○都築
委員 自由党の都築譲です。
文教
委員会の取り組むべき課題もたくさんあるわけでございますが、きょうは
教育委員会の問題について、その
あり方について、
文部大臣の
見解をお聞きいたしたいと思います。
と申しますのも、実は本日の
新聞で発表されておりましたが、人口の動態、また昨年度〇・一七%の人口の増加ということで、これは最低の伸び率ということになったわけでございまして、現実に、少子高齢化といいながら、少子化がどんどん進行している
現状が人口動態に大きく影響を与えてきている。
私、今まで戦後の政治、行政の課題を見てまいりまして、人口の動態といったもの、デモグラフィーといったものを十分に踏まえないままいろいろな政策がとられてきたことがさまざまな混乱をもたらしてきたのではないか。特に私も団塊の世代の最後に属するわけでございまして、そういった
意味で、当時の小
学校は、それこそ五十人とか五十五人も詰め込まれて、すったもんだやりながら育ってきたわけでございまして、今や三十人学級が
議論されるようなことを思いますと、隔世の感が実はあるわけでございます。
今、私
ども四十代、五十代の人口が、九八年の統計でございますが、約一千八百万人ずつであります。第二団塊の世代と言われる二十歳代の人口が今一千九百万人いるということでございますが、その下の今の十代の人口は約一千四百五十万人。そして、さらにその下のゼロ歳から九歳までの人口が一千二百万人ということでございますから、これから現実に、もう十年たったら二十代の若者は四百五十万人も減っていく、さらにまた二十年たったら二十歳代の若者が七百万人も減少していくということが、どれだけこれからの
社会経済に大きな影響を与えていくか。
そしてまたそれは、そういった
社会経済を支えていく、屋台骨となっていく若い方たちが減少していくわけでございますから、少数精鋭であってもらわなければ困るのに、今大きく
社会面で
議論をされておりますのが
子供たちの問題ということになるわけでございまして、こういった
意味で、本当に
教育が果たすべき役割というのは極めて大きいと言わざるを得ないと思います。
こんな中で、随分いろいろな
機関が
教育の
あり方について
議論をしておるわけでございます。
文部省の
審議会であります中央
教育審議会、さらにまた、
総理の私的懇談会、諮問
機関であります
教育改革国民会議、さらにその前は二十一世紀懇談会といったところで、まず
日本人の
あり方、そういったものから実は問われておるわけでございます。
私
ども自由党も、今回の衆議院の総選挙に当たっては「
日本一新」ということで、その最初のテーマとして「
日本人の心と誇りを取り戻す。」さらにまた道徳や、あるいはまた集団生活のルールを学ぶために毎週土曜日を充ててはどうか、こういう提言をしたわけでございまして、ぜひこれからも、こういった
子供の問題、
日本人のそういった問題について真剣に取り組んでいきたい、こんなふうに
考えております。
そして、そういったことを
考える中で、さまざまな提言が実は行われておりまして、百花繚乱、百家争鳴といいますか、もう本当に
議論は出尽くしている感がするわけでございます。要は、後はどうやって決断をし、それを実行していくのか、こういうことになろうかな、こんなふうに思うわけでありますが、私は、その
議論の中で、まだぱらぱらっと資料などを見た程度にすぎませんが、実は忘れ去られているのではないかと思うのが
教育委員会の役割、
あり方ではないかな、こんなふうに思うわけでございます。
もともと
教育委員会、戦後のといっても、もう若い方たちにとっては、いつ戦争があったの、こう言われてしまうかもしれませんが、それでも、あの戦後の
日本の民主化政策の中で、行政
委員会制度といったものが随分と取り入れられてまいりました。いわゆる警察関係については公安
委員会、そしてまた
教育関係については
教育委員会、また土地収用
委員会とか、あるいは公正取引
委員会とか労働
委員会とか、さまざまな行政
委員会が導入をされまして、行政の民主化を進めていく。そして、そこにはいろいろな方たちの
意見を反映させ、またいろいろな
地域の実情も反映させていくということで取り入れられてきたわけです。
ですが、私が見る限り、どうもこの戦後の五十年間の過程というのは、そういった民主化政策のもとで取り入れられた行政
委員会制度といったものが、現実には、中央集権という形で中央官庁の権限をうまく使いながら、それを骨抜きにしていく過程ではなかったかと言っても過言ではないのではないか、こんなふうに実は受けとめておるわけであります。
現に、例えば警察の不祥事が一時期相次いだわけでありますが、この警察の不祥事が相次いだときに、県警本部長さんが謝罪に出てくる、あるいはまた自治
大臣・
国家公安
委員長が謝罪に出てくることはあっても、それぞれの、例えば神奈川県とか新潟県の公安
委員長が謝罪に出てきたことなど実は一度もないわけでありまして、また、
新聞の記者会見を行って、どういう事情で、どういうことになって、どういう処分をするかということを言ったことも実はないわけであります。そこに
一つ今の行政機構の問題があるかなと。
また同時に、
子供のいじめによる、例えば自殺の事件あるいはまた不登校、
学級崩壊、さまざまな問題がいろいろなところで実は報道をされておるわけであります。そういったときに、まず
文部省の
見解も聞かれますが、都道府県の
教育長あるいはそれぞれの
市町村の
教育長、そういった方たちの
見解が示される、あるいはまた
学校長の
見解が示されるということはありますが、
教育委員長がその場で、どういう問題があって、どういうことでこういうことになって、これからはどういうふうにするという形での
見解を示したものは、私は今まで
新聞報道を見ておりますが、実は皆無であったわけであります。
では、
教育委員会というのはもう全く要らないのかというふうに
考えますと、実は
文部省の方からいただいた資料でありますと、
教育委員会は非常勤の
教育委員をもって組織し、
教育委員の合議によって大所高所から
基本的
方針を決定し、その
方針・決定を受けて
教育長が事務局を指揮監督して具体の事務を執行する。
教育委員会は、具体的には、
学校の設置管理、教職員の人事や研修、児童生徒の就学及び
学校の組織編制、校舎等の施設設備の
整備、給食や保健に関すること、あるいはまた
社会教育、
スポーツの
振興、
文化の
振興、
文化財の保護、実は、さまざまな権限を地方
教育においては持っておる最高の決定
機関ではないか、こんなふうに思うわけですが、どうしてこういう
状況になってしまっているのかなということを実はつくづく思わざるを得ない。
そしてまた、私
どもがきょうはこの
教育委員会の問題を取り上げたい、こう思いましたのは、実際に、そういった最高の意思決定
機関、民主的な
意見を反映させる
機関として設けられているものがうまく機能していないんではないかという
観点と、もう
一つは、現実に、例えばいじめの問題、
学級崩壊の問題、あるいは連休の前にも随分いろいろな
青少年の
犯罪が起こっておるということであります。
愛知県でも、名古屋市の方で、実は中学生が五千万円も恐喝をする。被害に遭った少年をかばって、お母さんも一生懸命守り通したということも言えると思いますが、しかしその後の
新聞報道は、加害者、いわゆる脅迫をした、恐喝をした少年たちが、実は反省をするような形で本当にようやく、初めて心を開いて親と話し合ったとか、そういった
社会に心を開くような
状況になってきた。そういう
状況も見えているわけでありますが、被害少年の問題も、加害少年の問題も、実は
学校はどう取り扱ったのか、あるいはまた
教育委員会はどう取り扱っていたんだろうか。
そういったときに、本来の機能をもし
学校が果たせなかった、
先生方が果たせなかったんだったら、
教育委員会が果たし得たのではないか。そんなことを
考えたときに、そういった
意味で一体どういう取り扱いができていたのかということを私
どもは
考えていかなければ、現実の救済が行われず、本当に、被害に遭う
子供たちもあるいはまた加害者に回ってしまう
子供たちの救済もできないんではないか、こんな思いがするわけであります。
そういった
意味で、ちょっと冒頭が長くなってしまいましたが、まず、今こういったいじめや
学級崩壊の問題について、
教育委員会とかあるいはまた
学校が、
子供とか保護者の不平とかあるいはまた不満とかいった問題についてどのように受け付けておられるのか、そこら辺の
状況について
文部省として把握をされておられましたら、
大臣の御
見解を聞きたいと思います。