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参考人(
小和田恆君) ただいま
国際問題に関する
調査会井上会長から御紹介をいただきました
小和田恆でございます。
ただいまの肩書は
日本国際問題研究所理事長ということになっておりますが、きょうお招きをいただいて
参考人として
意見を陳述する機会を与えていただきましたのは、恐らく
国際問題研究所の
理事長ということよりは、一昨年の秋まで
国連日本政府常駐代表という資格で四年半ほど一番最近の
国連に勤務いたしましていろいろ
経験いたしましたことを
もとにして、
国連をめぐる問題と
我が国の
貢献のあり方について
お話をしろという御趣旨であるというふうに
承知しておりますので、そういうつもりでお時間を少しちょうだいして
お話を申し上げたいと思います。
もちろん
皆様方、
国連の今日
的役割ということについては既に
調査会の会合、一回お集まりになったというふうに伺っておりますし、それぞれのお
立場から
国連の問題については関心をお持ちになって知識も大変おありだと思いますので、私からどういう形で
お話を申し上げたらいいのかというのはなかなか難しいところがございますけれども、当然御
承知のことで多少わかり切ったことをというところもあるかと思いますけれども、時間をちょうだいいたしましたので、しばらくの間お耳をおかりできれば大変ありがたいというふうに思うわけであります。
実は、私が今度
国連に参りましたのは、この前私自身が
国連に在勤いたしましたのが一九六〇年代の末から七〇年代の初め、ちょうど
冷戦構造の真っ最中でございました。そのときも三年ほど
代表部で勤務いたしましたが、それ以来、
出張等で、あるいは
国連の
会議に
出席するということで
国連にはしばしば参りましたけれども、長く
国連にとどまって仕事をその中でするという
経験で申しますと、
冷戦構造が壊れて初めてそういう
経験を実地に体験としてしたわけでございます。
そういう
見地から申しますと、
国連は旧態依然とした
状況にあるとか、なかなか変わらないとかいうようなことがよく世間では言われますけれども、私の率直な感じといたしましては、
国連は
冷戦構造が壊れた後の
世界の中で非常に変わったし、また現に変わる途中にある、非常に
過渡期の
段階にあるというのが私の率直な印象でございます。
それはどういうことかということをこれから少し申し上げたいと思います。
まず
冒頭に、これは
皆様当然御
承知のことでございますので簡単にしたいと思いますけれども、
国連という
国際機構の
特徴と申しますか、特質というものはどういうところにあるんだろうかというところについて
一言申し上げたいと思います。
歴史的に申しますと、
国連という
国際機構が今日の
国際社会の中の
統治機構の
一つとして非常に大きな地位を占めるようになった
背景としては、
二つの
流れがあるということを申し上げられると思います。
一つは、今からちょうど百年前、昨年がその百周年の記念に当たりましたが、一八九九年にオランダの
ハーグで第一回
ハーグ平和会議というものが開催されました。この
ハーグ平和会議の
流れをくむ、
国際の平和と安全を
確保するために
国際社会がどういうふうに
機構づくりをしなければならないかという
見地から出てきた
流れでございまして、いわば
平和確保の
主体としての
国連というふうに申し上げられるかと思います。
御
承知のように、十九
世紀、
ナポレオン戦争が終わって
ウィーン会議によって
欧州に平和が訪れる、その中で
欧州協調体制というものができるわけでありますけれども、しかしその後、
露土戦争であるとか
クリミア戦争であるとかいろんな形で
欧州の情勢が騒がしくなってくる。そういう中で永続する平和というものをつくるためには、そのためのやはり
国際的な
枠組みというものが必要ではないかという考え方が十九
世紀の後半に非常に強くなってまいります。そういうもののはしりが先ほど申し上げた一八九九年の第一回
ハーグ平和会議であったわけでございますが、その結果、具体的な
機構をつくるには至りませんでしたけれども、
紛争を平和的に解決するためのメカニズムというものをかなり精密な形でつくって、それが新しく
ハーグ平和体制と呼ばれる
体制になったわけであります。
ところが、それにもかかわらず第一次
大戦が勃発いたします。その
反省に基づいて、やはりもっときちっとした
国際機構をつくって平和というものを
確保しなければならないということでできたのが、御
承知の
国際連盟であったわけであります。
国際連盟は、基本的には
ハーグ平和体制の
流れをくみまして、
国家間の
紛争というものは、やはり
紛争の原因というものを除去することから始めなければいけない。そのためには、
紛争を
戦争に至る前の
段階で、
紛争そのものを平和的な手段、具体的には交渉から始まりまして調停だとか仲裁だとか、あるいは場合によっては司法的な裁判によって解決するという、そういう
仕組みをつくることによって
紛争の原因を除去していくことが大切だという思想が
ハーグ平和体制の基本にあるわけでございますし、またその結果として、今日でも存在しております
常設仲裁裁判所というものがつくられたわけでありますけれども、そういう
平和解決の
枠組みをつくるだけでは足りないということで、
国際連盟では
集団安全保障体制というものを
国際連盟の力によって組織していくということが図られたわけであります。
その
中核になったのは、
国際連盟規約に違反して
戦争に訴える国に対しては
制裁を加える、具体的に言えば、義務的な
措置として経済的な
制裁を加えるということが決められ、またこれは義務的な
措置ではありませんけれども、そういう
連盟規約に違反して
戦争に訴える国に対しては
戦争を宣言することができるということが決められたわけでございます。つまり、
国際社会が
一つになって、そういう
国際社会の
秩序を破ろうとする国に対しては経済的あるいは場合によっては武力による
制裁を加える、そういう形で
集団安全保障体制をつくるということが
国際連盟の規約によって初めてつくられたわけであります。
ところが、それにもかかわらず、第一次
大戦後できた
国際連盟は、発足したのは一九一九年でございますけれども、実際には一九三九年、つまり二十年後には第二次
世界大戦に突入するということで、実際問題としては、
世界の平和を
確保するための
機構としてはほとんど機能しなかったということになったわけであります。それに対する
反省として、もっとより強力で
実効性を持った
機構というものをつくらなければならないということで
国際連合ができたということは、
皆様御
承知のとおりでございます。
その
背景として、
国際連盟がなぜ失敗したのかというと、
集団安全保障体制が十分に強力なものではなかったという
反省があるわけであります。つまり、先ほども申し上げましたように、
経済制裁は
加盟国全部に義務として課せられておりますけれども、しかしそういう
義務違反があったかどうかということの判断は各国に任されているという
状況でございましたし、武力をもって
制裁を加えるということは、これは各国が自由に判断するという問題であって義務的なものではないということになっていたわけであります。
そこで、
国際連合の
一つの基本的な
特徴は、
集団安全保障体制というものに実効的な覇を与えるということ、つまり本当に
侵略ないしは平和を破壊する行為を行った国に対しては、
国際連合が
国際社会の名において強制的な
措置をとって
侵略を防止する、あるいは平和の
破壊行為に対して
制裁措置を加えるということが
国連憲章の中で
連盟規約に比べればはるかに詳しく規定されたということが
一つの柱であったわけであります。
もう
一つの柱は、十九
世紀の半ば以降、特に国境を越えての
経済活動あるいは
社会活動というようなものがだんだんヨーロッパを
中心に盛んになってまいります中で、
経済社会分野での
国際秩序というものをどういうふうにつくっていったらいいのか、そういう
国際協力の
中核となる
仕組みが必要だという動きが出てまいりまして、これが具体的には、例えば
万国郵便連合であるとか
国際通信連合であるとか、そういう
国際機構の設立につながったわけであります。そういうものが今日のいわゆる
国連ファミリーの一員である
専門機関という形で出てきているわけでありますが、
国際連合は、そういう
国際協力がいろんな
専門機関を通じて行われる、その
協力の
中核として
国際秩序形成の機能を果たすというのが二本目の柱ということでございます。
この
二つの
流れというものが、実は
国連ということを考えるときに頭に置いておく必要があることではないだろうかというふうに思うわけであります。
特に、前者の
平和確保の
主体としての
国連、つまり
集団安全保障体制の担い手としての
国連というのは、御
承知のように
主要国、なかんずく五大国と呼ばれた英、米、仏、中、ソというこの五つの国が
協力して
世界の
秩序を維持するための
中核になる、それを
中核とした
安全保障理事会というものが先ほど申し上げたいわば
国際連合の覇になって
侵略者あるいは平和の破壊を行うものに対して
措置をとるということが基本的な柱になっております。
ところが、既に
国際連合が発足した四五年から数年を
経ずして
冷戦が始まりまして、この哲学の基礎になっている五大国の
協調というものが壊れてしまいます。その結果として、
平和確保の
主体としての
国連の
役割というものは非常に弱いものになってしまった、あるいはもっとはっきり申し上げれば、
世界の平和の
確保という
見地からいうと
国連の
役割というものは実は非常に端に追いやられたものになったというのが実態でございました。
現に、
冷戦時代の
状況を考えてみますと、例えばイスラエル、アラブの
対立を
中心としての中東の問題にいたしましても、あるいは
ベトナム戦争にいたしましても、第二次
大戦後の非常に大きな
国際紛争、
国際の平和と安全を揺るがすような大きな問題というのは、実は
国連自身がそれほど関与しない形で
紛争が取り扱われてきたということになってしまったわけであります。
他方、
国際協力の
中核としての
国連、なかんずく
経済社会分野での
秩序を形成するという
側面というのは、実は戦後非常にたくさんの
独立国が生まれた、特に
植民地解放のプロセスの中で、アジア、
アフリカあるいはカリブ海、
ラ米等においてそれまで
植民地だった国々が
独立をして、その
独立の問題というものがいわば南北問題という形で出てきて、それがまた
南北対立の
一つの
要素をつくってきたということで、これも実は
南北対立という
イデオロギー的な
対立の中において必ずしも思うようには進まないという
状況がかなり続いたわけであります。
一言で申し上げれば、そういう
東西対立の
枠組みと
南北対立の
枠組みというものが組み合わされた形で
冷戦時代の
国連というものは推移したというふうに申し上げていいと思うのであります。
私が第一回に在勤したときのことを先ほどちょっと申し上げましたが、そのときの
経験で申しますと、
国連は、そういう
東西対立と
南北対立という
二つの軸の中で実際問題としては見るべき成果を上げることができないままに、どちらかといえば、それぞれの陣営の極端に言ってしまえば
宣伝合戦の場になるというような傾向が非常に強くなっていた時代でございました。
ところが、
冷戦構造が終わりますと、ソ連が崩壊し、
社会主義国家群というものがなくなってしまって、少なくともグループとしてはなくなってしまう、そういう中で
東西対立の軸というものは完全になくなってしまったわけであります。それと同時に、私が特にきょう強調して申し上げたいと思いますのは、実は
南北対立の軸というものも、なくなったとは申しませんけれども、かつてのような
イデオロギー対立の軸ではなくなってきているというのが現在の
状況であります。この後者の問題は、実はまだ
過渡期の問題であって現在
進行形で進んでいる話であって、既に
東西対立の場合のように決着がついて軸としてなくなったということまでは申せませんけれども、方向としてはそういう方向に非常に急速に動きつつあるということが申し上げられると思います。
それはどういうことかと申しますと、
冷戦時代に南北問題というものがある
意味で東西問題に重ね合わされていた面がございます。これは若干詳しい話は避けますけれども、つまり南北問題に象徴される貧富の差というものの
もともとが何にあるのかということになりますと、これは
植民地主義に責任がある。
植民地主義というものは
帝国主義の産物であって、これは
資本主義体制がつくり出したものだと。したがって、
資本主義と
社会主義の
対立というものは、実は北の
先進国と南の
途上国との
対立に重ね合わされる問題だという形で
経済開発の問題が非常に政治化したという雰囲気があったわけであります。
ところが、
東西関係がなくなってしまいますと、そういう
枠組みというものは完全に壊れてしまいます。それと同時に、特に
アフリカを
中心としての
途上国の国々にとって、これからどういうふうにしてグローバライズされた
世界の中で
自分たちの国の開発をなし遂げ、
国づくりをやっていくかということは、実はだれかに頼る問題ではなくて
自分自身で考えなければならない問題だということになってきている
側面が非常に強くなってきております。そういう中で、今までのような
対立と抗争という形ではなくて、むしろ
協調と
協力という形によって
経済社会開発の問題というものを進めていかなければならないという
意識というものが
国際社会全体、
国連の中全体に行き渡るようになってきております。
もう
一つ、それに関連して申し上げたいのは、例えば環境問題あるいは
人権問題等に見られますように、あるいはエイズの問題、難民問題、そういうものを含めてでございますけれども、
経済社会の
分野における
相互依存の
関係というものが非常に発達した結果として、今や一国一国でそういう問題が解決できないという
状況が出てまいります。
そうなってまいりますと、全体として、みんなが
協調して
世界全体の共通の問題に対処しなければならないという
一つの
社会としての
意識、ちょうど国内において環境問題を考えるときに、やっぱり国全体としての
立場からこういう問題に取り組まなければ問題が解決しないというようなことがもっと
世界的な規模で起こってまいります。例えば地球の
温暖化に対する対応などという問題はその典型でありますけれども、これは
イデオロギーがどうだとか
政治的立場がどうだとかというようなこととかかわりなしに、地球全体が
協力しなければそういう問題に対して対応できないという
状況が出てきております。
そういう
意味で、
冷戦後の今日の
国連においては、
経済社会分野での
国際秩序形成という
側面、そういう機能の
側面というものが非常に強く出てきているということが申せるわけであります。
具体的に申し上げますと、御
承知のように、リオデジャネイロで開かれた
国連環境会議というのが一九九二年でございますか、ありましたし、その後、
人口会議が九四年、それから
社会開発の
会議、それから中国における婦人の
会議というように、すべてこれらは
国際社会が
社会として抱える問題に
国際社会全体としてどういう
秩序というものをつくっていかなければならないのかという
問題意識から
国連が組織して開かれた
会議でありますが、そういうところにも
国際協力の
中核としての
国連の新しい
役割というものが非常に明確に出ているというふうに申せると思うのであります。
そういう
意味で、
国連の
変化というものを考えてみますと、私は四つほどの要因を挙げることができると思います。
一つは、設立当初、一九四五年には五十一カ国、しかも第二次
大戦の
戦勝国が
中心になってつくられた
機構であったものが、今日では百八十八カ国、近くツバルが加入いたしますと百八十九になるわけでありますが、それだけの、当初に比べれば三・五倍以上、四倍近い
加盟国の拡大というものがあり、しかもこれが単に数の上での量的な拡大だけではなくて、
新興独立国、昔の
植民地だった地域が新しく
独立して
国づくりをしているという、そういうメンバーシップにおける質的な
変化というものが
国連の
活動の内容に大変大きな影響を与えてきている。量的な
変化と質的な
変化の両方が大変大きな
変化を与えているということが申せると思います。
この点はちょっと後で触れますけれども、例えば
安全保障理事会の問題を考えるときに、そもそも一九四五年に
安全保障理事会ができましたときに、全部で五十一カ国の中で当初は十一カ国でございましたけれども、十一カ国のメンバーから成る
理事会がつくられる、その中で五カ国が
常任理事国の
立場にあるという
状況から、今日百八十八の
加盟国を抱える
国連というものが全く同じ組織、構成で期待されているような
役割を果たすことができるのかというような問題を生ずるようになっているわけであります。
それから、
国際協力、特に
経済社会分野における
協力ということを考えますと、やはり
世界全体が国としての力の強さあるいは強さの
程度というようなことにかかわりなしに、みんなが
協力しなければ環境の問題にせよ人道の問題にせよ難民の問題にせよ解決できないという
状況の中で
協力を求めていかなければならないという
要素、共通の
秩序というものをつくっていかなければならないという
要素が非常に強くなってきているということがそこから出てくるということが申せると思うのであります。
第二番目は、これも先ほど申し上げたことに関連いたしますが、
相互依存関係というものが、既に十九
世紀の後半から非常に国境を越えた人間の
活動が行われるようになった結果としてずっと増大してきたわけでありますけれども、特に
冷戦構造が消えた今日、そういう
状況というものがますますよく目に見えるようになり、かつそこに加えて、
科学技術、
通信革命というようなものを
背景にグローバルな
社会関係というものが出てくるようになってまいりますと、
国連、つまり
国際協力の
中核としての
国連の
活動領域というものが実は非常に広がってくるわけであります。
御
承知のとおり、
国連憲章の
一つの基本的な原理というのは主権平等の原則であって、各
加盟国がそれぞれ同一の平等の
立場で
国連という
機構に参加しており、またその中で
一つ一つの国が、自分の国の
国内事項に対しては
国連といえども干渉してはならないという原則が
国連憲章の二条七項というところに規定されているわけであります。
ところが、何が
国内事項であるのかということは実はこれは先験的に決まっているわけではないので、
国際的に規律されていない問題が
国内事項として残っているわけでありますが、
国際的な規律というものが環境問題に及び、人権の問題に及び、国民の取り扱いという問題に及んでくるようになってまいりますと、それだけ国内問題の
分野というものは狭くなってくるわけでありますから、したがってそういう
意味で
国際機構、なかんずく
国連の
活動の
分野というものはそれだけ広がってまいります。
第三番目に申し上げたいのは、そういうこととも関連いたしますが、そもそも
平和確保ということが
国連の
一つの大きな任務であるということを考えたときに、当然
紛争をどういうふうにして抑止するか、また
紛争が一たん起きたときにそれをどういうふうに抑え込むか、また
紛争の
状況というものをどういうふうにして終息に持ち込むか、さらには
紛争後の
国づくり、復興というものをどういうふうにして進めていくかという幾つかの
段階があるわけでありますけれども、実は
紛争の性格というものが非常に変わってきたということがもう
一つあるわけであります。
先ほど
集団安全保障体制の
お話をいたしましたときに申し上げましたように、
ハーグ平和会議から
国際連盟、
国際連合と
流れてくる
流れの中で考えられていたのは、国と国との間の
紛争、なかんずく全面
戦争という形における
紛争であったわけであります。それは第一次
大戦の
経験、第二次
大戦の
経験というものを踏まえれば当然のことであったわけであります。
ところが、そういうものが完全になくなったわけではありませんし、そういう危険は依然としてあるわけでありますけれども、実際問題として今日の
国際社会を悩ませている問題というものは、そういう国と国との間の全面的な対決による
世界戦争というものではなくて、むしろ地域
紛争であります。
その地域
紛争も、確かにイラン・イラク
戦争であるとかイラクとクウェートの
戦争のように地域の覇権というものを求めての
紛争というものも依然としてございますけれども、
紛争の大部分を占めておりますのは、実は一国の国内における
統治機構が崩壊してしまって起きるような種類の
紛争であります。あるいは国の中における民族同士、人種同士、部族同士の争いあるいは宗教的な理由による争いというようなものが大宗を占めているわけであります。しかも、そういう
紛争というものが実は皮肉なことに、逆説的でありますけれども、
冷戦構造がなくなったということによってかえってそれがふえるという傾向が出てきているのであります。
具体的に申し上げますと、
皆様のお手元にお配りしてあると思いますが、「
国際問題において拡大する
国連の
役割」という一枚紙がございますので、ちょっとこれをごらんいただきたいんですが、これは平和と安全に関する
国連の
活動に限っての統計であります。
国連が予防外交だとか平和維持
活動の
側面で関与した
紛争というものがどのくらいあるかということを見てみますと、一九八八年というのは
冷戦構造が壊れる前でありますが、十前後であります。ところが、
冷戦構造が終わりました直後の九二年にはそれが十三にふえ、十七にふえ、二十一、二十三にふえるというような形でふえてきております。しかも、これは別な理由で
国連自身が必ずしもかかわっているわけではありませんけれども、実は
紛争自体の数は、今日、コフィー・アナン
国連事務総長によれば、
世界で現に
紛争と呼ばれるようなものが約五十あるというふうに言われております。そのぐらいの数まで
紛争がふえてきているのであります。
安保理決議は
紛争に対応してとられるわけでありますけれども、それを見ればもっとはっきりいたしますのは、八八年には一年間で採択された安保理決議がわずか十五しかなかった。ところが、九二年になりますとそれが五十三に飛躍的にはね上がり、大体そのレベルを、七十八、六十六、七十三、六十五というような形で推移しているのであります。ということは、具体的に言えば、安保理が停戦を呼びかけたり当事者による
紛争の解決を求めたりするような、安保理決議の対象になるような
紛争というものが
冷戦後の
世界で実は飛躍的に増大しているということを示しているわけであります。それが第三の
特徴であります。そのことが
国連の
役割というものに非常に大きな影響を与えているということを申し上げたいのであります。
第四番目に申し上げたいのは、そういうプロセスの中で、
国連というものの
役割と申しますか、
国連というものが政策決定において果たしている
役割というものに
変化が出てきているということであります。
これは、実は
二つの面について申し上げられるわけでありますが、特に
平和確保という第一の
国連の
流れのコンテクストで申しますと、
紛争というものがそういう性格の
紛争になってまいりますと、実は今までのように軍縮だとか軍備管理だとかあるいは停戦命令だとかいうようなことによって
紛争が片づくわけでは必ずしもなくなってまいります。
紛争の根源にあるものは一体何なのかということになってまいりますと、例えば
社会的な不平等の問題あるいは民族同士の不寛容の問題、
対立の問題、歴史的、宗教的な理由による反感の問題をどうするのかというような、非常に
社会的、経済的な
要素というものと政治的な問題としての
紛争というものが混然一体となった形であらわれてくるわけであります。したがって、武力をもって抑え込めば
紛争がなくなるというような種類の話ではなくなってくるわけであります。
そうなってまいりますと、
国際の平和と安全の維持ということについて第一義的な権能を与えられておりますのは
安全保障理事会であり、その
安全保障理事会が覇を持たなければならないという形で
国際連合が発足したということを申し上げましたけれども、
国際の平和と安全についての第一義的な責任を持つ
安全保障理事会の仕事というものは、実は単に
侵略者に対して武力
制裁を加えるとか
経済制裁を加えるというようなことで足りるのではなくて、もっと難民問題とのつながりだとか人権の尊重だとか、あるいは政治制度をどういうふうに民主化させてよりよい統治の
仕組みをつくるかというような問題と非常に密接に絡んだ形で出てくるわけであります。ということは、
安全保障理事会の権限ないしは
安全保障理事会の
役割というものが実は従来以上にもっともっと大きくなって、非常に総合的なものになってきているということが言えるわけであります。
現に、
日本は一昨年まで九七、九八と二年間、非
常任理事国でございました。その間私は安保理の非
常任理事国のメンバーとして座っておりまして、議長も二度ほどいたしましたが、そのときに、例えばUNHCRの緒方貞子さんにおいでいただいて難民の
状況について報告を受け、それについて
安全保障理事会としてどういう
立場をとるのかというようなことを決めなければならないというようなことがございます。あるいは、難民の問題だけではなくて人権の問題、あるいは具体的なある国における
統治機構の問題というようなものを事務局のその地域の専門の局長から話を聞いて、それに対して
安全保障理事会としてどういう対策をとるのかというようなことを議論するというようなことが出てまいります。
つまり、
安全保障理事会というものが単に武力をもって
制裁を加えるというような古典的な形での機能から、それをさらに超えてもっともっと広い形で平和の問題を考え、安全の問題を考え、それによって永続する平和というものをその地域、その
社会の中にどうつくり出していくのかということが非常に大きな問題になってくるという
状況が生まれてきたわけであります。
でありますから、ある
意味で
安全保障理事会の持つ
役割というものが非常に大きくなってきているということが申せるわけであります。かつ、それが単に量的に拡大したというよりは、質的により総合的な形で平和の問題を考える、開発の問題をも含めた形で、それも
経済開発だけではなくて、
社会開発も含めた形でいろいろと考えていかなければならないという
状況が出てきているわけであります。
一言だけ念のためにちょっと注をつけますと、そういう動きに対して、必ずしもそういうふうにいくのはよくないという考え方を持っている国もございます。具体的な例は中国でございまして、中国は、
安全保障理事会は狭い
意味での古典的な平和と安全の問題だけをやっていればいいんだ、それ以外の問題に
安全保障理事会が発言したり物を決めたりするというのはよくないという
立場をとっております。
ただ、具体的に後でもちょっと申し上げますが、
世界の各地の地域
紛争に対して今最も有効な手段として機能しているのは
国連の平和維持
活動、ピースキーピング・オペレーションズ、
日本語でPKOと呼ばれる
活動であります。
このPKOを見ておりますと、後でもちょっと時間があればもう少し詳しく申し上げますが、例えば当初のPKOがインド・パキスタンの
紛争に関連してでき上がりましたUNMOGIPであるとか、あるいはサイプラスの
紛争に関連してつくられましたUNFICYPであるとかいうような、あるいはもっと最近でいえばスエズ動乱のときにつくられましたUNEFであるとかいうような古典的なPKOというものが、基本的に停戦合意を実現させて、その実現した停戦合意というものをモニターし、それを確実にしていくという軍事的な
役割というものが与えられていたのに対して、またそれに限られていたのに対して、例えば最近の一九九三年のカンボジアにおけるUNTACの例をごらんになってもおわかりのとおり、人権教育であるとかあるいは民主的な制度の確立であるとか、選挙監視を通じて国民の意思を代表する政府をつくるプロセスというものに
国連自身が参画していくというような形、それから
経済開発、
社会開発というものを進めるための
協力をするというような非常に総合的な形での平和創造の
役割というものが平和維持
活動の中自体に入ってくるという、非常に総合的な平和維持
活動というものが出てきているわけであります。
そういうものから考えましても、
安全保障理事会の果たす
役割というものが非常に大きくなってきているということが
一つ申せるかと思います。
もう
一つの政策決定機能における
変化として申し上げたいのは、いわゆるシビルソサエティー、市民
社会というものの果たす
役割であります。
国連というのは、御
承知のとおり、そもそも建前としてこれは政府間
機構でございまして、主権
国家を代表する政府が集まってそれが物事を議論したり決めたりするという、そういう
機構であります。したがって、主権平等の原則というものが貫かれますし、先ほども申し上げましたように、
国内事項というものと
国際的な関心の対象である事項というものをはっきり分けまして、
国際機構である
国連が関与し得るのは
国際的な
側面だけである、こういうことになっているわけであります。
ところが、実際には、
経済社会分野における
相互依存関係、インターディペンデンスの増大ということに伴ってその境界というものが非常にあいまいになってきているということを先ほど申し上げましたが、そういうこととも関連いたしまして、やはりそれぞれの国の中における政府がどの
程度民意を代表しているのかということが非常に問題になってまいります。もちろん、民主的な制度の
もとにおいては政府は国民の民意を代表する
仕組みになっているわけでありますけれども、すべての国がそういう民主的な制度をとっているわけではございません。したがって、市民
社会というものが
社会として何を欲しているのかということを国境を越えた横のつながりを通じて、いろんな形で政策決定のプロセスに働きかけていくということが出てまいります。
国連は、
機構としては先ほど申し上げましたように政府間の
機構でありますから、それがそういうものをもろにそのまま取り入れるということはありませんし、またそういうことになるということは今の
仕組みを基本的に変えるということになりますから、そういうことに
仕組みの上でなるということは私はないと思いますけれども、実際問題としてそういうものがいろいろな形で政策決定のプロセスに影響を与えていくことが出てくるわけであります。
現に、各国の政府の代表団の中に、
日本もそうでありますけれども、例えば第三
委員会という
社会問題、婦人問題等を扱う
委員会がございますが、そこに市民団体の代表が政府代表という形で加えられるということは既にかなり前からの慣行として行われているわけであります。そういう傾向はどんどん強まってきているということがございます。
さらに、そういう政府の代表団の中に市民
社会の代表が加わるという形だけではなくて、むしろNGOとして
経済社会理事会に特別のステータスを与えられているものが非常にたくさんございますが、そういう
国際的なNGOというものが横の連携を通じて
国際社会全体の公益を推進するという
立場から政策決定のプロセスに間接的に影響を与えていくということが出てまいります。
具体的な例で申し上げれば、例えば一昨年、九八年の夏に
国際刑事裁判所というものを設立する外交
会議がローマで開かれました。これは、場所はローマで開かれましたが、
国連の
会議であります。私はそれに
日本の首席代表ということで参加したわけでございますけれども、もちろん、その代表団の中にそれぞれの国のNGOないしはそれに準ずる学術団体というようなものの代表が入るということはございますし、
日本の場合も大学の先生などに入っていただいているわけでありますけれども、それとは別に、例えばアムネスティ・インターナショナルであるとかあるいはインターナショナル・コミッション・オブ・ジューリスツであるとかいうような、この
分野において専門的な知見を有するNGOというものが
国際的な団体としてこのプロセスに参加をするということが行われたわけであります。
これはもちろん、最後の表決、条約を採択するときの表決は政府間の条約でありますからそれに票を投ずるということはありませんけれども、そういう案文ができ上がる過程においてこれに加わっていくということは、非常に顕著にそういうことがあったわけであります。同じようなことがリオデジャネイロの環境
会議についてもあったというふうに聞いております。
そういう政策決定機能に対する市民
社会の関与というものが、間接的な形ではあるけれども、特に先ほど申し上げた第二の
側面、つまり
国際協力の
中核としての
国連というものが
役割を果たしていく上で非常に大きくなってきているということが申せると思います。
以上申し上げた四つぐらいの点が、私が
冷戦が終わった後の
国連に参りまして、
冷戦時の私の知っておりました
国連に比べて非常に変わったなというふうに思う点であります。
そこで、最後に締めくくりとして、以上のような
国連の
変化というものを踏まえて、特に
日本の視点から見て
国連の直面する課題はどういうことなのかということについて簡単に申し上げたいと思います。この辺は、実はかなり具体的な問題がいろいろございますので
皆様いろいろ具体的な御質問がおありかと思います。とりあえず簡単に
枠組みの
お話だけを申し上げて、あとは
質疑の時間に譲りたいと思いますので、そういうことで御了承いただきたいと思います。
国連が直面している課題は、私は大きく言って三つあるというふうに思います。
一つは、
平和確保の機能というものを
冷戦後の
国際政治構造の中でどういうふうにして強化していくかという問題であります。
これは、実は
冷戦後の
世界秩序がどうなっていくのかという問題にかかわる問題でありますが、もちろん学者の中には、例えばクラッシュ・オブ・シビライゼーション、これからは文明の衝突の時代に入るんだというようなことを言う人もありますし、二極構造の中のスーパーパワーの
一つであるソ連がなくなったんだから、今度は唯一のスーパーパワーであるアメリカを
中心とした一極
秩序の
世界になるというようなことを言う人もありますけれども、私はそれはいずれもそんなことではないだろうというふうに思います。
一番基本的な理由は、やはり
国際社会というものが先ほど申し上げたようにグローバルな
社会になってきている。そういう中で、国と国との間の
関係というものが、単に対外的な
関係で接触する国と国との
関係、つまり政府という接点を通じて接触する国と国との
関係ではなくて、
一つの
社会と別な
社会、国内
社会同士が面で接着し合う
関係というものが出てきており、しかも
国際社会全体が
一つの
社会として抱える問題、エイズの問題にいたしましても環境の問題にいたしましても人権の問題にいたしましても、そういう問題が非常に大きな
国際社会の抱える
国際社会としての
社会問題になって出てきているという
状況がありますので、そういう中で一極
社会なんということはちょっと考えられないのであります。一極
秩序などというものは考えられないのであります。それからまた、逆にこれが多極的な、勢力範囲をそれぞれ分かち合ってみんながそれぞれの
分野で勝手なことをやるというような古典的な
意味での多極
秩序になるとも考えられないのであります。
具体的に出てくるのは、やはり
国連を
中心としてみんなが
協調しながらどういうふうにして新しい
秩序をつくっていくかということになってこざるを得ない。それがいかに能率の悪い制度であるにせよ、あるいはどれだけ
実効性を持つか持たないかということが疑問であるような制度であるにせよ、それしかやりようはないだろうというふうに思います。
そういう中で考えますと、安保理というものが持つ
役割というものが非常に重要になってくるということが申せると思います。なぜかといえば、先ほども申し上げましたように、憲章によって
国際の平和と安全を
確保する第一義的な責任を与えられているのは安保理であり、しかも
国際の平和と安全というものの内容が先ほど申し上げたように非常に総合的なものになってまいりますと、これがどういうふうに機能するのかということによって
国際の平和と安全の
確保というものがそれにかかわってくるという
状況が出てくると思います。
具体的には何が問題になるかと申しますと、
一つは、安保理というものがいかに実効的に機能し得るかという、いわばイフェクティブネスの問題であります。
やはり
紛争というものは抑え込まなきゃいけないわけで、抑え込むためにはいろんな
意味で実力を持った国々が集まってそういうことをやらなければならないという
状況であります。これは、もちろん武力による抑え込みということもありますけれども、さっき申し上げたように、武力によって抑え込めば
紛争がなくなるというわけではない。もっと根源的に
社会構造の問題、宗教の問題、経済
秩序の問題、そういうものに踏み込んでいかなければならない。そうすると、単に武力
国家として、軍事
国家として強大であるということだけで安保理というものが機能するわけではない。経済力というものも非常に重要になってくる。あるいは道義的な力というものも重要になってくる。宗教的な
役割というものもあるでしょう。そういういろんなものを総合して、そういうものに
貢献し得るような国々が集まって
安全保障理事会の
役割を高めていくということが非常に重要になってまいります。これが一点であります。
もう
一つ重要な点は、安保
理事会が決めたことは、総会だとか
経済社会理事会だとかほかの
理事会が決めた決定とは違いまして、
加盟国全部を拘束するわけであります。これは
安全保障理事会の決定の
特徴であります。総会で決めたことは勧告的な力しか持たない。総会で決めたからといってメンバーがそれに従わなければならないわけではありません。ところが、
安全保障理事会が決めたことというのは各国がそれに従わなければならないのであります。例えば
経済制裁を決めたら各国は
経済制裁をやらなきゃいけないわけであります。これが
国際連盟と比べて基本的に違うところだということは先ほど申し上げたとおりであります。
そういう中で、本当に
安全保障理事会の決めたことが守られるためには、
安全保障理事会の決定というものが正統性を持つ、これは我々の代表である安保理が決めたんだから守らなきゃならぬということが必要であります。そういう正統性をどういうふうに
確保するかということが非常に大きな問題になってまいります。
その
意味では、先ほど申し上げましたように、五十一カ国の中から選ばれてつくられた
安全保障理事会というものと、現在百八十八にまで大きくなって、しかも質的にも内容の
変化した
国連の中で
安全保障理事会がどうなければならないかというものはかなり違ってきているわけであります。この
実効性と正統性というものをいかにして強化するかということが
国連に課せられた
一つの非常に大きな課題だというふうに申し上げられると思います。
それとの関連で
一言だけ申し上げれば、平和維持
活動、PKOというものも、先ほど申し上げましたように、既に第一世代のPKOと呼ばれる単に停戦を軍事的に監視するというような単純なPKOではなくて、
国づくりの基礎をつくるPKO、より総合的な、
社会的、経済的な
分野をも含めた広い
意味での
国づくりの基礎をつくるという平和維持
活動というものに拡大している中で、そういうものをどれだけこれから強化していくのか、またそれに対して
日本としてどういう形で
協力するのかということが非常に大きな問題になってくるというふうに思います。
第二番目の
分野として申し上げたいのは、
経済社会分野への対応であります。特に、先ほども申し上げましたけれども、開発問題というものが実は
冷戦後の
世界の中で私はこれからの一番大きな問題になってきているというふうに思います。
なぜかと申しますと、
冷戦時代、確かに一九六〇年ぐらいから四十年近く、三十五年ぐらいにわたって
途上国援助ということは行われましたけれども、それが
一つの哲学と
一つの戦略に基づいて総合的な形で開発
協力というものが行われてきたかということになりますと、これは甚だ疑問なのであります。各国がそれぞれの
立場から努力してきたわけでありますし、
日本などはその
意味で大変大きな
貢献はしてまいりましたけれども、例えばその中には米ソ
対立の中で非常に軍事的、戦略的な
立場から援助というものが続けられたというようなケースもあるわけであります。
したがって、大変大きな額の援助が行われたということを申しましても、それが本当の
意味で
途上国が経済的な離陸をなし遂げて
国づくりをするということに
貢献したかということになってくると、まず第一に、そういう視点がどれほど鮮明にあったかという問題がありますし、第二番目に、
国際社会全体としてそういう哲学、そういう戦略に基づいて一緒になって総合的に
協力してきたかというと、非常に疑問なのであります。
ところが、今やまさにそういう時代が来たわけであります。
途上国の側も、先ほど申し上げたように、これからの
世界の中で米ソ
対立に頼ってその中で生きていくというわけにはいかないんだ、
自分たちの
国づくりを本気で考えなければならないという新しい機運が生まれてきている中で、開発問題に本気で取り組むということは実は非常に重要になってきているのであります。
実は私が
国連におりました五年近くの間、私が安保理改革と並んで最も力を入れて努力をしたのは、そういう新しい総合的な開発戦略というものを
日本のイニシアチブでみんなに浸透させるということでございました。その考え方はかなりの
程度みんなに受け入れられたと思いますし、そういう機運というものが
国連の中でかなり強く出てきていると思います。
現に今、
世界銀行が同じような考え方に立ってコンプリヘンシブ・ディベロプメント・フレームワーク、CDF、総合的開発
枠組みというものを提唱しておりますが、これは
日本の提唱してきた新しい開発戦略というものと基本的に同じものであります。そういう方向に世の中が動きつつありますが、これにどれだけ
国連が成功するかということが私は二十一
世紀を迎える
国連にとって非常に大きな問題だというふうに思いますし、それに対して
日本が本気で積極的にイニシアチブをとっていくということが非常に重要だと思います。
それとも関連いたしますけれども、
国際社会の公益、
国際社会が
一つの
社会になってきているということを申し上げましたが、そういう
社会全体の利益というものをどういうふうにして伸ばしていくのかということが、今日、
国連に課せられている課題の中で非常に大きな問題になってきております。
冒頭に申し上げましたように、
国連というものは
もともと主権
国家の集まりとしてできている
機構でありますし、当然のことながら、その中において各国の
国家利害に基づく争いというものはあるわけであります。そういうものなしに
国連を理想的な存在だというふうに考えるのは間違いであって、私ども
国連に座っておりましても、常に各国の利害というものを頭に置きながら、しかも自国の利益というものをどういうふうに伸ばしていくのかということは、これは
国連も
国際政治の重要な舞台の
一つでありますから、その中において
国家利害の
対立調整という問題は外交の本質的な一部として当然あるわけであります。
ただ、
国連というのはそういう権謀術数の場であるか、ジャングルのおきての支配する場であるかというと、決してそうではなくて、そういう
側面は依然としてあるけれども、それ以上に、
国際社会の公益という
立場から、
国際社会全体としてよくするために何をしなければならないのかという
観点というものがますます強くなってきているということがございます。
そういう面で、環境の面だとか人道・人権問題だとか、あるいは民主主義
体制によるよき統治の実現だとかいうようなことに
日本がどういうふうに
貢献するのかということが、
日本の視点から大変重要な問題になってきているのではないかというふうに思います。
最後に、あと詳しいことは御質問のときにお答えしたいと思いますが、それと関連して、
皆様方、国会でも大変関心を寄せていただいている問題として、そういう
国連というものをうまく運営していく上で行財政の改革というのはどうなっているのかという問題がございます。
一つは分担率をめぐる問題であります。もう
一つは
国連で働く邦人職員の問題であります。これはいずれも、率直に申し上げて、我々がいろいろ努力をしてまいりましたけれども、まだまだやらなければならないことがたくさんあるという
状況であります。
分担率について
一言で簡単に申しますと、分担率はそれぞれの国のGNPの大きさによって決めるというのが大原則でございます。したがって、
日本がアメリカに次いで
世界第二の経済大国であるという
立場からいたしますと、
日本が払う分担率というものが
日本のGNPに比例して大きくなるのはこれは必然的なことであって、そのこと自体は
国連の基本的な原則として決まっているわけであります。しかも、それは義務的経費として払わなければならない義務が憲章上あるわけでありますから、アメリカのように払いたくないものは払わないというようなやり方というものは既に
国連においても大変非難されておりますし、またそのことがアメリカの
国連外交というものの大変大きなハンディキャップになっている。アメリカの思うように
自分たちの主張というものが通らない
状況になっているのは、アメリカが分担金を払っていないということが非常に大きな足かせになっているということが申せるわけであります。
ただ、今のままでいいのかということになりますと、この分担率の問題は、さらにもっともっと
日本として公正な分担とその分担に応じた責任の分担というものをリンクする形で主張していくということが非常に重要になってまいります。
邦人職員の問題につきましても同じことがございまして、職員は基本的に能力に応じて採用されるということになっておりますけれども、それにもかかわらず、やはり分担金の多い国はそれだけ職員の数も多くていいということになっております。そういう
意味で申しますと、
日本人の職員の数というものはまだまだ不十分である、特に幹部職員において非常に不十分であるということが申せると思います。これも
日本がもっと努力をしていかなければならない問題だと思います。
ただ、
一言だけこれに関連して申し上げると、実は
日本人を採らないという政策があって
日本人が採られていないのではなくて、率直に申し上げて、
日本から本当に
国連として採りたいという人材がなかなか応募してくれていない、特に幹部職員についてそうであるということが非常に大きな障害になっている。この問題を
日本側において解決するということが非常に重要な問題だということを申し上げておきたいと思います。
ちょっと予定の時間を超過したようでございますので、ここで私の話を一たん打ち切らせていただきたいと思います。
御清聴どうもありがとうございました。