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山本正和君
官房長官、大変な大役で御苦労さまでございますが、前
官房長官以来の
経緯がありますので、そこも含めて改めてお聞きしたいと思います。
それは、きょうの
官房長官のご
あいさつの中に、「いわゆる
恩給欠格者、戦後
強制抑留者、引揚者の方々の問題につきましては、平和祈念事業特別基金を通じまして、」云々と、こういうふうに言っておられます。
私は、引揚者という問題、これは早く帰ってきた人たちについては大体、決して一〇〇%とは言いませんけれども、かなりのことがされてきたというふうに思うんです。ところが、いわゆる残留孤児問題、これがどうしてものどにひっかかった骨みたいな感じでつかえがあるんです。
私は、特に中国残留孤児問題全国協議会の会長をしておるものですから、いろんな手紙等をいただくんです。これは二十年前ですから一九八一年から始まった事業です、残留孤児の引き揚げが。その当時、中国
政府ともいろいろな話を行って、いわゆる日中平和が回復して行われた事業ですから。
当時、中国に遺棄されたと言ってもいいだろうと思うんですけれども、
日本人の開拓団の人たちが、これは国策でもって昭和十年代に農村から次男三男の人たちを満州開拓団に送った。そして、場合によっては農民がそのままもしソ連と戦争が始まったときは戦う。銃も持っておったんです、開拓団の人たちはみんな。そこへ今度はいわゆる大陸の花嫁と称してたくさんの若い女性が結婚して向こうに行かれた。そこで子供が生まれたんです。
そして、昭和二十年の八月六日だったか七日にソ連が参戦しまして、一挙に開拓団をじゅうりんした。もう関東軍が真っ先に逃げたんですよ、軍が。真っ先に逃げて、関東軍の幹部の人たちや軍の幹部の家族はみんな朝鮮半島を経由して
日本に帰ってきた。あるいは高級な人は飛行機で
日本に帰ってきたんです。国境にほうり出された開拓団の人たちはもう惨殺された。あるいはその当時、
日本人の心は、捕虜になることは恥だ、白旗を掲げてはいけない、自決せよ、こう言われたんです。集団自決も開拓団の人はたくさんやっているんです。
その中で生き残った子供たちは、私は今の森さんだとか加藤さんだとか、ああいう六十歳過ぎの人を見ると思うんですが、ちょうどその人たちと同じ世代の子供です。それが悲惨な目に遭って残されていった。しかも国交回復がうんとおくれましたから、そのまま中国の人たちの良心と言ったらおかしいですけれども、人間的な哀れみの中で育てられてきた。中国も決して豊かな国じゃないんです。貧しい中で子供たちを育てた。その子供たちは同じ中国の人たちから、あれは「トンヤンクイ」だ、東洋の鬼の子供だ、こう言われてさげすまれておった。その養ったお父さんやお母さんも。
そういう中で、一九八一年に
日本政府もいわゆる口上書を中国
政府に渡して、大変お世話をかけましたといって、養父母の皆さんに十三万円のお金を渡したんです。これはどういう計算かといったら、何か六十元というものを基礎に置いて、そして十五年間の生活費、中国は非常に生活費が安いですから、それを基礎に十五年分として払った。
ところが、最近帰ってくる人はうんと年をとっていますよね。二十年もあるいは二十五年も養われておった人がおるんですけれども、そういう人たちに対して、依然としてその養父母には十三万円お払いしますと。ですから、去年も中国
政府に対してそういう話をして、請求が来たら払いますと、こう言っている、まだ請求が来ていないようですけれども。こんな
状況でいいんだろうかと私は思うんですね。
ですから、養父母に対して何らかの
措置をしてほしい、感謝の意をあらわしてほしいということを青木
官房長官にもその前の野中さんにも私はずっと言い続けてきたんです。このことは、私も七十三になるわけですから、私どもの年齢がいなくなれば知らなくなる、みんな若い人たちは、
官房長官も若いですから。恐らく時代が変わってくるとみんなこれは忘れられるんですね。そういうことに対して、中国の養父母に対する謝意を何とかひとつやってほしい。ここに今書いてある平和祈念事業特別基金というのがあるんですから、何かその辺でこれやっていただきたいという思いが一つです。
それからもう一つは、中国から帰ってきた残留孤児の皆さん、もうみんな残留孤児といっても六十歳近い人もおる。
日本に帰って八年も十年もたっている人もおるんですね。ところが、言葉は不自由ですし、年をとってきて帰ってきていますから仕事場を見つけるのが大変なんですね。ところが、みんな実は中国で医師の資格だとかさまざまな資格を持っておるんだけれども、これは一切
日本政府は認めませんから、例えば、はりやマッサージの技術を持っておっても
日本では認めないんです、もう一遍行き直さぬとね。ですから、とにかく単純労働で、汚い労働で頑張っておると。そして、その人たちの子供たちがおる。子供たちも初めは
日本語がわかりませんから、学校へ行ってもいろんな苦しみがあるんですね。
こういう人たちを何とかしなきゃいけないという
議論の中で、年金の問題があるんです。
日本人は、これは
日本国民であればいわゆる
国民基礎年金はみんなもらえるんですよね、
国民基礎年金。この人たちは何と
国民基礎年金の三分の一だけ何とかしましょうと、こういうふうになっている。ですが、中国におったということが原因なんですから、せめて基礎年金の一〇〇%だけは保障するということをぜひやっていただきたいというのが一つですね、これ。
それからもう一つは、失業するんですよ、みんなね。すると、失業してもう生活できなくなる。生活保護を受けなきゃいけないんですね。生活保護というのは、
法律の基礎がなるべくならば早く社会復帰させようというふうになっているんですけれども、この人たちは社会復帰できないんですよね、もう、六十過ぎたらね。ところがその人たちに対しても、厚生省からの
指導に基づいて各市町村は、何でまた生活保護を受けるんですか、早く仕事を探しなさい、こう言う。さらには、その人たちの子供たちに親の面倒を見なさいといって誓約書を書かせる。そういうことはどう
考えても私は人間的におかしいという気がしてならないんですね。
そんなことの思いを込めて、私はこの
総務委員会で
質問するのはいつもこれしか言いませんけれども、ひとつ
官房長官、前の引き継ぎで来ておることですけれども、この私の今申し上げたことについての御感想と、それからまた、続
長官はずっと聞いていただいておりますので、あわせて御見解を承りたいと、こう思います。