○
国務大臣(
森喜朗君) 小渕前
総理が万感の思いで沖縄・九州
サミットを決意されたわけでありまして、当時私は党の幹
事長という立場でございましたので、小渕前
総理から、まだ確定ももちろんいたしていない時期でもございましたけれ
ども、こういう考えでいるんだという
お話がございました。
私は、前の国会でもこの
委員会で申し上げたと思いますが、小渕さんとは学生時代からの友人でもございましたし、そして小渕さんが沖縄にかける思いというのはもう学生時代からのものでございましたから、私はなるほどなというふうに思いました。そして大賛成をいたしました。
私は、
総理に就任いたしましてからG8
首脳国を歴訪いたしまして、各国を回りましたときもその小渕さんの思いを各
首脳に伝えました。特に私は、ホワイトハウスで
クリントン大統領に、小渕さんの思いはアメリカの大統領が沖縄の地に足を入れられる、おいでになるということが大変すばらしいことなので、このことだけは大事に考えておいていただきたいということを直接申し上げて、いろんなエピソード、いろんな
経緯も申し上げたわけです。
クリントン大統領は、ですから平和の礎に何としても最初に入りたいという、そういう思いであったんでしょう。私
どもとしては厳しい日程だなと思いましたけれ
ども、無事に行事に参加されまして、そしてすばらしいスピーチをやられて、私も本当にテレビで拝見をしながら何か涙が出てまいりましたし、これは私は、小渕さんももしいらっしゃったらそういう思いでごらんになったんだろうな、そういうふうに思ったんです。
そういうこともございまして、ぜひこの沖縄の
サミットを
成功させなきゃならないし、その努力をされた小渕さんがいらっしゃらないということについてのやはり私なりの感傷的な気持ちもございまして、小渕前
総理を県知事さん初め県民の
皆さんが御招待されたパーティーをお開きになると聞いたものですから、ぜひそこに小渕夫人に御配慮いただきたいと。小渕夫人も御遠慮されていまして、私的なことですからということで大分御遠慮をされておりましたけれ
ども、ぜひ御
出席をいただいて沖縄の県民の
皆さんにごあいさつをし、お顔を見せてあげてほしいということを私も直接お電話申し上げて、そして小渕夫人においでをいただいたわけでございます。
ちょうど、一番心配をいたしておりましたのは、きょうもちょっと心配でございますが、やはり台風のシーズンでもありますし、この期間中の天候ということを非常に
皆さんも私も心配をいたしておりましたが、幸い先ほど
お話しのとおり、三日間まさにこれ以上のお天気はないとこれは沖縄の
皆さんおっしゃっていましたが、ぐらいのすばらしいお天気でございまして、本当によかったなというふうに思いました。
ちょうど、先ほどちょっと
お話出ましたが、私は名護市にお礼に上がっておりまして、市民の
皆さんとの集いに出て、
皆さんそのまま踊りを踊れと言うので一緒に踊らせていただきまして、先ほどからちょっとどなたかが浮かれて踊っていたんじゃないかとおっしゃいましたけれ
ども、そうではなくて、カチャーシーというのをぜひ一緒にやれということでやっておりましたときにすごい稲光とともに雨が降ってきたんです。まさにスコールのような雨でございまして、全身もちろん背広までぐっしょりになりました。ちょうどそのとき、後からわかったんですけれ
ども、
クリントン大統領が嘉手納の空港から飛び立たれたそうでありまして、飛び立たれて飛行機が離陸をしたときにちょうど今申し上げた雨に遭遇をしたということでありまして、私は翌日、小渕夫人のお宅に参りまして御
報告をし、御仏壇にお参りをして御
報告しましたけれ
ども、そのとき、小渕さんの御先祖のお墓に蛟龍昇天と書いてあるんだそうでありまして、奥様がその話を私にしてくださいました。
順天堂から御遺体が御自宅にお帰りになるときもちょうど官邸の前で大変な雨とそして雷が鳴ったというのが出ておりましたけれ
ども、ちょうどやはり同じような感じを私持ちまして、これで前
総理は何か安心をして天に竜のごとく上っていかれたのかなと、そんな思いも実は偶然とはいえいたしまして、翌日、御仏前にそのことも御
報告を申し上げてきたところであります。