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国務大臣(
小渕恵三君) 施政方針演説におきまして、新しい時代を輝けるものにするために、まず創造への挑戦に全力で取り組むことを申し上げたところでございます。
我が国の明るい未来を切り開き、同時に世界に貢献していくためには創造性こそが大きなかぎであり、創造性の高い人材を育成することがこれからの教育の大きな目標でなければならないと考えております。こうした観点から、教育立国を目指し、社会の
あり方まで含めた抜本的な教育
改革を
内閣の最重要課題として取り上げることといたしてまいりたいと考えております。このため、三党派間の合意に相呼応して教育
改革国民会議を設置することといたします。
そもそも教育
改革とは何ぞやという原点に立ち返って、戦後教育について総点検するとともに、現在の教育の問題がなぜ起こっているかにつきましても、例えば、教育という営みにとって大切な視点、基本理念は何か、家族、地域社会、それから先ほど申し上げました個人と公、さらには生涯学習の観点も含め、教育の基本にさかのぼって幅広く
議論をしていただきたいと考えております。
この教育
改革国民会議を発足させるに当たりましては、
議論をぜひ
国民全体の広がりを持ったものとしたいと考えておりまして、教育の
あり方について各界の有識者の方々から
意見を伺うべく、
文部大臣との連名で依頼するとともに、あわせて広く
国民の皆様方からも御
意見をいただくことといたしました。なお、
国民の皆様から既に郵送、ファクス、電子メールを通じて、昨日まで三千三百六通に及ぶ多数の御
意見が寄せられていると聞いております。
現在、ここにおられる中曽根
文部大臣ではございますが、そのお父上であります中曽根
総理が
総理の時代に臨時教育審
議会を開催されまして答申を求めておるわけであります。
中曽根
総理の言をおかりいたしますれば、その意図やよし、ただし、またその結果についていろいろな問題がまだ残されておるということでありまして、今日、中曽根現大臣とともにこの問題に取り組ませていただき、そしてまた、この審
議会というものが、いろいろ立派な方々を
内閣の方で御指名をするということが一般的ではありますけれ
ども、世の中でこの教育問題にうつうつとし、また真剣に考えておられる方が必ずや多くおられると、こう考えまして、まずは
国民の皆様からお話をお聞きして、その上でこの
会議を開催いたしたいというふうに考えております。各界の有識者の御
意見は二月末までにいただくことになっておりますが、その上で教育
改革国民会議を早急に発足させていきたいと考えております。
この教育
改革国民会議での
議論を初め、教育
改革全般をより実りのあるものにするために、直接具申をしていただくために
内閣総理大臣補佐官を置くことといたしまして、
文部大臣の経験もあり、教育
行政の各般に精通しておる町村信孝
衆議院議員を本日付をもって任命いたしたところであります。
私は、教育は国家百年の大計と常々申し上げており、百年の大計をつくるという思いで腰を据えた密度の高い
議論を積み重ねていただきたいと考えておりますが、西暦ではありますが時あたかも二十一世紀を前にしておるわけでありまして、まさに国家百年の計を立てるべく極めて大切な時期ではないかというふうに考えております。
教育というものは、私専門ではありませんけれ
ども、なかなか時間を要するものでありまして、そういう
意味でいろいろな方々がいろいろなことを申されておりますけれ
ども、例えば、子供の教育を本当に生んでいくためには二十年の父母の教育から始めなきゃならぬ、これは有名なナポレオンの言葉だそうでありますけれ
ども、なかなかもって教育には時間のかかることでありますが、いざこれからスタートをさせていかなければならないのではないかというふうに考えております。
なお、時間がかなり過ぎておるかもしれませんが、藩校について
委員がお話しありました。この点につきましては、江戸時代に藩校や寺子屋が果たしてきた教育上の役割は大変大きなものがあったと
議員御
指摘がありまして、同感でございます。
江戸時代の藩校として、例えば、上州というのは私の生まれたところでございますが、造士館、長州での明倫館、薩摩での造士館など二百五十五校が設立され、また寺子屋も各地に普及し、三、四万校が存在していたと言われております。当時の
国民の高い教育水準はこうした教育機関に負うところが大変大きいと思っております。
私は、こうした江戸時代の教育機関の中でも、特に江戸末期の医者である緒方洪庵が大阪で開いた適塾という私塾の教育の精神に深く感銘を受けておるわけでありまして、小学校の教科書にも掲載されておる司馬遼太郎氏の「洪庵のたいまつ」という文章にありますように、適塾では入学試験などはなく、学問を修めることを望む者ならすべて身分の別なく平等に受け入れた。その中には、大村益次郎や福沢諭吉といったその後の
日本の発展において重要な役割を果たした人物がおり、洪庵の教えは塾生
たち一人一人に引き継がれ、弟子
たちのたいまつの火は後にそれぞれの分野で輝いたということであります。
こうした江戸時代の寺子屋、藩校や私塾が果たしてきた教育的役割は大変重要なものでございまして、今、
議員に改めてこのことを御
指摘いただきましたので、その思いを実は新たにいたしておるところであります。
日本が今日あるのは、明治維新あるいは戦後の
努力もさることながら、顧みますれば、その以前からのこうした教育的な底辺といいますか、こういうものがあったことをいま一度思い起こしながら、これからの未来の教育の問題に取り組んでいかなきゃならぬと思っております。
いずれにいたしましても、現在、
新聞を開けば、あるいはテレビを聞けば、大変残念な言葉が表現されるわけであります。いわく、不登校、学級崩壊、校内暴力、学力・体力低下、学童自殺、援助交際、そして校内暴力、非行、いじめ、中退、心神喪失、学力崩壊、教育病理、こうしたことが普通名詞として現在使われておるというふうな状況は、ある
意味で教育が本当に危機的な状況に来っておるんじゃないかというふうな思いがいたしております。
世の中の立派なお考えをお伺いいたしますとともに、
政府としてもこの教育
改革国民会議、これは三党からの御要請ではありますけれ
ども、せっかくの機会ととらえて、
内閣としては全力で
努力をいたしていきたいと思っております。
いろいろと御
意見、御叱正をいただき、そして真に百年の計を立てられることができれば大変もって幸いと考えて
努力を尽くしていきたい、こう思っておる次第でございます。
長くなりましたが、お許しをいただきたいと思います。