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佐々木(秀)
委員 私は、
子供たちにしても、
規範意識がないとさっきおっしゃるけれ
ども、何がよくて何が悪いかということぐらいはわかっていると思うんです。人の物を黙ってとってきたら悪いということはわかるんです、小さな子供だって。まして、人の命をとることがいいことじゃない、これは責められるべきことだってわかっていると思うんです。わかっているけれ
どもやるんですよ。大人だってそうじゃないですか。
死刑廃止論があります。死刑を廃止したら、そうしたらもっと殺人罪がふえるのか、あるいは死刑があることによって殺人が
抑止されているのか、そうじゃないでしょう。人を殺したら
自分も死刑になるということは単純な理屈で、みんなわかっているんですよ。それはケース、ケースで、人を殺したって死刑にならないで無期以下の懲役で済むという場合だってある。それにしたって、少なくとも正当防衛だとかそういうことでなければ、理屈がなければ、殺人をすればその報復として現在の刑法上死刑という処罰があることはみんな知っているんですよ。知っていてもやっているじゃないですか。殺人罪は減らないんですよ。
子供だって同じことなんですよ。殊に、今の子供は大人以上に複雑だというのは、
議員も御
指摘のように、さまざまな要因がこの
社会の現実の中で絡んでいるからだろうと思うんです。御
指摘があったように、私はある
意味では
子供たちは大変不幸な世代に生きているのではないかと思います。
私は、
保岡法務大臣よりもやや年も上ですけれ
ども、
保岡大臣も
少年時代はまだ戦後の時代を経験されたから、あの物なんかの窮乏の時代を覚えていらっしゃると思う。私などは、小学校時代は戦争中でした。戦争が終わってから新しい中学の制度になりました。何にもなかったですよ。
教育の環境だってないんですから。だってそうでしょう、中学になっていきなり英語を教えられるようになったんだけれ
ども、英語の先生がいないんですから。ついさっきまで英語なんていうのは敵性語だったんですからね。教える人がいないんです。そして物がないんです。
僕は、ある
意味ではそれが幸せだったと思っているんですよ。物がないから、それは貧富の差というものを
子供たちの間で余り感じられなかった。もちろん、そんな中でも金持ちの子供と貧乏人の子供なんていたわけですけれ
ども、物がない。例えば、私は北海道ですけれ
ども、ゴム長なんというのは必需品なんですけれ
ども、それがみんな買えないんですから、店でも売っていないし。学校で配給なんですよ。一クラスに何足ということで来るんですね。それで抽せんなんですから。お金出したって買えないんですから、当たらないと。そういう平等性があったんですよ。
それで、食い物だって何だってなかった。だから、みんなで分け合ったんですね。そういう連帯感がその当時はあったと私は思うんです。来週もその当時の中学の仲間で同期会をやるんですけれ
ども、私なんかは、集まると、ないもの同士の連帯感ということを言うんですけれ
ども、そういう連帯感みたいなものが今の
子供たちにはないんじゃないでしょうか。余りにも物が満ちあふれていますね。そして、お金がなくても物が手に入るような仕組みになっていますね。ローンなんという制度も私は決して好ましいものではないと思っているんです。モラルハザード、これは
法務大臣がよく言われることだけれ
ども、これが欠けるんですね。大会社が次から次からここのところ火だるまになっていますけれ
ども、そごうなんかもそうですね、銀行もそうですね。何千億という金を債権放棄しろとか、まことに無
責任な状態でしょう。
こういうことが横行している中で、金さえあれば何でも物が手に入るというような状況の中で、
子供たちは、何が大事で、何がとうといもので何がそうでないのかというような価値観についても、なかなかしっかりと
理解し切れないという状況がそこにあるんじゃないかと私は思うのです。
子供たちの異常な
犯罪が
指摘されますけれ
ども、大人だって異常な
犯罪が随分起きているんじゃないですか。保険金詐欺などというのはひどいじゃないですか。
自分の親しい人に保険を掛け、あるいは
自分の会社の社員に保険金を掛け、それを殺すなんという、こんな殺人のタイプだって昔は考えられなかったのじゃないですか。ここのところ、子供の親殺しもありますけれ
ども、逆に、親が子供をせっかんして責め殺しちゃったというのもありますね。
事ほどさように、子供だけが異常なんじゃないでしょう。大人の
社会が異常だから、子供も異常になっているんじゃないですか。そうだとすると、
子供たちの
少年非行だとか
少年犯罪防止のために一番心すべきことは、大人
社会をきちんとすることじゃないですか。
政治家だってそうじゃないですか。随分ここのところ不祥事件があります。残念ながら私の党でもちょっとありましたけれ
ども。
総じて、私は、今二十一
世紀を前にして、
日本の
社会というのはいろいろな
意味で総点検の時期に来ているんじゃないだろうかと思うのですよ。それこそ
大臣言われるように、あるべき
日本というのはどういう国なのか。その中で、
国民というのは何を生きがいとしていくのか。
自分一人で生きているんじゃない。他人と一緒に共生し、あるいは自然と共生し、物を大事にし、自然を大事にしていくということがどんなに大事なのかということを
子供たちにわからせるためには、まず大人が手本を示さないとどうにもならぬじゃないですか。私は、子供は大人の鏡だと思いますよ。大人の方がきちんとならなくて、どうして子供だけ責めることができるんですか。
まして、こういう手続を
改正して、
法律を
改正して、処罰可能の年齢を引き下げたからといって、それが他の
子供たちにとって見せしめになると私はとても思えないし、
法務大臣が主張されるような
規範意識を醸成するようなことになるとも思えない。そのためにはもっともっと本当にあらゆる
意味での総合的な
対策が必要なのであって、
少年法の
改正などというのは、私はその一角にすぎないと思っております。
それだけに、決してこれを早く仕上げなければならないということに性急になるべきじゃない。むしろ、この
議論を深めて、みんなであるべき姿を求め、
少年法にしても、どういうような姿が一番いいのかということを考えていく。そういう
意味で、私
どもとしても、
改正に絶対反対というのではありませんけれ
ども、よい
改正をしたい、そのためには本当に慎重であってほしい、こう願っているから申し上げているんだということをぜひ御
理解をいただきたいと思います。
次ですけれ
ども、これも
提案者にお伺いをしたいと思います。
私が今手にしているのは「法学セミナー」という雑誌の十一月号ですけれ
ども、ここに、神戸の
家庭裁判所で現に
少年事件に非常に一生懸命に取り組んでおられる井垣康弘判事が論考を寄せておられます。この中で、井垣判事は、この
少年法改正に絡んで、厳罰化の方向に向かう法
改正というのは、その中でも特にいわゆる原則逆送は
少年の心を萎縮させ、かえって
少年犯罪を増加せしめることになるのではないかということを
指摘しておられます。
具体的に申し上げますと、セミナーの六十二ページですけれ
ども、「厳罰化方向での法
改正により、」「検察官から「原則逆送」の法令に違反するとして抗告受理の申立がなされ、破棄差し戻しされたら、
少年担当の裁判官や調査官は落ち込む。」「
少年事件担当裁判官は、やがて原則逆送のケースについては、調査命令を出さず、捜査記録を読んだだけで逆送を決意し、その言い渡しをする運用になると考えられる。」つまり、調査について、従来一生懸命やっていたけれ
ども、今度はどうせ逆送になるんだからそっちへ任せちゃうしかないというので、
自分らは調査をしないでそっちに送っちゃう、こういうわけですね。これを、
自分の実体験の上から述べられているんだと私は思いますよ。決して観念的なものじゃないと思うんです。
その上で、「調査官の実務能力はやせ細り、間もなく
家庭裁判所への信頼は低下していくとともに、次代を担う
少年たちに対するわが国の
教育力も低下し、世界一安全な国から
犯罪大国へ向かって確実に歩み始めるだろう。」ということで警鐘を鳴らしておられます。
また、別に、「自由と正義」、これは
日本弁護士連合会の雑誌でありますけれ
ども、この中で、やはり
少年事件を数多くやられ、また
少年犯罪の
被害者の権利救済の仕事もなさっておられる児玉勇二という弁護士が、
自分の経験からしても、今度の
改正案にあらわれているようないわゆる必罰化あるいはそれによって管理を強めていくというやり方では、加害
少年のゆがんだ気持ちをますますゆがめて、再犯防止にはつながらない、むしろそれを助長するようなことになるのじゃないかということを心配しておられるわけでありますけれ
ども、こうしたことについて、
提案者としてはどういうようにお考えになっておられるのか、お聞きをしたいと思います。