○野田佳彦君 私は、
民主党・
無所属クラブを代表して、政府
提出、
平成十二年度
補正予算三案に強く
反対する
立場から
討論をいたします。(
拍手)
今、
日本に生命力をよみがえらせる唯一の方法は、
経済並びに財政の構造改革を力強く、一刻も早く断行することであります。少子高齢社会の到来をあえて持ち出すまでもなく、
我が国には持ち時間がない、他国以上に厳しい制約があります。時間の観念の欠如は、
政治にとっては致命傷です。時間に対する鈍感な態度は、これは取り返しのつかない負担を
国民に求めることになると思います。遅いということは、将来の選択肢を狭め、
国民の苦しみと痛みをより大きくするだけであります。
しかし、政府
提出の
補正予算には、この構造改革に対する熱意というものを全く感じることができません。
補正予算のベースとなっている
日本新生のための新発展政策を読ませていただきました。二十二ページのレポートの中に、残念ながら財政という言葉が
一つも入っていません。財政の将来に一言も触れないで、
日本の新生があるでしょうか。このことだけを見ても、政府の
経済対策そして
補正予算が、いかに無
責任であるか、いかに粗雑であるかがよくわかります。
今回は、予算
審議は逃げに逃げ、そして、
審議が始まっても、
国政史上最短の
審議時間で終わってしまいました。このことも、政府・
与党の自信のなさのあらわれであります。
元気のない
経済や
借金の山を直視せず、繕いと事なかれ主義に終始をしている
森内閣には、問題解決能力がないというよりも、問題認識能力がないと言わざるを得ません。
以下、具体的に
補正予算に
反対する
理由を述べさせていただきます。
まず第一は、事業の規模であります。
バブル崩壊後、既に十二回にわたり
経済対策が繰り返して行われてまいりました。そして、百二十六兆円もの莫大な財政資金が投入をされてまいりました。この間、ざるで水をすくうような努力をしている
国民の血税が、バケツの水をざるに流し込むようなもったいない
経済対策に費やされてきたわけであります。
それに対する厳しい総括や反省も全くなく、惰性で今回も事業規模が十一兆円にも膨れ上がったばらまき型
経済対策が決定をされて、そしてそれを実現するための四兆七千億円を超える予算が決定をされました。余りにも反省がないと言わざるを得ません。
もはや、事業規模で虚勢を張る時代ではありません。政府に求められていることは、余計なことをあれもこれもやることではなく、何をやらないかというプログラムを明示することであります。
第二は、予算の内容です。
その中身を子細に検討しましたが、これまでの従来型の事業の焼き直しばかりで、極めて効果は薄いだろうと思われます。
景気回復のかぎを握る
個人消費に、政策のスポットライトが全く当たっていません。老後や雇用の不安におびえる中高年層、家計のやりくりに苦心をされている主婦層、将来の展望を見失っている若者たちに、その不安を丁寧に取り除いていくメッセージが全く見られません。これでは、
国民が財布のひもを緩めるようなことはあり得ないだろうと思います。
あえて言うならば、ITの振興が目玉であろうと思います。しかし、総じて、政府と民間の役割についての深い洞察が欠けています。
さすがに、堺屋長官の思いつきとも言えるIT受講カードは撤回をされていますが、学校や公民館でインターネット講習をするような事業に形を変えられています。七百万人のパソコン講習などが、本当に国の事業と言えますでしょうか。道路や下水道もIT関連と言われるような従来型の公共投資の手法で、しかも縦割り構造のもとで各省がばらばらにITという冠をつけた事業を羅列するような手法で、本当にIT革命ができるんでしょうか。
私は、民間主導のIT革命こそが成功のかぎであり、その切り札は競争促進と規制改革に尽きると思います。
第三は、財源の問題であります。
政府・
与党は、赤字国債は発行しなかったことを盛んに強調しています。でも、
建設国債は約二兆円増発しています。赤字国債も
建設国債も国の
借金であることには変わりなく、何ら評価には値しません。その結果、
平成十二年度の公債発行額は、約三十四兆六千億円と、二年連続して国の純税収を上回る結果となり、公債依存度も三八・五%になってしまいました。
来年度は、財政投融資改革の一環で、財投債の発行も予定をされています。市場において消化不良が起こりかねません。そうなれば、金利は上昇し、利払いはかさみ、財政破滅への道をたどること、私はこれは必至だろうと思います。民間
企業の資金調達を圧迫し、
景気の腰折れも心配です。
世界経済の二大リスクは、今やアメリカの株式市場と
日本の国債市場であるということを肝に銘じなければならないと思います。
また、政府は、税収見通しを無理やりかさ上げして粉飾決算まがいの財源の捻出をしたり、本来ならば
剰余金は国債の償還財源に半分以上充てなければならないという財政法上のルールをねじ曲げて、前年度
剰余金一兆五千億全額を補正の財源にするなど、徹底して財政の規律を破壊しています。このような便法やびほう策の積み重ねこそが財政崩壊への道につながる、私はこのように思います。
森総理が大変お好きなラグビーは、ボールをこのように前に投げるとスローフォワードという反則をとられてしまいます。だから、後ろへ後ろへとパスをしながら進んでいくスポーツです。八月末の、まずは十兆円ありきという亀井政調会長のキックオフで始まった今回の予算編成は、ラグビーと同じように、財政負担というツケを後ろへ後ろへとパスをするものであり、未来に対して余りにも無
責任であると思います。
今は亡き作家の司馬遼太郎氏は、この怪物のような二十
世紀的国家を子孫に受け渡すべきではない、それは、ニトログリセリン入りの瓶を坂の下にいる子孫に向かって、これを受けとれといって転がすようなものであるという言葉を残しています。
今、私たちは二十
世紀後半に当たり、大
借金国家というニトロ入りの瓶をつくって、二十一
世紀初頭に大重税国家という形で爆発をさせようとしています。このような亡国の流れをだれかがとめなければなりません。
しかし、
国民は、森
政権には
我が国のこのような苦境を打開する力も、そしてその意欲もないということを見抜いています。最近の株価や
内閣支持率の低迷は、まさに一目瞭然であります。閣僚席に居並ぶこの古色蒼然たる顔ぶれを見て、だれが夢を持てるでしょうか、だれが
期待をできるでしょうか。(
発言する者あり)水は飲むものであります。(
拍手)
日本の真の
危機は、実は
政権それ
自身の正統性にあります。
国民の多数の
意思を代表していない
政権は、どんなに巨額な
経済対策を講じても、それは絵にかいたもちにすぎません。APECやASEANのような各国リーダーが集う国際交渉の場に、
国民の支持を得ていないような
総理大臣が出ても、同情はされることはあったとしても、残念ながら交渉相手にはされないと私は思います。
閉塞感が漂う今日、
国民の
最大の
関心事は、どのように
日本を立て直すかということも大事でありますが、一体だれがこのよどんだ閉塞感を一掃することができるかということに
最大の
関心があります。その意味では、ハウ、どのようにということよりも、フー、だれがということが重要であります。
いよいよ人心一新のときであります。
森内閣の退陣こそが
最大の
景気対策です。
最近、この政局をめぐって、
自民党の中には、熱い鉄板の上で猫踊りをさせておけとか、あるいは首謀者は獄門、さらし首だとか、まるで大昔の野蛮な部族の争いのような言葉が飛び交っていました。そのような
混乱を乗り越えて、
与党の中からも一群の改革者が勇気を持って立ち上がることを、私は心から
期待していました。極めて残念でありました。