○池坊
委員 公明党の池坊保子でございます。
昨今の
青少年犯罪は、数十年前では考えられなかったような、私たちの想像を絶する、
理解しがたい
犯罪がふえております。また、片方では、そのような突出した凶悪
犯罪とは別に、普通の子供たちが十三万人も
学校に行くのが嫌なんだと。あるいはまた、いじめや
学校崩壊という、今まで見られなかったような現象が起こっております。現代病と言ってもいいのではないかと思いますけれども、これは現代の
社会情勢と深くかかわっていると思っております。子供を取り巻く
環境は、著しく子供の
健全育成を阻害していると考えなければなりません。
女性であるならば、次の世代のために、
有害環境を排除し、穏やかで温かな
環境の中で子供を育てていきたいと願うのは当然のことだと思います。
ある大
人たちは、子供は純粋培養では育てられないのだ、
有害環境で免疫をつけることも時には必要だとおっしゃる方もございますが、数十年前と異なり、麻薬、有害図書、有害
ビデオを初めとして、有害とされるものの質が大幅に凶悪化していき、その
影響を、子供たちは避けることができず、多大に受けていると思います。
教育は、
家庭が大切なのだ、親の愛情が大切なのだと言われておりますけれども、
家庭においてどんなに親が細やかな愛情を注ぎ、正しく導いていっても、また
地域社会が温かく子供たちを見守っても、その周りで目を覆うような
情報が
はんらんしていたならば、子供を密室で育てることはできないのですから、このような
情報に侵されていくのは当然のことと言えると思います。
来年は教育国会と言われているそうですけれども、教育というのは、何も教育現場ではなくて、有害図書、有害
ビデオ、そのような
有害環境を大
人たちがつくっていかないこと、これこそが教育の基本ではないかというふうに私は思っております。
私は、公明党の子供読書
推進プロジェクトチームの
活動の一環として、都内の
コンビニエンスストアに参りまして、有害図書の
陳列販売の実情を視察してまいりました。
まずびっくりしたことは、いつでもどこでもだれでも安易に手に入るということなんです。表紙はかわいらしい少女の写真で、ふと何げなく手にとりますと、中は目を背けたくなるような写真の羅列なんです。これでは、幾ら見てはいけないと言われても子供たちは見てしまう。なぜならば、日常品の横で平気で売られているわけです。
このコンビニでは、大変に良心的で、成人しかこれは手にしてはいけませんとか、あるいは子供の目につきづらいところに置いてありますけれども、それでもコンビニの書籍の一割がこういう書物であるそうです。
では、一体こういうことに対してどんな処置がとられているのだろうか、有害図書というのは一体どういうものをいうのだろうかと思って調べてみましたら、先ほどもいろいろな
方々がおっしゃっているように、長野県を除いて、四十六
都道府県で各自の
条例があるというだけであって、国としての
条例はないわけです。
では、諸外国はどうなっているのだろうかということで、私は諸外国を調べてみたのですけれども、例えばフランスでは、わいせつ文学またはポルノグラフィー、
犯罪または
暴力、差別または民族憎悪、麻薬の使用、密売の扇動といった場面を連想することにより
青少年に危険とみなされる
出版物は、未成年への
販売、展示、広告を
禁止することができるとしておりますし、別法では、
学校の校舎から百メートル以内は、未成年に
規制している
出版物を
販売する店舗を設置することを
禁止しております。
また、アメリカは、それぞれの州法によって異なりますけれども、カリフォルニア州法では、十八歳
未満の者に対するわいせつな表現物の
販売、
頒布、送付、持ち込みなどを
禁止しており、その
違反に対しては、拘束刑を含む厳しい処罰を行っているのです。
また、ドイツにおいては、ドイツ法の特徴と言われるほど
徹底した
青少年保護施策が行われており、有害図書を初めとする、
青少年を
保護するための施策が
徹底しております。
では、日本においてはどうなのか。
刑法で、
わいせつ物販売、公然
陳列罪としての処罰
規定があるのみで、
青少年健全育成の
立場からは何もございません。これは地方自治体に任せてあるわけで、地方分権の
観点からいえば、地方の独自性があってもいいじゃないかという御
意見もあるかもしれませんけれども、大体、地方が決めておりますことは、
一つは包括
規定です。もう
一つは、審議会を設けて、その審議会で審議して、知事が指定しているわけです。
この審議会というのは民主的ではないかと思われるのですが、そうではなくて、時にはその構成メンバーの中には当然業界の方も入っていらっしゃいますから、どんな
立場の方がその審議会をリードするかによって、
規定が大変甘くなったりあるいは厳しくなったりするわけです。
先ほど水島
委員がおっしゃったアンアンですけれども、これを
条例で
規制しているところもございます。それぐらい厳しい
規制もある。だけれども、東京都などを見てみますと、私は、甘いなと思ったりもいたしました。つまり、地方によって違うということは、千葉県で買うことができない本も東京に行ったら買うことができる、またその逆の現象も行われるわけです。
私は、諸外国のように、子供を
有害環境から守るためには国の統一した見解がある方が好ましいのではないかというふうに思っている人間でございます。それは民主主義の後退ではないかとおっしゃる方があるとしたならば、アメリカやフランスでもきちんとした
規制がございますが、アメリカやフランスでは民主主義は後退していないのです。日本では、民主主義は何であるかということがわからないから、何かというとすぐ、それは民主主義云々ということになってしまうのではないかと思うんです。
子供というのは可塑性に富んでおります。可塑性に富むということは、速やかに吸収する吸引器のようなもので、白紙の状態で、いいことも、だけれども悪いものもまた吸収していくのです。ですから、先を歩んでいる人間が、何が真であり何が善であり何が美であるか、そうしたものをきちんと教えていく、示していくことが務めではないかというふうに私は思っているんです。こうした、理念なき、毅然としたものを教えてこなかった大
人たちのその結果が、私は、今のさまざまな子供の現象を生んでいるのではないかと思って憂えている人間です。
総務庁にお伺いしたいんです。
条例だけに頼って国としての方針がないというのはおかしいな、何か私たちは至らないんじゃないかというふうにお考えになりませんか。