○今井澄君 私は、確かにこの原因は何かというのは非常に難しいので、社会全体の
少子高齢化というのは何か暗い世の中のような受けとめ方がされている、あるいはそういう宣伝がされている、そういうことが大きな背景に
一つあるんだろうと思いますけれども、私は、事
年金制度に限って見ると、これは
説明をするという
意味でも四つに分けて
考えたらいいんじゃないかと思うんです。
一つは、
年金が三階建ての構造になっていますね、現在。例えば、一階の
部分、
基礎年金が先ほどのお話のように空洞化していると。それでこれはマスコミがどんどん宣伝するわけですよ。ああ、空洞化しているのかと。空洞化というのは、要するにもう
基礎年金なんというのは掛けたってもらえないんだなというふうに思うわけですよ。それが
一つ私はあるんじゃないかと思うんです。
それから二番目には、二階
部分ですけれども、今、
大臣がちょっと言われた五年ごとの財政再
計算。
この五年ごとの財政再
計算についてちょっとお尋ねいたしますが、これは
国民年金法を読んでみました。
国民年金法の第八十七条の三項というところですね。そこに何と書いてあるかというと、「少なくとも五年ごとに、この基準に従つて再
計算され、その結果に基づいて所要の調整が加えられるべきものとする。」と、こう書いてあるわけですね。この基準に従ってというのが第八十七条の
保険料の規定だと思います。
そうすると、これを読むと、五年ごとに
年金制度を見直すんだとは書いてないわけですね。五年ごとに財政再
計算をしてみたら、ちょっと金が足りなくなったから
保険料を上げなきゃならないけれども幾ら上げるとか、あるいは場合によっては
給付水準をこのまま続けるとちょっとまずいから、じゃ
給付の方を少し減らすかとか、そういう金目の
計算を五年ごとにやって調整をするというのが趣旨であって、五年ごとに
制度そのものを見直すということはここに書いてないと思うんですよ。だから、今出ているこの法案も、前回五年前に出た
改正法案も、この
法律の五年ごとの財政再
計算とはある
意味では関係ない。抜本
改革を五年ごとに何かやってきているということになっていると思うんですね、五年ごとの財政再
計算を
一つの
理由にして。
世界の国を見てみると、
年金制度というのは非常に長いものですよね。
医療制度とか
介護制度というのはもう単年度主義です。
保険料を払ってその年その年で締めていくわけですが、
年金というのは四十年掛けなきゃならない非常に長いもので、
制度を変えたって四十年かかるわけですよね、完全に新
制度に切りかわるのに。そういう
意味では、これは非常に長いのに、その
制度の見直しを五年ごとにやってきているというのは私は非常に問題だと思うんです。世界のどの国を見ても短くても十年あるいは二十年でやっているんですね。今、世界各国、例えばスウェーデンも今度は違った
制度にする。だけどそれは長い時間をかけて議論をして、またそれもか
なり何年後かからやるということなんです。五年ごとにやってきているというのは私は非常に問題だと思うんですよ。
特に、五年ごとに
給付水準は下げられる、もらえる年齢は六十が六十五に
なり、
基礎年金が六十五に
なり、そして定額
部分が六十五に
なり、そして今度は報酬比例
部分も六十五になるという、言ってみれば逃げ水ですよね。掛けているんだけれども、五年ごと五年ごとに見直しと称してもらえる年齢は先延ばしされる、もらえる額は減らされる。これじゃやっぱり不信が募ると思うんですね。これが二点目だと思うんです。
それで、三点目は三階
部分についての、これはやっぱりマスコミの責任というのも非常に大きいと思うんですけれども、いわゆる
企業年金、
厚生年金基金です。これが積み立て不足で
解散するところが続々出てきたという話がどんどん出る。これは自営業者に一切関係ない話なんです。サラリーマンだって、これに関係するのはある
意味で恵まれたサラリーマンだけなんです。それがマスコミなんかの報道でも、
年金制度の根幹であるかのように、ぼんと一面トップかなんかで何とか基金が
解散したなんて出るわけでしょう。そうすると、ああ、
年金はだめなのかなと。一万三千三百円も払って、もらえないんじゃないかと。三階と一階とを結びつけて
考えるということがあると思うんです。私は、報道の仕方にも問題があるし、そういうことをきちっと
説明しない
厚生省にも問題があると思うんです。
確かに、
年金のことでも広報をやっておられるでしょうけれども、私は今度の
介護はすごい広報活動をやっていると思うんです。この前、さるところへ行ったら、新幹線の駅のところに
介護保険が始まりますと大きな看板が出ていたり、
介護保険をまだ知らないという人が五割いる、四割いると言われますけれども、全く新しい
制度で、こんなに二年か三年で導入しようとする
制度を五割を超える人が今一応知るようになったというのは、これは大変な努力の結果だったと思うんです。市町村にも御努力いただきました。
ところが、この
年金の問題でこれだけ不安が広がっているのに、例えば
厚生年金基金の積み立て不足、
解散と
基礎年金は関係ありませんよというようなことを、そういう報道が出るたびに何でいち早く
厚生省はやらないのか。こういう努力を欠いたまま、今度の法案のようにもう二階
部分だけに、それこそ馬車馬のようにそこのところに視点を絞って強引にやろうとするから、ますます不安が広がると思うんです。
私は、高山先生が最近出された本、これは非常にいいことというか示唆に富むことが書いてあると思うんです。「
年金の教室」という最近出た新書です。この二十四ページに「
経済オンチの
年金官僚」と書いてあるんです。「
厚生省の
年金改革チームが危機感をバネにして
年金改革を成しとげようとしたことは、だれも責めることができないだろう。」と。
そうだと思うんです。
皆さん方は、
年金を預かる
立場として、このままいったら崩壊してしまう、公的
年金を守らなきゃならぬと必死のあれで五つの選択肢を出し、そして
計算をしてみたら、
保険料を三十何%に上げるわけにいかないから、
給付水準も下げましょう、六十五歳にもしましょうと一生懸命になってやったんだと思うんです。
「だれも責めることができないだろう。ただし「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という。危機感に訴えるのであれば、なにをやってもよいというわけではない。
年金不安をしずめ
年金不信を払拭して
年金行政への信頼をとりもどすことも重要な
課題であったはずである。」と。
去年のいわゆる
年金白書、「二十一世紀の
年金を「選択」する」、これは五つの選択肢を示しました。私は、これは
厚生官僚として、
年金官僚として一歩大きな前進だと思うんです。こうやって情報公開をして、この場合はこうなる、この場合はこうなると五つの選択肢を示して、さあどうしましょうと、こういう問題の投げかけ方は私は評価します。だけれども、これに決定的に欠けていることがあるんです。何で
保険料が三四・五%になるんですか。
基礎年金を税方式にするという有力な意見、しかもこれは決して少数意見じゃありません。これは
年金局の中では少数かもしれない、あるいは自民党さんの中では少数かもしれないけれども、与党の中にだって強力なそういう意見があるわけです。学者の中にも多いわけです。そうすると、もし
基礎年金を税方式にすれば、例えばこれは高山先生もそういうことを書いておられますけれども、一挙に例えば消費税を上げられるかどうかは別としまして、これだって
説明すればそうですけれども、
保険料が四%ぐらい下がるんです。そうすると、将来三〇%を超えるなんてことはあり得ないという
計算をちゃんと出しているんです。学者でもむしろ今は少数派じゃないですよ、こういうのは。
そうすると、この去年の
年金白書の間違いは、二階
部分だけ見たらいいでしょう、五つの選択肢。だけれども、大事な大事な一階
部分、これに手をつければ、しかも税方式にすれば、未
加入者だとか未納者だとか、そういうものはなくなるわけです。無
年金者もなくなる。そういうことを検討した上での五つの選択肢じゃないんです。そういうものを全部無視した五つの選択肢、ここに先走りがあり、高山先生の言う「過ぎたるはなお及ばざるが如し」、その結果、不安を広げて消費も冷え込んでいる。だから「
経済オンチ」と言うんです。
年金に熱心な余り、日本
経済は大変問題だと思うんです。
それからもう
一つの問題は
世代間の問題。掛けただけもらえなくなる。これは
年金白書にありますが、昔は何倍ももらえたんですね、掛けた額の。これからはどう見たって二倍なんてもらえない。事業主の掛けてくれた分も含めればそれ以下の
年金しかもらえなく
なりますよ、今のままでは。そういうことが書いてあるんです。ただ、この
計算が本当に正しいのかどうか、私は信じ切れないところがあるんですが、自分の掛けた
年金よりはもらえるんですよ、必ず、今のままでいったとしても。例えばそういうことも広報としては大事だと思うんです。
だから、そういうことについて、
大臣、いかがでしょうか。