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公述人(桝本純君) 桝本です。
本日は、こうした形で
意見を述べる機会を与えていただきまして、
委員長初め
委員の各
先生方に心からお礼申し上げたく思います。
私は、二十分という時間をちょうだいしておりますが、主として
社会保障にかかわる分野について私どもの見解を述べたいと思います。
お手元に二枚ものの発言要旨と、それから私の所属しております団体でつくっております医療
制度改革についての討議
資料というふうに書いてございますが、私ども組織内であるいは組織外の皆様に訴えるというつもりでつくったものでございますので、御参考にしていただければありがたいと思います。
まず、大変概論的なことで恐縮でございますが、現段階における国の
予算編成というものについて、それはどのような課題を負っているのかということについての私どもの見解をあらあら述べさせていただきたいと思います。
御案内のとおり、当年は二十世紀最後の年でございまして、私どもの国も
社会も大変大きな転換点にあることは
国民各層ともそれぞれに感じているところでございまして、この段階における国の
予算というものは、単に単年度の
予算配分ということを超えまして、二十一世紀における我が国のあり方そのものについて
一つの
方向を打ち出す、そういう非常に重要な課題を負っているのではないだろうか、そのように考えます。
その点で、まず
国民経済全体の中での資源配分というものを考えますと、国の
予算は、それに対する
一つの
方向性を大変強く押し出す、そういう性格を持っておると思いますし、その内容から申しますと、従来、敗戦後から今日まで続いておりました我が国の
経済の基調でございました産業優先から
国民生活重視へという転換が求められて久しいかというふうに思います。
そしてまた、戦後のいわゆる貧しい
時代に大変重要なテーマでありました平等の配分ということよりも、むしろ
安心の配分ということが今日の
社会全体の非常に大きなテーマなのではないだろうか、そのように考えるところでございます。その中にあって、今日特に重要なのは、
制度に対する
国民の信頼、そしてその信頼をベースにした
国民の間での助け合いということがきちんと行われるような、そうした基礎的な構造をぜひとも
予算としてもまた示していただきたい、そのように考えるところでございます。
具体的に申しますと、これまで
不況のたびに我が国の
予算配分は
公共投資に傾斜をしてまいりました。また、各省庁間における
公共投資の配分についてもその見直しということが言われてから久しく、かつそれは実現しているとは言いがたいわけでございますが、今後とももちろん
公共投資は必要であろうと思いますが、
公共投資が本当に必要な分野はどこにあるのかということについての明瞭な考え方というものが必要でございますし、あわせて、
公共投資というややもすれば箱物行政と言われてきたあり方から、むしろ今後の
福祉あるいは教育、そういった分野へ資源配分を移すとすれば、投資的な経費よりもむしろフローのベースの経費を重視していく必要が出てくるのではないだろうか、そのように思います。
しかし、産業構造というのはその中に働く労働者がそれぞれいるわけでありまして、現状のように
公共投資比率が非常に高い我が国の
経済の中で、その
公共投資に強く規定された産業分野で働いている労働者が大変多いこともまた事実でございます。したがって、これはあるときに急激に切りかえられる性質のものでもまたございません。
例えば、現在まで建設重機械をつくっていた屈強な男子労働者があしたから
子供のあるいは年寄りの面倒を見るヘルパーになれるわけではございません。したがって、そこのソフトランディングと申しますか、きちんとした経過措置をとって、かつ
計画的に進めていくということが特段に重視されなければならない、そのように思うところでございます。
その中で、
社会保障、
福祉ということを考えましたときに、
幾つか大きな柱がございますが、まず第一に、先ほどの
安心の配分ということから申しますと、重要なのは年金の問題であろうかと思います。現在、
国民福祉委員会の方で御審議いただいているところでございますが、我が国の年金について一番
危機的なことは、昭和三十六年以降の
国民皆年金というふうに言われてきたものが
制度的にはほとんど破綻に瀕しているというふうに私どもは認識をしております。この
国民皆年金という立場を引き続き維持しようとするのであれば、年金
制度の抜本的な見直しが大変大きな課題になるというふうに思います。
年金に対する
国民の依存度、なかんずく雇用労働者の退職後の生活の依存度は大変高うございまして、年金だけで暮らしているという人は必ずしも多くありませんが、退職後の主たる生活のベースを公的年金に依存している人は今では七割を超えている、こういう
状態でございます。したがって、今後の
高齢者の退職後の所得
保障、退職後の生活のセーフティーネットということを考えた場合には、公的年金が当然のことながらその基盤にならなければなりません。
現在の公的年金は、
先生方御案内のとおりいわゆる賦課方式、すなわち現役の労働者が納める
保険料が現在の年金生活者の
方々の受け取る年金の財源になる、こういうシステムでございます。したがって、
世代と
世代の間の信頼抜きにはこの
制度というのは維持されません。その意味で、現状の我が国の年金
制度に対する最も大きな課題は、現在の
高齢者が不安にならないようにということと同時に、現在
保険料を払っている現役、なかんずく若い労働者が現在払っていることによって将来の彼らの年金そのものが
保障されるという確信を持てることであります。今、この事態は大変
危機的な状況にある、そのように思います。
第二の
社会保障の柱は言うまでもなく医療でございますが、これにつきましては、年金よりも歴史が古いわけですが、古くは三K赤字というふうに、米、国鉄、健保、三つとも大きな国の赤字であるというふうに指摘されてまいりました。既にそれから三十年もたっているわけですが、この構造は基本的には変わっていない。つまり、医療費が膨脹する、それを
負担が追いかける、また
費用が膨脹する、再び
負担増が追いかける、こういうことを繰り返してきたわけでございまして、こうした悪循環を断ち切ろうということが五年前から国全体で
議論をされてきた。これを総称して医療並びに医療保険
制度の抜本
改革というふうに呼びならわされてきたところだろうというふうに思うわけでございます。
このような抜本
改革が一昨々年の九月、まず
負担を引き上げる、それを追いかけて二〇〇〇年度から、つまり
平成十二年度から抜本
改革を実施する、こういう約束のもとに
負担増がまず行われました。しかし、以後の歩みは御案内のとおりでございます。
現在の抜本
改革の基本的な課題を取り並べることはいたしませんが、一番基本的なことは、我が国の現在までの医療並びに医療保険
制度というのは、医療サービスが全体として供給不足であった。医師の数も足りない、病院その他の医療施設も足りない、いい薬も足りない、そういう
時代にお医者様になるべくいっぱい働いていただく、それから病院などはつくりやすくする、それから当時非常に経営基盤の脆弱だった薬剤メーカーの経営基盤を安定させる、こういった趣旨でつくられてきた
制度だと思いますが、しかし現在では、全体として医療サービスはむしろ供給不足を克服し、あえて言えば供給過剰の
状態に入っております。供給不足の
時代につくられたシステムにはそれなりの
根拠があったと思いますけれども、供給過剰の
時代になって、そのシステムが生き長らえていることによって生じる矛盾というのが現在の抜本
改革を必要としている客観的な条件なのではないだろうかというのが私どもの基本的な考え方でございます。
高齢
社会というふうに言われますが、昔はお年寄りが長生きすることはおめでたいことでございましたし、みんなが祝ったものでございます。しかし、現在は高齢化ということが何かしら暗い、重たいもののように語られ、そしてややもすれば
高齢者によって行われるさまざまな需要というものが
社会的なコストの面だけで意識されている。これはやはり我が国の
社会にとって決して健全なこととは思えません。むしろ、
高齢者の人口に占める割合が高くなれば高くなったにふさわしい活力ある
社会というのはどのようにしたらつくられるのか、このことが非常に大きなテーマだろうと思います。
例えば、病院に入りたくても入れない
時代が終わったわけですが、今はむしろ病院に入っている必要のない、あるいは病院で手当てをすることが必ずしも適当でない人も、不適切な言葉になるかもしれませんが、不必要に入院、病院にいる。俗に言う
社会的入院といったような事態が広く見られるのもまたその
一つだろうと思います。
その中から、それは医療ではなくて
介護という新しい分野でフォローすべきだというところから
介護保険の導入が決まり、そしてこの四月からいよいよ施行されようとしているわけでございますが、その
介護につきましても、従来の発想は、基本的には寝たきり老人をどうやってケアするかということに重点が置かれてまいりました。しかし、実際には寝たきりというよりも寝かされきりといった現象も多く見られるわけで、自分
たちができることをできる範囲でやることが、
高齢者自身にとってもその持てる能力を発揮し人間らしい暮らしになるはずでございます。
その意味では、活力ある高齢
社会というのは、元気な
高齢者だけではなくて元気でない
高齢者にも、人間らしい、そしてその人
たち自身が生活の営みとして活動できるような、その意味では寝たきり対策あるいは寝かせきり対策から自立支援へという
方向で今後の
方向づけをしていかなければならないのではないか、そのように思います。
最後に、いわゆる
福祉と言われる分野についてちょっと言及をさせていただきたいんですが、いわゆる
社会福祉基礎
構造改革ということがテーマになり、今国会にも提出をされる運びと聞いておりますが、非常に大きなのは、いわゆる措置
制度からの脱却というスローガンでございます。しかし、この措置
制度からの脱却という言葉は、ややもすれば単なる市場原理への移動ということにとらえられかねませんし、またそのようにとらえる風潮も決して弱いわけではございません。
私どもは、措置
制度という言葉そのものにあらわれているように、
福祉サービスを受ける
国民というのは全く受け手、受け身の存在であって主体が行政である、こういう
福祉のあり方はやめなければいけないというふうに思います。しかし同時に、それはマーケットメカニズムに任せれば適切な資源配分が行われるということでは必ずしもないのではないか。この二つが機械的に対立している
議論のまま法案は提出されるわけですけれども、むしろ新しい
社会連帯、新しい助け合いの基盤として
社会福祉基礎構造というものの見直しをぜひ進めていく必要があるし、私どももまた、私なりの立場からその努力をしたいというふうに考えております。
以上、今日の
福祉・
社会保障分野が求めている基本的な
方向性について、考えを述べさせていただきました。
さて、具体的に
平成十二年度の
予算でございますが、今年度の
予算編成を拝見するところでは、まず
介護保険の問題につきましては、
予算上の手当ては昨年の補正
予算で基本的なところはカバーをされていると思います。そしてまた、公的年金にかかわる
予算部分も、ないことはありませんが、大変少のうございます。圧倒的な部分は医療
関係で占められているところでございます。
したがいまして、私、以下、
予算の内容につきましては、
議論を医療並びに医療保険の
関係と、それから昨今の新しいテーマでございます児童手当の問題に絞らせていただきたい、そのように思います。
まず、医療・医療保険
関係でございますが、二〇〇〇年度抜本
改革というふうにかつて自社さ連立
内閣が
国民に約束いたしましたプログラムは、既にとんざをしてございました。これがとんざをした結果として医療費の膨張が続いております。私の発言要旨の一枚目の一番下に書いておりますように、この医療費の膨張の中でも、ここにありますものは前年比ないしは前年同期比でございますが、特に
負担増が行われた
平成九年以降現役の方の伸び率は非常に小さくなっておりますが、老人保健の
費用増は、そこにあるように最近では二けたに達しているというのが実情でございます。
こういう中で、先年、健康保険の支払い側の事情を無視したというふうに言わざるを得ないような形で診療報酬の引き上げがなされました。現在の健康保険の実情は、
不況の中で
保険料を払う労働者の数が減っており、そしてまた一人一人が
保険料を払うベースであります賃金は、特に残業手当がカットされたりということを含めて全体としては減少している、人数の面からいっても一人当たりの面からいっても減少している、これが健康保険の収入
状態でございますが、他方で支出は先ほどのように伸びている。こういう中で、医師の診療報酬だけが引き上げられるというのが先年末の
政治決着の内容でございました。
二年前の診療報酬改定のときに
一つの公式がございまして、その公式に当てはめれば、今回の諸事情のもとでは診療報酬の改定はマイナスになるはずでございました。一番新しい物価を概想いたしますと、その場合の改定率はマイナス〇・四%という計算になるはずでございますが、それよりも〇・六ポイント高い〇・二%の引き上げというものが審議会の外の非公式な場でいわゆる
政治決着という形で行われたのは御案内のとおりでございます。実は、この中には薬価
制度の改定で浮いた財源がございますが、これは当然のことながら、全額とは申しませんが、少なくともその一部は被保険者並びに患者に還元されてしかるべきものでございます。しかし、これが全額診療報酬の改定財源に上乗せをされた、その結果の〇・二%でございました。
私どもは、こういった保険
財政のアンバランス、これに対して実際に現在の
政府が出している方針は、どのように見ても患者
負担を引き上げることによって
財政バランスをとり直す、こういう内容だというふうに
理解するほかないというふうに思います。
〔
委員長退席、理事竹山裕君着席〕
例えば、
高齢者の自己
負担を現在の定額から一割定率に切りかえるという
主張がございます。これは抜本
改革の中では当然考慮されなければいけないと思いますが、前提であります
費用抑制なしにただ自己
負担を定率化するというのは、これは単なる
負担増ということになります。
それから、長期にわたって重い病気にかかった人について
費用の上限を定めておりますいわゆる高額療養費
制度でございますが、これについては非常に大きな改定がされました。
一つは、上位所得者ということで、年間収入に引き直すと大体九百万円ぐらいになるかと思いますが、それ以上の人については現在までの六万三千円何がしの
金額を倍額に引き上げる。さらにその上に、これまでは定額上限であったものに一%の定率条項を加える。
これは大変大きな変更でございまして、健康保険というのは特に重い病気にかかったときに
安心して医療を受けられるためにある。そのために月々健康
保険料を私どもは払っているわけですが、実際に一番重症になったときの
負担が倍以上に一挙に引き上げられる。定率がついておりますので、医療費が高額になれば事実上青天井でございます。これはもう全く
制度としては健康保険の持っている意義そのものを変更するようなものではないのかというふうに考えられます。
それからもう
一つ、三番目に
政府が持ち出しているのは、健康保険の料率設定についての上限を見直すということで、これはこれまで一般医療費の
保険料の上に
介護保険料を上乗せして、そしてなおかつ法定上限、
政府管掌健康保険であれば千分の九十一、健康保険組合であれば千分の九十五という上限におさまるということを前提に
制度設計がされてまいりました。しかし、これはおさまらないということになって、急遽
介護保険料は別枠にするということが持ち出されたわけで、これは事実上の
保険料の引き上げということになろうかというふうに思います。
厚生省が発表しております
平成十二年度の医療費の見込みを見ますと、
介護保険も導入されない、
制度もいじらないということでいくと従来ベースでは三十兆円強という内容のものが、今回の
予算案の前提になっておりますものは二十八兆円強ということで、この中には
介護への移行を除き、それから
制度改正を行ったものの増加した分を見込んだものでございますが、実際にはこれよりも五千億円以上低く設定できたはずのもので、これが患者、被保険者の
負担増ということになっているわけでございます。
多少時間をとってしまいまして、私のいただいている時間の限界に参りましたので、残りの分についてはまた御質問をいただいて追加をさせていただきたいと思います。
どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)