○小田
参考人 まず最初に、発言の機会を与えてくださったことを、皆さん方の努力によって実現したことを感謝します。
私は、これを引き受けた理由というのは、二十一
世紀、これからの
日本、我々の国はどうあるのか、どうあるべきなのかということをまず踏まえて、その上で議論をするという趣旨だったので引き受けたのです。私も、
日本の市民の一人として、これからの
日本は一体どうあったらいいのかということを考えている最中です。そのこともあって、これを引き受けたのです。皆さん方も考えていらっしゃるでしょう。
この間、森総理大臣も、これからの
日本のあるべき姿はIT革命の
日本であるというようなことをおっしゃったのですね。実は私は、一週間前までインドにいたのです。インドで、まさにインドのIT革命の本場を見て、これでは困るのじゃないかということをつくづく感じた次第です。また、その前はイランに行って、イランの憲法制定
委員会の
委員長格の人物です、その方にも会って、一体どうなって今のイラン憲法はできたのだという話もした次第です。それぞれの国がこれからのあるべき姿を考えている。
その前、私は、
委員長が今報告がありましたようなドイツの状態を、テレビの番組の制作上出かけて、それから
アメリカ合衆国にも出かけて、いろいろな国で今模索している最中なんだということをつくづく感じた次第です。
それでは、私が考えている
日本のあるべき姿、そのことを述べて、皆さん方の質問を受ける形で答えたいと思います。
私が今考えていることは、これからの
日本は、良心的軍事拒否
国家として生きるべきである。その生きる手だてとかあるいは力を今
日本は持ってきているのだ。かつては持っていなかった、残念ながら。今、持ってきたのだ。そういう時期に今来ているのだ。それから、
世界の情勢もそうですね。
そういうことも考えながら、私は今の
日本のあるべき姿を、
根本的にはいろいろなことがあるけれども、もちろんIT革命も必要でしょう、しかし、その
根本にはもっと大きな理念を持ったあるべき
日本の姿を構想していく必要があるだろう。それは良心的軍事拒否
国家なんだということを私はずっと考えていたんです。これは本当にそういう時期に来ているんじゃないか。こんなものはすぐできるわけがない。長期展望として、しっかりそれを把握してこれから議論していく必要があるだろう、あるいは憲法の問題も。早急に、あっちがやっているから、こっちがやっているからというような調子でやっては困る。
これはドイツの社民党、緑の党員が、有力議員が私に言っていました。コソボが始まった、そらってみんな追いかけ回った、それでこういう憂き目に遭ったんだということを、非常に痛切な後悔の形で社民党、緑の有力議員が私に述べていました。そういうこともあるので、せっかちにしないで長期展望を立てようじゃないかということなんです、私がこれを引き受けた次第は。
それでは、良心的軍事拒否
国家というのは一体何だということをこれから申し上げたいのです。そうすると、今のところ、この憲法が
一つのよりどころである。この私たちの持っている
日本国憲法、そこの
一つの原理というのは平和主義なんです。この平和主義を非常に大事にして、これを基本に考えながら
世界構想を立てようじゃないか、あるいは
日本の構想を立てようじゃないかというのが私の
考え方です。
しかし、今までのようなやり方でなくて、狭い範囲じゃなくて、もっと大きな、
世界的構想の中で
日本のあるべき姿を考えながらこの憲法を考えていくという形で、我々はこれから議論をする必要があると思うんです。そうしたやり方が今まさに
世界的に求められているということを、私は
世界各国を歩きながら考えた次第です。そしてまた、これが今実現できるような力を我々はやっと持ち出したんだ、お互いの問題としてそれを少し考えたらどうだ、それこそ、党派の別を超えてお互いに考える必要があるだろう、それで私はこの機会を引き受けたのです。
平和主義というのは、ただ平和が好きだとか平和愛好家であるとか、あるいは
日本国憲法をやみくもに守れとか、護憲、護憲と叫び回っているのではありません。もう少し
根本的な原理なんです。
それは、
戦争には正義がないんだ、結局のところ、正義はどこかへ崩壊してしまうんだ。
戦争は
戦争によって解決しないんだ。
戦争は
戦争を生み、平和を生み出さない。
戦争と軍備を否定して、問題紛争の解決を、
武力を用いないで非暴力の手段、方法によって行おうとする理念と、それからもう
一つは、その理念の実践なんです。この理念と実践があって平和主義というのがあると思うんです。このことはなかなか実現は難しい。今でもなかなかできない。しかし、この理念と実践を念頭に置いてこれからの行動を組み立てていく、これからの
日本の姿を組み立てていくことが必要ですし、今その時期に
世界は来ている。それからまた、
日本は力を持ってきているということなんです。
私はここでユートピアの夢を語っているつもりはないんです。あるいは宗教上の信念を述べているのでもありません。私は内村鑑三ではないんです。私は、現実の事態に即して、今まさに
世界に展開されている現実の事態に即してこの主張をしています。そこを誤解しないでください。私が勝手にひとりよがりの理念を述べているのじゃなくて、私はあくまで現実の事態に即して話をしようとしています。
それはどういうことかというと、
調査会の方々が行かれたように、今まさにヨーロッパにおいて良心的兵役拒否というのが、実は歴史をもって実現してきているんだ、このことに着眼したいと思うんです。良心的兵役拒否、これはまさに、今
調査会の方々がドイツを中心として行かれてきて、その現実を把握されてきた。この事実が一番大事だと思うんです。
私は、そこをひっかかりにして、なぜこういうことが起こってきたのか、なぜそこから理念が生じ、実際の法
制度としてなぜ活用されているのか。法
制度として活用されているわけです。
制度としてでき上がっているんですよ。単にひとりよがりの、だれかが夢を語っているのではなくて、既に法
制度として確立されて履行されてきているんだということを皆さん方は一緒に考える必要があると思うんです。これは夢を語っているんじゃないんだ、法
制度でやっているんだということなんです。このことに我々は着眼する必要がある。
一つの
国家の中でやっていることを、我々は国際的に広がって考える必要があるだろうというところまで
世界の事態は来ているんです。余りにも
戦争を繰り返してきたとか、いろいろなことがありますから、ここで
根本的に反省が今起こっている最中なんです。
このところで
一つ申し上げておきたいのは、実は、西欧諸国の軍隊の
考え方は古代アテナイの
民主主義国から来ているわけです。
古代アテナイの
民主主義国の観念というのは、市民社会というもの、ポリスというのを皆さん方は都市
国家と訳されていますけれども、これは誤訳です。やはり市民
国家と訳すべきだと私は思います、私は西洋古典学を専攻したんですけれども。西洋古典学を専攻した一人として言うことは、ポリスというのは、都市
国家というのは単に町の構造の観念です。しかし、もっと
政治形態に繰り込んでいくと、それは市民
国家である。
ポリスの成因は市民
国家なんです。そうすると、ポリスを成立させるためにはどうするかというと、奉仕
活動をする必要があると。ギブ・アンド・テークで金もうけをしていくことはできない。我々は
自分の利害を超越して
一つの共同体を形成していく、それが市民社会なんです。それぞれが奉仕
活動をする、サービスをする。その主眼になるのがもちろんシ
ビルサービス、市民的奉仕
活動をするんですね。
政治的参加をするとか、古代アテナイはいろいろなことをやっています。
しかし、一たん事あったらどうするか。そこには、結局のところ、市民が市民を守るしかないんだ、王様の軍隊があるわけじゃないし、外国の傭兵があるんじゃない、我々自身が戦わなきゃいけないという観念が出ます。これがミリタリーサービスなんです。
ミリタリーサービスをするためには、市民がそれぞれのことをしなきゃいけないということで、このミリタリーサービスは義務であり、そしてまた権利なんですね。市民の権利なんです。そういうところで形成されてきた軍隊の観念、それが実は問題を起こしていくんです。
それは、結局のところ、猛烈な侵略
戦争を敢行します。古代アテナイは猛烈な侵略
戦争を敢行した。ペロポンネソスとの間に、二回ぐらい物すごい侵略
戦争をやっています。だから、ギリシャの
民主主義は侵略の上に成立しているというのが昔からの、古来の学者の説だし、私も同意します。そういう中で行われてきたんです。
しかし、同時にまた、市民が市民を守る観念、この観念は非常に強く西欧社会に引き継がれてきた。だから、そこでの観念というのは市民皆兵なんです。
国民皆兵という
言葉よりも、私は市民皆兵なんです。それは徴兵という観念じゃありません。徴兵というのは、何か懲罰の徴、あるいは、兵役という
言葉は、苦役の役がついているからろくでもない。彼らの観念の中ではサービスなんですよ。軍事的奉仕
活動をするものとしてあるんだ。これは市民の権利であり、義務である。それでやってきたんです。だから、結局、西欧社会の軍隊にはそれがある。
しかし、それを
根本的に否定するような良心的兵役拒否の観念がなぜ出てきたか。これは大変おもしろい問題だと思います。
我々は、兵役というとすぐ天皇制の軍隊みたいになっちゃうけれども、彼らは建前としては
民主主義の軍隊ですね、古代アテナイから来た。
一つには、歴史的にその名前において猛烈な侵略
戦争をしてきたということがあります。このことの反省が
一つある。
それからもう
一つは、結局のところ、
戦争は
戦争を生み、そして正義の
戦争と称しているものは、古代アテナイの例が示すように、大抵不正義の
戦争、大抵インチキであったという歴史的な事実があります。これは繰り返し繰り返しやってきた。
こういうことをやめなければだめなんだという観念が第二次
世界大戦後に猛烈に出てきたんです。それは第二次大戦に対する反省なんです。第二次大戦は、西欧側は正義の
戦争を戦ったんだけれども、しかしそれでも反省が出てきた。ましてドイツは不正義の
戦争をしました。不正義の
戦争を猛烈にやったあげくに、今度は
自分たちがひどい目に遭う。何のためにやってきたかわからない。そういう中で、大きな観念の改新が行われる。観念の改新が行われるのは、やはり
戦争というものをやめないとだめじゃないかというのが出てくる。
そこへ、東西の対決の第一線になって、当時の西ドイツは結局のところまた軍隊をつくらされる。軍隊をつくらされたときに一番かなめになったのは、そういう
戦争の繰り返しに対して拒否する自由、それを求めないとだめなんだと、良心的兵役拒否が大手を振ってそこへ登場してくるわけです。
これはおもしろいことに、東ドイツにおいても良心的兵役拒否の
制度は一応あったんです。しかし、これは形骸化されたことは事実なんです。しかし、一応持っていました。そこのところを忘れてはいけない。どっちへでも、これは大変なんだということが出てくる。
やはりここで、
戦争に対して
根本的に違う観念に立たないといけない。古代アテナイ以来、軍隊というものが市民社会を守るためにあるんだという観念でやってきたのが、こういうことを繰り返している限り
戦争が続いていくんだということが非常に痛切な形でヨーロッパに出てくる、殊にドイツにおいて出てきたという事実があります。このことは非常に大事だと思うんです。
そこへ持ってきて、もう
一つ大事なファクターがあったんです。この大事なファクターは何かというと、それは、科学技術の進歩と工業生産の発展によって猛烈な武器が出てくる。その一番の象徴が核兵器です。核兵器が出てくる。核兵器以前でも、猛烈な殺し合いの中で大武器が出てくる。この武器が出てくるというのは、これは何だ。猛烈な武器で殺し合いをしている限り、正義の
戦争もヘチマもなくなる。正義の
戦争を振りかざしてやっているうちに猛烈な殺し合いをする。猛烈な殺し合いをすれば、一体何のために
戦争をしているんだというのが第二次
世界大戦で猛烈に出てきたと思うんです。これは大事なことだと思うんです。そして全体に対する反省が出てくる。
それから
三つ目にあったのは、これはドイツにおいて一番激しく出てくるんですけれども、人間にとって精神の自由が一番大事だ。この精神の自由を踏みにじるような形でナチ・ドイツが成立し、全体主義が成立する。
国家の観念よりも
個人の精神の自由が大事なんだ、
個人の自由が大事なんだ。これを踏みにじられたときに
国家がむちゃくちゃする、これは一番いい例がナチ・ドイツです。
やはり精神の自由を重んじようじゃないかということで、どんな理由があろうと
自分の
個人の精神の自由は踏みにじられることはない、それをドイツ基本法は規定しています。ドイツ基本法は非常に重要な観念として規定しています。すなわち、
個人の精神の自由に反して武器を持たされることはないということもドイツ基本法は規定する。それによってドイツ基本法は成立するんですね。
それは
三つあります。
繰り返して言いますと、
一つは、
戦争の繰り返しをもういいかげんにやめなきゃいけない。正義の
戦争は大抵まやかしである。これは歴史的レッスンなんだ。だから、今までのやり方とは違うやり方でこなきゃいけない。
二番目に出てきたのは、余りにも科学技術が進歩し、それから工業生産が発展することによって、猛烈な殺し合いの道具が出てきた。
戦争をする限り、正義の
戦争も何もかもめちゃくちゃになるということを痛感した。
それから
三つ目に出てきたのが、精神の自由が大事なんだ。
個人の自由というものを重んじようじゃないか。
国家の命令によって
戦争に行けといっても、私は違うんだ、違う観念に立つんだということを許そうじゃないか。それこそ人間の基本であるという観念です。この観念は、ヨーロッパの昔からの自由の観念に結びついて非常に強力に出てくる。
三つの思想的風土というのが第二次
世界大戦で形成されて、殊にナチ・ドイツの歴史を持つドイツにおいて猛烈に出てくる。そして、この二つがあるんですね。法
制度化していく精神の
動き、社会の
動きに
一つそれが出てくる。それから、それを受け入れていく社会風土、これは猛烈に出てきているということなんです。
例えば、一例を挙げますと、私はこの間随分いろいろなドイツの議員たちと会ったけれども、何人かは良心的兵役拒否をやった人なんです。しかし、そんなことは当たり前のことで、私は良心的兵役拒否をやったというようなことは言わないです。それは当然のこととして認めているわけで、聞いてみたらおもしろかったですよ。あなたは良心的兵役拒否をやったそうだけれども、ああ、やりましたよという感じですね。それは当然のことなんです。だから、そういうことは問題にならない。問題にならないぐらい当然のこととして受け入れている。
それで、
調査会の方々が福祉施設に行かれましたね。福祉施設に行かれたら、老人介護というのはまさに良心的兵役拒否者によって成立しているわけですね。そういう状態に今なっています。老人介護の問題になると、いろいろな数字があるけれども、今の全体の作業者の中の一一%から一八%ぐらいの割合が良心的兵役拒否なんです。その
人たちが支えているんです。それは当然のことになっている。それを白い目で見るとか、そういうことはもうないんです。ドイツ国防省の発表よりも、私の
調査したところでは、良心的兵役拒否の数はもう少し多いと思うんですけれども、この数字の多少を今論議しても仕方がない。そういうふうに今なってきている。
これは一番大事なことで、もう一遍話を戻しますと、良心的兵役拒否の中で
一つの大きなかなめは何かとなると、これは銃をとらないというだけじゃないんです。良心的兵役拒否の
人たちは、銃をとらないだけだったら得をしますね。つまり、兵役につかないで遊んでいればいい、
自分の仕事をしていればいい、そういうことは絶対ないですよ。それはなぜかというと、良心的兵役拒否者は社会奉仕をする、市民的奉仕
活動をするんです。つまり、兵役につく
人たちはミリタリーサービスを社会に提供する、それに対して、良心的兵役拒否者はシ
ビルサービスを提供するんです。つまり、非武装の、非暴力の市民的奉仕
活動を社会に提供する。こういう形で良心的兵役拒否の
制度が成立しているということを忘れてはいけないと思うんです。つまり、手をこまねいてただ銃をとらないだけでいるわけではないんだ。良心的兵役拒否者は必ず市民的奉仕
活動をするんだ。
これは、ギリシャの古代アテナイ以来、市民社会を成立させるには奉仕
活動が要るんだ。
一つは市民的奉仕
活動、それから軍事的な奉仕
活動、この二つで古代アテナイの
民主主義が成立していたんです。しかし、今の良心的兵役拒否の
あり方というのは、軍事的奉仕
活動を私は拒否する、そのかわり市民的奉仕
活動は人以上にやるんだ、そのことによって我々は社会に貢献し、
世界に貢献するんだ、その
考え方が基本にあって良心的兵役拒否が成立しています。ただ銃をとらないだけではないんです。市民的奉仕
活動を全面的に引き受けてやるんだ、このことは非常に大事なことだと私は思います。これによって市民社会は成立するんだ。
そこで、市民的奉仕
活動をする中身は、今申し上げましたように例えば老人介護をするとか福祉のことをやっている。今、ドイツの福祉は、良心的兵役拒否者の市民的奉仕
活動なしには成立し得ないというところまで来ているんです。あるいは、ほかの、例えば救急車の運転手になることもできるし、平和教育を実践している人もいるし、いろいろな形で市民的奉仕
活動をします。あるいは、精神病院の看護夫になったりします。
たまたま今から十何年前に、その当時の西ドイツ政府の芸術の文化交流基金を受けて、私は一年間ドイツで暮らしたんです。そして、その後で私は、
日本とドイツのいろいろな平和運動の交流も図り、それからベルリン自由大学で教えたりして、たくさんの良心的兵役拒否者と会いました。いろいろな話をします。そしてまた、ヨーロッパのつながりにおいても、別の国の、例えばイタリアの良心的兵役拒否者、そういう
人たちにも会いました。そういう話を総合してやっていると、それぞれが市民的奉仕
活動をするんだということが結果として出てきます。
そして、私が
一つ痛感したことは、この良心的兵役拒否者は単に兵役のかわりの代替労働をしているというようなものじゃないと思うんです。彼らの意識はもうちょっと高い。
それは何かというと、兵役では
世界はよくならないんだ、兵役についている限り
世界は今までのとおりだ、
戦争の繰り返しをやってきたんだから。もうここで我々は
世界の
あり方を変えなければいけない、あるいは社会の
あり方を変えなければいけない。その意識があるからこそ兵役拒否をするのですね。そういう意思がなければ兵役につきますよ。今のドイツは一緒になりましたけれども、前は兵役の方が短いんですよ。そういう時期でも、長いのでもいいからおれは兵役にはつかないんだと。
それは、社会をよくするんだ、兵役につかないことによって、
戦争を繰り返してきた、軍備に金を使い過ぎてきた、そして、本当は福祉だとかそういうところにお金を回せばいいのに軍備に費やしてきた、こういう社会の
あり方、あるいは
世界の
あり方、そういうことをささやかながらでも
自分は変えるんだという意識が、私はしゃべってみて、多かれ少なかれあったと思います。これは非常に大事だと思います。
一番痛切にそれを述べたのは、イタリアの良心的兵役拒否者がいまして、これは救急車の運転手をやったわけでございます。彼は非常に明確に述べました。要するに、今兵役についている限り、みんなが兵役についていれば
世界はよくならないんだ、同じことだ。結局、
戦争はずっと続いていくだろうし、軍備はこれから増強されていくだろう。おれは違うやり方をやるんだ、おれはこの
世界を変えるんだ、
自分はささやかながらでも変えるための努力をしているんだということを非常に明確に述べました。その明確さは私の心を打ったんですけれども、多かれ少なかれ、しゃべっているとそういうような気持ちがそこにありますね。
そこにあって、変革への志、変革にしたって何も前途に社会主義国をつくれとかそういうやり方じゃないです。
戦争のない
世界をつくろうじゃないか、軍備のない
世界をつくろうじゃないか、軍備のないイタリアをつくろうじゃないか、そういう意欲があるんですね。これは非常に未来に向かっての明るい展望を切り開く見方だと私は考えております。今までのようなやり方で社会変革というと、すぐ何とか主義とか何とか主義とか、そういうのではなくて、全く違う形です。社会主義国はもちろん軍隊持っているんだから、違うやり方でやるんだということを考える
人たちがそのまま良心的兵役拒否者の若者たちです。
私はこれに大いに学んだんです。しゃべってみて、なるほど、こういう
考え方でいかなきゃいけないんだということなんですね。単に銃をとらない、銃をとらないだけじゃなくて、
自分たちの手で市民的奉仕
活動をする、その市民的奉仕
活動こそが社会を変え、
世界を変えていくんだ。それは何かというと、
戦争のない、そして軍備のない、軍備に金を使わないすばらしい
世界をつくろうじゃないかというのが変革なんですね。
こういう変革の気持ちというのは、気概ですね。私は、彼らとしゃべって考えたんです。その気概はどこから出てきたかというと、さっき申し上げましたように、
三つの認識がある。
一つは、歴史認識です。
戦争の繰り返し、
戦争の繰り返し、これでは
世界はよくならない、同じことだと。これは事実そうですね、歴史が示しています。
その次には、今度は
世界の武器がめちゃくちゃに発達した。結局は正義の
戦争も何もかもないんだ、これをやっていれば。もうおしまいなんだ、だからもうやめようじゃないかと。
それで、
三つ目が出てきたのは、要するに
個人の自由が大事なんだ、
個人の自由を侵されてはならない。一番
個人の自由を侵すときは、国防のためだとか祖国を守れとか、そういうときに一番侵しますね。そうしたら、結局のところはみんな
戦争に行っちゃう。これではだめなんだ、これを確保しなきゃいけない。この
三つが基本にあると思うんですね、良心的兵役拒否の。
そして、それを受ける方も、多かれ少なかれそれを感じ取る、彼らと一緒にやることによって。あるいはそれを持っている。これが一番激しいのはドイツです、申し上げましたように。私は、ドイツで一年余暮らしまして、本当にそう感じたんです。だから、そこのところは非常に大事な認識の問題としてあると思うんです。
だから、拒否することはただ銃をとらないだけのことではないんだ、もっと積極的に持っているんだということを、私たちは私たちの憲法を考えるときにももっと深く考える必要があると思うんです。この憲法はもっと積極的に持っているんだ、単に
日本は銃をとらないだけじゃないんだ。これはもっと
世界的な大きな
意味を持っているという気がします。
実は、こういう私が申し上げた歴史認識、
一つは、
戦争の繰り返し、繰り返し、繰り返し、正義の
戦争を振りかざしての
戦争は大体まやかし。それから、
戦争は
戦争を生み、この繰り返しはもうだめだという歴史認識。それから次に出てくるのは、こんなに武器が進歩すると、正義の
戦争もヘチマもあるものかという
世界認識あるいは武器認識、文明認識ですね。それから
三つ目には、
個人の自由が大事なんだ。これをやはり私たち
日本人は
戦争を通じて獲得したと思うんですよ。これは非常に大事なポイントだと思います。これが平和憲法を支えているんだ、平和憲法の底にある平和主義というのは、実はそれに基づいているんですね。
そして、それを支えている気持ち、今でも
日本国、どんな人でも憲法は大事ですと言う人は非常に多いでしょう。平和は大事ですと言う人は多いですね。その気持ちというのがやはり、どこか
三つの認識、ドイツほど明確に持っていないにしても、
日本人は持っていると思います。持ってきたし、今でも持っているだろうと思うんです。これは非常に大事だと思います。
というのは、これは類似の体験を持っているんですよ。つまり、我々は
戦争をやった。私の子供のときには、東洋平和の樹立のためやというので、
中国の
人たちに侵略
戦争を、年配の方はおわかりだと思うんだけれども、それはまやかしだったでしょう。東洋平和の樹立なのに何で
戦争をするんだ、そんなばかなことがあるかというのは当然なりますね、今になってみれば。しかし、東洋平和樹立のためだと。
いつも使われるのは平和の樹立のためでしょう。それからもう
一つは祖国防衛。この二つがインチキであることは、もう繰り返して繰り返して行われてきているんです。その祖国防衛の名前において、古代アテナイは猛烈な侵略をしたんです。それから、東洋平和樹立のために我々はやったんですよ。このことのまやかし、これを我々はいや応なしに知ったでしょう。
そして今度は、
戦争は
戦争を生んでいるじゃないですか。我々は、
日本軍は
中国へ進出していって、やったと思ったら今度は大東亜
戦争になって、今度はこてんぱんになる。我々は、まず、殺し、焼き、奪う歴史を他国、他民族に押しつけた。これは事実でしょう、いや応なしに。それで、今度は逆にひっくり返っちゃって、殺され、焼かれ、奪われる歴史を背負い込んだ。前者の歴史を象徴するのが南京虐殺なら、後者を象徴するのは広島、長崎でしょう、当然。これはめちゃくちゃなんです。めちゃくちゃなことを我々は背負わされた。それで、もうこんなことを繰り返してはだめだということをだれも感じたんじゃないですか。
私も、子供のときに、一九四五年の八月十五日でなくて八月十四日の大阪の大空襲を受けて死にかけたんですよ。何のために死んだかわからないですよ。八月十四日ですよ。二十時間前に大空襲を受けて、たくさんの人が死んだ。もうちょっと、二百メートルほど一トン爆弾が外れていたら、私はここにいないですよ。これは何のために死んだかわからない。もうこういうことの繰り返しはやめようじゃないか、この意識を持っているでしょう。ドイツ人も持っているし
日本人も持っている。これは大事なんですよ。
それから、その次に、今度は科学技術の発達によって、正義の
戦争もヘチマもなくなったということを一番むごい形に持ったのは
日本人でしょう。広島、長崎ですもの。要するに、第二次
世界大戦において、
アメリカ合衆国は正義の
戦争かもしれない、それを振りかざした。振りかざして最後の段階で原爆を落としたでしょう。原爆を落としたら、これは一体何のためにやったかわからないんですよ。
アメリカの
戦争の正義がその一瞬のうちに消えちゃった。これは一体何だと。
そのころ、負けた我々
日本人は、侵略
戦争をしたとかそういうことがあって何も言えない。言えないけれども、何が正義の
戦争だということを我々は感じたんじゃないですか。これは一体何だと。それは、二番目の文明認識を我々は持っています。三番目も、
個人の自由が弾圧されてめちゃくちゃな目に遭っている。それで軍国主義の世の中に突入していったんですよ。これも我々も痛感したし、この
三つがやはり我々の根幹にはあると思うんですね。それが我々の憲法を支え、我々の憲法を支持してきたということは事実なんです。そして、大事なことは、こういう形で我々はされてきたんだということをもう一遍振り返って考える必要があると思うんです。
ただ、大事なことは、この憲法を見ますと、
日本国憲法というのは大変おもしろい憲法だと思うんです。皆さん方、私のような目で一遍ごらんください。私は憲法学者じゃなくて作家なんで非常にイマジネーションの豊富過ぎる人ですけれども、そうやって見ますと、大変おもしろい憲法なんです。
というのは、気概に満ちていますよ。ないものをあるようにしようじゃないかという憲法なんです。憲法第九条が平和主義の一番具現ですね。これが私の言う平和主義を一番見事にあらわしているんですよ。つまり、
戦争のない、
戦争をしない、軍備を持たない国なんて大体ないよ。
世界史になかったし、右向いても左向いても大体ないんじゃないですか。そういう理念を堂々と掲げて、やるんだと。ないものをあるものにしようとする気概がありますよ、この憲法は。私はすごいと思います。その気概に満ちているんです、この憲法は。ないものがわんさとある。しかし、我々はこれからつくっていくんだということが書かれていると思うんです。その気概があって我々の憲法は成立しているんです。
ほかの憲法は大体ないんです、見ていると。私は、
世界各国の憲法を全部研究したわけじゃないけれども。イラン憲法に至るまで、この間イラン憲法を見てきたんだけれども、イラン憲法を見たらそれはないですよ。今まであるものを列挙して、これはすばらしい、すばらしいと言っているんですよ。一番悪い例が旧ソビエト、ソビエトの悪口を今ごろ言ってもしようがないけれども、旧ソビエトの憲法ですね。これほどひどい憲法ないよ。
自分で自慢しているんですよ。これだけ達成した、これだけ達成したというふうに前文に書いてありますよ。何も達成していないですよ。みんなうそですよ。しかし、そういう憲法ばかりなんですよ、よう見たら。
日本みたいに、ないものを書いてこれからやるんだという気概に満ちた憲法はこれしかない。これはすごいですよ。
例えば、憲法の有名な文句があるでしょう。憲法の前文にそれは見事に書かれているわけ。憲法というのは、前文が原理を書いてあるんですよ。原理を具体化したのが九条です。私は、原理が非常に大事だと思うんです。だから、憲法の前文は大事なんですよ。前文があって、そしてそれを具体化したのが九条であり十三条でありとなっていくんだ。それをひっくり返して本末転倒の議論を皆さんなさらないでください。すぐ何条がどうしたこうしたという話ばかりするから。原理から出発する。原理から出発して具体化したのが、九条とか十三条とかいろいろな条がありますね、そういうふうになっていくんですね。そういうふうに議論の立て方をする必要があると思うんです。
そうすると、原理からいうと、例えばこういうことを書いてあるんですよ。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全
世界の
国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」ということを書いてあるけれども、こんなに見事な
世界は出てきていないよ、どこの国も。しかし、それをやろうじゃないかということを呼びかけているわけです。しかも、
自分はやるんだということを言っていますよ。
自分はやるんだからあなたもやれと。ここの
根本は物すごいおもしろい憲法で、ほかの国にやれと号令をかけている憲法はこれしかないよ。それをみんな考えてください。
これはおもしろい憲法なんですよ。これは威張った憲法ですね。負けたものが一番威張っておるんだからすごい。「われらは、いづれの
国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、」というようなことを書いて、もっとほかの国のこともちゃんと考えろということをほかの国に対して文句つけているのはこの憲法だけですよ。私も一生懸命探してみたんだけれども、こんな文句つけている憲法はこれだけなんです。
これは
一つ気概が残っていると思うんです。
自分たちはばかなことをやったんだ。殺し、焼き、奪う歴史を敢行して、そのおかげでもって、自業自得で殺され、焼かれ、奪われるというひどい目に遭ったんだ。こういう人には見えるものがあるんだ。これは非常に大事だと思うんですよ、我々には見えるものがあるんだ。ほかの人に見えないもの、
アメリカ合衆国の人間にも
フランスの人間にも見えないものだ、あるいは朝鮮の人間にも見えないものだ。我々は、愚かなことをわんさとして、愚かなことを全部背負い込んだ。そして、
人々を殺りくし、
自分たちも殺りくされた。このことによって、この歴史を通過すれば我々見えるものがある。この見えるものは大事にしようじゃないかというのがこの憲法なんです。その気概がありますよ。
これに辛うじて似ているのが、私はドイツだと思う。ドイツで痛感したのはそれです。やはり我々には見えるものがあるんだと。この二つの
国民が愚かなことをわんさとしたおかげで、また愚かなことがわんさと返ってきたおかげで、ほかの国の人間に見えないものが見える、私はこれが非常に大事だ。私の、一番
日本に対してこれから評価していくのは、その見えないものが見えたんだ、だからこれをやろうじゃないかという気概がここにあると思うのです。
そして、この前文がおもしろいのは、「
日本国民は、
国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と書いてあるでしょう。こんな誓う憲法もないよ。ほかの憲法は絶対そんなことを書いていない。あるものをこれからするんだ。ほかの国のやつはわからへんのだ、おれはわかるのだ、だからこれをやるんだ、あなたもしっかりせいと言っているでしょう。しっかりせいと言う前に
自分がやらなきゃならぬ、そういう気概があって誓うと書いてあるんです。このことは大事だと思うのですよ。我々は、これをやっていかないと
世界はおしまいになるということを言ったんですね。こんな
世界の繰り返し、
戦争の繰り返しをやったらあかんのやと。
それから、科学技術の進歩によって原爆ができちゃった。その被害をこうむったのはこっちじゃないですか。
アメリカじゃないですよ。こっちですよ。大事ですよ、これ。これは、見えたんだ。そうしたら、それを一国の問題ではなくて、全
世界の問題として考えようじゃないか。こういう精神の自由が大事なんだ。
この
三つの結合したのが我々の平和主義の理念である。これをやろうじゃないかということを呼びかけているのです。どこの国も達成していない、それを書いているんです。どこの国も達成していない。それをやることによって、初めて我々は国際社会において名誉ある地位を占めて、それで、「
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の
関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸
国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
日本はやるから、おまえもやれと。
そういう名誉ある地位があるからこそ、どこの国も
日本を攻めてこない。我々は丸腰でいくんだ。丸腰でいくから、あなたもやれ。丸腰でいくのが
世界で一番正しいんだ。おれは先覚者である。先覚者として一生懸命やる、この努力を見ろ。その中で我々は生きていこうじゃないかということを堂々と宣言しているのですね。その中で我々の安全と生命をこれから保持していくのである、そういう立派な国をだれが攻めてくるんだという気概がありますね、これを見ていると。これで第九条の論理と倫理は完結しているんですよ。この平和主義の論理は完結しています。
しかし、これは
一つ大事なことが欠けていた。大事なことが
一つ欠けていたのは何かというと、実は、さっき申し上げましたように、良心的兵役拒否は、市民的奉仕
活動をすることによって市民権を得て、法
制度が確立していくのですね。あるいは法
制度がこれから受け入れられていく。社会の奥深くに市民的奉仕
活動をすることによって受け入れられていった。その過程を我々はなおざりにしたと思うのです。
一つは、それがなかなかできなかった、後で申し上げますけれども、できなかった。なおざりにしちゃった
一つの例として言えば、例えばずるずると我々は
冷戦構造の中に入ってしまった。入ってしまって軍事同盟になっていく。
自分たちの理念に基づいた市民的な奉仕
活動を
日本は十分にやっていないと思うのですよ、この平和憲法を持ちながらいまだにやっていない。
繰り返して言います。良心的兵役拒否のことを
国家的な
規模において実現しようとしたのです。さっき
一つ言うのを忘れましたけれども、一番大事なことは、そういうさっきの
三つの認識に基づいて良心的兵役拒否が成立する、あるいは受け入れられる、それと同じことを
国家的
規模でやろうじゃないか。全
世界において我々は良心的兵役拒否になる。それを
国家的レベルで言い直せば、良心的軍事拒否
国家になる。良心的軍事拒否
国家でやっていくんだ、だから皆さん一緒にやろうじゃないかということを呼びかけているのですね。あなた方は兵役でやるかもしれぬけれども、おれは違うんだ。おれはわかったんだ、もうあのばかなやり方はやめたんだ。あなた方は兵役でやったらいいでしょう、しかし我々は違うやり方でやるんだということを高らかに宣言したのです。
しかし問題は、その宣言に中身がなかったのですね。中身がなかった理由というのはこれから後で申し上げますけれども、いまだに尾を引いています。いまだに市民的奉仕
活動を十分にやっていないでしょう。もちろん市民運動もやっているとか、ベトナム反戦運動をやったとか、それは別の話なんです、私が言うのは。
国家レベルにおいて、
国家の
規模において十分にやっていない。ただ国連が決めたことにずるずるついていく、国境監視員に行くとか、そんなことじゃない。最近に至るまで、
自分たちの理念に基づいて
自分たちの市民的奉仕
活動を展開してこなかった。
一つの例を挙げます。例えば、コソボの民族紛争を契機として、NATO、北大西洋条約軍はユーゴスラビアに対して空爆をした。この空爆はほとんど効果がなかった。私はつぶさに調べたのです。ことしの四月、五月に向こうに行って、いろいろなことをしゃべってみて、社民とか緑、そういう連中と話をして、空爆の効果は一体あったのかと言ったら、みんな疑念を表して、賛成した方、推進した方も口をもぐもぐしていまして、
反対した方がえらい元気がよかった。調べてみてもそうですね。要するに、効果がなかったことを延々とやったんです。
そのとき敢然として空爆に
反対したのは、NATOの一員であり、EUの一員であるギリシャです。ギリシャは敢然として
反対したんです。
反対の理由は非常に簡単です。つまり、バルカン半島のような民族の利害が複雑に絡み合っているところで、外国勢力による
武力介入というのは全然効果がない。それは逆効果である、必ずずっと尾を引くという、ギリシャの予言どおり現に今なっています。それはだれも否定できない。ドイツの推進者もそれは認めざるを得ない。私が突っ込むともごもごして困っていましたけれども。いろいろなことを挙げたけれども、結局今でも続いているんですよ。
ユーゴスラビアが変な選挙をやって、これからどうなるかわかりませんね。だから、何が何だかわからない状態にこれから引きずり込まれていくだろう。そうすると、
武力介入というのは何の効果もないんだ、余計複雑にするんだ、これはギリシャの体験なんです。ギリシャはバルカン半島で苦労してきて、
自分たちもひどい目に遭っているんですね。
ちょうどそれが、去年三月に私が大阪からアテネへ着くと、それはまさに空爆の始まった日なんです。それから、連日、国を挙げて空爆
反対ですよ。市民はデモ行進するやら議会は議決するやら、とにかく大騒ぎ。しかも、ギリシャというのはいろいろな
意見がある国で、大体
意見がまとまったことがない国なんですけれども、初めて挙国一致でまとまったのがこれだとみんな言っていましたよ。新聞も、右も左も全部まとまった。みんな
反対。こんなことやったらいかぬ、何にもならぬということでやっているんです。
ちょうど去年は
日本・ギリシャ修好百年ですよ。アテネへ着いて、私はそこで記念講演というのをしたんだ。そのときに、ギリシャ
人たちは、何で
日本は我々と一緒にやらないのか。そのとき非常に痛い発言をしましたよ。
日本は平和憲法を持っているじゃないか、平和憲法を持っているんだったら、こういう
武力介入に対して
反対しなきゃいけないんだ。我々は平和憲法を持っていない、平和憲法を持っていないけれども、これは平和憲法なんですよ、やっていることは。彼らがやっていることは、平和主義でいけと言っているんですからね。平和憲法の理念をやれということをギリシャは盛んに言っていたわけです。
ところが、そのとき
日本はどうしたか。
日本は、軽率に最初に賛成と言っちゃったんだけれども、後で何か、理解するに変えましたね。
日本政府は何をしたか、理解する。何にもしなかったでしょう、結局。
ギリシャはやっていたんですよ。ギリシャ人が言うのには、何で
日本みたいな大国が我々みたいな小国と一緒に組まないか、大国が組んでくれれば少しはましになるかもしれない、それを猛烈に言っていましたよ。
ちょうど
日本・ギリシャ修好百年じゃないか。そうしたら百年の大事業になるでしょう。何でそういう英断をしなかったか。それは、やはり
国民的
規模、
国家的
規模において平和主義の実践がないんですよ。それぐらい市民的奉仕
活動をやっていないんですよ。なぜそのときしなかったか。そんなあほな、理解するとかなんとか言わないで、やらないかぬ。あるいはまた、日米安保を強化する
方向にその瞬間やっているんですからね。そういう
方向でない
方向に我々は向くべきだったんじゃないかと思う。
ほかの例を挙げましょうか。例えば、イスラエルとパレスチナが今暗礁に乗り上げている平和交渉をしているでしょう。あれ、どこでやっているんですか。ノルウェーです。国連じゃありません。
日本はすぐ国連任せになるけれども、国連じゃない。
アメリカ合衆国じゃない。ノルウェーです。我々の国でなぜやらなかったか。我々はイスラエルともパレスチナとも仲がいいじゃないですか。どうしてそれを仲介しない。そういうことが市民的奉仕
活動なんですよ。
これをずっと考えていきますと幾らでも挙げられるんです。我々はこれから皆さんに討議してほしいんです。例えば難民救済に専念するとか、難民救済機を我々が買って幾らでも難民を取り入れる、あるいは対外債務に苦しんでいる第三
世界の債務を帳消しにしてやるとか、いろいろなことができますよ。あるいは反核を本当に実現するとか、あるいはどこかで紛争があったら我々は必ず仲介するとか、そういう
活動は
国家としての市民的奉仕
活動ですよ。それをほとんどしていなかったと思うんです。これは私は痛恨の限りですね。やっていないからだれも認めないわけですよ。
アメリカの手先だとみんな思っているのか知りませんけれども、結局動かないでしょう。
スイスをごらんなさい。スイスというのは、いろいろなインチキがあるにしても、永世中立国として来ましたね。しかし、あれはだれも国連で議決したわけじゃない。あれはまず国連に入っていないでしょう。あれは、我々は永世中立国だと言って、そういう行動をしてきたんですよ。そして、全
世界があれは永世中立国だといつの間にか認めた。非常に大事だと思うんですよ。第二次大戦中にも守る、それによって
利益をこうむる。連合国側もナチ・ドイツも、その仲介の役にそこにいたんです。これはいろいろな問題をはらむけれども、
一つの大きな貢献もしたことは事実なんですね。スイスはそれでみずからの地位を築いていった。
日本は、戦後それをしてこなかったんです。戦後してこなかったから、結局、うやむやのうちに、あの国は一体何だろうか、ただの
経済大国である、ただの金持ち国であるというふうに全
世界では見ています。いまだに見ていますね。だから、そういうことに対して我々はやはり考えなきゃいけないところに来ていると思います。
一般的に、
日本がどう見られているかというと、私は
アメリカ合衆国の大学の先生を二年したんです。そのとき、ちょうどソマリアの紛争が起こっていた。そうしたら、ソマリアの方に
武力介入しろということを書き立てる新聞がありまして、私の読んでいた地元の新聞なんだけれども、それを読むと、
アメリカ合衆国はソマリアへ行け、ソマリアへ行けというようなことを言っているんですよ。
皆さん方は御存じでしょうけれども、
アメリカ合衆国は、ニューヨーク・タイムズなんか反戦広告を載せるけれども、もっと載せているのは促戦広告、
戦争をやれという広告をたくさん載せますよ、
戦争をやれという広告なんかが出る国ですからね。
そうすると、
武力介入しろ、
武力介入しろということを盛んに地元の新聞は主張するわけです、有名な新聞なんだけれども。そうしたら、やることになるんですけれども、それに対して投書が出てくるんです。何で我々がそんなソマリアみたいなところへ行かないかぬか、
武力介入なんかしたらいかぬ、
アメリカの
国民は何の
関係もないと。要するに、あれはイギリスとイタリアの植民地だったんだ、イタリアとイギリスに処理させろというのが出てくるんです。そこまではいいでしょう。確かに
アメリカは
関係ないんだと。その次は傑作ね。お金はどうするんだ、
日本に出させろと言うんですよ。
日本は全く
関係ないじゃないですか。
というのは、
日本はそうやって見られていることは事実ですよ、何もしていないもの。これは恥ずかしいと思いますね。私は、そういうのを
日本人としていつも怒っているんです。こういうやり方で
日本は満足していいのか。お金だけ出せば、たたいたら出すんだというような形が市民まで浸透している。こういうやり方を変えなきゃいけないでしょう。そのためには、我々は一歩でもいいから我々の理念を持たなければいかぬ。
そうすると、平和主義の理念で何で我々はしてこなかったか。今までの、革新陣営がよく言いました非武装中立というのはだめなんですよ。非武装中立は、私は銃をとりませんというだけなんです。それだったら、良心的兵役拒否者が銃をとらないと同じでしょう。その後で、良心的兵役拒否者は市民的奉仕
活動によって社会を変え、
世界を変えようと言っているんですよ。やっていますね。同じことを、非武装中立ではだめだと言うのは、我々はもっと積極的な行動をそのとき提案し、してくるべきであったということを私は今痛切に感じています。
しかしまた、情状酌量しますと、
日本はなかなかできなかった、これは事実なんですよ。まず第一に、
日本はかつて貧しかったし、それから
政治的にも力がなかった。それから、
冷戦構造の中にとっぷり入っちゃった、
アメリカに引きずり込まれて、全部
アメリカの言いなりにならにゃならないところも出てきた。だから、なかなかそこから出られなかったということも事実なんです、情状酌量して言うと。それが今まで、今のような
自分たちの行動をとらない、市民的な奉仕
活動をしない、しないで便々と暮らしてきた
一つの根にあると思うのです。
しかし、もう既に時代は変わったのですよ。これから二十一
世紀に向かってもっと変わろうとしているでしょう。まずその力を我々は持っているでしょう。その力を発揮すべきですよ。
政治的にも持っているし
経済的にも持っているでしょう。でないと、ただの金持ち国だ、ふんだくれというふうになります。我々はそういうやり方を拒否する。拒否するんだったらどうしたらいいかということを考えていいときに来ているというのが私の
一つの認識です。
もう
一つは、
冷戦構造が済んだんだから、もういいかげんに
アメリカに隷属した形で対米
関係の中に入るようなやり方をやめようじゃないか。例えば、日米
関係の中に軍事条約が基本になっていますね、日米安全保障条約。大体軍事条約を基本にしたような二国の
関係というのは必ずゆがみます。強い方が必ず勝ちます。それから占領政策の継続になります。我々はそれを持っています。
ここらで、また私の提案は、日米安全保障条約をやめて日米友好平和条約を結べ、軍事的連関はその後なんだ。まず日米友好平和条約を結んだ上で、軍事的連関が必要ならばその後のことにしようじゃないか、それぐらいの大きな決断を今こそすべきだと思うのです。
アメリカの枠の中に入って延々と来たのですね。もう
アメリカの枠も崩壊しているんだから、この辺で違う形の
あり方を日米
関係に求めるべきじゃないでしょうか。それは私のいつも考えていることなんです。私は、
アメリカ側にも呼びかけて、広告も出したし、ことしの四月三十日にニューヨークでそういう演説をしたのです。反応はなかなかよかったですよ。市民の
あり方として、違うやり方をしようじゃないか。
そのときに
参考になるのが日中平和友好条約です。これの一番基本は、覇権を求めず求められず、それからもう
一つは、紛争の解決に
武力を用いない。国連憲章に規定されるものもしない。国連憲章は、御存じのように、究極のところで
武力を使ってもいいと書いてあるんですからね。それもしないぐらい非常に明確に規定しています。そういうような形のものを日米
関係の基本に置いて、我々の国のやり直しをする必要があると思う。それだけの力を、やろうと思ったらできる力を今
日本は持っています。それをしないというのは
政治家の決断の問題であるというふうに私は考えます。
だから、日ごろより我々は積極的に奉仕
活動をしようじゃないか、市民的奉仕
活動をしていこうじゃないか。それについて皆さんで議論をしてください、
政治家が集まって議論をする、市民と一緒に議論をする。こういうことができるのじゃないか、こういうことができるのじゃないか、それを
世界に提示していく。それで初めて平和主義の実績が出てくる。手をこまねいて見ているだけだったら、これは傍観主義ですよ。そうじゃないのですよ。
スイスは、さっき申し上げましたように、
自分たちの努力によって永世中立国をつくったのです。ステータスをつくった。しかし、そのステータスはスイスだけに
関係してくるのですよ。我々がもし良心的軍事拒否
国家のステータスを確保していく努力をすれば、全
世界が変わるのですよ。
日本というのは大きな国でしょう。大きな国が平和の
方向に向けば、それは大きな力を持ちます。それはギリシャが盛んに言ったことです。コソボの空爆のときに盛んに言っていました。なぜ
日本は動かない、少しでも動いたらいいじゃないかということなのですね。
コスタリカはもちろん我々のような憲法を持っていますけれども、コスタリカは小さな国でしょう。大きな国というのは、
日本なのです。我々は、
自分たちは大国であることを意識する。我々は
経済大国なのです。この
経済大国を平和大国に変えていくのだ、平和大国に変えていく努力を今こそやるべきだと思うのです。今やらないと、もうできない。
これから一番大事な時期に二十一
世紀は入っていくでしょう。我々の子孫のためにも、今決断して、そちらの
方向に一歩でも近づけていくということが、非常に大事な時期に今来ているというのが私の認識なのです。これから随分いろいろな議論をなさるでしょうけれども、私の
考え方をひとつ
参考になさって、これを基本に置いて考えていくということが必要なのです。
私はこう思うのです。私は小説家だから比喩が非常にこっけいかもしれないけれども、おもしろいと思うけれども、私は、平和主義というのは漢方薬だと思うのです。それに対して、
武力介入しろとかいうのは、見ていると劇薬ですね。劇薬は、どんとやることによって、一服飲むことによって時々は効くかもしれぬ。しかしこれは死ぬかもしれぬ。劇薬の効果は持続しないのですよ。すぐ終わってしまう。それから、ひょっとすると死にます。そういうものが劇薬なのです。
武力介入はそうなのです。それでやる限り
戦争は継続してろくでもない。私たちは漢方薬でいこうじゃないか。平和主義というのは漢方薬です。じんわりと効いてくる。それから
世界全体を変えていく。そのことをひとつ我々は痛切に認識すべきだと思うのです。
我々は、東洋に位置していて、東洋医学の志向に、言うならば、全体の療法を変えていく、ホリスティックに変えていくということが漢方薬ですね。我々の平和主義というのは、時間はかかるかもしれないけれども、全
世界を変えていくのだという意欲を持ってやる必要があると思うのです。
実は、去年この二つの事例がよく出ていたのです。
一つはコソボです、空爆です。それからもう
一つは、東ティモールです。コソボの場合は、そういう平和運動がなしに、平和的努力なしにぼかんとやったのです。ぼかんとやったから、劇薬が進んだ後大騒ぎになったのですね。現に紛争が続いています。またこれからどうなるかわからない。そういう
状況がこれから続いていくと思うのです。これはギリシャの予言したとおりです。これは劇薬でぼかんとやったのです。
それに対して東ティモールの場合はどうか。これは非常に対照的だと思うのです。東ティモールの場合は、最初にまず劇薬的に
武力衝突があった。東ティモールの解放闘争が負けてしまったのです。それからどうなるかというと、長い間かかって平和運動が展開する、国際的なつながりができる、オーストラリアを中心として、国際的連帯運動、平和的な非暴力運動、それがずっと続いていくのですね。それが効果を上げてきたからこそ、国連が
国民投票に持っていったのです。もしドンパチやっていたら
国民投票はしませんよ。
国民投票へ持っていったのは、平和運動がじんわりと広がって、漢方薬が広がってずっと進んでいったから、そこまでいったのですね。そして、今度は
国民投票の結果を不満とした分子が
武力介入してくる。それで仕方がないから
武力介入したのです。しかし、同時にすぐそれは終わった、終わって今また平和運動が続いていく。平和運動が前後にあるからこそ劇薬がうまく作動したのです。
そうでなかった場合がコソボなのです。前にその平和運動がない、後ろもない。どかんとやったのです。それでいまだに続いている。このことをやはり我々は
一つの大きな教訓として考えて、我々は漢方薬に徹してこれから事を処していく必要があるだろう。
現在の
世界はまだ複雑だから、劇薬が必要な場合もあるかもしれない。しかし、それだけではもうだめなのだ。我々は良心的軍事拒否
国家として、我々の
役割としては、これからあらゆる努力を、そういう平和主義の努力、市民的奉仕
活動の努力に向けていくのだ。そのことによって国際的に我々は認知され直す。ただの金持ち大国じゃないのだ、本当の平和
国家である。平和大国であるということになれば、
世界の中での位置も変わってくると思うんです。これから二十一
世紀にかけて、我々の子供のことあるいは孫のことを考えるなら、そういう
あり方の国、ただの金持ち国ではもう困るでしょう、皆さんもそう思うでしょう。違う
あり方を求めていくということが一番求められているんじゃないでしょうか。
今、新しい
戦争の概念が出てきているんですね。例えば人道主義的
武力介入、この名前のもとにコソボは行われたんですよ、結局は、人道主義的
武力介入。これが大変な禍根をはらんでいくだろうと思うんです。
人道主義的
武力介入の中で一番おもしろかったのは、八月十四日にNHK衛星テレビで放映していた、
戦争に正義はあるのかという、私の対話の旅なんですが、私が
アメリカへ行き、ドイツへ行って、いろいろな人に会った、
反対も賛成も皆会ってきた。一番
武力介入をやれということを強力に主張した女性は、これは画面を見られたら大変おもしろいと思うんですけれども、今でもすぐ
武力介入をやらなきゃいけない、
アメリカを中心としてそういう軍隊をつくらなきゃいけないとか、ニューヨークに中心を置けとか、一番激しい
意見を言う人を僕は呼んだんです。だからぜひとも会ってやろうと思って、会ったんです。私は、その
意見はともかくとして、その方の肩書が大変おもしろかった。それは、
人権を守るための医師の国際的集団の事務局長なんですよ。
人権を守るためですよ。彼女が一番激しい
意見、どんどこやれという
意見なんです。
そこまで来ていると思うんですよ。
人権戦争も出てくるでしょう、あるいは環境
戦争も出てくるでしょう。いろいろなものが出てくると思う。いろいろな名目がこれからついて出てくる。しかし、それが、
武力介入がうまくいっていない事例を我々はコソボで見ているんです。本当はうまくいっていないですよ。
では、どうするのかということになると、皆たじたじになって、大変おもしろい結果が出ていました。私は、対話をしたんです。一番有力な、女性の議員とかの中で一番やれと言った方がそれぞれ弁解じみた発言をし、それから、とにかく私は
反対だという連中は非常にすっきりした
意見を述べていました。私は、これは非常に示唆的だと思うんですね。
武力介入はもうだめなんだということも事実上に出てきたんです。
だから、この時期が非常に大事だと思うんです。今までのように
武力介入をやらなきゃいけないとかなんとかというんじゃなくて、そうでないんだ、じわじわしたやつが本当に効果が出てくる時代をみんなが認識し始めた、これが非常に大事だと思うんですよ、コソボをやってみた結果。
大変おもしろかったですよ。例えば、フィッシャーという緑の党の一番反戦運動をした人が一番強力に空爆をやれと言った人ですね、外務大臣ですね。私はこの人に残念ながら会うことはできなかったけれども、あの人は、我々は西のデモクラシーを守るためにやらなきゃいけないということを言ったんです。そうしたら、ギリシャの
人たちが怒っていましたよ。私らは一体何だ、東の野蛮か、何ぬかしておるか、古代アテナイはおれのところだ、おまえらみんな我々から学んだんじゃないかと大変怒っていました。
ただ、おもしろいのは、私は、今度は社民党、緑の
人たちに、それでは西のデモクラシーがおまえのところだったら、おれのところのデモクラシーはどうなるんだと。我々は東でしょう。東の国のデモクラシーはどうなるんだと言ったら、皆たじたじになって黙っちゃいました。答えられない。我々東の方は野蛮なのかということになりますね。だから、東のデモクラシーというのは、あるとすれば、それは
人権を本当に守り、
戦争を拒否する、そういうものとしてあるんだということを我々がこれから実際に示していく必要があると思うんですね。そういう時期に我々全体が来ているということを考えます。
このときに、私は本当に一緒に考えたいと思うんですよ、二十
世紀というのは何であったか。我々
日本人は割と楽観的な
意見を言う人が多いんですけれども、科学技術が発達したとかなんとか、そんなことを言うんだけれども、西洋人には物すごく悲観的な人が多いですね、有名な知識人の中にも。
私もそう思いますね。結局、二十
世紀ほど殺りくした時代はないんじゃないか。それから、破壊した時代、破壊は私の方がよく言うんですけれども、殺りくし破壊した時代はないんじゃないかと思うんです。二十
世紀でどれだけ殺し合いをしたかというと、五千五百万人から六千五百万人というのが通説なんですね。しかし、
アメリカ合衆国のカーター政権において大統領特別補佐官を務めたブレジンスキー氏、彼の「アウト・オブ・コントロール」、統御不可能という本を読みますと、彼の計算は、
戦争によって殺し合ったのが大体八千七百万人だ、それから強制収容所みたいなのに入れて殺したのが八千万人だ、一億六千七百万人いる、非常に細かな数字だけれども、そういう数字を出しています。私は、もちろん数字の異同は多少あるにしても、これは全人類が考えなきゃいけない、そういうときが来ていると思うんです。もう繰り返しはやめたらどうか。
それから、もう
一つ大事なことは、こういう
戦争によって死んでいくのが大体民間人なんですね。民間人がめちゃくちゃ死んでいる。たしか、第一次
世界大戦では五%くらいでしょう、民間人の死者が。第二次
世界大戦では、
一つくらい間違っているかもしれないけれども、四八%ですか、民間人の死者が。それから、朝鮮
戦争で七〇か八〇くらいでしょう。ベトナム
戦争で九五%ですね、民間人の死者が。それで、今度のコソボに至っては、民間人が一〇〇%でしょう。だって、NATO軍は死者ゼロだもの。死んだのは全部民間側ですね。千五百人かそれ以上と言われるユーゴスラビアの民間人ですよ。ただの人です。それがぼかっと殺された。
私は、空爆をやれと言った
人たちにこの補償をどうするんだと聞いたら、そこはお茶を濁していましたけれども、これから考えますというようなことを言っていましたけれども、これは一体どうなっているんだというところに来ていると思うのです。
あのとき、ドイツ側はよく使われたと思うのですよ。
武力はそもそも全部
アメリカなんですね。NATO軍の
武力は
アメリカですよ、いや応なしに。しかし、イデオロギー部門としては、ドイツが物すごく使われていますね。例えば、
アメリカの週刊誌を見ますと、ニューズウイークにしてもタイムにしても、でかでかドイツを載せていましたね。イデオロギー操作だと私は思いますよ。
いろいろなインチキが今暴露されているんだけれども、こういうことをここでしゃべっても仕方がないのでやめますけれども、ただ、そういうイデオロギー操作があることは事実ですよ。そこで堂々とみんなしゃべった。ドイツ側は
民主主義の神様であると。何か
アメリカの
民主主義はどこかインチキだとかみんな思っている。ところが、ドイツは社会保障
国家であり、
民主主義国家であり、緑の党もあるんだ、原発も
反対だというので、これが十分に使われたというふうに私は思うのですね。
そういうのを見ていますと、例えば、こういうふうに言うのですね。さっきのフィッシャーを引き合いに出しますけれども、今まではノーモア・アウシュビッツとノーモア・ウオーで来た。アウシュビッツが来たんだ。これは非常に誇張されていることは事実ですね。もうそれは今周知の事実になっています。民族抹殺なんかそこにはなかったと言われてきているのです。それだけが誇張されているのは事実ですけれども、その種があったかもしれない。ノーモア・アウシュビッツだからノーモア・ウオーを捨てたんだというふうに彼は言ったのです。
我々
日本人は、そこで発言すべきだと思うのですよ。というのは、要するにコソボをずっと拡大していくとそれはアウシュビッツになったかもしれない、それはフィッシャーの言うとおりかもしれない。しかし、ウオーを拡大していきますと、核
戦争になったかもしれない。それは言えるでしょう。例えば、どこかの国が毒ガスをまき出す。そうすると、それに対抗する手段というのは核
戦争しかないんだということになれば、核
戦争をしますね。
そうすると、ノーモア・ウオーの先に、我々はノーモア・ヒロシマ・ナガサキというのが必要ですね。ドイツはそれを言わなかった。ドイツはヒロシマ・ナガサキは体験していない。だから、ノーモア・アウシュビッツ。ノーモア・ウオーはやめちゃった。しかし、もしここにノーモア・ヒロシマ・ナガサキというのを持ってきたらどうするか。その質問を社民党、緑にすると、彼らは大変困りましたけれどもね。答えられない。
二つあるんだ、我々は。どっちも大事なんだということを我々は考えなければいけない。それを大きく打開していくためには、どこかの国がイニシアチブをとって、そしてそういうもののない、抑圧のない、差別のない、だれもが生きていけるような社会をつくるために一歩でも進めていくということが必要じゃないでしょうか。
私がドイツで社民だとか緑に提案したのは、おまえの国はわかった、見るべきものを見た国だ。平宗盛の発言がありますね、平家物語の最後に。自害するときに、見るべきほどのことは見つという、私も好きな
言葉です。我々は、見るべきほどのことは見つ、もう見たんですよ。だから、もうちょっと違うものをやろうじゃないか。ドイツも見たんですね。我々は、ドイツと一緒にやろうじゃないかという提案を社民の有力議員にしたのです。
そういう時期に我々は来ているんじゃないでしょうか。ノーモア・アウシュビッツがあるなら、我々はノーモア・ヒロシマがある。これをどうしたらいいか、それをみんなで考えようじゃないか。そのためには、我々は具体的行動を示す必要があると思うのです。ノーモア・ヒロシマを背負った
国民は、
日本は、少なくとも
戦争のない
方向に
日本自体を向けようじゃないかということをこれから我々の
課題として、良心的軍事拒否
国家を目指して我々は進んでいく。
それで、一歩一歩市民の軍縮を行っていく。我々が軍縮をしなかったら、何も
意味ないですね。一歩一歩要らない軍備を減らしていく。それを回す。例えば、災害救助に対しては災害救助の我々の専門のものをつくっていくんだというふうにして自衛隊を減らしていく。
いろいろなやり方があります。私は、阪神・淡路大震災の被災者としていろいろな運動をしてきました。その中で、我々はいろいろなことを考えたのです。いろいろ考えて、違う形で我々の
日本の安全をこれから確保していくんだということが必要だと思うのです。
そのときにすぐ出てくるのが、どこの国が攻めてきますかというような話にすぐなるのですね。一体どこの国が攻めてくるのですか、今。具体的に話をしたらいいと思うのですよ。
調査団がドイツの良心的兵役拒否者に、おまえの国に攻めてきたらどうするんだということを質問されたかどうかは知らないのですが、新聞報道によればそう書いてあるんですね。きょとんとしていたと思うんですよ。というのは、ドイツが今軍備をやめて
フランスが攻めてきますか。どこも攻めてこないでしょう。デンマークが攻めてきますか。具体的に考えましょうよ。
私たちの周りにはだれが攻めてくるんですか。東西も南北朝鮮も、これから仲よくやろうじゃないかと言っていますね。それから今度は、
中国もみんな、もうそういうところはないと思うんです。我々は、国是を立てて良心的軍事拒否をやろうじゃないか、我々、良心的軍事拒否
国家でいくんだ、おまえらも一緒に考えろというようなことを我々が提言して、実際具体的に実現していくということが必要だと思うんです。
スイスは、かつて名誉ある地位を持っていました、永世中立国として。同時にまた、彼らは必要だったんです、あのスイスという存在が。
戦争のさなかに大変必要だった。私たちはそういう存在にこれからなっていって、
世界全体を少しでも変えようじゃないかということを皆さん方と一緒に考えていただきたいと思うんです。
もう
一つ、私は、議会に対する、あるいは議員に対する
あり方というのを提言しようと思ったけれども、もうこれで一番大事な話は済んだのですね。それで、私は市民・議員立法という運動を展開してきたんですけれども、このこともこれからの
課題として考えていただきたい。しかし、時間が来たのでこれで私の話を終わりたいと思います。(拍手)