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今井澄君
国民負担率の
議論をやっても何か観念論というか、空中戦みたいになるから私もそんなにやりたくないのですが、もう一言申し上げますと、先ほど申しましたように、私はまず
国民負担率というこの言葉自身が全く国際性がない。
日本だけの言葉ですし、
意味も非常に問題だからやめた方がいいということを前々から申し上げてきています。
先ほ
ども申し上げましたように、この研究会でも個人の稼ぎから強制的に徴収される割合というふうに
理解される。ある一流新聞がトップ記事に
国民負担率五〇%ということは給料の五〇%を税金と
保険料で持っていかれるんだという解説を書いているんです。何てあほなことを一流新聞の記事が。
ところが、
大臣お笑いになりましたけれ
ども、
大臣の書かれた二百二十三ページにも「
国民負担率が五〇%を超えれば、
国民が自ら使える可処分所得は五〇%を下回ることになる。」というこの表現、これは個人で見れば今の間違いと同じなんです。
大臣は、これは
国民経済全体で見ておられると思うんです。だけれ
ども、こういう表現にすると
国民はどう受け取るかというと、へえっ、
保険料と税で給料の半分持っていかれるの、こう思うわけです。
今、例えば
国民負担率は三六%前後ですか、ここま
たちょっと下がったと思います。実際の給料の中から支払っている
保険料と税金は一七%ぐらいですか、要するに半分よりちょっとなんです。というのは、税というのは企業も払っているわけです。
保険料も労使折半で、企業も払っているから、サラリーマン一人にとってみれば
国民負担率の約半分ぐらいが給料の中から引かれる額なんです。
だけれ
ども、この
国民負担率という言葉を使うと、まさに
大臣ここに書かれて、これは誤解されるから訂正された方がいいんですが、「
国民負担率が五〇%を超えれば、
国民が自ら使える可処分所得は五〇%を下回ることになる。」というと、
国民は、へえっと思うんです。こういう間違った言葉は使ってはいけない。だけれ
ども、
大臣は引き続いてこういうふうに書かれているからマクロで使われていると私は
理解しているんですが、これは誤解を生みやすいんです。その後に「これはいわゆる「大きな政府」であり、
民間部門はそれだけ狭められる。」云々と、要するにここで大きな政府、小さな政府論が出てくると思うんです。
これまでの封建社会あるいは誤解を恐れずに言えば社会主義的な社会も、あるいはその他の国でも幾つもあったわけですが、どちらかというと
国民の
皆さんから税金なり
保険料をたくさんお預かりして
国民の
皆さんにやってあげる、これが大きな政府だと思うんです。
ところが、そうすると
国民は依存的になるし、
考えなくなるし、もっと自分で自由に使えた方がいいんじゃないかという話もあるのでできるだけ低く抑えようということですが、でも私は社会保障に限っては単純にそう言えないと思うんです。
例えば、年金の掛金をいただくかわりに、
皆さん、これは天引きしませんから全部自分で年金を
民間でも何でもいいからやってくださいといって、それでやっていける人なんてまずいないと思うんです。
医療だってそうです。
民間だけに任せたら
病気にならない元気な人
たちだけの
保険ができちゃって、病弱な人は
保険に入れてくれないわけです。いわゆるクリームスキミング、
民間だけに任せれば。だから、公がそういうことの起こらないようにということで、どうしてもある程度やらなきゃならないわけです。
私は、大きな政府、小さな政府というときには、社会保障についても
考えるけれ
ども、むしろそれ以外の分野で大き過ぎる政府の問題点というのを
考えた方がいいと思うんです。例えば公共事業です。巨大プロジェクトです。それは道路はみんなのためにつくるのでしょう。いろいろありますけれ
ども、必要なものも当然あるでしょうけれ
ども、やっぱりああいう
ところから大きな政府、小さな政府の問題をやって、いきなり社会保障の分野でそれだけ
議論されちゃうと困るんです。ですから、総理の有識者懇談会の中ではそういう全体の中で
考えていただかないと、社会保障の分野だけで小さな政府だけやられちゃうと、年金も
医療も自分勝手にやりなさいよということになりますよね。
それともう
一つ、少子高齢社会というのは大変な問題で、国がやらなきゃならないという昔と違った状況が出てきていると思うんです。昔は子育ても家族でできたのです。年をとった親の扶養も家族の中でやり切れたのです、お年寄りを養って、小遣いをやって。だけれ
ども、それができなくなったから国がかわる
制度として年金だとか子育て支援をやらなきゃならなくなってきた。そういう
意味では、余り小さな政府小さな政府ということでいきなり社会保障にぶつけてあれするととんでもないことになる。大きければいいと私も思いませんけれ
ども、ぜひその点はお願いしたいので、この厚生白書の七十四ページから七十六ページ、私もしっかり読ませていただきましたし、こういう方向でこれからぜひ
厚生行政の方をお願いしたいというふうに思っております。
そこで、さっき
医療の問題から入ったわけでありますけれ
ども、
介護の問題についてちょっとお話を進めたいと思います。
十月六日に亀井政調
会長が何か
日本の美風というような発言をされて以来大混乱がありまして、最終的には十一月五日ですか、政府の見直し案というのが三党の協議の上に成り立ったわけです。その結果として、半年間
保険料は徴収しない、その後一年間は半額にするというふうなことを含めて出たわけですが、私は、もうとんでもない話だということで、私も先ほどから申し上げておりますが、
丹羽厚生大臣と一緒にこの
介護保険をつくる初めから法律を仕上げて
国会に出すまで、そして
国会の審議の中でも一緒に頑張ってきた立場で、もうとにかくこの土壇場に来ての見直しに物すごく頭にきたんですが、それから二、三カ月たってみますと、ああいうどたばた劇もまんざらではなかったな、副作用というか、いい効果を生んでいるという気がするんです。
それは、最近の新聞を読んでみますと毎日
介護に関する記事があって、もう枚挙にいとまがないぐらいですが、それぞれの市町村がいろいろなことをやり出したんです。
例えば品川区などは、これは一月の新聞記事からちょこちょこっと拾っただけでも、家族への慰労金は支給しない、国がそう言ってもやらないよというのが品川区とか、そのほかどんどん出てきています。それから、認定されなかった者への独自のサービスは、去年の春の段階では三割ぐらいの市町村しかやる予定がないと言っていたのが、もう最近続々出てきました。当然のことです。これに
厚生省も力を入れていることは私はいいことだと思います。それから、北九州市は標準契約書を条例化して使えと言った。これも
当たり前のことです。
それから、私の地元の新聞を見ていたら、中条村という
ところが低所得者の利用料を減免するなんというのが出てきた。宮崎市では、認定審査会だけであれだったら、その上に調整
委員会をつくって再調整をするということをやり出した。田無市は、民活、民活と言うけれ
ども、特に認定外や軽度の人を
中心に、自治体みずからもう一度ホームヘルパーを雇い直してちゃんと市で派遣するというふうなことも始めた。北海道の奈井江町は、サービスは実質三月から始めるんだと。料金はいただくわけじゃないし
保険料は四月からだけれ
ども、サービスは三月からやる。武蔵野市は、在宅サービスの自己
負担比率は一律三%にするとか、川崎市は低所得者の
保険料を免除するとか、高知市や野田市は国保加入者の若年の
保険料を四分の一に軽減するとか、いろんなことを始めたんです。それから我孫子市が、これは昨年ですけれ
ども、認定の
基準を独自に何かやる。
それで、
厚生省も慌てて市
町村長をお呼びになったりいろいろなことをやっておられるようですが、最近の
傾向としては、いろいろなことをできるだけ法の趣旨に反しない限りで市町村に任せるという方向で御指導をされていると。私は大変いいことだと思うんです。市町村が、ある
意味で言ったら国が当てにならないと、かっと頭にきて勝手なことをやり出した。まさに地方分権、ある
意味では勝手なことをやり出したことはいいことだと思うんです。
中には余り賛成できないようなこと、例えば高知市が
保険料を四分の一にまけるなんて本当にやっていいのかなと疑問も持ちますが、それぞれいいか悪いかは別として、勝手におやりになって実験していくことはいいことのように思うんです。そういう
意味では、やっぱり国が当てにならない、いいかげんだということがわかっただけでもこの
介護保険、地方分権で仕組んだ
意味が今生きてきたとむしろ喜んでいる面があるんです。
しかし、そこでやはり
厚生大臣、
介護保険をつくり育てようと思っている立場として、
介護保険制度にいろんな問題点があるんですが、かなり根本的な欠陥があると思うんです。それは
大臣も御記憶だと思いますが、この法案を
国会へ提出する最後の段階になって
介護保険法第一条に「
医療」という二文字が入ってきた。これは当初の原案にはなかったはずなんです。私は、これが
介護保険制度の根本的な欠陥というか混乱をもたらしてきているんじゃないかと思うので、次期見直しのときには絶対法律
改正をすべきだ、これはかつて宮下
厚生大臣のときにもこの
委員会で主張をしました。
どうしていろんな問題が起こってきているかというと、例えば
介護保険料が高い市町村は、いわゆる
療養型
病床群がどっとこっちになだれ込んできて、それが月四十何万かかるというので、それで
保険料が上がるということがあるわけです。
ところが、何で
療養型
病床群が特養、老健に比べて四十何万も高いお金を払わなきゃならないのか。それは、そこに入っている
患者さんというか要
介護者が重度な方が多い、だからその分お金がかかると
考えると、これは大間違いですよ。
そもそも、この
介護保険制度を検討する初め、一九九五年でしたか四年でしたか、
厚生省にできた
高齢者介護・自立支援システム研究会、この報告の中で、特養、老健、
療養型
病床群、ここに入っているお年寄りを見ると、たまたまのきっかけでどこかに入っただけであって、中に入っているお年寄りはほとんど
関係ないよ、同じようなものだよ、こういう
議論から始まってこの三施設の統一が出たけれ
ども、できないままに来たわけです。
そこで問題なのは、この
療養型
病床群は百人に対して
医者三人、それから
看護婦が十七人いなければ許可されないんです、
医療法で。それで、
医療法で許可されたものを
介護保険で引き取るわけでしょう。ここにおかしい
ところがあるんです。
介護保険法で、いや、
介護の施設は百人に対して
医者一人でいいですよ、
看護婦も十人もいればいいですよとすれば、四十何万払う必要はないんです。だから、
医療の方の施設をそのまま
介護に持ち込んだ
ところに私は問題があると思うんです。
しかも、今特養や老健はもう決まった額でやっていて、
医療が必要になったらお
医者さんにかかってうまく解決しているわけです。
ところが、
療養型
病床群の場合に、
病気が急性になったりしたらどうするか。それは
医療の方へ移しなさい。移せない
ところでは、
療養型
病床群でやって
介護の
保険料も払うけれ
ども、ほかに
医療費からも払いますなんて変なことになっちゃっているんです。
私は、これは解決すべきだと思うんです。本来、
保険と
医療と福祉は連携すべきものです。それはもう間違いないです。線を引くことはできません。しかし、
制度としてお金の払い方、財布ははっきり分けるべきだと思うんです。だから、私は、
介護保険法第一条から「
医療」を削除して、
介護保険から報酬をもらう施設は
医療法で
基準を決めないで
介護保険法で
基準を決める、こういうふうにすべきだと思いますが、どうですか、
厚生大臣。