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瀬川参考人 同志社大学の
瀬川でございます。私は、刑事法を研究しておりまして、少し幅広くといいますか、
犯罪学あるいは
刑事政策を含みまして、全体的な刑事法を勉強している者でございます。
私のお話しするポイントは、おおよそ三つございます。一つは、
少年非行の歴史と現状ということをお話ししたい。二番目に、
少年法改正論議の展開ということをお話ししたいと思います。三番目に、現在の
改正問題に対する視点ということで総まとめをしたいというふうに思っております。
岩井先生から法制審の
議論、あるいは
千葉先生からは
少年院の子供たちの実態ということをお話しされたわけですが、私は、これまでの歴史の流れというか、
少年非行あるいは
少年法の
改正の流れの中で、あるいは
少年の実態を踏まえてお話をしたい、そこで今日の
改正問題へのアプローチをしたいというふうに
考えております。
まず、
少年非行の歴史と現状でございますが、これまでは大体三つの波があったというふうに言われております。
第一の波というのは、御存じのように、戦争直後でございまして、いわば経済的なあるいは
社会的な混乱の中で、子供たちが生きるための、生活のための
犯罪というか、言ってみれば食うか食われるかの中でやったという
少年犯罪でありました。これは大体ピーク期が一九五一年、昭和二十六年をピークとしております。
第二の波というのは、昭和三十九年、一九六四年あたりですけれども、これが第二の波でありました。これは、御存じのように、高度経済成長ということがあって、モータリゼーションといいますか、あるいは性
犯罪、あるいは交通
犯罪、あるいは都市化、あるいはこのころから低
年齢化ということが問題になったわけであります。あるいは粗暴化とか、そういうことが非常に問題になった時期がございました。
それから、第三の波というのは昭和五十八年をピークとしておりまして、一九八三年でございますが、これが第三の波と言われております。
今日も第三の波の中にあるという学者もいますし、あるいは第三の波というのは底を打った、終わったという方もおられますが、私はむしろ、最近の一つの指摘ですけれども、第四の波に入っているのじゃないかというふうに
考えております。
これは話せば長くなるので、限られた時間でございますので、まず量的な面で、やはり第一の波あるいは第二の波、第三の波のピークと比べますとそれほどではないという面を持っておりますけれども、いわゆる青
少年人口が減っておりますので、そういう意味では、人口比との関係でいろいろな量的な側面を見ますと、やはり上昇傾向にあるということは言わざるを得ないのじゃないか。凶悪犯が、例えば
殺人とか強盗が第一の波や第二の波に比べてそれ以上になっているということではございませんが、いわゆる量的な面で少し不気味な動きがある。特に強盗罪ですけれども、不気味な動きがあると言えるのではないのか。
それからもう一つ、質的な面ですけれども、これは、御存じのような今回の
改正にもつながったと言える面ですけれども、
少年犯罪の第四の波のもとでの特徴というのが幾つか挙げられる。
一つは、いわゆる衝動的な、いわゆるいきなり型
犯罪といいますけれども、衝動的ないきなり型
犯罪の増加ということ。
それから、遊ぶ金欲しさといいますか、前は食べ物欲しさに
犯罪を犯したという時代があったかと思うんですが、あるいはスイカを盗むとかトマトを盗むとか、そういう
犯罪だと思うんですけれども、今は、何か遊ぶ金の、
自分のパソコンを買うとか、そういうための
犯罪を犯す、そういう感じの
犯罪というものが非常に増加している。
あるいは、
犯罪自体を見ますと、非常にゲーム感覚で行われるといいますか、いわゆるテレビゲームとかああいうパソコンのゲームと
自分の、言ってみれば現実とそういうゲームとの混同というか、そういうもとでの
犯罪というものが増加しているのではないか、間々見られるのではないかということ。
それからもう一つは、弱者を標的にした集団
犯罪というものが増加しているのではないかということでございます。
それからもう一つは模倣犯の増加でございまして、最近でもよく報道されますけれども、これは全部報道が当たっているとは言いませんけれども、
犯罪の一つの流行現象といいますか、あそこで起こったので
自分も何かまねしてみたい、やってみたいという衝動というものが子供たちにはある。これはもちろんマスコミの影響もあるわけですけれども、そういう形の
犯罪がふえている。この点は、第一の波あるいは第二、第三と比べまして、やはり一つの特徴的な変化というか変質というものをあらわしているのではないか。もちろん昔もあったといえば昔もあったかもしれませんけれども、やはり今日の
少年犯罪を見る場合に、一つの質的な変化として指摘できるのではないかと思います。
それからもう一つは、第一の波の時代というのは大人も
犯罪をどんどん犯していたわけで、子供たちが余り目立たなかった面もあるかもわかりません。最近では、大
人たちが非常におとなしくなってしまって、子供が目立つという面もございますので、いわゆる子供たちの
犯罪を見る場合に、相対的な比較というのは常に必要だということは言えるのではないかというふうに
考えております。
いずれにしましても、凶悪化したということを大々的に私は言っているのではなくて、いわゆる人口比とか大人との比較とかあるいは今日的な状況の中で、子供たちの
犯罪というのはやはりほっておけない時代になっているのではないか。そういった意味で、第四の波という新しい時代の到来があるのではないかというふうに感ぜられます。
以上が第一のポイントでありますけれども、第二のポイントは
少年法改正論議の展開ということでございます。
これは御存じの
委員の方も多いと思うんですけれども、私が大ざっぱに分けますと、六〇年代、七〇年代が第一期としますと、これが大論争期と言っていいと思います。
少年法改正論議が非常に沸騰した時期でございます。それから、八〇年代が鎮静期といいますか、ほとんど
議論されなくなった。一部にはくすぶっていたんですけれども、行き詰まったという説もあるんですが、どうしようもなくなってしまったという時期がございます。九〇年代というのは再興期といいますか、現在でございますが、再び活発化したというのが今日の第三期でございます。そういう意味で、論争期があって、いわゆる鎮静期があって、再興期に今至っているというのが現在的な状況でございます。
恐らく疑問を持たれたのは、では八〇年代になぜ鎮静化したのか、行き詰まったのかということです。
これは今日の
少年法改正問題を
考える上でも一つの
参考になると思うのですが、当初の
少年法改正論議というのが起こったころは、いわゆる十八歳、十九歳の年長
少年というのが最大のターゲットであった。つまり、御存じのように、学生運動というのがあって、学園紛争があったわけです。あるいは、いわゆる十八歳、十九歳は大人かという
議論が物すごくなされたという時期がございました。ところが、一つの
社会の変化といいますか、子供たちに変化が起こって、実際の
少年非行の主体というのは十四歳、十五歳に移っていったということがございます。そういう意味で、
改正のもともとのあり方と実際の現実というものが非常に食い違ってきたということもあった。
それからもう一つは、
少年法の幾つかの眼目というか、
改正の眼目が実務的にかなり完了したという面がございます。これは、
検察官関与以外はほとんど、
保護処分の多様化とかいう面とかそのほかのいろいろな改革というのは、実は実務上なされてしまったという面がございます。
そうした意味で、この時期というのは、八〇年代というのは、
少年法改正論議が非常に下火になった時期であったということであります。
もう一つの問題は、九〇年代になぜ再興したのかということでございます。これは、いろいろな最近の
改正問題を見る上で一つの大きな視点になると思いますけれども、契機となったのは、やはり先ほど申しました
少年非行の変質ということであります。
これは非常に、原因とかいろいろ、
社会学者あるいは心理学者がたくさんの論文あるいは著書を出しておりますけれども、確たるものはないというのが
法律家としての結論でございます。例えば大脳のせいであるとか、あるいは食べ物が、ジャンクフードといいますか、いわゆるインスタント食品を食べているからこうなっているんだとか、有害環境であるとか、親が悪いんだとか、あるいは学校が悪いんだとか、いろいろな説があります。
法律家というのはやや保守的でございますけれども、そういった意味で、いろいろな先端的な
議論もたくさんあるわけですけれども、これは確たるものはないと言っていい。
しかし、我々として、
法律家として問題なのは、事案が非常に複雑といいますか、動機が非常にわかりにくいという事案、あるいは、いわゆる犯行の方法が緻密なのか幼稚なのかわからないという、単純に見られないという事案が非常にふえている。あるいは、集団でやった場合に役割分担はどうなっているのかということ、そういう点で非常に複雑な事案というのがふえているということでございます。そうした意味で、こうした事案というものをどうつかむのかということが一つの課題になっていった、あるいは
社会的な関心もそこで高まったという時期でございます。
それから、こういう第四の波の
少年非行の変質ということが背景にあったわけですけれども、もっと直接的な契機というのが二つございました。一つは、
少年審判に対する批判、あるいは非難と言っていいと思いますが、そういうものが台頭したということが一番目でございます。それから二番目には、
被害者の権利運動の高まりということでございます。
私自身は、
法制審議会の
少年法部会の
委員をして
議論に参加したわけですが、刑事法部会の
委員として
被害者の
保護立法に、ことしの五月に成立しましたけれども、それに参加いたしまして、その両面から、これは偶然といえば偶然なんですけれども、これが今日の
少年法改正論議が再興した大きな契機である。つまり、もう一度言いますと、
少年審判に対する批判ということと
被害者の権利主張といいますか、そういうものが今日の
少年法改正論議の再興を生んだんだ、再び起こった契機となったんだというふうに
考えております。
これが最後のまとめでございますが、
改正問題の視点ということを先ほど三番目にお話しすると言いましたけれども、この契機となったことがそのまま視点として移しかえられるのではないか、裏表の関係にあるのではないかというふうに私は
考えております。
そういう点から、まず
少年審判に対する批判ということですけれども、直接の
事件というのは御存じのように山形の
事件、明倫中
事件ですけれども、これは一九九三年、平成五年に起こった
事件でございます。このときに
裁判所間で、言ってみれば
判断の違い、
非行があるかないかすら
裁判所によって違った結果が出てしまった。その点について、
少年審判というのは一体どういうふうになされているのか、あるいは本当に信頼できるのかということが
議論になったということでございます。この点は、
被害者側から見ましても、
少年審判というのは見えないということで、閉ざされているわけでございますので、どうしているのかということは非常に関心が高まったし、もっとはっきり言えば、不信感が高まったということが言えると思います。
それから、
少年法自体は、
非行事実が激しく争われる事案というものは余り想定していなかったんじゃないかというふうに思っております。
少年法のできた当初、先ほど
岩井先生がおっしゃいましたように、国親といいまして、国が
親がわりになってみんなまとめて仲よくやっていこう、そして一種の
少年の
親がわりになってやってやろうという発想ですけれども、そこでは
少年が
非行したかどうかと激しく争うということ自体は予定していなかったんじゃないか。予定していたと言われればそうかもわかりませんが、その
手続の
規定がなかったということは少なくとも言えるのじゃないかというふうに思われるわけであります。
そこで、非常に大きな批判というものが起こっていった。そこで大事なことは、
少年審判の事実
認定の
手続をどう
適正化するのかということが大きな問題になった、それが今回の法案につながったというところであろうと思います。
それから、
被害者の権利運動の高まりというふうに二番目の視点として申しましたが、これはもう既に本
委員会では御存じかと思いますし、五月に法案ができましたので特に詳しく言う必要はありませんけれども、しかし、特に
少年法との関係で強調しておきたいことは、
成人に比べてもっと
被害者というのは排除されているということでございます。
それは非公開という原則、それから
少年の改善更生ということがありますので、もちろん私は、
少年改善更生あるいは健全育成ということは非常に重要な柱であるし、これは忘れてはいけないと思っておりますけれども、
被害者の側から見れば非常に大きな不信感といいますか、不満があるというふうに私は
考えます。特に、
意見の表明もできないし、あるいはコピーもできないし閲覧もできないという状況でございますので、そういった意味で、九〇年代になって、幾つかのいわゆる凶悪な
少年事件を通じて
被害者の方々が非常に大きな声を出された、
意見を表明されるに至った。これまでは
被害者というのは言ってみれば泣き寝入りしていたわけですけれども、そういう意味で九〇年代になって声を上げて主張し出したということでございます。
これについてやはり耳を傾けなければならないのじゃないかということで、五月に成立しました
被害者の
保護に関連する
法律というものがあったわけですし、そこと連動してといいますか、
少年法との関係で、
被害者の問題をやはり配慮して十分な手当てをしなければいけないんじゃないかということが起こっていった。
その点で、今回の法案というのは、事実
認定手続適正化についてもかなり踏み込んだ
規定がなされておりますし、
被害者についても、通知あるいは
意見の聴取というのですか、僕は
意見の表明がいいと思いますけれども、
意見の聴取あるいは閲覧、謄写ということが
規定された大きな前進であろうと思います。
ただ、
被害者の側から見れば、やはりもっと踏み込んでというふうに恐らくおっしゃると思います。傍聴を認めてほしいとか、あるいは、私自身の
考えでは、
被害者に対する弁護人、
被害者弁護人というか、そういう制度の設定というか。国選弁護というのは加害者側にはあるんですが、
被害者側にはないわけですから、
被害者に対する弁護人というものを設定するという形で、さまざまな
被害者に対する要望というのは今後も聞いていかなきゃならないのじゃないかというふうに思っております。
以上、私自身が
法制審議会の部会で関係した二つのポイントといいますか、事実
認定の
適正化ということと
被害者に対する配慮ということをお話ししたわけですが、それ以外の今回の法案の
規定、特に重大
事件についての
処分の見直し、あるいは
年齢区分ですか、それから
審判方式の改革ということがあるわけです。これについては、確かに今日のいろいろな
事件を見ますと、こういう
規定というのが必要という世論の高まりというのは理解できますし、実際の現場の方々から見ればこういう
規定というのは必要だし、あるいは
被害者から見ればこういう
規定は必要であるという認識というのは非常に理解できるところであります。それから、実際に非常に安易な気持ちで
犯罪を犯す一定の
少年がいたとすれば、それに対する
責任の喚起、あるいは自覚の喚起という点では非常に重要な
規定であろうと思います。
ただし、私自身は、これらの事実
認定の
適正化、
被害者以外の
規定についてはもう少し
議論すべきところも多いんじゃないか。特に、いわゆる
矯正実務家といいますか、刑務所、特に
少年刑務所の関係者あるいは
少年院の関係者とか、あるいは
審判の方式については
家裁の
裁判官とか
家裁の
調査官とか、現場の実務に携わっている
人たちの
意見というものを十分聴取した上で慎重に
議論を進めていただきたいというふうに
考えております。
以上でございます。(拍手)