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佐々木知子君 現在は余りまだやっていないんじゃないかなというふうに聞いたんですけれ
ども、これから本当に各
学校、私は、もう小学生の段階から警察官に実際に来てもらって、麻薬取締官でもいいですけれ
ども、実際に覚せい剤ってこんなのですよ、それから大麻というのは、マリファナそれからハシッシュと二つありますけれ
ども、こんなのですよというふうに見せてもらって、例えばハワイに行って、ああおもしろいのがあるからというので、おもしろそうだからやってみるというファッションみたいな形でやることは決してないように、小さい段階から教えていただきたいというふうに思っております。薬物で国は滅びますので、アヘン戦争の
事例もありますけれ
ども、引くまでもなく、これは本当に小さい段階からきっちりと
教育をしていただきたいというふうに思っております。
そして、他の
関係機関、警察とか、今申されましたけれ
ども、いろいろな機関との間の
連携というものをきっちりとってやっていかないといけないと
思います。
私、これが非常に深刻だと
思いますのは、特に女子の間に援助交際などを機縁として覚せい剤というのは簡単に手に入るようになっております。覚せい剤がなぜこれだけ中高生にも浸透するようになったかと言ったら、イラン人が偽造テレカと一緒に販売するようになって、小口になりましたので一個五千円とか一万円とかで手に入るようになったわけです。そうすると、援助交際を一回やると何回分か手に入るというような感じになりまして、非常に手に入りやすくなった。気軽さというのが今、少年非行の
一つのキーワードでございます、気軽さ、手軽さというのが。それで手に入るようになったと。
今、少年院に入っている女子、女子に限っていえば二人に一人は覚せい剤なんです。これを成人の女子の場合に見ても、刑務所に入っている二人に一人は女性に限れば覚せい剤なんです。覚せい剤というのは身体的依存度はございませんけれ
ども、精神的依存度が非常に高いと。執行猶予を受けたその足で買いに行くなんというのはもうざらにあるようなことでございまして、やめられない。だから、小さなとき、小さなときというか少女のときに手をつけたが
最後、そのときの快感というので、何かがあると、フラストレーションが起こると覚せい剤に逃げてしまうというのが
生活体験みたいになってしまって、ずっと成人になっても抜けられない、そして人生をそのままで終えてしまうというようなことになります。
覚せい剤というのは、御存じのように、非常に危険な薬物でして、覚せい剤を常用しておりますと精神分裂病に非常に似た妄想や幻覚が起こりまして、その幻覚、妄想下で通り魔的殺人をやるというのは非常に多いケースでございますので、ぜひ覚せい剤に対しては厳しい処置で、
学校段階で取り組んでいただきたいというふうに思っております。
次に、生きる力をつける
教育ということで、雑駁な表題を立てさせていただきましたけれ
ども、今、少年非行というのは
平成七、八年ごろから第四次の波に入っているというふうに言われております。昭和二十五年ぐらいをピークにしたのは
生活型非行というふうに言われておりました。
生活に困っているので少年が非行に走る。昭和三十年代後半の非行となりますと、今度は反社会型非行だと言われた。昭和五十年代の後半に非常にふえましたけれ
ども、これは遊び型非行だとか初発型非行だとか言われております。
今は、どう言うんですか、非社会型非行。反社会型ではなく、そういうポリシーがあって非行に走るわけではなくて、何となく適応しにくいから、社会にいづらいから、
学校にもいづらいから、何だか家庭にもいづらいし、どこにも居場所がないからというので非社会型非行。そして、精神科医の
先生によっては自己確認型非行といううまいつけ方をされておられるのもおりました。つまり、
自分というものの生というもの、自我というものが非常に希薄なので、それを確認しようとして非行に走っているというのが今の特徴だというようなことを言っておられました。全体的に当てはまることは決してないと
思いますが、確かにそういう傾向というのはあるんだろうと
思います。
私、最初の方に核家族化というのを申し上げました。そうすると、おじいちゃん、おばあちゃん、それからそういう年配の方もおられませんので、人が死ぬということを身近に見るということが余りなくなりました。そして、ちっちゃな子というのもそんなにいなくなりまして、少子化でございますので、生と死というものに対する希薄な概念というのが今特徴づけられると
思います。それに加えて、ゲームとかが随分はやっておりまして、バーチャルリアリティーの世界で人はどんどんゲームでは死ぬんだけれ
どもリセットすればまた生き返ると。生と死というものに対して、本当に
自分の実感として感じられない
子供たちが非常にふえているということがやはり今の非行の特徴としては挙げられるのではないかと
思います。
その生きる力をつけるためにやはり一番大事なことは、自然に触れ合わさせる、人間というのはいかにちっぽけなものなのか、生きているというのはどういう意味があるのかということを知らせるということが
一つ大事なことであり、そして、これは
岩城先生も触れられましたけれ
ども、
体験教育、
体験学習ということで、生と死を身近に見る
教育、身近に知る
教育というのが私は必要なんだろうと
思います。本当はそれは家庭
教育がやるべき次元の問題だったんですけれ
ども、なかなかそうもいかなくなったので、もう
学校とかそういう
地域社会にやってもらわないといけないということになっているわけです。
これは非行少年の試験観察、試験観察というのは保護処分とかを決める前の段階ですけれ
ども、老人ホームに行かせたりとか乳児院に行かせたりとかしてそういう方たちの面倒を見させる、
ボランティアみたいなのをさせるんですけれ
ども。そうすると彼らは、ありがとうとかおじいちゃんに言ってもらえる、おばあちゃんに言ってもらえる、それがすごくうれしかったと言うんです。だれにも感謝されたことがないと言うんです。そういうようなことを
体験させるというのは非常に有益だというふうに言われております。
岩城先生のところの
お答えにもあったんだろうと
思いますけれ
ども、いま一度そういうようなことをどういうふうに取り組もうというふうにお考えなのかどうか、お聞かせ願いたいと
思います。