○渡部
参考人 ただいま御紹介にあずかりました渡部でございます。
きょうは、こういうところで意見を述べさせていただくのは、大変光栄に存じております。
まず、
日本の
憲法に関係しまして、
明治の
憲法を考えますと、これも言うまでもなく、有色人種では自力でつくった最初の
憲法でございました。その
憲法のもとで、
日本は今
世紀の初めに日露
戦争でも勝ちました。ですから、旧
憲法は、
日本を急速に近代化させるのに絶大な力があったと言うべきであります。
ただ、この
憲法は、日露
戦争が終わった以後も決して
日本を軍国主義に進めたものではありません。日露
戦争以後の
日本は、決して軍国主義に進まず、逆に民主主義の方に向かっていたのであります。ですから、軍縮もやりましたし、つくりかけておった戦艦を沈めたり、四個師団も省くというのも全部旧
憲法のもとで着々と進んでおり、
大正十四年には普通選挙法まで自然にいっておったのであります。
そして、
大正の初めごろには、第三次桂
内閣のごときは、実に演説だけでつぶれておるのであります。日露
戦争に勝ちましたときの総理大臣ですらも、その成立の手続がまずいとなると演説会だけでつぶされるというところまで、
明治憲法のもとでは言論による民主主義が進んでおったと考えるべきであります。
そして、
大正十四年には普選法が通過しましたが、これはもちろん、税金を納めなくても成人男子はすべて選挙権を有するという、当時としては一番進んだ方の規定でありました。もちろん、第一次
大戦後は女性にも選挙権を与える国が出ましたが、これは大体徴兵制のない国がしたことでありまして、徴兵制のある国は、男子に非常に重い徴兵の義務を負わせておったために、選挙の
権利は男子だけであったとしてもやむを得ませんでした。これは、スイスを見てもわかりますように、スイスもつい十年前ぐらいまでは女子には選挙権がありませんでした、あそこは男子が徴兵制でありましたから。
ですから、
日本の
大正末期までは、
日本は
明治憲法のもとで着々と民主主義を進めてきたと言っても過言ではないのであります。
ところが、それがおかしくなったのはなぜかということであります。
これは、いろいろな理由があると思いますが、
一つは、何といってもロシア革命の成功であります。ロマノフ王朝が別の王朝になったのならどうということもなかったのでありますが、それは暴力主義による共産主義革命でございました。しかも、当時のコミンテルンは、
日本の共産党に対して、当時は非常に小さいものでありましたが、皇室の廃止を指令したということを当局はつかんだわけであります。そうしますと、危機感は非常に大きくなったわけであります。
まず、陸軍は、日露
戦争以来、あの広大な満州に一個師団しか置いていませんでした。これは、まことに治安維持だけの
軍隊でありました。それでも非常に治安がよくなりましたので、百万をもって数えるチャイニーズが流入したことは御存じのとおりであります。ところが、スターリンのもとで五カ年計画に次ぐ五カ年計画を立てましたソ連は、極東周辺に強大なる近代軍を集中し始めましたので、陸軍がまず第一に危機感を持ちました。
それから、共産主義は、中国の
民族主義をあおり立てて、それを全部反日運動に向けてきました。これも危機感をあおった
一つであります。さらに、
日本の国内におきましては、皇室を廃止しようというような強大なる隣国が生じたことに対して極めて大きな危機感が生じて、右翼というものが発生いたしました。
大川周明は私の中学の先輩でありますし、北一輝はすぐ隣の県の方でございますが、右翼というのは、
日本の国体、
天皇というものを極めて大切に思った人たちではありましたけれども、彼らがつくりました実質上のプログラムは完全なる共産主義あるいは過激なる社会主義のものでありました。それは、大川周明のつくった綱領あるいは北一輝の一連の書いたものを見ますれば、これは左派の社会主義から共産党の間ぐらいの綱領であったことがわかります。それで、その影響を受けまして、軍部でも青年将校たちが左翼になりました。簡単に言いますと、右翼なんですけれども左翼という奇妙な状況であります。
右翼というのは、
天皇ということと
日本の国体ということにおいては非常に忠君愛国、
民族主義的なのでありますが、彼らが掲げる政策はことごとく共産主義に近いものでありました。
簡単に言えば、
天皇のもとに直接民衆を結びつける、そして華族も要らなければ地主も要らない、資本家も要らないというような主義でありますから、
天皇をスターリンと置きかえれば、同じようなことを主張しておったのであります。そして、これが官僚の
世界でも新官僚を生み、全体の雰囲気として左翼がかったのですね。右翼といいながら左翼がかりました。そして、テロまで頻発したわけであります。
そのようなところに、非常に不幸なことには、当時の
言葉で言えば支那事変、後に日華事変、戦後は日中
戦争と言っているものが始められました。始めたのは
日本でないことは東京裁判でも明らかでありますが、終わらせる努力が足りなかったのは明らかに
日本側の責任であります。その終わらせなかった理由は、今では大変明らかだと思うのですが、それは、
戦争をしていますといかなる法律でも通るということを当時の右翼と言われる左翼の軍人、官僚たちが発見したからであります。
昭和十二年七月七日に支那事変が勃発いたしましたけれども、
昭和十三年以降の国会で通りました法律を眺めてみますならば、皆、腰を抜かすほどの社会主義立法がずらずらと出てきております。例えば地代家賃統制令から始まりまして、最終的にはあらゆる物資、ほとんどすべての物資、食料まで全部配給制になりました。これが社会主義でなくて何が社会主義かということであります。
その初期の段階において、初め大陸で戦いましたときは、武器その他非常に足りなかったのでありますが、社会主義政策をとりますと、
明治以来蓄積しました
国民の富を非常によく搾り取れるということが発見されました。ですから、
昭和十二年の段階で
日本が
アメリカと
戦争できるなんということをまともに考えた人はいなかったと思うのですが、
戦争をやっているうちに、どんどん法律を変えたものですから、どんどん国力も出るような方策が浮かびまして、後になればゼロ戦数万機をつくるなんということは、
昭和十二年ごろはだれも考え得なかったことであります。
そして、頭の中は社会主義になったものですから、社会主義国でも反感を持つのは、皇室に対する反感を示しておるソ連に対してだけであって、むしろ、社会主義
国家になりましたヒトラーのナチス、これはナツィオナル・ゾチアリスムスでありますから
国家社会主義であります。それから、ムソリーニのファシズムも、ムソリーニも極左でありまして、共産党と殴り合って結局政権をとった。要するに、左翼であります。こういう社会主義政党に親近感を持ったことが大きく心理的に働きまして、それをまたあおり立てるマスコミが非常にありまして、三国同盟という悲劇に至ったわけであります。
三国同盟は、
国家主義的な、
国家社会主義的な国三つの集まりで、
日本は当時
国家社会主義を目指しておりまして、自由主義とか自由
経済というものを極めて嫌っておったことは、私が子供のころに読んだ雑誌なんかでも非常によく覚えております。もう自由というものは敵でありました。そして、三国同盟がまた
戦争につながることは、これはだれも認めることであります。
ですから、まず第一の
戦前の反省点は、
日本はソ連の革命に引きずられたために、
日本国内で右翼と称する左翼団体が生じ、これが民間及び青年将校の
思想になり、それがテロを生み、そして
明治憲法の
欠陥というか足りないところに乗じて、それまでは民主主義の歩みをやってきました
明治憲法下の
日本を一挙に
戦争の方に持っていったということであります。
ですから、
戦前の第一の反省すべきことは、
日本は国体という名の社会主義に引かれ過ぎてしまった、そして、一番の
貿易相手である自由主義国と手を切る方と同盟を結んでいったということにあると思うのであります。これが私が最も痛切に遺憾とするところであります。
明治憲法のもとでは本当に、ソ連が成立するまでは、
日本は着々と民主主義に移っていった。これが消えたことは、私は非常に残念です。
私のうちにはたまたま創刊号から「キング」がありまして、
戦争中なんか余り本がないものですから繰り返し繰り返し読みましたから、
大正の末期からのことは何かよく覚えておるような感じが
自分ではしております。
その辺で出てくる小説、一例を挙げれば、佐々木邦の小説などというものは、上流階級のことを書いたものでもなければ特に下層階級を書いたものでもない、普通の学校の先生だとかお医者さんだとか商店とか、そういうものを書いたものですが、その雰囲気は、大体私が本当だろうと感じている当時の雰囲気でありました。それが、
戦争で敗戦まで行くような悲劇の方に行ってしまった。これが第一点です。
戦後は、もちろん占領政策としましては、当時、一時モルゲンソー・プランとしてドイツになそうとしたるがごとく、
日本には農業と軽工業しか許さないような政策を占領軍は持っていたようであります。
ところが、御存じのように、朝鮮
戦争が始まりますと、朝鮮で
戦争をする羽目になりました
アメリカ軍は一挙に反省しまして、
自分たちがやっていることは、
明治以後の日清、日露で
日本が戦ったのと同じ形になっておる。北からの強大なる勢力が朝鮮半島におりてくれば、これは
日本にいる
軍隊としては黙って見ているわけにいかないということを実感したわけであります。
北朝鮮がスターリン及び毛沢東の指示を受けてだだっと入ったときに見殺しにできなかった。それで激烈な
戦争が始まって、
日本が昔やったのと同じことをやっているわいと反省しまして、
日本に対する見方を百八十度変えて、ばたばたと平和
条約まで成立させるもとになったわけであります。そして、
日本に対しても重工業が許される状況になりました。
そして、重工業が許されてみますと、
日本人の潜在能力というものは
世界を驚かしむるに十分なものでありました。それは、
明治維新後から
戦争に至るまでの
日本の発展が
世界じゅうのあらゆる予想を裏切る速さであったことと同じことであります。ちょんまげをつけておった
日本が四十年後にはナポレオンに勝ったロシアに勝つなどとはだれも思わなかった。それだけ速い変革を
日本は遂げた。
戦後も、一時は全部国じゅうが焼き払われ、国外の資産はすべて失われ、国際的には犯罪
国家の烙印を押された
日本が、再び自由を許されて国際社会に入ることを許されるや否や、たちまちにして強大なる
経済大国になったわけでございます。
そして、たび重なるオイルショックも越えました。それで、余り輸出が強いと言われましたので、自由化なんか押しつけられました。自由化を押しつけられた当時は、月の後ろに人をやるような国と自由競争をやっては勝てないんじゃないかという不安もありましたけれども、むしろ自由にさせれば
日本人の能力というのは想像を絶するものがありまして、たちまち一人当たりのGNPでも
アメリカを越すまでになりました。そして、気がついてみたら、先進国の代表でありましたフランス、東西ドイツ、
イギリスを合わせたぐらいのGNPをこの小さな島でつくるほどになっていたわけであります。
ところが、ベルリンの壁が崩れ、ソ連が瓦解した後、何か変なぐあいに
日本の方がぼろぼろになって今はいるわけです。それは何がぼろぼろになったかというと、要するに金融でありました。なぜ金融がぼろぼろになったかといいますと、これは強大な官僚の保護のもとにあったからであります。
大蔵省は、
日本の銀行はつぶさないと言っておりました。大蔵省の言うことを聞けばつぶさないんだと。つぶさないという発想
自体が、これは社会主義の発想そのものなんですね。そうしますと、競争というものが当然ありません。ですから、東京三菱のような大企業でもおかしげな第二地銀でも同じ金利でやれとか、何かそういうことをやるわけですね。
これは、例えで言えば、教室で一番できる子も一番できない子も同じ点数をやるというのと、あのこっけいさと同じことを金融でもやったわけです。これは自由主義ではありません。完全なる共産主義です。あるいは社会主義です。これは
日本人が、僕が言っているだけでなく、当時
外国でも皆そういう批判があったわけです。
ところが、ソ連が崩壊した後は
世界のマーケットが確実に
一つになりまして、
日本だけが、冷戦のときに西側についているので、目こぼしを受けるというような状況でもなくなりました。そうしますと、一挙に瓦解したという感じになりました。
これは、金融、特に金融当局が私有
財産に対する尊敬心を持っておらなかったということによるものだと思うのです。それは、バブルのときに土地が高くなり、株が高くなった。これは確かにいろいろな技術的な誤りはありましたけれども、そのつぶし方が、とても今の
憲法を持っているような国とも思えないほどすさまじいものでありました。
某中央銀行総裁は、土地の値段を半分にしてみせると言いました。その地価は、国有地の地価を半分にするという意味ではありませんでした。土地というのは会社か個人が持っているわけでありますから、その価値を半分にするなんということは私有
財産に対する真っ正面からの攻撃であって、これが本当の自由主義国である某国であるならば、そういう中央銀行の総裁は翌日死体になって転がっていたかとも思われるのでありますが、
日本は、むしろそれに喝采を送るマスコミが多かったのであります。
それから、総量規制という一銀行局の通達によって、それまでの
日本の銀行の担保価値が暴落するということが起こりました。これもまたむちゃな話でございます。土地が高くなったというのは、私有
財産がふえたこと。しかし、それをつぶすというのはおかしいのです。というのは、もうけ損ねた人はいても損した人はいないからであります。
これを例えば
アメリカで見ますと、グリーンスパンさんが、
アメリカは明らかにバブル
状態にあったわけでありますが、いかにそれを長く続かせようかと努力しているように私には見えます。ところが、
日本ではいきなりばさっとぶっつぶしたわけです。
ぶっつぶしたのみならず、これはある銀行の首脳から聞きましたが、そういうむちゃな、担保物件が一挙に価値を半分あるいは三分の一になるようなことをやられて、さあ大変だということで、銀行は直ちに赤字決算をしたいと思ったそうでありますが、
日本の当局は赤字決算を許さないという命令を出しておったようであります。事実上は赤字にしてそこで処理しなきゃならないのに、しちゃいけないというわけでありますから、既にけがをして血を出しているのに、止血をしちゃいけないというような政策をとったわけです。
そうしますと、そのためにはどうするかといえば、手持ちの資産を売るよりしようがない。具体的には株が一番多かったようでありますが、それは高度成長
時代以来ためていたものがありますから、しばらくは売り続けるわけでありますが、だから株は上がらない、しかし血はとまらない。
かくして、つい七、八年前までは、
日本の銀行はフォーブスとかああいう雑誌のランキングでは一位から八位ぐらいまで占めて、九位に
外国が
一つ入って、十位がまた
日本なんというぐらい、上位はほとんど全部
日本が八、九割占めておったのが、ことしになってみますと、
日本で一位の東京三菱が何と四十三位まで転落しております。その間には、つぶれた銀行もいっぱいあります。
これなぞは、どう考えても自由主義
経済の国ではないんですね。
外国が、特に
アメリカの人たちは、
日本は社会主義の国だとよく二言目には言いますが、私はそのとおりであったと思います。ですから、銀行の首脳がこぼすのを直接聞いたことがあります。銀行には決算権がないんですよ、幾ら公認会計士がこれでいいと言っても、大蔵省がだめと言えばだめなんですよというようなことでありました。それだけがっちり統制して、そのかわりつぶさないと言ってきたわけですけれども、それができなくなってぼろぼろになった。
そうしますと、今
世紀の、
戦前の最大の反省点は、さっき申しましたように社会主義に傾いたことです。戦後の反省点は、高度成長
経済は自由化に対して
日本が前向きに応じて、自由化に成功した製造業を
中心とした繁栄でありました。それに反しまして、金融業、あるいは、ほかの省庁もあるんですが、代表として大蔵省を挙げておきますが、これは社会主義的な発想を変えていなかった。私有
財産をよきものだと思わなかった。民間に置くことを是としなかったという発想があって、その一連の規制がその後のここ十年の悲劇のもとであったと思うのであります。
そうしますと、この二つの反省、
戦前の反省と戦後の反省を考えますと、
日本人は、規制が少ない状況に置けば、いわゆる自由マーケットの状況に置きますれば、これは
世界のどこの人も想像できないような急速なすばらしい発展が遂げ得る。それは、維新後の
日本それから朝鮮
戦争以後の
日本ですね。ただ、社会主義的な規制が入りますと、
日本はその実力を失い、国富をすっ飛ばすようなことをやる。これは、二十
世紀の前半と後半に二回起こったことだと思います。
そうしますと、私は、二十一
世紀に対して、この反省に基づいて
日本を持っていくにはどうしたらいいかといいますと、今言った過ちに二度と入らないようにすることだろうと思うのです。それは別の
言葉で言えば、マルクスのマインドコントロールから自由になることである。マルクスのマインドコントロールをすっかり取った上で、新しい法律、新しい
憲法を構想していくべきだろうと思うのです。
マルクスといえば、それは詳しく言い出せばそれこそ図書館
一つ分ぐらいあるでしょうが、ぎりぎり煮詰めますと、私は、マルクスのマインドコントロールは三点に絞り得ると思うのです。
一つは、私有
財産の廃止であります。それと関連しますが、第二は、相続権の廃止であります。第三は、生産
手段、流通
手段の国有化あるいは公有化であります。この三つが、十九
世紀後半以降、
世界のインテリの頭をとらえたマルクスの呪文であったと思うのですね。
それは昔も貧乏人はおりました。しかし、金持ちの数が物すごく少なかったわけです。例えば、マルクスがそこで本を書きました
イギリスにしましても、貴族は大体地主も兼ねるわけですが、その貴族とごく少数の大商人ぐらいで、あとは大部分が貧乏人だったわけです。だから、貧乏というのは普通の状況で、金持ちが例外ということだったのですが、
産業革命が起こりますと、無数の小金持ち、大金持ちが出ました。そこで、貧乏人に、貧富の差ということが初めて強烈に感じられてきたわけです。
ですから、マルクスが書いたころは、確かに義憤を感じせしめるものがあったと思うのですね。それで、私有
財産があるからよくないんだ、そんなものなくすべきである。それから、金持ちが遺産を子供に残す、こんなことがあるからいかぬのだ。それから、工場を
自分でつくったり商店を
自分で持ったりする、だから貧富の差が大きくなるんだ。だから生産
手段、流通
手段は全部国有化、公有化すべきであるというのがマルクス主義のエッセンスだと思うのです。
そして、これをロシア革命は暴力をもってなし遂げました。そして、悪いところは隠しますから伝わらなかったこともあるでしょうが、一時は成功したように思い込む人もいっぱいおりました。
イギリスなんかでも相当の人が思い込んだぐらいですし、
日本でもいたわけであります。しかし、それはだめだったのですね。結局だめなことを、二十
世紀、七十年かけて証明してくれたわけだと思うのです。
一番証明がはっきりしましたのは、生産
手段の国有化あるいは流通
手段の国有化、公有化であります。これはどこでも失敗したものでありますから、この点に関しては、
世界じゅうで、もう一度大企業を国有化しようという国はちょっとないんじゃないかと思います。それから、流通
手段も全部国がやるなんということはほとんどないと思いますね。
国有化の大好きだった
イギリスも、それはやめました。
日本も、国鉄の分割・民営化で象徴されるように、国有化の反対の方に向いていることは明らかでありますから、マルクスのマインドコントロールの第三の点、すなわち、生産
手段、流通
手段の公有化、これについてはもう心配がなくなったと私は思います。
ところが、前の二つ、私有
財産及びその相続に関しては、依然として、強烈にマルクスのマインドコントロールが働いているように思うのです。
これをやりますとどうなったかということを、社会科学というのはフラスコの中で実験するわけにいかないので、観察するより仕方がありませんけれども、観察しますと、例えば我々は、ソ連の崩壊をもって、ソ連の内容を比較的よく知るようになりました。
ソ連というのは、御存じのように、広大なる土地を持っておりまして、金の産出量は
世界一、石油の産出量もアラビアに劣らず、森林
資源は無限、土地
資源は無限と言ってもいいぐらいのところであります。それが、七十年間、私有
財産を廃止し相続を廃止してやってみたところが、すってんてんで何もなかったというのが実情であります。残ったのは、ノーメンクラツーラを
中心とする強烈なる官僚
組織と、あとは二流の武器でありました。あとは何にもないのですね。本当に何にもなくなりました。
芸術も何もなくなりました。いや、ボリショイバレエ団があるじゃないかなんと言う人もいますけれども、あれは共産政権のもとでできたのではなくて、王朝
時代からあったものを踊らせ続けただけの話であります。エルミタージュ博物館にすばらしいものがあるといったって、そこでは共産主義
時代につくられたものは何もありません。だから、芸術も何にも、全部だめ。市民というステータスさえなくなった。すってんてん。残ったのは特権的官僚制度と二流の武器だけ。これが、ソ連が我々に示してくれたことです。
それがロシア人の
国民性によるものかといえば、そんなことはありません。ロシアの支配下にありました東ヨーロッパを見ますと、例えば東ドイツ。東ドイツは旧プロシアでありますから、これは近代ドイツの母体になった地域であります。ブランデンブルク地方から始まりまして、ドレスデン、ライプチヒ、ハレなど、
文化都市、学問都市がいっぱいありました。
ところが、四十年間やってぶっつぶれてみますと、私もちょっとライプチヒ大学に関係があったものですぐに見に行きましたけれども、惨たんたるものですね。ベルリンの壁が落ちた当時の例えばライプチヒの町なんというのは、終戦直後でちょっと駅あたりが復興したかなというようなぐらいなんですね。
そして御存じのように、東ドイツに入ったときに、道はでこぼこですね。西ドイツではベンツだとかBMWだとかアウディだとかが走り回っているのに、向こうではトラバントという自動車だけ。しかも、これが入るにはよっぽどの強烈なるコネが党幹部となければならないとか、それでようやく手に入れて乗ると途中で火を噴くとか、そのような物すごい差があるのですね、同じドイツ
国民でも。
しかも、ドイツ
国民の中でも、東ドイツの方は近代ドイツの母体なんですよ。むしろ南の方がおくれておったわけですから。そこがあれだけだめになるのですね。何にも、それこそ
文化のブの字もなくなります。市民の
権利も皆なくなりました。
もちろん、これはアジアでも例外ではありません。毛沢東
時代の中国、ポル・ポト
時代のカンボジア、今のキューバ、あるいは北朝鮮を見ても、例外はありません。
私有
財産をなくするということは、富全部をなくすることです。わずかに残った富を握るのは高級官僚だけです。あるいは特権官僚といいましょうか。あるいは、独裁者とその周囲の人と言ってもいいでしょう。
そして、つくれるものは二流の武器だけです。ソ連もそうでした。中国はちょっと今変わりつつある面があるのですが、北朝鮮なんかでも、テポドンだとかあるいはミサイルとか何か、そういうものは輸出までしているらしい。だけれども、その武器は、もちろん、
アメリカに比べれば全部二流三流です。にもかかわらず、武器はつくれる。これは採算性無視でできますからね。あとは何もないんですね。例外がありません。
だから、私有
財産を廃止するということは
国民をとことん貧乏にすることであって、
一つまみの独裁者とその周囲の官僚だけしかよくならないということを、二十
世紀は示したと思うのです。
そうしますと、我々は、私有
財産の神聖なんということは言わなくてもいいのですけれども、私有
財産をもっと尊重するような
考え方が重要ではなかろうか。
そして、私有
財産に対する一番の脅威は、普通は泥棒と考えるのですけれども、泥棒などは大したことはありません。一番怖いのは税金であります。ですから、私有
財産を考える場合は、税制をどうするかということが最終的な一番重要なことだと私は思うのです。
今、よくディレギュレーションとか規制緩和とかいろいろ言われておりますが、
国家の規制で最大なるものは昔から二つしかないのです。それは徴兵と徴税なんですね。
日本は、徴兵はありませんので、徴税、税金だけです。税金という
国家規制に比べれば、ほかの規制などは皆つめのあかみたいなものです。
だから、この税金に対して、私有
財産に罪悪感をというマルクスのマインドコントロールを全部取り払った形で取り組まなければいけないと思うのですね。それで私は、二十一
世紀の明るい
日本をつくるのに、極端な形でいえば税金しかないのではないかと思うのです。
例えば、どういうふうにやるかといいますと、私は相続税の全廃を唱えます。これは、そんなことというような話になるわけでありますが、御存じのように相続税は消費税の一%分ですから、全部廃止したといたしましても、
国家の財政がひっくり返るとか、そんな話ではありません。ただ、個人に対する影響は絶大であります。
それで、この相続税に関連して、私は遺留分を廃止すべきであると思います。
イギリスなんかも、昔は
日本と同じように長子相続制度であったのですが、やはり長子というものに特権を与えるのはおかしいというようなことで、長子相続制度はやめたのですが、遺留分なき相続税制を持っていますものですから、結局相続はできるのですね。
アメリカもそのようであります。
そうしますと、私が一番関心がありますのは、源泉所得収入者である私などは本当は関係ないのですけれども、国のために言うのでありますが、一番元気づくのが
日本の中小企業なのですね。
中小企業は
日本の
産業の九八%ぐらいあるのだそうでありますが、そこで成功する人たちが、成功し始めますと、途中から余り元気がなくなるというか、迫力がなくなるのですね。なぜかというと、このまま成功していっても、おれが死んだらどうなるだろうかということになるのですね。そうすると、なまじっか仕事をするよりは、節税の方向、あるいは脱税を含めた節税の方向を考えた方がいいとか、あるいは、子供を間違って三人もつくっちゃった、これが遺留分を請求されたら後継ぎはどうなるのだろうとか、そういうような余計な心配の方が多くなっちゃって、一歩迫力がなくなるのですね。
ですから、成功した人が、成功するまでは物すごく張り切って楽しくやるのですが、成功してしばらくたつと憂うつになるわけです。これがやはり
日本が何となく元気がなくなっている
一つの根本理由だと思うのですね。
ところが、赤字を出している人は一向構わないわけです。死んだって税金は来ませんから。
そうすると、これはかつてサッチャーの名言として伝えられますが、サッチャーさんが首相になった前後の労働党との討論の中で言った
言葉だと言われておりますが、
イギリスの現在の税制は、努力し成功した人を処罰し、怠けたり失敗したりすることを奨励する税制であるというような名言を吐いて、一挙に税金を半分以下にしたということは有名でありますが、今の税制ですと、成功した人が暗い顔になっておりますし、晏如として死ねないんですね。
成功した人はそれだけのノウハウを持っているわけですから、とことん死ぬまで働きたければ働いた方がいいと思うんですね。そして、後継ぎは
自分が一番会社をつぶさないだろうと信ずる人間に、それは長男でも次男でも、あるいはそうでない外部の人でも、娘婿でもだれでも構わないわけですが、その人に譲ろうと思えば全部譲れるような形、分けようと思えば分けられる、それは勝手な話ですが、というような形にすべきだろうと思います。
これは、実は相続税というものはなくても済むんだということを偶然発見したのは、今から三年前ですか四年前でしたか、スイスにカール・ヒルティという人の研究に行ったわけですが、ちょうど私が行きました州、カントンというんですね、ヴェルデンベルグ州という州でしたが、そこの州
議会が相続税全廃を決議したんですね。
相続税全廃というのは当時の私の発想にありませんものでしたから、それはどういうことだと聞きましたら、そのスイス人はきょとんとしていまして、いや、親は生きている間ちゃんと働いて相応の税金を納めてきた、死んでからまたそれから取るのはおかしいじゃないかという人が議員の半分以上いたというだけなんですね。それで相続税は全廃になった。それで、その州はいいんですけれどもほかの州はどうしているかと言ったら、ほかの州も全廃している州はある、取っているのはどのくらい取っているかと言ったら、よくは知らないけれども三%になっているところはないだろう、こういうことでありました。それで、私が多少思っておりましたスイスの
歴史が一挙にわかったような気がしたわけです。
スイスは御存じのように山ばかりで、これという
産業はありません。湖などはありますけれども、漁業なんかできるようなのは
一つもありません。今でこそ山に登りたがる人がいるものですからふもとにホテル業なんかありますが、昔は頼まれたって登る人はいませんので、登山業もありません。何が主要
産業かといいますと、傭兵だったんですね。いろいろな諸侯のところに出かけたわけです。その名残が今のローマ法王庁に、ローマ法王庁の番兵がいますが、あれはスイス人だけ使っていますね。ああいうのが方々に働きに行きました。
そして、その傭兵として働いたのを仕送りするとか、あるいは戦死して口減らしになるとか、そういうのがスイスの形態で、貧乏の代名詞みたいなものだったわけでありますが、今のような形態になりましてからは、そういう貧乏国でもやはり富が蓄積するんですね。だんだん蓄積しているうちに金目のものができるようになるのですね。昔、高いものの代表といったら時計だとかオルゴールだったと思うのですが、そういうものができるようになる。それから、チューリヒなんという、人口からいえば
日本の相模原市よりも小さいような町が、
世界的な金融の
一つの
中心になるとかいうことが起こるんですね。
スイスという国は、九州よりも小さいぐらいのところで、九州のように魚がとれる海に囲まれているわけじゃありませんし、金が出るわけじゃないし、水田があるわけじゃないんですが、一人当たりのGNPは、もちろん
日本以上、
アメリカ以上、ドイツ以上ですね。ということは、どうもその辺に大きなものがあるんじゃないかと思います。
ですから、まず相続税全廃を目標にする。
それから、私は、所得税は上限一〇%どまりでいいと思うのです。これは、かつて私が政府税調の
委員をしておりましたときに、当時の主税局長さんに、
外国の学者には所得税は一〇%前後でいいはずだと言っている人もいるけれどもどうお考えかと聞きましたら、その主税局長は即座に、皆さんから取らせていただくならば一〇%は要りません、七%で結構でございますと答えました。
考えてみますと、
日本の国内総生産高はざっと五百兆。一割で五十兆、七%で三十五兆。ところが、今は所得税を取っているのが二十兆切れるぐらいですね。そうしますと、七%でも全員から取れば御の字だというのはよくわかるんですね、三十五兆も取れるわけですから。大変な概算ですが。そうしますと、低所得者は免除しなければ、四%で理論上今と同じになるわけですから、免除してやれば一〇%で御の字だろうと思うのです。
そうしますと、まず世の中が明るくなるのです。今何か
日本暗いと言う人がいるのですが、ちょっと暗いような感じがしないわけでもありません。二十一
世紀、ぱあっと明るくなると思うのです。
というのは、数年前、ある週刊誌がお宝拝見なんというグラビアをつくりました。そのとき銀座のホステスが、何か自動車を、ちょっといい自動車だったんですね、見せびらかしました。そうしたら、御推察のとおりに、すぐ税務署が行きました。おまえ、所得申告もしないで、どこからこれを買う金を手に入れたかと。それで、ぎゅうぎゅう搾られたあげく、結局、○○さんにもらいましたと。そうすると、○○さんにすぐ税務署は行くわけですね。そうすると、○○さんはまたぎゅうぎゅう搾られまして、あなたの帳簿からはこんなのは出ないはずだ、どこかに脱税、節税をしているに違いないとこれまたぎゅうぎゅう搾られて、結局また暗くなるのですね。
別に僕は、銀座の女に自動車を買ってやることがいいか悪いかの問題ではなくて、
自分の働いた金を勝手に使えないというのは一番くだらない話だと思うのです。だから、一億働く人が千万円ばんと納めれば、後は何をしようと領収書も要らない、
国家の権力から自由であるというその気分、それが重要だと思うのですね。
ヨットでもそういうことがありました。名古屋の方だったと思いますが、ヨットの好きな会社の社長がいて、それがヨットをやったのですね。ところが、税務署が来まして、結局、
一つの会社でやるのは認めないというような話になりまして、いわゆる普通の控除は認めないということで、
日本から
世界のレースにヨットが参加するのは
一つになりました。これは何社か一緒に出しているからオーケー、一社で出せばだめなんですよ。いわんや、個人ではだめなんです。ところが、
世界のヨットレースには、個人のスポンサーで出てくるのはごそごそいるわけです。
というようなことで、おおらかなことをやる
日本人がいなくなって、皆こせこせして、国を代表して
会議に行くような人でも、タクシーに乗ると領収書をとるとか、そんなような話になってしまって、小粒になっちゃうんだと思いますね。そして、そうして取った税金がどこに使われているかと言えば、使われ方の検査もできないようなところにばらまいているというようなのが納めている人の実感ではなかろうかと思います。
そして、もし今のような税制を実行したとすれば、
日本に国際的な大金持ちの一族のだれか一人ぐらい、ある一族のうちの一人、この一族のうちの一人というぐあいに国籍を取らせによこすに違いない。これは国際的な人たちの何百年間確立された
行動のパターンなんです。ところが、
日本には今来ないのですね。
世界一金融資産があるというのにそういう人が出てこない。国籍を取りたがる人はいるのでしょうけれども、それはコンテナ船に隠れて来るような人だったりして、あれなんですね。
もしも、国際的な大金持ちの一族が国籍を取る、そういう人たちが五十家族ぐらいあれば、
日本に対して意地の悪い決議なんかを国際的に行おうとするときに、その人たちが、
自分のおじさんとかなんとか、
アメリカとかどこかにいる人に皆電話をかけたりして、
日本に対してこういう不利なことが行われようとしている、何とかしてくれと言うと、一族の話ですから、ああ、そうかというわけで、今度はワシントンに電話をかける有力者が出たりして、これは
日本のやわらかい意味の
安全保障になると思うのです。
そして、よく言われますように、ここ数百年間、アングロ・サクソンが常に勝つ側についておった。これはいろいろな理由があると思いますけれども、
一つの非常に大きな理由は、それはスペイン、ポルトガルがあれだけ海洋航海の先駆者でありながら、急速に没落したのは、スペインなんかはユダヤ人追放令をつくって皆出したんですね。追い出しちゃったんですね。そうすると、国際的な情報がどうも入らなくなった感じがしますね。
反対に、
イギリスの方は、歓迎したわけじゃないけれども、入れました。そして、十九
世紀の半ばには、ユダヤ人を保守党の党首にし、総理大臣にまでしたわけです。ディズレーリなんというのはデイズラエリですからね。イスラエルからの人なんという、私はユダヤ人でございますというような
名前の人も、もちろん宗教だけは改宗してイングランド教会になっていましたけれども、首相にしているんですね。
そうしますと、あの
イギリスが我々の血を分けたやつを首相にしているというので、
世界じゅうに散らばっているユダヤ人が
イギリスを母国のごとく感じてきます。そして、あらゆる情報が
イギリスのために流れ、
イギリスのために流されるようになる感じがあります。ですから、スエズ運河が売りに出たぞといったら、ぱあっと教えてくれるわけです。そうすると、
イギリスにいるロスチャイルドさんがすぐに
イギリスの首相を晩さんに呼んで、スエズ運河が売りに出るそうですよとささやくわけですね。国会は休会で、当時ですから集まるまでに何カ月もかかる。そうしたら、その場で買いましょう、金は貸してくれるか、はい、貸します。ぱっと借りてぱっと買うなんというようなことを
イギリスはやったわけです。
アメリカも、ユダヤ人は決して差別されないわけではありませんけれども、迫害されたわけでもありません。そうしますと、そこに集まるのですね。国際的な情報もタレントも集まります。これがアングロ・サクソンの
世界がここ数百年間常に情報的に有利なところを歩いてきた
一つの大きな理由ではないかと私は思います。
日本も、そういう
日本になるためには税制を変えるよりしようがないんですね。私有
財産は守られるんだということを天下に明らかにするより仕方がない。来年からできるとは思いませんけれども、二〇一〇年を期して、相続税を全廃し、遺留分を廃止し、所得税は上限一〇%を目的とするなんということを政府が公言すれば、これは大変な力になると思います。
そのための
憲法の条文ですけれども、
憲法は専門家の方がいろいろおっしゃっていますので、私みたいな素人があれこれ言わなくてもいいと思うのですが、
一つだけ言わせてもらえば、今の
憲法の中にも私有
財産はこれを侵してはならないという条文がありますけれども、これは侵され続けております。総量規制を初めとして、あれが私有
財産を侵さない行為かといったら、これは真っ向から侵しているわけです。
それから、別に税制が
憲法にありますが、税金を取ると書いてありますので、税金を取る分には合法的に侵してもいいことになります。そうすると、税金から
日本人を守るためにはどうするかといった場合、やはり
憲法の中に最高税率を決めておくべきだと私は思うのですね。ですから、相続税は全廃と言わないまでも上限を五%にするとか、あるいはスイス並みに二%にするとか、所得税は一〇%、一五%以下にするとか。以下にすると書いて盛り込めば、私有
財産権は確実に
保障され、これは二十一
世紀の
国民の繁栄になるだろうと思うのです。
ただ、この際、
一つ反論が必ず出るのは、それは金持ち優遇という反論です。
金持ち優遇の反対をやってどうなったかということはソ連以来の例で述べましたけれども、
一つ私は忘れがたい
言葉は、ハイエク博士の
言葉で、金持ちがたくさんいる社会は貧乏人の自由の
保障であると言った
言葉です。金持ちがいない社会、旧ソ連、今の北朝鮮、毛沢東
時代の中国、あの辺では金持ちがいない建前でありますから、職を失ったり、政府からにらまれたら、これは死ぬよりほかはありません。
しかし、
アメリカでは、いざとなったら金持ちの掃除をしたって食えるわけです。皿を洗っても大学は出られるんですね。そして、大学を出れば必ず職はあるんですね。最近の
アメリカが非常に貧富の差が大きくなったということを批判する声が高いのでありますが、
アメリカ人は一人も移民が逃げ出しておりません、
アメリカから。それは住みやすいからだと私は考えております。ベトナム
戦争のころに逃げ出した黒人たちもいましたけれども、みんな帰っております。差別されたなんといっても、やはり
アメリカの方が住みやすいんですね。
というようなことで、今後の
憲法のためには、必ず私有
財産を明文をもって税金から守るような
条項を考えていただければ、二十
世紀日本が犯した二回の過ちを避ける、根本的な守る城壁になり、明るい
日本をつくる源になるのではないかと愚考する次第であります。
長時間、御清聴ありがとうございました。(拍手)