○
曽野参考人 憲法調査会に来て話をするようにと言われましたときに、それは私にはとても無理だと申し上げました。と申しますのは、私は、
憲法に常識的な範囲以上に
興味を持ったこともございませんし、それから深く研究したわけでもございません。深く学ぶと学ばないとではどんなに違うかということは、私が著作の
世界でいつも経験しているところでございますので、深く勉強しないものについては申し上げられないとお断り申し上げました。
しかし、今回に関してのみ、二十一
世紀の
日本のあるべき姿という形で、
憲法、すなわち
人間と
人間との間の取り決めでございましょうが、その背後にある
人間の姿を考えるための資料を提供する場だというふうに御説明いただきましたので、それでは何らかのお役に立つかと思って出てきたような次第でございます。
きょうのメモをお渡し申し上げましたが、それは本当にキーワードだけでございまして、
小説家はその場になって何をしゃべるかということは、これは頭の悪いせいなのですが、なかなかわかりませんので、
お許しをいただきたいと願っております。
まず、二十一
世紀、もう本当に目前に迫っておりますが、その二十一
世紀の
日本というのは、ごく普通の
人間の
感情からいたしましても、私
どもの
子供、
知人、それから多くの
友人たち、そういう
人たちとあるいはその
子供たちにとって、生きるに値する幸福な時代であるというふうになってもらいたい、そういう願いは私
たちに共通のものだと思います。その幸福の最も基本的な形を考えてみますと、それは当然
自立にあるわけです。
この
自立というのは、
二つに分けますと、国内的に、つまりドメスティックには、食糧、水、エネルギー、治安、それから少し
子供じみた
素人っぽい
言葉ですが、産業の確保ということです。これらがすべてかなえられればよろしいのですが、国によって、
社会によって、必ずしも一〇〇%の
自立というか自給が可能であるということはないと思いますが、バランスのとれた
自立が可能であるような
状況にしておかなければならないと思います。
それからもう
一つの柱でございますが、これは国際的に、インターナショナルに、
自立のための
防衛と
外交が要ります。私は小さなNGOをやっておりまして、二十八年目になります。そのお金の出先を
調査するために
途上国と言われているところを歩いたものですから、それが百八カ国か百九カ国になりました。この百八か百九カ国の中で
先進国と言われているものは本当に少ないわけでして、そのほとんどが
途上国です。そうしますと、そこの
世界がどういう
状況で動いているかというと、折あらば
侵入する、それから
部族の対立はある、そのほかに思想的なあるいは宗教的な内乱とか内戦のようなものがございまして、
内外ともに
防衛ということができないと、これは
人間の
生活を保っていけないような状態にたやすくなることを見てまいりました。
それで、第二の問題は、その
自立への
必要過程ということをお話ししたいのですが、これはまず
現実の正視ということから始まると思います。
なぜこういうことを申し上げるかというと、最近の
日本というのは、大きく申しまして、最近景気が悪いとかなんとか言っておりますが、戦後の五十年余りを幸運に見舞われまして、そして
日本人の勤勉も影響いたしまして、順調な
国家体制を持ってまいりました。それで、
社会や
現実、
人間の生涯といったものはうまくいくんだと人々が考えるようになりまして、
現実の直視ではなくて、
理想を語ることが多くなったように思います。つまり、私
たちの
現実、生涯というものは、どちらに転んでもよかったり悪かったりするものなんですけれ
ども、
政治がよくなれば、それから運がよければ、みんなが
理想の心を持てば
理想郷が来るというふうに考えるようになってまいりました。
これは全く間違いだということは、
理想郷という
言葉の
ユートピアという
言葉をつくりましたのは、あの有名なイギリスの
政治家であるトーマス・モアでございます。この
ユートピアというのは、
ウー・トポスから出た
言葉です。
ウー・トポスというのは、ウーは
ノー、トポスはプレースですから、
ノープレース、どこにもない
場所という
言葉でございます。ですから、
理想郷というものは、どこにもないということの悲しい
人間の確認の上に我々が求めたものであろうと思います。
しかし、これは決して
先生方を非難するのではございませんけれ
ども、
選挙のたびに、町の街角、あちらこちらで、
皆様方が安心して暮らせる
生活をという
言葉が聞こえてくるのです。これは全くあり得ないことでございます。これをおっしゃっただけで、
うそということになるわけです。これは決して、
先生方が無能だとか、
うそをついていらっしゃるということではなくて、いわば
人間の宿命でございます。そしてまた、この
言葉が
選挙民に受けるというのは、そのようなあり得ないことを私
たち人間が希求しているということのあらわれだというふうに私は解釈しているわけです。
では、
現実の
状況をどういうふうに正視するかと申しますと、私が参りました八十国か九十国かよくわかりませんが、そのぐらいの数の
途上国、そこは今でも
淘汰の
世界でございます。
理想的な、お互いに譲り合って平和をつくりましょうというのではなくて、
淘汰という
言葉は今めったに
日本で聞かれなくなりましたが、その
言葉をもってあらわすしかしようのないことがあります。これは
英語で
セレクションというらしいのですが、
英語のできないのに限って、
英語の単語を
一つもらいますと訳は
一つしか覚えない。私もその一人ですが、
セレクションというと選択と覚えます。同時に、これは
淘汰という
意味のようです。
それで、先日もある
アフリカの国の方としゃべりましたら、ここ何十年と平和がないのであって、だから、平和というものを望むかと言われても、平和というのは見たことがないんだからよくわからないと言うんですね。それは私
どもは、
子供のときにキリンを見たことがないんですけれ
ども、当時は絵本があったり、最近ではテレビがありますので
幾らでもわかるのですけれ
ども、見たこともさわったこともないものをどうやって希求するか。
世界が平和を希求しているということは全くの幻想でございまして、つまり、やはりやりたいのは
淘汰であり、勝利であり、力を使って相手をどうやって排除できるかということであろうと思います。
私は、つい数週間前に
南アメリカの各国、
ブラジル、ペルー、ボリビアから帰ってきたわけでございますが、
ブラジルで初めて聞く
言葉に会いました。それは
侵入区という
言葉でございました。
曽野さん、きょう
侵入区を見に行きましょうと言うのです。インベードです。これは
土地の
不法占拠でございまして、
政治的な思惑が絡まっているのでしょうけれ
ども、ここをやれといって一夜のうちに
掘っ立て小屋をつくりまして、その材料はしばしば苫という
かござというか、そういうもので壁をめぐらしただけのものです。そこに、おもしろいことになぜか
国旗を立てます。
国旗を立てると、それでその
家族がそこを
占拠したことになりまして、
住民の組合のようなところが
土地の
権利書を発行することによってその
居住権を認めるというやり方なんです。彼らは人道のためにそれをやっていると言い、そこは
無法地帯であるという
言い方もできるわけでございますが、こういう力による
占拠というものがあるわけです。
私、
小説家らしくくだらない表現で力というものをお話しさせていただきたいのですけれ
ども、
日本では、
外国へ参りますと、リザベーションペーパーというものがありますとどこの国でも
ホテルはちゃんと予約されていると思うことになっております。ところが、
アフリカの多くの
土地で、行ってみると、あなたの
部屋はないよと言われるのです。どうしてですかと言うと、いや、隣の国の
外務大臣が七十人お供を連れてきたから、ないんだ。ああ、そうですか。ないと言ったらないんですから、なぜないかと言っても、そんなことはしようがないんです。
それを解決する方法は三つあるんです。
一つは、外に寝ることであります。これは、大地のある限り
人間は寝られますのでどこでも平気ですけれ
ども、
一つ問題は、
マラリア蚊とか、それから持っている物をとられるという
危険性がございます。できたら、どこかシェルターの中に寝たい。
ホテルが一番便利なんです。私の
同行者がそこでやることは、非常におもしろいのですけれ
ども、三つあるんですね。彼が一度にその三つを行使したというわけではありませんけれ
ども、三つあります。
一つは、パスポートの間に十ドル紙幣を入れて、君、よく見てくれないか、どこかに
部屋が残っているんじゃないかなと言ってこう出すことなんです。そうすると、
今一つキャンセルがありましたと係の
お嬢さんが言う。これが
一つで、金力による力の示し方です。
第二は、男の方の場合に有効なのですが、カウンターの上にひじをつきまして、中の
お嬢さんに、君は美人だな、残念だな、
部屋がなくて泊まれないの、僕は君とお茶を飲みたかったのになと言うんです。そうすると、今よく調べたら
一つありましたということになるかもしれません。これは、いわゆる
外交による力の示し方です。
それから第三番目は、威張ることでございまして、いいのか君は、おれを泊めなくていいのか、おれは
ムバラクの
友達なんだぞ。そうすると、大体、フロントの中の人は、多分この人物が
ムバラクの
友達である
可能性はないと思うのですけれ
ども、でも、もしかすると
ムバラクの
友達かもしれない。そうすると、
ムバラクの
友達だと言っている人とそうは言わなかった人とどちらを泊めるかというと、
ムバラクの
友達だと言っている人を泊めた方が得かもしれない、こういう計算になります。これは、権力を行使したものでございます。
私は、力というものがすべてを決める
土地を随分歩きまして、これはいわゆる中近東でございますが、多くの場合、水のない
土地です。そして、水のないところではどういうふうにするかと申しますと、最後の一滴の水、貴重な水というのは、
原則として力ある者が飲むことになっております。つまり、弱い者に分け与えるというのではなくて、力ある者が飲んで生き延び、そのことによって、先ほど申し上げました
淘汰を行って、その種族を続けていくという
原則を持っております。
それで、では、ずっとその力だけなのかと申しますと、そこに大変またおもしろい
状況があるんですが、聖書の中に、求めよさらば与えられん、たたけよさらば開かれんというところがあるんです。
皆様御承知の有名な
場所でございます。これはどういう
状況かと申しますと、こういう
乾燥地帯の
住民というのは、
旅人に対して一夜の宿を貸す義務を有しておりまして、それで、
旅人が参りますと必ず
パンと水を与えます。それ以上のものはやらなくていいようです。そして、保護いたします。なぜならば、砂漠には泥棒もおりますし、追いはぎもいるからです。
それで、ある晩、
自分のところに夜遅くなって、というのはワンルームですから、戸を閉めますと、もうお泊まりは勘弁してください、プライバシーになりましたからということなんだろうと思うのですが、そこに
友達がやってまいりまして、遅くなったけれ
ども泊めてくれと。その家は貧乏でございましたので、水はあったと思いますけれ
どもパンがありませんでした。その主人は煩悶いたします。
パンもなしに
旅人を、しかも
友達をどうやって寝かせることができるだろう。それで、禁を犯して、同じ村の
知人のところに参ります。そして、どんどんとたたいて、済まないが
パンを貸してくれ。そうすると、その
友達は、おきてに反しておりますから嫌な顔をするんですね、帰ってくれと。ところが、この人はしつこくそれを頼みましたので、そのうちに女房も起きてきてしまいますし、同じ
囲いの中に入れてある羊な
どもメーメー鳴き出して、黙ってもいられなくなったので、こうなった上は早く
パンを持たせて帰した方が後よく寝られるという
判断なんでしょう、
パンを持たせて帰します。
これは
一つの
社会的約束事である、
敵対部族といえ
どもパンと水を与えねばならないというおきてでございます。これは
慈悲というものにかかわる、一種の
憲法だと言ってもいいし、宗教の規律だと言ってもよろしいのですが、こういうものの区別がない国がたくさんございます。力に対する正当な
判断と申しますか、その行使した結果とかそういうものを見ない私
どもに限って、この反対の
慈悲というものから遠のいてまいります。もちろん、
日本は
社会的に整備をいたしまして、
社会保障とか
健康保険とか
失業保険とかいろいろあるからそういうものは要らないということになるのですが、
人間的な
慈悲というものを忘れてくるんです。
私は、またここで大変
個人的なことを申し上げるのを
お許しいただきたいと思うのです。
小説家はいつも
個人の体験から物を考えておりますので
お許しをいただきたいと思うのですが、
シナイ半島に
バスで参りました。それはカイロから行ったんですが、
シナイ半島の先のサンタカタリナという荒野の中の聖地で、そこで
バスの油を補給することになっておりました。これはちゃんと事前に
案内書を調べて、そこに
ガソリンスタンドがあるということになってはいたんですけれ
ども、行ってみたらございませんでした。これは中近東でよくあることで、一切の書物と人の
言葉を信じてはいけないという大
原則。
ドントウオーリーというのと
ノープロブレムという
言葉をよく聞くんですけれ
ども、
ドントウオーリーと言ったら反射的に心配しなきゃいけない、
ノープロブレムと言ったら必ず
プロブレムがあることだ、そういうふうに思えと私
どもは訓練されるわけですが、その
一つだったんです。
それで私が、運転している
日本人に何とか帰れないのと聞いたんです。そうしたら、どうしても帰れませんと。一番近い村までも戻れませんかと言ったら、戻れませんと。では、この
バスを置いて、私
たちだけ時々飛んでくる飛行機で脱出しなきゃいけないのかと思っておりました。でも、とにかく近くにある何か
人間のいるところに行きましょうと。それは
軍隊が、小さな
グループの
軍隊です、道の
舗装工事をやっているところでした。そこに行きまして、
司令官に、私は
旅人で、
ガソリンスタンドがないことを発見して大変困っておりますので、油を分けていただけないでしょうかとお願いしたんです。そういたしましたら、オーケーということになりました。
私は
人間の根性が悪いものでございますから、その次の
興味は、この
司令官が
幾らで
軍隊の油をやみ流ししたかということでした。つまり、私
どもの
グループがこの僻地の
駐屯部隊に、オイルの
値段を多分知らないであろうからといって安く買いたたいたか、あるいは、
司令官の方で私
どもが困っているのを見て、足元を見て高く売りつけるか、どっちの方向かに少し傾くでしょうけれ
ども、大体
幾らぐらいの
値段でその油を買うことになったかという
興味でした。それで、顔ではにっこりしてありがとうと言って手を振ってその
囲いの中を出た瞬間に私は
運転手に聞いたんです、
幾らで売ってくれましたかと。その
運転手は、初めはにやにや笑っていてなかなか言わなかったんですけれ
ども、私が教えてよと言ったものですから答えたのですが、ただでした。それは、困っている
旅人は助けなければいけないというアラブのおきてでございます。
もし
日本でございましたらこういう場合にどうなるかよくわかりませんけれ
ども、PKOが油をお上げになりますか、上げて、それを正確に報告なさいますと、以後は冗談ですが、会計検査院が文句を言うとか、よくわかりませんが、何かそういったことになるのではないかと私のような
素人は余計に想像してしまうのです。これもみんなこのおきてというものを超えたと見るべきか、おきての中にこういう
人間的なものが含まれているというか、どちらかでございます。
それで、こういう外の力に対しまして、私は、もう
一つ対立するものとして、徳の力ということを考えるのです。徳というものとか、あるいは後でちょっと触れるかと思いますけれ
ども、例えば愛にせよ真善美にせよ、そういうものを申しますと、最近の風潮で、これは古い、古いことを今ごろ持ち出しても何の力もないよとよく言われるのですけれ
ども、
二つの理由でこれは間違いです。
一つは、私
たちは古いものを踏襲せずにやってこれたわけがない。ですから、我々の肌の中に、既にあったものに対する
評価というものが必ず内蔵されているということは言えるのではないかと思うんです。
若者たちは時々物すごい古いファッションの古着を町で買ってきて、それが一番最新、流行のお洋服になっているということはよくあることですし、それもその
一つです。
それからまた、もう
一つの
状況は、古いものといって片づけられたということは、それを既に会得しているということになりますが、それを全く持っていなかった、そういうものの教養すらなくてそれを捨ててしまっていながら、古いものは
意味がないという
言い方が最近ふえてまいりました。
私はその両方の
危険性を感じておりますが、いずれにせよ、徳の力ということについて二十一
世紀の
日本人は考えなければならないと思います。なぜならば、
世界じゅうで、
日本人の、例えばコンピューター、そういう
先端技術に関する才能とか、勤勉であるとか働き者であるとか、それから算数がよくできるとか、そういうことに対する
評価というのは十分にあるのですが、徳のある人だという印象は余り持っていないのではないかと思います。
この徳の力というのはどこから出てくるかと申しますと、まず
基本的人間関係です。親子、兄弟の中で暮らす。それから、豊かであっても貧しくあってもその途中であっても、あるいは暑くても寒くても、食
生活が貧しくても貧しくなくても、そのようなすべての
生活に耐える力を持つということでございます。そして、その起こったことに、基本的には、他人の
責任だと言わない、すべてのことは
自分がこうなったのだ。後で私
たちは
国家に属していることをお話しいたしますから、
国家の
部分というのも当然あるのですが、非常に多くの
部分は
自分が
責任を負わなければならないのです。そういうような姿勢を持つことが、
基本的人間関係を成功させた結果であろうと私は思います。
私
たちは、よかれあしかれ環境に触発されます。なぜ
日本人になるかというと、やはり
日本的な風土に住んで
日本的なものを食べて生きるからです。雨が降る
杉木立というふうなものは、だれの目にも、私
たちの
一つの精神的な出自を象徴するものとして心の中に焼きつけられておりますし、それから、おいしい御飯、梅干しのおにぎりというものはたまらなくいいものだと思うのです。
それから、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんのしゃべる方言というものは
標準語以上の豊かな
感情というものを
人間に与えるものです。ですから、
日本に生まれた
外国人で、よく
東北弁をしゃべったりして
日本人以上に
日本的なことをおっしゃる方が出てくるわけです。私
たちは、そういう
家族とか伝統とかいうものの上に
日本人になってまいりました。
その上に、帰属的な
人間、帰属的な
人間関係というものがございます。
国家に属していない
人間というのはないわけです。もちろん、そういう
立場が出てきたら、
小説家として大変おもしろいと思います。そういう
状況が出てきたらそういう方のことをよく見たいと思いますけれ
ども、目下のところ、
国家に帰属しない
人間というのは、普通にはできないわけです。
それで、
個人が
外国においてどういうビヘービア、行動をするか、つまり、
難民とか
犯罪者とか
外国で侮べつされないような
人間になるにはどうしたらいいかということがあります。私は、決して簡単な
意味で
難民が悪いとか
犯罪者が悪いとかと言っているわけでもないのです。つまり、
犯罪者も
難民も、非常に大きな
外的圧力からなる場合もたくさんあるわけです。
それで、今、
日本では、
差別語を禁止することに、私などは大変な
圧力を受けております。ここに
マスコミの方もいらっしゃいますが、
マスコミが戦後言論の自由を守ってきたというのは全くの
うそでございます。私の
責任において書くことでも、これは載せられないという形でどんどん言論の統制をしておられます。
私は書くものについては
責任を負いたいのですが、例えば、この間、石原東京都知事もそのようなことに巻き込まれていらっしゃったようにお見受けいたしました。つまり、今、私はここで何国人ということは言いませんけれ
ども、ある国籍を有する人の犯罪がどんどんふえますと、これはどこの国でもよろしいのですけれ
ども、ある国の国民だということがもう侮べつ語になってまいります。ですから、侮べつ語を排除するということは事実上できないことです。
それはどうしたらいいかと申しますと、そのような
犯罪者を出さないということです。そのためには、
日本人がみずから
自分を訓練しなければいけないこともございますし、また、他国にそういう困っている人があったら助けなければならないということも事実でございます。
いずれにせよ、私
たちはみんな
国家に属しておりまして、
個人のできないことをしてもらっているわけです。
少しそのことについてお話申し上げますが、
アフリカの多くの国あるいはアジアの多くの国では、救急車を呼んでも救急車がだれでも運んでくれるというわけじゃないのです。この間、
アフリカで暮らす何人かのカトリックの修道女が一緒になっておもしろい話をしていたのですけれ
ども、ある国で働いている
日本人のシスターが、うちは救急車を呼ぶと言ったら、もう一人別の国にいるシスターが、あなたの国はいいわね、救急車が呼べるのと言うわけです。うちの方は電話がないから呼べないわよと言うのです。
その次の話は、救急車を呼んだら、患者を持っていくか持っていかないかという話になりまして、まず大体のところでは、救急車が呼ばれますと、血を流していたり痛がって苦しがっているその
家族に対して、救急車代は
幾らだけれ
ども金は払えるかと言うのです。そうすると、そういう
人たちは貧しい人が多いわけですから、払えませんと。そうすると、親戚はどうだ、親戚のところに行って聞いてこいとなって、その人は病人を傍らに置いて走り回るわけです。その村の近くにいる親戚に金を借りに歩くわけです。やはりそこでも要求するだけの救急車代が集まりませんと、その救急車は病人を置いて帰るわけです。
私は、一時東京のホームレスの
人たちのことをちょっと調べておりまして、ホームレスの
人たちを専門に入れるようにしているのが済生会病院というところでございまして、今もそうかどうか、ちょっと最近のことは知らないのでございますけれ
ども、ホームレスの人専用の病棟がありました。それはまた差別だと言う人がいるのですけれ
ども、そうじゃなくて、ホームレスの人は真っ黒でございまして、運び込まれてきてもどこが病気だかわからないというのです。ですから、まず済生会病院には洗う設備がございます。
中には、私が聞きましたもので、一年半長靴を脱いだことがないという人がおりました。そういう人が運び込まれてきますと、長靴を脱がすことはもう不可能になっていますから、長靴を切り離しまして、ゴムと靴下と足の皮膚が一緒になっているのをはぎ取ってからその病気を診る。そうすると、足の方は、はぎ取られてから後も長靴の黒い色素をずっと入れ墨のように残すということになっているようでございます。そういうこともあったのです。
その
人たちでさえも、何にも所持金がなくても、主訴と申しますか、頭が痛いとかおなかが痛いということを当人が言えない場合には三十分以内にCTスキャンをかけておられました。そういうことを私は大変に誇りにいたしております。
実は、国歌と
国旗の問題もお話ししようと思うのですが、なぜ私が国歌と
国旗を必要かと申しますと、私が訪ねました
アフリカの多くの国というのは、村に入りますと
言葉は全く通じません。私は、行く前に、ここは宗主国はどこなんだろう、フランス語か
英語かなということを調べていくのですけれ
ども、フランス語は余りできませんし、
英語もちょっとなのですが、そんなものができたって、村の方に入りましたら、
部族の
言葉しかしゃべりませんので、それは全く
意味がないのです。
それでは、私はどうやってそのような村で人々と善意を通じ合えるようになるかと申しますと、これは大変難しいのですが、にっこり笑うのが一番いいように思います。
実は、そういう
土地の多くでは、我々は悪魔の目というのを持っているのです。持っていないと言ったって、向こうは持っていると言うのです。イービルアイというのですけれ
ども、悪魔の目は、しばしば幸福な者、それから初々しい者、優しい者につきます。ですから、赤ん坊などが受けやすいのです。
私
たちが赤ちゃんを見ると、普通はかわいいなと思ってにっこりほほ笑みかけます。赤ん坊の死亡率がしばしば一千人の中で二百五十人とか三百人に達するような国が多いわけですから、おしゅうとさんが当然またお嫁さんをいじめるわけですね、おまえはどうして
子供を殺したんだと。そのお嫁さんも困りまして、外人が来てにっこり笑ったんです、そのときに悪魔の目がこの赤ん坊につきましたから、それで死ぬことになったんです、こう言うわけです。
ですから、私
たちが
幾ら悪魔の目がないと言ってもだめなんです。頭をなでたいと思っても、聞くところによりますと、頭は神の宿るところだ、肩をたたいたらどうなのといったら、これは天使のとまるところだ、そういうことをしてはいけない。
そうしますと、そのような
人たちに対して、私があなたには善意を持っているのですよということを示そうといたしますと、国の旗と、そして国の歌、国歌が演奏されましたときに起立して迎えるということ以外にやりようがございません。
そして、
日本でこういうことを申しますと、日の丸反対派が、日の丸の旗は血塗られているというお話がよく出るわけですけれ
ども、大東亜戦争で亡くなった方というのは、数え方によりますが、大体三百万人ぐらいだと思います。それに対しまして、戦後の合法的に認められました中絶の数は一億人とおっしゃる産婦人科の医者がいらっしゃる。これは私に推定のしようがないのですが、もし一億人、これは数年前の数でしたから、もっとふえているということにその方にとってはなると思うのですが、そういたしますと、大東亜戦争三十三回分の殺人を合法的に繰り返したのは戦後の日の丸の旗でございました。どちらが血塗られた旗かと申しますと、数でいって、単純計算で、戦後の日の丸の旗の方がずっと血塗られたということになるのではないかと思います。
それで、徳の力につきまして、宗教的な問題もちょっと触れなければいけないのですが、オウム真理教以来、宗教というのは非常に危険なものと思われてまいりましたが、宗教というものは、永遠に未知なるものの手前にいるという我々の位置関係を明確にするものでございます。
アメリカにラビ・トケイヤーという非常にすばらしいラビ、ユダヤ教の先生がいらっしゃるのですが、その方の講演に参りましたら、あるとき質問者が出まして、どうしてあなた
たちは豚を食べちゃいけないとかエビを食べちゃいけないとかと言うのですかという質問があったのです。そうしたら、ラビ・トケイヤーがお答えになったのですが、今から二百年前、三百年前を考えてごらんなさい、君
たちは電話とか電気とか飛行機とか考えられたか、我々は永遠に未知なるものの手前にいる、それゆえに我々は、我々にわからないことがあると思って、命じられたことは一応守っておくのだというのがその答えでございました。
私などはなかなかこういう
言葉に納得しない面もあるのですけれ
ども、宗教が本物であるかないかということを私は私なりに
判断する、今のところ四つぐらいのデータを持っております。第一は、強制的に宗教団体のために金を出させないということです。第二が、教祖が釈迦、エホバ、キリスト、マホメッドの生まれ変わりだと言わないということです。第三が、教祖がぜいたくな暮らしをしていないということです。第四が、現世の利益、こういうことをすればあなたは病気が治るとか金持ちになるとか、そういうことを約束しない。つまり、
人間世界で完結するというのであれば、これは宗教ではないというふうに私は考えております。
それで、
日本でただいま古い古いと言われております真善美は、昔から宗教とともに考えられてきたのですけれ
ども、
日本において、真と善は共通の確認というものがかなり持てるように思います。しかし、美は違うのですね。美は、
個人の哲学において、
個人の
責任において、
個人の命をかけて選択し、守るものであろうというふうに私は考えております。
それで、
一つ例を挙げたいのですが、ポーランドという国は御承知のように東欧の一国でございまして、余り豊かな国ではないのかもしれません。私のような
小説家が初めてその国に国境を越えて入るとどういう国に見えるかということをお話しするほかないのですが、雨がしとしとと降る初秋のころに、ほとんど車も通らないような村の道に男が一人、ひかれているのかと思うように横たわっておりました。あれは何でしょうか、病人ですかと言ったら、アルコール依存症、お酒を飲み過ぎて、雨にぬれたまま道の真ん中にぶっ倒れているわけです。
そういう
一つの光景も私の目から離れないのですが、
先生方の
世界とは別に、私の方の
世界から申しますと、このポーランドというものを位置づけている一人の偉大な人物がいるのです。それはマクシミリアノ・マリア・コルベという一人のカトリックの司祭でございます。
この人は、一八九四年にポーランドに生まれました。そして一九三〇年に長崎に布教に来ております。今で申しますとミニコミですが、当時では珍しかった活字による布教ということを初めてした人なのですが、既にそのときに結核の既往症がございまして、陳旧性結核という病気にかかっておりました。長崎で何度も発熱いたしまして、そして、布団がろくにないものですから、みんな修道士
たちの毛布を集めて悪寒を防いだという記録が残っております。また、大変汚い
生活をしておりまして、おふろがないものですから、長崎の海に行ってあかを落としていたと。その修道士
たちが帰ってきますと、今度は洋服がまた汚いものですから、夏になると、修道士
たちが働いていたすそに真っ白いものが降り積もっている。何だろうと思って見ると、それは塩であった、体から噴いた塩が粉になって落ちた、そういう記録があるのでございます。
一九三〇年に長崎に来まして、間もなくポーランドに帰りまして、一九四一年にアウシュビッツに入れられました。そして、七月三十日に画期的なことが起こります。その神父のいた兵舎から一人の逃亡者が出ました。当時、逃亡者が出ると、そのたびに報復として数人を処刑するということをやっておりました。十人という説と二十人という説とあるのですが、よくわかりません。一人にフランチーシェック・ガイオニーチェックという軍曹が選ばれました。この人は私
たち並みに女々しい人だったようで、その死刑に決まりますと、つまりこれは、アトランダムにおまえ、おまえ、おまえ、おまえ、十人殺す、こういうやり方らしいのですが、その一人に選ばれますと、彼は、ああ、私の妻子はどうなるんだろうと言って嘆いたのです。それを聞きましたコルベ神父が、私はカトリックの司祭で妻も子もおりませんから、私がかわりに死にますと言った。
ナチスはアウシュビッツその他の強制収容所の長い歴史の中でさまざまなことを経験いたしましたが、人の身がわりになって死ぬと申し出た人というのは、あともう一例あったというふうにも聞いておりますが、極めて異例のことでしたので、驚いて、この名簿を入れかえました。そして、そのままこのコルベ神父は、当時はまだガス室というのはございませんで、餓死刑室、おなかがすいて死ぬような
部屋に入れられました。実に、陳旧性結核を持っておりました弱い神父が水なしで七月三十日から八月十四日まで生きております。これは
一つの実験だろうと思いますけれ
ども、血が沸騰するような苦しみであると。なぜならば、水分が入らないことによって血栓が起きるのか何かわかりませんけれ
ども、そういう状態で、八月十四日はまだ虫の息で生きておりましたところを、フェ
ノールの注射を打ちまして始末いたしました。そして、そのまま炉に入れて焼きましたので、この神父の墓は今もってないわけです。
これは、真善美の壮烈な美に当たるわけです。みずから選んで
自分の命を他のためにささげるということを承認した人でございまして、これはだれからも強制されたものではございません。そして、こういう死に対して
日本人は、今もし仮にこういうことが行われたならばその人を賛美するかどうかというと、いろいろなことのためにそれにブレーキがかかるのではないかと思いますが、私は、この人の死というものを、永遠にたどり着けない一人の
人間の究極の魂の選択としてずっと考えてまいりました。
もちろん、これも余計なことですが、こういうふうに死ねないというので、亡くなられた遠藤周作さんを中心にして転びキリシタンの文学者の会というものが、実体があったかどうかは別としてございまして、私も転ぶ、私も転ぶという小説書きがいっぱい出ていたのです。それで、多分一分ともたないだろうとか一日もつだろうとかという感じで、みんなが遠藤さんのお考えに賛同いたしまして、もし御禁制になったらばすぐ信仰を捨てるというふうに私
どもは加盟していたわけなんでございますけれ
ども、その反対としてこういうふうな方がいらっしゃったわけでございます。
そして最後に、私
たちは
二つのキーがあるように思います。
一つは愛というものであります。
私は、人権というものでは全く解決しないと思っております。このごろ、人権という
言葉を聞くと何となくつらく思うようになりました。なぜならば、要求しても与えられないものが三つあるのです。それは尊敬と人権と謝罪でございます。要求したが最後、要求された方は白けるのです。そして、尊敬はどうしてかち得るかと申しますと、尊敬されるような要素を黙々として示すことであります。人権は、要求するのでなくて、こちらがその人でいていただくことのありがたさに対して配慮をするというときにしかうまく成り立たない。謝罪は、要求されたらどんどん謝りますでしょう。謝っておけばいいんだろうという感じです。しかし、謝罪は、要求した途端に、その謝罪を要求した人というのは、私の
個人的な考えですが、愚かしく見えてまいります。
この三つは要求して与えられるものではありません。そして、そのかわりに、それらのものを充足いたしますのは愛でございます。
日本の教育には愛という
言葉は全くございませんし、法務省の人権関係の
会議におきましても、人権という
言葉は一時間、二時間の
会議の間に何十回と出てまいりますが、愛という
言葉は一度も出てこないのに私は驚嘆したことがあります。つまり、基本的なものがないと、どんなに制度をつくりましてもそれは生きてまいりません。
それで、愛という
言葉をお聞きになると、この中にも、
曽野綾子はキリスト教徒らしいからまたそれを言い出したとうんざりしていらっしゃる方もあると思います。それは当然のお考えと思いますので、少し説明をさせていただきたいと思うのですが、私が習いました愛という
言葉は
二つございまして、これは
日本語に直しますと両方とも愛になるのですが、例えば新約聖書の中で使われております愛という
言葉は
二つでございます。フィリアとアガペーというものでございます。
このフィリアというのは、厳密に申しますと、愛というふうに訳されておりませんで、好きであることというふうに言った方がよろしいと思います。ですから、これは好意の還流が成り立ち得る関係を示しておりまして、兄弟愛というのはフィラデルフィアで、フィリアがその中に入っているわけです。それから、
皆様方がひげをおそりになりますフィリップという会社は、あれはフィリアとイポス、馬という
言葉が入っております。つまり、馬を愛する者という
意味でございます。ですから、これは人道的な愛というふうには使い切れない
言葉でございます。
それに対しましてアガペーというのは、これは難しい
言葉だそうでございまして簡単に言ってしまってはいけないのですが、理性の愛でございます。つまり、私
たちは、例えばNGOで働きますと、もし本当にその人がNGOで働いておりますと、相手に対して嫌になることがあります。嫌になって憎む瞬間があるかもしれません。そのときにその相手を救うという行為を続けるのは、これがアガペーでございます。
理性としてやらねばならないからやるのであって、やることが気持ちいいからやるのではない。ボランティア活動というのは、それが楽しくなったらやめる方がいいというのが我々が戒められている
一つの
言葉なんでございます。だからといって、義務だけでさせていただいておりますというわけでもないとは思いますが、やはり私
たちは、こうあるべき姿をやり続けるというより仕方がないんだと思います。
もう
一つつけ加えますと、このアガペーという理性の愛があるときに初めて国際赤十字社というものの観念が成り立ってまいります。私
たちは、制服を着て傷ついている敵がおりましたらば、もし私でしたら、これは相手を殺すのに絶好のチャンスだと思いまして、もう一度出刃包丁などを持って刺し殺し直しに行くのではないかと思うのです。でも、それはいけない、あなた
たちは理性を持ってこの傷ついた敵を国際赤十字社の手に引き渡せと。こういう表裏のある大人の解釈が
日本人に成り立たないというか、
日本人に教育されませんときに、実は、二十一
世紀の
日本を代表する人々が国際的な
社会において通用する法、姿勢というものもできてこないのではないかと思います。
そして、そのような愛を、悲痛な、命をかける危険な愛を推し進めていくものは勇気であろうと思います。これは勇気と申しますより、まず基本的なギリシャ人の思想というものを申し上げた方がいいと思うのでございますけれ
ども、これはアレーテーという
言葉です。
アレーテーというのは五つぐらい大きな
意味がありまして、第一は男らしさということです。当時の
社会は男が戦争をいたしましたし、経済行為をいたしましたし、それから家のすべての
責任を負いましたので、やはり男らしさが第一の
意味になってもいたし方ないと思うのです。
第二が卓越です。この卓越というのは、私
たちは、卓越せずに人のどんじりになる方が楽だと思うときも私などは多いのですけれ
ども、普通に申しますと卓越するということの方が幸せでしょう。ですから、人よりいい状態、すぐれた者になりたい。このアレーテーというのはそういう
意味を持っております。
三番が勇気です。この勇気というのは、いわゆる戦争の、殺すか殺されるかというときにだけ発揮されるというふうに大東亜戦争終結直後の私
たちには印象づけられましたが、実はそうでございませんでして、ただいまのような穏やかな時代にこそ勇気というものは示されなければならないと思います。
なぜならば、ギリシャ人の思想においても、このアレーテーという
言葉は勇気であると同時に徳を
意味いたします。勇気と徳が同じだということは我々の思想にはないものでして、徳のある方というのは、余り人に逆らわずに穏やかに、そうですねと言って同調して、そして何か際立った勇気など示さない温和な人というふうな感じがあります。ですけれ
ども、徳のない勇気はないというのです。
さらに、もう
一つ驚くべきことは、第五番目の
意味ですが、このアレーテーは奉仕貢献ということが入っております。奉仕貢献をしない徳のある人というのはない、これはわかるのですけれ
ども、奉仕貢献をしない男らしくて卓越した人はあり得ないということになります。また、奉仕貢献をしない、勇気もないということになります。それゆえに、この奉仕貢献ということは、最も普通に
人間が求めるよき状態の中に含まれているわけでございまして、これは聖書の中にあるんですが、受けるより与える方が幸いであるという、使徒言行録の中にある
言葉です。このような発想ともつながっているわけです。
私は、こういうところに来てきっと上がっていたんだろうと思いますけれ
ども、先ほど、IIのcのところにございます負の力としての貧困というのを全く抜かしてしゃべっておりました。ちょっと補足させていただきたいのでございますが、今
世界の貧困というのは非常に大きな
状況でございまして、これが結局
自立への
必要過程、
日本が
自立する場合でも——bも抜かしていたのでございますね。申しわけございません。電力の持つ
意味と、負の力である貧困というのにほんの少し触れさせていただきたいと思います。
電力というのがどんなに戦後の
日本において大きな力を持っておりましたかということですが、今電力を持たない人々がどれだけいるかということをこの間教えていただきましたら、これは非常に数を数えるのが難しいんだそうですが、約二十億と言われています。
そして、電気がないところには民主主義が成り立ち得ません。これは大きな関係がございまして、電気のないところで民主主義をやっているところはないんです。何をやっているかというと、
部族社会でございます。ですから、
日本でも、停電になりました途端に民主主義は停止いたしまして、一時
部族社会ができるんですね。つまり、停電になると、夜でございますと、どなたかわかりませんけれ
ども、立たないでください、みんな誘導しますからここにいてくださいと言う指揮官があらわれます。それは我々が民主的に選んだ人ではないということです。
それからもう
一つは、工業生産品というものがなくなりまして、家から何から全部その辺にあるもので調達いたしますから、私が驚きましたのは、直線と真円が見られないということ。つまり、真円は多分満月のある瞬間に見られるわけです。それから直線は、理論的に申しますと、紙幣と
国旗によって見ることが可能なはずなのでございます。あとは、切ってきた大黒柱、その辺のヤシの葉っぱ、それからおなべも丸いはずなんですけれ
どもひん曲がったようなもの、そういうことでございますので、直線と真円が見られない。
どういう結果になるかと申しますと、抽象的思想というか発想というものを持つことができない
人間が育ってまいります。つまり、一本のバナナと一本のバナナをもらうと二本になるということは、
子供たちも一生懸命やると算数ができるんですが、一足す一は何かというとわからない。それは一というものが抽象的思考だからでございます。
こういうふうなことが成り立たないという恐ろしい
状況を持ってまいりますので、戦後の
日本が電力の補給を受けたということは、これは基本のエネルギーが何であれ、私
たちに大きな恩恵をもたらしたということで、これがない
社会において民主主義が成り立たないことを私
たちは非難してはいけないというふうに考えます。
それから、負の力としての貧困でございますが、これは
世界的に大変ひどいものでございまして、
アフリカは現在、一日に大体一家一ドルで生きております。一家でございまして、一人じゃありません。この間参りました
ブラジルの場合、最低賃金が三ドル近かった。あなた方は三倍お金持ちですと言ったら、貧しい人に嫌な顔をされましたけれ
ども、大体
子供が六、七人いても九十ドルぐらいで暮らしているわけです。
貧困がございますと、五つぐらいのことがはっきり出てくるわけです。まず、盗み、暴力です。私
たちが今お金がなかったらどうするかと申しますと、盗むよりしようがないですね、だれもくれませんですと。こういうことを、いい国に暮らさせていただいておりますと忘れてまいります。盗み、暴力。
その次にどういう結果が出るかと申しますと、幼児の死亡率が非常に上がってくる。千人中二百五十人とか三百人とかという数になってくる。それから平均寿命が、これはエイズが大きく関係していると思いますが、つい先ごろの
調査で三十歳以下というのが出てきたようなんです。そうしますと、三十歳以下の平均寿命の恐ろしさというのは、成長して、知的に教育を受けて、なかなか難しいことですが、仮にできたとして、受けても、一人前の
人間として働く年数が非常に減ってくるということでございます。
それから、道徳性の低下でございます。家庭の崩壊がございまして、要するにせつな主義になりますから、男女関係というのはめちゃめちゃになりまして、南米では消えた夫だらけでございます。例えば、インディオが山から出てきまして、稼ぎのいいところに行こうと思いまして、就職いたしますと、非常にひどい労働をしなければなりませんので、そこで結核になります。結核になったよといって、国に残してきた奥さんに手紙を書けばいいのですが、字が書けませんので、何となくそのままになっているうちに、やけ酒を飲んで、そこの女とできるようになります。その女との
生活に没頭してしまいまして、そしてついにはだんだん
家族に対して捨てたという思いが強くなって、もう家に帰れなくなっていくということです。
それから第四番が麻薬でございます。麻薬をやめなさいと言っても、かわる換金作物がない。これはもう
先生方御承知のとおりでございます。この間ボリビアに参りまして、このごろボリビアはどうですか。これは私にすればあいさつがわりなんですけれ
ども、そうしたら、非常に不景気なんですと。ああ、やはり同じですかと言ったら、いや、麻薬を取り締まったらボリビア全体に入る金がなくなってきたと。その辺の細かいいきさつになりますと、先方様もわからないでしょうし、私も確かな証拠として伺うだけの自信はないのですが、そういうお話がございました。
それから売春でございます。これは、今ヨーロッパの各地で、自動車道路を走っておりますと道端に
お嬢さんたちがたくさん立っていまして、これはやはり娼婦でございます。これは、気の毒なことに、
難民として東欧からヨーロッパに入ってきた
人たちが、何も特技がございませんし、
言葉もよくできない人もいますでしょうから、そこで何をするかというと、売春をするほかはない。
貧困による大きな影響力というものが援助される側にも援助する側にもございまして、この
現実というものに対して私
たちがよく目を開かなければいけないわけです。
ですから、貧困の
一つの中に、今私は非常に素朴な
意味で盗みと申しましたが、大統領から
土地のケースワーカーまで盗むという当然のことが出てまいります。
これは、本当にこういうところで申し上げる話じゃないかもしれないんですけれ
ども、
小説家ですから
お許しいただきたい。つい先ごろ、私はインドのある人としゃべっておりました、インド人の神父なんです。夕方、ビールを飲みますときに、ですから本当に大まじめとはお考えにならないでいただきたいんですけれ
ども、大体、神父様のお国のようなところに我々
日本人が援助をしたときに、どれだけが本当に、貧しい、困っている
人たちのところに行くんですかと聞いたんです。そうしたら、その神父は、ちょっとビールを置きまして、どことどことの援助だと言うんです。では、ガバメントからガバメントの援助としたらどうですかと聞いたんです。そうしましたら、ゼロ%だ。そして、ではカウンターパートがあった場合はどうですかと聞きますと、五〇から、うまくいけば九五%だ。
私は、ゼロ%というのは、今申しましたようにビールの上の数字だろうというふうに考えております。ただ、
人たちが見るのに、せっかく贈っていただいたお金というのはもう少し行くべきではないか。ですから、そのことに関しますと、人々の考え方がゼロ%に近いというほどの額がどこかに消えているという実感を多くの人々は持っているようでございますが、これは先ほ
ども申し上げましたように、一市民、普通の
生活者としての、ビールを飲んだ上での会話でございますので、そのようにお聞き流しいただきたいと思います。
そういう
意味で、私は、
日本人の優秀な性格、素質というものをいささかも疑ったことはないし、そして、私
たちが指導していけばよい結果が出ると思っております。しかし、ただいまのところ、それが十分に果たされているという実感が余りございませんので、
先生方のようなお
立場の方々に
日本国民のあるべき姿を強力にお示しいただいて、そしてその指導力を発揮していただいて
日本人を伸ばし、
日本人だけの幸福でなく、幸福な者は必ず幸福を分け与えるという任務を持っておりますので、おまんじゅうは一人で食べないで必ず弟にやりなさい、半分に割ったときにちらっと見て大きい方を食べてもいいけれ
ども、小さい方は弟にやれとよく申します。そのような気持ちで
日本人が暮らせるように御指導いただきたいと思っております。
どうも大変
個人的な話で、お恥ずかしく存じております。
お許しいただきたいと思います。(拍手)