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石井(紘)
委員 宮澤大蔵大臣の苦悩は、大変私はよくわかるわけであります。
企業会計をしなければならないような、いわばビジネスの部分が余りにも膨らみ過ぎている。さっきも
特別会計の話が出たけれ
ども、
一般会計は八十三兆か四兆なのに、
特別会計は三百兆というような、これは基本的に事業
予算、こういうような、行政のビジネスというものが膨れ上がっちゃってどうしようもなくなってしまっている。そこを、外見的、表面的だけをとらえて、これをすべて、国を丸ごと
企業会計でやろうと。こうしたら、この国の運営をビジネスの
会計でやるということに引きずり込まれていくわけですよ。
ですから、
大蔵大臣はぜひそこを、政治家であるがゆえに、何かそこのところの間をとって、できるだけ
国民に
透明性を高めていきたいという気持ちはわかるのですけれ
ども、しかし、そこにはまり込んでしまいますと、これがビジネスの世界になる、利権の世界になるということを十分御認識をいただきたい。
余りにもこれが肥大化しているから、それがあたかも自然かのごとく既定の事実の上に立って、そこからの発想がこの
企業会計を取り入れようということなんですから、むしろ、
企業会計をしなければならないような部分は行政からきっぱり切り離す、そして行政というものは、収入が幾らで支出が幾らだということがきちっと
数字で出るようにしなければいけないわけですよ。それが行政の役割であって、決して、投資をした、外債を買った、あるいは株を買った、そうしたものが幾らになるかわからない、そんなところまで国の
会計で出るわけがないのです。
あるいは、いろいろな
特殊法人が宿泊
施設をつくったり、その他の、
道路建設をやったり、住宅建設をやったり、不動産取引をやったり、そうやってばんばんビジネスをやる、そういうものをとらえるのが国の
会計じゃないはずなんです。ですから、そういったものは切り離して、民間のやることは民間にやらせる、これが
経済。
経済がやることは
経済にやらせるということでなければいけないわけです。
ですから、こういう
バランスシートなどというものは、
負債がどのくらいあるかということは、それはそれで別途明らかにする必要があるのです。
特殊法人がどんなに破綻の
状況が深刻になっているかということは、それはそれで別途に明らかにする必要があるのです。ですから、国をそうした営利
企業のような、そういうような方向に持っていかないということを厳にひとつ御認識をいただきたい。答弁は結構でございますので、申し上げておきたいと思います。
そこで、
宮澤大蔵大臣は、
宮澤元総理は広島県が
選挙区で、御郷里であられるわけでありますが、私はこの前、
大蔵大臣の御地元の福山の鞆の浦というところに行ってまいりました。非常にすばらしいところですね。鞆の浦港というのはきれいな大変美しい湾なんですけれ
ども、そこに大変たくさんの遺跡がある。
例えば、港でいいますと、まず湾の入り口のところに波止という、これは二百年ぐらい前に、江戸時代にできたのでしょう、石づくりのいわば堤防なんですけれ
ども、手づくりのものですね。
そしてそれをちょっと進みますと、今度は雁木という、あそこは非常に潮の満ち干が激しい、一日に何メーターというふうに満ちたり干たりするところでございまして、階段のように、幅の広い階段のように石が積まれておりまして、そしてそこに、満ちたときは上の方、干たときは下の方というふうに船が泊まれる。こういうものを
我が国の祖先は、江戸時代の初めのころですか、初期ぐらいですか、そうしたものをつくった。
それをさらに回りますと、常夜燈という、今でいうと灯台なんですけれ
ども、石のすばらしいきれいな灯台がある。
さらにはまた、その手前の方には船番所という、上から潮を監視する、あるいは港を監視する、見おろす、本当に当時の情緒をとどめたすばらしいものがございますね。
それから、さらにはまた、奥の方へ行きますと、焚場といいまして、何かというと、昔は船に貝や何かがつくわけですね、あるいはまた海藻などがつく、そしてフナムシなんかが入り込んでくる、そうしたものをきれいに除去する、あるいはいぶしてフナムシをなくす、こういうような、今でいえばいわばドックですね、そういうようなものがそのまま全部残っておりますね。
問題は、何を言おうかとすると、そこに
道路の橋をだあっと横断させよう、こういう計画があることが問題なんです。
さらに、鞆の浦という町のことを申し上げますと、この町には、そういう昔からの交易の拠点でありましたために、外国からも国内からも、貿易のためのたくさんの船が出入りをしていたところでありますね。そのために、例えば坂本竜馬だとか、これは幕末ですが、あるいはもっとさかのぼれば豊臣秀吉だとか、あるいは外国からはシーボルトだとか、そういうさまざまな歴史的な人物がそこに行き来をして、そうしたものが一連の文化財となって残されておる。
国の指定文化財は全部で、史跡や名勝を含めて九つも、小さな町、人口が六千人か七千人ぐらいのそんなところにある。あるいはまた県の重要文化財、これが八つ。市の重要文化財を含めると全部で三十六もこうした遺跡群というものがあって、そして今福山市では、重要建造物群保存地区に指定をしようということで、もう条例の案もできておる。これを文化庁に上げて、市で指定するとともに国でもそういうふうな指定に持っていきたい、こういうことになっているわけですね。
ところが、その鞆の浦というのは、もう福山のずっと一番奥の方ですから、半島の先の方ですから、
道路をつくっても、私に言わせれば、それはほんの部分的に、あるいは
道路はいろいろな人がもっと広く利用するかもしれませんが、しかし、奥の方ではある、半島の先の方ではある。
そういうところに橋をかけて
道路をつくってしまいますと、先ほど言った常夜灯も隠れてしまうし、あるいはまた雁木というようなものも一部埋め立てなきゃならないし、あるいは焚場というようなものも埋めてしまわなきゃならぬというようなこともこれあり、それよりも何よりも、あのすばらしい景色、江戸時代に、将軍がかわるたびに朝鮮から朝鮮通信使というのが
日本に来る。そうすると、あそこに来て休憩をとった。その遺跡もありまして、そこには、朝鮮通信使が常にそこに泊まったという、お寺の中に対潮楼という建物がございまして、すばらしい風格のあるものですね。そこから眺めますと、それはもう——その対潮楼に朝鮮通信使が字を書いてあるんですが、「日東第一形勝」、
日本で一番きれいなすばらしい景色だ、「日東第一形勝」というふうに書かれてある。それほどそこからの眺めはすばらしいものですね。
これは、湾と港と町と
一体となった、
日本でも唯一無二と言ってもいい、すばらしい、歴史的な、文化的な大きな遺産だと私は思うんです。そこに
道路をかけることによって、橋をかけることによって、そうした遺跡の価値というものが決定的に破壊をされるのではないかということで、地元の皆さんも大変心配をしていらっしゃる方が多い。
長くなりますが、もう少し申し上げさせていただきますと、
宮澤元総理の郷里であられます広島県出身の、まさにこの鞆の浦にもゆかりのある、東大の名誉教授の、建築史の御専攻であられます太田博太郎さん、この方も、大変心配であることをるる述べておられますね。これは歴史的港湾としてぜひ保存しなければならないものだというふうに思うと。このような古い歴史を持ち、昔の形態をそのまま残した港はほかになく、運輸省でも歴史的港湾ということに選んでいるんだということを太田
先生も御紹介をしている。
港はそもそも実用的なものであるから、鞆が海運の中心として今後も栄えていくのであれば、時代の要請に応じて変容していくことはやむを得ない。しかし自動車交通が発達し、本四架橋が実現した現在、連絡船の発着港としての機能も、わずかに走島との連絡を残すだけとなり、この方面での
発展は望めなくなった。港に近代化を求める必要がなくなった今、むしろ歴史的港湾としての姿を保存し、観光資源として活用することが大切であると。ここに橋をかけると、観光資源としての価値も、あるいは歴史的、文化的な価値も失われるんだということをとくとくと述べておられるわけですね。そして、架橋について再
検討されることを切に望むと。
そして、これはこの
先生の主張が書かれた朝日新聞の記事でございますけれ
ども、「繰り返していう。架橋は鞆の観光資源を損なうだけのもので、これによって、鞆の交通問題が解決するものではなく、また過疎が解消するものでもないことを銘記すべきである。」こういうふうに述べておられます。
あるいはまた、有名な平山郁夫画伯も、同じような立場から、歴史の一端を担った港に橋を架けたら、世界遺産に残るわけがない、今これを世界遺産として登録をしたい、そういう声が盛り上がって、その運動が進められているところなんですが、橋がかけられたら、そんなことは到底望むべくもなくなってしまうんだということを平山画伯も心配をされておられるわけであります。
まだまだ、たくさんいろいろな文化人の方々がいろいろな
意見を述べておられます。稲垣栄三さん、これも東大の名誉教授、あるいはまた前野嶢
先生その他。
そこで、まず
宮澤元総理にお伺いをしたいと思うんですが、
先生は、郷里の御出身の太田博太郎博士とか平山郁夫画伯とか、こういう方々とごじっこんで、こうした
お話をされたことがおありかどうか、お尋ねをしたいと思います。