○
田名部匡省君
家庭の責任、親の責任、どこからどこまで親が責任を持って、
先生方がどこまでの責任かというのは、全く私は前からおかしいと思っているんです。大体、就職の世話から、夜繁華街へ行って生徒が出ているか、遊んでいるかという、そこまで
学校の先生の責任でしょうか。
アメリカなんというのは、
学校ではたばこを吸わせないけれども、門から出たらもう一切
家庭の責任ですよ。そこまで先生に求めるというのも大変ですし。だから、
家庭が
一体どこまで責任を持つのか、
学校の先生の責任というのはどこまでなのか、こういうことだってはっきりしていない。
そういうことをやるから、ああ、何かしてくれるんだと。これは
日本の一番悪いところですよ。困れば国が何とかしてくれる。自分で何かやろうという気は全然ないでしょう、
国民に。だから、もう少しそういうことも親にきちっとして、そうか、
学校の門を出たら私の責任だなというぐらいのことをやっぱりやっていかないともう大変でしょう。
そして、こんな事件がどんどん起きてくると先生がノイローゼになっちゃう。私は昔、
文教におきまして、
学校の先生でノイローゼが何千人おります、今はどのぐらいおるかわかりませんけれども、ノイローゼの先生から教わった
子供は
一体どうなるのかと、前の有馬
大臣のときも私はこういう
議論を言ったんです。ですから、インターンのように、三年ぐらいは試験受かったら先生だなんて言わせないで、本当にこの先生は三年後に先生として大丈夫だというところから正式の先生にするとか、いろんなことをもっともっと
議論して、本当に
子供たちもたくましく育つような、そんな仕組みというものを
考えていかないと、会をいっぱいつくったって、これをつくればよくなるんだったら、この間の東海村の事故だってそれは大丈夫ですよ。大体あれは、あんな事故が起きるという想定が全然してなかったんですから、普通の原子力発電所と違って、中性子なんというのは。だから、起きたから今度はびっくりしちゃった。
私は、よく責任問題を言うんです。今度のロケットでも何でもそうですよ。なれてくると事故というのは起きるんですよ。
最初のころは慎重にやる。だから、原発だって何だって、事故が起きるときというのはもうなれて、自動車の運転もそうですよ。取ったばかりは慎重になっている。なれてくると片手で運転して事故を起こすというようなものだと思うんですね。
しかも、あの事故が起きたときに、何かバケツを使ってどうのこうのという、下の人だけの責任になっちゃっているでしょう。そういうシステムをつくった責任、事故が起きたらどうするかという責任は
一体どこへいったのかわからぬ。
しかも、何時間にもなって、夕方になってから退避命令が出たと。その間にもう相当の人が、亡くなった人もおるし、汚染された人たちもおるんでしょう。そういうのをずっとさかのぼっていったら、
一体だれの責任だったのか、これは。しかも
学術会議やいろんな
会議があっていながら、さっと行かない。そんなことなら、
現場に一人常駐して、事故が起きたらとりあえず避難させるとか、屋外だとか、いろんなことをそこでぱっとやるようにしなきゃ。総理官邸まで来て、そこで
会議やって何かやっている間にどれだけ汚染されるか。
会社は責任があるのは当然ですよ。しかし、従業員までの責任を問われたって、あの人たちはそんな
知識も何もなくてやっておったのかどうかわかりませんからね。ですから、そういういろんなことを
考えると、責任というものをやっぱり明確にする、これがなかったら何かうやむやになると思うんですね。新潟県警を見ても、だれの責任だったのか、もう全然うやむやになって終わっちゃった、こう思います。
特に、六ケ所村でまた爆発事故が起きたと。人体に多少影響があった
程度ですけれども、いずれにしても、会をつくったら、会にもう少し責任があるんだというのでなければ私はだめだと思うんですね。もう時間のようですから、これはまことに残念ですが。
きょうは体育
局長にも。冬季アジア大会以来ごたごたもめていまして、東京オリンピック以来、いろんなオリンピックや国際大会やったけれども、初めてあんなにもめておって、私は、大阪のオリンピック誘致に影響を与えちゃいかぬとか、いろんなこと
考えるんです。
一つだけお
伺いしますが、
最初は八億円でやれると、それが五十六億になったからけしからぬとやっているようですけれども、こんなのでもめた国際大会というのはありますか、国内で。