○森本晃司君 公明党の森本晃司でございます。
今、
福山先生から、大変我が
明日香村に対する熱い
思い、さらにまた
官房長官から熱いお
言葉をいただきまして、私は大変うれしく思っておりますが、同時に課題もたくさんあるのではないかなと思っております。
明日香村といえば
日本の心のふるさとでもありますし、同時に律令国家が形成されたその一番
歴史的発祥の地であるということはだれもがよく御存じのことかと
思いますし、これはだれも否定をしない。
私は、ついこの間までは
明日香村から十分のところの
橿原市というところに住んでおりまして、小学校の遠足等々は
明日香村の、まだ石舞台に垣根ができていないところに弁当を持って、あの石の上に上って食べたとかという、もうごく近所におりまして大変幸せな生き方をやってきたなと
思います。それだけに、
明日香村に対する
思いは私は強いものでありますし、同時にまた、この激しい国政の中で、大和の国へ帰ったときは絶えず
明日香村を訪ねて、自分
自身をまた取り戻させていただいているところでございます。
「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し」、これは古事記に書かれた大和の姿であって、今もその姿を大和の国は保ち続けています。その大和の国の一番根本となったのがこの
明日香村であるだけに、私はこの
明日香村についてより大事に、
国民の共有の財産として、それから
日本人のアイデンティティーを育てるものとして残していかなければならない。
福山先生が、単に
明日香村の人のためではないとおっしゃっていましたが、私はまさにそのとおりでございまして、それだけではなしに
国民全体が
考えなきゃならない問題だと思っているんです。
私の住んでいました
橿原市、ここは
奈良県第二番目の都市でございます。大阪までもう三十分でございます。どんどん
開発が進んでいます。この間、私も千三百年の眠りから覚めたカメ形石造物を見ようと思って
明日香村へ行ってまいりました。つい数年前よりも、また
明日香村との接点の
開発が
橿原市内においてはどんどん進んでいっています。
それで、そのときに私は思ったんですけれ
ども、古都法から始まって、そして二十年前にこの
明日香立法ができた。よくぞこの
明日香立法ができるときに、私
たちの先輩諸氏もいろいろと御苦労をいただいたなと。これがもしなかったら、今ごろあのカメ形石造物やいろんなものも全部
開発されてわけがわからなくなっていっているんではないかなと。同時に、この
明日香立法ができるときに、村の
人たちが本気になって自分
たちのこの
明日香を、
生活は不便になるけれ
ども一生懸命守っていこうという、そういうものがなければ今日のこの
明日香立法も二十年間生きてこなかったなと
思います。単に国がいろんなことをやったから
明日香立法が生きてきたというものではなしに、そこにはこの村人の大変な苦労があった。
私の友人もたくさんいます。
農業を営んでいる者も何名かおります。その
農業を営んでいる者は、自分の息子、次男、三男等々の家をまた建てるときには、分家を建てるときには、それはそれで彼らもまた悩み、また
明日香立法があるから協力しようという気持ち。
しかも、その
農業は、十年前に私は
衆議院時代にちょうどこの改正のときにそのことも取り上げて申し上げたんですが、全国と同じように全国一律で減反政策がかかっている。
明日香村ぐらいは、そのすばらしい
景観を保つために減反政策の枠から外してはどうかということを農水省に申し上げたら、いやそれは県で決めるものなんです、村で決めるものなんですという言い方をする。そうでなしに、国でもっと
考えたらいいんじゃないかなとそのとき訴えさせていただいたんですけれ
ども、そういう
農業の問題、後継者の問題があります。それから、どんどん高齢化になっています。全国平均一四%ですから、既に
明日香村の人々はもう二〇・二%の高齢化の時代に入っています。
私は、そういう中で頑張ってくれている
明日香村の人々の強いこの財産を残そうという
思いがあったなればこそ、今日までこの偉大な
日本の財産を保ち続けられた、またこれからも保ち続けていくことができると思うんですが、
官房長官のお
考えをお
伺いしたいと
思います。