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太田(昭)
委員 憲法調査会が発足をして、具体的に話がここまで来たということは、私は大変いいことだというふうに思っておりますし、
会長初め、御尽力に感謝を申し上げたいというふうに思っております。
私は、
憲法を論ずるのは
国家を論ずること、国の形を論ずることだと思う。そしてまた、国の形といえば
憲法というものを論ずることになるだろうし、人の形というならば教育
基本法の
理念というものにもやはり触れざるを得ない。二十一
世紀のスタートに当たって、そうした
根本的な思想、哲学の次元というのは非常に大事だと思っております。
論点としては、
憲法制定経過ということが一応綿密に行われましたものですから、ぜひとも、これから国の形ということについての
論議というものが必要不可欠であろうというふうに思っております。
二つ
論点があるとするならば、一つは、今
世界は明確にグローバリズムの流れの中にある。一九〇〇年代を考えてみると、最初の五十年が覇権の争い、領土のとり合い、テリトリーゲームであったとするならば、後半は富の分配の争い、ウエルスゲームということが言えるかもしれないが、二十一
世紀ということを考えると、間違いなく私はアイデンティティー
競争の
時代になるというふうに思っております。
そういう意味では、グローバリゼーションという中で、
日本の国とは一体何であるのか、
日本人とは何であるのかということの確認ということは、国ということにおいて、これから二十一
世紀に発車するに当たって
根本的な
議論でなくてはならないというふうに思っておりまして、
憲法の
条文の背後にある思想、哲学、文化、歴史観、そうしたものについての研究というものが、この
憲法調査会では特に必要であるというふうに思っております。ジャパン・アズ・ナンバーワンということが言われた
時代がありましたけれども、やはり
日本のアイデンティティー、ナショナルアイデンティティーという意味からいいますと、ジャパン・イズ・オンリー・ワンという、そのオンリー・ワンというのは一体何であるか。
同時にまた、
山崎正和さん等が言っておりますけれども、そうした
観点と同時に、二十
世紀というのがネーションステートということが言われておりますが、ネーションはネーション、ステートはステーツ、ネーションステートというふうに言われている中に二十
世紀の一つの欠陥があったという分析があります。
ネーションというのが文化とか伝統とかそうした固有のものであるとするならば、ステートというのは仕組みとか枠組みという中でのものである。このネーションとステートが同じ
国家として形成されて、それが二十
世紀というものの国の
あり方としてきたということについて、もう一度そこで、文化とか思想とか歴史観というものと同時に、枠組みであるステートというものの分析をしながら、
国家のアイデンティティーというものを考えていかなくてはならないということは、私は非常に示唆に富んだことであろうというふうに思っておりまして、私は、
山崎さんの今のさまざまなところで書かれている論文というのは、かなり
国家の根源というものにかかわる問題提起をされているのではないかというふうに思っております。
今度は、もう一つ、十一章、百三条にわたる
条文ということについては、やはりこれは
時代とともに大きく変わっているということで言われているんですが、
時代の
変化とともにというのを、過去を振り返っての
時代の
変化とともにという
憲法調査会の
論議だけでなくて、そこから出てくるのは、これからの国の形はどうなるのかというときに、私は四つの大きなマグマが今二十一
世紀の前にある
ような気がします。
一つはITのマグマ、一つはゲノムのマグマ、一つは
環境というマグマ、そしてもう一つ言うならば住民
参加というマグマ、四つのマグマというものが、法制度の
あり方とか
国家の
あり方とか
社会のシステムの
あり方あるいは諸制度、いろいろなことの
あり方ということに影響を与えてくるということで、未来に向けて、二十年後、三十年後の
日本の
社会というのは一体どうなるのかという
観点から、現時点において、五十年間で違ってきていますよということの中から
環境権とか知る
権利とか
プライバシー権ということを論ずるというだけでなくて、二十年後、三十年後の
日本の
社会というのはそうしたIT
社会であったり、ゲノムというものがあったり、あるいは
環境というのがもっと重要視される
国家であるとか、あるいは住民
参加という
ような、そういう二十
世紀型の
国家と違う
国家というものの大きなマグマがあるという
観点から
憲法というものを
検証していくことが大事なことであろうというふうに私は思っております。
以上でございます。