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佐々木(秀)
委員 私
どもとしては、今回の
与党の
改正案、これは前回通常
国会で出された
閣法を下敷きにしているわけですけれ
ども、
閣法から見られるのは、やはり保護主義から刑罰主義への傾向の度合いを深めるという点がどうしても払拭できないと思うんですね。しかし、私
どもとしては、その対象となる
子供たちの置かれている
状況などを
考えると、やはり保護主義という
少年法の基本理念というのは、これはやはり維持されなければならないし、今後も大事にされるべきものだ。今までも議論がありますように、応報的な観点からだけでは
子供たちの非行だとか
犯罪というものをなくすることはできない、そう
考えています。
確かに、起こってしまった
事件、そして、それによってとうとい命を奪われた、あるいは命を失われないまでも心身に大きな傷害を負う、そういう
犯罪の
加害者になった
少年というのは出ているわけであります。その
被害者の気持ちからすると、大人にやられたのであっても、
子供にやられたのであっても
被害者の気持ちとしては変わるところはない、どっちも
被害者なんだということはそうだろうと思います。
しかし、私たちが
考えなければならないのは、本当にそのことは残念だし、
被害者の
方々は本当にお気の毒だと思いますけれ
ども、しかし、例えばその起こったことというのは既に起こったことで、それをもとに戻すということにはならない。本当に残念だけれ
ども、失われた命は戻らない。それから、
犯罪によって傷ついた体や心を治すには相当なエネルギーや時間がかかるということも
考える。したがって、加害した
少年に、規範意識ということを法務大臣は盛んに言われますけれ
ども、自分のやった行為がどんなものだったかということを
認識させ、そして、やった行為の償いの気持ちを持たせるということは必要なことだろうと思いますけれ
ども、そのことは心からのおわびにつながっていかなければならないだろうと思います。
ただ、償いというような面で、大人に科しているような刑罰を
子供にも科すということで
被害者の気持ちはおさまるものではないし、それによって問題が解決するわけでもない。むしろ
子供たちは、仮にそういうような
事件を起こしたとしても、その刑罰として死刑にするということはできないわけですから、そうだとすると、今後も、仮にそれが無期というような刑になったとしても、ずっと長く生きていく。その生きていく
子供たちをどうするのかということから
考えていかなければならないだろうし、また、そうした
犯罪に走らせないような努力、あるいはそこまでいかない軽微な
犯罪を犯した
子供たちを将来の
犯罪予備軍にしないような努力ということが私は必要だろうと思っております。
いずれにしても、今の
子供たちというのは私たちの
子供のときから見ると、きのうも申し上げましたけれ
ども、いろいろな面で恵まれているけれ
ども、実は本当の
意味では幸せじゃないんじゃないだろうか。物があり余っている、情報がはんらんしている、選択肢が多いということは、あるいは自分で選択し、自分で
考えて自分で決めるというようなことに欠けるような
状況に置かれている。
その中で、自分は何なのかということについてもしっかり把握できない。だからこそそういう
子供たちは、自分の気持ちをぶつけ、その気持ちを真摯に聞いてもらえるような人間関係というのをどこかで求めているんだろうと私は思います。それが友達であったりあるいは家族であったりするにもかかわらず、なかなかその関係がうまくいかない。特に、
家庭にあって親たちとのコミュニケーションがうまくいかない、あるいは、友達をつくろうと思ってもうまくいかないというようなところにあるんだろうと思います。私は、やはりそういうことについては、大
人たちがまずその
子供たちが幼児のうちからのいろいろな、さまざまな手だてを講じる、地域的にもそうだと思います。
私は、選挙の前だったと思いますけれ
ども、ある地元で、目の不自由な
方々ばかりの老人ホームをお訪ねいたしました。そのときに、ちょうど地元のある小学校の
子供たちが先生と一緒に何十人か来ておりまして、そこに入っておられる障害者のお年寄りと何人かずつのグループで話をしているんですね。それは、そのお年寄りの話を聞くと同時に、
子供たちもそれについてまた自分たちの
考えを述べる、そして絵をかいたりするというような時間を過ごして、これぞ
教育だ、こういうことがどこでも行われるべきだと私は
考えておりました。そういう中から
犯罪に走るというようなことは絶対に出てこないと私は思うんですね。そういうようなことをやはりさまざまなところで
考えていく必要があるのではないだろうか。
やはり私たち、それと大人は何といってもまず自分たちの姿勢を正すということをしなければならないと思うんですね。
子供たちの
犯罪で異常なものが目立つと言われるけれ
ども、きのうも申し上げたように、大人の
犯罪の中でかつて
考えられなかったような異常なことが起こっているわけですから、これをどうするのかということを本当に真剣に
考えなければいけない、そこから始めるべきだと私は思っております。