○寺尾
参考人 寺尾でございます。
私は、ことしの三月末まで、三十八年間
家庭裁判所の
調査官をしておりました。そのうちの三十五年は
少年係の
調査官でございました。したがって、三十五年間
非行を犯した
少年とかかわってきたということになります。そういう
経験を通じて私が考えていることをちょっとお話をしたいと思います。
非行少年の問題だとかあるいは
少年法の問題を論ずるときに一番大事なことは、これは何といっても
子供の実像、
子供の姿をきちっとつかまえるということが出発点でございます。
子供は非常にいろいろな
子供がいまして、個人差もありますし、表面的にはわからないいろいろな内面を持っております。そういう
子供たちの姿をきちっととらえないで、ただ一部の
少年の姿だけを
非行少年だとして議論していきますと、最終的には、机上の空論といいますか、机上の法律論だけで、現実の
子供たちとはかけ離れた議論になってしまうのではないかというふうに思います。ぜひ先生方には
子供たちの姿をよく見ていただきたいというのが私の願いです。
子供は日々変化し、成長し、
発達している過程にあります。特に、
子供たちの置かれた状況というのは、
思春期という大変な時期を過ごしているわけでございまして、これは完成された
大人の場合とは全く異なる状況にあります。それはぜひまず前提として考えなければならないことだというふうに私は思っております。やった
事件の結果の大きさとか、
大人と同じようだということだけに着目して、そこで
大人の物差しをそのまま当てはめて論ずるということになりますと、それは
子供にとっては大変不幸なことになるというのが、私の長い間の
経験の結論でございます。
そういう
子供たちの更生を考えたときに、その出発点になるのはどういうことかと申しますと、これは結局、その
非行を通じて
子供が
自分のしたことを省み、
自分を省み、そして、
被害者に対して本当に心の底から申しわけなかったという気持ちが生まれてくるところから更生というものが始まるわけでございます。ですから、私どもが今までやってきましたことは、調査の段階におきましても、あるいは
審判の段階におきましても、常にそういうことを念頭に置いて
仕事をしてまいっているわけでございます。
何か一部には、
保護という名のもとに、
自分のやった罪に直面させるということなしに、早く忘れて立ち直れというような指導をしているというようなことをおっしゃる方がございますが、そんなことはございません。それは誤りでございます。
家庭裁判所では、そういうようなことではなくて、きちんと立ち向かって
自分を考えていく、
被害者のことを考えていくという指導は、これはもう日常的にしていることでございます。ただ、それは非常に難しいことでございます、時間のかかることでございます。そう簡単にできない。ちょっと
子供をおどしたり
ショックを与えたりすることでそれができるかというと、そういうことではないのですね。
それはなぜか。それは、大部分の
非行をする
子供たちが、成長の中で、
自分たちが一人の
人間として認められたことがない、だれからも愛されたことがない、だれも
自分の話を聞いてくれなかった、そういう
子供たちがほとんどです。したがって、非常に強い
人間不信といいますか、
大人に対する不信感、
人間に対する不信感、それに凝り固まったような
子供たちです。そういうような
子供たちに、
人間に対する信頼を取り戻して、
自分が決してだめな
人間ではない、これから生きていける
人間なのだということを思い起こさせ、そして
被害者の気持ちをわからせるということが大事なことでございます。ただ、それには大変な時間がかかる。裁判所だけでなくて、矯正機関でもずっと長いことそれをやっていかなければならないということでございます。そういう
子供たちに、ただ苦しみだとか痛みだけを与えて
反省しろというのは、これは基本的に間違いだろうと私は思っております。
とにかく、そういう
子供たちの言い分をしっかり耳を傾けて聞くというところから出発しなければならない。そういう機会を
少年審判、
少年処遇の中でしっかりと押さえておかないと、これはほかのどんな方法をもってしてもできないだろうというふうに思っております。
鑑別所に入った
子供が、生まれて初めて
自分の話をこんなに長いこと聞いてもらった、
自分のことを真剣に
審判で聞いてもらった裁判官に出会ったというようなことがよくございます。そういうことが大事だと私は思っております。
〔
横内委員長代理退席、
委員長着席〕
非行少年の問題というのは、突出した
非行少年がいたら、その子だけの問題ではなくて、その背後には、
程度の差はあれ、同じような問題を抱えた
子供がたくさんいます。つまり、
子供全体の問題だということでございます。
そしてまた、同時にそれは
大人の問題でもあります。
大人がつくり上げた
社会の中で、そのひずみを
子供が
非行という形で出しているという
意味で、
子供には非常に鮮明にそれがあらわれた、
大人の問題だということでございます。
そういうような視点から、今回の
改正案について、時間がないので二点だけお話をさせていただきます。
刑事処分可能
年齢を引き下げて十四歳からにするというのがございます。これは
中学二年生の
年齢です。四月生まれの子に関していえば、
中学二年生になった途端にその
年齢になります。皆様方の
子供さんだとか御自身のことだとかお孫さんのことを思い浮かべていただきたいと思いますが、
思春期の初期の
子供たちの非常に不安定な時期でございます。理屈を言ったりあるいは
感情的にいろいろ、いらいらしたりする、そういう時期でございます。一年間に十センチ以上も身長が伸びるような
子供たちです。そういう
子供たち、それは理屈では一応悪いことをしたということがわかる。だけれども、そういう
意味で責任を追及できるということはあっても、それが直ちに
大人の
処遇を受け入れるだけの状態になっているかどうかという視点で考えれば、それはそういうふうにはつながらないわけです。
今の
少年法が十四歳と十六歳の二つに分けて
年齢を決めている。ダブルスタンダードだといって非難をされますが、それは決してそうではなくて、大変
意味のあることだというふうに私は思っております。
少年法は甘いから今のうちに悪いことをしておこうといって
非行をする
子供たちに規範意識を持たせる効果があるんだという議論をなさる方もいらっしゃいます。しかし、私は今までそういう
子供たちに会ったことがございません。
子供たちは
非行をするときには、
自分の
感情のコントロールができなくなって、もうやむにやまれぬ状態の中でやってしまう。後先のことは何も考えない。計画的に見えるような
犯罪であっても、つまり、そのときに非常に袋小路に入り込んで、もうほかのことが見えないような状態の中でやるというようなことでございますから、後になって、しばらくたって、
自分は一体何であんなことをしてしまったんだろう、あんなばかなことをどうしてしたのかなというふうに言う
子供がほとんどです。最初から、
自分は捕まっても
刑罰を受けないぞというようなことを考えて
事件を起こすなどという
子供は、私は今まで一度もお目にかかったことがありません。
そういう
子供たちを法廷に立たせて、法廷で勝つか負けるか、負けるなら情状酌量をといったような場面に置くというようなことが果たして
子供にとっていいことだろうか、難しい言葉のやりとりの中で
子供がそこで本当に
自分のことを考えるだろうか、そういうことをぜひ想像していただきたいというふうに思います。しかも、その結果として長期間
刑務所に入れる。
刑務所に入れて一体何をするのだろうか。
刑務所に入れて、そこで十四歳からの
子供たちがどんな教育を受けるんだろうか、受けられるんだろうかというふうに考えますと、私は、この十四歳への引き下げということは到底賛成することはできないということでございます。
それからもう一つ、十六歳以上の
少年について、故意に死に至らしめるような
事件について
原則逆送というようなことがございます。これは、今まで
原則保護処分というような今の
少年法を、根底から百八十度覆すようなことでございます。
原則保護処分から
原則逆送というようなことになりますと、これは今までやってきた現在の
少年法のやり方をすっかり変えることになるだろう。この
事件は少ないから、こういうことは余りないから影響はないとおっしゃる方がいますが、こういう制度ができるということで、これはほかの
事件に大きな影響を与える、
調査官の意識、裁判官の意識を大きく変えるだろうと思います。
現場でいろいろやってきた感じでは、
原則逆送となれば、これはもう
原則逆送になるんです。最終的に裁判所が決定するから選択の幅が広がるだろうというようなことをおっしゃる方がいますが、そんなことはありません。絶対にないと私は思います。やはりそれは、選択の幅が極端に狭くなるということになるだろうと思います。
少年審判の一番大事なところは、
審判を通じて、つまり
少年一人をどうするかということで
調査官が悩み、裁判官が悩み、付添人がいれば付添人が悩む、悩んだ結果で結論を出していく、そこが非常に大事なことです。しかし、こういう制度ができれば、裁判官は悩まなくなります。
調査官も多分悩まなくなるでしょう。そういうような
審判が果たして望ましいことかどうか。
少年院に行った
少年が後になって、私はあのときに、裁判官が非常に悩んだ末にこういう決定をしてくれた、それはそのときは恨んだけれども、今は本当に感謝している、そういうようなことを言う
子供はたくさんいます。私は、そういうことが非常に大事だというふうに思っております。言いわけだとか反発だとか、法廷でそういうことしか考えなかったという
少年も、私は後で手紙をもらったことがございます。そういうことで本当にプラスになることがあるだろうかというふうに思うわけです。
そのほかいろいろございますが、今の
少年法をもっと充実させて、その中で新しいいろいろな試みをするとか、そういう余地がまだまだあるのではなかろうか。捜査の問題も
処遇の問題ももっと議論する必要があるし、軽微
事件の扱い、特に、現在、既に一般
事件の四十数%になっている簡易送致の問題などは非常に大きな問題だと私は思います。早いうちに
非行のサインを見逃すなといいながら、軽微な
事件についてはほとんどきちんとした
処遇がされないというようなところも、もっと議論をする必要がある。
そこで、
調査官あるいは裁判官は今、めちゃくちゃに忙しい状況にあります。いろいろなことを考える余裕もないような生活を送っております。そういう職員をきちっと手当てする、矯正の現場の職員も手当てをするというようなことがまず先でありますし、その中で
被害者の問題も、今まで本当になおざりにしてきた問題をみんなで考えていくというようなことが必要ではなかろうか。
今そういうことをせずに、この段階ですぐに
少年法を
改正して、
非行少年はもう
大人の世界から向こう側へ追いやってしまえというようなことをもしするとするならば、
大人が責任逃れをして、おまえ
たちの責任だといって
子供たちをただただ追いやるにすぎない結果になる、そこからは何も生まれてこないというふうに私は思います。
せっかく議論が始まったところで、まだまだ現場の人の声をもっともっと聞いていただいて、時間をかけて
少年法を議論していく。決して大急ぎで結論を出すようなことがあってはならないというふうに思います。ぜひ先生方にはそういう
立場でお考えいただきたいというふうに考えております。
どうもありがとうございました。(拍手)