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2000-10-27 第150回国会 衆議院 法務委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十二年十月二十七日(金曜日)     午前十時一分開議  出席委員    委員長 長勢 甚遠君    理事 太田 誠一君 理事 杉浦 正健君    理事 山本 有二君 理事 横内 正明君    理事 佐々木秀典君 理事 野田 佳彦君    理事 漆原 良夫君 理事 藤島 正之君       岩屋  毅君    加藤 紘一君       河村 建夫君    後藤田正純君       左藤  章君    笹川  堯君       武部  勤君    平沢 勝栄君       森岡 正宏君    渡辺 喜美君       枝野 幸男君    日野 市朗君       肥田美代子君    平岡 秀夫君       山内  功君    山花 郁夫君       上田  勇君    木島日出夫君       北川れん子君    保坂 展人君       上川 陽子君     …………………………………    参考人    (上智大学文学部教授)  福嶋  章君    参考人    (弁護士)        佐藤 欣子君    参考人    (中日新聞東京本社論説副    主幹)          飯室 勝彦君    参考人    (東京経済大学現代法学部    教授)          守屋 克彦君    参考人    (画家)         塚本猪一郎君    参考人    (立命館大学法学部教授) 葛野 尋之君    参考人    (日本弁護士連合会・子ど    もの権利委員会委員長)  斎藤 義房君    参考人    (元家庭裁判所調査官)  寺尾 絢彦君    参考人    (会社員)        岡崎 后生君    法務委員会専門員     井上 隆久君     ————————————— 委員の異動 十月二十七日  辞任         補欠選任   保坂 展人君     北川れん子君 同日  辞任         補欠選任   北川れん子君     保坂 展人君     ————————————— 十月二十七日  犯罪捜査のための通信傍受法の廃止に関する請願植田至紀紹介)(第三四〇号)  同(枝野幸男紹介)(第三四一号)  同(重野安正紹介)(第三四二号)  同(大出彰紹介)(第三八五号)  同(赤嶺政賢君紹介)(第四三一号)  同(大石正光紹介)(第四三二号)  同(三村申吾紹介)(第四三三号)  治安維持法犠牲者国家賠償法の制定に関する請願赤松広隆紹介)(第三四三号)  同(五十嵐文彦紹介)(第三四四号)  同(石井郁子紹介)(第三四五号)  同(枝野幸男紹介)(第三四六号)  同(木島日出夫紹介)(第三四七号)  同(塩川鉄也紹介)(第三四八号)  同(藤木洋子紹介)(第三四九号)  同(古川元久紹介)(第三五〇号)  同(矢島恒夫紹介)(第三五一号)  同(山口富男紹介)(第三五二号)  同(山元勉紹介)(第三五三号)  同(大森猛紹介)(第三八六号)  同(海江田万里紹介)(第三八七号)  同(北川れん子紹介)(第三八八号)  同(五島正規紹介)(第三八九号)  同(佐藤観樹紹介)(第三九〇号)  同(瀬古由起子紹介)(第三九一号)  同(中川智子紹介)(第三九二号)  同(羽田孜紹介)(第三九三号)  同(平岡秀夫紹介)(第三九四号)  同(吉井英勝紹介)(第三九五号)  同(石井紘基紹介)(第四三四号)  同(金田誠一紹介)(第四三五号)  同(熊谷弘紹介)(第四三六号)  同(前田雄吉紹介)(第四三七号)  法務局、更生保護官署及び入国管理官署の増員に関する請願赤嶺政賢君紹介)(第三五四号)  同(石井郁子紹介)(第三五五号)  同(枝野幸男紹介)(第三五六号)  同(小沢和秋紹介)(第三五七号)  同(大幡基夫紹介)(第三五八号)  同(大森猛紹介)(第三五九号)  同(木島日出夫紹介)(第三六〇号)  同(児玉健次紹介)(第三六一号)  同(穀田恵二紹介)(第三六二号)  同(佐々木憲昭紹介)(第三六三号)  同(志位和夫紹介)(第三六四号)  同(塩川鉄也紹介)(第三六五号)  同(瀬古由起子紹介)(第三六六号)  同(中林よし子紹介)(第三六七号)  同(春名直章紹介)(第三六八号)  同(藤木洋子紹介)(第三六九号)  同(松本善明紹介)(第三七〇号)  同(矢島恒夫紹介)(第三七一号)  同(山口富男紹介)(第三七二号)  同(吉井英勝紹介)(第三七三号)  同(赤嶺政賢君紹介)(第三九六号)  同(石井郁子紹介)(第三九七号)  同(小沢和秋紹介)(第三九八号)  同(大幡基夫紹介)(第三九九号)  同(大森猛紹介)(第四〇〇号)  同(木島日出夫紹介)(第四〇一号)  同(児玉健次紹介)(第四〇二号)  同(穀田恵二紹介)(第四〇三号)  同(佐々木憲昭紹介)(第四〇四号)  同(佐々木秀典紹介)(第四〇五号)  同(志位和夫紹介)(第四〇六号)  同(塩川鉄也紹介)(第四〇七号)  同(瀬古由起子紹介)(第四〇八号)  同(中林よし子紹介)(第四〇九号)  同(春名直章紹介)(第四一〇号)  同(平岡秀夫紹介)(第四一一号)  同(藤木洋子紹介)(第四一二号)  同(松本善明紹介)(第四一三号)  同(矢島恒夫紹介)(第四一四号)  同(山口富男紹介)(第四一五号)  同(吉井英勝紹介)(第四一六号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  少年法等の一部を改正する法律案麻生太郎君外五名提出衆法第三号)     午前十時一分開議      ————◇—————
  2. 長勢甚遠

    長勢委員長 これより会議を開きます。  麻生太郎君外五名提出少年法等の一部を改正する法律案及びこれに対する佐々木秀典君外三名提出修正案を一括して議題といたします。  本案及び修正案審査のため、ただいま御出席いただいております参考人は、上智大学文学部教授福嶋章君、弁護士佐藤欣子君、中日新聞東京本社論説主幹飯室勝彦君であります。  この際、参考人各位委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  参考人におかれましては、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  次に、議事の順序について申し上げます。  まず、福嶋参考人佐藤参考人飯室参考人の順に、各十五分程度意見をお述べいただき、その後、委員質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。  それでは、まず福嶋参考人にお願いいたします。
  3. 福嶋章

    福嶋参考人 御紹介いただきました福嶋でございます。  私は精神科医者でございまして、法律的なことは余り存じませんので、質疑などについてはどうぞお手やわらかにお願いしたいというふうに思います。  ただ、精神科医者をやっているといいましても、研究領域犯罪精神医学という分野でございまして、一時期府中刑務所とか関東医療少年院などに勤務しておりましたこともございますので、犯罪非行については多少の専門性があるということで本日お招きをいただいたものというふうに感じております。  私は、最近では、特に施設には関係しないで、在野の一研究者として、精神鑑定という犯罪者非行少年精神的な診断をするという仕事を通して犯罪非行の臨床ということをしているわけでございます。  ことしの五月三日に起こりました西鉄高速バスジャック事件というのが日本じゅうの注目を浴びましたが、実はあの事件についても佐賀家庭裁判所の方から依頼を受けまして鑑定をさせていただいたということでございます。  ちょうど皆さんの御関心ケースでありますので、そこからお話を始めたいと思いますが、佐賀に行って少年に会ってまいりますと、驚いたことが一つございました。それは、十七歳の、身長などは私とほぼ同じぐらいの、もう大人に見える青年という感じのする少年でございましたけれども、事件に対する反省悔悟の念が全くないということですね。大変なことをしたという重大性認識罪悪感もない。あるいは、この事件では一人の方が亡くなられて、さらに何人もの方がけがをなさったわけですが、その被害者に対して申しわけないという感情も全くないわけですね。彼が関心を持っていたことは、自分がこういう大きな仕事をして、神戸の事件少年と同じほど有名になれただろうか、そういうことが大変な関心事でございました。  これは、こういう人の話を聞きますとかなりショックを受けるわけでありまして、人間性、高等な人間的な感情というものが全く欠如しておる。大人でいえば冷血無情な犯罪者と同じではないかというような印象を受けたわけであります。  しかし、鑑定を進めてみますと、やはりそうではないということが少しわかり始めました。まず、彼は二年間、犯行前に引きこもりという、社会的引きこもりというのが今流行語になっておりますけれども、全くうちの中に閉じこもって、社会的な接触というのが全くなくて、その社会性というものが開発される機会がなかったということがわかりました。それから、医学的な検査を行いますと、どうもこの少年の脳の前頭葉前頭葉には人間の最も高級な、人間的な感情、そういうものを情性といいますが、こういうものが宿っているということになっておりますけれども、そういう前頭葉機能が未熟であるといいますか十分に機能していないということがわかりました。  そこで私は、この人は、大人凶悪犯罪者、冷酷無惨なそういう犯罪者とはやや違って、やはり少年でございますから、将来精神的な成熟を果たすのではなかろうか。晩熟といいますが、年齢に相応の発達は今のところ遂げていない、人間的な感情発育不全が驚くばかりでありますけれども、しかし、この脳の問題などを考え合わせますと、この少年は何年か矯正施設などで治療や矯正教育を受ければまともな人間になるのではなかろうかというふうに考えまして、そのように鑑定をいたしました。これは私自身の幾つかのこれまでの精神鑑定経験というものが土台になっております。  一例を挙げますと、十二年前、一九八八年に、東京都目黒区で十四歳の男子中学生が、ある一夜、尊属三人、御両親とおばあさんの三人ですが、その三人を刺し殺してしまったという大事件を起こしたことがありました。しかし、その動機はたわいないものでありまして、これは夏休み前の試験の成績が余りよくなかった、それでしかられるのではないか、しかられるぐらいならば、しかる相手である御両親などを殺してしまおう、そういうことを考えて、やったわけです。  このケースに遭ったときも、私は非常にショックを受けたわけですが、やはり親とはいいながら人を三人あやめながら、全く重大性認識がない、そして罪悪感がない。殺したといっても家人、家族であって、社会で通り魔みたいに見ず知らずの人間を殺したわけではないというような弁明をしておりまして、ほとんど罪悪感がないということで、当時、私も若かったものですから少し頭にきまして、これは大人でいえばいわゆる情性欠如だというふうに考えました。非人間的な人間で、悪いやつだろうというふうに考えたわけであります。しかし、やはりこの子にも少し脳の問題がありましたけれども、結局年齢からいいまして少年院送りになりました。  この事件鑑定して二年余りたったころ、少年院から、そろそろ仮退院の時期が来たので、再評価といいますか、もう一度鑑定人が見て、どのぐらい変わったかということを診断してくれまいかという話がございました。そこで、私は行ったのですが、驚くべきことに、二年前とは全く変わっていまして、非常に反省悔悟の気持ち、贖罪の決意、一生僕は自分のやったことについて十字架を背負っていかなければいけないのだというようなことを述べておったわけであります。  そこで、人間といいますか少年というのはこれだけ変わるものか、つまり、私たちが、何かこの人間には人間性が欠落しているというふうに思ったものが、実は、それは欠落しているのではなくて、まだ発達していなかったのだということを目の当たりにしたわけであります。矯正教育の効果というものもございますけれども、やはり時間によって成長するということが非常に少年を変化させるものである、その成長を妨げないということが大事なのかなというふうに思います。  一般的に申しますと、思春期の心性というのは非常に不安定で動揺しやすいということが昔から言われておりますけれども、やはり心身の発達が非常にアンバランスになる子供がいるわけですね。そして、非同時性といいまして、知的な能力や体力は大人並みになるけれども、人間的な感情というのがまだ未熟なままにとどまる子供が多くて、そういう子供がたまたま重大な事件を起こすことが多い。そして、それは人によってかなり違いまして、つまり、大人でいろいろなバリエーションがあるのとは全く比較にならないほど、きちんと育つ子もいれば、暦から何年も、三年も四年もおくれて育つ子供もいるということがそこでわかったわけです。  そこで、やはり少年非行をどう処遇するかという場合に、現在行われていますように、綿密な調査官の調査、鑑別所心理技官心理査定、そして精神鑑定といったような診断が必要であって、個別的に処遇を考えるという従来の保護主義精神が非常に大事なのではなかろうかというふうに考えたわけであります。  そして、今度は審判の問題にもなりますけれども、こういう子供は、他人に対する同情心とか共感の観念思いやり観念がないのと同じように、自分に対する思いやりというようなものも発達していないので、ほっておきますと、かなり自分に不利な態度も通すというようなことがよくあります。ごめんなさいと一言言えば処遇はかなり変わるだろう、審判が変わるだろうと思うのに、それを言わないというようなこともありますので、やはり、こういう子供を審理するには、大人並みの攻撃と防衛というような当事者主義の法廷でけんけんがくがくやるよりは、大人を代表する裁判官が子供である非行少年に語りかけて、そこで大人立場子供のことを考えてあげるということが必要ではなかろうかなというふうに思います。  このように、思春期心理精神というのは非常に未熟という場合がございまして、アンバランスな場合がありますから、こういった問題を十分に科学的に考慮されて、そして法改正というものを考える必要があるだろう。つまり、確かに子供は今大きくなりましたし、インターネットも自由に操るということで、知的な能力もあるように見えますが、しかし、重大な、人間的な感情の部分の発達というものがおくれている子供がかなり多いということが考えられるというのが、私の精神鑑定医としての経験からまいりましたことであります。  そういう意味でいいますと、年少少年、十四、五歳というのが、やはり一番特殊な取り扱いを必要とする年代ではなかろうかというふうに思いますし、十六、七の中間少年はこれに準じるでしょう。それから、十八、九になると、実際に本当に悪くなった、悪い子供非行少年というのもおりますけれども、年齢による変化というのはございますが、少年全体としてやはり、個別的な、どの程度にこの子のいろいろな心的な、精神的な機能発達しているかということを見ないと、適正な処遇というものは不可能ではないかというふうに考えるわけでございます。  そういうことで、現在、特異な、重大な事件が続発しておりまして、少年に対する厳罰化とかあるいは少年事件に対する情報公開というような問題が議論されておりますけれども、被害者の問題というのも、私鑑定をしておりましてよく体験しておりますけれども、やはり被害者に対するケアというのは、少年法の問題を超えて、国家として被害者援助ということを考えた方がいいのではないか。  つまり、厳罰化して子供死刑にしても、必ずしも被害者の方の心がそれでいやされるわけではない。そういうわけでありまして、心理的なケア、医学的な援助、それからケースワーク、例えば経済的な援助犯罪給付金交通事故保険金並みにするというような、そういう心理的な、医学的な、経済的な援助というものを通して、被害者の心の傷というものをいやしていくということが本筋ではないかなというふうに思います。  そういう意味では、国家的に、被害者対策を研究する研究センター、研究所とか、あるいはそれを現場に活用させるための研修を行う研修センターとかそういうものを設けて、被害者対策というものに十全を期すということが必要ではなかろうかというふうに考える次第でございます。  時間でございますので、まとまりませんでしたが、これで最初の陳述とさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 長勢甚遠

    長勢委員長 ありがとうございました。  次に、佐藤参考人にお願いいたします。     〔委員長退席横内委員長代理着席
  5. 佐藤欣子

    佐藤参考人 参考人佐藤欣子でございます。  本日は、意見を述べるためにお呼びいただきまして、大変光栄に存じております。私は、かねてから少年法改正はぜひ行わなければならないと確信しておりまして、再々そういうことを書いたりいたしておりますので、本当にありがたく存じている次第でございます。  本日、私が約二年前、平成十年十一月二十七日の金曜日付でございますが、産経新聞の「正論」に少年法のことにつきまして書いたものがございますので、お手元に配付させていただきました。  これは何を言いたいかと申しますと、中学二年生の男の子中学三年生の女の子事件でございました。中学二年生の男の子は、中学三年生の女の子に売春をさせて自分遊び代を貢がせていた、こういう事件でございました。しかも、少女の援助交際相手には、テレホンクラブで知り合った小学校の教諭も含まれていたということでございまして、まことに嘆かわしい、何でもありの少年犯罪ではございますけれども、しかし、何といっても、中学二年生が十四歳、中学三年生は十五歳、いずれも児童でございます。その児童児童福祉法違反犯人であるということでございます。  この中学二年生、中学三年生の児童は、いずれも刑事責任年齢十四歳には達しております。しかしながら、刑事処分の対象になることは、少なくとも現行法のもとには絶対にない。なぜならば、我が国では、少年法規定によって、十六歳未満は、検察官刑事処分を受けさせるために送致する、いわゆる逆送することができないからでございます。  十五歳と十四歳ですか、こういう子供たちに対して、一体家庭裁判所はどういうふうに保護をするのかということでございます。そして、懇切を旨とし、和やかに行われるべき審判で、一体何が明らかになるのかということでございます。  私は、この種の事犯は、むしろ、この男の子はまさに暴力団手先であって、その暴力団の意識と行動に染まっていたということを見逃すことができないわけでございます。こういうような状況であっては、我が国少年はどうなるのであろうかということをつくづく憂う次第でございます。  特に、今問題は、少年が、十八歳未満犯罪をすればどんなことをやっても死刑になることはないんだから、あるいは十六歳未満なら刑事処分になることすらないんだからおまえが手先としてやってこいと言われて、暴力団手先に使われるという事件があるわけでございます。これでは、少年法はせっかく少年福祉を標榜しながら、実は少年の転落の落とし穴となっているのではないかと、その恐ろしさに私たちは気づくべきであると考えるわけでございます。  我が国では、十四歳に満たない者は刑事責任はない、刑事責任年齢は十四歳であるということなんですが、しかしこれは、諸外国に比してもむしろ高過ぎると思います。  特に、皆様御承知のとおり、英米のコモンローでは、七歳未満子供刑事責任がない、しかし七歳以上十四歳未満少年は、少年自分の行為を認識している、そしてそれが悪いことだと知っていたということが立証されれば刑事責任を免れることができないということになっております。ところが、我が国では、今申しましたとおり、十六歳未満の場合には、刑事処分を相当と認めても刑罰を科することはできないという仕組みになっている。これでは非常に問題があると私は思うのであります。  何も私は、十四歳以上ないしは十六歳未満であっても、何でもとにかく刑罰にしろというようなことを申しているわけではございません。ただ、必要な場合には刑事処分を科する、刑罰を科するということが必要であると考えるわけでございます。それを一律に認めないということでは、犯罪が行われた場合には、その犯人を検挙し、それに適正な刑罰を科して法秩序を維持する、社会秩序を維持するという我が国法体系、そして国民全体の規範認識というものを高める理由にはならないと思うわけでございます。  もちろん、少年には刑罰を科すべきではないという意見もございます。私も、何も少年刑罰を科することがいいのだとは申しません。今度、十四歳以上の少年に対しては刑事処分もあり得るということは、何も必ずしもそれで刑罰を必ず科さなければいけないと言っているわけではないわけでございます。ただ、少年法二十条は、十六歳未満であったら刑事処分を受けない、検察官に逆送できないという規定によって、いわば刑法原則を変更してしまったわけですね。刑法は、十四歳未満の者は罰しないけれども十四歳以上なら罰すると言っているんですから、その原則を変更して、こういうふうに非常にこそこそしたやり方で実は刑罰の変更をしてしまった、この規定にこそ問題があると思うわけでございます。  我が国では、平成十一年にはおよそ七十三万件ほどの刑法犯がございました。その刑法犯検挙人員は三十一万ほどでございまして、そのうちの少年は十四万ほどでございました。半分以下ですが、四五%ぐらいは少年によって犯されている。  そうすると、あらゆる犯罪には被害者があるわけでございます。例えば少年によって殺された者、そこには被害者が存在しますが、その個人的な法益を侵害された被害者にとってみては、その犯人少年であろうと成人であろうと関係のない話でございます。被害者被害感情というものは、少年だったからしようがないというわけにはいきません。また、成人であっても、非常に気の毒な事情があれば、そこに酌むべき情状がある。だから、少年であるか成人であるかというのは、必ずしも刑の軽重を左右するものではない。にもかかわらず、少年であると刑罰を科しません、保護観察保護処分だけでございますというようなことではいけないのではないかと私は思います。ましてや、社会的な、国家的な法益を侵害した場合、法秩序を侵害しているという場合には、その少年に対して刑罰を科さないという根拠はないと思うわけでございます。  このように、厳罰化、要するに、少年法二十条の改正をもって厳罰化はいかぬ、厳罰化だという批判は当たらないわけでございまして、刑事処分は必ずしも厳罰ではございません。刑事処分の中であらゆる多様性をもって処遇をするということは可能でございますし、一体、少年院に何年か送致されることと、刑事処分懲役刑を科せられてもその執行を猶予されること、あるいは刑務所の中で十分な矯正指導を受けるということが、どうして少年院送致に比べて著しく厳罰化であると言うことができるのでありましょうか。私はそのようなことはないと思うわけでございます。  大体、刑務所に行くと非常に刑罰を受ける、刑務所の職員はみんな鬼みたいで、少年院の職員は非常に矯正教育に絶えず気を使って非常にいいんだというようなことはないわけでございます。それは一般的な、要するに、警察官というとすべて恐ろしい人だ、検察官というとすべて恐ろしい、弁護人というと非常に優しいというような、そういうステレオタイプはやめたらいい。私は、かつて検事でございましたけれども、検事のころの方が優しかった。それで、弁護士になってからきつくなりましたから、やはりそういうこともあるわけでございます。  私は、そういう意味ならば、この少年法改正案を拝見いたしまして意外に思いましたのは、受刑少年、要するに刑罰の言い渡しを受けた少年少年院に収容する、「少年院における刑の執行」というのがございますが、少年院において刑を執行するというのは、少年院にとっても刑務所にとっても迷惑なことではないかと思うわけでございまして、この点は御検討いただいたらよろしいのではないかと思うわけでございます。少年院刑務所というものはやはり分けないと、同じ収容者の中にさまざまな者がおりますから、分けるべきであると考えるわけでございます。  これが第一、二十条関係のことでございます。  次に、審判につきまして、この改正は、和やかにやると書いてあるだけではしようがないと思われたのでしょう、何か非行意味を心にしみさせるようなことが必要だという、少年審判は「和やかに行うとともに、非行のある少年に対し自己の非行について内省を促すものとしなければならない。」ということがございますが、「自己の非行について内省を促す」とは一体何事かというのが私にはよくわからないわけでございます。  少年審判であっても、懇切を旨として和やかに行うとともに、非行事実を明らかにする、一体何が行われたのかということを明らかにしなければならないということをお書きいただきたいと思うのでございます。要するに、これは刑事訴訟法の第一条にありますが、事案の真相を明らかにするということが本当に大切なことでありまして、それによって犯人も本当に自分の行為を反省し、申しわけないと思うことができるわけでございます。審判の方式は、このような「自己の非行について内省を促す」、一体お説教でもするとか、何かそれこそせっかんでもするというような感じでございまして、そういうことではなく、もっと事案の真相を明らかにするということをここに入れていただきたいと思うわけでございます。  これが改正案の中の二点について申し上げたことでございますが、そのほかにいろいろとまだ目についたところがございます。これにつきましては、いささか技術的な細かい話になると思いますので、また質疑があればお答えを申し上げたいと思うわけでございますが、特に気になりますのは、要するに、刑罰というものは何のために科するのか、それが少年の場合にはどのように修正されなければいけないのかということについて、十分私たちは考えなければならないと思うわけでございます。  今、お時間でございますね。それでは、この辺でやめさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 横内正明

    横内委員長代理 ありがとうございました。  次に、飯室参考人にお願いいたします。
  7. 飯室勝彦

    飯室参考人 飯室でございます。  私ども、少年事件の論説を書くときに初めにどういうスタンスで臨んでいるかということを、まず冒頭に申し上げたいと思います。  私ども、いつも書くときには論説委員室で会合をするのですけれども、そのときに、これだけは避けようと言っているのは、大変失礼な言い方ですけれども、空中戦はやめようやと。つまり、少年法改正論議というのがありますと、少年犯罪は凶悪化しているかとか、いや、事件はふえていないじゃないかとか、戦後から比べれば少ないじゃないかというような議論が必ず飛び交うわけですね。  それは、それぞれの見方でそれぞれの主張があるのでしょうけれども、私どもから見ると、それは余り意味のない論争ではないのか。現実に衝撃的な事件が今起きておって、被害者は悲しみに打ちひしがれているのだから、そんな統計論をしたってしようがないので、この事件にどう立ち向かうかという議論をしようじゃないかということをいつも確認するのです。  それで、その場合に三つの視点があると思うのですけれども、まず第一は、犯罪を犯してしまった少年をどう立ち直らせていくかという視点だろうと思うのです。  これは多くの方に異論がないのでしょうけれども、今の少年院の教育というのは一応の効果を上げているという評価が固まっていますね。確かに、少年院を出た人の再犯率は二四%ぐらいですか、刑務所から出た人の半分ぐらいでして、しかも、二四は高いじゃないかという議論もありますけれども、少年院から出ますと保護観察がついていますから、交通違反でも再犯になっちゃうのですね。そういう意味からいうと、実質的な再犯率はもっと低いのではないか。  ただ、そうはいっても、重大な事件を起こしたのだから、けじめをつけるべきではないか、責任をとらせるべきではないかという意見、これはこれで一つの考え方だろうと思います。そのことは十分検討しなければいけないのだろうと思います。  それからもう一つ、この二つとは全く別に、まだ非行を犯していない少年をどうやって非行に走らせないで済むかということだろうと思うのです。  これは、厳しい言葉で言えば、刑罰による威嚇効果、あるいは規範意識を身につけて犯罪に走らせないということになるのでしょうけれども、この間も実は少年院の先生を招いていろいろお話を伺ったのですが、子供たち非行を犯すというのは、どうも規範意識以前の問題があるようなのです。対人関係が全くできていなかったり、感情のコントロールができなかったり、つまり、きれいな言葉で言えば人間としての未熟というのでしょうか。そういう言葉で見ますと、どうも我々の周囲にいっぱいいるのですね。程度の差であって、駅のホームにいる人たちも大体似たり寄ったり、そんなような人たち、その極端が犯罪に行っちゃうということなんでしょうけれども、そういう人たち刑罰をもって臨んで本当に抑止力があるかなというのは、私自身及び私の同僚はどうも疑問を持っています。  ただし、これについてもやはり意見がありまして、それは大方はそうかもしれないけれども、たった一人でも刑罰を食うかもしらぬぞということで思いとどまる者がいれば、改正の意義があるのではないかという意見もあるのですね。僕は、それはそれで全く退けるわけにはいかないと思うのです。では、どうしたらいいのかということになりますと、たった一人でもいいから効果があればいいということで改正するんだったら、弊害の方をなるべく除去する方向できちんと法案を練っていくことも一つの選択肢ではないかという議論が今、中で出てきています。  といいますのは、この改正案の中にある原則逆送という考え方に現場の人たちが非常に不安を覚えているのですね。僕も何人かの調査官とか家裁の裁判官にお会いしてお話を伺いましたけれども、どうしたってこういう規定があると、どうせ逆送だからといって調査をろくにしないで処理しちゃうんじゃないかという不安を漏らしている人がいます。  もともと、与党三党の案でも、二十条に調査をした上でと書いてありますから、逆送の場合でも調査をしないということを前提にしているわけではないとは思いますけれども、第二項で「前項の規定にかかわらず、」という規定の仕方をしていますので、一項の調査の上という部分を取っ払って判断する人も出てくるのではないか。そうすると、現実問題として、逆送するということが前提にあると、その辺の調査をなおざりにしたまま逆送してしまう。そうするとどういうことが起きるかというと、年少少年刑務所で教育するか少年院で教育するかという問題はあるのでしょうけれども、いずれにしろ、少年を教育するために必要な細かなデータがないまま刑事裁判もやるということになってしまうのではないか、その辺の危惧が現場に大変広まっております。  もちろん、裁判官という方々は非常にまじめな方々ですから、そんなことはなしに一生懸命調査官に調査を命じて処理はするのでしょうけれども、はっきり申し上げて、日本じゅう少年審判をやっている裁判官がベテランではありません。任官三年目の、まだ子供のないような裁判官でも少年審判をやれるんです。  現実に僕は取材したことがありますけれども、二人共犯の殺人事件で、二人ですから別々の裁判官が担任しました。一方は何と任官三年目の判事補が担当しました。もう一方はベテランの所長代行が担当しました。ですから、多分実際は裏で所長代行と若い判事補が相談しているのでしょうけれども、権限的には相談しなくてもできるんですね。  そうすると、そういうきっちりとした裁判実務ができる条件を制度的に整える必要があるのではないか。だから、調査を絶対なおざりにしないような担保の条文をきちっと整備することが、僕は原則逆送には疑問がありますけれども、少なくとも原則逆送を導入するとしても必要なのではないかという気がしています。  なぜ調査にこだわるかと申し上げますと、実は、私どもの身近で、最近こういう事実を経験しました。私どもの本社は名古屋ですが、あそこで、少年による五千万円恐喝事件というのがありました。あれで連載企画で取材するうちに、全然予想しなかったことがわかってきたのですね。  あの事件は、まず恐喝があって、その恐喝をしている仲間を仲間が恐喝してねだったり、さらにその上に二重恐喝事件というのがありまして、一番上で恐喝していたのは、少年ですけれども、暴力団の準構成員みたいな男で、もう本当に暴走はするし、やりたい放題の少年でした。  ところが、事件が一段落した後、うちの名古屋の社会部の若い記者が連載企画を始めまして取材を進めてみたら、何か記事の中ではチーマーという表現になっていましたけれども、チーマーの少年は家庭では物すごく親孝行な子で、母親は息子がそんなひどいことをやっているなどということを全然気がつかない。気がつかないというのは別に母親がうっかりしていたのじゃなくて、母子関係は物すごく濃密な家庭なんですよ。  それで、さらに調べていきますと、その少年非行に走り始めたきっかけというのが、学校である事件があったときに、先生にまともに相手にしてもらえなかったことがショックになってどうも曲がり始めてしまった、そういうようなことも経験しまして、どうも事件というのは初めの印象とは違ってくるんだなということがまた勉強になって反省しております。そういう経験がありますものですから、調査というものを非常に重視してほしいという気がしております。  それからもう一つ、今度の法案では、被害者の方への連絡その他情報開示ということがうたわれています。僕はそれは当然だろうと思いますけれども、もう一つ、法案に盛り込むかどうかの問題とは別に、少年事件で大変重要なのは、国民一般に対する情報開示だろうと思うんです。  少年事件というのは、子供を持つ親にとっては大変関心が深いし、不安なんですね。ですから、詳しい事情を知りたいのです。しかし、プライバシーの問題とか、審判非公開の原則に阻まれて、伝わってきません。  もう二年以上前になりますけれども、あの神戸の事件のときにある月刊誌が少年Aの検事調書というのを掲載しましたね。僕は、あの掲載の仕方あるいは報道の仕方は大いに問題があったと思うのですけれども、あのときの読者の反応というのは、掲載を非難するものばかりではありませんでした。もちろん、報道自身を非難する反応もありましたけれども、安心したという手紙及び電話が何通も来ました。  実は、新聞がいろいろ伝えている個々の断片的な事柄には、みんな我が子にも当てはまるような事項があるわけですね。だから親は心配しているのですけれども、調書を読んでみて、あの調書の内容が正しいとすればという前提つきですけれども、あれは特殊な事件なんだ、私の子供はやはり違う、大丈夫だろうと安心しましたという反応がたくさんありました。恐らく事件によっては反対の問題もあるわけでして、その後、週刊誌があの鑑定書の主文だけ報道したときには、まさに鑑定書の主文だけみたいなところは、逆に今度はみんな我が子に当てはまるみたいな部分がありますので、不安をあおったようです。ですから、報道の仕方は大変微妙ですけれども、情報はもっと開示されていいのではないか。  例えば神戸の事件の場合でも、あの事件は有名な事件で、家裁の審判の決定が公表されるというリーディングケースになりました。ところが、あの発表された審判決定書は全文ではありません。一番大事な生育歴という部分を所長代行が削っています。それは、裁判官は国民の判断資料にしてもらおうと思って、全文発表を前提にどうも決定を書かれたようですけれども、ここはプライバシーその他にいろいろ問題があるということで削ったようです。確かに発表の仕方によっては、その本人のプライバシーとか名誉の問題とかいうのがありますから、なかなか難しいのでしょうけれども、少年事件について国民一般が考えて、どうやったら再発防止できるんだろうかということを検討するためにも、もう少し情報が詳しく出てくるという環境があってしかるべきだろうと思います。  この間、ある勉強会で高名な精神医学者からしかられました。私はこんなに全国の少年事件鑑定書を持っていて詳しいことがわかっているけれども、新聞を読んだって何にも書いていないじゃないかとしかられたのです。我々は、そんな鑑定書を見ることもできませんし、報道したら怒られると思うのです。ところが、少年事件をやっている弁護士さんたちとか、そういう研究者の人たちは、もちろん研究会をやっていますから、それを通じてそれなりの情報を持っておいでになるのですね。だから、その人たちが直接情報を発表するということにはいろいろ問題があるかもしれませんけれども、国民が少年事件について考えるという見地から、もっと情報公開が検討されてしかるべきだと思います。  以上で終わります。(拍手)
  8. 横内正明

    横内委員長代理 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  9. 横内正明

    横内委員長代理 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森岡正宏君。
  10. 森岡正宏

    ○森岡委員 私は、自由民主党の森岡正宏でございます。  ただいまは、三人の参考人の先生方それぞれのお立場からいろいろな御意見をお述べいただきまして、ありがとうございました。それぞれの皆さん方、少年法についていろいろな思いがあるのだなということを感じさせていただいたわけでございますし、私も、少年法改正したからといって、これだけで少年非行が直るとも思わない、また、犯罪がなくなるとも思わないわけでございます。いろいろな複合的な要素があるのだな、教育の改革も必要だなというようなことを強く思わせていただいたわけでございます。  過日、私は、本委員会から、多摩少年院と川越少年刑務所を視察いたしました。家裁で保護処分となって少年院に送られてきた少年に対する矯正教育というものが非常によく行き届いているな、また、法務教官などが実によくやってくれているということを実感しました。そして、川越少年刑務所でも、十六歳以上の刑事処分を受けている少年受刑者が、それぞれの特性に応じて情操教育や職業訓練を施されておりまして、随分大切に扱われている、罰を受けている感じが余りしないなという印象でありました。子供を殺されている被害者の気持ちなどを考えますと、税金のお金で加害者がここまで守られていていいんだろうかなという思いさえしたわけでございます。また、今回の改正厳罰化などと言われるものに値しないという印象も、私個人としては非常に強く受けたわけでございます。  ところが、私のところにも、連日、少年法厳罰化反対、慎重にやれというファクスや電報が届いております。いずれも、どういうわけか教職員団体の方でありますとか労働組合の方でありますとか弁護士会など、一部の法曹界の方々でございます。  一方、最近のアンケート調査の結果を見ますと、国民の圧倒的多数が少年法改正を望んで、少年といえども相当の罰を与えるべきだという意見が多いように思います。この調査結果について、私はこれは国民の声だと思うわけでございますけれども、三人の参考人の皆さん方がどう思われるのか、時間が余りありませんので、それぞれ簡潔にお答えいただければありがたいと思います。
  11. 福嶋章

    福嶋参考人 少年厳罰化といいますか、アンケート調査のお話がございましたけれども、私は、一般の方々の子供というもののとらえ方というものが表面的ではないか。  つまり、先ほどから申し上げましたように、特に現代の少年時代というのは歴史的に見てかつてないほど非常に特異なものでありまして、しかもそれが、情報化とかいう流れがあって、今非常に流動している。確かに、少年非行がふえているか減っているかということは議論がございますけれども、やはり少年のパーソナリティー自体がここで非常に大きく動いているということは事実だろうと思うのですね。  ですが、その場合、そういう少年対策といいますか青少年問題対策として少年法を、つまり法的な手続を問題にした方がいいのか。もう少し大きく、青少年問題という感じで、今の子供たちが置かれている状況、そしてその状況の中で育ってくる子供たちの心というものはどういうふうに変わってきているのかということを統合的にといいますか大きく研究して、そしてその対策を練るべきではないかというふうに思うわけですね。  子供の人格が、非常に未熟な部分も残して、片っ方では非常にアンバランスに早熟になっている、そういう傾向が特に現在強いように思いますね。ですから、そういうことも十分認識していただいて、国民の方にも現行の少年法というものに理解をいただくという必要があろうと私は思います。
  12. 佐藤欣子

    佐藤参考人 佐藤でございます。  今の御質問でございますが、大体、少年はできるだけ寛大に取り扱うことが文明のバロメーターであるというふうに長いこと考えられてきたわけでございます。特に、十八、十九、二十世紀の初頭ぐらいまで、大変厳しい生活条件の中で少年が罪を犯す、その少年に対して残酷な刑を科する、これは非常に野蛮なことであるというふうに考えられました。ですから、一も二もなく犯罪少年を寛大に取り扱うということには賛成が多かったわけでございます。  私は今でも思い出しますが、あるイギリスの刑法の改良家が、自分はかつてあんなに激しく泣いた子供の声を聞いたことはないと書いてあるのでございます。それは何かというと、その子供がパンを盗んだから、悪いことをしたということで死刑に処される、それで子供があんなに激しく泣いたことを私は聞いたことはない、そのようなのが現実でございました。  ですから、刑罰はできるだけ軽い方がいい、少年に対する処遇もできるだけ寛大にする方がいい。これは文明のバロメーター。日本がそうなっていないのは、日本が野蛮国だというような議論もあったわけでございます。  しかしながら、私は、人間というものは、残念ながら、そんなに進歩した動物ではない、応報、悪いことをすれば悪い刑罰を受ける、自分が人を殺せば時には自分の命をもってそれを償わなければいけない、それが恐ろしいから悪いことはできないという、結局その程度の、高級というか低級というか、存在ではないかと思うわけでございます。ですから、何も刑罰は当たりませんよと言われて、悪いことするなよと、それはなかなか難しいことであると思います。少年も同じことではないかと思います。  少年に対しては、もちろん両親、家庭の責任、学校の責任、そしてまだわずかに十年、二十年の生涯を送っただけでございますから、それだけで責任をとって死刑にするだの懲役にするだの無期にするだのということはまことに残念であり、かつ残酷なことであるということはございます。しかしながら、一方では法秩序の要請、応報観念の満足とか、そういう要請も無視するわけにはいかない。そのバランスをどうとるかということが問題であろうかと思います。
  13. 飯室勝彦

    飯室参考人 世論は確かに大変厳しいものがありまして、もっと厳しいのはインターネットの世界ですね。インターネットで少年犯罪のことをいろいろ扱っているサイトがありますが、人の命を自分の意思を持って奪った者は償いとして自分の命を差し出すべきであるという議論が平気で横行しております。もう本当に横行という姿です。そこに一言、もっと冷静に議論しようやなんというメールを打ち込みますと、罵倒されまして議論が成り立ちません。  そういう雰囲気になってしまったというのは、実は私どもも反省はしているんですけれども、若い記者たち事件報道の過程で、少年が二十前は罰せられないから今のうちにやっておこうと言っているなんという報道をついうっかりしてしまうんです。ただし、どうもよく聞いてみると、その話は一度も正式な調書になるような供述ではなかったり、雑談レベルの話だったりするのを、我々がついうっかり報道してしまって、少年がみんなそう思っているかのように報道してしまったという責任が一端あるのかなと思って反省はしているんですけれども。  もう一つ、問題は、最近、加害者か被害者かという二者択一の問題設定がはびこっているということに僕は非常に危険を感じているんです。加害者の人権か被害者の人権かという問題設定で論じられています。僕は、問題はそうではなくて、被害者の人権はもちろん守られなければいけません。反面、加害者の人権も守られるべき人権は守られなければいけませんから、二つは別の問題として考えなければいけないのに、なかなかどうもそこの部分がきちんとした形でメッセージが一般の方々に伝わっていないのかなという懸念を持っています。
  14. 森岡正宏

    ○森岡委員 この間からの審議の過程で、審判の間の観護措置について、民主党案では、初めから五十日以内の期間を定めて勾留することを認めまして、何回でも更新可能ということになっております。しかも、身柄の拘束場所が少年鑑別所ではなく拘置所とされることになっているようであります。与党案より民主党案の方が少年にとってはるかに厳しいものとなっていることに私も驚いているわけでございます。  長期にわたる拘置所への身柄拘束ということについて、少年の情操の保護、健全な育成という観点から問題があると思いますが、福嶋参考人飯室参考人にお答えを願いたいと思います。
  15. 福嶋章

    福嶋参考人 お答えいたします。  少年を長期に審判の過程で勾留するということは、その場所はどこであれ、余り好ましいことではありません。とはいいながら、鑑定を引き受けますと二カ月とか三カ月とか鑑定留置という形でそういう形にせざるを得ないので、私は今罪責感に悩んでおりますけれども。  ただ、鑑別所か拘置所かということは少年精神衛生にとってそれほど大きな違いはなかろうかというふうに思います。そして、これは刑務所少年院とどちらが厳しいかということとも関係しますけれども、やはり鑑別所の方が対人関係といいますか、職員と少年との関係がかなり濃密なわけですね。それだけにプレッシャーである場合もあるわけです。  しかし、審判の間はもちろん矯正教育、治療的なことはミニマムのことしか行えませんから、審判の期間というのはできるだけ短い方が望ましい、そして、特に現在の成人の裁判のように長期間にわたるということは絶対に避けるべきであろうというふうに考えます。
  16. 飯室勝彦

    飯室参考人 逃げるようで申しわけないんですけれども、その問題ははっきり言って我々外部の者にはわからない問題なんですね。  観護期間の問題というのが最初に注目を集めたのは、例の母子殺し事件のときに裁判官が結論を四週間の間では出せなくて、一たん観護措置を解いて、その間また熟慮して決定に至ったという過程がありました。あのときにも、我々も、確かに事件が難しくて悩んで、四週間ですぐ結論を出せというと裁判官もしんどいかななんという議論をしたことはあります。  我々は審判の席をのぞかせてもらったわけでもありませんし、拘置所と鑑別所の違いを知っているわけでもありませんし、素人がどうもうかつに言うのは間違いのもとになるだろうと思っています。その件は、むしろ家裁の関係者や弁護士や、本当に生の事件を扱っている人たちと腹を割ってじっくり話し合ってお考えいただきたいと思います。
  17. 森岡正宏

    ○森岡委員 佐藤参考人に伺いたいと思います。  野党の方々は、検察官少年審判に関与させることについて、検察官と付添人の激しい応酬がなされ審判の雰囲気が損なわれるという批判をしておられます。与党案では、そのような事態にならないよう配慮する意味からも、少年審判の職権主義的構造を維持しようとしております。これに対して民主党案は、少年審判に完全な対審構造を取り入れた事実認定手続を導入しよう、こういう案を盛り込んでおります。  これでは民主党がみずから問題としていた検察官と付添人の激しい応酬がなされるとの点はかえって大きな問題となってしまうんじゃないかと思うんですが、御専門の佐藤先生に伺いたいと思います。
  18. 佐藤欣子

    佐藤参考人 付添人も弁護士でございますから、検察官弁護士との間の激しい応酬というものは真実を発見するために必要なことがございますね。ですから、対審構造というものは一つの立派なシステムであると思うわけでございます。  ただ、少年審判の場合に果たしてそのようなことが必要なのかということなんです。要するに、なぜそんなに厳しく事実認定をするかといえば、刑罰を科そうとするからですね。しかし、審判手続というものは刑罰を科すのではないですね。もし刑罰を科すなら、検察官に移送して、そこで刑事裁判、普通の通常裁判所で行うというのが私は原則であると思うわけでございます。それならば、審判手続は何もそんなに激しくやり合うことはないと私は思うわけでございます。  ですから、その点は、付添人と検事の間でやり合いがある、それはあってもよろしゅうございましょう、あるべきだと思いますね、もし必要があれば。しかし、何のためにやるかといえば、それは事実を認定し刑罰を科するためであるわけですから、その目的に応じてやるべきであって、審判手続でやる必要はないのではないかと私は思います。
  19. 森岡正宏

    ○森岡委員 時間が参りましたので、ちょっと最後に。  与党案では、十六歳以上の少年の故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件について原則逆送としております。民主党の修正案では、十六歳以上については人を殺した罪の事件について検察官に送致できる。与党案で対象としている傷害致死や強盗致死、強姦致死などの重大事件が排除されているわけでございます。  これは佐藤先生、どうお考えになりましょうか。
  20. 佐藤欣子

    佐藤参考人 私は、その案がどのような根拠に基づいてなされたのか存じませんが、そのような区別は無用なことであろうかと思います。人を殺すということが、強姦致死の結果であろうと強盗致傷の結果であろうと、あるいは単に激情の余り人を殺したのか、それは人を殺しただけでございまして、やはり人を殺したという結果に基づいて責任をとるということになるだろうと思います。
  21. 森岡正宏

    ○森岡委員 以上で終わります。参考人の先生方、どうもありがとうございました。
  22. 横内正明

    横内委員長代理 山花郁夫君。
  23. 山花郁夫

    ○山花委員 民主党の山花郁夫でございます。  本日は、参考人の皆様、貴重な御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。  先ほど森岡委員の方から、少年が勾留される場合について、民主党案では拘置所で勾留という御発言がございましたが、民主党案でも少年法四十八条によって鑑別所で拘禁になるので、その点は指摘をさせていただきたいと思います。  また、事実認定の点についてもいろいろな御質疑がございました。検察官と付添人の間で激しい応酬がという話がございましたけれども、あくまでも審判は和やかに行うということになっておりますので、この点も指摘をさせていただきたいと思います。  さて、今回の改正案については、先ほど佐藤先生の方から厳罰化ではないといった御意見もございましたけれども、一般には、今回の改正というのは少年に対する厳罰化という標語で言われております。また、この委員会の中でも昨日までいろいろと議論がございました。厳罰化ということによって犯罪は減るだろうか、空中戦と言われるかもしれませんけれども、そんな議論もあったわけであります。例えば、少年犯罪を減らすために厳罰化せよというような言い方になってしまうとすると、交通事故で死ぬ人を減らすためには過失致死罪の罪を重くすればよいと言っているようなものでありまして、私は必ずしも厳罰化により犯罪が減るということではないのではないかなと思っているわけであります。  そして、少年法についてでありますけれども、少年保護ということが非常に強調されることが多いわけでありますが、保護という視点だけではなくて、少年法はもう一つ再犯の防止という目的も持っていると思うわけであります。  そこで、福嶋先生にお伺いしたいのでありますけれども、この再犯防止という観点から見た場合に、今回の改正案では十六歳に満たない場合でも刑事処分に付するという可能性が出てくるわけでありますけれども、こういった方向性というものが適切なものかどうかということについて御意見を伺いたいと思います。
  24. 福嶋章

    福嶋参考人 福嶋でございます。  再犯防止というのは矯正の最大の目的でございますけれども、それはやはり矯正を受ける人間精神的な発達レベル、こういうものに非常に大きく左右されると思います。  一番最初に二例御紹介いたしましたけれども、佐賀の方はまだその結果というのが未定でございますけれども、例えば、二例目にお話しした、尊属三人を一夜にして殺害したケースは、初等少年院の二年余りの矯正教育の結果、非常に人格も成熟をいたしまして、現在に至るまで再犯しないで済んでいる。それからさらに、三十年ほど前に、私が石川義博先生、土居健郎先生と一緒に鑑定をさせていただいた、十五歳の少年による殺人首切り落とし事件という残虐な事件がございましたけれども、この方も、初等少年院、医療少年院とちょっと変遷いたしましたけれども、二、三年の間に社会復帰をして、現在は相当の社会的な地位を得て市民生活を送っているということです。  私の経験からいいますと、やはり少年法で言うように、非行の重大さとか見かけの凶悪さというものと、それから将来の予後というものは必ずしも関係しないのですね。少年犯罪が時々異常で重大で残虐に見えるのは、彼らの人格というものがまだ未熟で、ちゃんとした行動判断、感情的なコントロールということができないからなわけですね。そういう少年に対しては、大人で本当に凶悪な人で凶悪な犯罪をする人とは別の矯正というものを加えなければいけないということです。  それが現行の少年法による、例えば十四、五歳の場合には、刑事処分は行わないで、せいぜい少年院における矯正教育にゆだねる、それから十六歳から十九歳までの場合には、個々の調査、鑑別を十分に行って、どの程度精神的な発達、どういう精神状態にあるかということを見きわめて、刑事処分にするか保護処分にするかを決めるということになっていると思うのですね。ですから、やはり少年事件の場合には、暦年齢だけでなくて、精神的な発達年齢とか発達のバランスとかいうものを十分に考慮しないと十分な矯正効果を上げることができない。  しかしながら、そういう科学的な調査、鑑別の結果を踏まえて司法官が判断すれば、これは現在では再犯予防ということに関しては大変よい成果が得られているというふうに思いまして、これを例えば十四歳、十五歳であっても人を殺したら刑務所というような形でいくと、なかなかこういうふうにはいかないのではないかというふうに考えております。     〔横内委員長代理退席、杉浦委員長代理着席〕
  25. 山花郁夫

    ○山花委員 佐藤参考人飯室参考人にお伺いしたいと思いますけれども、先ほど佐藤先生の方から、一つの例として、例えば刑罰を科すといって懲役刑だという言い渡しをされても執行猶予されるということと、少年院送致という場合とあるわけであるから、一概に今回のが厳罰化だとは言えないのではないかというお話がございました。その点については私もそのとおりだと思うわけであります。  そしてまた、凶悪犯罪だから何でもかんでも、少年であったとしても処罰してしまえというわけではないというようなお話もいただいたわけであります。今回の改正案については、基本的には原則逆送という形をとっているわけでありますけれども、先ほど飯室参考人からもお話がございましたけれども、私たち民主党は、これに対しまして修正案というのを出しております。  調査官の調査というものをしっかりと行った上で、そしてあくまでも、逆送が絶対にだめだというわけではないのでありますけれども、逆送を認めるとしても、その決定ができるという場合については、「罪質が重大で、かつ、」ここが重要だと思うのです、「刑事処分以外の措置によつては矯正の目的を達することが著しく困難」な場合、まさにこういう場合には刑事処分もやむを得ないと思うわけでありますが、その他の点についてはしっかりと調査を行ってということを確保する、こういった案を出しているわけでありますけれども、この点について御賛同いただけないでしょうか、御意見を賜りたいと思います。
  26. 佐藤欣子

    佐藤参考人 先生も御専門でいらっしゃいますので、私が間違っているかもしれませんが、今度出された少年法改正案を拝見しますと、どうしても原則逆送というふうには読めないわけでございますね。二十条は、とにかく、刑事処分を相当とするときには送致する、しかしながら、またさらに、「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件であつて、その罪を犯すとき十六歳以上の少年に係るものについては、同項の決定をしなければならない。」と書いてあるのですね。何かよくわからないのですが、これは原則逆送なのですか。私は、原則逆送というのはおかしいと思いますね。ただ、逆送することができるという権限はあるべきであると思います。  それから、刑事裁判、刑事司法の目的でございますけれども、これは先生のお話を伺いますと、矯正を目的としている、ですから、矯正の目的を果たすことができないのであれば刑事処分するとかおっしゃるのですけれども、私は、刑罰制度あるいは刑事司法の目的というものは、犯人の矯正も決して無視はできないことでございますけれども、それよりもっと重要な、刑罰社会的意義というものがあると思うのですね。  それは、よく言われるように、一般予防ないしは特別予防、そしてさらに法秩序の維持とか、それから、先ほども申しましたが、応報感情の満足。もしこの世の中で刑事裁判によって応報が満足されなければ被害者は復讐に出る、まさにジャングルの社会になってしまうのではないか。そこに応報というものがあって、自分がしなくても国家がその責任を追及してくれる、刑罰を科してくれると思うから被害者は何もしないということになるのではないかと思うわけでございます。
  27. 飯室勝彦

    飯室参考人 私は、十六歳未満少年に刑事罰という概念で対処して、どれだけ効果があるのだろうかという疑問を持っています。  考えてみますと、しばしば例に挙がりますあの神戸の少年Aは、このケースでいきますと当然刑事罰ということになるでしょうけれども、今の医療少年院での彼の態度とか勉強の態度をいろいろ見ていますと、刑罰というもので対応してもわかるような効果があるとも到底思えないのですね。多くの場合、十四歳の少年刑罰に値するような行為というのはそういうものであろうと思いますから、余り効果がない、意味がないと思っています。  ただし、先ほど申し上げたように、法律の効果の一つとして、抑止効果とか威嚇という問題は、まるっきり否定してしまうと法律そのものが成り立たないという要素もありますから、導入するというのも一つの考え方ではあろうと思うのです。でも、導入するのだとしたら、やはり先ほど申し上げたように、調査というものをきっちりとさせるという制度的担保が欲しい。与党案でも、もちろんあれは調査をなおざりにしろという趣旨ではないと思うのですけれども、文言的にはやはり民主党さんの案の方が、調査をしっかり義務づけているという意味では、どっちをとると言われたら、僕はあっちの方が賛成です。
  28. 山花郁夫

    ○山花委員 ありがとうございます。  今佐藤先生のお話を伺いまして、私はやはり再犯防止というところに関心が強いものでありますので、確かに応報感情は無視できないとは思いますが、刑罰を科すということによって、少年院で矯正の機会があったものを、先ほどの先生の例を逆手にとるようで申しわけないのですが、懲役プラス執行猶予のような形で外に出してしまってということであるとすると、かえって再犯の可能性が出てきて秩序維持という観点から好ましくないのではないかという印象を持っているのであります。これはちょっと見解の相違ということになるかと思いますので、一方通行で申しわけないですが、これぐらいにさせていただきたいと思います。  時間の関係もありますので最後になりますが、今回こういうようないわば少年法の大きな改正がなされようとしているわけでありますけれども、今後少年法がこういうふうに改正される方向になるといたしましても、少なくとも現行の少年法というものが、少年犯罪に対して今まで一定の役割を果たしてきたというのが私の認識であります。  少なくとも、長いスパンで見たときには、少年犯罪というのは減っているわけであります。この点も、最近はふえているではないかという議論もあるかもしれませんけれども、長い目で見たときには一定の役割を果たしてきたというのが私の認識なのですが、各参考人の皆様、ちょっと時間の関係もございますが、今の少年法の果たしてきた少年犯罪に対する役割というものの御意見を簡潔に賜りたいと思います。
  29. 福嶋章

    福嶋参考人 おっしゃるとおり、この少年法は、戦後のアメリカの理想主義的な、科学的なポリシーというものが実現した非常にいい法律だと私は思っています。  そして、おっしゃるように、少年非行の総数というものを動向として見ますと、いわゆる第三の大きなピークの後、少年非行は非常に減っております。確かに、第四のピークということを御指摘なさった方もいますけれども、二年ほど総数が増加して、九八年をピークとして昨年度は減少しておりますし、ことしの前半期も減少しております。  それから、最も凶悪な犯罪である殺人について見ると、御承知のように、少年の場合、五〇年代、六〇年代は三百、四百という数でございましたけれども、七〇年代以降は百前後ということで、これも神戸の事件が起こったのが七十四と最少でありまして、それ以後百十五と、ちょっと増加しましたが、九九年が百十で、ことしは前半期が五十三ですから、二倍すれば百六ということで、現在の少年法の運用によって、少年非行というのは非常に落ちついた情勢にある。  極めて特異な事件が時々起こることによって、我々が衝撃を受けて、やはり何かしなければいけないという不安を抱いている、それがこういうことになっているのではないかというふうに思います。しかし、それは、先ほど申し上げましたように、非行少年だけが変わっているわけではなくて、少年少女、若い世代のパーソナリティー全体の大きな変化というものが背景にございますので、もう少し大局的に対応をお考えになる必要があるだろうというふうに思います。
  30. 佐藤欣子

    佐藤参考人 お時間もございますので、ごく簡単に申し上げますと、立派な機能を果たしてきた、そのお役目を果たしたと私は思います。  ただ、必要があれば改正するというのは当たり前なことでございまして、今福嶋先生も、少年のパーソナリティーは大分変わってきているのだと。特に、このIT時代とかテレビの発達等々、それから国際化等の状況で、少年の実態あるいは少年犯罪というものも本当に変わりつつある。そのときに、昭和二十三年ごろに進駐軍の指導のもとにつくったこの法律というものが、果たしてそのまま固持されるべきものかどうかということは検討しなければいけない、そして、必要に応じて立法院で十分な改正をしていただくということは、非常に重要なことであろうと思います。
  31. 飯室勝彦

    飯室参考人 私も、基本的には少年法は大変いい効果を上げてきたし、大きな役割を果たしてきたと思います。  ただし、最近衝撃的な事件が起きていることも事実ですから、それに対応をすることはやはり真剣に考えなければいけない。その対応が、少年法改正するというだけではなくて、いろいろな面から多様な観点で考えなければいけないことは確かですけれども、少年法にもし足りないことがあるのなら直さなければいけないのではないか。その場合に、一番肝心なポイントは、少年法がだめなのだという視点ではなくて、今の時代にとって少年法はここが欠けているのだという、ある種改善という視点で取り組むことが一番必要だと思っています。
  32. 山花郁夫

    ○山花委員 ありがとうございました。
  33. 杉浦正健

    ○杉浦委員長代理 次に、藤島正之君。
  34. 藤島正之

    ○藤島委員 自由党の藤島でございます。  本日はどうも御苦労さまでございます。特に佐藤参考人は、我が自由党の推薦ということで、お忙しい中、どうもありがとうございます。  まず、佐藤参考人にお伺いしたいと思います。  先ほどおっしゃっていたことについては、実は私どももう全く全面的に同感でございまして、特にその点についてコメントすることはないのでございますけれども、一、二点、確認みたいな形でやらせていただきたいと思います。  この少年法は、二十年ころ、万引きとかそういったものを対象につくられたわけですけれども、先ほど佐藤参考人が例として挙げていますけれども、少年暴力団手先になって犯罪行為をやっており、犯罪行為であること自体を知っていてやっているというようなことをおっしゃっていました。あるいは、集団でリンチをやったりする少年たちもそういうことを知っているわけで、今の法律の当初の考え方と社会の実態がかなり変わってきたということに一番問題があるのかもしれませんけれども、そもそも厳罰化というものが犯罪防止といいますか、刑罰に抑止力があるのかという問題が大きな問題だろうと思うのですね。  先ほど飯室参考人も、その点については随分議論があって、結局たった一人でも思いとどまればそれはそれでいいんじゃないかといったようなことをおっしゃっていましたけれども、ここのところは余り逃げる必要がないのであって、厳罰化犯罪防止に役立つという考えをきちっと持った上でやはり法改正に臨むべきだと私は思っているわけでございまして、その点、先ほど佐藤参考人は、必ず処罰するものでもないとか、ちょっと逃げみたいなことをおっしゃっていたような気がするのですけれども、厳罰化犯罪防止に役立つのか、この点についてはどういうふうにお考えなんでしょうか。
  35. 佐藤欣子

    佐藤参考人 こういうものは検証のしようがない、数値で出すことができないものでございます。刑法刑罰というものは、一方では道徳につながり、一方では宗教につながっているわけでございますから、実は非常に重要なものなのでございます。  私は、何も必ずしも罰するものではない、それはそうなんですけれども、十六歳で逆送を受けて検察官が起訴をしたとして、それでは、必ずそれが実刑になって、あるいは長期の懲役刑を受けるとか、そんなことではない、あるいは執行猶予になるかもしれない。そういうさまざまな処遇の選択というものが許されるべきであって、問題は、十六歳未満であれば絶対に刑事裁判所には行かない、これが間違っているということでございます。私はその趣旨で申し上げました。  それから、刑罰を厳格に科する、こういうことがあればこういう目に遭うんだと言えば、正直に言って、やはり見つかると危ないぞ、やめた方がいいと言うことは人々の行動様式になり、しかもそれは道徳となって人々がそれを守るということであろうかと思います。  現在の青少年の問題というのは、だれも彼らに道徳を教える者がいない、こうしてはいけないということをしかる者がいないのですね。そして、何をしてもいいという自由放縦の世界の中で、私はここで書きましたが、暴力と断固として闘うんだという意思さえない、そして、暴力に優しい社会となってしまった。この現在の日本人の弱さ、ふがいなさ、それからひきょうさ、これはすべてそういう弱さからきたのではないかと思うわけでございます。
  36. 藤島正之

    ○藤島委員 どうもありがとうございます。私も、何もすべて厳罰にしろということではなくて、やはりそういうものがあるということが抑止力になっているということで、今の参考人の御意見と全く同感でございます。  そのほか、参考人も、十六歳の少年院での受刑のあの条文はおかしいではないかという点、それから、二十二条の「なごやかに」というところをそのまま残した上で若干加えている点、それについては不十分ではないかというような御指摘がありましたけれども、私もまさにそういう点は同じでございまして、一昨日の委員会の審議では、その点は私として指摘させていただいたところでございます。  次に、福嶋参考人にお伺いします。  前頭葉が未熟で発育不全が多いということで、その割に身体的には大きくなっているわけですね。そういう何か矛盾みたいなものがやはり大きな犯罪に結びついているのかもしれないのですけれども、参考人精神鑑定を随分長いことやっておられるのですけれども、この二、三十年の間に、そういう点がどういうふうに変わってきているのでしょうか、ちょっと教えていただければと思います。
  37. 福嶋章

    福嶋参考人 お答えいたします。  少年犯罪、特に世間を驚かせるような犯罪というのは、やはりかなり特異な資質を持った、特異なケースという場合が多いわけです。そして、前頭葉のことを申し上げましたけれども、ここ二十年ぐらい前から画像診断の技術とか脳波のデジタル解析という技術が発達しまして、その異常というのがわかるようになってきたわけでありますので、以前と比べるということが難しくなってきたのですが、現在のように、非常に豊かで自由で平和な社会で、しかも殺人のような凶悪重大な犯罪を犯すという少年の中には、やはりこういう脳に問題を持った子供が多くなってきている。これはなぜかというところがまだ実証されておりませんけれども、例えば環境汚染とかそういった問題もかかわっているのかなというふうに思います。  ただ、それはやはり少年非行全体からいえば実は非常に少ない数でございまして、特に重大な殺人事件というのは年間十何万いる少年非行の検挙者の中の百人前後でございますから非常に少ない数ですが、そういう凶悪重大な非行少年の中に、そういう脳の問題といいますか特異な資質というものが重要な役割を果たしているものが多くなってきているということは申し上げてよろしいかと思います。
  38. 藤島正之

    ○藤島委員 どうもありがとうございました。  それでは最後に、飯室参考人にお伺いしますけれども、少年法第六十一条には「記事等の掲載の禁止」ということで「家庭裁判所審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。」こういう規定があるわけでございますけれども、私どもは、この点については、悪質でかつ重大な事件社会的に正当な関心事である犯罪についてはその例外規定を設けるということが必要なんじゃないか。その際に、許可をする者が裁判所ではなかなか難しいので、公正中立な学識経験者とか何かそういう方の判断で、こういう件は出すべきだ、これは出さないというのをはっきりしておかないと、いろいろな写真週刊誌みたいなものが出るようなことになりかねないのですけれども、この点について、マスコミの方としてはどういうふうにお考えでしょうか。
  39. 飯室勝彦

    飯室参考人 御質問にお答えする前に一つだけ修正をしたいと思いますけれども、私が今度の少年法改正を、一人でも犯罪に走る人を減らせるのならそれでいいではないかと聞こえるように発言したようですが、私の趣旨はそういう趣旨ではありませんで、一人でも減るのなら改正に意義があるのではないかというのも考え方としてはあり得る、ですが、その考え方を採用するのだったら、弊害もありますから、弊害を除去する努力を最大限していただきたい、そういう趣旨で申し上げました。  それから、先ほどの六十一条の問題、私は全く賛成です。はっきり申し上げて、今の六十一条は、場合によっては憲法違反のそしりを免れないのではないかと思っています。まして、あれに罰則なんぞをつけたら完全に憲法違反と僕は思っています。ただし、はっきり言って、今の一部のメディアがゲリラ的に写真を報道することは反対です。ですけれども、冷静な何らかの機関が判断して、国民の知る権利にこたえるための情報発信ということができる余地があってしかるべきだと思います。  実は、ちょっと国会で宣伝めいて失礼なんですけれども、大阪大学の松井茂記先生という方がその観点から最近本を書かれまして、「少年事件の実名報道は許されないのか」、たしかそういうタイトルだったと思いますけれども、近く評論社から出るんですね、アメリカの例なんかを見て。それを見ていると、やはりアメリカでも、むやみに書いていいわけではないけれども、国民にこたえるためには報道するべきではないかということになっているようです。私も、基準は非常に厳格にしなければいけませんけれども、例外はあってしかるべきだと思います。
  40. 藤島正之

    ○藤島委員 マスコミの有力な方からそういうふうに言っていただいて、私ども自由党としても非常に意を強くした次第でございます。  終わります。ありがとうございました。
  41. 杉浦正健

    ○杉浦委員長代理 次に、木島日出夫君。
  42. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫です。  三人の参考人の皆さんには、大変貴重な御意見をありがとうございました。  福嶋参考人にお伺いをいたします。  先生が平成九年十月十六日、これは神戸連続殺人事件があった年の十月ですが、読売新聞の「論点」というところに「非行対策 心の変容解明から」、こういう文章をお書きになっております。そこで、近年の少年非行の背景、新人類、新々人類と呼ばれるようなパーソナリティーの変化が背景にある、こういうことをお書きになっております。  私は、ここに来るに当たりまして、私は弁護士で医学は全く専門外ですので、先生のお書きになった中公新書の「非行心理学入門」また「犯罪心理学入門」というのを読んできているんですけれども、これは八五年の刊行で十五年前の本でありますが、反社会非行から非社会非行へ変わってきているんではないか。そしてその当時、十五年前の当時の日本の少年の状況ですが、新人類の誕生として、感覚人間が誕生してきている、またカプセル人間という言葉も先生は表現されまして、受動性、自己中心性、こういうふうに特徴づけられております。  十五年たっております。今日の子供の状況、少年非行少年犯罪の状況について、精神医学の目から、具体的に、素人にわかりやすく、今どんな状況に日本の少年精神医学上置かれているのか、余りたっぷり時間はありませんけれども、述べていただきたいんです。
  43. 福嶋章

    福嶋参考人 御質問どうもありがとうございました。  実をいいますと、二十一年前に、ここにおられる佐藤参考人が総理府に在職しておられまして、御理解ある研究費の援助をいただきまして、普通の少年のパーソナリティーの変化というものをある二、三の中学校で始めて、それを十数年続けたわけです。八五年の本に書きましたのはその中途の報告でありますけれども、やはりパーソナリティーという、人柄の成り立ち、人となりの成り立ちというものが、情報化社会というものが主とした原因となって非常に大きく変わってきている。そして、人は善悪の判断によってというよりも自分の快不快によって行動するようになってきた。それから、衝動性というわけですけれども、何か欲求不満があるとそれに耐えることができなくて衝動的に攻撃的な行動などに走る、あるいはせつな的な快楽を求めて走るというような傾向が非行少年、非非行少年を問わずに非常に強くなってきているというふうに思います。そういう傾向がありまして、こういったものはやはりだんだんと社会というものの全体を変えていくだろうというふうに考えております。  これは、一つはやはり先ほど申し上げましたような脳の変化ということもございますけれども、もう少し申し上げますと、子供として生まれて脳がまだ形成されている段階で入ってくる初期情報、パソコンでいいますとOSのようなものでございますけれども、そういうOSの刷り込みが昔と今とでは随分違ってしまっていて、そこでフィーリング的な人間、あるいは非常にバーチャルな情報のシャワーにさらされておりますから、非常にバーチャルな情報とのつき合いだけで人間関係が非常に未熟であったり拙劣であったりして、対人関係としては内閉的な少年少女というものがふえてきている。こういうものが、非行だけではなくて、例えば小学校における学級崩壊とか、いじめとか、あるいは不登校、引きこもりといったような新しいタイプの社会病理現象にだんだんとあらわれてきているというふうに思っております。  こういう大きな変化がございますので、やはり非行という場面でも、今までの常識では理解できないような異常な動機とか、世間の注目を集めることを目的としたような自己顕示的な、演劇的な非行というものが時たま見られるようになってきているというふうに考えております。  ですが、そういう場合、少年の殺人は特異なものだというふうに申し上げましたけれども、特異というのはある傾向というものを極端な形で象徴しているだけでありまして、その底流にはやはり大きな変化というものがある。大きな変化があって、我々古い世代がなかなか理解できないということが少年たちを非常に脅威というふうに感じまして、恐れを感じて、そしてそれを何とかしなければいけないということで少年法改正の論議とかいろいろな対応策というものになってあらわれてきているものではないかというふうに理解しております。  余りまとまりませんが……。
  44. 木島日出夫

    ○木島委員 ありがとうございます。  今回、与党三党から提出されている少年法改正法案の中心は、少年犯罪の中でも万引きとか放置自転車の遺失物横領とか、そういう軽いものに焦点が当たっているんじゃなくて、殺人とか集団リンチ傷害致死とか、そういういわゆる凶悪重大事件と言われる問題に対してどうするかというところに焦点が絞られて改正法案が出されているわけなんです。  そこで、重ねて福嶋参考人にお聞きしたいんですが、最近の少年による殺人とか集団傷害致死とか、そういういわゆる重大凶悪と言われる事件の背景と、今参考人がお述べになった現在の少年のパーソナリティー、その関連というのは、私は素人なりにはより関連性が強いんじゃないかと感じるんですが、その辺いかがでしょうか。
  45. 福嶋章

    福嶋参考人 おっしゃるとおりでありまして、二十年ほど前に遊び型非行というのが非常に多かった時期がありまして、それはそれなりにあの時代の子供たちの変化というものを反映していたと思うんです。  現在は、やはり人の生命といいますか人間の尊厳、他者の尊厳とかあるいは生命の尊重とかいうものが心の中に実感として育っていない子供がふえてきているというふうに思います。それがいじめになり、あるいは恐喝、たかりによる致死事件とか、それから縁もゆかりもない方を殺害して何とも思わないというような心理というものにつながっていると思います。  そういうことが、やはり我々大人にとっては非常に衝撃的でありますし、恐ろしいことであって、これを何とかしなければいけないというふうなことでいろいろ対策を講ぜられるという動きがあることは、非常にもっともなことであるというふうに考えております。
  46. 木島日出夫

    ○木島委員 そうしますと、今お述べになったような状況のもとで犯された少年の重大犯罪、重大非行に対してどういう処遇が必要と考えるか。今まさに焦点になっているのは、こういう少年に対しては、刑事処分刑務所で拘禁的に処遇するのか、少年法のもとでの保護処分少年院による教育更生が必要なのか、その処遇の方法、二つの大きな方法についての見方の違い、考え方の違いでこういう改正法案が出されてきているんだと思うのですね、被害者感情とか国民感情も背景にあるんでしょうが。  精神医学の立場からいいますと、今先生がお述べになったようなパーソナリティーのもとに置かれた少年が犯した重大犯罪に対して、どういう処遇が必要だと考えられるんでしょうか、お述べいただきたい。
  47. 福嶋章

    福嶋参考人 精神医学や心理学の立場からいいますと、少年非行、特に重大な少年非行というのは、発達の問題、つまり法律家の方は少年の可塑性ということをおっしゃいますが、精神医学から見ますと、これは発達の問題ですね。  ですから、時間をかけて、そして適切な治療、カウンセリングとか精神療法とか、必要があれば医学的な治療というものを加えるということが的を得た対応であって、ただ応報的に刑務所等に拘禁するということでは、昔と違って、現代こそ余り効果をもたらすことができないだろうというふうに思います。
  48. 木島日出夫

    ○木島委員 私は逆の立場からちょっと質問してみたいのですが、そういう状況のパーソナリティーにある非行犯罪を犯した少年を、拘禁を中心として刑務所に五年、十年と閉じ込めた場合に、発達学の立場から、人間発達という観点からいうと、どういう人間がつくり出されていくんでしょうか。難しい質問かもしれませんが、非常に大事なところだと思うので、ちょっと先生の御所見をお聞かせ願いたいと思います。
  49. 福嶋章

    福嶋参考人 刑務所では、拘禁そのものが目的で、特に懲役ということで労役がありますので、恐らく自分の心と向かい合う、あるいは自分のした行為と向かい合うという時間は、医療少年院などの処遇に比べて非常に少ないと思いますね。  ですから、そういう意味で、どちらがきついかというと、僕は、厳罰化といいますけれども、医療少年院へ送るよりも刑務所に送った方が本人は気が楽なんじゃないかという気がします。そういう楽なところで受刑期間を過ごすということであると、余り適切な精神的な発達や成熟が遂げられない場合も多いのではないかということが憂慮されます。  そういう意味では、少なくとも現在の施設とかスタッフとかいうものの配置からいえば、未熟な、成熟の方向がちょっと間違ってしまった、そういう少年に対しては、医療少年院の方が、本人にとっては心理的にかなりきついだろうとは思いますけれども、適切な更生に役立つと思います。
  50. 木島日出夫

    ○木島委員 私も、いろいろな精神医学の先生にお聞きしますと、少年の一番の特質は発達段階が個人個人によって全く違うことだ、人によって、非常に早く精神年齢発達する子もいれば、おくれる子もいる、その個性が違うというのが特徴なんだとお聞きしているんですが、まさにそのとおりだとは思うのであります。  しかし、今の少年法制は、一応十六歳未満か十六歳以上かで処遇について明確な区分けをしている、御存じのとおりです。私は、十四、十五の少年には、現行法どおり、刑事処分送りの道は開かない、全部これは少年法処遇するということが妥当であろう。十六歳以上については、現行法どおり、裁判官が非常に綿密なる調査を加えた上で、どちらの道を選んだ方がいいかを個々に判断する。これは非常に大事なスキームだと考えてはいるのですが、十六のところで切る、十六以上、十六未満で切るということについて、やはり法律ですから一定程度切らないといかぬかと思うのですが、少年発達段階との関係、特に今日のパーソナリティーの変化の問題なども含んだ上で、こういう年齢の区切りについての福嶋先生の御所見をお聞かせ願いたい。
  51. 福嶋章

    福嶋参考人 お答えいたします。  確かに、少年時代、思春期から二十になるまでの間というのは、個人差が非常に大きいのです。ですから、その個人差を十四歳から十九歳までの間のさらに幾つかに区切るということは非常に困難であるというふうに思います。  しかし、十四歳、十五歳というのは、その中でも一番未熟な部分が残っていやすい、つまり大人に準じて処遇することが難しい子供が多い年代だと思いますね。ですから、じゃ十七歳にしたらいいかというと、その辺はわかりませんが、十四歳、十五歳というのは非常にデリケートな年代であるということがあります。  もう一つは、先ほどの少年の時代によるパーソナリティーの変容というところから見ますと、今は子供精神発達の幼児化というものが進んでいるわけですね。つまり、なかなか大人にならないということで、子供発達がおくれていて、例えば今の平均的な十四歳と昔の十四歳とを比べると、今の方がずっと子供なわけですね。  そういう意味でも、刑事責任能力というものを引き上げるというのは合理的だと思うのですが、引き下げるというのはむしろ反対な方向ではないかというふうに私は、心理学的な立場から考えます。
  52. 木島日出夫

    ○木島委員 ありがとうございました。  佐藤参考人飯室参考人には、時間の関係上質問できませんでした。お許しいただきまして、終わらせていただきます。
  53. 杉浦正健

    ○杉浦委員長代理 次に、北川れん子君。
  54. 北川れん子

    ○北川委員 社民党の北川れん子といいます。  きょうは、三人の参考人の皆様、お越しいただき、本当にありがとうございます。  実は、私は十一歳と十四歳の子供を今育てている。国会の方にこういうふうに単身赴任で来るという生活に急になった。私は、いろいろなところで若い世代の人たちと出会いたいと思って、いろいろなところに行ってできるだけ話を聞いたりする折に、大人にもっと話を聞いてもらいたい、大人の人たちに寄り添ってもらいたい、私たちはたとえどんな大人であれ大人がいないと成長できない、そういう立場子供たちなんだという意見を聞かされたときに、私は今ほとんど単身赴任なものですから、自分子供、十一歳、十四歳で、何らかの形で加害者になる可能性というのはあるなという立場で今回の少年法厳罰化の問題も見ています。  それと、被害と加害の連鎖というのが断ち切れないで、いろいろな場面で、あるときは被害を受けている、次は自分が加害者になる、また次の大きな形で被害者になっていく、こういう連鎖ということも見ていくと、私は、どの子も被害者にも加害者にもならないで過ごせる少年時代を送れるような社会大人が確立していく、そういう方向でこの少年法の問題に取り組みたいと思っている者なんです。  飯室参考人にお伺いしたいんですが、先ほどのお話の中で一番私が胸に響いたのは、あの名古屋の恐喝事件の中で、時間を追っている中の、自分たちが見ていた初めの印象とは違ってきた。まさに、今国民や市民が報道の中で知りたいと思っている部分、それは初め洪水のように、どの事件に対しても、特に特異な事件であればあるほど異様に情報がはんらんしますよね。そうではなくて、そういう情報が欲しいのではなくて、一たんちゃんと検証して、裏づけをとって、いろいろな人たちとマスコミの方がコミュニケーションをとれた段階での情報を欲しいというふうに世論や国民は思っているのではないかというふうに思うんですが、今、マスコミの立場でこの点どういうふうにお考えになりますでしょうか。
  55. 飯室勝彦

    飯室参考人 基本的には、それは多分大変優等生な新聞記者だったら、先生、そのとおりですと申し上げると思うんです。ですけれども、新聞記者の現場の体験からいいますと、ちょっと違うな、それはきれいごと過ぎるなという感じなんですね。  まさに一般の読者の方々というのは、大きな事件が起きた途端に、事件に関する大小さまざまな情報に関して大変関心をお持ちでして、いろいろの欲求があります。ついそれにまじめにこたえようとして、あるいは大きな事件で、ある種我を忘れてしまってという形で記者がオーバーランしたりフライングしちゃったりするということもあるんですけれども、私自身の経験からいいますと、しばらくたってからまとめて掘り下げて報道すればいいというような欲求では決してないと思います。ただし、ますますこれから、先生がおっしゃるような掘り下げた記事の需要が高まっていくということ、これはもう間違いはありません。  ただ、新聞記者の経験から申し上げたいのは、そういう掘り下げた記事ができるのは、実は事件発生直後の盛んな報道があってこそなんですね。つまり、事件発生直後にそういう報道がなされていない事件で掘り下げて情報を探ろうということは、相手側がなかなか応じてくれない。最初の報道で情報源の人が事件社会的意義を認めていろいろな情報を出してくれるという要素がありまして、なかなかその辺の両立に悩んでいるというのが実態です。
  56. 北川れん子

    ○北川委員 ありがとうございます。  それが報道現場の正直な感想でいらっしゃるだろうと思うんですが、現実には、子供とその他の少年少女に対して、やはりマスコミがこの間ずっと流してきている流され方によって、どの十四歳もどの十七歳もすべて何らかの形で何かこれから犯すんではないか、予備軍ではないかという、逆に言えばそういう形の報道をされてしまったことへの大人子供の断絶といいますか、そういうものを植えつけた面をマスコミは負ったのではないかという、その辺に対して、先ほどのことも踏まえた上なんですが、どうお考えになるかということ。  それとやはり、少年犯罪がふえたわけでもなく、凶悪化が著しく目立っているわけでもないということが少しは数字で類推をされる時期に今入りましたが、その前段ではかなりキャンペーンが張られたように私などは思うんです。その辺はマスコミの中にいらっしゃってどうお考えになっていらっしゃるんでしょうか。
  57. 飯室勝彦

    飯室参考人 それは、私どもは論説という立場にいるからかもしれませんけれども、凶悪化、少年犯罪激増というキャンペーンを張ったという意識は我々にはありません。少なくとも論説ではもうちょっと冷静に対処してきたつもりです。  ただし、現場の記者たちの間に、いわゆる日々のニュースの中で、統計的に今月こんなにふえちゃったとか、そういう形で少年犯罪がふえているという印象を与える記事を書いたことは僕も否定できないと思います。  ただし、僕も冒頭に申し上げましたように、この問題は数字で論ずべきものではなくて、幾ら事件が減っていたって、なぶり殺しにされた被害者はもう悲嘆の底に打ち沈んでいるわけです。ですから、僕はこの問題を数字で論ずるのは被害者に対する冒涜だと思います。
  58. 北川れん子

    ○北川委員 数字というものが合理性を持つ場合があるという面と、先ほど飯室参考人もおっしゃっていたように、被害者と加害者を分けて考えた方がいいという、私もその点は同意しておりますので、この問題は後でまた追及したいと思います。  それで、あと福嶋参考人の方にお伺いしたいんですが、東京新聞の方のアンケートで、十五歳から十九歳の子供たちへのアンケートをとれば、少年法厳罰化に六三%が賛成、だけれども、抑止の効果は疑問視というのが、十代の意見として初めてアンケート化されたのが出ているんです。少年法厳罰化に賛成といっても、逮捕歴のある子供たちはどうも反対の立場をとっている傾向があるというのも分析されていたんですが、こういう報道を見られてどういう御感想を持たれたか、お伺いしたいんですが。
  59. 福嶋章

    福嶋参考人 少年に対する刑罰というか処遇、制裁が緩いから非行が起こるのかという問題はなかなか一概には論じられないと思います。  特に、神戸の少年事件が起こるまでは余りそういうことがメディアに出てこなかったと思うんですね。神戸の少年はメモに、僕は発見されればつるされるかもしれない、つまり、十四歳だけれども、自分はこういうことをしたから死刑になるかもしれないというふうに信じていたわけですね。しかし、死刑になる可能性があるとしても、彼にとってはそれは抑止力にならなかったわけです。  しかし、それ以後、飯室先生にしかられるかもしれませんが、いわゆる一種の少年法に関するキャンペーンといいますか、少年犯罪に関するキャンペーンみたいなものがありまして、そういうことが非常に少年全体に知られるようになりました。特に、非行的な傾向を持つ少年がそういう知識をたくさん持つようになりまして、実を言いますと、佐賀ケースでも、幾つになったらどういう処遇ということを彼はメモに書いているぐらいですね。ですから、そういう意味では、寝た子を起こしたといいますか、ある意味では、軽いということが今では犯罪促進的に作用している要因もあろうかと思います。  そういう意味で、そういう世論というのはかなりマスコミの論調の影響を受けるということがありますので、本当にどうなっているかということはまた少し考察、分析をしてみなければわからないだろうというふうに私は考えております。
  60. 北川れん子

    ○北川委員 おっしゃるように、やはり分析が大事で、本当にそれを分析しようという意欲を持った大人が存在するかどうかということで随分この問題は大きく変わってくると思うんです。  先ほどお伺いしていて、医療少年院に送られたら、少年の方は精神的な負担は医療少年院の方が感じるんじゃないかというお答えがあって、今の世論一般的には、医療少年院に送られた方が甘い、何だか守られた中へ入っていくというようなイメージを受けていると思うんですが、先生の御体験の中で、なぜ彼らの方、医療少年院に送られた方が負担と感じるのかというところを具体的にもう少しお話しいただきたいんですが。
  61. 福嶋章

    福嶋参考人 刑務所も医療少年院も、塀があって、建物にかぎがかかっていて、部屋にかぎがかかっていて、こういう重大事件犯人は大体独居処遇されるということでは、構造的には同じです。  ただ、刑務所の場合には、そういうふうに拘禁しているということだけが問題でありますから、医療少年院に比較すれば、教育とか治療とかいうものの占める役割は小さい。しかし、医療少年院は、矯正教育あるいは精神治療ということが目的でできているわけでありますから、二十四時間自分の心と対決させられるわけですね。そして、自分の犯した罪というものにも対決し、そして拘禁されている間、何年の間でもそういうものを考えていかなければいけないということです。  それから、甘いか厳しいかということに関して言えば、例えば佐賀少年のような場合でいいますと、法律の方に聞きますと、大体こういう事件だと刑事処分にすれば五年から十年の不定期刑になるであろうということでありますけれども、医療少年院に入れば、これはやはり不定期でありますが、二十六歳まで入れられるとすれば八年九カ月ですか、やはり入っていなければいけないということで、拘留期間もそれほど変わらないということですね。やはり一番つらいのは、自分の心を操作されるといいますか、治療するわけでありますけれども、それを手を加えられる、いじられるということで、非常に心理的にきついだろうということを申し上げました。
  62. 北川れん子

    ○北川委員 まさに、大人子供子供大人の小さい版ではなく、子供子供の人格といった面と、子供の方が与えられている時間が長い、長いから、生きていくのに更生できるというか、未熟から成熟へ行く段階へ大人社会が保障するという面が必要だろうと私は思うんです。  もう一つお伺いしたいのですが、やはり犯罪を犯す過程の中に、追い詰められた末というのがあると思うんです。動機がよくわからないとか、なぜかわからないとかというふうになっているのですが、先生がお立ち会いになった、鑑定をされた方の中で、兆候とかシグナル、そういうものというのは大人の方がどのような対応をしていれば見逃さずにいることができるのか、この点もちょっとお伺いしておきたいのですが、いかがでしょうか。
  63. 福嶋章

    福嶋参考人 今までの体験からいいますと、やはり私は重大な非行というのは二つ起源があると思います。一つは、先ほどから申し上げた脳の問題、脳の成熟が人によって違う、あるいは微細な障害がある場合が多いという生物学的な問題ですね。もう一つは、心理的な問題、あるいは体験的な問題と言ってもいいかもしれませんが、多くの非行少年を扱っておりますと、加害者として鑑別所少年院に送られるわけですが、そのほとんどは実は被害者なんですね。あるいは養育状況の中で、あるいは友人関係の中で、かなり深い傷を負っている、傷を負い続けているということが明らかになる場合が非常に多いわけであります。  そういう意味では、そういう子供が心に傷を負わない、児童虐待、性的虐待というのはその最も重いものでありますけれども、そうでなくても、例えば現在問題になっているいじめとかあるいは学歴競争社会における親からのプレッシャーとか、そういったものが軽くなればこういう少年非行には走らなかっただろうと思われるケースは非常に多いわけですね。  ですから、やはり親自体あるいは学校の先生なり地域の人たちが、自分自身がゆとりを持って、子供に対して共感的な態度で、子供の心を推しはかりながら、豊かに健やかに育てていくということが少年非行を防ぐ上で一番大事なことだと思います。
  64. 北川れん子

    ○北川委員 どうも本当にありがとうございました。  今もう時間が来たという通告が参りましたので、佐藤参考人の方にはお伺いできなくなりましたが、またこれからもよろしくお願いいたします。
  65. 杉浦正健

    ○杉浦委員長代理 以上で午前中の参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。  参考人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時五分休憩      ————◇—————     午後一時一分開議
  66. 長勢甚遠

    長勢委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  午前に引き続き、麻生太郎君外五名提出少年法等の一部を改正する法律案及びこれに対する佐々木秀典君外三名提出修正案を一括して議題といたします。  本案及び修正案審査のため、ただいま御出席いただいております参考人は、東京経済大学現代法学部教授守屋克彦君、画家塚本猪一郎君、立命館大学法学部教授葛野尋之君であります。  この際、参考人各位委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  参考人におかれましては、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  次に、議事の順序について申し上げます。  まず、守屋参考人、塚本参考人、葛野参考人の順に、各十五分程度意見をお述べいただき、その後、委員質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。  それでは、まず守屋参考人にお願いいたします。
  67. 守屋克彦

    ○守屋参考人 ただいま御紹介いただきました東京経済大学現代法学部の守屋でございます。このような場で意見を発表する機会を与えていただきましたことについて感謝申し上げます。  私は、現在の肩書は東京経済大学現代法学部教授ということでございますが、昨年の今ごろまで裁判官をやっておりました。仙台高等裁判所秋田支部長を最後に定年で退官いたしました。任官しましたのが一九六一年でございますので、約三十八年ぐらい裁判官をやったということになります。その間、少年審判につきましては約二十年余りの経験を持っております。刑事裁判官も二十年ぐらいの経験を持っております。裁判官の中では、恐らく少年審判経験は最も長い方に属するのではないかなというふうに思っております。  私が少年審判に最初に携わりましたのは一九六一年ですから、昭和三十六年で、大体昭和十七年生まれの人から審判を行ってまいりました。最初は自分の弟のような少年相手に、最後は自分の孫みたいな者を相手にして審判をする羽目になりまして、少年からは耳の大きいおじいさんの裁判官というふうに言われており、そのような間、約四十年ぐらいにわたるわけですけれども、現在の少年法ができてから五十年間、約八割の期間をつかず離れず少年事件を扱ったということになります。  そういう経験をもとにしまして、個人的な感想を若干申し上げさせていただきたいと思います。ただ、具体的な法案につきましては、いただきましたのがつい二日前でございますので、詳細を検討する機会はございませんでした。抽象的な問題点を申し上げまして、細かな点は、また質疑でもございましたならば自分の考えを述べさせていただきたいと思います。  私の要点は四点あります。  一つは、やはり家庭裁判所を中心とした教育主義の実績を十分に評価していただきたいということでございます。第二は、これまで犯罪非行を扱ってきた現場の人間家庭裁判所調査官あるいは少年院刑務所、そういったところの現場の意見を十分に聞いていただきたい。それから、三番目としましては、いずれ非行犯罪を犯した人間少年も再び地域社会に戻ってくるわけでございます。その地域社会で再び受け入れざるを得ないという視点も法律の改正の際には十分お考えいただきたいということでございます。そして、その視点から、犯罪非行に対する対策として、刑罰がいいのか、保護処分が有効なのかということを十分お考えいただきたいというふうに思っております。要点はこの四点でございます。  私が少年裁判官をやっておりました約四十年というのは、少年法につきましては常に改正の論争が行われておりました。年齢を二十歳を十八歳に引き下げたらどうか、あるいは、検察官の先議権、刑事処分にするかどうかについて検察官に発言権を与えたらどうかという少年法改正論議が常に行われておりました。昭和四十一年の少年法改正に関する構想説明書の発表、昭和四十五年六月の少年法改正要綱の発表とか、法律論争が常に行われておりました。  しかし、この間の議論は常に法律論で、手続論で、法律家の論争でございます。少年非行がどのような状況に置かれているのか、どうその少年を教育するのかという実質的な問題につきましては、法律家の間ではほとんど議論がなされていきませんでした。そういう中で、家庭裁判所を中心とした少年非行の取り扱いが一つ一つ行われてきたわけでございます。  こういう中に、いろいろの時代を経て、いろいろな少年非行が出てまいります。私が初めてやりましたころは、暴力団その他の非行が多うございました。その後は、学園闘争にまつわる反権力的な公安事件が多うございました。その後は、シンナー事件、校内暴力、低年齢非行と、さまざまな難しい非行が登場しましたけれども、それらの非行に対して、家庭裁判所調査官を中心とした家庭裁判所のスタッフ、少年鑑別所保護観察所、少年院、それなりにまじめに機能を果たしてきたということは申し上げさせていただきたいと思います。それは、やはりある程度日本の犯罪発生率を低く抑えてきた、そういうふうな手続を経た子供が再び非行をするということを防止する役割はある程度果たしてきたのではないかというふうに考えております。  私は、長い刑事裁判官の経験少年審判経験を通して、犯罪非行を取り扱う人間の制度としては、やはり少年審判少年法の制度の方が再犯を防止するためにはすぐれているというふうな感じを持っております。  この保護主義というのは、従来、ともすれば甘やかしであるというふうなニュアンスで受け取られて、非常に響きの悪い言葉でございますが、もともと旧少年法を作成したときの立法当局が、これは刑罰以外の処分によって再犯を防止するのだ、つまり社会保護するための制度なんだ、だから保護処分という言葉には甘やかしという言葉をもらっては困るのだということを当時の司法省の提案理由が言っております。ただ、そういう誤解を受けやすいということはその当時からあったわけでございますので、家庭裁判所としては、保護主義というよりは、むしろ教育主義という言葉で扱っております。  その保護主義の土壌というのは、法律論が、改正論が盛んに行われている傍らで、地域社会保護主義の土壌は非常にやせ細ってまいりました。財閥の解体、農地解放、核家族の進行ということで人は自分の生活にほとんど手いっぱいで、非行を犯した少年自分で引き取って再び更生させるとか就職させるというような社会の力というのはやせ細る一方でございます。そういう中で今日の時代を迎えてきたわけでございます。  刑罰を強化する、あるいは凶悪事件に対してどう対処するかということを考えたときに、死刑にでもしない限りはいずれ少年は再び社会で引き取らなきゃいけないわけで、再非行しないための方策として刑罰がいいのか保護処分がいいのかということについて十分お考えをいただきたいというふうに思います。  被害者の方々の言い分を十分受け入れていないというような批判が現在の少年法にはございました。我々としても、被害者の方々の声には非常に胸が痛みます。ただ、そういう試みを、これまで少年院保護観察その他でやってこなかったわけではないのですね。それをもう少し被害者の方々の心に分け入って被害者の方々の心の痛みを幾分でも少なくするように、家庭裁判所を中心とした保護処分の運用はこれからなされていくと思います。少年院等でもそういう研究はなされていると思います。そういう被害者の方々の心の痛みを救うというような方法としても、刑罰の方がいいのか、あるいは保護処分の方がいいのかということについては、十分お考えいただきたいというよりは、私は、これまで重ねてきた保護主義の実績の方がより有効であろうというふうに信じているわけでございます。  そういうことで、教育主義というこれまでの実績をむだにしないためにも、やはり、今回の法案の改正の中心点であると思われます十六歳未満刑罰年齢の引き下げの問題、あるいは重大事件についての原則逆送、そういった構想につきましては、私は、従来の家庭裁判所の基本的な考えに従ってぜひ慎重にお考えいただきたいというふうに思います。慎重に考えていただきたいと申し上げるよりは、反対の意見を申し上げたいというふうに思います。  それから、刑罰保護処分というものの役割につきまして、刑罰の途中で少年院に収容して義務教育をするというような構想もうかがわれてまいりましたが、これは、現在の少年刑務所などでもそういう義務教育を行っているという制度もありますし、少年院の方の教育的な機能と申しますか、少年院の教育方針というものと刑罰の執行というものがどううまく調和するのかということにつきましてはいろいろな問題が残っておりますので、その辺を慎重にお考えいただきたいというふうに思います。  最後に申し上げますけれども、私は、ある地方に参りましてお寺を訪れました。そうしたら、立派なお墓がありまして、そこに、その地方の犯罪者更生施設である更生保護会というのがありますが、その建設に反対をしたということが金文字で書かれてある墓碑銘を見ました。これは、明治以来、日本の受刑者の社会復帰を助けるために、静岡の、ちょっと上がっておりますので名前は忘れました、そういう人たち、本当の先駆者が営々努力してきてそういう制度をつくってきた、いわば美談として呼ばれるような時代から、今、それに反対するという行為が墓碑銘になる、こういう時世に当面いたしまして、我々はどう考えるのかということを突きつけられた思いでございます。  先ほど、冒頭に申し上げましたけれども、犯罪者少年も、いずれこの地域社会に戻ってくるわけです。それに対して、法律家、あるいは政治家の皆様も同じだと思います、社会をリードする人間としてどういう立場で対処するのか、その辺について十分お考えをいただきたいというふうに考えております。  意を尽くせませんけれども、大体時間でございますので、この辺で総論を終わらせていただきます。(拍手)
  68. 長勢甚遠

    長勢委員長 ありがとうございました。  次に、塚本参考人にお願いいたします。
  69. 塚本猪一郎

    ○塚本参考人 私の母は、五月三日に、例のバスジャック事件少年によって殺害されたわけです。僕自身、こういう席に登場するなんて夢にも思っていませんでしたし、母がこういう事件に巻き込まれるなんて想像だもできませんでした。でも、実際巻き込まれたわけです。  巻き込まれて思ったことは、これは他人事ではない、だれの身にも起こり得ることだということを痛感した次第です。だから、この席でとにかく言いたいことは、あす自分の身にも起こるかもしれないというふうに思って法律をつくっていただきたいということなんです。  被害者になって思ったことは、政府は被害者に対して何もしてくれないなというのが第一印象です。犯罪被害者給付金などがありますけれども、半年たった今、まだ支給されておりません。サラリーマンでない自営業の僕、例えば大黒柱である僕が殺害された場合に、半年という時は、葬儀費用も出なければあすへの生活費も出ないわけです。新聞などで聞くところによりますと、給付金などは半年から一年先だと聞きます。半年、一年先だったらどうなっているでしょう。もう新しく生活が立ち直っているか、一家離散しているか、自殺しているかじゃないでしょうか。  こんな状況の中で、今少年法の問題を僕に問われていますけれども、少年法は、少年が更生するということが前提でできているはずです。被害者は政府から何の援助も受けていないわけです。その中で少年の罪はどうしたらいいかと問われたら、感情的に、厳罰に処してくださいと言うしかないのです。でも、それは何かというと、江戸時代で言う仕返しですね、あだ討ちの思想なんです。これは非常に非生産的な思想です。たとえあだ討ちしたところで、僕らは何も救われはしません。  少年法改正というのは、被害者の僕にとって、少年保護する、少年を更生させるということが目的であるはずです。そうならば、まず被害者感情を立ち直らせ、生活を立て直す保護を政府がいたします、どうぞしっかり立ち直ってください、そのかわり少年社会に復帰させる手だてをしてもよろしいでしょうか、そういう法律であってほしいと思います。  次に、少年法というのは少年の更生ということが目的でありますけれども、更生というのは何なんですか。被害者立場になって思ったことですけれども、更生という言葉の意味をだれも考えていないのじゃないかと思います。  被害者にとって更生というのは、少年が刑期を終えて出てきて社会に復帰し、知らない土地へ行って新しく生活を始めることですか。被害に遭った人は、一生、病院へ治療費を払い、一家がめちゃくちゃにされ、少年はどこへ行ったかわからない、それが本当に少年の更生なのでしょうか。被害者にとっての少年の更生とは、社会に復帰し、自分の罪を一生かかって償う、済みませんでしたという心以外にないのです。  例えば、少年社会に復帰して新しく就職したとします。自分の初任給を持ってきてお花を一本買って仏壇に供える、それを毎月毎月繰り返す。そうした暁には、ひょっとしたら十年後、僕の父や僕がその少年に対して、あなたはよくここまでやったね、もう許してあげるよという心になるかもしれません。それが更生じゃないでしょうか。  すなわち、少年が更生するということは、被害者をも救うことなんです。ぜひそのことを真剣に考えて少年法というものを審議してほしいと思います。少年の罪というのは、社会に対する罪は刑罰で償われますけれども、被害者に対する罪は、その少年の本当の意味での更生によってしか償われないのです。そのことを、更生とは何かということを十分考えて少年法をつくっていただきたいと思います。  最後に、うちの母が多分ここの席で言いたかったことだと思うので、述べさせていただきます。殺された母は、三十年前からきょうの事態を予測して、社会に対して訴え続けていました。本当は、母自身がこの席に立って自分で訴えたかったのでしょう。  僕の大学時代のテキストにデズモンド・モリスの「裸のサル」という文化人類学の本がありまして、母親猿に育てられなかった子猿、または子猿同士が遊ばなかった子猿がどういう大人の猿になっていくか、子殺しの猿、育児放棄の猿、虐待する猿、そういう猿になっていくともう三十年も前から書いてあります。これは今の日本の新聞の三面記事をにぎわしているものそのものじゃないですか。  政府が今進めておられます男女雇用機会均等法、それはすばらしいことです。物すごくいいことだと思います。ぜひどんどん進めていただきたいと思います。しかし、それは暗に共稼ぎを推奨しているのじゃないでしょうか。自分子供自分で育てるというのが基本なのじゃないでしょうか。この政策を続けていく限りにおいては、やはり「裸のサル」に出てくるそういう猿がいっぱい登場するということを肝に銘じてほしいと思います。  教育というのは、今変えても十年後にしか結果は出てきません。安易に保育園に押しつけるということを前提にする社会、親のエゴ、会社のエゴ、そういったものを抜きにして、本当に自分子供自分で育てるという気持ちを持って子供に接してもらいたい、そういう社会をつくっていただきたいと思います。  以上です。終わります。(拍手)
  70. 長勢甚遠

    長勢委員長 ありがとうございました。  次に、葛野参考人にお願いいたします。
  71. 葛野尋之

    ○葛野参考人 立命館大学の葛野です。  私は、刑事法学者として少年法の研究をしてきましたので、その立場から意見を述べさせていただきます。このような機会を与えられましたことを感謝します。  少年法は、保護処分検察官送致を経ての刑事処分など、少年の自由ないし人権の強制的な制限に関する法律ですから、その改正を論じるに当たっては、科学的、理性的な態度が必要不可欠です。これを失ったとき、恣意的で御都合主義的な改正の危険が生まれます。少年法が、非行少年のみならず、広く子供の教育の基幹にかかわる法律であることを考えると、子供の教育全体に深刻な影響が及ぶことになります。  ここで、少年法改正が、少年非行、特に今回の場合、重大非行を抑止する効果を持つのか、刑事処分を適用された場合の再犯率はどうなるのか、社会復帰が可能であるのか、これらの点で将来の犯罪被害を減少させ、社会の安全に寄与するのかどうか、あるいは家庭裁判所少年院などにおける少年法の運用や、刑事裁判所、刑罰執行などの実務にどのような影響を与えるのか、これまで安定していた実務に混乱を持ち込むことはないかなどの点が慎重に検討されるべきです。  これらの点について、正確な判断を今直ちに下すための基礎となる日本の調査研究やデータは、今のところ存在しないように思います。そこで、少年法厳罰化を二十年ほど前から既に行ってきたアメリカの例を御紹介したいと思います。  もちろん、日本とアメリカは、少年司法の制度のみならず、少年非行を取り巻く社会条件においても大きな違いがあります。しかし、アメリカにおいて、厳罰化の抑止効果は厳罰立法以外の社会条件の影響を排除した形でその効果が調査されてきましたし、再犯率も他の条件を同じにした上で刑罰保護処分の間の違いが調べられていますから、日本の少年法改正の効果について科学的、理性的な態度のもとで責任ある判断を下すためにも、有益な手がかりが得られるように思います。  少年法の母国アメリカは、一九七〇年代末から、教育理念を後退させて厳罰化へと傾斜を進めました。重大犯罪を効果的に抑止するためとして、一定の重大犯罪については積極的に刑罰を適用することを拡大してきました。このような傾向は一九八〇年代から九〇年代を通じて進み、現在に至っています。しかし、アメリカ少年法厳罰化は失敗でした。  現在、日本の少年法改正をめぐって、アメリカ少年法厳罰化は実際に犯罪抑止の効果を発揮したんだという見方が示されることがあります。確かに、より厳しい刑罰はより強い犯罪抑止効果を有するという信念が人々の間に広く共有されておりますし、この信念に適合するものでありますので、このような見方は広く受け入れられやすいかもしれません。しかし、これは誤りです。  アメリカにおいては、幾つかの厳罰立法について、そのターゲット、標的とした犯罪を抑止する効果があるかどうか確認するために、洗練された統計学的手法を用いた研究が行われてきました。これらの研究は、厳罰立法ができたこと以外の犯罪の増減に影響を与えそうな要因をコントロールして、つまり錯乱要因を除外した上で、厳罰立法が犯罪の増減に影響を与えたかどうか確認したものです。犯罪の増減は、当然に、厳罰立法以外のさまざまな要因に左右されるものですから、その影響を除外しなければ厳罰立法が抑止効果を有したかどうか確認できないわけです。これらの研究の結果、一致して、厳罰立法、少年法厳罰化犯罪抑止の効果は見られなかったという結論が示されています。  抑止効果があるという見方は、本日資料として示しましたアメリカの非行統計、特にその四ですが、殺人による少年の被逮捕者数の人口比率が、一九九三年をピークにして、九四年以降減少を続けているということを根拠とすることが多いように思われます。この時期の減少は、少年法厳罰化の効果に違いないと考えるわけです。  しかし、犯罪の増減は、少年法厳罰化ということ以外のさまざまな要因によって決定されます。したがって、厳罰化が進行していたのと同じ時期に犯罪が減少傾向を示したということ、そのことをもって厳罰化に抑止効果があると結論することは短絡的に過ぎると言わざるを得ません。さきのように、錯乱要因を除外した上で、厳罰立法が抑止効果を有していなかったという調査研究があるわけです。単に統計上の数値において犯罪減少の傾向があるからといって、これらの調査研究の所見が覆されることはありません。  非行統計上の数値だけを見ても、一九八〇年代半ばごろから九〇年代の半ばのピークに至るまで、暴力犯罪全体についても一・八倍程度、殺人については何と二・五倍程度も増加しています。さきに言いました減少傾向は、このような顕著な増加の後に生じました。アメリカ少年法厳罰化は、一九七〇年代末から始まり、八〇年代、九〇年代を通じて進められてきました。九〇年代半ば以降の減少の時期のみならず、それに先立つ増加の時期も、同じく少年法厳罰化が進められていた時期に重なるわけです。  もし、一九九四年以降の殺人の被逮捕者数の減少をもって厳罰化の抑止効果のあらわれと見るのであれば、八〇年代半ばからの十年間は厳罰化に効果はなかったけれども、九四年からは一転して抑止効果を発揮し始めたということになって、余りに不合理です。厳罰化が進行してから十五年もたって急に犯罪抑止効果が発揮されたことを合理的に説明することは不可能であるように思います。  一九八〇年代半ばから九〇年代半ばにかけて、殺人による少年の被逮捕者数は二・五倍程度にまでふえています。この間、成人の殺人は安定しており、少年の財産犯も増加していません。注目すべき点は、少年の殺人の増加はすべて銃によるもので、少年の銃規制法違反も激増しました。同じ時期、少年の麻薬犯罪も、特にマイノリティーの少年の間に増加しました。  アメリカを代表する刑事法学者、犯罪社会学者による研究は、少年の殺人が増加したことの構図を次のように示しています。すなわち、麻薬の蔓延により犯罪組織が拡大して、大都市のスラムに生活するマイノリティーの少年を末端の麻薬売人として組み込んだ。これらの少年が自己防衛のために銃を所持し、それがその周辺の少年たちにも広がった結果、麻薬取引のトラブルなどのいさかいが銃の使用によって殺人や重大傷害に発展するという構図です。  そして、この背景には、政治経済的、文化的な衰退や社会的混乱の中で家庭や地域社会が崩壊し、少年たち、特に、失業など、その過酷な影響が集中する大都市スラムのマイノリティー少年が、将来への希望や社会への理想を失ってしまったというアメリカ社会の病理があります。若年者の失業率の劇的上昇は、少年が実効的に社会参加する機会を大きく奪うことにつながります。別の権威ある研究によれば、就職、結婚、雇用の継続など、人生のその時期その時期の実効的な社会参加こそが、人を非行犯罪から遠ざける決定的な要素であるとされています。  このように、少年の殺人の増加に社会的要因が複雑に作用していることからすると、厳罰立法が抑止効果を有しなかったことも当然と言えます。厳罰立法の抑止効果に期待する立場は、少年非行の増加は少年に対する処分の甘さが主たる原因であるから、厳罰化によってこれを抑え込むことができるのだという前提に立ちます。しかし、これが的外れであることは明らかです。  また、厳罰化の抑止効果のあらわれではないにせよ、九四年以降、殺人についての少年の被逮捕者数が減少している理由は、今のところ、必ずしも明確ではありません。しかし、少年の殺人の増加にさきのような構図があったとすれば、九四年以降の減少には、それを逆に考えて、銃の規制が一定の成果をおさめたことや、さらに、経済状態が上向きとなる中で、社会が一定の安定を見せ、また、若年失業率の低下に示されるように、少年たちが実効的に社会参加する機会も拡大し、将来への失望感が緩和したということなどが関連していると考えられます。特に、少年についての銃規制の効果については、既に広く指摘されております。  他方、実効的な社会参加の準備など、教育や社会復帰を強調した少年法保護処分を受けた場合に比べて、長期拘禁の刑罰を科された場合の方が、他の事情を差し引いたときでも再犯率が高いという傾向があります。少年が家族や社会生活から長期間隔離され、社会復帰の支援の機会を十分に与えられずにいれば、結局再犯率が高まるわけです。また、保護処分に比べて、刑罰は、より強い否定的な烙印をその少年に刻むことになり、社会的差別や排斥も、本人の否定的な自己観念も強まることになります。これらは、実効的な社会参加を妨げる要因として働きます。  こうして、刑罰を科すことは、社会復帰を妨げ、再犯の可能性をかえって高める結果をもたらします。再犯率を高めるということは、将来の犯罪被害を増加させるということです。それが予想されるにもかかわらず、あえて厳罰化を行うことは、むしろ反被害者的な態度であるという批判を免れないでしょう。  さらに、少年への刑事処分の適用拡大は、刑事裁判所の過剰負担、少年用の拘禁施設の過剰収容をもたらしました。この影響で、少年に提供される処遇の質も低下しました。拘禁施設の新増設や運営に予算と人とが集中してしまって施設内外での社会復帰の支援が手薄になると、後の社会復帰が困難になり、再犯率の上昇、将来の犯罪被害の増加という結果を招くことになります。  アメリカ少年法厳罰化は、議会や政府が、社会の混乱や矛盾から生じる根深い社会不安を基盤にして、それが表出した犯罪不安に駆られて厳罰化を要求する世論をあおりつつ、それに迎合する形で進行しました。少年非行の原因や少年法の運用状況、子供を取り巻く社会環境について正確で冷静な事実認識も開かれた自由な討論もないまま、少年法の運用に携わる実務家、専門家の意見さえも十分に聞かれることなく、科学的、理性的な態度を失って進められたことも少なくありません。そのような厳罰化は、当然のように失敗しました。  少年法厳罰化に頼っても、問題は解決しません。それによって得られる安心感は、つかの間の偽りのものでしかありません。むしろ、少年非行の原因を科学的に解明し、それを解消するというアプローチ、これはこれまで少年法が目指してきたものですが、それから離れることによって少年非行をめぐる真に解決するべき課題が放置されることになってしまって、一層問題を深刻化させます。  家庭でも学校でも地域社会でも十分な教育の機会を与えられずに来て、家庭裁判所だけが唯一教育の場となる少年が現にいるんだ、そのことを忘れないでほしいという、ある中国帰国者二世の子供たちのボランティアをされている方の言葉があります。それを思い出します。アメリカ少年法厳罰化の失敗は、これらのことを教えてくれると思います。  以上です。(拍手)
  72. 長勢甚遠

    長勢委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  73. 長勢甚遠

    長勢委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。佐々木秀典君。
  74. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 民主党の佐々木でございます。  参考人の先生方は、きょうは本当にお忙しい中をお差し繰りいただきましてこの場においでいただきまして、貴重な御意見をお聞かせいただきましたことにまずもって心から感謝を申し上げます。限られた時間でございますけれども、今お聞かせいただきましたお話に関連して若干のお尋ねをしたいと思いますので、お許しをいただきたいと思います。  まず塚本さん、本当に遠くからありがとうございました。そして、忌まわしい事件で、本当に思いがけないことでお母様を亡くされたことに心からお悔やみを申し上げます。だれしも、お母様と、そして御遺族の皆様と同じような立場になることはあり得るんだということを、本当に身につまされるようにしてお聞きをいたしました。  そしてその中で、今の法制の上でも、それからまた政策の上でも、こうした犯罪被害者に対しての国の政策が非常に不足だということをお聞かせいただきました。このことは、先ほど、長く家庭裁判所にあられて御苦労なすった守屋元裁判官からもそれに言及されたお話があったわけですけれども、まだ我が事となっていない一般の方々は、あの忌まわしい事件が起こり、また幾つか忌まわしい異常な子供たち事件が起こるたびに、そうした子供たち少年法保護手続によって甘やかされているのではないか、やはり大人と同じように、悪いことをしたらそれに対する応分の法的な制裁を受ける、そういう規範意識を持たせるべきだ、あるいは、人を殺すのが悪い、人を傷つけるのが悪いということについては罪の意識は持っているはずだ、だから、それに相応した処置というのが必要だということを言っている方々が比較的多いのではないかと私は思います。  しかし、実際の被害者、御遺族としての塚本さんのお話は、それだけに非常に重みがあると考えております。塚本さんは、これは朝日新聞の六月六日の記事でしょうか、インタビューにお答えになって、厳罰主義は対症療法だ、少年犯罪を不安に思う親たちの気持ちをこれで静めようとするのはひきょうだということをおっしゃっておられるようですが、今のお話を伺って、そのお気持ちがわかるような思いもしたのです。  そうすると、私がさきに述べましたような被害者感情、殺した者についてはもっと厳罰にというようなこと、被害者のお気持ちとしては一概にはそうではないんだということなのですね。本当の意味の償いというのは少年がその罪の認識をしっかり持って贖罪の気持ちを持つということ、そういうことが望まれるんだ、あるいは被害者のお苦しみを少しでも解放するような施策を国として考えるべきなんだ、こういうことだったのでしょうか。その点をもう一度お確かめしたいと思います。
  75. 塚本猪一郎

    ○塚本参考人 そのとおりであります。  でも、今のままの状態、放置された状態の中では、被害者厳罰主義を望む以外に手だてはないんです。だって、自分のこの燃え盛るような恨み、泣き叫ぶような感情、これを静めるためにはそれしかないんです。でも、それは本当に非生産的なことです。それを行ったからといって、僕の何が変わるでしょう。何も変わりはしないんです。むしろ、やはり、変えられるのは愛なんですよ。政府から手を差し伸べてもらう、または政府から手を差し伸べてもらった少年が、僕たちに、本当に済まなかったと、本当に涙を流して、手をついて償っていく、そうしたら僕らの感情は少しおさまるかもしれません。そしてそれが少年の罪を軽くしてくれることかもしれません。ぜひそのような政策をとってほしいと思います。
  76. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 ありがとうございました。  今の塚本さんのお話ですけれども、守屋先生はどのようにお聞きになって、どのようにお感じになられますか。
  77. 守屋克彦

    ○守屋参考人 現在の少年法少年の健全な育成ということをうたっております。健全な育成の中身の問題でございます。  やはりそういう生命犯、殺人を犯した少年の健全な育成というものは、罪の意識を十分に自覚し、他人の人権を尊重し、再犯をしない、そういう心構えをきちんと持たせること、これが健全な育成である。そのためには、やはり被害者の心の痛みに少年を触れさせるということが必要になってまいります。その痛みに触れて、悩みを知って、そして罪を悔いるという段取りになっていくんだろうと思います。  これは、たまたま今までは被害者と直接接触するということはなかなか行われてきませんでしたけれども、これからの方向としてはやはり被害者の方々の意見少年に十分認識させるということだろうと思う。そういうことで少年被害者の心の痛みを知って再非行をしない、健全な市民になるということを被害者の方にわかっていただく、そのことが被害者の心の痛みを幾分かは救うことにつながるんではないか。  健全な育成ということの単なるスローガンではなくて、中身の問題として申し上げますと、今塚本さんがおっしゃられたことと私らが考えていることは全く同じことだというふうに申し上げてよろしいかと思います。
  78. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 現在も神戸で家庭裁判所の判事をなさっておられる井垣判事が、法学セミナーの十一月号に「「裁判所の窓から」みる少年法の課題と改革」という一文を寄せておられます。  この冒頭で、一般の刑事事件の裁判官などはその裁判で判決を言い渡してしまうとそれで終わりで、その後被告人に会うこともない、しかし家庭裁判所での少年保護事件の場合には、裁判官も、保護処分を決定した少年たちのその後についても、例えば少年院を訪れたりして会うことがあるようで、実際に井垣裁判官もそうしておられるということを言っておられます。  先ほど、けさですけれども、参考人でおいでになった福嶋章先生、バスジャック事件でも少年鑑定をなすったそうですけれども、以前取り扱われた事件で、これも全く異常な殺人事件だった。そのときは、少年に当たっていて自分でも驚いたぐらい、罪の意識もなければ、いわゆる人間としての感覚の持ち合わせがない、そういうことに驚いた。それから少年院に送られて、二年後に会ったときには随分変わっていた。そういうことで、教育の効果というのを実体験されたというお話をされていました。  先生が裁判官時代、やはりこの井垣さんのような経験をなさったり、少年が実際に変わったというようなことをごらんになったりというような体験はお持ちでしょうか。
  79. 守屋克彦

    ○守屋参考人 井垣裁判官は私も個人的に存じ上げておりますけれども、非常に熱心な裁判官の一人でございます。  私自身も少年審判をやっておりましたときには、自分が担当した少年少年院に送ったような場合には、大体必ず少年院を訪れて会うのを常にしておりました。その事件というのは審判を終わっていますから、旅費が出るとかそういう手続はないのですが、例えばほかの事件の審理の機会であるとか、その少年の別な事件が来た機会であるとか、少年院を訪れる機会というのは結構あるのですね。それからまた、家庭裁判所としては、裁判官や調査官の見聞を広めるために、少年院の視察旅費を出しております。そういう機会で、少年院を訪れる機会というのは少なからずあります。  そしてまた、少年院というのも、一口に少年院といいましてもいろいろありまして、例えばどこの少年院がどういう教育をしているか、みんな違うのですね。そういうことを知らないと仕事ができませんので、裁判官はしょっちゅう少年院を訪れます。  もう一つあります。後のお尋ねの方です。  私が、殺人事件で、喜連川少年院という関東少年院に送った子供がおりました。やはり非常に人間がかたくなで、というか、心を閉ざしておりました。喜連川少年院で、重症心身障害者の介護体験ということをやらせたわけです、非常に能力のある子供でしたから。首から下は全然動かない、そういう人間の介護を実際に体験して、こんな自分でも人の役に立つことがあるんだということを実感したときに人間が変わったということを、喜連川の少年院は言っておりました。  そういうことで、少年院の方でも非常にケースに応じた指導を少しずつやってきている。万全というふうには私は申し上げるつもりはありません。まだまだ改善の余地はあると思いますけれども、そういうことをやっております。
  80. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 ありがとうございました。  葛野先生、大分時間がなくなっているのですが、今の井垣判事の論考の最後で、厳罰化犯罪抑止の効果がないというだけではなくて、むしろこの厳罰化改正によって家庭裁判所の調査の手続などがずさんになる、つまり原則逆送などによって裁判官も調査官も、裁判官は逆送するようになるだろうし、調査官は余り調査に身を入れなくなるだろうというような心配があるということから、かえって家庭裁判所への信頼は低下し、次代を担う少年たちに対するわが国の教育力も低下し、世界一安全な国から犯罪大国へ向かって確実に歩み始めるだろうという、杞憂というか心配を述べておられるのですね。ここの結論のところが、ちょっと短絡に過ぎるんじゃないかとかよくわからないとかということも言われる。  先ほどの先生のお話では、厳罰化しても犯罪の抑止力にはつながらない、これはアメリカの実証からお述べになった。今の井垣さんの心配というのは、その問題とは合ってきますでしょうか。
  81. 葛野尋之

    ○葛野参考人 第一に、アメリカでも刑罰を科す場合の方が再犯率が高い、すなわち将来犯罪の可能性が高い、犯罪被害をふやすことになるという結果が出ていて、そのようなことは予想されます。  もう一つは、これまで少年法が目指してきました非行の原因を科学的に解明してそれを解決するというアプローチ、それが、例えば将来確実にあるいはかなり高い確率で刑事処分に付される、逆送されるということになると、非常に難しい困難なケースこそ、それを十分に調査することによって能力の蓄積といいますかノウハウの蓄積が可能になるでしょうから、家庭裁判所少年院のそのような原因解明、解決の力量を下げることにはならないかと思います。それは、調査官だけではなくて少年院処遇の力量も下げることにはならないかということが危惧されると思います。
  82. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 それでは、いろいろまだお尋ねしたいこともあるんですけれども、時間になりましたので終わらせていただきます。本当に先生方、貴重な御意見をありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
  83. 長勢甚遠

    長勢委員長 漆原良夫君。
  84. 漆原良夫

    ○漆原委員 公明党の漆原でございます。きょうは三人の参考人の方、お忙しいところ、本当にありがとうございました。  それでは、時間もありませんので、早速質問させていただきます。まず、守屋参考人の方からお尋ねさせてもらいたいと思います。  先生のお書きになった「現代の非行少年審判」という著書を読ませていただきました。非行事実の認定のための手続の二分論、そしてまた先生の私案も書いてありまして、大変興味深く読ませていただきました。  事実認定をどうするかということは今回の改正点の非常に大きな柱となっております。先生の御主張が今回、民主党の修正案の中に取り入れられたのかなという感じで受けとめておるわけなんですが、少年事件というのは非常に可塑性に富む少年を扱っておるわけでありまして、一番要請されるのは事件の早期処理そして少年の早期保護だというふうによく言われております。我々与党は事実認定だけの裁判手続というのは採用していないわけなんですが、それはそのような観点から、あくまでも職権主義的な審問構造というのを大前提として維持しながら、そして何とか事実認定をしっかりしようということで、裁定合議制だとか検察官関与とかこういう制度を導入したわけでございます。  今回、民主党案の事実認定裁判所という構想は、参考人意見に沿うものであるとは思うんですが、少年法に刑事訴訟手続に準じた対審構造を導入することになって、それこそ現在やっている職権主義的な審問構造を大きく変更するものだ、こういうふうに思っております。このような仕組みだと、やはり審理の期間が相当長引いて、少年事件の早期処理それから早期保護の趣旨に沿わないのではないか、こういうふうに私は思っておるんです。先生の一つの私案というのを読ませていただいても、同じように、やはり期間が延びて、早期処理、早期保護という思想には沿わないんじゃないかという考えを持っておるんですが、修正案等を含めて先生の御意見をお伺いしたいと思います。
  85. 守屋克彦

    ○守屋参考人 私の本を読んでいただきまして、ありがとうございます。  あの本の中で私が考えておりました構想というものは、現在の、記録が家庭裁判所に送られてくる、そこから始まる少年審判手続で比較的迅速に事件を処理する。非行事実の審理というのは全体の少年保護事件の一部である、問題は少年を健全に育成することなので、そのためには迅速な事実認定処理が必要であるという考えから、なるべく現在の手続のままで、そして、少年の言い分を聞いて、あるいはその言い分を公正に判断するために検察官の関与も一部入れてということで私の案を申し上げたわけです。  それは、ドイツの刑事訴訟手続のように記録が家庭裁判所の方にあらかじめ送られてくるという手続を前提として考えた案でございますが、どちらかといえば日本では刑事訴訟法が英米流なものですから、そういうふうに記録送付を前提としないで、検察官から中立な裁判所に資料を出して、弁護人がそれを批判して受け取る、そういう手続が言われるわけです。  そういうことが法律家の基本的な感覚になっているものですから、私があの本の中で書きました現在の記録送付をもとにした非行事実の審理方法というのは、どちらかといえば研究者の方々や弁護士立場から評判が悪かったというか、日本ではそういうことを前提として審理できるような法曹の信頼感というのがないというふうな感じがいたしまして、私は非常に残念に思っております。  そうするとやはり二分論と申しましょうか、非行事実の認定手続と要保護性の審理手続というものを分けて審理するのかということになろうか。今回の民主党の修正案を拝見いたしましたが、それはそういうお考えなのかなということで、私が前に言った案とは少しというか基本的に違っております。  ただ、そうするとやはりいろいろ技術的に問題が生じてまいりまして、従来の家庭裁判所の裁判官の基本的な見解は、そういう手続の二分論というのは非常に複雑な手続になるというようなところがございまして、家庭裁判所の裁判官の中での多数意見にはなっておりません。  例えば、そういうことを申し上げてなんなんですが、今回の民主党案で、事実認定裁判所の判断がその後の家庭裁判所の、保護事件の裁判所を拘束するというような構想がいわば特別な構想として妥当なのかどうか、上級裁判所でないのにそういう事実認定審理が拘束するということで果たしてうまくいけるのかどうかというような問題とか、技術的にやはり乗り越えなければいけない問題が幾つかあると思いまして、それはやはり慎重に検討を要する問題ではないかというふうに思っております。  ただ、そういうふうに少年非行事実の認定手続が非常に議論の材料になるというのは、やはり日本では、少年の取り調べを含む捜査のやり方について、従来のままと申しましょうか、成人と同じような手続で行われているというところから事実認定の困難さが生じている。そこに対して両方の言い分が衝突するというような問題がございますので、この法律の改正の問題ということになりますと、どうしても捜査のところまでは議論がまいりません。少年審判手続だけの問題になってきますので、捜査のあり方を含めた視野の上に立った改正論でないと、なかなかこの議論というのは一つの建設的な方向に向かわないんじゃないかというふうに考えておりまして、裁判官としても、非行事実の認定手続を速やかにして、なるべく早く少年処遇を考えるような手続にいくのが合理的だというふうに思っておりますけれども、なかなかその議論がまとまらないというのは、捜査の問題も含めて非常に大きな問題が伏在しているためだと思いまして、その辺についてのお考えを広めていただければ大変ありがたいというふうに思っております。
  86. 漆原良夫

    ○漆原委員 我々も観護措置期間ということで悩みました。現行は四週間でございますが、事実の認定の適正化という観点では長ければ長いほど間違った判決が出ないでいいだろうなと思っておりますが、そこは難しいもので、今回も最長八週間ということにしたわけなんでございます。  今回の民主党修正案の事実認定裁判所ですか、この案によると、一定要件さえ備えれば制限がないんじゃないかというふうに、家庭裁判所、抗告裁判所、再抗告裁判所においてもずっと身柄を拘束され続けるんじゃないかなという危惧を持っておるのですが、長い間少年が身柄を拘束される、審理から解放されない、こういう観点で、少年事件の早期処理、早期保護という観点から、先生はどのようにこの修正案をごらんになっているでしょうか。
  87. 守屋克彦

    ○守屋参考人 ちょっと急いで法案を拝見しましたので、検討が十分でなくて申しわけないです。  家庭裁判所の裁判官の意見、私の意見というか家庭裁判所に従来からあった意見ということを申し上げますと、やはり現在の最大四週間とする鑑別所収容期間は、心身の鑑別といいましょうか、少年の行動を観察して資質の問題点を把握するための期間としては十分である。しかし、いろいろな事件がございまして、証人を調べたり鑑定をしたり、鑑定といっても精神鑑定じゃなくて別な鑑定をしたりするというときに、どうしてもやはり継続的に身柄を収容して調べる必要がある。私なども現実に、審判を開く前の日になって、それまでの供述をひっくり返して否認したという少年がいまして、審理をするのに大分苦労した経験があるのですが、そういうことから、非行事実認定のための身柄拘束というのも認めてほしいというのが、恐らく裁判官の多数意見ではないかというふうに考えております。  ただ、その期間というのは、従来からおおよそ十二週間ということを言われておりますが、それはやはり、現在の弁護士とか検察官とかそういうスタッフ、あるいは通常行われる裁判所の合議の組み方であるとか、あるいは予想される証人調べの時間とか、そういうものを含めておおよその見通しというようなことで出てきた期間でございまして、これは、別にそこでなければだめだとかそういう問題ではございませんので、それについてはいろいろな考え方があると思いますけれども、従来、裁判所側から言われてきた期間の背景にはそういうことがあった。現実にやはり二十八日では賄えない事件もあるということで、現場は苦労していたのでこういう意見になった、こういうことでございます。
  88. 漆原良夫

    ○漆原委員 塚本参考人にお尋ねします。  今回の大変な事件に遭われまして、一般に、報道が大分過熱で、また報道との関連で相当お困りになったことがあるんだろうなというふうに推察されるわけです。今回も、報道との関連で六十一条をどうするかということが、我々与党内でも議論になっているわけなんです。  報道との関連で、どのようにお考えなのか、お考えがあれば教えていただきたいと思います。
  89. 塚本猪一郎

    ○塚本参考人 確かに報道被害は物すごいものがありました。朝七時からそれこそ十二時まで、十分おきに電話が鳴りっ放しなんです。夕方五時、六時ぐらいになったら、また十分おきに鳴りっ放しなんです。僕は、事件そのものよりも、この報道の電話の鳴りっ放し、または玄関のドアをあけたらカメラが回っているとか、あるいは町を歩いていたらつけ回されるとか、そういう被害は現実にありました。それによって、僕は一週間ほど安定剤を飲まざるを得なくなりました。電話の音に恐怖を覚えることすらありました。  しかし、反面、事件があった当日、警察の方からは事件のことについては何も知らされません。警察の方に、どうなっているんだと問うても、NHKのニュースを見てください、あれが一番正しいですよ、これでした。片っ方で、警察の方は僕の目の前で報道陣をけ散らしているのですね。でも、僕に言う言葉は、テレビを見ろなんです。現実、今もそうなんですけれども、僕自身が情報を知り得るのは、新聞、テレビ、ラジオ以外にないんです。警察の方からの何の説明もないわけです。本当に事件が起こったのかな、そんな心すら出てきます。  だから、報道の過熱ということは、僕にとって物すごくプレッシャーでした。しかし、報道からしか情報を得られなかったということも事実です。  一応、是非はともかくとして、そういう事実でありました。
  90. 漆原良夫

    ○漆原委員 葛野参考人、本当に申しわけありません。  いろいろ御意見を拝聴しまして、先生のお書きになった「厳罰論的少年法改正案の批判的検討」というのも読ませていただいたのですが、ただ、いろいろな観点があると思います。  先回、神戸事件被害者の土師さんに来ていただきまして、こうおっしゃっていました。   今回の改正問題につきまして、ある法律の専門家が、素朴な国民の感情に乗じて、この問題に携わる現場の声も十分に聞かないまま政治的な動機で取りまとめたという意見を新聞に述べているのを読みました。しかし、国民の素直な声を無視するような民主主義は存在しませんし、さらに、ここで言う現場とは、犯罪を犯した少年のことのみを考える現場のことであり、当事者である被害者を排除した偏った現場を指しています。また、今回の改正案が少年法の理念から外れているという批判もあります。しかし、ごく軽度の処分の変更はありますが、少年法の理念は尊重したままの案だと思っております。   最後になりましたが、現行少年法は、被害者やその遺族にさらなる犠牲を強いることにより成り立っている法律であるということを肝に銘じて議論していただけたらと思います。  こういうふうな言葉をお述べになったのですが、先生、御感想があれば、一言おっしゃっていただければと思います。
  91. 葛野尋之

    ○葛野参考人 大変厳しい御意見で、謙虚に受けとめたいと思います。  しかし、そのような御意見それ自体が、やはり被害者の方々の心の痛みを示すものであって、その心の痛みをいやすためにどういう手だてが必要なのかということを正面から考えていかないといけないんだろうというふうに思っています。  その手段というのは、決して非行のある少年に重い罰を科すということだけで済むものではないと思います。先ほどお話がありましたが、さまざまな経済的な支援、あるいは精神的なケア、警察や報道機関の対応など、それを総合的に考えていかなければならないわけで、その枠の中で被害者の問題を考えたい。  先ほど言いましたように、これは非常に難しい問題なんですけれども、少年が本当に被害者の痛みや苦しみを心底から実感して、済まなかったという償いの気持ちをどうしたら持つことができるんだろうか、そこにきっと被害者の方々の心の傷をいやすための取り組みと、非行少年社会復帰というか更生との接点があるのではないかというふうに考えています。そのような手段というのは、やはり今の少年法の理念の中でそれを充実させていくことではないかと考えております。
  92. 漆原良夫

    ○漆原委員 以上で終わります。  大変貴重な意見を賜りまして、どうもありがとうございました。
  93. 長勢甚遠

    長勢委員長 藤島正之君。
  94. 藤島正之

    ○藤島委員 自由党の藤島でございます。よろしくお願いします。本日は、本当に御苦労さまでございます。  まず、守屋さんにお伺いしたいんですけれども、四十年間、裁判官として非常に御苦労さまでございました。  先ほど、慎重に検討すべきだ、こうおっしゃったのは、どうも反対であるというような意味じゃないかと思うんですけれども、一点、十六歳未満少年院で刑事罰を科すことになっているのに慎重にという御意見だったようにお見受けするので、これは反対というふうに受け取ってよろしゅうございましょうか。
  95. 守屋克彦

    ○守屋参考人 十六歳未満についての刑罰年齢の引き下げということに関しては、慎重に考えていただきたい、こういうことでございます。  それは、程度の問題もあります、範囲の問題もありますから、いろいろあると思いますけれども、私の考えとしては、十六歳未満というのは保護処分の適用年齢が四年から五年以上あるわけですので、その期間延長の問題などを含めた上で十分に御検討していただきたいということで、原則的には消極意見ということでございます。
  96. 藤島正之

    ○藤島委員 幾つか御意見があったわけですが、保護主義自体は賛成であるということで、私もその点は確かに賛成なんですけれども、一方、やはり被害者の気持ちとか、あるいは抑止効果というのも大きな問題だというふうに考えておるわけです。  それはそれとして、技術的な問題としては、裁判官として一人で現実にやってこられて、今回、裁定合議制という案が出ておるわけですけれども、この点についてはいかがお考えでしょうか。
  97. 守屋克彦

    ○守屋参考人 裁定合議制という問題は、これは家庭裁判所の中では、裁判官として反対意見というのはほとんどございません。  これはいろいろございます。実際に審判をする立場とすれば、少年事件というのは非常に難しいんですね。刑事裁判も難しいし、民事裁判も難しいですけれども、少年審判というのは、非行事実を認定した上で、その人間の要保護性を考えるということですから、人を扱う点で非常に難しい、裁判官が一番悩む仕事の一つでございます。難しい事件について慎重に考えたいということになりますと、現在の裁判所のシステムでは合議制しかないわけですね。ですから、合議制が欲しいというのが裁判所からの意見、裁判官の意見として多数だと思います。  ただ、御承知のように、今、司法制度改革審議会などで議論されておりますように、職業裁判官制度に対するいろいろな御批判もございまして、職業裁判官三名による合議制はどうかということで御批判があることも承知しております。そういう点からいいまして、私自身としては、先ほど、少年は地域社会に戻るということを考えて取り扱うという視点が必要だというふうに申し上げましたが、やはり少年事件については、参審制と申しましょうか、一般の市民の方の助けをかりて、単独の裁判官と市民が合議体を構成して審判をするということが一番ふさわしい制度ではないかというふうに思っております。  ただ、これはあくまでも、一つの制度改革の問題が伴うものですから、それまでの慎重な判断をするという制度としては裁定合議制というのがとりあえずの方法ではないかということで、裁判所からそういう意見が出ている。私自身も、裁判官としての経験から申し上げますと、それらの意見が間違っている、一人で十分だということを言うにはなかなか事件が難しくて、自分能力とかそういう問題もありますけれども、合議制を求める人の気持ちをむげに退けることはできないだろうというふうに考えている次第です。
  98. 藤島正之

    ○藤島委員 ありがとうございました。  そのほか、四十年間少年関係の審判をやっておられた中で、何か、こんな点が現行法制で不十分だったというように実感したことがあれば、教えていただければと思います。
  99. 守屋克彦

    ○守屋参考人 少年法というのは、御承知のように、条文が非常に簡単でございます。裁判官の裁量が非常に広いという問題もございます。ですから、裁判官のやり方一つによってどのような運用もできるところがありまして、運用の積み重ねということでやってまいりましたので、法律の不備という点については、いろいろ従来から言われましたように、細かな問題はあると思うんですけれども、やはり裁判官として一番悩んだのは、要するに、少年をどうやって社会に復帰させるかという資源がだんだん少なくなってきた。  これは、保護観察所が持っている職親とか家庭裁判所が持っている就職先とか、そういうものが年々少なくなってきているんですね。そういう地域社会の資源の乏しさ、保護司の方もだんだん高齢になっておられます。そういう中で、いわば幾ら熱意があっても資源がないということで、精神主義ということを我々言っていたんですけれども、そういう保護主義の運用というのがなかなか思うようにいかない。保護主義というのは、言葉はいいんですけれども、やり方を間違えますと非常にあしき教育をするということになりかねませんので、その正しい運用の仕方というのが、一番裁判官が悩んできたことだというふうに申し上げていいかと思います。
  100. 藤島正之

    ○藤島委員 どうもありがとうございました。  それでは、塚本さんに、これは質問というわけではないのですけれども、最初に、あす自分も巻き込まれるんじゃないか、こういう心配がある、こうおっしゃっていましたけれども、確かに私も、そういう事件に出くわさないとは限らないなという感じが近ごろすることがあるわけであります。  要は、子供たち社会的な責任みたいなものをどうも余り感じていないようなところがありまして、我々自由党としては、まず子供のしつけが一番大事だろうということで、あとはその後の教育、これを重点政策として、柱として打ち上げまして、出てきちゃったものより出てくる前の段階を一生懸命やりたいなということで、今進めているところでございます。  もう一つ、仕返しとかあだ討ち、こういうのは、やはり被害者になってみると一瞬はかなり強く感じるものだろうという感じはするんですけれども、塚本さんはそういうことを乗り越えて、むしろ被害者を立ち直らせるということで、最初の給料のときに花一本でも、こういうお話もあったわけですけれども、やはり本当の意味少年が更生してくれるということが被害者を一番救うことだという崇高な気持ち、私も本当に感動しているわけでございます。  一方、やはり政府が被害者をどれだけ救援してやるかということも、被害者の気持ちが本当に和み、復讐のような気持ちをなくさせる、あるいは少年をそういう気持ちに持っていかせるにも大変大事なことだと思いますので、我々としましては、一生懸命そういう施策を充実するようにこれからやっていきたい、こう考えております。本当にありがとうございました。  それから、最後に葛野さんにお伺いしたいんですけれども、アメリカの犯罪の傾向等を分析されて、九四年からかなり減っておりますね。その件について、厳罰化の影響とは必ずしも見られない、むしろ銃規制とか社会の安定化とか、若年の就業率が上がったとか、あるいは生活に対する若年の失望感みたいなものがなくなってきた、そういったものも一つの要因であると。  確かに、私は、犯罪増減というのは一つだけの事象でそんなふうには評価できないと思いますので、先生のおっしゃるのもよくわかるんですけれども、この点について二点だけお伺いしたいと思います。  一点は、もしこの厳罰化をやらなかった場合、本当にどんなふうになっていたと推測されるか。  それと、先生の分析は分析で理解するんですけれども、厳罰化によってこういうふうに減っているということについてアメリカ自体はどのように評価しているか。その二点、お教えいただければと思います。
  101. 葛野尋之

    ○葛野参考人 厳罰化しなかった場合ですが、先ほども申し上げたのですけれども、厳罰化犯罪抑止の効果があるかどうかというのは、厳罰化以外のさまざまな社会的要因の影響というのを差し引いてその効果というものを検討する、そういう統計的にも非常に洗練された手法を使って行われているのですね。その結果が、厳罰化の効果がないということで、もしその厳罰化がされなかったら、そのことによって犯罪がふえたというふうには言えないという結論になると思います。  むしろ、先ほど言いましたが、厳罰化することによって、結果的に将来の再犯をふやして犯罪被害を増加させることになる、社会の安全を脅かす、これは非常に皮肉な結果だと思いますね。先ほどの被害者の方々との関係でも、将来の犯罪被害をふやすという結果は大変皮肉な結果だと思いますが、それが実現したということですね。  アメリカ国内での受けとめ方なんですが、ほとんどの研究者なりは私の示したような見方、私はそれに従っているわけでございます。実務家からやはり批判が強い。これは決して弁護士さんだけではなくて、検察官からも批判があるのですね。  なぜかというと、本来刑事裁判所にはなじまないようなケースを抱え込むことになって、それが大変な過剰負担になっている。あるいは、施設を運営する中で、定員をはるかに超えるような収容者を抱え込んで、彼らはやはり社会復帰ということに自分たち仕事のやりがいを感じたいと思っているはずですから、それが十分にできなくなることに対する不満を持っている。実務家たちの不満も強いのであります。  しかし、一般の人々や政治家の人たち厳罰化を支持する意見が圧倒的に強い。それは、先ほど言いましたが、非常に根の深い社会不安が犯罪不安という形で表面にあらわれている、それが厳罰化の要求へとつながっているのではないかというふうに考えております。
  102. 藤島正之

    ○藤島委員 どうもありがとうございました。終わります。
  103. 長勢甚遠

  104. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫です。  三人の参考人の皆さんには大変重い、貴重な御意見をありがとうございました。  最初に塚本参考人からお聞きしたいのですが、被害者立場から見て、少年に更生してもらいたい、そのためにも被害者の痛みを少年が真っ正面に受けとめ、本当に更生することが被害者にとっても救いになるのだと、本当に重い、大事な言葉として受けとめます。そのためにも、被害者救済を国がきちんとやることが大事なんだということを国会にある者としてもしっかり受けとめたいと思います。  実は先日、私はこの国会内で、塚本さんのお母さんと同じバスに乗っておられて、あの少年からナイフで刺されて、辛うじて一命を取りとめた山口由美子さんから直接お話を聞きました。ナイフで刺されたときにどんな思いでしたかというインタビュアーの質問に対して山口さんは、もし自分が死んだらこの子を殺人者にしてしまう、そんなことを絶対させたくないというので本当に頑張り抜いていたんですという言葉を聞かされました。被害者でこんな立場で加害少年を見る方がいるのかと、私は本当に感じ入った次第でございます。  先日来、多くの被害者の遺族の方々からお話をお聞きしているのですが、やはり一様に被害者の現行少年法に対する思い、怒りは、どんな形で自分の愛する子供が殺されたのか全くわからない、通知すら来ない、そしてまた自分の思いを、遺族の思いを加害少年に伝えるすべすら現行少年法にないんだ、そこを何とかしてほしいんだという言葉を聞かされました。決して遺族は厳罰を求めているわけじゃないんだということまで聞かされたわけであります。  そこで、現行少年法にないのですが、欧米などで先進的に取り組まれている、被害者の方々、被害者の遺族の皆さんと加害少年とが直接対面できる場を条件が許せばつくり出す。時期とか条件とか、非常に慎重な配慮が求められる問題だと思うのです。しかし、そういう場を、審判の段階や少年院などの処遇の段階でも可能な限りこれを実現するシステムづくりが今日本でも求められているんじゃないかと思うのですが、これに対する御意見を、被害者であります塚本さん、そして長い間家庭裁判所で実務で頑張られた守屋参考人からお聞かせ願いたい。
  105. 塚本猪一郎

    ○塚本参考人 被害者立場として、もちろんそれは大切なことだと思いますけれども、まず早急にしなくてはいけないのは、被害に遭った僕らが早く立ち直ることです、生活の面も心の面も。現実に今、僕の心はどうかというと、少年のことは考えたくないというのが現実なんです。でも、情報がないということと僕が知りたくないということとはまた全然違います。  そういうことが実現することは理想だと思いますけれども、現在、国から何の支援もないまま、自力で立ち直れと言われているままの状態では、少年に会ったところで、逆上するだけかもしれません。やはり僕の生活がもとに戻り、心の傷が少しいえてくるような社会システムがあってこそ初めてそのことが考えられるのではないかと思います。  今、僕にはそのことを考える余地はありません。少年に会うどころか、僕は、新聞もテレビもまだ正視して見れない状態なんです。  以上です。
  106. 守屋克彦

    ○守屋参考人 今塚本さんがおっしゃいましたように、家庭裁判所審判の段階で被害者の方と少年の方の対話を成立させるということは、恐らく非常に難しいだろうという感じがしております。  私の知っている裁判官が、最近、被害者の声が審判廷に反映されないということで、被害者の方に御意見はどうですかというふうに水を向けたら、出たくない、少年死刑にしてほしいという御意見だけだったというようなことを言っておりました。  理想としては、ここで先ほど来から言っておりますように、被害者立場を十分に少年に理解させて、少年の立ち直りを見せて被害者の方の心の救済を得るというのが一つの方法だろうと思います。  どういう段階でそれをやるか。審判というのは最終的な処分を留保した段階でやりますので、少年反省の態度いかんで処遇のあり方を決めるということからいいますと、審判の段階で少年の心の動きを知ることができれば一番理想でありますけれども、先ほど申し上げましたように、被害から日が浅いし、少年の方では非常に防衛的な考えが出てくるかもしれません。被害者の方はまだ被害感情が強いということで、実際にそれを審判でやるというのは生の事件では非常に難しい例もあるということです。  できるケースもあると思います。できるケースについては、いろいろな形で家庭裁判所で取り組むことができると思うのですが、それをどういうふうにして考えるかということは非常に難しい問題で、やはりある程度の枠を決めて、少年院やその他で少し期間を置いて被害者の方とのそういう機会がつくれるかどうか、矯正現場で工夫を重ねるというのが実務的には一番考えられる方法ではないかと思いますが、それもやはり相当いろいろな配慮があって難しい問題だと思います。そこをやるとすれば、やはり刑罰よりは保護処分というのがまだできるのではないかというのが私の意見です。  それから、審判の非公開というのは、これは前からの沿革がございまして、最初はどうも、旧少年法時代は、いわば公開すると非行の手口が広まるとかそういう形で、社会防衛的な観点から審判を非公開にしたというような形もなかったわけじゃないんですけれども、やはりそれは、先ほど申し上げましたように、少年を地域社会に復帰させるという一つの配慮として非公開制度がとられたんだろうというふうに私は現在考えております。
  107. 木島日出夫

    ○木島委員 ありがとうございました。  次の質問に移るんですが、今回与党から出されている法案は、十四、十五に逆送、刑事処分への道を開く、十六歳以上については、現行は原則教育保護処分、例外として刑事処分、逆送ですが、これを完全にひっくり返して、原則逆送にする、こういうことであります。  この問題についてお聞きしますが、現在の全国の家庭裁判所では、十六以上の大きな凶悪な事件について、家庭裁判官が非常に悩みながら、慎重に、あらゆる分野についての調査を調査官とともに進め、この子を刑事処分送りにした方がいいのか教育保護処分にすべきなのか、慎重なる判断を個別個別にやっていることと私も確信をしておりますが、これが、今度の法案で十六以上原則逆送になったときにどうなるんだろうか。多くの皆さんから、そうなったら家庭裁判所によるこのような努力が放棄されてしまうのではないか、家庭裁判所がいわゆるトンネル化してしまうのではないかという危惧の声が出ているわけです。  先日、朝日新聞の十月十八日付には、神戸連続殺害事件を担当した井垣康弘裁判官がこういうことを語っておりました。「「故意の犯行で人を死亡させた十六歳以上の少年原則逆送」となると、やがて裁判官は捜査記録を読んだだけで、十分な調査もさせずに逆送を決意するようになるだろう。凶悪事件経験が減った調査官の実務能力は低下し、家裁は少年を更生させる力を失っていく」、大変重い指摘が現場の裁判官からなされておりました。  そこで、守屋参考人にお聞きします。  今、本当に、こういうすぐれた役割を果たしている家庭裁判所の現行体制について十分なのか、不十分だとすればどういう点が補強されるべきか御意見をお述べいただきたいのと、二つ目が、もしこのような原則逆送になったときに、井垣裁判官が憂えているようなこういう家庭裁判所機能の形骸化、こういう心配については参考人の御意見はいかがでしょうか。
  108. 守屋克彦

    ○守屋参考人 井垣裁判官の意見は一つの見識であるというふうに私も考えております。私の冒頭の意見も、原則逆送については反対ということで、慎重に考えていただきたいということを申し上げました。  それは、基本的には、今、井垣裁判官の意見を引用されたところと重なるかもしれませんけれども、やはり、今の少年法二十条は、罪質、情状に照らし刑事処分を相当と認めるときはというふうな規定があります。どうしても、非行事実、犯罪事実の構成要件該当、違法、有責と犯罪事実の側面に判断の重点を置いている。調査官がいろいろその背景にある少年の資質であるとか環境であるとかそういうものを広範に調査した上で二十条の決定をするということよりは、やはり法律判断が優先する。それは社会感情というものも含めて一つの家庭裁判所の判断ですから、それは当然だと思います。どうしても犯罪事実に着目した考え方が正面に出てくるということになります。  それが原則的になりますと、やはり殺人、人を殺したというような重大な非行について、その少年たちの内面に立ち入ったいろいろな綿密な調査をするというよりは、送致された犯罪事実、そこで家庭裁判所の取り扱いの大半が決まってしまう、あくまでも法律判断が優先するということになってくるのではないかというふうに言われるわけであります。  これは運用の問題もありますし、どういうふうになるかというのは個々の裁判官の事件に対する判断でございますから、一般的な傾向とかそういうことをなかなか申し上げるわけにはいきませんけれども、そういう難しい事件について、人間の内面に立ち至った資料を集めて、その人間の再非行の防止なりあるいは同種の事件の再犯の防止なりに役立てる、家庭裁判所の科学主義と申しましょうか、そういう経験科学の立場に立った調査あるいは処遇の活動の方針そのものが、いわば犯罪事実に中心を置いた法律的な判断に取ってかわってしまわれるのではないか、家庭裁判所の存在価値というのが薄くなってしまうのではないかということを、家庭裁判所調査官は相当な不安を持っております。その懸念は必ずしも杞憂とは言えないのではないだろうかということについて、私も井垣裁判官と同じような考えを持っております。
  109. 木島日出夫

    ○木島委員 ありがとうございました。  残り時間が少なくなってしまったんですが、葛野参考人にお伺いいたします。  大変実証的なアメリカの厳罰化の失敗についての御意見我が国でも本当に受けとめなければいかぬと思います。そして、それを前提にして、もし日本で今回の法改正が行われて、十六歳以上について原則逆送、もう大きな事件を起こしたら基本的には刑務所入り、そして十四、十五の子供についても逆送の道を開く。そして今回、法案の中にはさらに、刑期の問題で重罰化、そういう問題があるのです。  そうなったときにどうなるか。犯罪抑止力が生まれてくるのか、それともほとんどそれは生まれてこないだろう。そしてまた、当該本人の個別的な抑止力ですが、再犯の可能性がどうなるだろうか、日本においてどうなるだろうか。まことに難しい予想の分野の質問で恐縮でありますが、アメリカの例を詳しく経験されている立場から、想定で結構ですが、葛野参考人の御意見を賜れれば幸いであります。
  110. 葛野尋之

    ○葛野参考人 大変難しい質問で、完全な確信を持っているわけでは必ずしもないのですが、私は、例えばアメリカの例から考えましても、厳罰化が日本で成功するとは考えておりません。むしろそのことによって、先ほど何人かの方も指摘されましたけれども、非行の原因が一体どこにあるんだろうか、子供たちを取り巻く環境に一体どういう問題があるのか、それが非行にどういうふうに影響しているのか、さらには、被害者の方々の心の傷をいやすために私たちが一体何をしなければいけないのかということを広く真剣に考えることが不十分になってしまって、かえって問題を深刻化させるのではないか。  それは再犯をふやすという意味社会の安全にとってもマイナスですし、それは将来の犯罪被害をふやすという点、あるいは本当の心からの少年の償いの気持ちを持たせにくくなるという点で被害者の方々にとってもプラスとは思えませんし、もちろん、少年にとって、もう一度教育の機会を与えられて、立ち直って社会の中で更生の道を生きていくという機会を奪うことは非常に深刻な問題をもたらすだろうというふうに考えております。  以上です。
  111. 木島日出夫

    ○木島委員 時間ですから終わります。どうもありがとうございました。
  112. 長勢甚遠

  113. 保坂展人

    保坂委員 社民党の保坂展人です。きょうはありがとうございます。  塚本参考人に伺いますけれども、先ほど木島委員からのお話にもあったように、バスの中でやはり傷つけられた方のお話を私も聞きました。お母様がかなり早い段階から、教壇にあられて、またそこを去った後も、少年たち子供たちが置かれている異常な教育環境、その中で詰め込みをされ、競わされて、このまま行くとどうなっていくだろうかという憂慮の念を持たれて、まさにそういうことと本当に関連があるこういう事件に遭われて犠牲になられたということで、本当に大変なつらい中で来ていただいて感謝するわけなんです。  今回この少年法の議論が、やはり何はともあれ、被害者の皆さんが情報が全くないんだ、そしてまた、被害者の痛みにこたえてないではないかということが論議の根本に横たわっているように思えます。その点について今実感をお述べいただきたいと思うんですが、いかがでしょう。
  114. 塚本猪一郎

    ○塚本参考人 本当に被害者立場に立ってここで論議がされているのかどうか、僕にはわかりません。被害者の救済の話というものが一言も出てこないんです。少年は、僕の母親に対して、または社会に対して罪を犯しました。その罪を償うのはまず被害者、僕らじゃないでしょうか。社会が日本国民として健全にもう一度立ち直って社会に復帰してくれと願うのは、まず僕らの方じゃないでしょうか。その根本がない以上、少年のことについて論議したくないというのが心情です。  被害者はのけものみたいな感じがします。少年の更生、更生、いっぱい更生の話が出てきます。被害者の更生はどこに行ったんですか。それを抜きにして僕はこんな論議はしたくないですね、正直言って。少年も更生する、その前に被害者の立ち直りを考えてほしいと思います。本当に現実、被害者給付金というものがありながら、半年たった今でも一円たりとももらっていません。葬儀費用だって莫大な費用がかかっております。もし一家の大黒柱の人がやられたらどうなるんでしょう、本当に。そのことが何にも論議されず、少年社会に復帰してどうのこうの、被害者立場としては、少年のことは頭からのかさないと、怒りが込み上げてきて冷静な判断を失うというような状況です。ぜひそのことを強く受けとめてほしいと思います。
  115. 保坂展人

    保坂委員 塚本さんにもう一問だけ聞きたいんですが、この法務委員会でも、片山隼君の交通事故の当事者の遺族に対する情報公開の問題などを議論していく中で、犯罪被害者の方に対する情報の開示等々が議論され、そして、解散前の国会が開かれているときに、まさに当事者になられた事件が起きたわけです。その際に、例えば警察からちゃんとブリーフがあったのか、きちっとした説明があったのか。先ほど、テレビを見なさいということをおっしゃいましたけれども、あるいは少年審判等の過程でそういった努力があったのか、どのようにお感じでしょうか。
  116. 塚本猪一郎

    ○塚本参考人 僕の正直なところの感想は、一切なかったというに等しい状況です。事件が起こった当初から、テレビと新聞以外の情報はほとんどありませんでした。例えば、同じ被害に遭った者同士が連携をとって、何かを、真実をつかんでいこうと思っても、警察の方からその同じバスに乗っている被害者の住所、名前すら教えてもらえない状況なんです。これでどうやって連携をとるんですか。何にも本当にないんです。こういう状況では、本当にないがしろにされているとしか言いようがないんです。  少年刑罰、更生、それも重要ですけれども、やはりまず被害に遭ったことそのもの、事件そのものすら、どういう事件なのかもわからない状態なんです。このことをぜひ考えてもらいたいと思います。
  117. 保坂展人

    保坂委員 次に、葛野参考人に伺いたいと思いますが、解散前の国会で、小委員会で先生の書かれた論文等を読ませていただいて、アメリカ社会で起きたことと日本、これはやはり銃の問題とか薬物の問題、確かに環境は違うだろうと思います。そこで随分議論をしたんです。なかなかかみ合わなかったなという感じを私持っているわけなんですが、一九七八年のニューヨーク少年犯罪者法が、ある一つの事件をきっかけに、怒濤のような世論に押されて、短期間のうちに成立をしていった。そして、まさにアメリカにおける政治化とその厳罰化、議会や政治の中で交わされた議論と厳罰化がやはりかなりかみ合いながら拍車をかけていったのかなという理解をしているんですね。  そして、その後のことについて、政治の側が関心を持続し得たのかどうか。つまり、少年犯罪に対策がないのはよくないではないか、だから厳しくやろう。厳しくやった結果、さらに犯罪がふえたのか、凶悪化したのかということについて政治の側が関心を持続したのかどうか。そして、アメリカで起きたことは今日本で起きていることとどう重なり、あるいはどう違うのか、そのあたりをお述べいただきたいと思います。
  118. 葛野尋之

    ○葛野参考人 確かに、先ほども述べましたように、アメリカと日本のさまざまな条件の違いというのは大きいと思うのですが、事少年非行の問題に対して厳罰化で対処する、それによって解決ができるという考えは、非行の原因を科学的に解明して、それをどういうふうに解消していったらいいか、その少年の心の問題、あるいは少年を取り巻く社会環境の問題、それは大人たちの教育の責任をも含めて、大規模に今社会が変化しているその時期に子供たちがどういうストレスに直面しているか、これは子どもの権利委員会も指摘したとおりですが、そういう問題を科学的に解明してまじめに解決していくというやり方ではなくて、非常に単純です、処分が甘いから子供たち非行に走るんだ、だから処分を重くすれば非行は押さえ込められるんだ、そういう非常に単純な前提に立って非行対策を進めようという点では同じです。そのようなやり方こそが、真の問題解決を後回しにするというか不可能にするというか、できなくする原因なんだろうな、理由なんだろうなというふうに思っています。  難しい質問なんですが、例えばニューヨークの少年犯罪者法というのができました。それは、先ほど言いましたように、犯罪抑止の効果は発揮しませんでした。しかし、それによって、いわばこれで対策がなされたというような一見の見せかけがなされるわけですね。それは逆に言えば真の問題解決の放棄と裏返しなんですけれども、それによってつかの間の安心感が得られます。人々は一種の安心感を持ちますが、それはつかの間のもので、偽りのものです。その間は少年司法改革に対する政治的な関心も低くなる。しかし、真の問題解決がなされないわけだし、その犯罪不安の基盤にあるもっと根の深い社会不安が残る以上は、またしばらくして犯罪不安が頭をもたげてくる。そして、厳罰要求という形で表現されてくる。  そうすると、結局は、いつまでたっても厳罰化を繰り返すというサイクル、九四年からアメリカの犯罪が減少傾向にあるということを指摘しましたけれども、あの後も現に厳罰化が続いているんです。それは、犯罪の問題が一体どこに本当の原因があるのか、そして、それを解決するために何が必要なのかということを科学的、理性的に考えていくアプローチがとられなければならないんだということを教えてくれるように思っています。
  119. 保坂展人

    保坂委員 それでは、守屋参考人に伺いますが、四十年にわたって、少年たち、しかもいろいろ事件を起こしたり、あるいは重大な事件を起こした少年たちを見てこられて、端的に言って、今少年法の問題で言われていることは、凶悪化をしているではないか、それから低年齢化をしているだろう、そして、同じ事件でも十年、二十年前のものとはもう全く比べものにならないぐらいに質が極端に悪くなっている、こういう議論がされていると思いますが、現場におられて四十年見てこられて、どういう実感をお持ちでしょうか。
  120. 守屋克彦

    ○守屋参考人 先ほど、冒頭での私の意見陳述のときに申し上げましたけれども、四十年間、さまざまに少年非行は変わってまいりました。少年法は変わっていないのですけれども、あらわれてくる非行は変わりました。それがどうして変わるのかということについては、なかなかわからないというか、科学的には解明できない。少年非行は時代の鏡である、社会の鏡であるということを言われて、そのとおりだと思いますけれども、なかなか正確な原因は解明できないということでございます。  それで、最近の非行について、きょうたまたま私の大学で家庭裁判所調査官に学生に話をしてもらった。最近の非行は、とにかく原因がわからない非行という表現、そういう非行が多くなってきたということでございます。前は、貧困のための非行であるとかあるいは反権力的な意識の上での行動であるとか、一応の説明は可能であった。しかし、今はその原因がなかなかわからない、どうしてこの子がこういう重大な非行を起こすのかということについて説明ができにくい非行が多くなったということをその調査官が言っておりましたが、これは私も全く同意見でございます。  それはやはり、社会構造が非常に複雑で、さまざまな要因の積み重ねの上で、最終的には少年の資質にいろいろな要件が相乗的に作用していることだと思い、社会の複雑さがそのまま事件の動機なり背景なりに集まってくる関係で、要因が複雑になればなるほど内面の解明は困難である。それは、数々の事件について、従来は行われなかった精神鑑定少年事件でも最近活用されているというようなこともそういう悩みのあらわれだろう。原因がわからないから、やはり非行について社会は不安を訴える、そうすると厳罰しかないではないかという議論に結びつくというふうに思われます。  少年の殺人事件、低年齢の殺人事件というのは従来からあった。今に始まったわけではないのです。非常に難しい事件は前からありました。少年非行の低年齢化の傾向はもう既に昭和三十八年ごろから指摘されております。そういうことが言われ言われしながら、その傾向がなかなか是正されないで今日に至ったわけですけれども、その中でも、やはり社会構造の複雑さのために原因のわかりにくい非行が出てきている。その結果として、社会としては厳罰しかないのではないかという、短絡的と言うと大変申しわけないのですけれども、素朴な意見としてはそれに結びつくという現象が最近の特色ではないかというふうに考えております。  お答えになりますかどうか……。
  121. 保坂展人

    保坂委員 時間が限られていますので、守屋参考人に二つだけまとめて聞いて、終わりにします。  今大変大事なことをおっしゃったと思うのですが、原因がはっきり特定できない、貧困型であるとかあるいは怨恨だとか、そういうものではない、何かわからない理由で、まさにその理由を探ることすら困難な状況の中で少年犯罪を犯す。そのときに、いわゆる刑罰を前面に出すということが結果として少年のその後の更生にとってどういう作用をもたらすのかについてお聞きをしたい。  二番目に、この間の議論でも、やはり重大事件の逆送率が低いではないかという声がございました。私は、裁判所の少年審判のあり方もいろいろ見直されなければならないところもあると思いますけれども、基本的に、家裁がこれまでいろいろ吟味、検討して逆送してきた比率、ここについて低いという点で、甘いのではないか、厳しくやっていないのではないかということにどうお答えになるのか。  この二点について伺いたいと思います。
  122. 守屋克彦

    ○守屋参考人 最初の御質問ですが、今回の改正案にもございますが、いわゆる親、少年保護者に対して責任を認めるというような意見もございます。ただ、私のように少年審判を長くやっていますと、今の少年の親たちは、私の審判を受けた子供たちあるいはその上というようなこともあるわけですね。その少年たちも親が悪いから非行をした、その少年がまた親になった、こういうことでございます。  原因がわからなくなったというふうには申し上げましたけれども、やはり、わからなくなったとはいいながら、説明はできないけれども、そういう社会的な要因なり家族の原因なり資質の原因なりが重なって非行が起きているということは変わらないわけですね。刑罰というのは、そういう原因に対する対策ではなくて、少年本人に対する対策だけなんです。その対策を講じることでその非行を取り巻く周辺の原因が解消されるのだろうかということについての問題が一つあると思う。  だから、それは非行対策として、少年法というのはその少年の立ち直りを策すということだけの役割で、犯罪全体を防止するとかそういう機能は非常に弱いという少年法の限界の問題が一つあって、その限界の中で少年刑罰を科すということがそういう問題全体の解明に役立つだろうかという疑問があるというふうに申し上げたいのです。  それから、逆送の比率ですが、これは具体的な裁判の問題でありまして、その事件についての裁判官の判断でございます。  もう一つは、刑罰の場合だと、犯罪事実の内容とかその他、公平に量刑をするための資料を客観的に集めやすいのですが、少年の場合には先ほど申し上げましたように非常に複雑な要因がありまして、それの相互比較という問題が非常に難しゅうございますので、一概にその比率が低いとか高いとかということを私は申し上げる立場にありません。  少なくとも、先ほど申しましたように、当該の家庭裁判所としては、その処分が、少年が再犯を起こさないというふうな形で、保護処分で賄えるのかあるいは刑罰もやむを得ないかということで判断している、その数字であるというふうに御理解いただくよりほかないと思います。
  123. 保坂展人

    保坂委員 時間が来たので……。ありがとうございました。
  124. 長勢甚遠

    長勢委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。  参考人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  速記をとめてください。     〔速記中止〕     〔委員長退席横内委員長代理着席
  125. 横内正明

    横内委員長代理 速記を起こしてください。     —————————————
  126. 横内正明

    横内委員長代理 ただいま御出席いただいております参考人は、日本弁護士連合会・子どもの権利委員会委員長斎藤義房君、元家庭裁判所調査官寺尾絢彦君会社員岡崎后生君であります。  この際、参考人各位委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  参考人におかれましては、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  次に、議事の順序について申し上げます。  まず、斎藤参考人、寺尾参考人、岡崎参考人の順に、各十五分程度意見をお述べいただき、その後、委員質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。  それでは、まず斎藤参考人にお願いいたします。
  127. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 貴重な時間をいただきましてありがとうございます。私は、日本弁護士連合会の見解を述べさせていただきます。  第一は、少年犯罪の実態についてであります。  今回の法案が出てきた理由として、最近の少年犯罪が若年化し、凶悪化しているということが言われておりますけれども、この主張は正しくありません。一九六〇年代以降の少年犯罪の統計を見ていくと、十四歳、十五歳の凶悪犯罪が近年になって目立って増加しているという事実はありません。また、凶悪事件が最近になって過去に見られないほど増加しているという事実もありません。少年による刑法犯のうち凶悪犯罪の割合を見ると、一九九八年は一九六六年の約三分の一というのが実態であります。  第二に、たとえ件数としては少ないとしても、重大な少年事件少年の不満と不安の噴出でありますから、大人として軽視することは許されません。問題は、その対策として少年法刑罰化、厳罰化することが正しい施策なのかということであります。  日弁連は、刑罰化、厳罰化少年犯罪の予防につながらず、少年の更生と再犯の防止にも逆効果であると考えます。つまり、今回の法案では再犯者を増加させるという意味で、我が国犯罪は今よりも増加するでありましょう。  今の子供少年法の処分が甘いことを知っているから犯罪を犯すのだという論者がいます。詐欺犯のように冷静に損得を計算して行う犯罪者ならば、そのようなこともあり得るかもしれません。しかし、人をナイフで刺したりバットで殴って死に至らしめるような事件を犯す少年は、そのような計算ずくで動いているのではありません。  このような重大事件を起こした少年は、生育過程において親から愛されたという経験を持っていない、自己の存在を周囲の人から認められたことがない、友達とうまくつき合えない、自信がない、自己肯定感が持てないという少年であり、被害者意識とストレスを強く抱いています。そして、そのようなストレスがある日爆発して、凶暴な行動に走るのです。犯行時の少年心理状態は、自分はどうなってもいい、死んでもいいという気持ちにすら追い込まれています。そのような少年に、自己に対する裁判所の処分内容を予想するなどという余裕はありません。このような少年犯罪刑罰厳罰で食いとめることはできません。  また、被害者意識を強く抱いている少年に対し、刑罰厳罰を科して反省を求めることが適切な処遇とは到底言えません。しかも、刑罰は、少年に前科者のラベルを張りつけ、生育過程で多くのストレスを抱いている少年に対しさらに強いストレスを与え、更生を困難にし、結果として少年犯罪者集団に追いやり、成人犯罪者にしてしまう危険性が高いのです。重大な事件を起こした少年に対してこそ、事件の動機、経緯、少年の生育歴、生活状況、特性、資質など、犯罪の原因と背景を丁寧に調査分析して、少年の更生に必要な生活環境の調整を含む福祉的、教育的支援を行うという少年法の理念が重要です。  この観点から、日弁連は、十四歳、十五歳の少年に刑事罰を科すことに反対します。この年代の子供は自我が確立していません。人格が未完成な存在です。しかも、中学生で義務教育の段階にあり、懲役刑にして刑務作業を科すことは学校教育法や労働基準法とも矛盾します。  また、十六歳以上の少年による被害者死亡事件原則逆送を導入することは、本来少年に求められている福祉的、教育的支援の道を大きく制限することになり、少年法の理念を変質させていくことにつながります。この危険性は、検察官の抗告受理申し立て権と結びつくことによって一層強まります。  第三に、今回の法案は事実認定の適正化につながらず、かえって少年冤罪をふやす可能性があることを指摘します。  検察官審判出席の理由として、非行事実が争われたときに家庭裁判所裁判官が困難な状況に立ち至るのを避けるためということが言われています。しかし、少年審判非行事実が争いになる原因の第一は、少年事件の捜査が不十分で不適切であることにあります。捜査機関が客観的な証拠を軽視して密室での取り調べで自白を強要したことが、少年審判で事実が争いになる最大の原因です。その意味で、事実認定の適正化には、まず捜査の改革が必要です。具体的には、少年事件の取り調べには弁護士の立ち会いを認めること、取り調べ状況を客観化するために録音テープないしビデオテープにとることです。今回の法案において、捜査の改革が含まれていないことは重大な欠陥であります。  しかも、少年審判の裁判官は、刑事裁判官と異なり、捜査機関が作成した少年の自白調書や捜査報告書をあらかじめすべて読んでいます。その意味で、裁判官は、審判に出る前に、少年犯罪を犯しているという予断を事実上持っています。その状態で、少年審判で事実関係を争うと検察官出席させるというのですから、大人の刑事裁判以上に少年にとって不利益、不公平な制度になります。  さらに加えて、このような不利な状況を証拠によって少年がはね返し、何とか非行事実なしの決定を得たとしても、法案によれば、検察官が高等裁判所に抗告受理の申し立てをすることを許していますから、少年は長期間裁判手続に拘束されることになります。観護措置期間が二倍に延長されることも加わり、少年はこのような手続的負担に耐えられず、事実を争うこと自体をやめるということも生じるでしょう。結果として少年の冤罪が増加することは必定であると言えます。  この法案は、憲法や子どもの権利条約が定める適正手続保障や少年の健全に成長する権利を軽視し、少年に対する必罰化、厳罰化に大きく傾斜しています。特に、検察官の抗告受理申し立て権は問題です。検察官が抗告受理の申し立てをした場合に、高裁が二週間で判断するには無理がありますから、事実上、すべて一たんは受理することになるでしょう。つまり、実質的には検察官に抗告権を与えることと同一です。そして、不服申し立ての理由としての事実誤認の内容には、犯罪事実に限らず、犯行の動機、態様及び犯行後の状況など、少年処遇決定に関係する事実も含まれています。これにより、検察官は、家裁の保護処分決定に対しても不服申し立てをすることが可能になります。その結果、教育、福祉優先という少年法の理念が大きく変更していく危険性が高くなっています。  第四に、被害者の権利保障が不十分であることを指摘します。  犯罪被害者の権利の回復、救済、支援は、緊急かつ重大な課題です。被害者への心理的支援や法的、経済的援助を含む総合的支援システムの法制化が急がれています。このことは少年法改正で実現できることではありません。速やかに犯罪被害者基本法を制定すべきです。  ただし、少年手続においても改革すべきことはあります。捜査段階から被害者へ情報を提供すること、捜査段階から被害者意見表明の機会を与え、その意見を記録することを捜査機関に義務づけること、さらには、少年被害者の被害の実情に正面から向き合い、反省を深めるために、事案によっては被害者少年が直接対話する協議制度を導入することなどを進めるべきであります。被害者の権利保障と少年の権利保障は両者とも確立されなければなりません。  以上、主要な問題点を幾つか指摘いたしました。日弁連は、今回の法案について抜本的な再検討を強く求めています。そして今、法改正よりも先に求められていることは、少年法の理念を徹底する少年法制を実現するために、家庭裁判所裁判官、調査官及び少年院教官、保護観察官など、少年司法に関係する諸機関の人員を大幅に拡充することです。あわせて、家庭、学校、地域が子供のSOSを早期に正面から受けとめて救済すること、そして、国がこれらの救済活動を支援する態勢を緊急に整備することが求められています。  少年法は、我が国子供施策の基本理念を示しているという意味で、教育基本法と並ぶ基本法です。これだけ重要な法案を何ゆえわずか数週間の審議で成立させようとするのでしょうか。二十一世紀を迎えようとするこの時期、私たち大人は、新しい世紀を担う子供たちに最善の利益を与える責務があります。国会におかれましては、世紀の恥辱との指摘を受けることのないよう、あらゆる角度から十分慎重に徹底的な審議を尽くされるよう切望いたしまして、私の意見とさせていただきます。  ありがとうございました。(拍手)
  128. 横内正明

    横内委員長代理 ありがとうございました。  次に、寺尾参考人にお願いいたします。
  129. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 寺尾でございます。  私は、ことしの三月末まで、三十八年間家庭裁判所調査官をしておりました。そのうちの三十五年は少年係の調査官でございました。したがって、三十五年間非行を犯した少年とかかわってきたということになります。そういう経験を通じて私が考えていることをちょっとお話をしたいと思います。  非行少年の問題だとかあるいは少年法の問題を論ずるときに一番大事なことは、これは何といっても子供の実像、子供の姿をきちっとつかまえるということが出発点でございます。子供は非常にいろいろな子供がいまして、個人差もありますし、表面的にはわからないいろいろな内面を持っております。そういう子供たちの姿をきちっととらえないで、ただ一部の少年の姿だけを非行少年だとして議論していきますと、最終的には、机上の空論といいますか、机上の法律論だけで、現実の子供たちとはかけ離れた議論になってしまうのではないかというふうに思います。ぜひ先生方には子供たちの姿をよく見ていただきたいというのが私の願いです。  子供は日々変化し、成長し、発達している過程にあります。特に、子供たちの置かれた状況というのは、思春期という大変な時期を過ごしているわけでございまして、これは完成された大人の場合とは全く異なる状況にあります。それはぜひまず前提として考えなければならないことだというふうに私は思っております。やった事件の結果の大きさとか、大人と同じようだということだけに着目して、そこで大人の物差しをそのまま当てはめて論ずるということになりますと、それは子供にとっては大変不幸なことになるというのが、私の長い間の経験の結論でございます。  そういう子供たちの更生を考えたときに、その出発点になるのはどういうことかと申しますと、これは結局、その非行を通じて子供自分のしたことを省み、自分を省み、そして、被害者に対して本当に心の底から申しわけなかったという気持ちが生まれてくるところから更生というものが始まるわけでございます。ですから、私どもが今までやってきましたことは、調査の段階におきましても、あるいは審判の段階におきましても、常にそういうことを念頭に置いて仕事をしてまいっているわけでございます。  何か一部には、保護という名のもとに、自分のやった罪に直面させるということなしに、早く忘れて立ち直れというような指導をしているというようなことをおっしゃる方がございますが、そんなことはございません。それは誤りでございます。家庭裁判所では、そういうようなことではなくて、きちんと立ち向かって自分を考えていく、被害者のことを考えていくという指導は、これはもう日常的にしていることでございます。ただ、それは非常に難しいことでございます、時間のかかることでございます。そう簡単にできない。ちょっと子供をおどしたりショックを与えたりすることでそれができるかというと、そういうことではないのですね。  それはなぜか。それは、大部分の非行をする子供たちが、成長の中で、自分たちが一人の人間として認められたことがない、だれからも愛されたことがない、だれも自分の話を聞いてくれなかった、そういう子供たちがほとんどです。したがって、非常に強い人間不信といいますか、大人に対する不信感、人間に対する不信感、それに凝り固まったような子供たちです。そういうような子供たちに、人間に対する信頼を取り戻して、自分が決してだめな人間ではない、これから生きていける人間なのだということを思い起こさせ、そして被害者の気持ちをわからせるということが大事なことでございます。ただ、それには大変な時間がかかる。裁判所だけでなくて、矯正機関でもずっと長いことそれをやっていかなければならないということでございます。そういう子供たちに、ただ苦しみだとか痛みだけを与えて反省しろというのは、これは基本的に間違いだろうと私は思っております。  とにかく、そういう子供たちの言い分をしっかり耳を傾けて聞くというところから出発しなければならない。そういう機会を少年審判少年処遇の中でしっかりと押さえておかないと、これはほかのどんな方法をもってしてもできないだろうというふうに思っております。鑑別所に入った子供が、生まれて初めて自分の話をこんなに長いこと聞いてもらった、自分のことを真剣に審判で聞いてもらった裁判官に出会ったというようなことがよくございます。そういうことが大事だと私は思っております。     〔横内委員長代理退席、委員長着席〕  非行少年の問題というのは、突出した非行少年がいたら、その子だけの問題ではなくて、その背後には、程度の差はあれ、同じような問題を抱えた子供がたくさんいます。つまり、子供全体の問題だということでございます。  そしてまた、同時にそれは大人の問題でもあります。大人がつくり上げた社会の中で、そのひずみを子供非行という形で出しているという意味で、子供には非常に鮮明にそれがあらわれた、大人の問題だということでございます。  そういうような視点から、今回の改正案について、時間がないので二点だけお話をさせていただきます。  刑事処分可能年齢を引き下げて十四歳からにするというのがございます。これは中学二年生の年齢です。四月生まれの子に関していえば、中学二年生になった途端にその年齢になります。皆様方の子供さんだとか御自身のことだとかお孫さんのことを思い浮かべていただきたいと思いますが、思春期の初期の子供たちの非常に不安定な時期でございます。理屈を言ったりあるいは感情的にいろいろ、いらいらしたりする、そういう時期でございます。一年間に十センチ以上も身長が伸びるような子供たちです。そういう子供たち、それは理屈では一応悪いことをしたということがわかる。だけれども、そういう意味で責任を追及できるということはあっても、それが直ちに大人処遇を受け入れるだけの状態になっているかどうかという視点で考えれば、それはそういうふうにはつながらないわけです。  今の少年法が十四歳と十六歳の二つに分けて年齢を決めている。ダブルスタンダードだといって非難をされますが、それは決してそうではなくて、大変意味のあることだというふうに私は思っております。  少年法は甘いから今のうちに悪いことをしておこうといって非行をする子供たちに規範意識を持たせる効果があるんだという議論をなさる方もいらっしゃいます。しかし、私は今までそういう子供たちに会ったことがございません。子供たち非行をするときには、自分感情のコントロールができなくなって、もうやむにやまれぬ状態の中でやってしまう。後先のことは何も考えない。計画的に見えるような犯罪であっても、つまり、そのときに非常に袋小路に入り込んで、もうほかのことが見えないような状態の中でやるというようなことでございますから、後になって、しばらくたって、自分は一体何であんなことをしてしまったんだろう、あんなばかなことをどうしてしたのかなというふうに言う子供がほとんどです。最初から、自分は捕まっても刑罰を受けないぞというようなことを考えて事件を起こすなどという子供は、私は今まで一度もお目にかかったことがありません。  そういう子供たちを法廷に立たせて、法廷で勝つか負けるか、負けるなら情状酌量をといったような場面に置くというようなことが果たして子供にとっていいことだろうか、難しい言葉のやりとりの中で子供がそこで本当に自分のことを考えるだろうか、そういうことをぜひ想像していただきたいというふうに思います。しかも、その結果として長期間刑務所に入れる。刑務所に入れて一体何をするのだろうか。刑務所に入れて、そこで十四歳からの子供たちがどんな教育を受けるんだろうか、受けられるんだろうかというふうに考えますと、私は、この十四歳への引き下げということは到底賛成することはできないということでございます。  それからもう一つ、十六歳以上の少年について、故意に死に至らしめるような事件について原則逆送というようなことがございます。これは、今まで原則保護処分というような今の少年法を、根底から百八十度覆すようなことでございます。  原則保護処分から原則逆送というようなことになりますと、これは今までやってきた現在の少年法のやり方をすっかり変えることになるだろう。この事件は少ないから、こういうことは余りないから影響はないとおっしゃる方がいますが、こういう制度ができるということで、これはほかの事件に大きな影響を与える、調査官の意識、裁判官の意識を大きく変えるだろうと思います。  現場でいろいろやってきた感じでは、原則逆送となれば、これはもう原則逆送になるんです。最終的に裁判所が決定するから選択の幅が広がるだろうというようなことをおっしゃる方がいますが、そんなことはありません。絶対にないと私は思います。やはりそれは、選択の幅が極端に狭くなるということになるだろうと思います。  少年審判の一番大事なところは、審判を通じて、つまり少年一人をどうするかということで調査官が悩み、裁判官が悩み、付添人がいれば付添人が悩む、悩んだ結果で結論を出していく、そこが非常に大事なことです。しかし、こういう制度ができれば、裁判官は悩まなくなります。調査官も多分悩まなくなるでしょう。そういうような審判が果たして望ましいことかどうか。少年院に行った少年が後になって、私はあのときに、裁判官が非常に悩んだ末にこういう決定をしてくれた、それはそのときは恨んだけれども、今は本当に感謝している、そういうようなことを言う子供はたくさんいます。私は、そういうことが非常に大事だというふうに思っております。言いわけだとか反発だとか、法廷でそういうことしか考えなかったという少年も、私は後で手紙をもらったことがございます。そういうことで本当にプラスになることがあるだろうかというふうに思うわけです。  そのほかいろいろございますが、今の少年法をもっと充実させて、その中で新しいいろいろな試みをするとか、そういう余地がまだまだあるのではなかろうか。捜査の問題も処遇の問題ももっと議論する必要があるし、軽微事件の扱い、特に、現在、既に一般事件の四十数%になっている簡易送致の問題などは非常に大きな問題だと私は思います。早いうちに非行のサインを見逃すなといいながら、軽微な事件についてはほとんどきちんとした処遇がされないというようなところも、もっと議論をする必要がある。  そこで、調査官あるいは裁判官は今、めちゃくちゃに忙しい状況にあります。いろいろなことを考える余裕もないような生活を送っております。そういう職員をきちっと手当てする、矯正の現場の職員も手当てをするというようなことがまず先でありますし、その中で被害者の問題も、今まで本当になおざりにしてきた問題をみんなで考えていくというようなことが必要ではなかろうか。  今そういうことをせずに、この段階ですぐに少年法改正して、非行少年はもう大人の世界から向こう側へ追いやってしまえというようなことをもしするとするならば、大人が責任逃れをして、おまえたちの責任だといって子供たちをただただ追いやるにすぎない結果になる、そこからは何も生まれてこないというふうに私は思います。  せっかく議論が始まったところで、まだまだ現場の人の声をもっともっと聞いていただいて、時間をかけて少年法を議論していく。決して大急ぎで結論を出すようなことがあってはならないというふうに思います。ぜひ先生方にはそういう立場でお考えいただきたいというふうに考えております。  どうもありがとうございました。(拍手)
  130. 長勢甚遠

    長勢委員長 ありがとうございました。  次に、岡崎参考人にお願いいたします。
  131. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 茨城の牛久の方から参りました岡崎と申します。  私の息子は、平成十年十月八日、当時中学三年生でしたけれども、学校の近くの林道に同級生に連れ込まれて暴行を受けて、結果的には亡くなりました。今まで、少年審判を含めまして、息子の存在や人権、これらはすべて無視し続けられてきました。  ここでちょっと皆様に、私の息子がどんな子だったのかということを少し思い浮かべていただきたいと思いまして、今お配りした資料を見ていただきたいと思います。「岡崎哲の命のことば」というふうに書いております。  一ページ目は、横浜にお住まいの書道家の方がお手紙を寄せてくれました。  めくっていただきますと、左の方ですけれども、事件当日の二時間目の時間、これは道徳の時間だったのですが、そのときの感想文の中に書かれていた言葉です。「両親にとっては僕の誕生はこの上ない喜びだっただろう 自分の命を大切にして生きていきたいです」命のとうとさと大切なことを十分わきまえていた子供だったというふうに思っております。  次をめくっていただきますと、これが生前の私の息子でございます。  それから次のページに、これは、司法解剖から自宅に連れて帰ってきたときに、何かがおかしいという思いで私が撮った遺体の写真です。学校も警察も、事件当時から一対一の素手によるけんかというふうに言い続けてきておりますけれども、この写真を見ていただいて、本当に素手による傷でしょうか。  あと、いろいろ資料を用意しておりまして、次からはその資料に沿いながら御説明申し上げたいと思っておったんですが、実はほかの資料はやはりこの場では出さない方がいいんじゃないかという判断がございまして、私の説明だけになって、その証拠となるものを皆様のお手元にお配りできないのが残念でございます。言葉だけでちょっと説明させていただきます。  この私の息子の事件でどのような事実認定がされていったかということにつきまして、触れておきたいと思います。  少年事件送致書とかその辺のところに、身内かばいあるいは被害者に対する偏見というものがたくさん記載されております。一つ目は、事件当日の夜ですね、犯罪事実という物語がもうつくられております。この少年事件送致をするときに、それに付加されまして、情状に関する意見ということで、父と兄が警察官という環境で今後の少年の立ち直りの観護が十分に期待できる、こういうのが事件の二日後に追加されております。こういう犯罪事実がこの後もずっと続いてまいります。ですから、犯罪事実に合わない証拠は切り捨てていく、事実に合ったものだけを証拠として残していく、そういう形で事実認定が進んでおります。  我々の一番大事な証人というふうに思っております近所の方ですけれども、事件が起こる数秒とかあるいは数分前に、四、五人の子供たちが先に入っていって先回りをしている、それで、あっちへ行ったぞ、こっちへ行ったぞと追いかけ回す声を聞いております。警察は現場検証のときにこの方を呼んでいろいろ話を聞いているわけですけれども、この方の供述調書は一切ございません。  それから、私の息子は小学校から中学校を含めましてずっとサッカーをやっていたんですが、そのときに、中学校に入りまして、正義感賞ですとか、あるいは牛久市の教育長から市内小中学生の模範であるという形でスポーツ賞などももらっております。  あと、ここに添付させていただけないのは残念なんですが、運ばれた救急病院のカルテに一対一のけんか、それから病院でつくられた死体検案書、ここにもなぜか一対一のけんか、そういう形で書かれているんです。  余りにも異常なために、実際には次の日に筑波大で解剖されましたけれども、解剖医に頼みまして、本当のところの死体検案書をつくってほしいというお願いをしてできたものは、当初は外傷性クモ膜下出血ということになっておりましたが、腹部への外力による神経性ショック死という形の死体検案書が出てきております。  それから、この腹部への外力、これがどの程度のものだったかということを示すために大変重要だと思われる、たくさんの血尿がついた下着があるんですけれども、これを、意図的かどうかはわかりませんが、鑑定医には一切提出しておりません。ただし、当日の下着類、衣類の領置報告書には、そういうことが書かれております。白色ブリーフには血痕様のものが付着していることが認められる。それから、茨城県科学捜査研究所の鑑定書では、下着の血痕、またの部分に顕著な血痕様のものが認められる。これは、茨城県警は治療のときについたものだというふうに言っておりますが、本当に治療のときについたものであれば、この鑑定書にはっきり書けているんじゃないでしょうか。  最後、実況見分調書ということで、アップで写された下着の写真があるんですけれども、その写真を見ていただくと、これは間違いなく血尿だろうということで、実際に私ども、後で出てきます元東京都監察医務院長の上野先生に鑑定をお願いしておるんですけれども、上野先生も、まあ間違いなくこれは血尿だというふうなことを言っていらっしゃいます。  それから、今度、私どもが事件が起こって一週間後ぐらいに警察に呼ばれて事情聴取を受けたわけですけれども、ここで冒頭から、一対一の素手によるけんかでおまえの息子が死んだんだ、この事実はわかるなというふうに強要されまして、私どもがわからないと言いますと、もう本当に五、六回どなり声を上げてやられました。それが事情聴取の始まりでした。その後、加害者に対する今の思いを述べてくれというふうなことを言われたんですが、加害者がだれだかまだよくわからない状態でそのようなことはわかりません、ただし、警察と学校の対応については非常に怒りを感じていますということを言ったんですが、結果的にはその部分はすべてカットされたままで、これに署名しなさいという形で言われました。私どもはやはり納得できませんでしたので署名も押印もしないまま帰ってきましたけれども、その署名押印のないものが立派に証拠として家裁の方に上がっております。  なおかつ、このときの我々の態度が悪かったとか、我々遺族の悪声を殊さらに強調した捜査メモがこれに一緒に添付されていっております。その後も何回か警察とお話をする機会があったのですが、必ず我々のそのときの態度なり言葉なり、ひどいことを言ったとか、保険金目当てでやっているんじゃないかだとか、そういう捜査メモが必ず裏についてペアで進んでいく、そういう形になっております。  それからもう一つ、この事件で検察はどういうことをしてくれたのか。私は事件が起こったときに、私たちの味方は検察だけしかないなという思いがありました。ただ、検察は一切我々に対して何もやってくれませんでした。  ただし、ここに一つ証拠としてあるのは、捜査メモというのがあるんです。土浦支部の捜査メモ。いつ、だれがつくったのかも全然わからないメモです。これが家裁の証拠としてちゃんと上がっていっております。  済みません、ちょっと言い忘れたことがございまして戻りますけれども、私の息子は、事件が起こって十カ月と、異例の長さで少年審判が終わったんですけれども、結果は保護観察、その間に死因が四回も変わっております。  解剖してくれた筑波大の先生によりますと、右下腹部に相当な外力が入ってそのために神経性ショック死をしたんだ、こういうことだったんですが、その後、我々は全然知らなかったんですけれども、家庭裁判所で再鑑定をやっておりまして、これが、うちの息子は小さいときから重篤な心臓病を持っていた、そのためにけんかのときの興奮で自分で死んでいったんだ、暴行で死んだんじゃない、病名はストレス心筋症。まだこれは人間の症例にはないというふうに医学的には言われております。  そういう形のものが少年審判でどんどんやられておりまして、やはり真実を追求、何が真実なのかがわからないという思いがございましたので、その両鑑定書と息子の衣類を持って元東京都監察医務院長であった上野正彦先生のところに鑑定をしてほしいというふうにお願いをしましてできたものがこちらにあるんですが、やはり心筋症があったかもしれない、でも、あっても死ぬことは絶対ないと。やはり下着の血は右下腹部に受けた外力の強さを顕著にあらわしている、間違いなくそこが死因につながったんだろうという結果が出ています。  それから、最後の鑑定でございますけれども、これは名前を申していいのかよく私も判断できませんが、日本の権威だということでございます、帝京大学におります石山いく夫という先生が最後の再鑑定をしています。私の息子の臓器とそれから筑波大に残っているパラフィンブロックというのですか、標本を持っていって、その先生がやったということです。ストレス心筋症という形になっておりますが、心臓がそれほど悪いのであれば、小学一年生のときに全国の中学生は必ず心電図をとるはずです。ですけれども、この心電図すら警察は鑑定に見せていない。警察は学校が提出しなかったというふうに言っていますが、だれでもわかることじゃないでしょうか。  このような形で、私の息子の事件は、少年審判は昨年八月二十五日に終わったわけですけれども、やはり息子がどういうふうにして亡くなっていったのか、私どもには真実が全然わかりません。ですから、今現在、私は三つの民事訴訟を起こして、何があったのかを、真実を追求していきたいという思いで今行っております。  この事件を通してわかったことは、やはり少年事件で事実認定が余りにもずさんだという思いです。これは私だけではなくて、いろいろ今情報交換している方たちもいます、その方々の話を聞きましてもやはり、うちもそうだ、私のところもそうだということで、余りにもひどい事実認定の実態があるようです。  これはやはり、被害者の人権や権利が事実認定や裁判においても全く認められていないということから起こる弊害じゃないかというふうに思います。加害者の少年たちも我々被害者と向き合って、真摯な形で、そういうことがない限り本当の真摯な形での更生というのはあり得ないのじゃないのかなというふうに思っております。この国の子供たちをこの国の大人は本当に愛していないのじゃないのかなという思いがいっぱいです。  最後になりますけれども、これは妻からのお願いなんですが、少年事件によって最愛の子供を亡くした多くのお母さん方がいらっしゃいます。ぜひそのお母さん方の声を拾い上げていただいて、早急に少年法改正するのではなくて、じっくり検討していっていただきたいと思います。  ありがとうございました。(拍手)
  132. 長勢甚遠

    長勢委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  133. 長勢甚遠

    長勢委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。枝野幸男君。
  134. 枝野幸男

    枝野委員 民主党の枝野でございます。参考人の皆さんには、きょうはお時間をつくっていただいて、貴重な御意見をどうもありがとうございます。  まず岡崎さんにお尋ねをしたいというふうに思います。  今のお話を伺いますと、警察、検察の対応そのこと自体が本質的な問題であるんですけれども、少年法とのかかわりで申しますと、大人事件であれば、刑事事件であれば証拠に使われるはずのない、証拠能力のないような、いわばでっち上げの部分も含めた証拠に基づいて審判が行われ、ほかの証拠がある分だけ本来きちんと調べなければならない部分が調べられずに審判が、事実認定がなされていった。そのことがこうした警察の、不十分というべきかいいかげんというべきか、捜査が見過ごされたままの事実認定になったというような流れかなというふうに理解をしたのですが、そんな理解でよろしいのでしょうか。
  135. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 はい。事件当初の調査記録を見ますと、供述調書というのが何通かございます。それは当初だけで、その後の捜査においては捜査記録しかありません。ですから、本当に証拠能力のないものばかりがたくさん家庭裁判所の方に上がっていったものというふうに理解しております。     〔委員長退席、山本(有)委員長代理着席〕
  136. 枝野幸男

    枝野委員 御存じかと思いますが、今回の改正案の中には、事実認定を強化するという意味少年審判検察官を関与させようという案文が入っておりますが、岡崎さんの今回の件の経緯から考えますと、そのことが役に立つとは到底思えない。つまり、今回のようなことが起こらないように事実認定をしっかりするためには役に立たないというふうに私は理解するのですが、そういう理解でよろしいでしょうか。
  137. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 これから検察がそういうことをやってくれるということになるやには聞いておりますけれども、実際にそういう能力あるいは人的パワーが検察にあるのかどうか、私は非常に疑わしいというふうに思っております。
  138. 枝野幸男

    枝野委員 こういうことは当事者の方にお尋ねをするというよりも、お話を承って、広い意味で専門家が考えなければならないことかもしれませんが、今回のこうした経緯を見たときに、どこをどう改めなければいけない、どこをどう改めたらこうしたことが起こらない、防止をする、そういうことにつながっていく、当事者としてであるがゆえに思うところがもしあれば、教えていただきたいというふうに思うのです。
  139. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 私は、今の学校の先生やそれから周りの大人たち、これがこういう事件に対して余りにも責任をとらずに無関心であること、これがやはり一番問題じゃないかというふうに思っております。
  140. 枝野幸男

    枝野委員 今回の少年法の成立はともかくとして、今のような問題が今回の改正でもう決着がついたというふうなことになってしまうのが一番いけないと思っておりますので、我々も可能な限りのことをしたいと思っていますので、今後ともぜひよろしくお願いしたいと思います。  さて、続いて斎藤先生にお尋ねをしたいのでありますが、私は、斎藤先生が今おっしゃられたことは、その限りにおいては同感であります。ただ、考えなければいけないのは、法というものが、刑罰あるいは保護処分というものが、加害少年の更生あるいは少年に対する特別予防、あるいはかなり具体的な意味での一般予防というような意味にとどまるのであるならば、先生のおっしゃられたとおりであるというふうに思っておるのですが、法はそれだけの意味ではないというふうに思っております。  例えば被害者の方のお気持ちということを考えますときに、それは、きょうだけでもお二人の、少年犯人事件被害者の方のお話を伺って、もちろん、刑罰よりもそれ以外のことをという御意見もありますが、その一方で、家族を殺されていながら刑務所にも行かないのかというような思いがあるのもまた事実であります。また、被害者の方に対する経済的、精神的、社会的なフォローというもの、もちろんそれもやらなければならないけれども、本当にそれだけでいいのかどうかということを考えましたときに、私はやはり刑罰に応報という部分があるのは間違いないというふうに思っております。  そのことを考えたときに、少なくとも責任能力がある、少年であるからそれが不十分であるとしても、責任能力が認定をされる年齢少年犯罪であって、しかも命を奪うような犯罪であってというようなケースについて、加害少年の更生ということだけでいいのか、被害者感情あるいは被害者を取り巻く人たち感情というものを考えたときに、それ以上に守らなければならない価値というものがあるのではないのかというふうに思うのですが、いかがでしょうか。
  141. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 被害感情というお話がございました。それは非常に大切なことであると思います。しかし、被害感情の中身をきちっと分析する必要があるのではないかと思います。  私も、少年に我が子を殺された被害者の親の方々とお話し合いをしたことがございます。その中で言われたことは、被害者の方は、真摯な、心からの反省が欲しいんだ、心からの謝罪が欲しいんだというふうに言われました。つまり、罰という言い方よりも、心からのおわびをしてほしいということを言っておりました。心からのおわびをする気持ちにさせるにはどうしたらいいかということをやはり考えなきゃいけないのではないかと思います。もちろん、その前提として経済的な援助精神的な援助をするということも、それは当然のことでありますけれども、総合的な被害者に対する支援をするということは大前提でありますけれども、もう一つ、加害少年から、さらには加害少年の親からも謝罪をしてほしいということであります。  それで、少年に心からの謝罪をさせるにはどうしたらいいかということであります。謝罪には、あるいは罪悪感を持たせるにはいろいろな方法がありますが、重要なのは、処罰恐怖型の罪悪感を持たせて本当の心からのわびができるのかということであります。処罰を恐れるがゆえの謝罪というのは、それはある意味では偽りの、表面的な謝罪ではないでしょうか。真摯に、自分のやったこと、あるいはなぜ自分がそういうことをしてしまったのかということを深いところから考えさせて、初めて心からのおわびができるのだろうと思うのです。それができるにはどうしたらいいかということでありまして、刑罰ではないだろうと思うのです。刑務所に入れることではないだろうと思うのです。  今の少年法の理念は、本当の心からの謝罪をさせるための手当てをしているのだと思うのです。具体的に、ケースワーク機能というのがありまして、少年に対して自分自身のやった行為を見詰めさせるという作業を調査官もやっております、それから鑑別所の職員もやっております。そういう中で、家庭裁判所の裁判官もその努力をしているわけでありますね。少年院矯正教育というのはまさにそこを目指しているわけでありまして、現実に、それが十分かといえば、まだまだ十分ではないと思います。少年院矯正教育はまだまだ改善する余地があると思いますけれども、少なくとも少年法はそれを目指しているということでありまして、そこに刑罰少年法保護処分の、あるいは福祉教育的な処分の違いがあるのだろうというふうに思っているわけです。
  142. 枝野幸男

    枝野委員 先生のお話は、少年であるから可塑性に富んでいるので更生にエネルギーをかけなきゃならない。それは、更生という意味で、犯した犯罪を本当に心から悔い改めるためにはどうしたらいいのかということの意味では非常に理解できます。  しかし、被害者の応報感情、あるいは、これは被害者だけではない、社会全体の応報感情に対してどう対応するかということに対して、今のお答えでしたらば、大人に対しても刑罰を行うのはおかしいということになってしまいませんか。
  143. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 応報感情というものが現にあることは、それは事実でありましょうが、応報感情によって現実に犯罪者をなくせるのかということになりますと、それは別なのです。被害者の方々も、二度とこういうような事件は起こってもらいたくないという気持ちはあります。そのために立ち直ってもらいたいということも言います。その立ち直りのために何が有効なのかということが今問われているわけであります。  応報刑は現実の立ち直りにはマイナスであるということが今さまざまなところで言われておりまして、ドイツでもしかり、イギリスでもしかりです。アメリカでもそれは見直されております。応報によって犯罪の防止につながらない、あるいは犯罪者の立ち直りにつながらないということが今現実に実証的に裏づけられてきているのです。  そういう意味で、観念的に、応報ということによって、被害者の本当に望んでいるところ、そして社会が、一般的な国民が望むところ、それは実現できないだろうと思うのです。そういう意味では、大人犯罪者に対しても応報刑からの見直しが今求められているだろうと思っています。現に、先ほど述べたように、諸外国ではそういう方向になりつつあるということであります。
  144. 枝野幸男

    枝野委員 先生のおっしゃることもわかるのです。世界的な流れとして、更生をさせるためにはどうしたらいいのか。それは、子供であれ、大人であれ、同じように取り組まなきゃならない問題であって、そうした意味で、今の日本の刑務所での処遇、更生への努力というものが若干時代おくれではないかということは私も思います。しかし、刑罰というシステムそのものが要らないのか。要するに、更生をすればいいということだったら、犯した犯罪の重さと刑期とかというものに相関関係が要らなくなってしまいます。  つまり、被害者の皆さんの感情も複雑でありますし、それからいろいろな方がいらっしゃいます。それは、被害者の方の中にも、とにかく例えば同じ少年が、同じ犯罪者が二度と同じような犯罪を犯さないように立ち直ってくれるということで納得ができる、それ以上は望まないという方も少なからずいらっしゃるでしょう。しかし、それと同時に、何よりも、これだけひどいことをやったんだからそれに応じたペナルティーを科すべきだ、そうでなければ気持ちがおさまらないという方も少なからずいるのは現実なわけであります。  そして、刑罰というシステムは、そうした全体のバランスの中で、もちろん、かつては目には目をで、応報というものだけが前面に出て物事が行われていたわけであります。しかし、その両方のバランスをしっかりととっていく。つまり、犯した罪に応じたペナルティーを払わなければ被害者あるいは社会として納得できないという側面と、犯した犯罪者が立ち直るという教育的見地とをバランスをとって進めていってきているというのが現在の刑罰のあり方ではないだろうか。  そうしたときに、少年についても、圧倒的多数の一般的な事例については教育的見地ということが大人以上に大きく出てくる、どうやって立ち直らせるかということが大きく出てくるけれども、少なくとも、被害者の側から理由が理解できない、なぜ自分が殺されなければならないのかということについての理由がない、いわゆる無差別殺人的なもののような、人が亡くなっているような場合に、その犯人少年であるからといって、教育的見地の方だけを見ていいのかどうか。  むしろ、そうしたごく少数の例外的ケースについては、殺された被害者の方全部とは言いません、そうした中に、これだけの罪を犯したのだからきちんとしたペナルティーを払うべきだというような思い、それは被害者だけではなくて、社会全体の中にそうした思いがあるということを正面から見詰めることが必要なのではないかと思うのですけれども、いかがでしょう。
  145. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 被害者の要求それから気持ち、その中の一番大きいと言ってもいいぐらいのものは、特に少年事件について言うと、やはり情報が伝わってこないということであると思います。私どもも、被害者に対して情報を開示する、これはもっともっとしなければいけない、捜査段階からすべきだということを主張しております。  それからもう一つ、少年の権利をきちっと保障していくということと被害者の権利を保障するということは、両立し得ると考えております。  今、余りにも被害者に対する権利保障が手薄である、ないに等しい、これはひど過ぎるということは私ども実感しております。それは経済的にもそうです。さらには精神的な手当てもそうです。そして法的な援助もそうです。私どもは、被害者に対してなぜ国選代理人をつけないのかというふうに思います。そして、犯罪被害者等給付金支給法、これは余りにも金額的にも低過ぎます。死亡事件でも、自賠責保険の金額の三分の一しかない。かつ、要件が大変厳しい。このような法律は一日も早く改正すべきだろうというふうに思っています。そういう意味で、被害者に対する総合的な支援、犯罪被害者の権利基本法を早急につくるべきだ。これなしに少年の権利だけを言うことは私はできないと思っているのです。  それは死刑廃止論でも一緒です。私は、死刑は廃止すべきだと思います。しかし、死刑廃止論を言う以上は、被害者に対する手当てを徹底的にする。それを両立させない限りはそれは不可能に近いだろうというふうに思っているのです。  そういう意味で、これは同じことです。私どもは少年の権利を守れと言います。それと同時に、被害者の権利を改めてもう一度国会で徹底的に議論をして、そのための手当てを十分に尽くす、それをやっていただきたいというふうに思います。
  146. 枝野幸男

    枝野委員 ありがとうございます。意見は違っているようですけれども、一つ一致をするのは、御承知のとおり、我々も犯罪被害者基本法を前の国会で提案しましたが、廃案にされております。先ほどの話と全く一緒ですが、この少年法が成立をしたことによって、そのほかの話が一件落着で全部済まされてしまうということになるとすれば、今回の法改正は何が何でもとめなければいけないというふうに思います。  もちろん、先ほどの岡崎さんのような問題についてどうするか、犯罪被害者の皆さん全体に対しての情報提供からケアの問題からどうするか、あるいは子供たちの環境そのものをどうするかというようなこと、トータルのことも同時に順次やっていくということの中では、私は、ごく少数であるけれども、大変被害感情という点から考えて許されないケースについては、責任能力がある以上はペナルティーという形のものを払うべきだというふうに思うということを申し上げて、終わらせていただきます。  どうもお三人、ありがとうございました。
  147. 山本有二

    ○山本(有)委員長代理 藤島正之君。
  148. 藤島正之

    ○藤島委員 自由党の藤島でございます。きょうは本当に御苦労さまでございます。  まず最初に、哲君の御冥福をお祈りしたいと思います。  先ほど、遺体の写真が配られた、これを見まして、本当に痛々しいわけでありまして、そのときの御本人の非常な恐怖感といいますか、非常に残念な気持ちというのはいかばかりかと推測するわけでございますし、また、御両親も本当に後で見て何とも言えない怒りが込み上げてくるんだろうというふうに、本当に私も何か涙が出てくるような感じがしているわけでございます。やはり国家権力といいますか、捜査当局というのは特に公平、公正でなければならないということは本当にもっともなことだと私は思うわけでございまして、先ほどの御説明を伺った限りでは、確かに何となく疑念が入るような、そんな感じが実はしております。  今回、先ほどもちょっと議論がありましたけれども、検察官の立ち会いということで、三者の構造にすることによって、これも多少はそういった面では貢献できるんじゃないかなという感じがしております。要は、そこは事実認定をしっかりやるということだろうというふうに考えておるわけでございます。  いずれにしましても、哲君の御冥福をお祈りして、御両親も心を丈夫に持って頑張っていただきたい、こう思うわけでございます。  さて次に、斎藤さんにちょっとお伺いしたいのです。  斎藤さんはいろいろな点御発言なさっていますけれども、今の件と同じような点、捜査が不十分で事実が争いになる、こういう点で、ビデオとか録音とか、こういうのを使うのも一つの方法だというような点、あるいは犯罪被害者に対するもう少し前向きな方法を考えるべきだ、この辺も私は基本的には確かに同じような考えなんですけれども、その他の点については、どうもずっと、厳罰化は逆行だとか、再犯をむしろ助長するとか、あるいは、自分は死んでもいいというふうに考えているような子供厳罰へ向かっても何の役にも立たないんだというようなことをおっしゃっています。  それはそれで、そういう面もあるとは思いますけれども、そうしますと、斎藤さんは、少年法に関して今のままでいいのかどうか、あるいは、それじゃ現状をどう変えたらいいのか、その辺のことをお伺いしたいと思います。
  149. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 先ほどもお話ししましたけれども、私どもの発想ですと、まず、今やれることはまだまだたくさんあるからそれをやったらどうかというのが大前提であります。つまり、調査官の増員それから保護観察官の増員、もちろん裁判官の増員もあります。少年院の教官の増員。そういう中で丁寧な少年法の運用ができるはずです。まだまだやろうと思えばできる。その中で多くの問題が解決していく余地があるということを申し上げておるわけですね。  二番目に、法を改正することは一切必要ないと考えているのかということになれば、そうは考えていないのです。  私ども弁護士立場でいいますと、今の少年法は、子供の権利の保障という観点が弱いというふうに思います。中でも弁護士援助の観点が弱いのです。大人の刑事裁判においては、御承知のとおり、国選弁護人制度というのがあります。刑事裁判の場合には、起訴された大人に必ず国が国の費用で弁護士をつけている。ところが、少年審判にはそれがないのです。殺人の事件を犯した少年ですら、三割ないし四割の子供弁護士抜きで審判を受けているわけであります。これは、アメリカの記者などに話すとびっくりいたします。そんなことあり得るのかと言う。  つまり、そういう意味で、まず捜査の段階から弁護士援助をつけるべきだというふうに思います。というのは、大人以上に子供はさまざまな面で防御する力が弱いのです。そういう意味では、法的な援助というのは必要だ。そこはやはり改めるべきだというふうに主張したいと思います。  それから、審判の手続においても、はっきり申し上げて、職権主義構造のもとでももっと子供の側からの権利というものを考えてもよろしいのではないか。例えば、証拠調べ請求権というのが全く書かれていないのですね。ですから、事実関係を争う場合において、この証人を調べてくださいということを言っても、それは権利じゃありませんから、裁判所は受け付けないことは自由なのです。  草加事件というケースがありました。このケースでも、少年の側からは、何とかこの人を調べてください、あるいは鑑定もしてくださいということも言っているわけですけれども、一切家庭裁判所はしなかったのですね。そういう意味で、もう少し子供の権利というものを少年法の中に明記するべきではないかというふうに思っております。     〔山本(有)委員長代理退席、委員長着席〕
  150. 藤島正之

    ○藤島委員 今おっしゃった点は、確かにそういう面はあろうかというふうに思います。ただ、先ほど岡崎さんの方からもお話がありましたけれども、被害者の方にも弁護士を国選でつけるといった分野ですね、少年の方も確かにそういう不十分なものはあるかもしれませんけれども、私は、被害者立場というのをやはりこれから十分考えていかなきゃいかぬなという感じは実はしております。  それから、寺尾さんにちょっとお伺いしますけれども、先ほど、子供の実像をとらえるべきであって、机上の法律論じゃいかぬのだというようなことをおっしゃっていたのですが、それにはどういうふうなことがいいのでしょうか。
  151. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 今現実に裁判所で仕事をしている人たち、あるいは保護観察所で働いている人たち、それから少年院のような矯正の施設で働いている方々、あるいは補導委託先の主管の方とか、そういう中にいる子供たちとか、そういう人たちにぜひお会いいただいて、生の声を聞いていただきたいというふうに思うのですね。  実際にこういうところでお話しされる方は、現場で毎日毎日苦労してやっている方とちょっと違う感覚にどうしてもならざるを得ないだろうと思うのです。身柄を毎日毎日預かって見ている人たち、あるいはその中にいる子供たちというのは、やはり外でその辺に、コンビニや何かの前にたむろして、おやじうるせえとかなんとか言っているような子供とは内面的なものは違うものを出してくるはずです。そういうものをぜひ見ていただきたいし聞いていただきたい。そういうところから実際の子供たちの姿というものを知っていただきたいというふうに思います。
  152. 藤島正之

    ○藤島委員 そのほか、現在の案になっております十六歳から十四歳に引き下げる案とか、あるいは十六歳以上の逆送の問題には反対だ、こういうふうにおっしゃっています。そのほかにも、いろいろな工夫、捜査のあり方を工夫するとか職員の処遇を工夫したらどうかとか、あるいは少年を追いやってはだめだというような部分とか、いろいろな御意見、わかるところもあるわけでございますけれども、要するに、今までのやり方でいいと思われておりましょうか、あるいは、その運用面だけじゃなくて、もっと根本的に法律にさわって改善した方がいい、こう思われる点がおありでしょうか。
  153. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 私は、基本的なところは、今の少年法を根本から変える必要はないというふうに思っております。  ただ、先ほど来出ております被害者の問題、これを少年法とどういうふうに結びつけていくかというようなところの研究だとか、あるいは今の少年法の中で実際に運用でどういうふうに行われているかという、例えば、ちょっと申し上げますと、今子供たちの、小さなサインを見逃すなということを盛んに言われます。小さいサインがあったはずだ、それを見逃しちゃったから突然ぱかんと大きいのが出てきて、突発型の非行だというふうに言われる。こういうふうにしばしば言われておりますが、実際に私どもが調査に当たると、確かに家庭裁判所に来るのは初めてだ、ところが、いろいろ聞いてみると、前にいわゆるサインというようなものがたくさんあって、それが見過ごされてきたり、実際は警察にそのときに行っているんだけれども事件にならなかったりということがたくさんあるわけです。  例えば、先ほどちょっと申しましたが、今、簡易送致事件が一般事件のうちの四十数%になっていると思います。つまり、簡易送致というのは、警察が非常に簡易な送致書をつくって裁判所に送致してくる、それは原則として裁判所は何もしないで不開始にするということになっております。これは、昭和四十年ごろは五・何%ぐらいじゃなかったかと思います。それがどんどんふえまして、いつの間にかもう四十数%になってしまった。そういう問題は非常に大きな問題だと私は思うのですね。しかも、家庭裁判所で扱う扱い方の中に簡易な処理の手続というのがございまして、書面だけで審判不開始にするというようなものもございます。  それはなぜか。なぜそうなったか。実際に調査官の数が少なくて、一つ一つの事件をやることができないからなんですね。それをきちっとやろうとすると、とてもほかの事件がきちんとできなくなっちゃう。だから、今私ははっきりした統計は申し上げられませんが、一般事件のうちの半分ぐらいはそういう簡易な手続でおしまいになっているのじゃなかろうか。そういうのを後になって見ますと、万引きであったりオートバイ盗であったりしますけれども、そのときにもっときちんと調査をして手当てをしていればもっと何とかなったのじゃないかというようなケースがたくさんございます。  調査官がどうしてそんなに少なくなっちゃっているのかということを申し上げますと、調査官は全国で現在千五百二十八ぐらいの定員じゃないかと思いますが、昭和六十年ごろの千五百二十三という定員がずっと同じ数のまま来まして、ことしたしか五増員になったと思います。調査官仕事は家事部と少年部とございますから、家事部の方に配置されている調査官もいるわけですが、ひところから、少年調査官を減らして、家事シフトということで家事の方にずっと回すというようなことをいたしました。少年を担当する調査官の数がだんだん少なくなった。しかも、調査官でありながら事務局に出ていくという数がどんどんふえまして、今多分六十ぐらいは事務局に出ている。つまり、調査官でありながら調査をしないというような調査官がいる。  したがって、少年係の調査官が、現場で実際にやる数が非常に少なくなってしまった。裁判官も非常に忙しいというようなことで、本当にきちっとした仕事をするには十分な数がいないというのが現実です。  そういうようなことをやはりもっときちっと一つ一つやっていく、そういう中でいろいろな新しい工夫がまだまだできるのではないかと私は思っております。そういうようなことが考えられなければならないというふうに思います。
  154. 藤島正之

    ○藤島委員 いずれにしても、岡崎さんのケースのように、被害者も一人の少年なんですね。加害者も少年で、加害者の更生というのは大事なことだと思いますけれども、きょうはその辺の、被害者少年であり、被害者の方の立場もよく考えなければいかぬなということを感じさせていただいて、終わりにします。  ありがとうございました。
  155. 長勢甚遠

  156. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫です。  三人の参考人の皆さんには、大変貴重な御意見、ありがとうございました。  私は、犯罪事実、非行事実の厳正な認定というのは少年審判事件においても基本だと思っています。少年審判手続において事実が正しく認定されなければ、それは少年立場からいっても冤罪という問題があるわけです。草加事件がそうでした。真実が正しくそこで出てこなければ、岡崎参考人から本当に大変なお話をお聞きいたしましたが、これは被害者立場に立っても何とも許すことのできないことだと思いますし、少年法の基本理念である、少年が本当に更生する、そして立ち直るという前提として、みずからやったことを真っ正面から受けとめる、大変なことだと思うのですね、みずからやった大変な犯罪に真っ正面から向き合う、そのことなしに真摯な反省など生まれるはずがない。更生、立ち直る前提だと思うのですね。  ですから、日本共産党はそういう立場に立って、今回初めて、少年審判手続においても検察官の関与について全面否定という立場には立たない、一定の重大事件であり、事実関係について疑義がある場合は、事実認定手続に限って検察官の関与を認める方向で検討すべきだという立場を打ち出したわけであります。もちろん私どもは、抗告権は認めるつもりは全くありません。  この私どもの立場に対して、それでは少年法保護理念が崩される、反対だという声も私にもたくさん寄せられております。しかし、私どもは、先ほど言ったような立場から、真実がきちっと出ることが少年事件のあらゆる側面から見ても前提だという立場に立って物を考えていきたいと思います。  そういう立場から、最初に岡崎参考人からお聞きしたいのですが、そのためにも、犯罪被害者の側が単なる捜査の一手段などとして扱われてはならない、当事者としての立場から、被害者立場から、真実がきちっと出るように、そういう仕組みをつくり出していくということは大変大事だろうと思います。そして私は、そのためにも、まず何よりも、どんな捜査が行われ、少年事件がどういう状況に今立ち至っているのか、被害者側が知ることが前提だと思います。  それで、昨日当委員会質疑で、今回、少年審判の決定が出たときはその決定を被害者側に通知されるという法案でありますが、こんなものは不十分だ、まず捜査の段階、少なくとも警察が検察に事件を送検する段階、検察が家庭裁判所事件を送致する段階、家庭裁判所において審判開始決定が出される段階、それぞれの節目節目でその処分決定が被害者側に伝えられることが基本ではないか、そういうことが伝えられなければ、今回与党案で被害者側から審判手続において意見を述べる権利が与えられたけれども、何にも知らされなければ意見を述べる機会だってやり過ごしてしまうではないかという主張をしたわけであります。  そんな立場から岡崎参考人に、今回の一連の事件で、警察から検察への送検の段階で、検察から裁判所への事件の送致の段階で、家庭裁判所での審判開始決定の段階で、それぞれ大事な決定の段階で、きちっとした一定の事実の通知というのは岡崎さんの方にはなされたでしょうか。
  157. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 まず、警察での捜査の段階ですけれども、やはり何があったのか親は早く知りたいという思いで、警察にも足を運び、電話で何度も問い合わせしました。一切教えてもらえませんでした。最後に言われた言葉が、家庭裁判所に記録を送ったので後は関係ない、家庭裁判所に行って聞いてくれということでございました。  当然、警察から検察に送致する、あるいはしたということも一切ありませんし、それから、検察から家庭裁判所に送致したということも一切ありません。いつ審判があるのか、あるいは結果的には審判がいつ行われて最終審判がどういう結果になったのか、これも一切私どもにはわからない状態です。
  158. 木島日出夫

    ○木島委員 斎藤参考人にお聞きしたいんですが、少年審判手続で事実が厳正に認定されるというのはやはり少年審判の前提だと思うんですね。そのための大前提として、捜査が適正、厳正に行われるというのが大前提だと思う。  今、加害者の冤罪の問題が叫ばれていますが、最近は被害者側から逆冤罪という言葉も出ているわけなんですね、正しい事実が出ていないじゃないかと。それを防ぐ根本は、まず警察と検察が真実を厳正、適正に捜査を遂げることだ。そのためにも、冤罪も防ぎ、逆冤罪も防ぐためにも、斎藤さんから言われたように、確かに少年の方にも弁護人が捜査の段階でも必要ですし、被害者の側にも弁護人がついて、一定の事実が知らされ、被害者としてのこれが真実じゃないかという申し出、証拠などをどんどん出す状況をつくっていくことが必要だと思うんですね、審判の前提として。積み上げられた送致事実が真実でなければもう全くナンセンスですから、そんなところに検察官だけ関与したって真実が出るわけないんですから、それが大事だと思うんです。賛同していただけるかと思うんですが、日弁連としてどう考えますか。
  159. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 おっしゃるとおり、まさに事実認定を適正にするということは日弁連としても全く異論がないのですね。そのために何をするかということで、捜査の段階からということを私どもは主張しているわけです。捜査の段階で、さまざまな少年側の言い分、そして被害者側の言い分が出されて、それに即応した形で警察がきちっと事実関係を当たっていく、こういうことがやられていれば、家庭裁判所で突然事実が出てきた、あるいは裁判官が知らない主張がなされたというようなことはもうほとんどなくなるだろうと思うのです。  そういう意味で、何よりもまず捜査段階で被害者の言い分も十分聞く、そしてその言い分は捜査官が記録にとどめるという作業をしていただきたいと思いますし、そのための法的な援助者もつけるという方向での制度改革が必要だというふうに思います。
  160. 木島日出夫

    ○木島委員 そのことを前提として、次に、少年審判事件での厳正な事実の認定の問題について踏み込んで参考人の皆さんにお聞きしたいんです。  警察、検察での捜査を尽くすのは当然ですが、そうはいっても難しい事件はたくさんあろうと思うんです。放火なんかはそうですね、だれが真犯人か。そして、最近いじめなんかの事件を見ますと、共犯が多いです。加害少年はほとんど共犯ですね。一人ではやっていない、四人、五人でやっている。そういうときに、だれが本当に中心的にやったのか、どの子が単に引っ張り出されて、一番の主犯格が怖いので見張っていただけだ、そういう少年なのか、共犯事件は真実の解明が非常に難しいと私も弁護士経験から痛切に感じています。捜査を尽くしても難しいまま事件家庭裁判所に送られるということは当然あるわけであります。  そこで、次の段階で、少年審判の段階で、家庭裁判所事件が行くと、今、大人の刑事事件と違いますから、戦前の予審と同じで、全部の証拠書類が、一件記録が伝聞法則もなしに家庭裁判官の目に触れる。裁判官、調査官が真実発見のために非常に努力をしていることは承知をしておりますが、何といっても、家庭裁判所調査官、裁判官は捜査機関ではありません。捜査能力には大きな限界があることは当然です。そういう段階で、仮に、少年の側が僕はやってないと否認した事件、そしてしかも結果重大な事件、あるいは逆に、岡崎さんの事件のように、全く真実が出ていないじゃないかというクレームが被害者側から出た、そういう重大事件について、今のままの少年審判の構造では耐えられないのではないか、やはりそこは見直さざるを得ないんじゃないかと私は思うんですが、斎藤参考人意見をお聞きしたい。  そして同時に、そうはいっても、検察官が関与したり、難しい事件で三人の裁判官が関与したら保護のやり方が崩れてしまうということを現場の調査官からたくさん聞きます。本当にそうなんでしょうか。事実が争われている事件についてまで絶対に検察官を入れちゃいかぬのだということを貫かなければならないんでしょうか。調査官であります寺尾さんの御意見など、そういう事件に絞った質問でありますので、お聞かせ願いたい。
  161. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 日弁連でもその点はかなり議論をいたしました。  日弁連は二つのコースを考えています。  一つは、現行の審問構造、職権主義構造のもとで非行事実関係を認定できる手続、もう一つは、犯罪事実そのものの存否を争う、つまり、私はやっていないというような、激しく事実を主張する、争っていくようなケースについては、少年の選択によって対審的な構造をとってもいいのではないかということをまとめました。  ただ、前提があります。それは先ほど述べたように、捜査の改革がまずなされることであります。それなしにはその対審化は少年にとって極めて不利益なことになるだろうということがあります。それから、当然でありますけれども、予断排除原則が採用されなければなりません。さらに、厳格な証拠法則ということが必要であります。  大人の刑事裁判においては、確かに伝聞法則というのはありますけれども、これは非常に形骸化しているわけであります。刑事裁判において弁護人側が調書を不同意にした場合においても、例えば検察官がつくった供述調書はほとんど例外規定を使って、刑訴法の三百二十一条一項二号というのがありますが、それを使って事実上証拠とされてしまっているというものであります。このような、ある意味では非常にルーズな伝聞法則の運用では、これはだめだろう、より厳格な証拠法則を採用するということを主張しております。  そういうさまざまな条件をつける中で、事実関係を明確にしていくための対審的な構造もあってもいいかもしれないという考え方であります。  被害者の言い分については、先ほど述べたように、捜査の段階できちっと言うということが大前提にありますので、そういうことから、それを対審化の理由としては考えていません。
  162. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 少年は、実にいろいろな少年がいるわけでございまして、今斎藤参考人がおっしゃったように、捜査の問題はきちんとしなければならない、私どもも捜査記録の非常なずさんさみたいなものはよく目にするところであります。  それはそれとしまして、対審構造が成人の場合には真実発見について非常にすぐれた構造である、それは認めるとして、それが即、同じように少年事件についてもすぐれた方法であるかどうかということは、私は簡単に結論づけるというわけにいかないような感じがしております。  少年によっては本当に言葉がわからない、自分のことをきちんと言えない、裁判官の言っていることが何を言っているかよくのみ込めないというような、そういう子供もたくさんおります。本当に自分の思いを、自分の真実を子供が語るようにしむけていくということが少年審判審判は懇切和やかにということの真意だろうと思うのですが、検察官も、ただ単に真実発見のために少年を追及するとか、そういうような形になっていってしまう可能性の方が強いのではないか。やはりそれはかなり慎重に考えないと、結局、付添人と検察官のやりとりの中で、子供が実際に自分の真実を語ることが非常に難しくなるということがあるのではないかというふうに思うのです。  私が今の審判の制度の中で経験した中で、付添人が、刑事の感覚で、強姦事件少年事件を、これは和姦だ、だから和姦という主張をするんだよということで、少年に向かって、こういうことは言うな、ああいうことは言うなというようなことを言って、子供鑑別所でやっと少し口を開き始めて、自分のことあるいは事件のことを述べ始めたときに、それをふさいでしまった。そういうことによって、真実はもちろん、本当に少年自分のことを考える機会も失っていったというような経験をしたこともございます。  ですから、私は、先生のおっしゃるように真実発見は非常に大事なことですが、とにかく、最終的に対審構造をとれば真実がすぐに発見できるというふうにはストレートにいかないのが少年事件の難しいところではないかというふうに思っておりまして、それについては、やはりかなり慎重に考えなければというふうに思っております。
  163. 木島日出夫

    ○木島委員 時間が来たから終わりますが、少年の側が冤罪を主張している、僕はやっていないと主張し続ける事件については、これは今のようなあり方で事実を認定してしまって、少年院送致だって拘禁するわけですから、それは少年側の権利からいったら許されない。そういう少年側が争っている場合には対審構造できちっとやることだって大事じゃないか、争っているのですから、更生の前提が崩れているわけですから。  しかし、逆に、岡崎さんの事件のように、被害者側の方から真実が出ていないじゃないかという指摘をされている少年審判事件については、対審構造かどうかなんて全然関係ないですよ、そういう問題でしょう。しかし、現行少年法の構造の中には、被害者の方が真実が出ていないじゃないかという申し立てをしたときには、何の手続もない、何の道筋もないということは事実ですね。それを放置したまま、今回の与党案で、検察官だけが関与して、不服なら抗告受理の申し立てまでする、全く真実は出やしないと思うのです。こんな形では、私は、冤罪もできるし、逆冤罪も出てくる。  ですから、この問題は、非常に難しいし、日本共産党も私も悩んできたところです。検察官を関与させていいのか、どういう場合に関与させることができるのか、どんな形なら関与が許されるのか、悩んできたところだけに、拙速な審議は許されないと思うのです。あしたにでもこの審議を閉じてしまって採決しようなどという提案が自民党から理事会で出されていますが、断じてそんなことは許されない、徹底した審議を尽くすことが求められているということを、参考人の前で失礼ですが、あえて私は強調いたしまして、質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  164. 長勢甚遠

  165. 保坂展人

    保坂委員 社会民主党の保坂展人です。  岡崎参考人には、大変つらい思いを、また同時に、どのように聞いても納得がいかない、私もこの経過のお話を聞きまして、大変に憤慨をせざるを得なかった。  同時に、この法務委員会でも、多分参議院でもやられていると思うのですが、たびたび、哲君の捜査がどうあったのかという問題について触れてまいりました。もう一度、繰り返しになるかもしれませんけれども、事件が起き、そして息子さんが亡くなられる、そういう中で、警察が真実を解明しようという誠意がなかったというお話なんですけれども、そこの点について、そのとき警察はどういう役割をしたのか。端的に言うと、岡崎さんにとって警察の捜査というものはどういうものだったのか、伺いたいと思います。
  166. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 事件が起きたのは、多分夕方の十六時半くらいだったと思うのですけれども、会社の方に電話がありまして、病院に駆けつけたときには、当然のことながら、警察官も学校の先生たちもみんないました。  そのときに警察官から言われたことは、一つは、息子の着衣などを没収するというのですか、それにサインしてくれということ、それから、棺おけをすぐ頼まなければいけないのだけれども、自分で頼むか、それとも我々に任すか、その二点だったと思っております。その後は、我々の方から、教えてほしいということで何回も電話したりしているのですが、一切そういうことはございませんでした。  一週間後くらいに、一方的に、事情聴取をいつやるから何時に来いという形で事情聴取を受けたり、あるいは、司法解剖が終わった後にちゃんとした説明をするからと言っておきながら、きょうは説明できないから遺体だけ持って帰れとか、そういう対応だけだったように思っています。
  167. 保坂展人

    保坂委員 この件で、茨城県警は、当初の扱いが余りにもひどいということで、異例の謝罪をしているというふうに聞いております。私もそれを新聞記事で読み、そして、先ほども触れたようにこの法務委員会でも、犯罪被害者立場に立って、捜査の成り行き、現在こうだという説明を警察もきちっとするということはたびたび確認をされていました。さらに、検察にあっては、そういうことをさらに徹底してやるように、そういうことで、茨城県警の謝罪を踏まえてもう一度真相を解明されるのだろうというふうに期待をしていたのですが、先ほどのお話で明らかなとおり、検察官の調べも非常に一方的なものだった。  このあたりについて、今回、検察官が加わることで真相の究明がなされるという一般的な期待があるようですけれども、実感された中で、この検察の問題、きちっと信頼できる姿勢だったかどうか、もう一度伺いたいと思います。
  168. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 先ほどちょっと述べましたように、警察の方の事情聴取では供述調書に署名も捺印もしませんでしたので、そうはいっても検察からは事情聴取があるだろうというふうに待っておりました。警察からは何の連絡もありませんでした。  最後に、検察官は最終的に三人かわっているわけですけれども、一人目の検察官は、会ったことがありませんので知りません。二番目の検察官は、三月三十日に急遽事情聴取をするから夫婦で来なさいということで、行きました。行ったところが、私どもの話を聞く前に、あなたたちが主張していることはすべてうそだ、私は解剖医からこういう話を聞いてきている、ですから、あなたたちが主張していることはすべてうそではないかということで、我々の思いをすべて否定されて、なおかつ、これほど調べを一生懸命やっているのに、それでも納得できないのだったら、自分たちで調べた六十人、七十人の調書をすぐ出しなさい、ただし私は今月いっぱいで転勤しますから、後はよろしく頼んでおきます、こういうような対応でございました。
  169. 保坂展人

    保坂委員 続いて、寺尾参考人に伺いたいのです。  今の岡崎さんのケースなんですけれども、大変に重い事実が二転三転していく。そして、家裁において出された決定の最後の過程ではストレス心筋症、心臓がもともと弱くて、興奮して亡くなってしまったんだというような、我々、こういう被害者の方のお話を聞くと、信じられないような決定がされてしまう。  これは裁判所の体質にも大きな問題があるんじゃないかというふうに私は思うのです。裁判官が客観的な事実を認定していくときに、どうしてもそういう検察の言い分みたいなところにくみするような傾向があるのではないかというふうに思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか。
  170. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 御承知のように、裁判所には一件記録として全部の記録が来まして、裁判官はそれをごらんになるわけですから、どうしても、先生のおっしゃるようなことがないと言い切れるかどうかということになりますと、やはり私は、その辺は若干疑問があるかもしれないというように思うわけでございます。それは結局、裁判官がどういう信念のもとに少年審判に臨むかということでございまして、裁判官が、本当に事実をきちっと少年に語らせ、自分も事実をきちっと究明していこうというふうな信念のもとにやれるかどうか、やろうとしているかどうかにかかるわけでございます。  裁判官の体質については、今非常に裁判官が忙しい、早く事件を落とせ、落とせと上の方からは言われる、調査官も同じでございますが、そういうような事態の中で、本当にじっくりと記録を読み、疑問点をただしていこうという裁判官ももちろんいらっしゃいますけれども、それがなかなかできないという状況もあるのではなかろうかというふうに思います。
  171. 保坂展人

    保坂委員 時間が限られていますので、もう一点だけ寺尾参考人に伺いたいのですが、これまで家裁の現場で三十五年間ですか、全体で三十八年の中のかなり多くを少年事件に携わってこられて、今の与党案で示されているような原則逆送というようなことになると、具体的に家裁の現場、あるいは判事と調査官の意識というか実務というか、かなり変わってくるのではないかという危惧を我々は持っているわけですが、そのあたりについても、ちょっとまとめてお願いいたしたいと思います。
  172. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 私は、現場に長くいた者として、先生のおっしゃるとおりの危惧を抱いております。もしこの原則逆送が通れば、最終的には裁判所が決定するんだといいますけれども、調査官に向かって裁判官が調査命令を出すときに、これは逆送するからねというような言い方をしながら調査命令を出すということが日常的になるだろうと思いますね。  そういう事件があるということ、それがほかの事件にも大きな影響をもたらすだろうと思います。こういう事件だったら逆送になるんだよ、だから君、少年院へ二年も三年も行きなさいよ、当然ですよというふうに、ほかの事件にいろいろな形で影響を及ぼしてくるだろう。  調査官の方も、それは今までとは違った仕事をしていくようになるだろうというふうに思います。そういう意味で、非常に大きな変革だというふうに思います。
  173. 保坂展人

    保坂委員 斎藤参考人にお願いします。  少年法の議論、今現在、我々取り組んでいるわけですけれども、既に少年院が定員近くというか、上回ってしまうような過剰収容の問題が起きていたり、あるいは、以前なら諭されて帰されるような事件でもかなり大がかりな調べが行われたりという非常に過敏な反応と、一方で簡易送致、どんどんなしにしてしまう。もう少年事件の現場が、この法改正の議論を飛び越えて変わり始めている部分もあると思うのですね。そういう点について、さらにこの法案が通った場合に、つまり、この法案で規定されていること以外にも変化があるだろうと思うのですが、そのあたりについて御意見を伺いたいと思います。
  174. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 おっしゃるとおり、家庭裁判所少年審判がかなり変わっているということを私どもも感ずるのですね。  それはやはり、裁判官の意識もかなり、かつての少年法の理念を尊重していこう、そういう感覚から、刑事裁判官的な発想になりつつある。つまり、その少年の資質、特性、生活状況、生活体験、境遇という、まさに非行の原因になるところを重視するよりも、やった結果によって判断を決めてしまう、こういう発想になっている。まさにそれは刑事裁判官的な発想になっているということを非常に危惧しております。  今回の法案は、まずそれに拍車をかけるだろう、家庭裁判所少年審判の非常な形骸化につながっていくということを恐れております。ですから、この法案は少年法の理念に影響を与えないというような議論が法案の提案者の中にあるようですけれども、それは違うだろう、ある意味では大きな影響を与えていくだろうというふうに危惧しております。
  175. 保坂展人

    保坂委員 それでは、岡崎参考人に、意見の最後に、奥様の伝言という形で、少年事件被害者のお母さんたちの声を拾い上げて、もっともっと議論をしてほしいということをおっしゃいました。我々も議論をし続けて、少なくともここまで議論をしてきたこと自体でいろいろな点が明らかになりつつあると思っています。どういう点をさらに議論を望まれるのかという点について、お気持ちを伺いたいと思うのですが。
  176. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 法的なところは余り詳しくわかりません。  ただ、やはり私ども、お子さんを亡くされた方たちといろいろお話をしています。実はきょうも、私がこういう形でお話しするよりは女房の方に話をしてもらった方が、本当におなかを痛めてここまで育ててきた、その思いがやはり女房と私では全然違います。同じ両親ですけれども、やはり私の場合と女房の子を思う気持ちというのですか、その辺は本当に天と地ほどの開きがあるようにずっと感じております。  ですから、法律を、この部分をこうしよう、あるいは十六歳を十何歳にしようとか、そういうところではなくて、本当にこれからの子供をどういうふうに育てていこうかというような点を、もうちょっとやはりお母さんたちに話を聞いて、法律論で決められないようなところがあるかもわかりませんけれども、そういうところを慎重な形で検討していって、何らかの形で法律、少年法の理念の中に取り込めたらいいんじゃないかなというふうに思っております。
  177. 保坂展人

    保坂委員 少年法というものがどういうふうに変わるかによって、あるいはどの点を変えるかによって、やはり十年後、二十年後の社会が大きく変わってくるだろう。そして、犯罪を予防するため、抑止するため、犯罪を起こしてしまった少年たちのその後のこと、あるいは被害者の皆さんにどういうふうに手を差し伸べていくのかという問題、これは大変大きなスケールで語られなければいけない問題だと思っています。  私たちも、議論はまだまだ中途であるということで、徹底的に審議をしなければいけないということでこの法案の審議に臨んでいるということを明らかにして、参考人の皆さんの御意見、ありがとうございました。  終わります。
  178. 長勢甚遠

    長勢委員長 上川陽子君。
  179. 上川陽子

    ○上川委員 21世紀クラブの上川陽子でございます。  きょうは、お三人の参考人の皆様には、大変貴重な御意見をいただきまして本当にありがとうございます。とりわけ岡崎参考人につきましては、本当に息子さんの死と長い間向き合ってここにまで至られたというお話を伺いまして、涙なしに聞けない、こういう状況でございました。  そういう中で、私はお一人一点ずつ三点、伺わせていただきたいと思います。  今、岡崎さんの息子さんの事件ということで、事実認定という中で捜査段階の問題が今に至っているという話がございました。先ほど寺尾参考人のお話の中では、今の家裁のシステムについては特に大きく変えるところはないというようなお話もあったようにお伺いいたしておりますけれども、長年、三十五年にわたりまして家裁のシステムの中の調査官というお立場でかかわられてきた中で、今のような、岡崎さんのような事件というものに対して、特殊な事例であるというふうにお考えなのか、それとも、一般的にそうした傾向があって、事実認定のところではなかなか適切な対応がとられていないというふうにお感じになっていらっしゃるのか。また、そういう部分でもし事実についての認定が不十分であるときに、家裁の処分をめぐってのいろいろな形での審判そのものに対してどういう形で影響を及ぼすのか、及ぼさないのか。今もし変えるとするならばどういうところを変更していくべきとお考えなのか、あるいはお考えでないのか。  本当に素人なものですから、現場のところがよくわからないのですけれども、その点につきまして率直な御意見をお願いいたします。
  180. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 事実認定について岡崎さんのような事件がふえてきたかどうかというような御質問かと思いますが、私の経験していた範囲では、こういう事実認定に非常に問題のあるような事件が特別ふえたというような感じはしておりません。ただやはり、こういう事件がこれからしばしば、しばしばという言い方はちょっと言い過ぎですが、これから起きてくる可能性はもちろんあると思います。  その際に一番の問題は、やはり先ほど来出ておりますように、捜査上の問題が一つ。  それから、家裁に来たときに、家庭裁判所でそういう事実をきちんとしていくときに、今、例えば裁判官が頻繁に審判を開いて、観護措置がとられている間に何回も審判を開いて事実の認定のためにやっていこうというふうに考えたときに、現場はそれが非常に難しい状況にあります。なぜ難しいか。例えば、東京や大阪のような大きい庁は別かもしれませんが、全国の裁判所の中には支部もございます。そういうところでは裁判官が忙しくて、いろいろな点を聞きたいから審判を今週中に二回も三回も開こうとしても、現実には開けないのですね。裁判官がほかの事件をやっている、刑事もやり民事もやり、いろいろやっていますので、一週間に半日しか身柄の審判が開けないというような支部もあるわけです。  それは文字どおり裁判所の中の問題ですが、そういうことがあったり、それから鑑別所の職員が少ないので少年を出廷させることができないとか、審判廷が少なくて審判が開けないとかと、まことに現場のそういった問題が災いして、なかなか審判を開いて事実を確認していく作業ができないというようなこともあろうかと思います。  ですから、私は、今のシステムの中でそういうものももっときちっと整備していく。同時に、裁判官が本当にじっくり記録を読み、じっくり中の証拠について検討するというような余裕が必要だと思います。現実にはそれが非常に難しいというようなことが一つの現場としての問題だというふうに思っております。  それからあとは、どういう構造でやったらいいかというようなことになりましょうが、それは先ほど来議論が出ておりますので、ちょっと省くということで考えております。
  181. 上川陽子

    ○上川委員 今のお話の中で、数が足りないとかあるいは忙し過ぎてという話がございました。  もう一度お伺いしますけれども、忙しさの余りにちょっと事実認定とかそういうところで置き去りにされているようなことが、人数が足りれば十分に可能であるというふうにお考えでしょうか。
  182. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 十分に可能かどうかということは何とも言えませんが、かなりの部分はそれはできるのではないかと私は思っております。裁判官は日曜日も休日も出てきて記録を読むというような方が現場ではかなりいらっしゃいます。そういう中で苦労をされて努力をされている方がいっぱいいらっしゃいますけれども、もう少しきちっとその辺ができるような体制が必要ではないかというふうに思います。
  183. 上川陽子

    ○上川委員 ありがとうございました。  岡崎参考人にお伺いさせていただきます。  一番初めの御意見を申される中で、学校の先生あるいは周囲の大人の皆さんが大変無関心であるというような御指摘がございました。今回の法律の改正には、少年及び保護者の責任というのも明確にするという点でこれまでの少年法と違う点がございますけれども、それに絡めまして、学校及び周囲の大人、これは保護者が含まれると思いますけれども、これに対しましてお考えというか御意見がございましたら、お願い申し上げます。
  184. 岡崎后生

    ○岡崎参考人 息子の事件を通しましてわかったことは、やはり多分これは少年法のせいだと思うのですが、学校それから警察が少年法にもたれ合っていっているというのが実感ですね。  学校の先生たちは、学校内で何があってどういう形でこういう事件が起きたのか、事件当時からすべて実際は知っていました。それをやはり私たちにはすべて隠し通しております。いまだに私たちの前では説明はしてくれません。  なおかつ、息子の卒業式の前の日に、PTAからも学校からも何も連絡がなかったものですから、卒業式に出たいんだけれども、あるいは息子の卒業証書はいただけるのかという電話をしたのですが、校長先生がいなくて教頭先生が出たのですが、校長がいないから判断できない、あるいはそういうことは検討もしたことがないというような状態でございました。それで卒業式当日を迎えるわけですけれども、卒業式当日に息子の卒業アルバムとか記念品がゆうパックで送られてきました。  あともう一点お話しさせていただきたいのは、実は十月八日でしたので、三周忌で、私は田舎が高知なものですから、息子も今高知に連れて帰っていますから、一周忌、三周忌を高知の田舎でやってきたのですけれども、やはり地元でも一回何かそういう集まりをやった方がいいんじゃないかということで、二十二日に牛久でミニ講演をやったのです。そのときには、息子の同級生三百人に案内の手紙をまいたり、あるいは牛久市全体にこういう集会をやりますからどうですかという形で約三万枚まいたのですけれども、結果的には、子供、同級生も一人も来ません。当然、先生は来ません。同級生の親もだれ一人来ません。ただ、周りの、ある程度少年事件というか、何らかの形で息子さんあるいは娘さんを亡くされた方とか、いろいろな形で今までの学校にかかわりがあった方とか、そういう思いのある方が約二、三十名集まっただけでした。  これが、現場の学校の先生あるいは保護者である親の実態ではないかなというふうに思います。
  185. 上川陽子

    ○上川委員 ありがとうございます。  今、学校を含めて周囲の保護者の対応ということなんですけれども、斎藤参考人にお伺いしますが、先ほどの初めの御意見の中に、保護者の責任のところについては全く触れていらっしゃらなかったのですけれども、今のようなお話も含めまして、少年法改正の中にそういう文言を入れる、あるいは少年の更生という観点から、保護者と少年のかかわり方ということについてどのようにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。
  186. 斎藤義房

    ○斎藤参考人 現在の少年法の運用の中でも、調査官あるいは裁判官が保護者に対してさまざまなアドバイスとか指導をしたりしておりますね。少年が帰っていくところは家庭ですので、家庭がどのような状況になっているのかは極めて重要でありますから、環境調整という形でいろいろ指導しているようであります。それから、少年院の教官も、子供が帰っていった先が今までと同じ状況であるならば、恐らく子供は同じような状況に陥ってまた問題行動を起こすかもしれないということがありますから、いろいろ指導しているようでして、そこが非常に重要だと思うのです。  それは、ある意味では、国が強制的にやる分野なのかどうかというのが一つ問題だと思うのですけれども、私どもも、さまざまな団体の方々、あるいは子育てにかかわっている団体の方々や教職員団体の方々、女性団体ともお話し合いしましたけれども、そのときに一様に出るのが、親自身が子育てに行き詰まっているという状況が見られるのだ、そういう意味で、子供に対する手当てと同時に親に対する手当てを国や自治体がきちっとしない限りは子供も立ち直れないのではないかという話が出まして、全く同感なのですね。  そういう意味で、これから重要なことは、少年法のレベルだけではなくて、子育てを支援する施策、専門団体、児童相談所、保健所、もちろん学校もそうでしょう、あるいは児童相談所の職員の充実、保健所の職員の充実、さらにはカウンセラーとか、そういうようなところの職員あるいはスタッフを充実させるという中で、社会全体で子育て支援をするという体制が必要だろう。そういう意味で、弁護士会も、さらにはさまざまな、精神科のお医者さんも必要かもしれませんね、そういうスタッフをどう充実させていくのかがこれからの少年犯罪の対策として必要なんだと思います。だから、そこは少年法のレベルをちょっと超えて、もっと広い範囲で考えていかなければならないだろうと思います。  今回の少年法の非常に危険なところは、ともすれば、犯罪を犯した子供社会から排除すればいいという風潮、それが強まっていくのではないかということを危惧しております。そうではなくて、排除していく、あるいは刑罰刑務所に入れるという感覚ではなくて、社会の中でどうそれを受け入れて立ち直らせていくのか、そのためには家庭もどう変えていくのか、親も含めてどう変えていくのかというトータルのプランが必要になっているのだろうと思っております。  そういう観点から見ると、今度の少年法改正法案は、今言ったような、いろいろ困難を抱えた子供や親を総合的に支援していく、そういう施策に反する方向に行くのではないか、切り捨てればいいのではないかという方向に行くのではないかということを危惧しております。
  187. 上川陽子

    ○上川委員 まだまだ伺いたいのですけれども、時間がないので、最後に寺尾参考人にもう一点お伺いさせていただきます。  今、一連の議論の中で、統計的なデータとか、あるいは先ほどの中では現場の声という形でおっしゃっておりましたけれども、五十年の長い少年法の歴史の中で、事例ごとに個別的に対応なさってきめ細かくやられてきたということについて、私も少年院少年刑務所を本当に頭の下がる思いで見させていただきましたけれども、個々の事例の中の問題ではなくて、そこから敷衍できるような、例えば非行とその原因に対してのきちっとした、事例の中から分析したデータ、掘り起こしたデータというものがもっと整備されていてもいいのじゃないか。  この五十年、ある意味では過去の積み重ねというか、そういうものがなぜ今に生かされていないのかというのを非常に驚きながら、どうしてこうなっているのかなということを感じながらこれまでかかわらせていただいているのですけれども、実際、そういうような分析とか、事例の中からくみ上げてくるような貴重なデータというのはないのでしょうか。
  188. 寺尾絢彦

    ○寺尾参考人 実は、裁判所の中も、しばらく前までは裁判所ごとに統計をいろいろつくったり分析をしたり、その結果を外に向かって発表したり、調査官や裁判官が外に向かって実際の状況を伝えるというようなことをしていた時期がございます。  しかしながら、ある時期からどうもそういうことがなくなりまして、これは私は裁判所の責任だと思いますが、最高裁の方がどういうふうにお考えかわかりませんが、余り外に向かっていろいろなことを発信するということを好まなくなったといいますか、そういうことがあったのじゃないかと思うのですね。  それは、裁判所にとっても一般の皆さんにとっても非常に不幸なことであった、今少年法がどんなふうに行われ、どんな問題があって、どんな子供たちが来て、どんな親たちがいるのかというようなことは、一般的な問題として裁判所はもっと外に向かって伝える作業をしていくべきであったというふうに思います。  残念ながら、最近そういうことについての細かいデータは私も知りません。研究している人たちはもちろんいると思いますが、余り目に触れることが少ないという感じがいたします。  私、個人的な気持ちでは、ここ二十年ぐらいの間に、保護者、親の態度といいますか、親の姿勢が急激に変わったと思います。そういう問題をやはりきちっと一つの論点として外に向かって出していく、論議していくということも本当は必要なことではないかというふうに思います。その辺は最高裁判所の偉い方々がどんなふうにお考えでいるのかちょっと私の方にはわかりませんが、そういう必要は十分にあると、私はやめてからも思っております。
  189. 上川陽子

    ○上川委員 時間が来ましたのでこれで終わらせていただきますけれども、少年法改正少年非行の本当の一部にかかわる部分だということは、十分に皆さんの共通した認識であるというふうに思っております。ぜひとも教育とかほかの面につきましても広げて議論が進むように頑張らせていただきますので、またよろしくお願い申し上げる次第でございます。  ありがとうございました。
  190. 長勢甚遠

    長勢委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。  参考人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時八分散会