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参考人(
内田孟男君) ありがとうございます。御紹介いただきました
内田でございます。
私は、現在中央大学で教鞭をとっておりますけれども、その前に、私がきょう
お話しいたしますユネスコと
国連大学にそれぞれ十年余り勤務したことがございますので、ある
意味では中からの観察に基づいた発言ということになるかと思います。ある
意味では
一つの偏見を抱いて発言せざるを得ないような立場にありますが、きょうは五点について短く私の
考えていることを申し述べたいと思います。
まず、「
国連システムと文化・学術の振興と交流」というふうなテーマにいたしましたけれども、ここで
国連システムと申し上げるのは、今、
横田参考人が
組織図で示されたように、単に
国連の本体、主要六
機関ということよりも、むしろ附属するいろいろな
総会の
機関、それから
専門機関において特に文化、学術の振興というような
活動は行われていますので、そういう
意味で、単に
国連だけではなくて「
国連システム」というふうなタイトルにしたわけです。
最初に、比較的に軽視されている
国連の
活動分野ではないのかという疑問を持っておりますが、今、
会長からの
お話ですと、既にこの
調査会としても
国連大学を視察したということでございますので、この
調査会には余り該当しないと思いますけれども、基本的に
国連本体がやはり国際の平和及び安全の
維持ということを主眼とし、それに付随して特に開発の問題に一九六〇年代から非常に力を入れておりますけれども、学術または文化の振興とか交流ということは、相対的にやはりシステムとしては軽い
分野であった、
周辺からの
活動であったということは否めないだろうということはあります。それは、現在非常に大きな関心を集めています地球環境とか
人権に比べても、この
分野はそれほど注目を浴びてはいないというふうな認識を私は持っております。
ただ、それが最近非常に変わったというのは、やはり冷戦が終結いたしまして、
紛争が今までの
国家間の
紛争から国内
紛争、それが特に文化、宗教、民族等の違いに起因するというようなことが認識されまして、国内また国際
関係における文化の
役割ということが現実政治の問題としてやはりより表面化してきているということがあると思います。
それを
一つ象徴するような形で、
国連でも一連の文化とか文明に関する国際年というものを
採択しているわけで、ここにちょっと列挙しましたけれども、ことしがたまたま平和の文化国際年。これはユネスコが
中心になって行う国際年ですけれども、今までの暴力の文化というものから脱却して平和の文化を構築しなくてはいけないという国際年になっております。それから、来年が文明間の対話
国連年ということになっております。しかもまた、来年から十年間は、平和の文化と
世界の子ども
たちのための非暴力の国際の十年というふうなディケード、十年が続くことになっております。これは、少なくとも国際
社会において文化、文明というものが持つ
意味、その重要性についての認識がかなり改まってきているんではないかというふうに感じております。
特に、文明間の対話
国連年というものが
採択されたときには、私は、一九九三年でしたか、フォーリン・アフェアーズにハーバード大学のサミュエル・ハンチントン
教授が「文明の衝突」という論文を書きまして、それが非常に大きな
議論を呼んだのを覚えておりますけれども、衝突ではなくて対話に持っていくというふうな動きというのは非常に建設的な動きであろうと。また、余り衝突を政策的にあおるよりも、対話によって問題を解決するという
方法は
国連の場の
一つの
役割ではないかというような気がいたします。しかも、この草案というものがイランから提出されたということは、ある
意味ではハンチントン氏のテーゼに対する反論であったのではないかとさえ私は
考えたわけです。
このような一連の国際年がございまして、それに加えて、特に
日本の立場として、このような文化、学術に関して国際
協力を通じ
世界の平和に貢献するということを改めて
考える段階にあるのではないかということを申し上げたいと思います。
それは、今
横田参考人が言及されました
国連大学というものは
日本政府が非常に熱心に設立に貢献し、そして誘致をしてきた、
日本にある
国連の
機関としては本部がある唯一のものでございます。そして、現在でも
日本政府は
国連大学に非常に多大な支援を行っているわけで、それは
日本政府だけではなくて東京都の
協力というものも非常に大きくあるということ。この
国連大学を
日本の国際的な学術、文化
協力にどういうふうに生かすかというのは、やはりホストカントリーとしての
一つの政策的課題だろうというふうに思います。
それから、昨年、ユネスコの
事務局長に前駐仏大使の松浦晃一郎氏が選出されたということ。これは、ユネスコの
事務局長は
アジアから初めてであります。別に
日本人が
事務局長になったからユネスコに対して別の政策をとるということではありませんけれども、やはりそれは広い
意味の国際
協力の足がかりというものをユネスコという場にも見つけることができるのではないかということを
考えるわけでございます。
振り返ってみますと、「理念」のところですけれども、このような学術また文化の振興、交流によって国際平和に寄与するという
考え方というのは非常に古いわけでございます。さかのぼれば、基本的には私はエマニエル・カントまで戻って、恒久平和論で、やはり民主
国家、共和
国家であればそれだけ戦争がなくなるというふうな
考え方が根本にあるんだろうと思います。そして、国際連盟のときには、一九二二年に国際知的
協力委員会というものが設立されまして、哲学者のアンリ・ベルクソンが
委員長になり、そのほかに当時の非常に著名なマリー・キュリーとかアインシュタインもメンバーになっておりました。そして、
日本との
関係では、御承知のように、国際連盟の事務次長であった新渡戸稲造博士がこの
委員会の
事務局を担当したということもございます。
しかしながら、この知的
協力委員会、それから後にできました知的
協力機関というのがパリに設置されたわけですけれども、やはりエリート志向というか、非常に少数の学者、研究者のみを対象にしたというふうな制約があったということでございます。
それが、ユネスコが第二次
世界大戦後に設立されたときには、もっと大きな形でもってその精神というものがユネスコ
憲章に生かされているんだろうというふうに
考えます。
よく引用されますけれども、「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」ということ、そして「平和は、失われないためには、
人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。」というユネスコ
憲章の前文というのは、一九四六年の成立時以上に現在大きな
意味を持っているのではないかというふうに
考えます。
私も大学のときには、当時ユネスコクラブというのがほとんど各大学にありまして、そのユネスコクラブというところに属し、全国大会等に
出席したというような経験も持っています。それが高じて最終的にはパリのユネスコ本部に勤務するというような道をたどったのではないかと私自身
考えております。
その次に書いてあります
国連大学
憲章ですが、これはやはりユネスコとは少し違った形で設立されたものであり、かつその哲学的な根拠というものも、基本的には同じといっても、より限定されたものになっているというふうに思います。
御存じのように、
国連大学
憲章には、
国連大学というものは学者、研究者の国際共同体であるというふうな文言がございます。そして、ユネスコが
専門機関ですけれども政府間
機関であるのに比して、
国連大学は
総会の自治
機関という形でもって学問の自由というものを保障され、
分担金ではなく基金に基づいて運営されるというような方式をとっております。それから、一九七三年に
国連大学
憲章が
採択されましたけれども、その当時の途上国の必要ということをかんがみて、
憲章では途上国に対する貢献ということも明記してございます。これは、やはり一九四六年に発足したユネスコ
憲章とある
意味では異なり、より限定的な
役割を
国連大学に課しているということだろうと思います。
理念というのは、私は、そういうふうな基本的に学術または文化が国際的に交流することというものが国際平和の礎になるんだという
考え方、これは一貫してユネスコにもあるし、それから
国連大学にもある、それが最近は非常に再認識されてきているのではないかという感じがいたします。
三番のところでもって
国際機構がでは何ができるかというようなことを自問自答しているわけなんですが、ここでは
活動ということよりも、むしろこのような
国連機関が直面する制約または限界というものについてちょっと
お話ししたいと思っています。
当然、ユネスコや
国連大学というものは種々の地球的規模の問題に関していろいろな研究
調査をし、若人の研修教育を行う、それから出版
活動、情報の普及というようなことを行っています。しかし、
幾つかの問題点に直面しているわけで、私はここに四つばかり述べておりますが、
一つは、やはり
国家主権との衝突というのはいずれにしろあるということです。衝突というよりももう少しやわらかく葛藤と私は呼んでいるんですけれども、基本的に知的
協力または文化
協力というものが一部の知識人のみに限定されている場合には余り問題にならないでしょうが、それが初等教育、中等教育を含めて国民の教育一般に影響を及ぼすようになる、そうすると、
国家の政策というものがございますので、そこに
一定の相克というものが生まれるということです。
国際連盟の知的
協力委員会もユネスコも各国に国内
委員会というものを設置して、それを通してより国内との連携を
強化するという方式をとっております。これは
一定の成果をおさめていると思いますが、また同時に、その
委員会のみが
一つの窓口になるという制限の要素でもあるのではないかと私は
考えているわけです。
いずれにしても、交流というものが非常に広範囲に行われる場合には、政府、
国家とのいろいろな政策上の問題というものも起こってくるということだと思います。
それから、非常に大きな問題としてあるのは、やはり
国連システムが財政、人材という二つの面で非常に限られたものであるということだと思います。
ちなみにユネスコの昨年、一九九九年の年間予算というのは円にしますと約二百七十二億円でございます。
国連大学はわずか三十六億円ということです。
国連の通常予算というのは一般に約一千二百億円、十二億ドルと、通常予算だけです、これはPKOの方は含みませんけれども、言われていますけれども、それに比しても非常に小さい。しかも、緒方・ボルカー報告という財政報告がありますけれども、
国連の予算というのはニューヨークの消防署、警察を合わせた予算よりもはるかに小さいんだというようなことを言っていますけれども、基本的に非常に広範囲な学術の振興とか交流を行う
機関としては、予算的またはそこで勤務する人材ということで非常に大きな制約を受けているということがあります。
それから、三番目に書きました
国連システム内の分業と調整ということは、今
横田参考人も言及されましたけれども、これは文化、学術の面だけに限ってもやはり存在するのではないかと私自身の経験からも
考えております。
ユネスコ、
国連大学のほかにもUNITARとかUNRISDという
国連の
社会開発研究所というのがジュネーブにありますけれども、そのほかにも各
国連機関でやはり
調査研究ということは行っているわけです。しかも私は、最近、九〇年代に入ってUNDPが発行している人間開発報告というのは
国連システムの中から出た非常にすぐれた報告書だろうと思っております。それまでの
経済中心主義から脱却すべく、いろいろな人間開発指標を提示したり、人間の安全保障という新しい概念を明確にするというような功績もあります。
したがいまして、ここで私が直接に言及しているのはユネスコ、
国連大学の経験に基づいてですけれども、決してそれだけに限らず、ほかの
機関というのも
一定の
役割を果たしている。そのいろいろな
機関間の調整というものをどうするかというのはまだ今後の問題だというふうに
考えております。
それから、ネットワーク方式のトレードオフということですが、これはもちろんメリットとデメリットがございまして、メリットとしては既存の研究
機関等と提携することによって迅速に、しかも費用を節約するということがございます。特に
国連大学は非常に限られた人間と資金で運営していますのでネットワーク方式というものが
中心になっていますけれども、一方、そのデメリットとしては継続性が非常に脆弱であるということ、
機関としてのいわゆるアイデンティティーがなかなか形成されないという問題があると思うんですね。
これは、ユネスコの歴史を調べてみますと、一九五〇年代の初めに、当時ユネスコのプログラム
委員長でありましたジャン・ピアジェが、ユネスコは何をしているんだともう聞かれることはない、ユネスコは既に自己のアイデンティティーというものを確立しているんだというような演説をしておりました。
私が一九八二年に
国連大学にユネスコから移ったときには、当時学長でありましたスジャトモコ氏が、
国連大学の大きな問題というのは
国連大学のアイデンティティーを形成することだということを話していました。そのときには既に七年の年数がたっていたわけですけれども、当時は非常に模索の段階であった。現在では既に
国連大学が
活動を始めた一九七五年から数えてまさに二十五年です。果たして実際に
国連大学がみんなからも認められているアイデンティティーを持っているかどうかということは、まだクエスチョンマークとして残るのではないかというふうに
考えます。
このようないろいろな制約、制限を持った
国連機関がそれではどうして学術の振興とか交流に関与しなくてはいけないのかという疑問は当然起こるわけで、私はここに三点だけ簡単に触れさせていただいております。
基本的に文化とか学術の振興、
協力というものは、国際
機関よりも
国家の政策として、それからいろいろな強力な財団を
中心にかなり行われているわけです。それにもかかわらず
国連機関がどうしてそれに関与するかというのは、第一番目に私は
国連の持っている普遍性と正統性ということが非常に重要だろうと思います。これは、
加盟国が普遍的であるということに加えまして、
事務局を
構成するスタッフというものも非常に国際的であるということ、そしていろいろな文化、
地域の見解、提携をそこに反映しているということが
国連が関与する非常に大きな基準になるんだろうと思います。
アメリカの政治学者でイニス・クロードという人がございますが、彼は
国連を二つに分けて第一の
国連と第二の
国連というようなことを言っております。第一の
国連というのはまさに
国連の
事務局を指して、第二の
国連というのは政府の代表の合議体、
総会とか安保理のことを指しております。そして、その第一の
国連が持つ国際性、進取性、未来を先取りするということに大きな期待をかけておりますけれども、私はこの
国連が持つ普遍性と正統性ということがまず第一に挙げられるということだと思います。
そして、それを使って実際にでは何をしてきたかというのでは、最近の例では一九九〇年代に一連の国際
会議、
国連会議が開催されております。これは一々言うまでもなく、環境問題から始まって、
人権、女性、都市の問題、ハビタットⅡというようなものもありました。しかし、それだけではなくて、ユネスコの例で申しますと、一九七二年にはエドガー・フォーレが「未来の教育」という報告書を物にし、数年前にはジャック・ドゴールが「学習 秘められた宝」という未来に向けた教育の問題についての報告書を出版しております。それから、一九九五年には元
国連事務総長ペレス・デクエヤルが「我ら創造的多様性」という文化と開発に関する報告書を出しております。こういうふうなものによって、国際世論、いろいろな地球的規模の問題、特にその連関性に関して世論を啓発しているということ、それはやはり
国連という大きなシステムを動員して初めて可能であったのではないかというふうに思います。
それから、三番目のグローバリゼーションと国際交流というのは、これはアナン
事務総長の
ミレニアムアセンブリーに対する報告書でも非常に強調されている点なんですが、グローバライゼーションというものは光の
部分と影の
部分がある、その影の
部分をいかに少なくするか、すべての地球上の人間がそのグローバライゼーションの恩恵をいかに享受できるかということがこれからの
国連の課題だということを言っておりますけれども、文化ということもこれからのグローバライゼーションの中でいろいろな問題を起こす要素だろうと思います。そしてまた、それを解決する大きな手段でもあるんだろうと思います。
基本的に、地球化といいますと
経済の地球化ということを言います。それはもともとの国民
経済が地球
経済になったと同じ
意味で、例えば国民文化というものが地球文化になるのかというと決してそんなスムーズなものではないし、それが望ましいかどうかということにも大きな疑問があるわけだと思います。
それでは、これからの展望ということで三つ挙げさせていただきましたけれども、
一つは、
事務局に関して言及いたしましたように、やはり
事務局が持つ
意味というのは非常に大きいというふうに
考えます。それは、政策決定の場において、政治の場においては
加盟国の代表が非常にリードする発言をし、それを支配するわけですけれども、より技術的な
分野における
活動ということに関しては
事務局の持つ
意味がより大きくなるということが言えると思うんですね。したがいまして、
事務局の持つビジョンというものが非常に大切になる。前
国連事務総長であったブトロス・ガリは、
国連大学というものは知識の貯水湖にならなくてはいけないんだというふうなことを言いました。換言すれば、
国連のシンクタンクとして
人類の未来を展望するような、そういうふうな絵を描き、そして
世界の平和に貢献するようなものが必要であるということだろうと思います。
二番目に書きました先進国のコミットメントと途上国の参加というところは、基本的に先進国がこの
分野ではもっとリーダーシップを発揮しなくてはいけない。その
意味では、
アメリカがユネスコから脱退したままになっている、それから
国連大学への財政的な寄与も全くしていないという
状況は非常に大きな問題だと思いますが、やはり先進国がこういう
国連のような多国間
機関を使って文化そして学術の貢献ということにさらなるイニシアチブをとるということが求められているのではないかと思います。
そして、それは当然
日本の大きな責任と同時に大きな
機会であるのではないかと思います。それは広い
意味では、グローバルガバナンス
委員会というのがございましたけれども、その報告書には、地球倫理または
人類の価値ということがやはりグローバルガバナンスの基礎になくてはいけないというふうなことがうたわれていました。
それと同じように、やはり二十一
世紀に入る
世界をリードするというこの思考
方法の中には、やはり共通の
人類益というもの、そういうものをこれからより推進するには、特に
日本としては、現に存在するユネスコとか
国連大学をより活用し、そしてそれを通してより広い
国連システム全体の学術の振興及び文化の交流ということに寄与していただければと念願している次第でございます。
時間になりましたので、ここで発言をやめたいと思います。
ありがとうございました。