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2000-03-23 第147回国会 参議院 文教・科学委員会 第8号
公式Web版
会議録情報
0
平成
十二年三月二十三日(木曜日) 午後一時開会 ─────────────
委員
の
異動
三月二十一日
辞任
補欠選任
仲道
俊哉
君
青木
幹雄
君 三月二十二日
辞任
補欠選任
青木
幹雄
君
仲道
俊哉
君
江本
孟紀
君
佐藤
泰介
君 ─────────────
出席者
は左のとおり。
委員長
佐藤
泰三
君 理 事 岩瀬 良三君 橋本 聖子君 石田 美栄君 松 あきら君
日下部禧代子
君 委 員 阿南 一成君 有馬 朗人君 井上 裕君 亀井 郁夫君
仲道
俊哉
君
長谷川道郎
君
小宮山洋子
君
佐藤
泰介
君 本岡 昭次君 福本 潤一君 畑野 君枝君 林 紀子君 扇 千景君
田名部匡省
君 国務大臣
文部大臣
中曽根弘文
君
政務次官
文部政務次官
河村 建夫君
事務局側
常任委員会専門
員
巻端
俊兒君
政府参考人
文部省高等教育
局長
佐々木正峰
君
参考人
九州大学大学院
法学研究科教授
内田
博文
君
千葉大学教育学
部教授
三輪
定宣
君 ───────────── 本日の
会議
に付した案件 ○
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
(
内閣
提出、
衆議院送付
) ○
政府参考人
の
出席要求
に関する件 ○
教育職員免許法等
の一部を改正する
法律案
(内 閣提出、
衆議院送付
) ─────────────
佐藤泰三
1
○
委員長
(
佐藤泰三
君) ただいまから
文教
・
科学委員会
を開会いたします。
委員
の
異動
について御
報告
いたします。 昨日、
江本孟紀
君が
委員
を
辞任
され、その
補欠
として
佐藤泰介
君が選任されました。 ─────────────
佐藤泰三
2
○
委員長
(
佐藤泰三
君)
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
を
議題
といたします。 本日は、まず、
参考人
として御
出席
いただいております
九州大学大学院法学研究科教授内田博文
君及び
千葉大学教育学部教授
三輪定宣
君から御
意見
を承った後、
質疑
を行います。 この際、
参考人
の
方々
に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙のところ本
委員会
に御
出席
をいただきまして、まことにありがとうございます。
皆様方
には、ただいま
議題
となっております
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
につきまして忌憚のない御
意見
をお述べいただき、今後の審査の
参考
にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。 議事の進め方でございますが、まず、
内田参考人
、
三輪参考人
の順序でそれぞれ十五分程度で御
意見
をお述べいただいた後、各
委員
の
質疑
にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は、
意見
、
質疑
及び答弁とも着席のままで結構でございます。 それでは、まず
内田参考人
から御
意見
をお述べいただきたいと存じます。
内田参考人
。
内田博文
3
○
参考人
(
内田博文
君)
九州大学
の
内田
でございます。
参議院文教
・
科学委員会
におきまして
参考人
として発言する機会を与えられましたことを光栄に存じている次第でございます。 改めて申し上げるまでもなく、現在、
我が国
は大きな変革期にございます。その中で、
大学
もより大きな脱皮が求められております。二十
世紀
に
大学
が果たしてきた
役割
を、質、量の
両面
ではるかに超える
役割
を果たすことを二十一
世紀
の
大学
は求められております。 このような
観点
から見ました場合、いわゆる
大学
の
自治
につきましても
見直し
が必要ではないかと存じます。これまで説かれていた
大学
の
自治
、特に
国立大学
における
大学
の
自治
は、どちらかといえば防御的で、ややもすれば
社会
に対して閉ざされた
自治
という
傾向
が強かったように見受けられるからでございます。そして、このような閉鎖的な
自治
のもと、
大学
は、時として
独善
に陥ったり、
社会
の
進歩
に即応できない非効率的な
運営
に陥ったりしたこともあったのではないかと存じます。 しかし、
大学
の
自治
は決して特権ではございません。二十一
世紀
の
大学
の
自治
は、
社会
に開かれた、
社会
の
進歩
に即応する積極的な
自治
でなければならないと考えられます。
国際社会
や
地域社会
とも双方向で
交流
、
連携
し、
社会
の
支持
、
理解
を積極的に得ていく
自治
でなければならないと思われます。
大学
のみが
知的資源
を独占する
時代
は今やなくなったのではないかと存じます。それは、
教育
、
研究
の
両面
で申し上げられます。現在の
教育政策
におきましては、生涯
学習体系
の中に
高等教育機関
をいかに組み込むかが焦眉の
課題
となっております。
社会資源
の活用ということも
大学教育
の大きな
課題
でございます。
研究
の面でも同様なことが言えます。
大学
以外の
研究機関
、
団体
もすぐれた
研究業績
を上げておられるからでございます。これからは、これらの
研究機関
、
団体
との協力、
共同
なしには
大学
の
発展
は期待できません。絶えず
社会
から学ぶ、
社会人
から学ぶということを通して、初めて
大学
はその
教育研究活動
を活性化し、高度化していくことができるのではないかと存じます。 他方、これからの
大学
の
自治
の
理解
におきましては、
社会貢献
や
説明責任
のより一層の履行というファクターも重要でございます。 ところで、このような開かれた
大学
の
自治
への
転換
は、さまざまな
改革
を
大学
に迫ることになろうかと存じます。 その中でもとりわけ重要だと思われますのは、
大学
の
管理運営
の面における
改革
でございます。と申しますのも、これまでの
国立大学
におきましては、
大学総体
という形式はございましても、その
実質
は
個別学部
、
研究科
の
集合体
でございました。したがいまして、
大学
の
自治
も、その
実質
は
学部
、
研究科
の
自治
でございました。また、この
学部
、
研究科
の
自治
も、多くの場合、
講座
の
自治
、
教官個人
の
自治
に還元されることが少なくございませんでした。そして、このような
講座
、
教官個人
の
自治
は、
大学
を
外部
の関与から守るための
仕組み
として
機能
してまいりましたけれども、現在では
大学
を内にこもらせる方向に作用し、時には
社会
に閉ざされた
独善
的な
運営
や、
社会
の
発展
についていけない非効率的で保守的な
運営
などの
温床
ともなっております。 しかし、
大学
がこれまでの
役割
を質、量の
両面
ではるかに超えた
役割
を果たしていくためには、
学部
、
研究科
を超えた
大学
全体としてのまとまりや計画、執行が喫緊の
課題
となっております。
大学
が
全学
的な見地から取り組み、一個の
組織体
として迅速に
意思決定
を行うことが求められております。そのために、
学内
の
機能分担
の一層の
明確化
が図られなければなりません。また、その
意思決定
に際して、
社会
の
意見
を聴取することも極めて重要なことでございます。そのための
システム
が
整備充実
されなければなりません。
大学
が、内外に対してその
説明責任
をより果たしていくことの
意義
も大きなものがございます。
説明責任
を十分に果たしてこなかったために、不信や誤解を招いているという側面もあるからでございます。 以上のことは、
教官個人
と
学部
、
研究科
との
関係
においても言えることではないかと存じます。
九州大学
におきましても、このような
観点
から
大学
の
管理運営
などの面の
改善
に努めてまいりました。例えば、
学長
の
補佐体制
の
整備
、
教官
の
教育研究活動
の
データベース化
と
公開
、
学外者
との
懇話会
の
設置
、
全学情報化推進体制
の
整備
、
学部
などの枠を超えた
全学
的な
教育研究プログラム
の
推進
、
学内
諸
委員会
の
見直し
と整理、
産学連携推進機構
の
設置
、これらがそれでございます。しかし、残された
課題
も少なくございません。今後は、これらの
課題
を含め、さらなる
改善
を図っていきたいと存じております。とりわけ、
学長
の
リーダーシップシステム
につきましては、
高等教育研究機関
という
大学
の特性にかんがみ、ボトムアップとの組み合わせ、バランスに留意しつつ、その
整備
に努めてまいりたいと考えております。 以上の
大学
の
管理運営
と並んで重要だと思われますのは、
評価
ということでございます。
大学審議会
の
答申
においても指摘されておりますように、
我が国
の
大学
が今後とも
教育研究
の
水準向上
を進め、
世界
の
トップレベル
の
大学
と伍して
発展
していくためには、
教育研究活動
の
水準向上
の目標を定め、その
達成状況
を
評価
し、
評価
結果に基づく
改善
を進めていくことが求められているからでございます。 もとより、
大学評価
の取り組みの
基本
は、各
大学
がみずからの
教育研究水準
の一層の
向上
を図り、
説明責任
を果たすために、みずからの
教育研究活動
の
点検
・
評価
を行ういわゆる
自己点検
・
評価
にございます。
九州大学
におきましても、不十分ながらも
自己点検
・
評価制度
の
整備充実
に努めてまいりました。
教育面
に関する
点検
・
評価報告書
を
平成
五年三月に、また
研究面
に関する
点検
・
評価報告書
を
平成
八年三月に各まとめ、
公表
いたしました。しかし、これには反省すべき点もあったということから、
平成
九年七月に
自己点検
・
評価体制
を再編
強化
し、新たな
体制
のもとで
自己点検
・
評価
を行うことといたしました。
改革
につなげる
自己点検
・
評価
や
外部
に開かれた
自己点検
・
評価
を初め七つの
原則
を定めるとともに、
大学
の
管理運営
、
社会
との
連携
、
国際交流
を初め、
九州大学
のあらゆる
活動
を
点検
・
評価
の対象とすることといたしました。これに基づきまして、
平成
十年度及び
平成
十一年度と、
全学
、各部局とも
自己点検
・
評価
を
外部評価
を含めて行い、現在、
公表
に向けて
報告書
を取りまとめ中でございます。 この
点検
・
評価
により、いろいろな
問題点
や
課題
、例えば、
適任者
を確保するための
学長選考方法
の
見直し
や
苦情処理システム
の
整備
、
大学
における
情報公開
、
情報伝達
の
あり方
、
教育評価
の
あり方
なども明らかとなってまいりました。この結果を
改善
、
改革
に生かすとともに、
学校教育法等
の
法令改正
を踏まえ、
自己点検
・
評価体制
のさらなる
整備強化
を図っていきたいと存じております。 しかし、幾ら充実したといたしましても、
自己点検
・
評価
には限界もございます。
社会
の期待にこたえ、
評価
をより
実効性
の高いものとしていくためには、客観的な
立場
、より広い視野からの専門的な判断を基礎とした
信頼性
の高い他
機関
との比較も含めた
評価
が必要となるからでございます。
大学評価機関創設準備委員会
の
最終報告
にもございますように、
評価
結果を各
大学等
にフィードバックすることにより、各
大学等
の
教育研究活動
の
改善
に役立てていく。また、
大学
などの諸
活動
の
状況
や
成果
を多面的に明らかにし、それを
社会
にわかりやすく示すことにより、公共的な
機関
として
設置
、
運営
されている
大学
に対する
国民
の
理解
と
支持
が得られるよう支援、促進していく。
信頼性
の高い客観的な
第三者評価
の導入を通じまして、これらのことが実現されますことは極めて
意義
深いことだと考えられます。今回の
法令改正
、
大学評価
・
学位授与機構
の
創設
に賛同する理由でございます。 もっとも、
研究
の
評価
につきまして、改めて
第三者
による
評価
を
制度
化することに懸念や難色を示す
教員
がいることも事実でございます。
教育
の
評価
につきましても、
教育
の
画一化
につながらないのかという
危惧
の声が一部にはございます。確かに、
第三者評価制度
といいますのは、これからの
国立大学
を左右するような大きな
制度
、
システム
だと思われます。 しかし、だからといってこれを回避すべきかと申しますと、決してそうではございません。
第三者
の
評価
を受けるということは、開かれた
大学
の
自治
という
観点
から見まして、むしろ肯定的に受けとめるべき事柄だと存じます。
大学評価
・
学位授与機構
の
創設
は、
国立大学
が積極的に未来を切り開き、
社会
の
支持
を得る上で極めて重要な
意味
を有するものだと考えられます。 ただし、
第三者評価
を適切に実施していくためには、
客観性
、
透明性
の確保を初めとしてさまざまな
工夫
、
配慮
が必要だということはそのとおりだと存じます。
大学評価
・
学位授与機構
の今後の
大学評価事業
などにおきまして、このような
配慮
、
工夫
が行われ、
大学
がこれからやろうとしている
改革
をエンカレッジする、あるいはサポートするように
機能
するためのさまざまな
配慮
、
工夫
がなされますことを切望したいと存じます。
大学
の側も、あるべき
第三者評価
の実現のために微力を尽くす所存でございます。これらの
努力
を通じまして、
我が国
が進化する、そして
世界
的に見ましてもすぐれた
第三者評価制度
を持つことができますことを最後に希望いたしまして、私の話を終わらせていただきたいと存じます。 御清聴どうもありがとうございました。
佐藤泰三
4
○
委員長
(
佐藤泰三
君) ありがとうございました。 次に、
三輪参考人
にお願いいたします。
三輪参考人
。
三輪定宣
5
○
参考人
(
三輪定宣
君) 皆様の
教育
、科
学問
題についての日ごろの御尽力につきまして深く敬意を表しております。 御紹介いただきました
千葉大学教育学部
の
三輪定宣
と申します。 専攻は
教育行政学
でございます。また、
学会
の
活動
では、
日本教師教育学会
という
教員養成
の
学会
の会長、また
日本教育政策学会
、
教育法学会
、
教育学会等
の理事を務めております。なお、
学会
ではございませんが、
日本科学者会議
という三十五年の歴史のございます約一万人ほどの
国立大学
の
教員等
を中心に組織された会がございますが、その
大学問題委員会
の
責任者
でございます。 さて、
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
でございますが、特に
大学評価
・
学位授与機構
の
創設
に関して
意見
を述べさせていただきます。論点は多岐にわたりますが、当面、以下の諸点を問題にしたいと存じます。 まず第一は、国の
機関
として
大学評価機関
を
設置
することの問題でございます。 そもそも
大学
の
教育研究活動
を
評価
するということは大変慎重を要することでございまして、真理を探究するという
研究
の本質、あるいは人格の完成を目指す
教育
の本質に照らして当然でございます。また、
大学評価
は本来、
大学
あるいは
教員
が自主的、自発的あるいは自覚的に行うべきものでありますが、このような法的
義務
づけになりますと、むしろ
大学
の
改革
や活力を損ねて将来の
教育研究
の
発展
の足かせになるのではないかと憂慮するわけでございます。 例えば、戦後初期の
大学基準協会
による
大学間相互
の
自主的基準づくり
、
評価
に対する国の
基準法制
の
強化
、あるいは
大学設置基準
による
自己点検
・
評価
の
努力義務
、一九九一年。また、昨年の
大学
の
自己点検
・
評価
の
実施義務
や
公表義務
や、あるいは
学外者
による検証の
努力義務
等々の
義務
の連続の中で、今回この
機構
の
創設
に至っているわけでございます。 九一年の
大学審議会答申
では、
大学基準協会
が積極的な
役割
を果たすことが期待されると述べておられましたし、また九七年の
答申
でも
第三者評価
が
検討課題
にとどまっておりました。その
意味
では、
大学評価政策
の大転換が最近起こったのではないかと思っておるわけであります。
国立学校設置法
の一条によりますと、この
機構
は
文部大臣
の所管でございまして、
人事
、
予算
、事務などの
独立性
が弱くて、
第三者機関
というより、
実質
は
国立大学
を
管理
する
文部科学省
の
附属機関
の性格が強いと思います。
評議員
や
運営委員会
あるいは
評価委員会
の
委員
の選出につきましても、
学会
や
大学等
の
推薦制
ということは
報告書
にございません。恐らく、現場では
大学評価
の外からの圧力と受けとめるのではないでしょうか。
国立大学
は、
日本
の
教育研究
の基盤として重要な
役割
を果たしてまいりましたが、現に
文部省
の
許認可権
、
財政権
、
人事権
などによって大幅に
自主性
が損なわれていると
大学側
では受けとめております。また、
国家
的あるいは行政
管理
的な
大学評価体制
がその上に築かれるならば、この
傾向
が一層助長されるのではないかと憂慮されているわけでございます。 特に、大
競争時代
を背景に、今
中央省庁
の再編が進んでいるわけでございますが、
文部省
と科学技術庁の統合による
文部科学省
の
設置
、あるいは
政策評価
の
強化
、
人事
の
能力主義
の徹底、
独立行政法人化
、
内閣機能
の
強化
、そして
内閣直属
の
経済財政諮問会議
や
総合科学技術会議等
の
体制
によって、国策としての
大学
・
学術
・
科学技術政策
が
大学
に集中するならば、
大学
はその
下請機関
となって、
教育研究
の自由な
発展
が阻害されることが憂慮されます。 この
大学評価機構
についての
国民的コンセンサス
あるいは議論がまだ不十分であると思います。例えば、先ほど紹介しました私どもの
日本科学者会議
を初め、
全国大学高専教職員組合
、
大学基準協会
、
日本私立大学団体連合会
、
日本私立大学教職員組合連合
、その他の
団体
やその
関係
の支部の
方々
も、反対や危惧の念を表明しておられますし、また、
国立大学協会
の要望、これは昨年六月のものですが、閉鎖的な権威を警戒して
大学基準協会
との
関係
に留意することを促しております。 また、いただいた資料も拝見しますと、
政府
の
機関
でも、
学術審議会
の
答申
は、
大学評価機構
には言及しないで、「本
審議会
」、これは
学術審議会
ですが、「本
審議会
は、これまで
実質
的に行ってきた
第三者
的な
立場
からの
機関
評価
的な
機能
を含め、これまでの
役割
を引き続き担っていくことが必要である。」と述べております。 また、
学術会議
のことし一月の
報告
も、
第三者
による
評価
としては、
大学相互
間の
評価
、
専門家集団
、
学会
などによる
評価
、あるいは学生による
評価
やマスメディアによる
評価
、複数の
評価主体
と
評価基準
に基づく実践が求められるべきであろうと述べておりますが、国の
機関
による
評価
はそこに含めておりませんし、また、本
機構
については、権力的な、または硬直的、形骸化した
評価機関
とならないよう警告しております。
大学審議会答申
でございますが、
大学評価
を根拠づける
大学現場
の意向として、
広島大学大学教育研究センター
への
文部省
の
委託調査
の結果を紹介しています。確かに、
大学評価
の今後の
あり方
に関する設問では、
改革
に結びつける
政策的仕組み
を「そう思う」とする者は
トップ
ですが、それは十の
選択肢
の一つであって、ほかの
選択肢
の「そう思う」全体にすれば約二割。そのうち、
政府
による直接的な
外部評価
に対し「そう思う」と賛成する者は〇%でございます。
大学現場
では国の
機関
の
評価
にはかなり根深い
抵抗感
があるということは、この
回答状況
やアンケートにもあらわれているかと思います。
主要国
でも、
大学評価
の
政府
からの
独立性
というものがむしろ基調であると思われます。 例えば、
アメリカ
では一部の州、
自治
体や
大学連合組織
による
基準認定
、いわゆるアクレディテーションですが、国、連邦の
機関
ではございません。そのエネルギーは
ボランティアリズム
でありまして、それが
アメリカ
の
大学
の強さであると指摘する人がいます。ドイツも州の
機関
です。フランスでは、
教育基本法
に
大学評価
の
政府
からの
独立性
が明記をされておりますし、逆に
政府
の
大学政策
全体に対する
評価
も行われます。 また、
大学政策
の
グローバルスタンダード
とも言うべき
ユネスコ
の
高等教育世界宣言
、九八年に出たものですが、これも
外部評価
の
独立性
を
専門家
あるいは
団体
の
両面
で強調しております。 ただ、
イギリス
の場合は、
補助金配分
を任務とする
高等教育財政カウンシル
の
機能
で
補助金
と
評価
の結合が行われて、この弊害が指摘されているわけでございます。 このような
政府
の
機関
が
大学
を
評価
する、それを通して産業・
経済政策
に
大学政策
が従属を余儀なくされるということは、憲法二十三条の
学問
の自由や、あるいは
教育基本法
十条の不当な
支配
の禁止などの原則に違反するおそれがあるかと思います。 十二
世紀ヨーロッパ
に
大学
が誕生しまして、そして
大学
が教権、
帝王権
と並ぶ中世三大勢力と認められて以来、
大学
の
自治
、
学問
の自由は
世界史
の中で人類普遍的な価値として
発展
してまいりました。
日本
では、戦前、
大学
が
国家
の須要に応ずるとの規定、これは
帝国大学令
の規定ですが、のもとに
国家
に統制されて、ひいては
国民
の精神の自由が奪われ、
国家
の破滅に至りました。憲法や
教育基本法
はその反省の上に、また
滝川事件
など、
大学自治確立
の伝統を受け継いで、
学問
の自由、不当な
支配
の禁止の
原理
を規定し、それが戦後の
学術
の
発展
の源泉となってきたかと思います。 その
意味
で、二十一
世紀
の
大学像
と銘打った百四十ページ、十五万字に上る膨大な
大学審議会答申
に、
学問
の自由、
大学
の
自治
の言葉が全くない、そしてむしろ、
大学
の
閉鎖性
、
独善性
、
後進性
のごとくに批判する
内容
になっておりますのは、これは
ユネスコ
の宣言や勧告に照らしても私は異常だと考えております。
大学評価
をめぐりましては、しばしば
大学
の
責任
が強調されておりますけれども、
国民
的というより
人類的価値
とも言うべき
学問
の自由や
大学
の
自治
を最大限尊重し、確立するということが
政府
と
大学
の
社会的責任
であって、それが
大学固有
の
責任
を果たす
基本条件
であって、また、短期的にも長期的にもそれをしっかり守ることが
教育研究
の
発展
の基盤ではないかと思うわけであります。
大学
の
自治
というのは、
大学構成員
の共同や連帯、そして
成果
の蓄積を促す、そういう
教育研究
の温床でございます。また、個々の
大学
や
教職員
も国の
機関
の
管理
やあるいは
評価
にこたえる
間接的責任
ではなくて、日常の
教育研究活動
を通じて直接に
国民
に
責任
を負い、奉仕すべき
立場
にあると思われます。この点は、
教育基本法
十条が、
教育
は、不当な
支配
に服することなく
国民
全体に直接に
責任
を負って行われるべきものと明記しているとおりでございます。 これに関連いたしまして、
大学評価
の
内容
の問題がございます。 こういった
機構
のもとで、
大学評価
の
内容
が、さまざまな
政府
の諸
答申
に盛られたような国の
大学
・
学術
・
科学技術政策
に沿うことを余儀なくされ、そのことによって
学問
の自由が統制されたり国策に誘導、規制されるおそれがないかどうか、この点は
準備委員会
の
報告
の中でも気になるところが幾つかございます。 またもう一点は、
大学評価機構
の
評価
が
資源配分
、
予算
とリンクする場合の問題でございます。 現在でも
大学
の格差が非常に大きい
状況
の中で、さらにその中で有利な
成果
に対して
予算
をプラスしていくということになりますと、ますます
大学格差
を拡大再生産する。むしろ私は、
成果
が上がらない、条件が非常に悪いところに資金を重点的に配分して支援するという視点が今必要ではないかというように思っております。
大学評価
と
予算
をリンクさせた先例は
イギリス
でございますが、これについていろんな方が調べて問題を提起しておられます。 例えば、
森嶋通夫先生
、
ロンドン大学経済学部教授
が
岩波新書
で「
サッチャー時代
の
イギリス
」という本を書かれて、そこで
イギリス
の
大学現場
から
報告
していらっしゃいます。そこでは、そのような
仕組み
の結果として、
エレクトロニクス学科等
が栄えながら、一方では
古文書学
がほとんど絶滅の危機に瀕したとかいう例を挙げられて、全体として
大学政策
が壊滅的な打撃を
イギリス
の
学問
や
教育
に与え、
大学教師
は易しい問題を数多く手がけ、
業績
の量は増加するが質は低下し、より安定した席を求めて容易に海外に頭脳流出する。
学問
の
世界
に必要なことは利潤の
原理
ではなく、
学問的良心
の
原理
であるというように述べております。 今、
日本
の
大学
の
業績
が問われていますけれども、
アメリカ
の
カーネギー教育振興財団
の国際比較調査、これは十四カ国、一九九二年に行われたものですが、
日本
の
大学
教員
の
研究業績
、これは総合で一位でございますし、自然科学、工学、保健医療の分野でも一位であります。ただし、
研究
用の設備器具、図書館の蔵書などの施設設備の
評価
は最低でございました。この点は、かねて指摘されております高等
教育
関係
予算
の対GNP比が
日本
では、こちらの資料にもございますように、〇・七に対してドイツが一・五%、
イギリス
一・三、
アメリカ
一・一、フランス一・〇というように大幅に立ちおくれていることとも
関係
しているかと思います。
日本
の
学術
研究
水準のさらなる
改善
に何が必要か、こういうところにもあらわれているかと思います。 以上でございます。
佐藤泰三
6
○
委員長
(
佐藤泰三
君) ありがとうございました。 以上で
参考人
からの
意見
聴取は終わりました。 これより
参考人
に対する
質疑
に入ります。 なお、両
参考人
にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。 それでは、
質疑
のある方は順次御発言願います。
仲道俊哉
7
○
仲道
俊哉
君 自由民主党の
仲道
でございます。 きょうは、両
参考人
の先生方には、貴重な時間を割いていただきまして御
意見
を述べていただきましたことに、まず感謝申し上げたいというふうに思います。 時間がございませんので早速質問に入らせていただきたいと思います。 まず
内田参考人
に。先生のおっしゃいました
大学
の
自治
で、これまでの
大学
の
自治
というのを反省した上で、開かれた
大学
の
自治
というのはどうあるべきかという貴重な御
意見
をお聞きいたしたんですが、その中で、
改革
するためには
管理運営
と
大学
の
評価
という柱を立てられてお話しいただきました。そこで、
大学
の
評価
という件でちょっとお聞きをいたしたいんですが、その
評価
の構成員、すなわち
評価
者は広く産業界やマスコミ等の有識者を含めた、またそれに
大学
教授等も含めたそういう広い視野の人を選ぶべきか、または、つい先日、自民党の政調会で
大学
の
学長
からちょっとヒアリングをしたことがあるんですが、その
学長
は、これはあくまでも専門である
大学
関係
者に限るべきであるというような
意見
も述べられたわけですが、こういう
評価
者に対しての
参考人
の御
意見
はいかがでございましょうか。
内田博文
8
○
参考人
(
内田博文
君) 御質問、ありがとうございます。 私といたしましては、
大学
改革
に資する、
大学
の
教育研究
の
改善
に資するという
観点
、それから
大学
のやっておりますさまざまな
活動
について
説明責任
を果たさせていただき
国民
の御
理解
を得させていただきたい、こういう
観点
から見ましたときには、
大学
関係
者だけではなくて、広く各界から
評価
者としてすぐれた
方々
にお入りいただきまして、
自己点検
・
評価
ではできないような
第三者評価
をしていただく、そしてそういうことを通してより一層
大学
の
改革
に資したいというふうに考えている次第でございます。
仲道俊哉
9
○
仲道
俊哉
君 その場合、
大学
の
教育研究活動
の
評価
というのは口ほどまた単純ではないし、客観的な
評価
となるにはなかなか難しいと思うわけです。 そうした場合に、今回の改正によって、特に
外部
に
公表
されるということになりますと、その
公表
された結果が
大学
自体の
評価
や人気にまで連動してまいりますし、万人が納得できる合理性を持った
評価基準
の制定であるとか、また学閥にとらわれない公正な人選、そういう
評価
活動
により厳格な
客観性
が求められると思いますが、今、
三輪参考人
の方からもこの点については多少疑義を持たれた
意見
が出されたわけですが、
内田参考人
としては、そういう
意味
で
客観性
を担保する方法としてどのようなスキームが考えられましょうか。その点について御
意見
をお聞きいたしたいというふうに思います。
内田博文
10
○
参考人
(
内田博文
君)
客観性
を担保いたすときには、幾つかの要素といいますかファクターが重要ではないかというように思います。 一つは、
自己点検
・
評価
という形で、私どもを含めまして
大学
でさせていただいておりますけれども、
自己点検
・
評価
におきましては、その
評価
者は
大学
人であるかもしくは
大学
が選任した
方々
ということになりますので、
客観性
という
意味
では若干限界はございますが、
第三者評価
の場合には、
大学
と離れた
方々
が独立して選任されるという
意味
では、
自己点検
・
評価
よりはむしろ
第三者評価
の方がより
客観性
が担保される可能性が高いのではないかという気がいたします。 それからもう一つ重要な点は、やはり
評価
というのは先生御指摘のように非常に多元的でございますし、いろんな角度からの
評価
が成り立つと思いますけれども、そういったさまざまな角度からの、さまざまな
観点
からの
評価
ということを組み合わせることによって、より
客観性
が高いものができるのではないかという気がいたします。そういう
意味
では、幅広い人材に御参加いただくということが重要で、学外の
方々
もお入りいただくということは重要ではないかと。 さらに、昨今の
研究
などを見ますと、
大学
以外の
研究
所とか民間の
研究
所等におきましても非常にすぐれた
研究
をしておられる、そういう
専門家
がたくさんいらっしゃいますので、そういう
方々
もお入りいただくというようなことを考えていただいてはどうかというふうに思っております。
仲道俊哉
11
○
仲道
俊哉
君 今の問題と関連して
三輪参考人
に。国の
機関
でのそういう法的な足かせ等、
大学評価
についてはかなり疑義を持っておられるようでございますけれども、戦後五十五年たちまして、
大学
について、
大学
の
自治
から考えまして、
三輪参考人
は今どのような
評価
をなされておるか、その点についてお伺いをいたしたいと思います。
三輪定宣
12
○
参考人
(
三輪定宣
君)
大学
の
教育研究活動
の
成果
につきましては、それをどのように客観的に
評価
するかということが
課題
かと思います。その一例として、先ほど
カーネギー教育振興財団
の十四カ国の比較
研究
を紹介したわけでございますが、
大学
財政は行政
改革
によってかなり切り詰められてまいりましたけれども、その中でよく頑張っている、実績を上げてきた、そのような
評価
が
基本
的に
研究
の面では総合的にできるのではないかというように思っております。 ただ、そこにもございましたように、施設設備の面等では相当な老朽化や劣悪化が進んでおりますので、それらについての一層の御援助がいただけるならば、さらに
日本
の
大学
は大きな
成果
を未来に向けて発揮し、
発展
をするのではないかというふうに思っております。
仲道俊哉
13
○
仲道
俊哉
君 これまで
大学
自体で
自己点検
、自己
評価
または相互
評価
、こういう
評価
システム
がなされているわけでございますけれども、実際に
三輪参考人
の
評価
として、これまでのそれぞれの
日本
におけるところの
大学
の
自己点検
、自己
評価
または相互
評価
というものが堅実に実行され、それが
大学
の
運営
等に影響し、また
評価
をされたものがどう生かされておるかという点についての御自身のお考えはいかがでございましょうか。
三輪定宣
14
○
参考人
(
三輪定宣
君)
大学評価
の中心は、何といいましても
研究
評価
でございましょうし、それは、ある
意味
では個々の
教員
の
研究業績
評価
というあたりが恐らく核心になってくるかと思います。 この点で申しますと、国
会議
員の先生方にはなかなか知りにくい
世界
かと存じますが、いろんなところで
評価
を厳しく受けているというのが実態かと思います。例えば、
大学
院を卒業して修士課程に進みますと修士論文を作成しなくてはなりませんし、また三、四年すれば博士課程で博士論文の審査が行われる。それから数年の間は十カ所なり二十カ所の
大学
の
教員
採用の応募をするわけですが、そこまでにさまざまな
業績
を上げていかなくてはならない。 また、一度就職いたしましても講師、講師から助教授、それから教授という段階では非常に厳しい審査がございますし、また他の
大学
に転任する場合にもそれぞれ
業績
審査がある。 さらには
学会
等の
活動
でも、審査といいましょうか、さまざまな役職の選挙なども、ある種のその人の能力査定になるかと思います。 そういうことでいいますと、日常の生活の中では、いわばそうした
評価
の
仕組み
の中で
活動
をしているという部分、隠然たるそうした
評価
の
世界
の中で生活しているという点はぜひ御
理解
をいただきたいというふうに思います。
仲道俊哉
15
○
仲道
俊哉
君 今、先生のおっしゃったことは
研究
評価
ですね。
研究
をするということに対して、それなりに自分自身で
研究
しながら
評価
を受けて、助教授から教授ということで
評価
を受けておると、自分自身が実際にそういうことでかなりの
評価
を受けておるというお話ですが、いや
教育評価
です。特に先生の場合には
教員養成
大学
の
立場
でございますので、そういう
教育
に対しての
評価
というものについてはどのようにお考えでございましょうか。
三輪定宣
16
○
参考人
(
三輪定宣
君) これは先ほど申しましたように、
教育
の目的というのは人格の完成という大変漠然としたことでございますし、実際に二十歳ぐらいまでの青年については、人間
教育
といいましょうか、
教育
を通して人間は発達していくわけでございます。 ですから、そういう領域といいましょうか、
世界
を
評価
するということは、期限を区切ってある時期に
成果
が出るというものではない部分が
基本
的にございますね。非常に長いスパンというか、あるいは見通しの中で
教育
活動
が行われますので、したがいまして、ある種の短期的なあるいは期限を区切るということが条理上非常に困難であるということ、また
教育
というのが、生涯の発達の中で以前のものが
成果
としてあらわれたり、あるいは逆に、ある時期に高く
評価
されてきた側面がむしろマイナスになったりするということもございます。 ですから、その点で
教育評価
というのは、ある
意味
で個々の
教員
の量的な側面がはかれる
研究
評価
以上に、私は
基本
的には難しい仕事だというふうに思っております。
仲道俊哉
17
○
仲道
俊哉
君 確かに、おっしゃるように
教育
というものの
評価
というのは非常に難しい側面があると思いますが、実際に
教育
をされるときに、特に
教育
学部
、養成
機関
として学校で将来
教員
になっていく学生を実際に
教員養成
学部
として指導するわけでございますから。そうしますと、実際に
教育
するための
教育
プログラムであるとか、今、先生がおっしゃった長いスパンじゃなくて、具体的な現在の生徒たちをどのように
教育
するのかという
学部
の、また個々の先生方の
評価
というのは、実際には
自己点検
・
評価
や相互
評価
等で先生の
大学
ではなされているんでしょうか、どうでしょうか。その点をお伺いいたしたいと思います。
三輪定宣
18
○
参考人
(
三輪定宣
君) 年度初めにそのようなカリキュラムをつくり、目標を立てて、それについてさまざまな
研究
成果
に基づいて授業を進めていくという、日常の
世界
では常に行われていることでございますが、九一年の
自己点検
・
評価
以来、
学部
としてのあるいは
大学
としての
体制
も強まってまいりまして、そういう側面での
活動
もいたしております。そして、かなり長大な
報告書
も出ている現状ではございます。
仲道俊哉
19
○
仲道
俊哉
君 残念ですが、時間になりましたので。
石田美栄
20
○石田美栄君 民主党・新緑風会の石田美栄でございます。 早速質問させていただきます。
三輪参考人
にお尋ねいたしますが、千葉
大学
の方では、
平成
三年以来ある程度、初めはこれは
努力義務
、それからやがて
義務
づけられてまいりまして
自己点検
・
評価
を実施されてきたと思いますけれども、その実情あるいはその結果に対して三輪先生御自身はどういう
評価
をされておりますでしょうか。そのことによって千葉
大学
ではどういう
改善
が見られましたでしょうか。
三輪定宣
21
○
参考人
(
三輪定宣
君) そうですね、私は
大学
の執行部ではございませんので、それが全体的にどのように生かされたかということについては正確に申し上げる
立場
にはございませんけれども、ただ、
学部
内でも、
大学
内でも、それぞれの
報告書
が
公表
されてさまざまなところですぐに見ることができる状態でございますので、その点では、今まで知らなかった部分をお互いに認識したり、また協力をしたりというような機会として利用しやすくなったというところがございます。 また逆に、そういう
点検
をする中で、かえって自分たちの仕事の困難さというものが具体的なデータを通して認識されてくるということもございます。 例えば十年ほど前には、
教育
職員免許法の改正の前には、
教育
学
関係
の授業でございますね、
教員養成
学部
ですから教職科目の単位が免許状を取る上で必要なんですが、その
教育
学
関係
の科目、単位は二科目で六単位が基準でございましたけれども、最近ではそれが八科目十三単位くらいにふえております。 ところが、
千葉大学教育学部
の
教育
学担当の
教官
の数は現在十一名が十名に減っているというように、科目数がふえてそして単位数がふえているのに全体の
条件
整備
が進まないということから、そういうさまざまな困難が逆に照らし出されるというようなこともそうした
報告書
の中から浮かび上がってまいっております。
石田美栄
22
○石田美栄君 引き続いて、ちょっと
三輪参考人
に質問が集中して恐縮でございますが、後ほどまた
内田参考人
にお伺いしたいと思います。
三輪参考人
は、この
評価
というのは
研究
が中心のようにおっしゃったのですけれども、私はむしろ、この始まった
評価
というのは、
研究
もさることながら、特に
国立大学
の先生、お偉い先生ほど学生に対する
教育
責任
がどうなのかが問われる、そういう面が非常に大きかったというふうに思うんですが、先生の学校ではどうなんでしょうか。学生の授業に対する
評価
とかシラバスというものがかなり充実してきたと思うんですけれども、そういう点での
教育面
での
評価
、ここは主として
自己点検
のところですけれども、どのように
評価
されていますでしょうか。
三輪定宣
23
○
参考人
(
三輪定宣
君) シラバスは、
自己点検
・
評価
が始まることと対応してかなり長大なものといいましょうか、詳しいものがつくられるようになりまして、それを
参考
にして学生も履修をいたしますが、
教官
も同時にそのことを通してお互いの授業の
世界
がわかるという、自分の授業の位置づけもしかるべく見直すことができるという、そういうような便利さというものが体験的には感じられております。
石田美栄
24
○石田美栄君 学生の授業
評価
はなさっていますでしょうか。
三輪定宣
25
○
参考人
(
三輪定宣
君) 学生の授業
評価
も、先生によってはやっていらっしゃいますけれども、
全学
的にというのはなかなか抵抗もございまして、
全学
一斉にというアイデアは当局から出されましたけれども、具体的に実施をする段階には至っておりません。 ただ、学生の授業
評価
というのは、個々の授業の中でただアンケートをとるとかということではなくて、例えば、私であれば毎回授業についての感想を書いてもらって、その中で何かわからないところとか、あるいは自分のしたいこととかを表現したりして、絶えずフィードバックしながらそれを次の授業に生かしていくという形をとったりしておりまして、形式的なアンケートでマル・バツをつけるということは別にしまして、かなりそれぞれの先生が学生と向かい合いながら授業
改革
の
努力
をしているというふうに思っております。
石田美栄
26
○石田美栄君 引き続いて恐縮でございますが、先ほど三輪先生は、これは
外部評価
というんでしょうか、諸外国の
第三者評価
のことにお触れになりまして、その中で
アメリカ
のことにも少しお触れになったのですが、先生は特に
アメリカ
の
大学
の
評価
方法についてはどういう御所見、
評価
をお持ちでしょうか。
三輪定宣
27
○
参考人
(
三輪定宣
君)
アメリカ
もかつては
政府
による
評価
を実施したことがあったようですが、その失敗というかマイナスの効果ということを反省して、以後、民間を中心に行われるようになったと聞いております。その民間といいますのも、
大学
間同士で基準を上げて
社会
的に
評価
を得て、それでまた学生も増えるし、いい先生も来るというサイクルになっていくわけですから、したがって完全に
アメリカ
の
大学
の
世界
では
評価
が民間のといいましょうか、
大学
主体の
評価
が完全に
大学
制度
の一環として確立をして、そのことで活力が生まれているというふうに思います。 むしろ、人の
大学
を
評価
する場合にも非常に熱心になる、また人から
評価
される場合もオープンにしてどんどん資料を出して、自分たちのプラス面マイナス面もさらけ出しながら、自分たちのを隠したり誇張するというよりは、自分たちの
改善
、
改革
のためにむしろそういう十年に一回のチャンスを積極的に生かしていく、そういう一つの文化みたいな形で定着していて、その方向がむしろ長期的には
大学
にふさわしい
評価
の
あり方
ではないかというふうに思っております。
石田美栄
28
○石田美栄君 今のお話を伺っていますと、三輪先生も
アメリカ
のやり方を
評価
していらっしゃるように受けとめたのですが、
アメリカ
の場合はいろいろな面について連邦
政府
がやるということはありませんから、
大学評価
も民間というか、それが公なんだと思うんですが、
日本
とは国の
体制
が違いますから、
評価
という
意味
では、これはまさに
アメリカ
のは
第三者評価
、
外部評価
で、それも非常に
客観性
のある明確な点数
評価
できちっと出す。 学生の授業
評価
も、今、先生がおっしゃったようなものではなくて、私は学生のときにとっていました授業全部を
評価
させられた
立場
でしたから、本当に点数で、先生の授業の準備はどうか、私は文学系統でしたから、学生一人一人の思想形成にどういうふうに役立つように授業を組み立てているかとかという、本当に細かいところまで点数で厳しく
評価
する、そういう
体制
です。 そういう点で、三輪先生も、私は今のお話で、
自己点検
、自分みずからがやるということではなくて、
第三者評価
といいますか、そういう
評価
をもうされているようにお聞きしたのですが、今回の
日本
の場合は確かにそういう民間のものが確立していませんから国でということになりますので、そのあたりは違うかなと思いますけれども、
評価
の必要性というのはお認めになっているように拝察するのです。 これからの
大学
の
状況
というのは、少子化もありまして、子どもたちも全部入学できるような
時代
が参ります。そうすると、子どもたちが学校を選ぶ、それにはやっぱり選ぶ資料が要りますし、それにも増して、先生もおっしゃっていらしたと思いますけれども、
日本
の
大学
も今に
世界
の
大学
と学生を取り合うような
時代
もやがて来るでありましょうし、先生も科学者
会議
のメンバーでいらっしゃいますが、
日本
の産業界、民間企業が海外の
大学
を重視する割合がふえてきていて、国内の
大学
とか国立の試験場といったそういう公的
機関
を重視する割合が減っているというふうに言われます。 ですから、
日本
の企業が海外の
大学
、
研究
所と
連携
を深める動きがあって、
日本
の
大学
の、特に科学技術面と申しますか
研究面
で空洞化が懸念されるというようなことが言われるときに、
日本
の
大学
が、アクレディテーションということを先生もおっしゃいましたけれども、
社会的責任
を果たすという
意味
でどういう
評価
が
日本
ではいいと先生はお考えでしょうか。
三輪定宣
29
○
参考人
(
三輪定宣
君) もちろん
大学
によっては、
アメリカ
であれば六百くらいの
大学
の中で百二十くらいの
研究
大学
がかなりそういう点での
評価
が高いと思います。それらの背景といえば、やっぱり今も御指摘のように、連邦からの
政府
資金とか、それから設立当時に土地を付与して、その広大な財産を
基盤
にして今もそれを財政的な収入の源にしたりというような、あるいは寄附金等によって、財政的な
基盤
のけたが違うというところが非常にその活力の大きな要因になっているのではないかというように思います。
アメリカ
のそういう
研究
大学等
の
成果
を見習うとすれば、そういう部分にもっと注目をする必要があるんだろうというふうに思います。
石田美栄
30
○石田美栄君 今、先生もおっしゃったように、まさに
第三者評価
がそういう
予算
とか支援と結びつくというのが
アメリカ
の姿ですが、最後に
内田参考人
に、先生の場合は、ほぼ今回の法案に沿った御
意見
だったと思うのですけれども、最後に、最終的に今回のようなこういう
評価制度
が、今、三輪先生もおっしゃったように、あるいはこれはやがては
予算
配分だとか、
国立大学
が中心でしょうが、
大学
の
学部
の再編、淘汰だとか、あるいは
独立行政法人化
というか民営化、そういうことに使われるというか、そういうことになっていくかもしれない、そういう
評価
の
成果
を使うかもしれない。そういうことについて先生はどのようにお考えでしょうか。
内田博文
31
○
参考人
(
内田博文
君)
資源配分
の問題でございますけれども、これからより効果的で適正な
資源配分
ということは当然必要になろうかというふうに思います。より効果的で適正な
資源配分
という
観点
から、
客観性
の高い、
信頼性
の高い、そういう
第三者評価
を
資源配分
の際の指標の一つとしてお使いになるということは、
大学
の
立場
から見ましても否定すべきことではなくて、むしろ歓迎すべきことではないかというふうに考えております。
石田美栄
32
○石田美栄君 終わります。
福本潤一
33
○福本潤一君 公明党・
改革
クラブの福本でございます。 最初に
内田
先生の方に。今回、
国立学校設置法
の改正で組織の再編、また弾力化ができるということになったというのが一つの柱としてあるわけでございますけれども、
九州大学
がかなり
大学
院の再編をやられようとしておられるということで、一九八〇年代、九〇年代、
学部
の改編、再編というのはかなり各
大学
で行われていたと思うんですけれども、今度、
教育
部と
研究
部に分けてやる形で持っていこうと先進的にされたねらいを最初にお伺いさせていただければと思います。
内田博文
34
○
参考人
(
内田博文
君)
大学
院レベルで
研究
部と
教育
部というふうな形に分けまして、
研究
につきましてはより
研究
のニーズに対応していきたい、また
教育
につきましては
教育
のニーズに対応していきたい。必ずしも
研究面
でのニーズと
教育面
のニーズが常にイコールということではございませんで、
教育面
でのニーズに対応するために、また他方で
研究面
のニーズに対応するためには少し違った場合が出てくるというような場合には、それに迅速に対応するために少し組織を分けさせていただきまして、それぞれの組織が
教育
に重点を置いた形で
教育
ニーズに対応し、また
研究
ニーズに対応する、こういう形をとらせていただければありがたい、こういう趣旨でございます。
福本潤一
35
○福本潤一君 そういう
意味
では、さまざまな形での
大学
改編の中で、
教育
と
研究
を
学部
段階でやっていると、
教官
の方も
教育
、
研究
を両立するのはなかなか大変な段階に来ているというようなお話も
現場
サイドでは聞きますけれども、一つは、
学部
の方に
教育
、
大学
院は
研究
というふうに分ける方法。今回、ここの
委員会
でも
質疑
の中にあってちょっと混乱していたので整理させておいていただきたいと思うのは、
大学
院で
研究
部と
教育
部を分けたときに、
研究
部に所属する
大学
の先生みたいな形で、
教育
に
責任
を持つような形での組織再編もされて、
教官
もそちらの中できちっと一定の教授会、または
教育
に関する協議ができるような形の組織をつくるのかどうかというのも二点目でお伺いさせていただきます。
内田博文
36
○
参考人
(
内田博文
君)
大学
院レベルで
研究
部と
教育
部というのを考えております。先生御指摘のように、
大学
院の方に重点を置きました場合には
学部
教育
はどうだという御指摘は当然の御指摘だと思いますけれども、私どもは、
大学
院に進学していただくためには、前提として
学部
教育
というのを経由していただくということでございますので、今まで以上に
学部
教育
にも力を入れていきたいというふうに考えているところでございます。 御質問の二つ目でございますけれども、
教員
は
研究
部に本籍を置きます。そこで
研究
活動
をいたします。ただ、それでは
教育
部に全く
教員
はいないかといいますと決してそうではございませんで、そこで
教育
を担当するという
観点
で、
教育
という面では
教育
部に属するということでございます。そして、
研究
という面では
研究
部に属する。本籍はどちらかといえば
研究
部にある。こういう形で
運営
させていただければありがたいというふうに考えております。
福本潤一
37
○福本潤一君 そういう
意味
では二重に所属した形でやられるのだと思いますが、両方に所属した形が組織再編の中でずれを起こすことによって、逆に
教育
の新しい動きを取り入れるという形になるんだろうと思います。 今現実に、
日本
の
大学
というのは問題があるとか
教育
システム
がうまくいっていないとか、かなりの再編再編をしながら、マンネリ化するところをいかに学生に新鮮な
研究
、また
教育
の知見に対する喜びを与えるかというのは大きな
課題
だと思うんです。 そのときに、先ほどの
評価
システム
の御
意見
の中で、お二方、逆の方向で
評価機関
というのを位置づけられたという気がしております。
第三者機関
の
評価
というのを、今までは
自己点検
・
評価
でやってきた、これが
客観性
と
透明性
が必要だという
内田
先生の方にも、また、そこに
自治
が侵されるおそれがあるという三輪先生の方にも、どういう形で今の
自己点検
・
評価
を新しい
システム
に変えていくかというときに、いろいろな方向性があると思うんですが、
研究
の面では、教授の任期制を入れて
人事
の流動化を図って刺激的な、活性的な動きにできるようにした方がいいという
研究
の面での話。また、先ほども出ましたけれども、
教育
の
評価
に関しては、学生が、具体的に授業を受けている当人が
アメリカ
のように授業
評価
をきちっとした方がいいという二つの面があると思うんですけれども、この方向でいくということに関して、今回の
第三者評価
と比べてどちらが望ましいかというのを両先生にお伺いしたいと思います。
三輪定宣
38
○
参考人
(
三輪定宣
君)
第三者評価
という方法は多様な形態がございます。それはいろんな試みがなされてよいかと思いますけれども、ただ、行政
管理
的な形で規制をしていく、あるいは誘導していくという方向の
制度
化は、
大学
の
学問
の自由や
自治
とのかかわりで非常に微妙な問題を含んでおりますし、特に今、
国立大学
自体がそういう
システム
の中である種の沈滞を来しているわけで、それをどう規制を緩和してもっと自由濶達な
仕組み
に変えていくかということが大きなテーマではないかというふうに思っております。 ですから、民間とかあるいは
大学
人同士とかもっとボランタリズムを発揮して、そういう熱意の中でお互いに厳しく
評価
もし合いながら
学術
を
発展
させていくというような
仕組み
なりがどうやってこれから構築できるか、そのために
政府
もどのようなサポートができるかという視点ではないかと思います。
福本潤一
39
○福本潤一君 今お伺いしたかったのは、
第三者機関
という形での
評価
はそういう問題があるというときに、
第三者機関
の中に入るわけですけれども、
教育
の面で質を
向上
させるという
意味
で学生の授業
評価
というのと、
教官
の例えば十年とか五年とか任期を定めたら、また再選されることはあるとしても、任期制というのを導入するという面で今度は
研究
の活性化を図るという、そういう方向性で考える代替案としてはどうかというのもお願いいたします。
三輪定宣
40
○
参考人
(
三輪定宣
君) 任期制によって
研究業績
を
評価
して、それによって活力を引き出すという考え方というのは確かにこの間強調されておりますけれども、やはり
基本
的には、
研究
というのはそういう
体制
になじんでいくだろうということになりますと、その期間に応じた量の生産という方向にどうしても全体として流れて、その結果として、よく言われる長いスパンの中で大きなスケールで創造的な
研究
を進めていくという風土といいましょうか、雰囲気というものが損なわれていくということ、ひいてはそのことが基礎的なあるいは萌芽的な
研究
の芽を摘んで、現象的には生産的かもしれませんが、逆に全体の停滞を招くという
危惧
がその任期制については私は感じられるわけでございます。 それから、学生の授業
評価
につきましては、そういう
仕組み
というのはいろいろな形で行われてよいと思いますし、現に、アンケートにただ参加するというだけではなくて、
大学
全体の
運営
や
教育
に学生がもっと参加をする必要がある。そして、学生という
国民
との対話の中で
大学
を内部から変えていく、そのことが
国民
に直接に奉仕をする。
説明責任
といいましても、学生に一番
大学
のことがわかるわけですね。ですから、その学生の要求をもっと正面から取り入れてカリキュラムや授業づくりにまで生かしていくような、そういう方向が
大学
改革
としては私は望ましいのではないかというように思います。
内田博文
41
○
参考人
(
内田博文
君) 先生御指摘の学生による授業
評価
というのは、学生の
立場
に立った
教育
というものを
推進
していく上では非常に重要な
制度
ではないか、
システム
ではないかというふうに思っております。そういう
意味
で、学生による授業
評価
といいますのは、
教育評価
におきまして非常に大きなポイントになろうかと思います。 また、先生御指摘の任期制でございますけれども、
教育研究活動
を活性化するためには、それを担う
教員
の
人事
制度
をどうするのかということは非常に重要な点でございまして、絶えず
見直し
て
改善
を図っていく必要があるのではないかというふうに考えております。 ただ、この両方とも、
自己点検
・
評価
におきましても重要なポイントでございますし、また
第三者評価
におきましても重要なポイントということでございますので、
第三者評価
とそれとが新たに、こちらをとるかあちらをとるか、そういう
関係
にはなくて、
自己点検
・
評価
におきましても学生による授業
評価
というのは充実していく必要があろうかと思いますし、また
外部評価
におきましてもそれは非常に重要なファクターとしてカウントしていく必要があるのではないか。同じように、
人事
システム
につきましても同じようなことが言えるのではないかというふうに考えております。
福本潤一
42
○福本潤一君 今回の改正の前にも、両先生の肩書を失礼ながら見させていただきますと、
大学
院という形での教授になっておられる。また、
学部
という部の教授になっておられるという形で、最近よく
大学
院教授という形の肩書が出てきていますけれども、さまざまな形で何度も改正または
改革
を行われていたわけで、一番現実の
現場
で組織、
システム
改編に当たって苦労された話を聞かせていただければと思いますけれども、どこが一番具体的に組織改編では難しかったのか。
内田博文
43
○
参考人
(
内田博文
君) 先ほどお話をさせていただきましたように、従来は
大学
の
自治
といいますと、どうしても防御的な
自治
論というのが強かったわけでございます。また、
自治
といいましてもその
実質
は、
大学
全体としての
自治
というよりは部局
自治
、それから部局
自治
もその実態は
講座
の
自治
とか先生方個人の
自治
、こういう
観点
でございまして、その点がどうしても開かれた
大学
をつくるということに当たって障害となっておりました。 そこをどういうふうにして意識
改革
をしていくのか、
システム
として
改革
していくのかというのが
大学
の一つのテーマでございまして、開かれた
自治
ということにつきましては、多くの先生方は
理解
するということでございます。 ただ、残された問題といたしまして、総論賛成だけれども各論になるとまだまだという部分がございますので、この各論になると何とかという部分をこれから取り上げまして、先生方の御
理解
を得て
改革
を進めていくことにさせていただければありがたいというふうに思っているところでございます。
福本潤一
44
○福本潤一君 じゃ、最後に。せっかく両
国立大学
の先生が来ておられますので、今、
国立大学
法人化ということで、きょうの新聞にも、
自治
を尊重して特殊法人とは違う形で法人化を目指すという動きが大きな動きとして出てきておりますので、この
独立行政法人化
という動き、またその中における
教官
の
立場
をどういうふうな形で、国立、私立と違う形の
立場
になると思いますけれども、望ましいのかという二点について、両先生にお伺いさせていただければと思います。
三輪定宣
45
○
参考人
(
三輪定宣
君) まだ最近発表になった
内容
については詳しく存じておりませんけれども、
独立行政法人化
という考え方は、やはり
基本
的に
大学
という組織になじまないのではないかというように存じます。 それは、目標をある期間設定して、そしてそれに基づいて主務大臣から
評価
を受けて、それに基づいて資金の配分から
大学
の組織の
あり方
まで決められていくということは、先ほど申しました、
大学
が
自治
的に
改革
をしながら
学問
の論理に沿って
運営
していくという
あり方
とは根本的に異なるわけですから、その
大学
の本来の趣旨、
あり方
が、
本質
が生かされるような組織をどうするかということが今問われているんだと思います。 現在のところは、その法人化をめぐってどのような
仕組み
がふさわしいかということは、独立行政法人にかわるものは何かということは、まだ議論の途についたばかりでございますので、これはもっといろんな角度から、外国の例なども
参考
にしながら
国民
的な論議をする必要があるように思います。
内田博文
46
○
参考人
(
内田博文
君) 先生御指摘の独立行政法人の問題は、
国立大学
にとりましては非常に重要な問題でございます。
文部省
の方でもいろいろと御検討いただいているようでございますし、また
国立大学協会
でも鋭意検討を重ねているところでございます。個別
大学
のところでもやはり検討を重ねているところでございます。 通則法による
独立行政法人化
につきましては、いろいろ
問題点
の指摘もあるところでございます。今後、私どもといたしましても、より掘り下げた検討をしていく中で、
大学
改革
という
観点
、あるいは高等
教育研究
の活性化、高度化、こういう
観点
からより掘り下げた検討をさせていただきまして、それについての態度等につきましても
意見
を固めていきたい、こういうふうに思っております。
福本潤一
47
○福本潤一君 どうもありがとうございました。
林紀子
48
○林紀子君 きょうは、お忙しいお二人の先生に来ていただきまして、ありがとうございます。
日本
共産党の林紀子でございます。 まず、お二人の先生にそれぞれ同じ質問なんですが、お聞きしたいと思いますけれども、今の
日本
の
文教
予算
、それがどんなに少ないかというのは、先ほど三輪先生の方からはちょっとお触れになりましたけれども、OECD各国の中でも本当に少ないということがございますね。先ほど
内田
先生は、より効果的で適正な
資源配分
というのは
大学
の
立場
からも歓迎すべきことだというお話がございましたけれども、その前段としてまず、限られたパイをどうやって適正に配分していくのかという配分の問題ということよりも、全体のパイを大きくするというところが一つ非常に必要なのではないかというふうに思うわけですね。 私は、これは別の問題で
大学
の先生に
参考人
に来ていただいたときに、今、
大学
の先生が本当に皆さんお忙しいというその忙しさの中身というのが、
教育
とか
研究
とか、本来そこに打ち込まなければいけない仕事で忙しいのではなくて、例えば科研費などを請求するときに、その請求の文書をつくるのに膨大な時間、エネルギーが要るんだというお話を聞きまして、そこはサポートしてくれる人たちが定数削減とか
予算
が少ないということでどんどん削られていってしまって、結局そういう仕事が本来の仕事をすべきところまで食い込んでいってしまうんだというお話を聞いて、それが本当に忙しさの一つの大きな原因かというのがわかったんですけれども、そういう
意味
も含めまして、全体のパイをどうやって大きくしていったらいいのか、今の現状がどうなのか、そういうことも含めてお話をいただけたらと思います。
三輪定宣
49
○
参考人
(
三輪定宣
君) 先ほど申しましたように、OECD加盟国の中でも
日本
の
教育
予算
の割合は最低でございます。 これらのデータはいろんなところで
報告
されておりますのでよく御存じのことと思いますが、例えば一九八〇年度から九七年度の
大学
予算
、といいましても、この
予算
というのは私立
大学
の助成費とか国立学校特別会計への繰り入れとか育英奨学金とかと合計でございますが、この
大学
予算
は、やや大ざっぱな数字ですが、一・三兆円から一・九兆円にふえておりますが、GNPが二百四十兆円から五百十三兆円というように二倍以上にふえているわけですね。また、学生数はこの間二百二十一万人から三百八万人というように、これも一・五倍程度にふえている。というふうに考えますと、この間の
予算
が余り伸びない中でそういう全体のGNPや学生数がふえるということは、言いかえれば、学生一人当たりの
大学
予算
という指数に直しますと、これは五十九万円から六十四万円ですから、ほとんど横ばいである。ということは、
実質
的には五一%くらいに減っているということになりますね。ですから、この一九八〇年から九七年度の約二十年間に
実質
的には五〇%くらい減っているというのが
大学
予算
の実態でございます。
イギリス
のサッチャー政権、保守政権のもとで
大学
予算
が四割減ったということで、その増額のために
イギリス
も今苦労しているわけですけれども、
日本
の行政
改革
のもとで
大学
予算
がそのような扱いを受けてきたということがありますから、これを取り返して、さらに二十一
世紀
に向かって財政的な
基盤
を築く必要があるというように思います。
教育
条件
で一番効果的な係数というのは、何といいましても
大学
教員
一人当たりの学生数でございますが、これが一九七〇年には十八人でしたけれども、今十九人に、先生に対して学生数がふえております。職員について言いますと、この間に八人から十一人にふえているわけですね。つまり、
大学
の先生に対する学生数も職員に対する数もふえているという
状況
でございまして、
イギリス
の九人とかドイツの十一人とかそういうレベルに比べると、
日本
の先生は
教育
の面でも非常に忙しくなっているということがおわかりだと思います。また、専任
教員
一人当たりに対する非常勤講師の割合もこの間に〇・七から一・〇というように、非常勤講師がどんどんふえて専任の
教員
がその分だけ減っているというように、財政のしわ寄せがいろんなところに及んでいるわけでございます。 また、学生の授業料もこの間ウナギ登りに上っておりまして、そのことが、学費を切り詰めたりあるいはアルバイトをおやりになったりということで学生自身の学習
活動
に非常に支障を来すということもございまして、
教育評価
もよろしいのですが、そういう劣悪な
条件
の中で学ばざるを得ない学生の問題というのは、これは
基本
的にやっぱり解決しなくてはなりません。 そういうことで私が、私立
大学
、
国立大学
全体を通して学校納付金全体を無償化すればどれくらいかかるかということを推計したことがございますけれども、約二兆七千億円でございます。これが大きいかどうかということはまたいろいろ
評価
の分かれるところでございましょうが、国の
予算
としてそれだけを投入すればすべての学生は経済負担から解放されて勉学に没頭できるし、また、低所得の人も
大学
に行けるという希望が生まれますので、
社会
的なロスもなくなって、みんなの学習意欲が喚起されるわけですね。こういうことがやはり大きな効果を生み出す要因ではないかというように思いますので、ぜひこのような
文教
政策については特に財政面の
改善
をお願いしたいというように存じます。
内田博文
50
○
参考人
(
内田博文
君) 先生御指摘いただきましたように、高等
教育
予算
をふやしていただけるとか、あるいはポストの面でいろいろと手当てをいただける、あるいは施設につきましてもいろいろ御
配慮
いただけるということは、
大学
にとりまして非常にありがたいことだというふうに存じております。 ただ、
大学
の方からこういうことを申し上げるのは非常に失礼でございますけれども、やはり国費でございまして、
国民
の税金をいただいているわけでございますので、その税金が適正に支出されているという
観点
で
国民
の御
理解
を得るということが非常に重要ではないか。
大学
が税金を適正に使うことによって
教育研究活動
をきちんとやっているということについてやはり
国民
の
方々
に十分に
理解
していただいて、その上でふやしましょうと、こういうふうにやっていただくことをしていきたいというふうに考えているところでございます。
林紀子
51
○林紀子君 どうもありがとうございました。
国民
が税金を投入しているわけですから、ちゃんとその説明を受けるというのはそうなんですけれども、
国民
としてもぜひ税金をきちんと私たちが願っているところに使ってほしいと、そういう願いもあるわけですので、
教育
費の増額というのは、外国との差からいいましたらそういうものかなというふうに考えたわけです。 続きまして三輪先生にお伺いしたいんです。 先ほど、外国ということも含めまして、
ユネスコ
ではいろいろ
学問
の自由ということについてきちんとうたっている勧告などがあるのに、
大学
審の中には一言もそれが出てこなかったというお話がございましたけれども、その
ユネスコ
でうたっている
学問
の自由、そして欧米諸国が到達しているといいますか、そういうものというのは今どういう
状況
になっていて、それを
日本
はどういうふうに見習っていくといいますか、
世界
と肩を並べるという、そういうところではどういうものかというのをお伺いしたいと思います。
三輪定宣
52
○
参考人
(
三輪定宣
君)
ユネスコ
に見られる
世界
の
大学
改革
の
基本
的動向は、
大学
の
自治
、
学問
の自由をさらに豊かに
発展
させるという方向で二十一
世紀
の知の
世紀
を切り開いていかなくてはならないということだというふうに思います。 ちょっとその例を申しますと、九六年に高等
教育
の
教育
職員の地位に関する勧告が
ユネスコ
から出されました。そこでは、前文で、
学問
の自由を掘り崩しかねないたちの悪い政治的圧力によって
学術
の
社会
が傷つきやすいことに関心を表明すべきであるということを明確に言っております。また、
大学
の
機能
は
学問
の自由と
自治
の雰囲気の中でのみ十分に発揮することができるということ。あるいは、
大学
の
自治
について詳細な条文を展開しておりますけれども、例えば、
大学
の
自治
は
学問
の自由が
機関
という形態をとったものであり、高等
教育
の
教育
職員と
教育
機関
にゆだねられた
機能
を適切に執行することを保障するための必須
条件
であるとか、加盟国は、
高等教育機関
の
自治
に対するいかなる筋からであろうとも、脅威から
高等教育機関
を保障すべき
義務
があるということ。あるいは、自己
管理
、同僚間の協同及び適切な
学問
的指導性は、
高等教育機関
にとって
意義
のある
自治
の不可欠な構成要素であるというように、さまざまな文脈を通して、そうした二十一
世紀
の
大学像
の根幹は
大学
の
自治
、
学問
の自由であり、特に学生の参加を中心に据えた
大学
づくりがこれからの
課題
だということを述べているわけですし、
学問
の自由のないところで、あるいはそれが制限されるところでおよそ
教育
の質も高まらないわけですね、真理、真実を教えるということが
教育
の核心ですから。そういう
意味
での
教育
の質をつくる上でも、
学問
をいかに豊かにするか、そのことが二十一
世紀
を切り開く若者の知的なバイタリティーを育てていく根幹ではないかというように思います。 また、九八年には、今のとは違いますけれども、先ほど申しましたように、二十一
世紀
高等
教育
宣言
、「展望と行動」というサブタイトルのついたものが出ているわけでございますけれども、ここでも同様に
学問
の自由ということが一番の根幹に据えられているという実情でございます。 この点が私は、特に国際化あるいは
グローバルスタンダード
と言われる中で
大学
審
答申
で弱い、あるいはその
観点
からの
大学
改革
の方向性というのが十分見えてこないということにいら立ちを感じている次第でございます。
林紀子
53
○林紀子君 今お話しくださいました
学問
の自由、
大学
の
自治
、それと今回法律として提案されております
第三者評価
機関
、その関連といいますか、今までもお話しいただきましたけれども、
大学
の
自治
、
学問
の自由というところとの関連でぜひもう一度お話をいただけたらと思います。
三輪定宣
54
○
参考人
(
三輪定宣
君) 先ほど申しましたように、
学問
の自由というのは真理の探究という
研究
を進める上で一番
基本
的なことでございまして、その真理の探究あるいは究明のためには、批判的な能力とかあるいは創造的な能力とか挑戦的な能力とか先見的な能力とか、そういうものがないとそれは真理の探究にならないわけですね。だからこそ、
学問
の自由が
学術
の
発展
の根源として必要だということであろうと思います。 しかし、
外部
的な
評価
、特に
機関
評価
になりますと、そういう
研究
能力というものがむしろ萎縮をする。そのことによって、今までの既存の学説とかあるいはセオリーとか、そういうものを打ち破って新たなパラダイムをつくっていくとか、そういう可能性というものを大きく閉ざしてしまうという問題をはらんでいるのではないだろうかというように思います。 権威に屈服する、迎合するような形で
研究
者が
システム
として大量生産されますと、これはやはり
社会
の
学術
の
発展
にとって大変大きな停滞要因になるというふうに私は
危惧
するんです。
林紀子
55
○林紀子君 先生、どうもありがとうございました。
日下部禧代子
56
○
日下部禧代子
君
内田
、三輪両先生、きょうはどうもありがとうございます。 まず最初に、
内田
先生にお尋ねさせていただきたいと存じます。
社会
民主党の
日下部禧代子
でございます。どうぞよろしくお願いいたします。 ただいま三輪先生の方から、国の
機関
として
評価機関
が
設置
されるということは、
大学
の
自主性
というものを損なうものである、あるいはまた
研究
能力を萎縮させるものであるというふうな
危惧
をお述べになりましたけれども、先生は、国の
機関
としてこの
評価機関
が
設置
されることにつきまして、今、三輪先生がお述べになりましたような
危惧
ということに関してはどう考えていらっしゃいますでしょうか。
内田博文
57
○
参考人
(
内田博文
君)
第三者評価
を適正に実施するためには、専門のスタッフを抱えた専門的な
機関
というのはやはり不可欠ではないかというふうに思います。また、この
機関
が適正に
第三者評価
を実施するためにはかなりの費用が必要ではないかというふうに思います。
第三者評価
の公的な性格にかんがみまして、やはり国の
機関
がこれに当たるというふうなことは必要ではないかというふうに考えます。 ただ、
第三者評価
の
信頼性
といいますか、自律性ということを担保するための
工夫
といいますか、措置は必要だというふうに思います。そういう
意味
で、
創設
準備委員会
が、国の
機関
とするけれどもそれはあくまでも
大学
の
共同
利用
機関
としての位置づけを与えるんだというふうにされておられますことは、一つの知恵といいますか考え方ではないかというふうに考えているところでございます。
日下部禧代子
58
○
日下部禧代子
君 先生は、余り三輪先生のおっしゃいましたような
危惧
はお感じになっていらっしゃらないということでございますか。
内田博文
59
○
参考人
(
内田博文
君)
第三者評価
の目的として挙げられておりますことの一つは、各
大学
に
評価
結果をフィードバックいたしまして、各
大学
の
教育研究
の
改善
に資する。その際、どういう形で
評価
するかと申しますと、それぞれの
大学
部局が設定した
教育
目的とか
研究
目的、そういう形で
評価
をしていくということでございますので、今後、運用の面でいろいろな
工夫
とか
配慮
をしていただくことによって、
大学
のむしろ活性化につながるような形にしていっていただければありがたいというふうに考えている次第でございます。
日下部禧代子
60
○
日下部禧代子
君
内田
先生にお伺いいたしますけれども、
評価基準
というのは、これは非常に難しいと思います。人間を
評価
するというのも大変に難しい。人間を
評価
するよりはむしろその
業績
を
評価
する方が少しは易しいのかもわかりません。物差しをかえることによって
評価
もまるっきり違ってしまうということもございます。私自身教師をやったことがございますので、大変それは難しいことだというふうに体験的に存じております。 その
工夫
の一つとして、先ほど先生は、さまざまな人材という
工夫
で、
評価機関
にそういう
方々
をお入れするということが一つのさまざまな基準となり得るということをおっしゃったわけでございます。もう一つは、いわゆる定量化するというのは一番簡単でございます。しかしながら、その公平を期する余りに、定量化ということになりますと、これはわかりやすいけれども大きな弊害がある。それが今、さまざまな
教育
の場面で起きていることだろうというふうに思うわけです。
客観性
とか公平とか、そういうことを重んずる余りに定量的になってしまったり、あるいは画一的になってしまったり、あるいは新たなランキングというもの、わかりやすさを追求するがゆえにそういうことになりがちだというふうなことも心配の一つでございます、新たな序列化が出てくるのではないかと。 この辺につきまして、先生は九大で既に
評価
システム
をスタートさせていらっしゃるというふうに伺いましたが、どのような御
工夫
をなさっていらっしゃいますでしょうか。
内田博文
61
○
参考人
(
内田博文
君) 先生御指摘のように、
評価
におきましては、定量的な
評価
も重要なファクターでございますけれども、それと並んで、あるいはそれ以上に定性的な
評価
というのは非常に重要ではないかというふうに思います。 例えば
教育評価
におきましても、学生が卒業するに当たって、自分たちが受けた
教育
はこういうふうな効果があったという場合には、必ずしも例えば何々試験に何人通ったということではなくて、その方の将来の人格形成とか
社会人
としてどういうふうなところがどういう形でできたかというふうな、そういう定性的な
評価
というのは非常に重要なファクターではないかというふうに思います。 特に、
大学
の場合は
教育研究
といったような見えざる
価値
というものを非常に重要視して
活動
しておりますので、そういう
観点
から定性的な
評価
は非常に重要だと思いますけれども、この定性的なものをどういう形で
評価
するかという場合に重要なことは、どういうデータに基づいて定性的なものを
評価
するのか。 例えば、学生の満足度というようなことを
評価
する場合には、学生に対してアンケート調査をして、学生からいろんな
意見
を聞くことによってその学生の満足度というふうな定性的なものを具体的に
評価
できる形にしていくとか、そういうさまざまな
工夫
が
大学
でもこれから必要になろうかと思いますし、また、
第三者評価
機関
の具体的な
評価
事業におきましても、そういう定性的なものをはかるようなデータといいますか、そういうものをどういう形で開発していくのかというのは非常に重要なことになろうかというふうに思っております。
日下部禧代子
62
○
日下部禧代子
君 確かに、学生にとってどういう先生がいいのか、例えば
教育
効果の場合でございますけれども、例えば学生に人気のある先生、点数もみんな同じようにつけてしまう先生だとか、あるいは落第させない先生だとか、あるいはまた人気、おもしろいことをおっしゃって、新聞を読んでいても、お弁当を食べていても、途中でふらっと出ていっても何も文句を言わない先生が人気があるとか、もし学生の投票でいい先生だということになってしまうと、これもまた非常に困ったものでもございます。今はもう大変にさまざまな学生が
大学
に来ているように聞いております。私のかつての同僚の先生方から、すごいのよというふうなお話も承ることがございます。 そういうことも含めますと、
評価基準
をどこに置くのか、そしてどのような方法で
評価
をするのかということは、もうこれは各
大学
だけではなく、
第三者機関
としての国の
機関
におきましても
工夫
がなされなきゃならないというふうに思いますけれども、先生の
大学
で、これは非常に自分たちの
大学
でいい
工夫
だと思う基準あるいは
評価
方法がございましたら、具体的にお教えくださいますか。
内田博文
63
○
参考人
(
内田博文
君) 一つは、先ほど申し上げました学生による授業
評価
というのは、
教育評価
におきましては非常に重要ではないかというふうに思っております。その際、四年卒業時点での
評価
というのもございますし、また、卒業生といいますか、卒業時点での自分が受けた授業に対する
評価
と、実際に
社会
に出ていきまして
社会
生活を送った場合にその
評価
というのは少し変わってまいりますので、そういう
意味
で、学生による授業
評価
におきましても動態的に
評価
をしていただいて、それを授業に反映する、あるいはカリキュラムに反映するというふうなことは非常に重要なことではないかというふうに思った次第でございます。
日下部禧代子
64
○
日下部禧代子
君 では、三輪先生にお尋ねいたします。 これからの大きな
大学
改革
の一つとして国際化ということが言われております。さまざまな
大学
審などの
答申
の目的の一つとしても、国際化あるいは
グローバルスタンダード
にたえ得る
日本
の
大学
であるべきだということは、これは非常に大きな
課題
になっていると思います。 そこで、先生はどういうことを称して
大学
の国際化というふうにお考えでいらっしゃいましょうか。そのために今どのような
工夫
が必要だというふうにお考えでございましょうか。
三輪定宣
65
○
参考人
(
三輪定宣
君) 一つは、御指摘のような、そういう
グローバルスタンダード
というものに対応していく、今までの閉ざされた
大学
の
システム
を開いていく。それは
社会
にというよりは、もっと
世界
に開いていくということが必要だろうと思いますけれども、その際に、
日本
の場合の大きな
課題
としては、
世界
一学費が高いわけです。 国際人権規約の十三条では、高等
教育
の無償制の漸進的導入という
規定
があって、
主要国
では
大学
の学費は
基本
的に無償になっています。それに対して、
日本
の場合は国情、
国策
に合わないという判断から、その十三条は留保されているわけです。現在たしか百四十カ国くらいがその条約は批准していると思いますが、
日本
とルワンダ、それからマダガスカルの三国は、国情、
国策
に合わないということでそれを棚上げして、そして高学費の政策を進めているという、いわば
国際社会
からしますと異常な状態であるわけです。 そのために、外国の学生、留学生が来るとしても、その高い学費の壁に阻まれてしまうということで、国内のそういう学生の自由な国際的な
交流
もできないということがございます。そういう点でいえば、例えばそういった国際的な基準に照らして問題のあるところは逐一着実に解決していくということが必要ではないかというように思います。 また、国際化というと、
大学
の
研究
者が自由に
学会
に来てそしていろんな議論をするということが大事ですけれども、例えば私の例で申しますと、この二十年間、旅費が五万円程度なんです。全然伸びていないわけです。これは一カ月ではなくて一年間で五万です。一回どこかに行くと、
学会
に行くともうこれは消えてしまうわけです。 この三月二十六日から三十一日まで早稲田
大学
で
教育
学の国際シンポジウムが開かれまして、私も
学会
の会長としての主催者なんです。それで、ヨーロッパや
イギリス
、
アメリカ
の比較
教育
学会
の会長さんを初め、アフリカあるいは中東、北欧そのほかからもお見えになるわけです。そういうところに
日本
の学者もたくさん参加して、そして
世界
のグローバルな動きを
学問
として学ぶ、あるいは
研究
課題
を発見するということができましたら大変大きな刺激にもなるわけですけれども、何しろ一年に五万ですとそういうような機会も閉ざされてしまうわけです。ですから、そういう点で学生にとっても、また
研究
者にとっても、もっともっと
教育
や
研究
の支援をしなくてはいけない、それがこれからの国際化に対応する
大学
改革
の
あり方
だというように思います。
日下部禧代子
66
○
日下部禧代子
君
社会
に開かれた
大学
ということもこれからの一つの大きな
大学
改革
の
課題
だというふうに思いますが、最近、いわゆる
大学
連合というようなことが行われつつあるように思うのです。例えば、一橋と東京外語と東京工業
大学
と東京医科歯科
大学
、四つの
大学
が連合して、単位互換だけではなくて編入学につきましても、それから教養
教育
についても、あるいはまたドクター論文の
共同
指導、
共同
審査ということも含めましていわゆる
大学
連合というのをつくっております。こういう形で幾つかの
大学
、これは国立でございますけれども、
大学
同士で連合を組むということは、これは入学試験の弊害を取り除くことにも役に立つだろうというふうに思いますけれども、このような具体的な動きが
九州大学
にはございますか、今のところ。
内田博文
67
○
参考人
(
内田博文
君) 例えば、
九州大学
の場合には諸外国の
大学
との
交流
とか
連携
ということをより進めておりまして、さまざまな国々の
大学
と
交流
を結んでおります。
教官
レベルで
研究
の上で
交流
するということもございますし、院生とか学生の
方々
が外国に行きましてそこで学ぶということもございますし、その
大学
の
方々
に私どものところに来ていただきまして学んでいただく、単位を互換する、あるいはシンポをやるというような形で、主として現在、
九州大学
の場合には外国の
大学
と
連携
を深めるということでございます。ただ、国内の
大学
と
連携
をしないということではございませんで、国内の
大学
につきましても
連携
を深めていきたいというふうに考えております。
日下部禧代子
68
○
日下部禧代子
君 千葉
大学
ではいかがでございましょうか。
三輪定宣
69
○
参考人
(
三輪定宣
君) 千葉
大学
ではまだそのような試みは、周りに
国立大学
もないという
状況
もございましてなかなか具体化しておりませんけれども、おっしゃる趣旨は大変大事で、私どもが
大学
自治
ということを言う場合に、それは内々に閉じこもるということではなくて、その
自治
を拠点にしながら、一方では積極的に
交流
し連帯をして
大学
自体がもっと有機的に横断的につながっていかないと、それぞれの
大学
も力を発揮できないというように思います。これは、学生のそういう授業から
交流
から、さらには
学会
活動
等を含めてもっともっと
日本
の
大学
は、それぞれが個別に競争して自分の
大学
のランクを上げていくというふうな発想より、もっと
共同
で
日本
の
学術
をつくり出していくという、競争より
共同
の方が本当の
意味
でこれから
学術
研究
の
発展
の
基盤
づくりになっていくんではないか。 競争で荒らしてはならない、むしろ
共同
の力を保障するような、そういう方向で
大学
の
改革
というのは進めるべきではないかというふうに思いますので、その
意味
ではいろんな
大学
の垣根を取り払って、例えばEU諸国は、エラスムス計画と言いますけれども、国を越えて
大学
に自由に進入学できるという
システム
をつくろうとしておりますし、現にドイツやフランスの場合には転学の自由が認められております。 そういうような
仕組み
に向かってもっと横の
連携
、連帯を強めていくのは、これは、個々の
大学
の競争をやって自分のところだけは生き残るという発想ではなくて、もっと
日本
の
大学
全体が底上げをして、そしてその
共同
の力で
学術
を支えるという、国の
大学
の
システム
全体をそのような形で変えていくような視点、そういう試みの一つとしてとても大事だというふうに思います。
日下部禧代子
70
○
日下部禧代子
君 両先生、ありがとうございました。
扇千景
71
○扇千景君 時間が大分オーバーしておりまして、御迷惑をかけております。三時十五分までということだったんですけれども、少しおくれていまして、申しわけありません。あと二人でございます。 わざわざお越しいただいて貴重な御
意見
をいただいたんですけれども、御
意見
を伺っておりまして、まず
内田参考人
にお伺いしたいんですけれども、私はこの趣旨に御賛同いただいているものだとは思いますけれども、今あそこにお座りいただいております有馬先生は東大の元
学長
でいらっしゃいまして、
文部大臣
でそこへ答弁にお立ちになったときに私が質問しましたら、東大でも自己
評価
を行っておりましてという御答弁がございました。今、大臣を終えられてあそこにお座りになっています。
国立大学
の中で
自己点検
、自己
評価
というものをしていらっしゃるというかなりの実績もございますけれども、今までの各
大学
における
評価制度
を実行した中での大体の集計が出ております。 それで、今まで自己
評価
をした
大学
の中で、
学内
に
評価
の
専門家
がいないというのが五六・七%、他の
大学
との比較ができないというのが四四・八%。そういうふうに、
評価
の
専門家
の養成と他
大学
との比較可能性を高めることがこれからの
大学
の問題になるというふうに結果が出ているんですけれども、まず、
内田参考人
、これはいかがでございましょうか。
内田博文
72
○
参考人
(
内田博文
君) 先生御指摘のとおりだというふうに思っております。
扇千景
73
○扇千景君
三輪参考人
に。今のことですけれども、時間がございませんので、今までの自己
評価
の欠点というものがあるやなしや、端的にお答えください。
三輪定宣
74
○
参考人
(
三輪定宣
君) 比較はやっぱり必要だと思います。ただ、その比較の
仕組み
がこれからどのようにしてつくられていくかというテーマ、
課題
ではないかというように思います。 確かに
専門家
もまだ
学内
にはおりませんので、そういう点でのお互いの
研究
ですか、それを深めていくということも大事なテーマだと思います。
扇千景
75
○扇千景君 それでは、
三輪参考人
、今
学内
にもおりませんのでというお答えでございますけれども、今回のこの
評価制度
というものを導入することによってそれぞれの
大学
の質の
向上
に資するという点からは、私は大事なことだと思うんですけれども、ただ、やり方はいろいろありますよ、だれが
評価
するとか、私も前回の
委員会
で言いました基準をどうするのか、そういうことはありますけれども、より
大学
の質の
向上
という点からは、今の自己
評価
の欠点というものもある程度、開かれた
大学
とか情報開示とかということに関しては前進すると思うんですけれども、
三輪参考人
の御
意見
はいかがですか。
三輪定宣
76
○
参考人
(
三輪定宣
君) もっと
大学
を開いていくということは重要でございます。 ですから、
第三者評価
ということをいろいろ
工夫
する余地はあろうかと思いますが、最初に申しましたように、いわば国の
機関
としてその
システム
が詳細になればなるほど、ある
意味
で縛りをかけてしまうという問題をはらんでいるということです。 ですから、そういうことで解決をしていくというより、もっと全体的なボランティア、自発的な
研究
が広がるような
仕組み
をどういうふうにつくっていくかというテーマではないかというふうに、そのことにむしろ水を差してしまうのではないかという
危惧
なんです。
扇千景
77
○扇千景君 時間がございませんので、大変失礼ですけれども、端的な聞き方をいたします。
三輪参考人
、今そういう御
意見
で、先ほどからお話を伺っておりましたら、むしろ競争を過熱させるというか、競争
原理
を導入するよりも
共同
に行くべきだということであれば、学校の校風というものがすべて一緒になってどこの学校でも一緒だというのであれば、学校を選ぶ側からいえばそういうことはなくなるので、
国立大学
は公費で賄われているということの
意義
をどう感じていらっしゃるのか、端的にお答えいただきたいと思います。
佐藤泰三
78
○
委員長
(
佐藤泰三
君)
三輪参考人
、簡潔にお願いします。
三輪定宣
79
○
参考人
(
三輪定宣
君) 公費にふさわしい
活動
が迫られているというように思います。本当に、納税者、
国民
の利益になるような
教育研究活動
をする
義務
というものが課せられているというふうに思います。
扇千景
80
○扇千景君 公費で賄われているいわゆる国公立
大学
というものあるいは
大学
院というものであれば、みずから制して、そしてそこから輩出される若者たちがいかに二十一
世紀
の
日本
をしょって立つかという、人材育成と冒頭におっしゃいました。 そのとおりだと思うんですけれども、今の国公立
大学
が果たして二十一
世紀
に
日本
人として
日本
の国のために役立つような学生をすべて輩出しているかというと、クエスチョンマークがつくのは世の中を見ていただいたらおわかりのとおりでございます。すべての学生がいいとか、すべての教師がいいなんてことは私はあり得ないと思うんです。だから、学校の荒廃とか学力の低下とかさんざん問題になっているんです。
内田参考人
にお伺いしたいんですけれども、この法案が通りましたら、この
設置
法の一つとして
評価制度
というものの中で今考えられておりますことは、
教育評価
部門で九部門、それから
研究
評価
部門で九部門、そして大体一部門が二十名。ですから、
教育評価
部門では合計百八十名、そして
研究
評価
部門でも同じく二十名で百八十名、すべてで三百六十名という計算になるんですけれども、その親の
評価委員会
というのが三十名程度というふうな組織図、もうもちろん御存じだと思います。 時間がありませんから一々申しませんけれども、例えば
教育評価
部門でこれを見ていきますと、人文学系あるいは
教育
学系、法学系、経済学系、理学系、工学系、農学系、医学系、総合科学・特定領域等と九部門に分かれるんですけれども、先生の御経験の中から、九部門に分かれるこの分け方というのはどういう御感想をお持ちでしょうか。
教育
部門だけでも結構です。
内田博文
81
○
参考人
(
内田博文
君) この
教育評価
は主として
機関
評価
でございまして、その
機関
全体として
教育
活動
を適正に行っているかどうかという
機関
評価
でございますので、こういう形で部門的に分かれるということは一定の合理性があるのかなというふうに思っております。
扇千景
82
○扇千景君 それでは、
評価
というものをフィードバックして
大学
をよりよくしていこうというのが
文部省
の答弁でございました。けれども、基準というものがまだないものですから、これから
委員
をお選びになって基準をつくるとおっしゃいますから、その基準よりも高い
評価
が出たり低い
評価
が出るというための
評価
なんですから、先ほど
三輪参考人
がおっしゃいますように、競争させちゃいけないんだ、いわゆる
共同
でいくんだということになれば
評価
なんて要らなくなっちゃうので、みんななべていいじゃないかということになっちゃうので、そういう
意味
じゃなくて、
評価
というものをして初めてその
大学
の弱点を補うと
文部省
が言っておりますね、そういうことに
評価
というものを使うべきであって、すべて押しなべて同じであれば、選ぶ方の学生側の
立場
からいいますと、競争
原理
があってこそみんな一生懸命勉強するのであって、
日本
の学生は
大学
に入っちゃえば勉強しないというのが定番になっておりますので、その辺のところは、
内田参考人
、いかがお考えでしょうか。
内田博文
83
○
参考人
(
内田博文
君)
第三者評価
の一つの目的は、それぞれの
大学
に
評価
結果をフィードバックいたしまして、その
教育研究活動
をより活性化するということでございます。その活性化の中には当然ながら、
大学
・
学部
が担う
機能
といいますか
役割
をより
明確化
していく、それぞれの特色をよりはっきりさせていく、こういうものが含まれているのではないかというふうに考えております。
扇千景
84
○扇千景君 ありがとうございます。
三輪参考人
、国公立と私立というものの学校のいわゆる建校の
意義
、国公立と私立というものがもちろん違っているわけですけれども、今のお考えでは、押しなべて
共同
でやれば国公立は要らないんじゃないかという、極論ですけれども、そういう感覚も持ちますけれども、それに対して
三輪参考人
、いかがお考えでしょうか。
三輪定宣
85
○
参考人
(
三輪定宣
君) 必要でないというより、もっと私学にも
基本
的には公費助成を大幅にふやして、そして
大学
自体がもっとそういう公費に見合う
社会
的な貢献ができるような
条件
整備
をサポートするということが必要ではないかと思います。今、学生の学費によって九割方収入が賄われているわけですけれども、そうではなくて、むしろ私立学校のそういう財政的な
基盤
を強くするということが必要だというふうに思いますし、
共同
というのも、同じことになるのではなくて、むしろ
共同
を通してそれぞれの個性的な魅力も、一人や二人じゃなくてみんなの力でより充実した個性的な
大学
がつくられるというふうに考えていただいたら、みんなの衆知を集めていい
大学
をつくる、そのための
共同
という
意味
でございます。
扇千景
86
○扇千景君 今私どもが大変心配しておりますことは、
評価
をフィードバックしていわゆる
情報公開
する。そして、だれが
評価
をして、いわゆる
評価
する
委員
ですね、その名前も
公表
し、しかも
評価
結果も世間に
公表
しようということがこの法律の中に書かれているわけですね。 そうすると、例えば先生方お二方の
大学
でも、この部分はいいけれどもこの部分はとても悪いよと言われますね、例えばですよ。そして、教師の質も、ここは余りよくないよ、とにかくマンネリで、一つの教科書を何十年も使って、学生が聞いていようが聞いていまいが自分の言いたいことだけを言ってぱっと帰っちゃうというのも中にはいらっしゃるわけですね。 そうしますと、フィードバックするということでの対応の仕方、
評価制度
というものが、基準がわからないからこれは別ですけれども、実行されてそれが
公表
されるということに対して、学校の中で教師間で論議が起こると思われますか、起こらないと思われますか。
内田参考人
、いかがですか。
内田博文
87
○
参考人
(
内田博文
君) 当然、
大学
としては論議が起こるべきだし、起こると思っております。
扇千景
88
○扇千景君 同じことを
三輪参考人
、いかがですか。
三輪定宣
89
○
参考人
(
三輪定宣
君) ですから、当然、それに対する反論、批判もあふれるごとく出てくると思います。
扇千景
90
○扇千景君 反論、批判も出てくるということであれば、先ほどからおっしゃっている
大学
の質的
向上
、あるいは
大学
のより世間に受け入れられるものをよくしようというためにこの法案ができて、
評価制度
というものが、自己
評価
だけではできないというのはさっき私が読んだような
状況
で、完全ではないわけですね、自己
評価
というもの。 やっぱり自分に甘い点がございますから、これは
教育
界だけではなくて今の警察もそうでございますし、あらゆるところで今問題が起こっていますから。身内だけで
評価
するというのはどうしてもやりにくい点があるし、あの先生はAでこの先生はBなんて、これはなかなか言えません。私たち仲間うちでもそうでございます。あれがよかったとか悪かったなんということはなかなか言いにくいものです。 そういう
意味
で私は、今回の
評価制度
というものを行うことによって
大学
がよくなるという
文部省
の発想というもの、あるいは
大学
をよくしようという三点セットの今度最後の仕上げでございますから、それはいいとしても、先ほどから話題になっております
評価
をされた
大学
で、今、
三輪参考人
がおっしゃいましたように、反論もあるでしょうとおっしゃいますけれども、反論する前にまず反省していくという
大学
の姿勢が必要であるということを申し上げて、終わりたいと思います。
田名部匡省
91
○
田名部匡省
君 今までの質問と重複しないように申し上げますので、簡単にお答えをいただきたいと思います。 〔
委員長
退席、理事岩瀬良三君着席〕 私は、
国民
の血税という話を聞いておって、全くそうだと思うんですね。私たちは政治家なものですから、国全体を考えてどうするかというのは頭にあるわけですね。
教育
がよければあとはどうでもいいというわけにはいかない。そうすると、きのうもこれは質問したんですけれども、大変な国債を発行してやっておるわけですね。私学もどんどん国が金を出して賄えばいいんだと、こう言われても、じゃ何を削るか、この議論がないとなかなか前へ進まないんです。各省みんな説明に来ると金のかかる話ばっかりですから。 ですから、私はさっきから聞いておって、
大学
の
自治
、
学問
の自由、それは全くそのとおりだと思うんです。ただ、権利があると同時に
義務
と
責任
もある。その
責任
をどう果たしていくかというのが、この
評価
の
機関
をつくってやろう、こういう
意味
だと思うんですね。
内田参考人
、総論で賛成、各論反対。安心しまして、私たちも国会でやっていると、総論は賛成するが各論反対というのは随分多いので、学校の先生方も同じなんだなということを感じました。 いずれにしても、人が人を
評価
するというのは、難しいのはありますよ。いい面もあれば悪い面もある。しかし、よりよくしていくためには、私は、これはやっぱり
情報公開
とかあるいは
説明責任
というのがあって
国民
の信頼を得るものだと、こう思うんですが、端的にどうぞ
内田参考人
からお答えいただきたいと思います。
内田博文
92
○
参考人
(
内田博文
君) 先生の御指摘のとおりだというふうに思っております。
国民
の血税をいただいて
国立大学
というのはその
教育研究活動
をやっておりますので、やはり
国民
の御
理解
を得るというふうな形でその
教育研究活動
を適正にやっていく、
改善
に努めていくということは必要だというふうに思っております。
三輪定宣
93
○
参考人
(
三輪定宣
君) もちろん
大学
の側にも大きな
責任
がございますが、
世界
最低のランクの
教育
費の水準に至ったということは、これはやはり
政府
の
責任
も大きいと思います。 今、外国では
教育
最優先というスローガンで、
ユネスコ
の
宣言
もザ・ファーストプライオリティーとして
教育
を掲げておりますし、各国も大体そういうかけ声で進めているわけですが、その一番の具体的な
内容
は
教育
費の大幅増額でございます。これだけ各国が
日本
よりは先に進んでいて、なおかつ
教育
最優先という方向を掲げるというのは、これは将来の国の
発展
を考えて、いわば
教育
費は将来の投資という側面がございます。あらゆる
発展
の
基盤
でございます。そのために今の大人、今の世代がどれだけ、当面のものではなくて、そういう長期的なもののために財政的な展望を持つかということが問われていると思いますし、それはある
意味
では私どもも積極的に皆さんに提起しなくてはならないテーマだと思いますし、同時に皆さんも真剣に受けとめていただきたいというふうに感じております。
田名部匡省
94
○
田名部匡省
君 お話はそのとおりなんですが、例えば年金の問題、介護の問題、医療の問題、そちらの議論になると、この人たちもこのことが大変関心が高いものですから、いろいろと言われると、じゃ
教育
だけは重視してあとのやつはみんな我慢しろということはなかなかやれない
仕組み
になっているんですね。ですから非常に難しい。外国と比べられてもなかなか難しい。私は有馬
文部大臣
のときも言ったんですけれども、
日本
の学生は外国の学生に比べて勉強の度合いはどうなんだろうか。例えば就職のために、あるいは嫁に行くには短大ぐらい入れておかなきゃなどというのは親の考え方が非常に強いですよね。 〔理事岩瀬良三君退席、
委員長
着席〕 だから、本当に真剣に勉強して
国家
、国際のために役に立とうというのなら、私はきのうも言ったんですが、
大学
院はもう完全に国費で育てた方がいいと。そのかわり、
国立大学
は私学と同じにして奨学
制度
を拡充して、そこに優秀な人たちが入ってきたらもう全額出していいですよ。そういう大胆な発想をしないと、こっちにもあっちにも全部に金かけてそれもやれというと私は難しいと思うんですが、どう思いますか。
内田博文
95
○
参考人
(
内田博文
君)
大学
というものを国際的な
観点
から見ていくということは、非常に重要な視点だというふうに考えております。
田名部匡省
96
○
田名部匡省
君 どうぞ、
三輪参考人
。
三輪定宣
97
○
参考人
(
三輪定宣
君) 今、いろんなところに財政要求というのは噴出しているかと思いますけれども、厚生省の調査でもおわかりのとおり、少子化の最大の理由が高学費、高い
教育
費でございますね。それほど、財政負担の国の軽減が父母負担という形になって転嫁されております。そのために、いわば子供を絞り込んで産んで、少子化にしてでも高学歴をつけたいというような雰囲気がずっと続いてきているわけですね。 そのことは、ただ
教育
の問題というより、労働人口の問題であり、高齢化の問題でもかかわってきますので、ある
意味
では、そういう幾つかの
選択肢
というよりは、
教育
の問題というのはその一番ベースになる問題だというとらえ方を、ぜひこういう
状況
の中でしていただきたいというように思います。
田名部匡省
98
○
田名部匡省
君
教育
費だけの問題ではないと思いますよ。生活のレベルがあって、家は持ちたい、こういうふうにもしたい、ああいうふうにもしたい、だから共稼ぎをしたりなんかするんであって、私はそれだけではないと思いますが、それはもう結構です。 ただ、この
評価
システム
というのは、私は
第三者機関
でないとやっぱりやれないと思うんですね。同じような基準で全部を見ていないと、行くところがばらばらでは、私は、そういう
意味
では、別に
学問
の自由を侵すことでもないし、むしろ先生方も大変だろうと思うんです、競争をしなきゃならぬし。しかし、その結果としてレベルが上がっていく。これはもう世を挙げて大
競争時代
になってきて、ここの部分だけはしなくていいですよということもないんだろうと思うんですね。 それで、次に
国立大学
と
大学
院の
あり方
をちょっと。
教育
部と
研究
部というのは、きのうも私は、何で一本でいかないんですかと。
教育
もするし
研究
もして
大学
院では立派な教授になっていかなきゃならぬと。 私はなぜ分けたのかときのうも質問したんですが、例えば、私も橋本聖子
委員
もオリンピックの選手、私は監督までやりました。ただ練習していればいいというものではないんですね。要するに、栄養学とか心理学とか、もういろんなことを勉強して、そして実戦をやってレベルが上がっていくんですよ。ただ馬車馬みたいに練習したって強くなるものでもないし、こっちばかりやったって、練習しなかったら絶対成績上がっていかないんです。 ですから、両方相まって
大学
院の学生というのはやっていいんであって、その中で、生徒を教える、そういう専門になっていく人もおれば、産業界へ行って何かやるという人もあっていいというふうに思うんですね。何か分ける必要はないと思うんですが、どうですか、
内田参考人
。
内田博文
99
○
参考人
(
内田博文
君) 少し
九州大学
の具体例を挙げさせていただきたいと思いますが、国会で御承認いただきましたら、この四月からいわゆる
教育
部と
研究
部というのを導入させていただきたい、
全学
的にやらせていただきたいと思っております。 例えばその際、従来は医学
研究科
ということで
研究
、
教育
を一本でやっておりましたけれども、今度からは医学
関係
のいわゆる、私ども
九州大学
では
教育
部のことを学府と呼んでおりますが、この医学府は、従前の医学
研究科
の先生だけではなくて理学
研究科
の先生もなれる、一緒になってやっていただく、そういう形をいろんなところへつくらせていただきまして、
教育
的なニーズに即応するような形にさせていただきたい。 同じようなことが
研究
についても言えますので、そういう形で柔軟に対応できるようにさせていただきたいというのが私どもの趣旨でございます。
田名部匡省
100
○
田名部匡省
君 そうですか、どうぞ頑張って。
三輪参考人
。
三輪定宣
101
○
参考人
(
三輪定宣
君)
大学
の
原理
として、やっぱり
教育
と
研究
は絶対に切り離してはならない。絶えず統一していくという
観点
が必要だと私は思いますし、それをますます強めることが
大学
の
改革
だというふうに思うわけですね。 といいますのは、
教育
といいましてもその中身は、特に
大学
、
大学
院になりますと
教育
の中心的な
内容
は
研究
能力を育てるということでございます。すぐれた
研究
能力というのは、ただ学者になるとかじゃなくて、
社会
での非常な貴重な財産としていろんなところで発揮されて、そして困難な
状況
を切り開いていく知的な
推進
力になります。 そういう実証的で、そして真理探求についてさまざまなバイタリティーを持った、新しいことに挑戦していくそのノウハウを身につけるということは、これは
研究
者だけではなくてすべてのこれからの卒業生のテーマですし、そういう能力をつけるわけですから、
大学
というところは。 したがって、
教育
と
研究
というのは特に濃密な
関係
にしていかなくてはならないし、
大学
の先生が本当に
研究
能力があることによっていい
教育
ができるというその
基本
的な
関係
、これは大事にしていく必要があるというふうに思います。
田名部匡省
102
○
田名部匡省
君 スポーツの
世界
でも、いいコーチはいい選手を育てるんですよ。だから、サッカーでも何でも、
日本
にいいコーチがいないから外国から連れてきてまでやっているでしょう。 だから、やっぱり先生の、教授の質をいかに高めるかということによって生徒の、学生のレベルは上がってくるんだと思うんですね。 ですから、競争というのは必要だし、また競争も一定のルールがなきゃならぬ。何でもかんでもやっていいというものではないんで、ルールの範囲内は自由におやりになっていいと。しかし、ルール違反に対しては厳格に反則をとりますからね、スポーツの
世界
では。 ですから、そういうルールをつくってこの
第三者機関
の人たちにきちっとやってもらう、これからやるんでしょうけれども、やってみてだめなら、またどういう方法がいいかと。やるかやらないかと言ったら、私はやっぱりやった方がいいと。やり方にいろいろ問題があれば、これは人がやることですから、いい方へいい方へと直していけばいいというふうに思っております。 いずれにしても、この
評価
システム
にしても、やると決めたらみんなで心を一つにしてやるのはいいことであって、反対もあれば賛成もあるということでは結果的にはうまくいかぬことになるし、そういう考え方で私たちは進めていくべきだと、こう思っております。 もっともっとお話ししたいことはありますが、もう時間ですから終わらせていただきます。 きょうは大変ありがとうございました。
佐藤泰三
103
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 以上で
参考人
に対する
質疑
は終了いたしました。 この際、
参考人
の
方々
に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、長時間にわたりまして御
出席
いただき、貴重な御
意見
を賜りましてまことにありがとうございました。本
委員会
を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手) 速記をとめてください。 〔速記中止〕
佐藤泰三
104
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 速記を起こしてください。 ─────────────
佐藤泰三
105
○
委員長
(
佐藤泰三
君)
政府参考人
の
出席要求
に関する件についてお諮りいたします。
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
の審査のため、本日の
委員会
に
文部省高等教育
局長
佐々木正峰
君を
政府参考人
として
出席
を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
佐藤泰三
106
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
佐藤泰三
107
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 引き続き、
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
を
議題
とし、
政府
に対する
質疑
を行います。
質疑
のある方は順次御発言願います。
林紀子
108
○林紀子君
日本
共産党の林紀子でございます。 今、
参考人
に来ていただきましていろいろお話をお伺いいたしました。その中でちょっと確認したいことがありましたので、まずお伺いしたいんです。 この
第三者評価
の目的というのは、各学校を競争させてランクづけをするものか、そのためにやるものなんですか。
政府参考人
で結構でございますけれども、お聞かせください。
佐々木正峰
109
○
政府参考人
(
佐々木正峰
君) 今回の
評価
の目的は、
客観性
の高い
信頼性
のある
評価
を行いまして、その
評価
結果を各
大学
にフィードバックをし、その
大学
の
教育研究
の
改善
に結びつけていくということが一つ目的でございます。 またもう一つは、その
評価
を
国民
に広く
公表
をいたしまして、
大学
が公的な
機関
として
社会的責任
を果たしていく、そのことを積極的に支援してまいりたい、かような趣旨で行うものでございます。
林紀子
110
○林紀子君 それでは、それを伺っておいて、きょうは
教育評価
についてまずお聞きしたいと思います。
イギリス
では
教育評価
と
研究
評価
を行っておりますけれども、それぞれ
予算
配分にリンクさせているわけですね。例えば、四段階の
評価
をつけて、最低ランクの一の
評価
を与えられた場合は
教育
部分の
補助金
は停止をするという措置がとられているということなんです。もしこういうようなことになったら大問題なわけですけれども、今回の
大学評価
は
教育評価
も
予算
とリンクをさせるのでしょうか。
佐々木正峰
111
○
政府参考人
(
佐々木正峰
君) 資源の効果的な活用ということが厳しい財政事情の中で求められておるわけでございます。適正な
評価
に基づいて資源が
透明性
のある形で配分されていく、このことがとりもなおさず、国費が適正に使われるということについて
国民
の
理解
につながるわけでございます。そういった形で
資源配分
を行っていく上で、今回の
評価
結果を
参考
資料の一つとして活用するということは当然あり得るわけでございまして、このことは、
研究面
のみならず、
教育面
についても同様であると考えているところでございます。
林紀子
112
○林紀子君 その前提といたしますと、
客観性
がある、
透明性
があるということはあるわけなんですけれども、その
教育評価
というのは、
研究
評価
よりももっと困難だ、だから
我が国
ではその手法さえ確立されていないというふうに言われているわけですね。
国立大学協会
の
学長
アンケートでも、
教育評価
は重要であるけれども非常に難しい、こういう声が多いわけです。国大協の
大学評価機関
に関する
研究
、この冊子では、
評価
の
客観性
の難しさについて、
教育
の付加
価値
という
意味
でのアウトプットを直接に把握することは極めて難しい、これが
評価
の隘路であり、その問題は
第三者
による
評価
で著しくあらわれる、こういうふうに書いてあるわけなんですね。客観的に
評価
する、それを
予算
配分の
参考
とする、こういうことは、客観的な
評価
そのものが難しいのに、一体何を基準にして
予算
にリンクをさせるのかということになるわけですが、いかがでしょうか。
佐々木正峰
113
○
政府参考人
(
佐々木正峰
君) 今回の
教育評価
は、対象となる
大学
の
教育
活動
の
状況
について、その
大学
が作成した
自己点検
・
評価報告書
、学生の授業
評価報告書
、シラバス、学生便覧等の各種の資料、データを活用しながら、複数の
評価
者から成るチームによる訪問調査やヒアリング調査を行うことによって、その
大学
の
教育
目的・目標に即した
評価
を行うことといたしておるわけでございます。
教育評価
の基準といたしましては、例えば、その
大学
の
教育
目的・目標が明確かつ具体的であるか、
教育
目的・目標に沿った
教育
課程の編成がなされているか、学生の成績
評価
の方法、基準が適切であるか、学生の学習環境が適切に
整備
されているのか、
教育
目的・目標に沿った学生の達成度はどうか、
自己点検
・
評価
など、
教育
の質の
向上
、
改善
のための取り組みが適切に行われているかなどが考えられるわけでございますが、いずれにいたしましても、具体的な
評価基準
につきましては、今後、
大学
評価委員会
及び専門
委員会
において具体的な検討を行い、あらかじめ十分な時間的余裕を持って
公表
をすることといたしておるところでございます。
林紀子
114
○林紀子君 客観的な
評価
が難しいからこそいろいろな方法や
観点
がとられるべきだと思うんですけれども、国大協の皆さんが非常に心配していらっしゃる、短期的に非効率と見える
大学
、
学部
、
教員
を探し出してそれにサンクション、罰を与えることを目的とするものであってはならない、こう言っておりますが、これは当然のことだと思うんです。 今、局長はいろいろ挙げてくださいましたけれども、「
大学評価機関
の
創設
について」という
報告
、私これを見せていただきましたら、
教育評価
の部分で、例えばこういう
評価
をするということで六項目ほど挙げてありますけれども、その四項目めに「
教育
成果
、目標の
達成状況
」というのが挙げてありまして、その中で「学生の到達度」というのがあります。小さな黒ぽつで「専門の学芸、幅広い教養及び総合的な判断力など」、こういうふうに書いてあるわけなんです。 でも、果たして学生の幅広い教養及び総合的な判断力などというものが
第三者機関
できちんとはかれるものなのかどうか。先ほど
参考人
にいろいろお話を伺いましたけれども、
教育
の最終的な目標というのは
教育基本法
に書いてあるような人格の完成ということだということになりますと、そういうところまで踏み込んで、そして
評価
をするということが果たして許されるものなのかどうか、そういう問題になってくるんじゃないかと思うんです。そしてしかも、それを
予算
とリンクをさせるということは本当にひどい話だと思うんです。 先ほど最初にお伺いいたしましたときに、この
第三者機関
の
評価
というのはランクづけではないとおっしゃいました。だけれども、こういう問題にまで
評価
をして、それも許せないと思うんですけれども、それにお金まで絡んでくる。まさにこれはランクづけ以外の何物でもないというふうに思うんですけれども、どうですか。
佐々木正峰
115
○
政府参考人
(
佐々木正峰
君) 学生の到達度の
評価
につきましては、それぞれの
大学
の
学部
等が
教育
目的・目標を掲げて
教育
を行うわけでございます。その結果として、御指摘ございましたように、学生が、専門の学芸や幅広い教養、総合的な判断力など、
大学
が期待をしておるような質を備えているかどうかということを
評価
しようと思っておるわけでございますが、その際、各
大学
の
自己点検
・
評価
を基礎としながら、例えば単位修得、進級、卒業、資格取得に関するデータを資料として用い、さらに訪問調査やヒアリングなどを通じて学生の満足度や、学生を例えば採用する企業などの側の満足度などを的確に把握することを通して、
教育
上の
成果
を全体として達成しているかどうかについて
評価
を行おうと思っておるものでございます。 御案内のように、現在、
大学
につきましては、学生に高い付加
価値
を身につけた上で卒業生として
社会
に送り出すことが
大学
の責務として求められておるわけでございます。各
大学
においては、
教育
の目標、目的に従って
改善
充実のためさまざまな取り組みをしておるわけでございますが、その
状況
について客観的かつ正確な
評価
を得て一層の
改善
充実を図っていくことが、各
大学
について、人材養成について求められている責務を果たしていく上で必要なことであるというふうに考えておるわけでございまして、適切な
教育評価
のために
努力
をしてまいりたいと思っておるところでございます。
林紀子
116
○林紀子君 長く御説明をいただきましたけれども、やはり人格にまで踏み込むような
評価
というのは絶対に許されないし、そういうところに手をつけていってしまっては、画一的な
大学
改革
ということを主導していく、まさに人間性まで含めて画一的なものにしていくという方向に引っ張っていくということなんじゃないか、その辺を大変
危惧
するものです。 そして、
大学評価
と
予算
配分とをリンクさせている
イギリス
の例なんですけれども、これもたくさん
問題点
が指摘されているわけです。広島
大学
の安原義仁助教授が紹介しておりますけれども、時間と労力を多大に消費すること、瑣末な形式主義に陥りがちで、
大学
が持っている本来の活力をそぐ危険性があるということ、財政とリンクされていることから、
大学
と
国家
との間で摩擦、緊張をはらんでいること、こういうことを
問題点
、欠陥として指摘しているわけなんです。 そして、大臣にお伺いしたいんですけれども、
国立大学
の理
学部
長
会議
が声明を出しておりますけれども、そこでも
イギリス
の
教育
改革
に対しまして、
予算
配分方式などで新しい試みは取り入れられたが、その結果、現在の
イギリス
の
大学
が以前よりも活性化され、国際的にも重みを増したかというと、必ずしもそうとは言えず、現在もいろいろな問題がある。有名なオックスフォード、ケンブリッジの両
大学
がかつての輝きを失っているように見える。こういうふうに三十一
大学
の理
学部
長の皆さんが、これは独立行政法人に関して言っていることなんですけれども、この中でこう述べていらっしゃるんです。 だから、こういう先例もしっかり見て、そして、
評価
と
予算
をリンクをさせていく、そういうことというのはやめるべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。
中曽根弘文
117
○国務大臣(
中曽根弘文
君) まず、今局長から御答弁申し上げましたけれども、学生の到達度についてのお話もありました。重複いたしますけれども、その学校の目標、目的に沿った
教育
が行われているかどうか、その達成度を見るということは大変大事だと思います。確かに、
評価
を適正に行うということはなかなか難しいこともあるかと思いますけれども、
大学
が
責任
を持って学生の
教育
を行っているか、そして学生がそれを身につけているかどうかということを
評価
することは、私は大切だと思っております。 それから、今、
評価
についてお話がありましたけれども、客観的で公正な
評価
をするということが大前提であります。また、そのための
評価基準
もこれからさらに詰めていかなければならないとは思います。今、
予算
のお話がありましたけれども、資源の配分について申し上げれば、効果的に資源の活用を行う、そしてさらに、
社会
や
国民
の
理解
とまた支援、そういうものを得るためには
第三者評価
に基づく適切な
評価
情報が必要でありますし、その
評価
情報に基づいて、また客観的で透明な方法によって
資源配分
を行っていくということが大切であろうと思っています。 そういうところから、
国立大学
の
予算
配分に際しましてはこの
評価
結果を
参考
資料の一部として使うということも考えられるわけでありますけれども、その具体的な
内容
につきましては、これはたびたび申し上げておりますけれども、この
機構
が行ってまいります
評価
活動
、これの今後の
状況
等を勘案しつつ検討していきたい、そういうふうに思っているところでございます。
林紀子
118
○林紀子君 先進国と言われる
イギリス
がそういう状態だということもきちんと見きわめてやるべきだというふうに思います。 そして、さらに重大なのは
全学
テーマ別
評価
ですね、
大学
の
管理運営
に関するあらゆることがテーマになり得るというふうに言っているわけですが、例えば、衆議院の段階で局長がお答えになっている、
運営
諮問
会議
がどのような
運営
状況
にあるかということまで
評価
対象にすると言っているわけですけれども、この
評価
も
予算
配分とリンクするんですか。
佐々木正峰
119
○
政府参考人
(
佐々木正峰
君)
運営
諮問
会議
は、昨年の
国立学校設置法
の改正によってすべての
大学
、
国立大学
に置かれることとなったわけでございまして、
外部
有識者の
意見
を
大学
運営
に反映させていくという
意味
合いにおいて、今後、
大学
と
社会
との
関係
というものがますます緊密になっていく中で大きな
役割
を果たすわけでございます。 そういった
観点
から、
運営
諮問
会議
がどのような
運営
をなされているかということについて
評価
の対象となり得る、そういう可能性は十分あるという趣旨のことをお答えしたわけでございますが、具体的に
評価
を行ってその
評価
結果をどう
予算
に反映させていくのかということについては、今後の
評価
の実施
状況
なども見ながら検討をしていくべきことであると考えているところでございます。
林紀子
120
○林紀子君 でも、よい
評価
を得る
運営
諮問
会議
の
運営
というのは、例えばどんなふうに考えているんですか。
佐々木正峰
121
○
政府参考人
(
佐々木正峰
君)
運営
諮問
会議
は、例えば
大学
の将来計画であるとか、あるいは自己
評価
、その他
大学
運営
の重要事項について
外部
有識者の
意見
を聞くものでございます。したがって、
運営
諮問
会議
が
大学
運営
について識見を持つ
方々
によって適正に構成をされ、また
大学
運営
の節目節目において適切な回数開催をされ、そしてその
意見
が
学長
に提示をされ、その中でまた必要とされるもの、
大学
の主体的判断でよしとされるものが
大学
運営
に生かされていくことが大切であると思っておるわけでございます。 そのような形での
運営
がなされているかどうかということについては、客観的な判断が可能であると考えているところでございます。
林紀子
122
○林紀子君 その
運営
諮問
会議
であるとか、
責任
ある
意思決定
であるとか、
学長
のリーダーシップであるとか、まさにそういう
大学
の
運営
にかかわるところを
評価
して、しかもそれを
予算
とリンクさせるということは、
大学
の
運営
そのもの、まさに
大学
の
自治
に
文部省
が
予算
をネタに手を突っ込むといいますか、そこに関与をするということになることで、それは絶対に許せないことだと思います。 時間の
関係
がありまして、最後に
文部大臣
にお聞きしておきたいんですけれども、
予算
と
評価
というのを今リンクさせるということを盛んに言っていらっしゃるわけですけれども、今まで
参考人
にもお話を伺いましたけれども、
参考人
がおっしゃっているのは、OECD諸国と比べて
日本
の
教育
予算
が大変少ない、そういうところがあるわけですね。大臣は……
佐藤泰三
123
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 林君に申し上げます。時間です。簡潔に願います。
林紀子
124
○林紀子君 韓国にいらして留学生の受け入れというのも約束していらしたわけですけれども、しかし韓国の留学生が来てみて、余りに
日本
の
研究
施設の大変さ、ひどさについてびっくり仰天して逃げ帰ってしまうんじゃないかというふうに思えるほどの、各国と比べてもひどさなわけです。ここのところを
改革
しないで
評価
と
予算
をリンクさせるということは絶対許せないと思うんですけれども、そこのところはどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。
佐藤泰三
125
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 簡潔に願います。
中曽根弘文
126
○国務大臣(
中曽根弘文
君) 各国の事情に比べまして、確かに
日本
の高等
教育
に対する公財政支出というのは低いわけでございます。
大学教育
の重要性というものを十分かんがみまして、財政事情厳しい中でありますけれども、
予算
の充実に十分努めていきたい、そういうふうに思っております。
佐藤泰三
127
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 他に御発言もなければ、
質疑
は終局したものと認めて御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
佐藤泰三
128
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 御異議ないと認めます。 これより討論に入ります。 御
意見
のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。
畑野君枝
129
○畑野君枝君 私は、
日本
共産党を代表して、
国立学校設置法
一部改正案に対する反対の討論を行います。 医療技術短大の廃止については賛成ですが、定員削減や
大学評価機関
の
設置
には問題があり、反対するものです。 反対の理由の第一は、この
評価機関
の行う
評価
が、国などの
予算
配分に直結することにより、
評価機関
のよい
評価
を受けるために長期にわたる基礎的
研究
を避け、短期で
成果
の上がる
研究
や
政府
の奨励する
研究
等に偏る危険性が大きいことです。とりわけ
基盤
的
研究
経費を
予算
配分にリンクさせるならば、
大学
間
格差
をさらに広げるばかりか、
我が国
の基礎的
研究
を衰退させるなど
大学
の
教育研究
をゆがめることになり、許されるものではありません。 さらに、
教員
人事
や
大学
運営
全般まで
評価
項目としていることは、
大学
運営
への介入にほかならず、
大学
の
管理運営
まで画一的な方向に誘導しようとするものであります。 第二に、
評価機関
が国・
文部省
から独立した文字どおりの
第三者機関
としてではなく、
学位授与機構
という、
大学
に比べ
文部省
の意向が反映されやすい
機構
に
設置
されることです。こうした
機関
が
大学評価
を行うことは、
大学評価
の
客観性
を損なうばかりか、国・
文部省
の意向に沿った
大学評価
を進めることにつながりかねません。 このように、今回の
評価機関
設置
は、
大学
の自己
改革
の
努力
を励ますものではなく、逆に
政府
・
文部省
の介入や統制を強め、
大学
を変質させるものと言わなければなりません。 今求められているのは、OECD諸国と比べて著しく低い
我が国
の高等
教育
予算
を抜本的に増額することであります。そして、狭くて古い
研究
室など貧困な
教育研究
条件
を
改善
することにこそ力を注ぐべきであります。 私はこのことを強く要求し、反対討論を終わります。
佐藤泰三
130
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 他に御
意見
もなければ、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
佐藤泰三
131
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 御異議ないと認めます。 これより採決に入ります。
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
に賛成の方の挙手を願います。 〔賛成者挙手〕
佐藤泰三
132
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。 この際、石田美栄君から発言を求められておりますので、これを許します。石田美栄君。
石田美栄
133
○石田美栄君 私は、ただいま可決されました
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
に対し、自由民主党・自由
国民
会議
、民主党・新緑風会、公明党・
改革
クラブ、
社会
民主党・護憲連合、自由党及び参議院の会の各会派
共同
提案による附帯決議案を提出いたします。 案文を朗読いたします。
国立学校設置法
の一部を改正する
法律案
に対する附帯決議(案)
政府
及び
関係
者は、この法律の実施に当たっては、次の事項について特段に
配慮
すべきである。 一、
大学評価
・
学位授与機構
による
大学評価
の実施に当たっては、客観的で公正な
評価
を確保するため、
評価
委員
及び専門
委員
を幅広い分野から選任するとともに、
評価
の基準、方法等を
公表
し明確にすること。 二、
第三者
による
大学評価
を行うに際しては、その本来の趣旨が、各
大学
の
教育
及び
研究
の
改善
に資するためのものであることにかんがみ、各
大学
の個性や多様性並びにその自律性に
配慮
し、
評価
結果の活用には十分留意すること。 三、高等
教育
に対する新たな
時代
の要請に十分こたえることができるよう、
大学等
の
教育研究
体制
のより一層の充実を図るため、財政措置を含めた必要な諸
条件
の
整備
に努めること。 右決議する。 以上でございます。 何とぞ
委員
各位の御賛同をお願い申し上げます。
佐藤泰三
134
○
委員長
(
佐藤泰三
君) ただいま石田君から提出されました附帯決議案を
議題
とし、採決を行います。 本附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。 〔賛成者挙手〕
佐藤泰三
135
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 多数と認めます。よって、石田君提出の附帯決議案は多数をもって本
委員会
の決議とすることに決定いたしました。 ただいまの決議に対し、中曽根
文部大臣
から発言を求められておりますので、この際、これを許します。中曽根
文部大臣
。
中曽根弘文
136
○国務大臣(
中曽根弘文
君) ただいまの御決議につきましては、その御趣旨に十分留意をいたしまして対処をしてまいりたいと存じます。
佐藤泰三
137
○
委員長
(
佐藤泰三
君) なお、審査
報告書
の作成につきましては、これを
委員長
に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
佐藤泰三
138
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
佐藤泰三
139
○
委員長
(
佐藤泰三
君)
教育職員免許法等
の一部を改正する
法律案
を
議題
といたします。
政府
から趣旨説明を聴取いたします。中曽根
文部大臣
。
中曽根弘文
140
○国務大臣(
中曽根弘文
君) このたび、
政府
から提出いたしました
教育職員免許法等
の一部を改正する
法律案
について、その提案理由及び
内容
の概要を御説明申し上げます。
平成
十五年から高等学校の
教育
課程に新設される教科「情報」及び「福祉」を担任する
教員
の養成確保を図るなど、高等学校等の新しい
教育
課程への対応を図る必要があります。 また、
社会人
の有する専門的な知識、技能を広く学校
教育
に生かすため、学校
教育
への
社会人
の活用を促進するとともに、
社会人
から
教員
となった者の資質、能力の
向上
を図ることが重要であります。 さらに、
教員
の資質能力の
向上
を図るため、
教員
が
大学等
において所定の単位を修得することにより上位の免許状を取得できる
制度
の
改善
を図る必要があります。 今回御審議をお願いする
教育職員免許法等
の一部を改正する
法律案
は、以上の
観点
から、
教員
免許
制度
の
改善
を図るものであります。 次に、この
法律案
の
内容
の概要について御説明申し上げます。 まず第一に、高等学校の教科の改正に伴い、高等学校の
教員
の免許状に係る教科として、「情報」、「情報実習」、「福祉」及び「福祉実習」を新設することであります。 あわせて、必要な
教員
を確保するため、工業または看護等の教科の免許状を有する者で所定の講習を修了した者に、「情報」または「福祉」の免許状を授与することができることとするものであります。 第二は、専門的な知識または技能を有している
社会人
に免許状を授与する特別免許状
制度
について、所定の在職年数と単位の修得をすることにより普通免許状を取得できる
制度
を設けるものであります。 第三は、専修免許状の質及び水準を確保し、
教員
の資質能力の維持
向上
を図るため、一種免許状を有する
教員
が専修免許状を取得する際に修得することが必要な単位数が在職年数に応じて逓減する措置を廃止するものであります。 第四は、
平成
十二年から、盲学校、聾学校及び養護学校の
教育
課程における「養護訓練」を「自立
活動
」に改めることに伴い、盲学校、聾学校または養護学校の「自立
活動
」の免許状を有する者が引き続き他の学校において「自立
活動
」の教授を担任できるよう、「養護訓練」を「自立
活動
」に改めるものであります。 最後に、この法律は
平成
十二年七月一日から施行することとし、ただし、「養護訓練」から「自立
活動
」への改正については同年四月一日から施行することとするものであります。 以上が、この
法律案
の提案理由及びその
内容
の概要であります。 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださるようお願い申し上げます。
佐藤泰三
141
○
委員長
(
佐藤泰三
君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。 本案に対する
質疑
は後日に譲ることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後三時四十九分散会