○椎名素夫君 椎名でございます。
この
赤字財政、特に
特例公債のことについては一体どういうふうに
考えればいいのかなということをずっと二十年近く
考えてきましたけれ
ども、いまだに自分の胸にすとんと落ちる結論みたいなものは全然浮かんでこない。きょうのやりとり、その中での
財政法にまつわる
お話とか、あるいは今の
状況に対して
宮澤大臣が言うならば言語道断であるというようなことまでおっしゃった率直なやりとりを聞いて、ますます混乱をしているというのが実は現状であります。
この間の
お話では、別の話でしたけれ
ども、プラザ合意までさかのぼりましたが、きょうはもっともっとさかのぼって、実は私は
昭和五十四年に代議士になりまして、五十五年の大蔵
委員会でこの
特例法の審議に参加しておりました。それをもう一回読み返してみたんです。このときはおもしろいねと思ったんですが、大蔵省からいただいた「
財政の歩み」というグラフがありまして、
昭和五十五年は「
財政再建の第一歩」と書いてあるんですね。なるほどそうだったのかなと思っておりますけれ
ども、実際、
特例公債が少しふえて、これは大変だという、それこそ危機感が
昭和五十五年ごろはあった。それで、
赤字公債を出しますがひとつお認めを願いたいというのが恒例になった
特例公債の審議であります。
ただ、このときにはまだ相当恥じらいがございまして、この
趣旨説明で、これは竹下
大臣だったんですが、「
特例公債の
発行によらざるを得ない
状況にあります。しかし、このような措置はあくまで
特例的な措置であり、
特例公債に依存する
財政からできるだけ速やかに脱却することが
財政運営の要諦であることは申すまでもありません。」ということが
趣旨説明に入っておりました。
結構皆さん真剣にこのときはやったように私は代議士になった初めですから思って、私もいろいろ
質問したりしたんですが、ことしまた恒例となった
特例公債の
趣旨説明を拝見すると、非常に機械的であって、今の情勢の中でいろいろと支出を
考えないといけない、そこで、「
公債につきましては、
財政法の規定により
発行する
公債のほか、二十三兆四千六百億円に上る多額の
特例公債を
発行せざるを得ない
状況にあります。」、それしか書いていないですね。
書いても
意味のないことはしようがないということなんでしょうが、お金が要ります、だけれ
ども足りません、だから出しますという格好で、何年前ですか、
昭和五十五年あたりのためらい、恥じらいのようなものはどうも感じられない。これはやっぱり問題だと思うんです。
しかし、
宮澤大臣の
お話を聞いていると、私はこの間も申し上げましたけれ
ども、いろんなことからよくわかっておられると、物事は。だからしようがないかと。例えば、先ほどおっしゃったけれ
ども、この
需給ギャップの深さというのもわからないし、いつこういうことをやらないで済むようになるか率直に言ってわからぬとおっしゃった。わかったようなことを言う人は信用できないんですが、どうも全体やっていることは言語道断であるけれ
ども、そこに物のわかった
大蔵大臣がおられるというのは非常に困惑するんですね、ただただやっつけようといういう気にもならないし。
そこで、私は思うんですが、おとといの話を
思い出しますと、この後、
財政だけじゃなしに
経済全体にわたってのパラダイムの変化は起こり始めているし、また起こるだろうと。それを
考えながら、
大臣のおっしゃる大きな作業ですか、このモデルをつくっていくという
仕事があって初めて先に進むことができるんじゃないかとおっしゃる。私も全くそう
思いますし、恐らく
政務次官なんかも全く同一だろうと思うんです。
ところが、そういうことには二段階あって、物事は、変わってきたらそのパラダイムを後から追っかけるということもあるかもしれないけれ
ども、それをどういう方向に進めるかというプロセスが
一つその前にある。これは言ってみれば、こちら側ではブレーキをかけて、こちら側ではブレーキをリリースするというようなことがあって初めていいバランスに持っていけるのだろうと思うんです。
改革という
言葉をよく使われますが、
改革というのは前の古臭いものをぶっ壊せというのがまず先に立ちますね、どんとブレーキをかけてしまえと。私は気になるんですけれ
ども、ブレーキを一体どういうふうにかけるかということです。
大分前ですが、原子力船「むつ」というのがありまして、これはみんなの厄介者で、これをどうしようかということで、おまえが始末をつけろと言われて実はやったことがあるんです。おしまいに極めてうまく実験までやって往生しまして、そして今は原子炉を抜いて海洋観測船に生まれ変わっておりますけれ
ども、そのときにジャーナリズムの諸君が私のやったのを見ておって、随分手ぬるいなと言ったんです。それで私は言ったんですが、とにかく六十キロ、七十キロで走っている車をとめようと思ったら、その場でとめろといったらコンクリートの壁にでもどんとぶつける以外にない、やっぱり制動距離というものが要るんだということを言ったんです。
よくこのごろ諮問
委員会とかなんとかおつくりになるのがお好きですが、ああいうところに集める人たちはそれを余り
考えない人が多いんですね。とめてしまえというようなことで、何でもいいからその場でとめろと。制動距離というもののはかり方がわからない人がいて、それが二十一世紀のパラダイムはこうだというようなことを割に勝手におっしゃったりする方々がおられると私は思っております。
一方、制動距離というのは十分とっておかないと、五十メートルでとまるでしょうけれ
ども、そこでとまらなかったらどうするんですか、やっぱり百メートルはとっておかなきゃという方々もおられて、これは言っちゃ悪いけれ
ども、官僚の諸君などはどうもそういう気になる傾向が多い。
その
両方をうまくバランスをとりながら、いかに速いスピードでいい格好に持っていくかというのが政治であろうと私は思っておりますけれ
ども、そこの場所にきちっと制動距離もわかりパラダイムもわかる人がいるかどうかということは非常に大事だと思うんです。たまたまそういう
大臣がおられるということは、私の
考えにとって非常に混乱を与えるところであります。
ただ、気になりますのは、先ほど言いましたような
趣旨説明のところでの違いです。この気分ですと、要る金はみんな借金して持ってきてしまおうというような、どうも今の内閣の方々を見ていても、多数はこういうことをやっていることについて余り心の痛みがない、それがとても気になるんです。私は、国会、もちろん内閣などをやっておられる方は、十分にそういうことを
考えながら、一文でも落ちているわけじゃないんだから、十円でも何でも大切にするという気分をきちっと持っていただくということは非常に大事であるし、また我々国会議員としても、これは大変なことなんだということ、先ほどの
財政法をどうするかということもその中にある大きな問題かと
思いますが、そういうことを
考えながら常に暮らしていないと、後世、二〇〇〇年に内閣や国会をやっていた連中は一体何をやっていたんだということになりはせぬかということを大変に恐れております。
質問じゃないみたいなことでございまして、これで演説は終わりますが、御感想があればぜひおっしゃっていただきたい。