○
江田五月君 私
どもの努力に御理解を賜りまして、大変ありがとうございます。
戦後、新しい
憲法ができまして、今お述べになりました二十四条の二項、「
個人の尊厳と両性の本質的平等」ということが書いてあります。これに基づいてさまざまな
法改正が行われるわけですが、特に
民法に第一条ノ二というのを加えまして、「本法ハ
個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等トヲ旨トシテ之ヲ解釈スヘシ」と。これは解釈の指針ですが、それだけでなくて、この規定に基づいて、特に
民法の親族、相続のところが大幅に変えられたという経過がございます。
現在の
民法の規定、これは
憲法の二十四条と、それに基づいて
変更を加えられました
民法でございますから、
憲法に抵触をしているということではないであろうと思われます。
しかし、
憲法の条項も、もうこれは合憲か違憲か、どちらかに決まってしまうというものでなくて、
時代とともにいろいろ法付加されていく、さらに前へ進んでいく、そういうことがいっぱいございます。私
ども、今回の
民法改正は、
憲法と、そして
民法一条ノ二に言うような「
個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等」、これをさらに進めるものとして、ある
意味で
憲法にも根拠を持つ、そういう
改正だと思っています。
個人の尊厳、両性の本質的平等とは何であるかと。例えば
個人の尊厳は、十三条の方に「
個人として尊重される。」と。尊重と尊厳がどう違うかなどという
議論はなかなかややこしくて、私もそこまで論を展開する能力を持っておりませんが、おおむね同じような
意味だと教科書にも書いてありますし、
個人として尊厳があるのか、
人間として尊厳があるのかなどという
議論に入らずに、おおむね同じだと理解をしております。
両性の本質的平等は、これは今度は
憲法十四条の方にございまして、「すべて国民は、法の下に平等であつて、」という、法のもとの平等とこれもまあ同義であろうと。
本質的というのは何であるのかというのを
憲法の本をいろいろめくってみたんですが、どうもその辺はさらりと書いてあって、実質的平等と形式的平等とか、機会の平等と結果の平等とか、そういういろんな
説明はございますが、本質的とそうでなければ外形的というか、本質的とそうでなければ瑣末的というか、そういうことで本質的ということを書いているわけではなくて、むしろ英語でエッセンシャルという言葉もありますが、重要な、もともとの、本来のという、平等というのは一番大事なことですよという、そういう
意味であろうと思っております。
先日、参議院の
憲法調査会に参考人としておいでいただいたベアテ・シロタ・ゴードンさんのGHQ草案を起草するときの活躍を聞いておりましたが、
日本国
憲法と以前の神の国思想の大
日本帝国
憲法の一番大きな違いがこの二十四条というところにあるんであろうと
思います。
これは、
憲法の教科書だと、生理的条件の違いがあるから女子と男子と違った取り扱いは当然だというようなことも書いてあって、合理的な差別とか区別とか、いろんな
議論ございますが、
先ほど申しましたとおり、
社会がダイナミックに変化しておりまして、従来合理的区別とされてきたものも差別だとして是正されたと。これも数多くあります。
女子差別撤廃条約を批准するに当たって、国籍法の
改正とか均等法とか
家庭科の共修とか、こういうことも行われました。均等法はさらに
改正もされました。また昨年、
男女共同参画
社会基本法も制定されまして、
男女共同参画
社会の
実現は二十一
世紀の
我が国社会を決定する最重要課題だと、こういうことも前文に入っております。
こういうダイナミックに進展していく民主主義、その中で
個人の尊厳、両性の本質的平等もさらにもっと前へ進めていく、その一歩として今回の
法案を出しておる、こう理解をしております。