○渡辺秀央君
大臣、御苦労さまです。
私のところまで来ますと大体問題点が全部
指摘されまして、しかもまた私も久しぶりの
質疑でございまして、あれを申し上げようかこれを申し上げようかと思って来たんですけれ
ども、かなり重複もあったりしますが、きょうは時間もいただきましたので、少し切り口を変えながら、お許しをいただきまして、先ほど来もう若干のまた
指摘もありますけれ
ども、なるべくダブらないように、そしてまた
大臣の気楽な
見解をお聞きもしながらというような気持ちで、私の考えも申し述べながらこれから少し時間をちょうだいしたいと思います。
私は、
基本的にこの
法律に賛成であります。もちろん、いろんな問題点が
指摘されておりますので、そういうことをいろいろ踏まえながら、まあしかし今日においてはということだろうというふうに思いますね。
先ほど来のお話のように、
IT革命という言葉そのものに対しても、実は私も申し上げようと思って、もういろいろ出ましたから申しません、同じことは。しかし、やっぱり
ITにかかわる思い切った
政策、立案、実行ということが本当は革命なんですよね。
そういう点では、
通産省、私も長い間この
関係で勉強させていただいてまいりまして、少しこの思いの中で、
情報産業ということなどのあり方、そして私
どもが、私は昭和五十一年に当選させていただきましたが、その前の段階で、私が
通産省大臣室に秘書官としてお世話になっているときに、このいわゆる機構改革でいち早く通産は
機械情報局という改組をされまして、今考えるとやっぱり相当なものですよね。
そういう中で、
通産省が大変努力をしてきたことは
承知しながらも、少し振り返ってみたい、そんな思いで、若干時間をいただいて、私は、この近年の
情報通信技術の発達に目覚ましいものがありますけれ
ども、このことについての少しまとめてきたことを、自分の整理もかんがみて、かつこれからのまたこの場における議論も相当これからも出ることだろうと思います。風聞するところによると改造とかいろいろ機構改革とかあることのようで、ぜひ
平沼大臣、私は大いに
期待をしていますし、これからの
日本を本当に指導してもらわなきゃならぬ大事な政治家として、そういう
期待も込めながら、かつ活躍をぜひお祈りもしながら、少し私の考え方をまとめたものも若干聞いていただきたい、そして最後に所見をちょっとお聞きしたいなというふうに思います。
長く演説をやっているとはぐれますから、まとめてまいりました。
大臣の本
法律案に関する
趣旨説明にありますように、近年、
情報通信技術の発達は本当にすばらしいものであります。
コンピューターがアメリカで初めてこの世に姿をあらわしたのは一九五〇年代初期でありましたが、急速な
技術の進歩と旺盛な需要に支えられて五十年の間にハードウエア、ソフトウエアも著しい成長を遂げたことは、もうお互い認識のとおりです。
今日、先ほどから言っている
IT革命、私はやっぱり革新だと思うんですけれ
ども、
IT革命なんていうのは、今申し述べますが、さんざんもう言ってきたことですが、かつて
我が国の
情報化は、一九六〇年代後半から一九七〇年代にかけて
産業界における
コンピューターの導入を中心とした第一次
情報化革命を経験したんです。また、一九八〇年代の第二次
情報化革命においては、
情報処理
技術と通信
技術とが飛躍的に
発展して、その両者が結合してネットワークを形成するという、第一次
情報革命とは質的に異なる新たな段階に入ったわけです。そして、今日、
インターネットの急速な
普及に見られるような
情報通信技術の発達の新たな段階を迎えているわけでありますが、その
基盤が築かれたのは一九六〇年代から始まった
通産省の
情報産業育成策がその根底にあったのではないかと思うんですね。
そこで、私は、かつて衆議院の商工
委員会に在籍していたころに、
情報産業関係の
法律の
審議にも若干関与をしてまいりました。
情報産業政策に対する
評価について私自身の意見を述べ、
大臣にも私のこれを少し聞きながらの全く一般的な感じをお聞きしておきたいというふうに思うんです。
同時に、私がなぜこういうことを申し上げるかというと、実は
基本法の
審議をやる場が参議院では交通・通信
委員会というところでして、ここでは我が党が発言する場がないのであります。そういう意味で、私は、きょうここで少し考え方を申し上げておかなきゃいかぬということも兼ね合わせてお許しをいただきたいというふうに思うんです。
一九七〇年代、これまでの
情報産業政策の中心となってきた特定電子工業及び特定
機械工業振興臨時
措置法、いわゆる機電法ですね、昭和五十三年三月で期限切れになるために、当時、機電法の
内容をほぼ踏襲した特定
機械情報産業振興臨時
措置法、いわゆる機情法が昭和五十三年、私が当選して間もなくにこれが成立しました。この
法律のほかに、
情報産業の振興を図るために、半導体やソフトウエア
技術に関する官民共同の研究開発プロジェクトに対する財政支援
措置などの
政策が講じられてきました。
この結果、
コンピューター生産高は一九八〇年の一兆三千億円、
機械情報産業に占める割合はこのころ三・一%だったわけです。一九九九年には五兆五千億。これは九九年までしかデータが私見つからなかったので。これはもう五兆五千億に飛躍している。八・五%、いわゆる五・四ポイントも増加しているんです。すばらしいことでありました。また、
情報サービス産業の生産額については、これは
サービス産業ですね、こっちは一九八〇年度、六千七百億円が、一九九八年、これは九年のデータが私見つからなかったんですが、九・八兆円と、約二十年間で十五倍近くに増加している。このことから、
情報産業の振興に対しては一定の
政策効果があったのではないかというふうに思っております。通産行政の成果だろうと思います。
第二次
情報化革命と言われている時期では、昭和六十年には
産業構造
審議会、我々はいわゆる産構審と言っておったんですが、このシグマ計画を中核としたソフトウエア生産の効率化や
情報処理
技術者の育成を図ること。第二に、安全対策ガイドラインを提示すること。第三に、ビジネスプロトコルの統一データベースを含む共同
企業間システムの構築を図ること。第四に、地域間の
情報格差が生じないように、
情報システムの開発に関する地域レベルでのビジョンの策定とそれに対する財政、金融、税制上の支援
措置の必要性が
指摘されたんです。もう非常に早い時期に、今のいろんなことがもう
指摘されているんですよね。我々もこういうことを議論した記憶もあります。しかし、今ほどの深まりのある議論は、当時のことですからもちろんしているとは言えません。
このうち、シグマ計画の実施などについて、昭和六十年の第百二回
国会で成立した
情報処理振興
事業協会等に関する
法律の一部改正、いわゆるIPA法の改正で
対応がなされました。また、
コンピューターの安全基準については、法的
措置ではなく、システム監査基準が策定、公表され、セキュリティー対策の実効性を確保するための施策が実施されてきているんです、ここでも。
さらに、地域の
情報化について、平成元年、一九八九年の第百十四
国会で地域ソフトウェア供給力開発
事業推進臨時
措置法、これは私も参画いたしましたが、いわゆる地域ソフト法が制定された。当時、
情報サービス産業は全国の約七割が東京周辺でした。三大都市以外では一五%にすぎませんでした。その背景には、需要が大都市に集中していることもあったが、
情報処理
技術者が地方には不足しているという問題が実は一番あったわけであります。昭和六十年時点でのソフトウエア
技術者は四十三万、昭和六十年ですよ。今後ソフトウエア需要は一層高度化かつ多様化した場合、そのころの我々が党内あるいは
国会で議論したのは、二〇〇〇年時点で約百万人不足するということをもうこのときに
指摘している。それで、養成しなきゃいかぬぞと、ソフト
関係が手薄だぞという議論を盛んにやりました。
一方、昭和六十年秋以降の急速な円高の進展によって地域
経済は疲弊し、雇用のミスマッチから雇用情勢は深刻な
状況にある。このような
状況の中で、今後高い成長が見込まれている
情報サービス産業は、特に高い成長力と雇用創出
効果があることに加え、立地制約要因が比較的少ないこともあって、地域におけるリーディングインダストリーとして
期待されていた。このため、地域ソフト法に基づいて私
ども、例えば新潟県な
ども全国二十地域の指定に、ソフトウエアセンターを設置していただきましたよ。プログラム業務従事者の知識や技能の向上を図るための支援策が講ぜられてきましたが、この
法律は平成十年の第百四十四
国会で成立して、新
事業創出促進法というので一部吸収されたことは御
承知のとおりです。
ちょっと長々と
情報産業政策について述べましたけれ
ども、私はこの
取り組みについて、さっき申し上げたように、非常によく取り組んできたなということをまず
一つは
評価をいたしております。しかし、上げておいてたたくわけじゃないが、どうも政治が若干おくれたなという感じもしますね。そういう意味では、そうはいうものの、
通産省各歴代
局長たち、今度も現
局長もやがてそういう
期待もしておりますが、この
局長経験者は大体事務次官に入っている。そういうことで、今はわかりませんよ。しかし、それほど重要なポジションだったということだ。あるいは、
通産省としてはそれほど非常に大事に考えてこの行政をやってきたということでしょう。人間をつくり上げる、育成するということも踏まえて、そういう意味では非常に私はそれなりに努力を
評価をしている。
こういう今までの
政策を、私なりの
評価、私なりの思いをちょっと思いつくままメモしたやつを打たせてここで申し上げているわけですが、この
情報産業政策について
大臣、一言、思いがあったら、いかがですか。