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参考人(
国分良成君) 慶應大学の
国分でございます。
本日、このような重要な会で
意見を述べさせていただく機会を与えられまして、非常に光栄に存じております。
さて、早速本題に入りたいと思います。
私に与えられましたテーマは、今の
中国をどのように理解したらいいのかということでございます。
まず、
中国論あるいは
中国を理解することの非常に難しさということを考えてみたいんですが、現在、
日本だけではございません、
世界じゅうが
中国とどうつき合っていいのか、あるいは
中国をどう考えていいのかということを非常に真剣にさまざまな場で討論をしております。これは
日本だけではございません。それは、
中国自身がひとつ不透明性を持っている、あるいは我々がどう
中国を
認識していいのかわからない、こうした側面があろうかと思います。
私は、まず二つの問題を提起したいと思うんですが、それは
一つは、一体
中国が揺れているのか、あるいは我々の
中国観が揺れているのかということでございます。
つまり、
中国自身もこれまで、例えば文化大革命ですとかあるいは改革・開放と非常に動くわけでありますけれども、同時に、我々の
中国認識というものも、あるときには非常に
中国に対して過度に期待を持つ、あるときは
中国に対して非常に悲観論が強くなる、その辺のぶれというものの大きさというのが非常に気になるわけであります。つまり、
中国が揺れている以上に、実は我々の
中国観そのものが揺れてしまうということもあるわけであります。
また、
中国をなかなか客観的に見ることができないということもよくございます。例えば人権の問題あるいは国防費の増大の問題、そうした問題は、例えば八〇年代には余り問題にならなかった。それはいわゆる天安門事件の前でありますけれども、その時代はソ連という、もっと
日本にとってあるいは
アメリカにとっての重要な対抗目標が存在した。そういう状況においては、
中国との
関係においては人権あるいは国防の問題、そうしたところが余り気にならなかった。しかし、八〇年代の方が実は問題としては大きな問題を幾つか抱えていたことは事実であります。それがマスコミを初めとして余り取り上げられなかったということがあります。それが九〇年代、冷戦が終結してから後、
中国というものがかなりクローズアップされてきて、相対的に見れば、客観的に見れば八〇年代より改善傾向にあるところはあったにせよ、しかし
中国に対する
見方が変わる、そうしたところが実はあるということであります。
第二番目の私の問題提起は、一体
中国が
世界を揺るがすということはこれまでどれくらいあったんだろうかと。いや、逆に
世界が
中国を揺るがしているという側面の方が実は現実ではないのかということも言えるわけであります。つまり、
中国という存在そのものは非常に重要な
世界の大きなファクターでありますが、しかし、
中国の動きで
世界が一挙に大きく変わった、あるいは
中国の一挙手一投足でこれで
世界が変わっていくという事例を幾つか挙げてみてくださいと言われたときに、実はなかなか挙がってこないわけであります。むしろ、
中国が
世界から動かされている側面がこの二十年間をとってみると非常に多いという側面があるわけであります。
例えば、
中国は口ではかなりきついことを言いますが、国連の人権規約はもうすべて認めた、A規約、B規約
両方とも認めておりますが、あるいはCTBTについても、最初はかなりいろんなことを言いますけれども、結局最後は認める、あるいはWTOにしても、さまざまなことを言いましたけれども、あれだけの大きな譲歩をして
アメリカに対してさまざまな門戸を開放するということをやるわけですね。
つまり、実は
世界から
中国が動かされている側面というのがかなりこの二十年間の中で大きくなってきているという側面があるわけであります。特に、これはWTOの今後加盟ということがありますと、これは
中国を決定的にひょっとすると変えるかもしれない、大きなある種の革命になる可能性があります。
それはどういうことかと申しますと、国連のメンバーになる、あるいはAPECのメンバーになる、それ以外の
国際組織のメンバーになる、
中国にとってそれ以上にWTOは大きな
意味を持ちます。それは何かといいますと、
中国の国内システムを変えなければいけないということであります。つまり、それ以外の
国際組織であれば
中国の国内システムを変える必要は大きくはありません。しかし、WTOに入れば国内のシステムを変える。そのことがもたらすことは、つまり経済のみならず政治を含めた大きな転換、大きな変化というものを予想させるわけであります。そういう点では、実は
世界が
中国を揺るがしている、そうした側面もかなり強いということを私は申し上げたいわけであります。
いずれにしても、
中国が一体何を考えているのか。
中国の表現というのは非常に口調として強いこともございますし、また原則を繰り返すようなこともございますが、しかし実際の行動は極めてリアリスト、現実主義的であります。したがいまして、言っていることとやっていることの行動というものをきちんと分析していかないと、しかもその
発言の内容そのものがどうして出てきているのか。例えば、先般の
台湾白書というようなものにしても、半分近くはやはり国内向けという側面があるわけでありますけれども、つまり口調が非常に強いということの背後の中に、外に対してどういうイメージを与えるかということの配慮がやや足りない、しかし国内配慮のために言わざるを得ない、そうした側面もかなりあるということであります。
そうした点では、やはり
中国というものを、その中から一体それぞれの行動、
発言がどうしてこういうふうに出てくるのかということをきちんと分析しておく、
中国の中からの視点というのを我々は考えていかないと、表面的な言葉だけで振り回されていても
中国を
認識できないということを申し上げたいわけであります。
そこで一体、
中国というものをどう考えたらいいのかということで、2と3のところで今の状況を説明したいというふうに思います。
毛沢東は矛盾論という論文の中で、矛盾というのは世の中には必ず存在する、その矛盾がだんだん大きくなってくると不均衡状態をもたらすと。矛盾は必ず存在する、それが不均衡が大きくなり過ぎると大きな転換をもたらすことになる、そのときに新しい段階に達するというのがございます。
そこで、
中国は一体どういうことが今矛盾として存在しているのかということをお話ししたいと思います。
私は、ここに挙げました四つの点というのは、これは今
中国で最も頻繁に使われる言葉を抽出したわけであります。
まず第一は、社会主義市場経済であります。
これがアンドで使われている、つまり、社会主義、市場経済という二つの
意味がアンドで結ばれていれば問題はない、しかし、これがオアという、さもなければという選択肢になる可能性をいつでも秘めている。しかし、それが私はだんだん広がってきているというふうに見ております。
つまり、社会主義であることの理由は、それは公有制を維持している、例えば土地は全部国家のものである、同時にもう
一つは、
中国共産党の指導、一党支配、これが原則であります。この二つが社会主義の
意味であります。この二つは
両方とも密接に結びついていて、つまり私有制を認めない、特に土地の私有財産を認めないということであります。しかし、ここを認めない限り、市場経済が本当に可能なのかどうかということが今大きな
中国の経済界での論争になっているわけであります。
現在、
中国は、多種多様な所有形態ということで、一部私有制を認めたような言い方をしておりますけれども、公式には認めておりません。これを認めれば、つまり
中国共産党の指導ということとの矛盾が出てくるわけであります。これはやはり財産権の問題になりますので、全般的な社会の民主化の問題とも
関係してくるわけであります。
中国において、現在、基層レベルで選挙が農村で行われておりますけれども、こういうのもやはり実はこの問題に
関係しているということであります。つまり、来るべき私有財産制といいますか、そうしたものをやらない限り、例えば本当に市場経済が確立できるのかどうかというポイントであります。
それから二番目に、改革・開放でありますが、改革と開放が二つアンドで結ばれていれば、これは問題ございません。つまり、改革を行うために開放をする、開放をすることによって改革を促す、この二つが車の両輪になっていたわけでありますが、実は今起こってきている最後の論争は、国内の改革をまずやってから市場開放すべきか、いや、そうではなくて、市場開放してから、そのことによって外圧を使って国内の産業調整を行う、つまり外圧を使うことによってショック療法によって国内の改革を行うべきか。現在の
中国の方向性は、どちらかといえばこれは開放の方に力点が行っているわけです。それはつまり、WTOの決断をしたというのが非常に大きな
中国にとっての決断であります。
先週まで
中国に行っておりましたけれども、
中国で最も今はやっている言葉は、この後に出ておりますけれども、グローバリズムということであります。グローバリズムにどう対応するか。これはもう変えられない、現実だと。つまり、これにどうこう、反発するか反発しないかの問題ではない、これは現実だと。これに対して一体
中国はどう乗っていくのか。
そのときに、現主流派は、やはり市場開放することによって、つまりある種ショック療法を行うことによって国有企業改革を行い、そのことによって改革を促さないと、国内に今力を持っていないというのが朱鎔基首相を初めとした人々の考え方であります。
しかし、それをすることによって大変なショックが生まれることは間違いないわけであります。そのショックをどう吸収するか、あるいはそのショックをできるだけどうやって小さくするか。これを行えば、恐らく
中国から、
中国のこれまでの例えば未熟なハイテク産業、自動車産業、そうしたものが一挙につぶれていく、農業も危ない。今物すごい抵抗が中で出てきているわけであります。同時に、優秀な人材が一挙に外に流出するかもしれない。そうした問題が今
中国の中で議論をされていますけれども、
基本的にはグローバリズムというのはとめられない、これは現実だという
認識の中でWTO加盟というものを決断しているということになるわけであります。
それから、一国二制、これは多制というふうに私が括弧の中に書きましたけれども、香港の問題の中で、
一つの国の中に二つの制度が存在する、つまり社会主義制度と資本主義制度が存在する。
しかし、
中国は、これは
台湾の問題にもこれを適用したいということを言っているわけでありますが、マカオでもこのような方法が適用されたわけですが、実はこの言葉というのは、もう少し多様な
意味を
中国では持っているということであります。一体、一国二制度は連邦制なのかどうかという議論が
中国の内部では非常に盛んにあります。しかし、これは連邦制ではないということで
一つの結論が出ましたけれども、つまり全く違う体制をそこに持っているだけにすぎないということであります。
しかし、全体として
中国の今の抱えている問題を考えてみますと、香港問題だけではなく、
台湾の問題、さらに少数民族の地域、特に自立的な要求の高い、それはチベットであり、同時に新疆ウイグル自治区でありますが、こうした地域での自主的な権利の問題。最近ではチベットからカルマパ十七世というのがインドに逃亡と、何といいましょうか、亡命という言葉は使っていないんですが、インドの方に渡ったということになっております。
つまり、これが
意味するものは、全体の国家としての一体性。
中国が最も多用する概念というのは国家主権。今
中国の外交用語の中で国益という言葉と国家主権ということが非常に多く出てまいりますが、これが古い響きを持った言葉であることは間違いありませんが、
台湾問題も絡めて、
中国の外交用語の中で最もやはり頻繁に出てくる。これは近代の歴史を踏まえての話だと思いますけれども、そこに強調点が来る。つまり、国家の一体性そのものに大きな問題が出始めているということは、これはもうだれもが言っていることであります。
同時に、その中に、中央集権化ということについては、もうこれはほぼ手放したわけであります。もちろん、政府が全体的に指導するということについてはこれは手放していないわけでありますけれども、しかし全体的な流れは地方分権に行っているわけであります。税金にしても、いまだに地方が多くを持っているという形、大体六対四の割合で地方の方が税収が多いという形になっているわけであります。
中国の今の状況を経済的に理解いたしますと、一体本当に単一市場として考えていいのかどうかということが問題であります。これはWTOの加盟の問題のときも出てまいりました。つまり、沿海地帯、例えば上海を考えてみますと、もう数千ドル一人当たりGNPをとっているわけであります。ところが、内陸に入るともうとんでもない、これは数百ドルの単位であります。これを
一つの市場として考えていいのかどうかということであります。
つまり、
中国のWTO加盟というのは、国家として加盟する。
中国は
日本の二十六倍の国土を持っているわけでありますから、この全体を
一つの単一市場として考えるということの難しさというのが
中国においては出てきている。これは格差が開いているということからわかるわけであります。しかし、
中国は国民国家、これを
一つの国家として維持したいということを強調する。これを
一つの国家の主権という形で強調するわけでありますから、その辺のぶれ、この辺のバランスをどういうふうにとるのかというのがますます問題になりつつあるということは間違いない。
それから第四番目に、
中国で最も使われる富強という言葉でありますけれども、富という言葉と強さという言葉、これはもう百数十年来
中国が最も多用してきた言葉で、これが
中国の悲願である、近代、現代を通しての最大の悲願である。富というのは近代化をあらわす、強というのは
一つの強大な統一国家をつくる。これは別の言い方をすれば経済と政治ということになるわけでありますが、実は
中国は、富の部分に力点を置くと、どうしても国家的な一体性をどうやって行っていくのかという部分に問題が出てくる。今度は国家的な一体性に強調点が置かれ過ぎ、社会主義的平等というものを重視し過ぎた結果として、富が全体に行き渡らない、あるいは国家としての成長がない。そうしたところのバランスというのをどうするのか。これは国家の規模が大き過ぎる、あるいは富を有効に分配するようなメカニズムがきちんとでき上がっていない。これは政治体制とも
関係があるというふうに思いますけれども、そうした実は富強の問題が、この二つがバランスを失いかけている。
全体としてこのような不均衡が拡大してまいりますと、それを調整する動きとして、当然ナショナリズム、国家主権ということに対する訴えが出てくるわけであります。これが特に九〇年代の半ば以降かなり激しくなってきている。精神文明であるとかさまざまな精神キャンペーンが行われる。ナショナリズムというのは直接愛国主義という訳にはなりませんけれども、愛国主義というのは
中国の中では繰り返し訴えられるということにならざるを得ない。それは、つまり国家としての一体性、
中国共産党の指導性ということが強調される。
つまり、全体として見ると、清朝の末期に中体西用論というのがございました。これは、
中国をこれを体となし、つまり
中国を中心とし、
中国の持っている精神文化、価値を中心とし、そして西洋の科学技術を利用するということであります。この清朝末期に行った物については西洋から導入し、精神文化は
中国ということでありますけれども、いわば和魂洋才のようなものがありますけれども、これは実は
中国においては清朝末期に失敗したわけであります。つまり、物には物をつくっていく背後の精神価値がある。つまりは、ある物、その物が生まれてくる背後の価値まで
一緒に
中国に流入したわけであります。それに対して
中国は抵抗したわけであります。この中体西用論は、結局
中国という価値を維持するために失敗いたしました。
今起こっているのがまさにグローバリズムの問題であります。
中国はまさにここに今差しかかりつつある。ただ、
中国全体、
日本の二十六倍の国土の中でどう考えられるか。特に沿海地帯を中心としてもうほぼ全球化の波にのまれているということは間違いありません。
このグローバリズムということに関して言いますと、今の
中国のマスコミ紙上に出てくる、あるいはさまざまな論客の書いているものの主流は、これに乗らざるを得ないということ。しかし、その間どうやって
中国の持っている価値あるいは
中国の精神文化、これは恐らく政治的な一体性あるいは
中国共産党の指導権力、ここに入るわけですけれども、これをどう維持するかというところにかかわってくるわけで、
中国ではこれが本当に今深刻な議論として内部で展開されております。
第三番目に私が申し上げたいのは、それでは今申し上げたような中で一体主要矛盾は何か。これは
毛沢東も、矛盾の中で一体何が主要な矛盾かということを考えなければいけないということをよく言っております。それは矛盾がいろいろと結びつき合っていて、その中での最も根幹の問題は何か。私は、最も根幹の主要矛盾は何か、これはもちろん
中国共産党の政府にとってということでありますけれども、それはやはり究極的には政権の維持と安定ということになろうかと思います。
今申し上げたような矛盾の拡大ということは、一言で言えば国家と社会というものが非常に乖離現象を起こしてきている。これをどうやって一体化させるかということであります。その究極目標は、やはり
中国共産党の政権の維持であり安定性である。
現在問題になっているのは、まさに政治的な凝集力というものが欠如しているということ。今
中国の公式のメディアを見てみますと、とにかく
中国共産党の主張あるいは
江沢民主席の言っていることを学習せよということで、今でもよく自己批判大会あるいは政治学習大会が週に一回ぐらいは必ず長い時間開かれているということであります。それはつまり非常にディフェンシブ、非常に防御的なことになってきているということが私は言えるのではないか。
そこで問題になっているのは、やはり政治腐敗の問題であります。つまり、社会主義市場経済の最大の問題は、
中国共産党の指導する市場経済ということになりますから、つまり最後の許認可権を
中国共産党が所有しているということになります。それは、つまりは政治というものが市場原理に介入をすることを原則的に、ある
意味では制度的に保障しているということになるわけであります。そこに政治腐敗が生まれるというのは、いわば当然のことであります。それが今
中国共産党の機関紙である
人民日報にしても、連日のように政治腐敗のことばかりが摘発されてくるという状況が、これはもうずっと一貫している問題でありますけれども、かなり農村において蔓延しているという状況が
中国共産党に対する信頼感の問題に非常に大きな疑念を持ちかけている。
こうした中から何を行っているかというと、恐らくこれはもう政治的な大きな革新を行わなければいけない。そういうことは多くの人も気がついているけれども、どうやっていいかなかなかわからない。つまり、
中国共産党の政権を維持しながら、その中で政治改革をどうやっていいかわからないという部分が今最大の悩みになってきているわけであります。
だれもが民主化ということを言います。民主主義ということを
中国では言います。しかし、それをどうやって、いつ、だれが、つまり
中国共産党という国家の一体性をどうやって保持してやるんだという部分のところでどうしても疑問が出ざるを得ないということであります。
その結果として、どうしても暴力装置に頼らざるを得ないという現象が起こっております。軍人も今かなり解除されておりますけれども、その多くが公安やその後にある武警、これは
人民武装警察部隊といいますけれども、
人民武装警察部隊というのは突発事件が起こったときにすぐ対処する、そうした警察集団でありますが、そちらの方に軍人が解除されて多く入っているというような状況が起こってきております。つまり、あらゆる国内の治安ということの目的のために、つまりは暴力装置という形でもって抑える。これは極めて不健全な形であるというふうに私は思っております。
そうすると、これをどうやって政治的に刷新していくかというのが最大の問題でありますけれども、その方法として、政治に手がつけられないとすれば第二番目の経済成長路線に行くしかないということであります。
その経済成長路線をこれまでは維持できたわけであります。これはトウ小平氏の、いわゆる南に行きまして、南巡講話と言いますけれども、そのことによって
中国の社会主義市場経済が生まれたわけであります。そして、成長路線が九二年、九三年、この辺から始まりました。物すごい経済成長が九四、五年の時期に出たわけであります。
現在、
中国の経済成長は七%前後ということになりますが、これが、
日本に比べたらもちろん高く見えますが、よく見てみますと、文化大革命の最中の十年間の経済成長が六・六%であります。それを言うと、この時期の統計はかなりいいかげんですからと
中国の人は言うんですけれども、しかし、
中国において統計数字というものがかなりいろんな形でやはり政治的な決定が行われていることも間違いない。ですから、ことしの秋、また人口のセンサスの
調査が行われますけれども、多分人口の誤差がまた一億出るんじゃないかなんということを
中国の中ではもううわさをしております。
いずれにしても、今の成長路線、今
中国の経済状況がデフレに陥っているということは御存じだと思います。失業率も、
日本の失業率の計算でいきますと、ほぼ八%から九%に近いということになるわけであります。公式統計は三%台でありますけれども、しかし
日本の方式でもって統計を出しますと、やはり八%台ぐらいには軽く行くだろうということになります。
さらに、経済の成長をどう行うのか。特に内需が非常に伸び悩んでいるという状況があります。貯蓄に走っているわけであります。
成長のエンジンというのはどこにあるのか。
中国はかつて、この二十年間成長を遂げてまいりましたけれども、以前、資本家というものをほとんど社会主義体制の中で消滅させてまいりました。その結果として、
中国には中小企業の基礎がなかなかなかった。したがいまして、
中国の経済発展というのはこの二十年間ほとんど外資によるものであった、つまり貿易と直接投資がメーンとなって
中国の経済成長が起こったと。
中国の対外依存度、これは物すごい高いものがあるわけであります。ですから、外資産業もかなり
中国の中に入り込んでいるわけであります。そういう
意味では、
中国の経済成長のエンジンがこれまで外資によっていたということは間違いないわけであります。
ところが、その外資が御
承知のように今非常に減っている。特に契約ベースで見ますと、
日本はこの二年連続で大体二〇%近く減ってきている。
世界全体としても一三、四%減ってきている、契約ベースでも減ってきているということですね。これはもう
中国にとっては物すごい痛手であります。これは九三、四年の段階から比べますと、もう本当に半減ぐらいでしょうか、契約ベースでありますけれども減ってきているわけであります。
そうしますと、
中国の今後の成長をどう展開するか。国内は国有企業の改革でエンジンがありません。そうすると、それはやはりWTOしかないわけです。WTOに入ることによって、つまりは
中国の透明性を増す、あるいは外資をこのことによって呼び込んで、最大の問題というのは内陸の経済成長が、これまでの経済成長は沿海でありますから、この沿海の経済成長が内陸に展開しないということであります。この内陸に展開させるためにどうするかということで出たのが、ことしから出ている西部開発ということであります。WTOの加盟と西部開発が一対になって出てきているわけであります。
つまり、WTOに入ることによって
中国は経済的な透明性を増す。そのことによって西部の方に、非常に未開拓の部分に来てもらって、そして
中国のエンジンとなってもらいたいということでありますが、残念ながらなかなか、今
中国のここに直接入ろうと、インフラあるいはきちんと整備されていない状況があるので、それがない限りは行かないという状況が起こっておりますので、
日本にしても今はまだ不況の状況でありますから、なかなかそれが呼び込めないだろうということで、
中国の経済成長はすぐにはまた呼び戻すことができない状況にある。
私が申し上げたいのは、つまり
中国共産党の正統性ということの問題でありますが、正統性というのは、正統というレジティマシーという
意味での、これは歴史的に
中国共産党がなぜ政権をとれたのかと。これは
一つは、
日本の
侵略というものに対して、これを打破して
中国共産党が政権をとったというのが
一つ。それからもう
一つは、国民党を駆逐した。そして最後に
台湾をみずからの領土にして終わるという歴史的な
意味での正統性というのがあるわけでありますが、しかし
中国の中でも今
一つの言葉が内部でよく言われています。それは、合理的支配ということであります。これは別の
意味の、つまり現在の正当性ということになります。それは別の言い方をすれば、国民の民主的で、あるいは生活の豊かなそうした社会をつくれるかどうか、これが実は本当の
意味の正統性になるわけであります。
そういう点では、今問われているのはまさに現在の正当性。豊かな国民生活、そして安定し、そして民主的な生活をいかにつくれるかという点で、最後に結びとして簡単に申し上げていきますと、
中国共産党政権は、もちろん今後もしばらくの間はこのような状態が続いていくんだろうというふうに思います。この矛盾が幾つか拡大していきながらも、依然として暴力装置に頼らざるを得ないところはありますけれども、しかし国家としての一体性、またかなり既得権益もでき上がってまいりましたので、若いエリートの
人たちも今の体制を壊したくないという
人たちがかなり出てまいりました。そういう
意味では、つまり過去の歴史の教訓もありますので、そんなに国家の一体性がばらけるような、そうしたことに対しては反発がかなり強いかと思います。そういう点では今の状態が続く、しかし政治的な革新が行われるかどうか、この点はなかなか難しいだろうと。
そうなってくると、経済成長という部分に頼ってくる。それが達成できるかどうかという点では、実は
日本に対してもかなり柔軟な政策を特に昨年の夏以来、これは内部通達で出ておりますけれども、
日本に対して柔軟な政策をとるようにということが出ております。その結果として、
日本に対しては非常にやわらかい政策になっておりますけれども、それはやはり経済協力ということもあろうかと思いますが、
日本の経済成長、
日本の経済の回復が
中国にとってもプラスになるということを
中国自身が今では言うようになりました。これは健全な方向だと私は思います。
中国というのが平和で安定して、そして豊かで、私は民主的なという言葉もつけましたけれども、そうした
中国というのがやはり
日本の国益にかなう。しかし、これがすぐできるわけではない。これはかなりの時間がかかるというふうに私は思っております。そこにはかなりの紆余曲折が起こるでしょう。私自身、それがどの時間にどういうふうに起こるかということは簡単には断言できませんけれども、できるだけ
中国がソフトランディングしてほしいということが
日本の国益にかなうわけであります。
そういう
意味では、私は将来の
中国がどうなってほしいかというのはありますけれども、しかしそこの部分ばかりで考えているのではなくて、今の
中国とどうつき合うかということをやはり真剣に考えなければいけないというふうに思っております。それは、今の
中国とつき合うのが十年後の
中国とつき合うことにまさにつながってくるということになるわけであります。
今
中国をなかなか真剣に考えたくない、あるいは
中国を少し遠ざけたいという
気持ちがどうも
日本の中にも強いようでありますけれども、
世界の中にも若干その傾向がありますけれども、やはり将来を見越して真剣に考えていく。
中国は大きな世代交代がこれから始まります。これは、ちょっと時間の
関係でお話ししませんけれども、後ほどお話ししたいと思いますが、巨大な世代交代が起こります。
そういう中で、
中国の大きな転換が起こってくると思いますので、我々は一体どうつき合うかということをやはり真剣に考えていくべきだというふうに思っております。
本日はどうもありがとうございました。