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参考人(
大泉敬子君) 皆様、こんにちは。
大泉です。
東京
情報大学という千葉の郊外にありますとても小さな大学から参りまして、そういうところにも目を向けていただいて呼んでいただいたこと、大変うれしく思っています。ありがとうございます。
今、
功刀先生は大変大きな枠組みで
国連の今後を展望なさったわけですけれども、私に与えられたテーマというのはもっと小さい、凝縮されたものなんですね。
安全保障の中のピースキーピング・オペレーションズ、平和維持
活動というものが一体これからどうなっていくんだろうかということを展望する
一つの材料を皆さんに提供するというのが私に与えられたきょうの
役割です。
それで、早速本題に入りますけれども、私が実はきょう言いたいことは、一言で言うとすればこういうことなんです。実は、
PKOというのは一言では語れないものになってきているぞということを言いたいわけです。一言では語れないいろんな内容を持つものをこれから先も
一つの
PKOという
言葉あるいは枠組みの中で見ていったり、あるいはその中で何か修正をしたりしていっていいものやらどうなんでしょうかということをちょっと提示してみたいなというふうに思います。
皆さんは、
PKOという
言葉を聞かれたときに、どうでしょうか、ユーゴスラビアですとかソマリアを当然思い出されると思います。カンボジア、それから今の東ティモールもそうですね。それから、少し私たちよりも人生経験が多くていらっしゃる方は、もしかしたらスエズであるとかコンゴであるとかパレスチナであるとかということを思い出される方もおありだと思うんですけれども、実はそのすべてを含む、今のところ五十三の
PKOという
言葉のもとでの
国連の
活動が出ていると。
私が自分の論文と、それから
功刀先生のもそうですけれども、出しましたものがこういうふうな資料になっています。これの一番最後の部分ですけれども、ここに
調査室の方が
PKO一覧表という、二〇〇〇年一月現在のものを出してくださっています。一番最後の八十九から九十ページにかけましてですけれども、ちょっとこれもごらんいただくといいと思うんです。
そうすると、
PKOが変遷してきたということは、つまり
PKOの再整理、概念の再整理が必要なのではないか。これはつまり二十一
世紀の、きょう
功刀先生がお話しになったような
国連の展望のためでもあり、さらに我々
日本がこれからどうそこに参加していくかということを展望することにもつながる作業、非常に重要な作業なわけです。
それで、まず、私がきょう一枚A4にレジュメらしきもの、これは
功刀先生のように立派なものではなくて大変申しわけないんですけれども、
一つの表をつくってきましたので、それも
参考にしていただきたいと思います。
この表を
一つ一つ細かく説明する時間的ゆとりはありません。ありませんけれども、少なくとも
冷戦の
時代、それからその
冷戦がもう終わるぞ、あるいは終わるというそのちょうどどたばたと駆け込む八八年から八九年、それからまさに
冷戦が地中海に全部米ソが投げ込みますよと言って終わった九〇年代以降というふうにその
時代や
国際環境を区切って
考えてみますと、表に出したような中身が見えてくるということが言えると思います。
重要なことはこれからその都度申し上げますけれども、これを見て一体何がわかるだろうか。どうも第一世代、第二世代、第三世代なんという
言葉がある。数も圧倒的に確かに九〇年代以降に新しく設置されたものが多い。九〇年代以降に三十五できました。でも、今継続しているのは十七なんです。その十七の中でさらに九〇年代に設置されたものが実に十二あるわけです。非常に多いです。
それから、ピースキーパーズというところを見てくださるとわかるんですけれども、これはどういうふうに訳していいのかわからないのでこのまま持ってきましたが、平和維持
活動に携わる
人たち、この
人たちをピースキーパーズといいますけれども、この中身も大分変わって多様化してきている。恐らく最も皆さんの関心がおありになるのは、一番下の
活動原則のところだろうと思うんですけれども、ここもかなり変わってきているのかな、あるいは変わらない部分もずっとあるんですけれども、変わってきているところもある。
つまり、何がわかりますかという質問に対して答えるときに、
PKOという
言葉は普遍的に使われているけれども、変わらずに使われているけれども、まず質的にかなり内容が変わってきているし、量的にもかなり増加をしてきている。九〇年代以降はとにかくいろんな紛争、特に民族紛争ですけれども、そこに対して何でもかんでも
PKOを出してしまうという、そういうことがあった。
しかも、第二点目としては、その変遷が今お話をしたように、
国連という
国際的な組織、主権国家がつくっている組織が置かれている
国際環境の変化の中で生まれてきたということ、これがわかります。
国連は、よく明石さんがおっしゃるように、
国際関係、
国際政治を映し出す鏡である、縮図であるいうふうに言いますけれども、そのことが
PKOの中にももろにあらわれてきているということを御理解いただければと思います。
冷戦中のものなんですけれども、これは四八年から七八年と書きました。あら、
冷戦というのは八九年まででしょうと。確かにそうなんですけれども、少なくとも
PKOという
活動が出されたのは四八年から七八年。ですから、七九年からアフガニスタンに新しくソビエトが侵攻した第二次
冷戦、新
冷戦と言われた
時代、この
時代には全く出ていません。この十三件というものが、結局
国連憲章の本来の
集団安全保障というものができない、しかし局地的な紛争があってそれが
世界紛争に、
世界戦争に拡大する、それを阻止しなければいけない。もう既にこの時点で予防外交という
言葉が使われていたわけですけれども、その中で米ソ、それから東西両陣営、それから局地的な紛争をしている国々、そういうもの、あるいはその取り巻きにいる国々が全体的に
集団安全保障にかわって受け入れられるものとはどんなものがあるんだろうかと
考えたときにつくり出された新しい
活動であったことは、皆さんよく御存じだろうと思います。
停戦や休戦というものを一度経て、そういう武力行使が停止した
状況を凍結するという目的。ですから、紛争解決そのものが目的ではなくて、あくまでもその土台づくりで暫定的なものとしてつくられたということ、これを踏まえておく必要があります。
そして、伝統的な
原則ですけれども、つまり強制しないということです。この
三つの
原則はもう一度よく踏まえていきたいんですが、同意、これは当事者の同意によって派遣されるものである。それから公正、これは英語でニュートラルというよりはインパーシャルという
言葉を使う。ニュートラルというのは何もかかわらないで自分が全くその外にいるということなんですけれども、インパーシャルというのは、かかわるんだけれども少なくとも
国連がすべきこと、例えば停戦、それに違反しているようなところに行って、ちょっと違反していますよ、何とかもとに直してくださいよと説得をしたりする、そういうことをどの当事者にも敵、味方の区別なく行うという
意味ですから、むしろニュートラルというよりはインパーシャル、
活動の公正さということなんです。これが求められる。
そして、もちろん自衛以外の武力を行使しないということが求められるというふうなことで、これは
国連憲章第七章が麻痺していたことによって出たわけですけれども、あくまでも非強制のものとして出てきていて、ここは非常に重要な
PKOの長い
国際社会の
歴史の中の
意味合いだろうと思います。
今申し上げたのが実は第一世代の
PKOと言われるものなんですけれども、それに対して
冷戦が終わりかけたころ、それから
冷戦が終わってからは第二、第三世代というものができてきます。もちろん
国際環境の変化ですから、
冷戦が解ける、とりわけソビエトの新思考外交といいますか、外交の仕方が変わった、そういうことも含めて移行期に五つほどばたばたとできますけれども、
冷戦時代、国家間の紛争に対してだったものがほとんどですが、内戦がふえてきて、やがて
冷戦が終わりますと、皆さん御存じのようにほとんど内戦である。
そういう民族、宗教、あるいは独自の土着的な、経済であるとかさまざまな問題から起こってくるような内戦に対して一体どんなふうにして
国連がかかわればいいのかというときに、何もない。今まで
PKOというものがあったからまずそれを出そうというふうになったわけですけれども、その中身は当然変わってきました。
そこで、
二つ明確にしておかなければいけないのは、第二世代というもの、これがまずできた。つまり、例えばカンボジアのようにパリ協定という紛争そのものを終わらせる政治的な合意というものがきちんとでき上がってきて、それを実施すること、あるいはその実施を支援すること、その
意味合いを持ったものも
PKOというふうにして出された。その内容はその括弧の中に書いてありますから読みません。
けれども、この
PKOに関しては、では
原則はどうですか、武力を使う必要があったんですか、強制する必要があったんですかといいますと、決してそうではなくて、あくまでも伝統的な
原則、第六章半的と言われるんですけれども、六章の紛争の平和的な解決というものを限りなく求めつつ、軍人、部隊、そういうものも派遣する。ある種軍事的な
行動を行うという
意味で六章半的なと言われるんですけれども、そういう
原則を踏襲するものとして第二世代ができた。これはナミビアもそうです。今言ったカンボジア、モザンビーク、西サハラ、エルサルバドル等々
幾つもあるんですけれども、これは大変成功しました。
ところが、それに対して問題だと言われたのがいわゆる第三世代と普通言われているものでして、まだ内戦のさなかにあって、しかしそこでは非常に人道的な悲劇があって、それをほうってはおけない。内戦ですから当事者がだれかということが特定できない場合もいっぱいあるわけですけれども、何となく停戦らしきものはできるけれども、現地でそれはすぐ解けてしまう。もちろん政治的な和平の合意はない。でも出ていかなくてはいけない。さあ、どうしましょうか。
PKOで行くしかありません。
そのときに、政治的な合意がない内戦に対して人道的な
意味合いで介入をする。もちろん、物資を運ぶものが妨害されたらそれに対して武力を行使する等々の平和強制型の
PKOというものが出てきた。これがユーゴスラビアであり、あるいはソマリアであった。それの典型として見られるものであったわけですけれども、
国連憲章第七章のもとに出されたものです。
ここで、決定的にその機能が多機能化しただけではなくて、
活動原則も変わってくる。これが
活動原則の一番右下に書いたところなんですけれども、いわゆる平和強制型あるいは
国連憲章第七章型と言われるものでして、ユーゴの場合は、安全空域ですとかあるいはさまざまな安全の地域を守るため、これはNATOというものに委託をした武力行使をしましたし、それからソマリアの場合は、初めから
国連の平和維持軍というものが強制力を持つものとして七章下に派遣されまして、武装解除等の武力行使をしています。こういった多
国籍軍などにも補強されながら、この新しい
原則を持った新しい形のものも出てきている、これが第三世代というものです。
そして、その第二と第三の間にちょっと書いたんですけれども、今回の
コソボですとかあるいは東ティモールがそうだと思いますが、まず現状が大変カオス
状況であったけれども、そこに多
国籍軍、
コソボの場合はNATOです、それから東ティモールの場合はオーストラリアが主導する多
国籍軍が入っていって、その
状況を少なくとも治安維持できる
状況にした後で政治的合意をつくって、そこに多機能型の
PKOを出していくという、そういう形も今できてきています。
こんなふうに非常にたくさんの形が出てきてしまっているために、私たちの
PKOというのは何かというその概念というものが混乱させられてしまっている。
それでは、その次の問題として、一体すべての
PKOという
言葉で出されているものを
PKOというふうにくくってしまっていいかということを
考えてみたいわけです。
どれもこれも
PKOですよ、武力をやるものも
PKOですよということなんですけれども、確かに、
時代が変わる、そうすると
国連の内容も平和
活動の内容も変わる、ですから
PKOもさまざまなバラエティーがとれていいんだというふうな議論をする人もいっぱいいます。もともと
PKOというのは七章が発動できなくてそれを補完するために出てきたのですから、それは当然のことでしょうという議論をする人もいるんですけれども、むしろ
PKOというものの本質をどこかに限定する必要が私たち今あるのではないだろうかということを申し上げたいんです。
それはどういうことかと申しますと、少なくとも機能は多面化してきている。停戦監視だけではなくて選挙監視、あるいはある
一つの国や
社会をつくり直す全般的な
活動まで行う、経済のインフラの再建まで行う、そのように多面化はしてきているんだけれども、基本的には伝統的な
三つの
原則というものによって立つ六章半的な
PKOというもの、これをやはり我々はずっと守っていかなきゃならないんじゃないでしょうか。
功刀先生は、もう少しそのバラエティーに修正を加えて
PKOというのをいろいろと変えた方がいいという御
意見だったように思いますけれども、この点ちょっと私が違うところかもしれません。
こういう
考え方というのは、実は
国際的な世論の中にもありますし、それからガリ前事務総長が、初めは非常に武力を行使しよう、しかしそれはやっぱり難しかった、失敗したからといって、九五年に新しくまた出す
報告書の中で、やはり六章半型に回帰するということを言っています。ですから、こういう
考え方というのは決して間違った外れた
考え方ではないと思います。
そういうふうに
考える背景は、理由は何ですかということになってくるわけですけれども、これは
功刀先生のお話の中にも何度も出てきました。
国連というものの持つべき正統性、つまり第三者
機関、
世界政府ではない第三者的な
機関、その
国連が持つ正統性、その信頼性、そういうものが今だからこそ非常に重要視されているのではないだろうかと思うからです。
第一世代のものは、これは確かにパレスチナ、四八年に出されて今もあります。中東がなかなか和平に行こうとしつつ行けないということもあって、こういう
活動が長期化するという逆の問題はありますけれども、少なくとも大変にメリットがあった、これは評価できる。
それから第二世代ですけれども、少なくとも政治的な合意があってそれを実施するという
活動を
PKOが強制しない形で、要するに
三つの
原則を貫きながら行っていくということは、これは大変に
意味のある有効なやり方ではないか、これは実際に実証されてきていると思います。
恐らく東ティモールなんかがこういう例に当たってくるんだろうと思うんですけれども、つまり統治をするわけではなく、押しつけることなく、私の
言葉を使えばマネジメントするような
活動ということです。あくまでも現地の当事者たちの意思、意向というものを尊重しつつ
国連がそれをサポートしていく、
国際的な場で局地的な紛争や内戦というものを
国連の外あるいは
国際社会の外にではなくて中に置いて見守っていく、そういうやり方としては、この第二世代のものというのは
国連の正統性、信頼性、第三者
機関としての中立的な
役割、それを大変発揮できる有効な場面だろうと思います。
ただし、第三世代になってきますと何がわかったか。ユーゴスラビア、ソマリアがそうでしたけれども、停戦の
状況もない、あるいは政治的な合意もない、そういったカオスの中で、しかも現地の
状況は刻々と変わってどう推移していくのかよくわからない。
私がソマリアに関して今回書いたちょっとした論文も載せていただきましたけれども、まさに今我々の目の前にある紛争の性格というものを見ますと、これは国家間紛争ではありませんので、甚だ我々からは見えづらいわけですね。当事者がだれかということも本当にわからなくて、日々そこに生きている
市民の
人たちが暴徒と化す場合も非常に多いわけです。そんなふうなことを
考えますと、そのような
状況で
国連が有効に果たして
活動できるのかという問題がまず
最初にあると思っていいんだろうと思います。
つまり、
国連が
PKOを出す場合の前提というのは、あくまでも根本的な紛争の解決が少なくとも見えている、政治的な合意にいきそうだ、あるいはもちろん合意があることの方が大切ですけれども、あるいは停戦というものがある。つまり、現地の当事者たちの紛争解決の意思が明白であるということがわかってから
PKOが出ていかないことには、これはソマリアやユーゴのような例というのは、これからもし同じようなことをやるとすればどんどん出てくるだろう。それを防止するという
意味合いもあって、この人道的な
意味合いで介入することの必要性というものを私は排除しませんけれども、少なくとも
PKOという形で一緒くたにして出してしまう、七章下の
PKOというものを出すのは、これは問題があるのではないか。
もう一点、その点で言っておきますと、つまり当事者になってしまう。
国連は当事者になってしまってはいけないのではないでしょうかということです。あくまでも第三者的な立場というものにいるべき
国連ではないか、これも事例からわかってきている。つまり、現地と
協力することが非常に不可欠です。現地の
協力を得ることが大切です。そういう
意味合いにおいて、
PKOというのが第三型になってしまうことは問題があるように思います。
となると、やはりその三
原則、確かに
冷戦期にいや応なく
冷戦の落とし子として出てきた
原則ではあるのだけれども、この
原則が我々に語るメッセージというのは非常に大きいのではないかというふうに私は
考えるわけです。
最後に、今後の展望、今のようなお話の総まとめとして、これから先の展望を
幾つかちょっとお話ししてみようと思うんですけれども、これは、明石さんがよく第三世代まではあってこれからは第四世代の
PKOだということをおっしゃるんです。ただ、第四世代ということでどういう内容をおっしゃっているのかはいま
一つまだ明確ではないのですけれども、そういう
言葉もあって、ただ私は、明石さんと同じような
意味合いで決して言わないのかもしれませんけれども、
幾つかのことを
考えてみました。
第一点目は、少なくとも伝統的な
意味合いの
PKOというものと七章の強制
行動というものは、これは混在させてはいけないということは踏まえるべきではないかということです。つまり、伝統的なものというのは非強制であり、さらに非暴力なものであるわけなんですけれども、これと強制
行動というのはジレンマがあるということ、にもかかわらず何でも
PKOとして出していたところに問題があるわけです。
ですから、まずいろんな
国連の
活動を展開する前に、一体どういう
事態が今現地であるのか、その紛争はどういう紛争なのか、一体何ができるのかということを厳しく選択する。これはもちろん
安全保障理事会が最終的に決議で、ある
PKOを出したらその任務というものをつくるわけですけれども、その
段階できちんとしためどをつくって、停戦が破られやすい
状況にないかどうか、そういうことを確認する。政治的な合意ができるのかどうかということを確認する。つまり、七章のもとでの
PKOをつくらないということが大変重要なのではないでしょうか。
ユーゴスラビア、ソマリアを見てみますと、実に
安全保障理事会の決議が多いんです。初めに出したものが、現地の
状況が変わると決議がどんどん内容が変わっていくんです。これはミッションクリープ型なんていいますけれども、どんどん現地の
状況に対して任務が拡大化してしまって、初心がどこにあったのか、今どこに我々がいるのかということがわからなくなってしまうようなものがある。これはやはり避けるべきではないかというふうに思います。
と同時に、今のところの現状ではP5、パーマネント5というものが
中心になって
安全保障理事会があります。これは改革すべきですけれども、それをまだ議論しないで現状ということをいいますと、そうすると、その
大国を
中心にした国々が一貫して支持できるもの、それからもちろん我々も支持できるものということをちゃんと踏まえて出すべきだというのが、これが
一つです。
それではあなたは、人道的な介入、そこで悲劇が起こっていても介入しないで手をつけないでいるんですかと言われるかもしれませんけれども、そういうことを申し上げたいわけではない。むしろ、
役割分担をしたらどうだろうかと。初めに人道的な介入をすべき、特に強制力を持つ強い抑止力といいますか、そういうものを持つべき
活動、これはNATOであるとかあるいは地域的な
機構であるとか、そういうところと
協力分担関係を持つ。そして、
コソボの場合とティモールの場合がそうなんですけれども、それによってある種政治的な合意ができてきた、治安が維持されてきた、回復されてきた、そこで三
原則によって多機能型の
PKOが出ていくという、こういう
役割分担をするということがとても重要になってくるのではないだろうか。
もちろん、指揮権の問題があります。けれども、少なくとも、
功刀先生がさっきおっしゃった、今グローバル・ガバナンスなんという
言葉が言われるように、
世界が一体となって、さまざまなアクターが一緒になってある共通の価値、我々が今話している問題で言えば平和とか安定とか秩序なんですけれども、そちらに向かっていこうとしている
時代です。そういう
時代の中では、
地域機構、NATO、こういうものを
国連や
国際社会の枠外に置くんじゃなくて、それを含み込んだ形で
国連がそれをマネジメントする、そして
役割分担をしていくということが大変重要なのではないかということ、これが二点目。
それから、二世代型の包括的な
活動を
PKOとして行うことは、これは有効であろう。その場合にも強制力は使わないんですけれども、
国連それから人道的な
機関、もちろん
世界銀行等のインフラを再建するためにお金が必要、そういう
専門機関それから地域的な
機関、こういうものを
国連が
中心になって有機的に関連づけながらその
活動を総合的に行っていく。まさに総合的な
安全保障という
言葉の一環をなすと思いますけれども、それをやるべきではないか、これが三点目。
それから、軍人、部隊だけではなくて警察、文民あるいは
NGO、この辺は私まだ勉強不足でして、どのぐらいこういう
分野に
NGOがかかわれるかということは研究したいと思っていますけれども、こういうさまざまなアクターというものを混合させた形での
PKO、これは有効であることは間違いありません。
第五点目は、
協力国の
中心に余り
大国を据えない方が確かにいいのかもしれない。
国連の
国際性、信頼性、そして正統性ということを
考えますと、この点は非常に重要な論点になってくるかもしれない。
それから六番目に、それでは迅速な展開のためにスタンドバイ・アレンジメント、これは九四年にガリさんがつくったんですけれども、こういう待機制度のようなものもこれから整備していく必要がありますでしょうし、そういう
意味でいうと、歩兵部隊は割と出しやすい、だけれども特殊な部隊、通信とか運輸とか医療とかそういうことを担う部隊というのはなかなか出しにくいので、そういうところで
日本などが貢献できる
可能性というのはたくさんあるだろうと思います。
そしてもう
一つは、最近刑事裁判所というものができましたけれども、そういう司法のレベルで少なくとも人道に反する罪のようなものを裁くということもその大きな平和の枠組みの中に入れ込んだらどうだろうか。
つまり、私が最後に申し上げたいのは、すべてを
PKOとしてくくってしまわずに、
PKOを今申し上げたように限定しつつ、その他のものをバラエティーを持たせて
国連の大きなピースオペレーションズ、私のレジュメの中に
国連平和
活動と書いて下線を引いたんですけれども、そういうさまざまなタイプの平和のための
活動を
一つにまとめた
言葉として平和
活動という
言葉が最近使われます。
国連が
国際の平和と安全を維持するという
意味合いのいろんな
活動ですけれども、それを再構築していく必要があろうかというふうに思います。
PKO局、平和維持
活動局というのが実は九二年にできたわけですけれども、そのときにも議論があったそうです。これは
PKO局じゃなくてピースオペレーション局にしようと。だけれどもそのときには、とにかく
PKO、
PKOと言っていましたものですから、そうならなかった。ですから、小さなことですけれども、これからは
PKO局というよりはむしろピースオペレーションズ・デパートメントというものを
国連の事務局の中につくり込んで、その中で
国連がさまざまな
資源を使って、さまざまなアクターを使って、そして
国連の
安全保障をマネジメントしていくということ、これがとても重要になってくるのではないだろうか。その中で
日本が果たすことのできる
役割というのは大変多く出てくるというふうに私は
考えます。
以上で私の陳述を終わります。