民意をも
国政に反映させることができる
比例代表制がいいと私は思っておりました。
比例代表制は、御承知のように
得票率に
議席率を比例させることを目的とした
制度でありまして、
民意を正確に
国政に反映させる、
国民の縮図を国会の上につくり上げるという点においては最もすぐれた
制度でありまして、これによって
参議院を
衆議院とは違った組織にし、
二院制の妙味を発揮することができるだろうと思います。
また、
比例代表制がよかったのではないか、その結果だと思いますけれども、
民意の変化に対して敏感だったということは、
参議院の
選挙の結果というものがその後の
衆議院の
選挙の結果を予想させる、つまり
衆議院の
選挙結果を占う
先行指標としての役割を果たしたということに見ることができるわけであります。
一般に、人の病というものは
早期発見そして
早期治療ということが必要だと言われております。同じように、
制度の欠陥というものが露呈しましたときにはできるだけ早く
対応策を私はとるべきだと考えております。
前々回、前回の
参議院選挙におきまして、
比例代表名簿の
順位をめぐって
不祥事件が起こりました。いずれも現職の
参議院議員にかかわるものであり、金によって
名簿順位が決められたのではないかという疑問が投げかけられたのであります。こういう
疑惑が今回の
改正法を
早期に成立させようとした、その
端緒になったというふうに私は伺っております。したがって、今回の
改正は、私の見るところでは抜本的な
改正ではなくて対症療法的というか、そういった見方をしているということでございます。
こういう疑問が出てきたとき、
早期に
対応策を考えるという点でどういうふうな
対策があるか。私は三つのものが考えられると思います。
一つは、
順位の
決定過程の
明朗化、
民主化ということであります。
ドイツでは、
比例選挙の場合に
名簿は
党幹部が作成いたしますが、最終的には党の支部の
党員によって
秘密投票で決めております。
政党法のない
我が国ではそこまでは規制できないと思いますけれども、九四年の
政治改革の際に、
順位決定の
透明化を図ったということを私は見てとることができるのであります。
公職選挙法の八十六条で、これは今までは立
候補が
中心でありましたけれども、
政党推薦というふうに
原則を変えました。出たい人よりも出したい人をという、そういう
原則を前面に出しまして、これは
我が国の
選挙制度では画期的なことであります。そして、八十六条の五で、
政党は
議員の
候補者の
選定及び
選定の
手続を定め、その旨を
自治大臣に届け出なければならない。それを受けて
自治大臣は、その
候補者選定手続を告示しなければならない。公開することを義務づけました。
さらに、二百二十四条の三で、
候補者選定の権限がある者、つまり
政党の
幹部だと思いますけれども、
決定に当たって
わいろを受け取ってはならない、受け取った場合は三年以下の懲役と
罰則規定まで設けているわけであります。これは
衆議院にのみ適用になっておりますけれども、これを強化して
参議院の方にも義務づける、それが私は
対応策の
一つであると考えております。
衆議院の場合には、官報によりますと
候補者の
決定は
総務会となっておりますが、
参議院議員久世先生の御論文によりますと、
平成十年のときの
順位決定機関は、
選挙対策小委員会、
選挙対策本部、総裁、
幹事長、
総務会長、
政調会長、
参議院議員会長、
参議院幹事長、
幹事長代理、
総務局長、各
派閥事務総長等となっております。私は、定かではありませんけれども、こういっただれが
決定権を持っているのか、さらにどういう
基準で決めるのかをここに書いてほしい、それが法の精神だと思います。
久世先生は、
順位決定基準として、
後援会の
名簿三百万ないし五百万とか、それから
党員、
党友のことについて書いておられます。どれが正確か私にはわかりませんけれども、つまり、
国民から見れば
名簿に登載する
順位というものがどういう
基準で設けられたかということをオープンにしてほしいということでございます。
なお、
久世先生はこういうふうなことも書かれております。こういった
条件をクリアすることは極めて過酷なことであり、
候補者にとって、
順位争いが旧
全国区制以上に厳しいところから、旧
全国区制を改善して戻すべきとする
意見や
比例代表名簿を非
拘束名簿にすべしとする
意見等、
改革論議が常に存在していると、こういうふうに書かれております。
第二の
対応策は、
イギリスに見られるものでございますけれども、
政党への
候補者の献金を禁止するということでございます。全面的に禁止されているかは、
法律で決める国ではございませんから定かではありませんけれども、少なくとも
一定額以上は
候補者は党に対して
寄附を、特に多額の
寄附をしない、こういうことになっているということでございます。
お金というものは魔性を持っておりまして、
わいろではなくても
わいろ的効果を伴いやすい。ですから、
党費納入の公正を確保するためには、
肩がわりではなくて本人が納入する、あるいは
銀行口座扱いにする。私は、政界では現金の授受はぜひ禁止する、まあ禁止と言わないまでも、そういうことをしない慣行をつくり上げていただきたいということでございます。
第三の
対応策は、
名簿順位というものは、
政党が決めたことによって
疑惑が生じたら、
政党が決めないようにすることでございますね。つまり、
国民に決めさせるということでございます。これが今回提出されました非
拘束名簿式だと私は考えております。
アメリカでは、
候補者の
決定、
比例代表制ではございませんけれども、
最初は
政党のコーカス、いわば
幹部が
決定したわけでありましたけれども、密室で行われるというものでよくないという
批判から
予備選に変わって、今日のような
有権者が参加するような
制度になっております。
日本では、
名簿順位を
政党に任せておけないということで、その
決定権を
主権者に決めさせる、
政党は
候補者を推薦して
名簿に掲載しますけれども、だれを
議員に選ぶかは
有権者が決めるというふうに改める、この点で今回の公選法の
改正は私は理解ができるのであります。そして、
拘束名簿式に対する
批判として言われました、顔が見えないということに対して、この非
拘束の
制度は顔が見えるようになる、こういうふうな
対応策にもなるわけでございます。
衆議院と
参議院の
選挙制度は最近よく似てきたと言われておりますけれども、小さな違いがありまして、その小さな違いを運用次第では大きくすることができる。
比例代表制について、
衆議院の場合には
全国十一
ブロックであり、
参議院は
全国規模である。さらに、
名簿登載できる人を
衆議院の場合は
党員に限定しておりますけれども、
参議院の場合には
党員に限定していない。この二つの点を
特色として、その上に、
政党が
候補者名簿を作成する際に、
参議院の性格を考えて
政党人にとらわれない、広く
学識経験のある者というふうな者を
名簿に推薦するというふうなことをなされば
参議院は
特色のあるものになることができる、こういうふうな
可能性を秘めているわけでございます。
今回の
改正は、この
可能性を全く否定するというわけではありませんけれども、
集票能力がなければ
上位にランクをされても
当選の見込みがないということで、いわゆる良識の人と言われるような人は排除されることになるのではないのか。したがって私は、党の
名簿には
順位をつけ、
得票順に
当選者を決めますが、余剰の票については、
当選に至らなかった者の
上位から
当選者とする、そういうふうな案が望ましいのではないかと思うのであります。
政党として、
自分たちが推薦する
推薦者の中で、
政党としてもこの人が望ましいということについてやはり
意思表示をするということが必要だと思っております。
参議院の場合、
候補者推薦制というのがよく問題になります。
候補者推薦制では、一番民主的なのは
政党が推薦するというふうなことで、やはり
政党が責任を持って推薦するということが大事なことだと思っております。
それから、金がかかるとか
全国区の再来だと言われる問題です。
これは、金をかけない人もいらっしゃいます。
市川房枝さんであるとかあるいは
青島幸男さんですとか、
選挙になると外国へ行かれてしまうという、考えようによっては大変私どもはばかにされているようなことであるわけでございますけれども。要するに、
選挙というのは、激戦だとなれば、あるいはまた
投資効果があれば、いろいろな規制の網をくぐりまして、私どもよくは存じませんけれども、
水面下ではいろいろな工夫をなさる、こういうふうな知恵を使ってやられるわけで、私としては
制度の問題ではないのかなという感じがするのでございます。
かつて
平成三年ごろ、現在の
斎藤議長が
幹事長時代に
比例代表制一本の
選挙制度をつくられたことがございます。これは
大変評判がよかったわけではございますが、
選挙運動に関しては国営と表現されたことで多くの反発を招いたのでありますけれども、
内容はいわば
公営選挙というものを強化するというふうなことではなかったかと私は思っております。例えばラジオ、
テレビの
政見放送、
討論会、
新聞広告、
選挙公報などを拡充強化して行うという
趣旨であって、
連呼行為中心の騒がしい
お願い選挙を静かな
選挙にして、
有権者に
判断材料を
マスメディアを通して提供すると、こういうふうなことが御
趣旨だったんではないかと言われております。金がかかるかかると言いますけれども、実際どのくらいかかるのか、確たるものではないのでございますね。私は、
実情がどうか、一度公的な
調査をされてはいかがでしょうか。
イギリスでは、一八八三年の
腐敗違法行為防止法というものが制定されて、その前の一番腐敗したという一八八一年の
選挙に政府が公式に各
選挙区でどうだったかという
実情調査をしています。その実態に
国民が驚いて、これは大変だということで、かなり一八八三年の
腐敗違法行為防止法を制定する
端緒になったというふうなことを聞いております。
それから、
比例代表制の
選挙にも
連座制を適用したこと、私は当然であると考えております。
それから、非
拘束の
比例代表制が違憲だという
意見もございますけれども、私はそうではないのだ、比例というものはそういう性格のものではないのかなという感じがします。
イギリスにも
比例代表制というのがございまして、現在ジェンキンス
委員会、ブレア内閣で
報告書が出まして、小
選挙区制の一五ないし二〇%というものを
比例代表制にしようというふうなことがありますけれども、この場合にもそういったようなことが問題になっていないということであります。
一体、現在提出されている
法案がいいかどうか、賛成したらどうかということになりますと、やはり比較してみたいのでございますね。党利党略と言います。ですけれども、これは比較のしようがないのでございます。大体、
選挙制度というものは、あるものを出しますと、それは党利党略だというふうに言われるものでございます。それぞれきょう御
出席になっていない各党からも出していただけると、比較ができて、私どもはやはりこっち側の方がより党利党略的だなとかいうふうなことが判断できるので、そういう点では非常に残念に思っております。
政党というものは、対案を具体的に出して
国民の見ている前で
選択肢を提供してくださる、
国民がそれを判断して決める、
政党というものはよく
国民の政治的意思
決定の協力者であるとおっしゃっているわけでございますので、そういったことをしてほしかったと思っております。
次に、時間の関係もございますが、
一つ申し上げたいのは、当面の問題で大事だというのは、九月六日に最高裁判所の一票の重みについての判決がございました。これは五人、三分の一の判事が違憲とするということでございました。
これまで逆転現象を指摘されておりましたが、
平成四年の
選挙について、最大六・五九、これを違憲状態だと判断したと。これも初めてのことでございます。前回の場合の四・九八については、これは合憲だといたしました。その判決について
国民から大変厳しい
批判が出てまいりました。ジャーナリズムでも
批判があったところでございます。平等ということは一対一でなければならないわけです。
衆議院の場合には大体許容が三倍程度、そして
参議院の場合にはいわば六倍と、この差はどこから出てくるのか、
国民は当然奇異に感ずるものでございます。
最高裁の考え方としては、やはり
参議院の特殊性と言うわけでございます。ただ、特殊性を言いましても、憲法の精神からそうなるのでございますけれども、
国民はなかなかそれが理解できない。現実に
参議院でやっているものはどこが特殊性なんだ、どこが
衆議院と違うんだということになるのでございまして、そういった意味で、
国民の不満というものは裁判所から今度は国会の方に向けられてくるのではないのかと。
国民の目に
参議院が憲法の要請しているような特殊性あるいは
衆議院と違ったことをやっているんだということをわかるような行動を起こしてくださることが必要だというふうに考えております。
それから、
定数削減の問題でございます。
今回十名
削減されております。これは、逆転現象をなくしたという点では理解できるのでございますけれども、今の一票の重みの関係で言えば、こういう
削減のときに、あるいは
削減しないとかそのほかの方法をとりながら、
国民から
批判されている一票の重みについての理解を得るような、そういう是正措置の方に向けられてほしかったというふうに思うのでございます。
裁判所は合憲だとしまして、それは合憲だとするけれども、国会の裁量の範囲内の、国会が決めたからだということになるわけでございまして、その国会がやっていることが今度は不満だと、つまりボールを国会に投げられたわけでございますが、国会側がそれにこたえるような努力をなさって、
国民の満足を得るような、そういうふうなことをしてほしいというふうに思うのでございます。
時間になりましたので、最後に一言。
今まで与えられた時間で全部を申し上げることはできない、意を尽くすことはできなかったのでございますけれども、
法案審議に一言触れさせていただきますと、現在、野党席の状況を見ますと空でございます。これはまさに異常だと思われるのでございます。ですけれども、
参議院にはよき先例がございまして、
委員会というものに出てこられないということであれば、非公式にして、打合会にして野党の方に
出席していただくとか、あるいはいろいろな先例がございます。そういったよき先例というものを尊重されながら、やはり
参議院は
参議院としての独自の、そして自主的な運営をしてほしい、そういうことこそ
参議院の議事運営にふさわしいものだというふうに考えております。
野党の主張が正しいのか、野党の欠席戦術が正しいのかどうかということについては、これからすぐ結論が出るのでございますけれども、現在のような異常な状態を続けていては、
国民の
参議院離れは進み、
参議院の権威は落ちるばかりだと私は心配をいたしております。それは今回の法
改正の
趣旨に反するものだと思います。
私は、最後にドイツのことわざを思い出したのでございます。ドイツのことわざに「手術は成功した、だが患者は死んだ」というものがございます。これはあり得ないことでございますけれども、野党のいないこういう状況で審議が行われるというときにこんな心理になるものだということで、私の
意見開陳にかえさせていただきます。
ありがとうございました。