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田名部匡省君 この
株式の所有者別を見てみますと、
政府、これは
政府系の金融機関ですが、それから青森県、これが五〇・二%株を保有しているんですね。金融機関が四十七行で一四・〇八%、四十七行で百六十九万株、その他の法人、まあ大
株主というのは電力とかいろいろあります。
私は、今
大蔵大臣もお話しになった
ように、確かにこれは日本の経済、むつ小川原を開発することによってというのは、私は県会議員だったんです、当時。県会議員に当選して間もなく、新全総でむつ小川原開発を初めて入れて、そしてこの計画をつくった。大変な計画でびっくりしたんですよ、私
たちも。当時、四十年に比して六十年には鉄鋼が四倍、石油が五倍、石油化学が十三倍になるという計画で、県も開発計画は当然破格なものにやっちゃったんです。しかも、最初は二万八千ヘクタール、陸奥湾から三沢市まで広大な土地が入ったんです。何でそれを入れたかというと、当時は鉄鋼を考えていましたから。あの陸奥湾には五十万トンタンカーが入ってこられる、防波堤も要らぬというので、あのころ千何百人の人が視察に来たんです、新日鉄からいろんな方々が。それが漁民の反対でとうとうだめになっちゃって、だんだん狭まる。それから、家を移したくないという
人たちが反対で、結局六ケ所地域だけが開発計画になっちゃったんです。ところが、オイルショックが二回来たものですから、石油コンビナートがだめになっちゃった。そこへ石油の備蓄タンクだということでやったんです。それから、核燃サイクルだということで、もう目的が全然違うことを直さずにやってきたんですね。
私はそのときに、竹内知事さん、それから北村知事さんの時代でしたが、北村知事さんも県独自で計画をつくれるわけがないと。それはそうでしょう、日本の経済がどうなるかなんというのは県庁でわかるわけがないんですから。産業界の将来もわからない。それで、経団連に依存しながら、通産省とエネ庁相手に計画をまとめた。結局は最終的には第一次基本計画、結論として石油シリーズ、これも国の主導だった。石油需要は将来も伸びるというのでこっちも乗り気になったのが、二回のオイルショックでこれはだめになった。国の予測も随分外れまして、石油精製なんというのは十五倍になりますよなんという
ようなものも全然、五倍ぐらいにしかなっていなかった。それで、土地が売れ残っちゃって、買いに来ない。
今度これをつぶして新しくもう一遍放棄してやればといっても、古くても新しくても私はあの土地は売れないと思います。しかも、国土庁では二十年を目指してと、こんな話で、半世紀もたってまだあの状態なんですね。当時経企庁の調査官で来た下河辺さん、私もよく県会議員のころお会いして知っておるんですが、国の見通しの甘さだった、もともと新全総の中にはやると書いていない、やるんならもっと調査しなきゃならなかったと、こういうことを後から言われているんですね。そうすると、四十七年ですか、あの閣議口頭了解を受けて、それから土地買収がどんと行ったんですよ。ですから、後押ししちゃったんですね、閣議口頭了解というものは。
ですから、もうすべてそんな状況で、地元紙のこの長い間のいろんななにを見ておりましたら、宮澤
大蔵大臣のお話も出てまいりますよ。新
銀行設立法案の国会審議の際、宮澤蔵相は、どうして日本は戦争を早くやめなかったんだと戦後生まれの方は思っていらっしゃるに違いないが、その渦中にいるとやめられないんですね、だれもやめさせるということは言い出せないということをお話しになったという記事がありまして、一たん手をかけるとなかなかこれ、やめるということは難しいと思うんです。
そして、経団連が民間代表だというんで、平成五年七月八日に念書を出しているんです、平岩さんが。「むつ小川原開発
株式会社の事業運営につきましては、同社の設立以来ご支援、ご協力を賜わり厚く御礼申し上げます。」、「むつ小川原開発計画は、わが国経済の将来の発展に寄与する国家的事業として計画遂行されておりますが、近年の石油ショック等の経済的変動の
影響もあり、」これはうまくいっていません、
経営課題は非常に難しい状況にありますと。しかし、「同社はご高承のとおり、昭和四十六年三月、当経団連が中心となって設立した会社であり、前記の事態に対処するため当経団連といたしましては、内部に「民間活力
委員会むつ小川原開発部会」を設置し、鋭意同社の
経営改善に取り組んでいるところであります。」、「今後も引き続き当経団連主導のもと、当経団連が責任をもって同社
経営の管理指導にあたる所存でございますので、よろしくご支援、ご協力下さいます
ようお願い申し上げます。」と。
言ってみれば金融機関というのは、つき合いつき合いと言われて、これは軒並み同じ金額ですから、しかも放棄してくれと言われている青森県は地元の
銀行だというんで四十億ぐらいの大体債権放棄になっちゃうんです。もともとが貸し付けがみちのく
銀行五十五億四千六百万、青銀が五十三億七千万、そのほかに出資が二千万ずつ。こういうことで、将来本当にちゃんと土地が売れて何かやるというはっきりしたものがあればつき合いますけれ
ども、何か雲をつかむみたいな計画ばっかりを持ってくるんでつき合えないと、こう言って反対しているわけですね。
私は、この間も
政務次官に
質問したんですが、党の方でお決めになってどんどんこれは進む、しかし所管する大蔵省やそういうところは、我関せずということでもないんでしょうけれ
ども、一体その辺の整合性はどうお持ちになるのかなと。片方では、今もう
銀行大変だというときで一生懸命やっている、片方では放棄せいというのをやっている。
そのときに、地元の自民党の国会議員さん方が、いやいや青森県も恩恵を受けているんだからこの案をのめというのがマスコミに出まして、私は、冗談じゃない、あの原発再処理工場があるために全国の原子力発電所の使用済み燃料を青森に持ってくる、そのことによって
国民全部電気を使えるわけで、私の方以上によそが恩恵を受けているんじゃないですかと。そうしたら、もう一人の代議士さんが、いや、むつ小川原に
国民の税金を使うというのはおかしいと言うから、それじゃ長銀、
日債銀は何でしたか、私は預金したことも借りたこともないが、
国民の税金を投入して助けて、それとこれはどう違うんですかという
質問をしたんです。
どうもそこら辺が、だから一番責任あったところがもう一〇〇%放棄します、県もかかわったというんならまあ五〇%だというふうにして、やっぱり責任に応じて放棄というものを決めてあげなければ、犯罪を起こして強盗も人殺しもこそ泥も同じ判決を受けるみたいな、そんな感じをみんな思っておるんですね。この辺のところは私はどう考えてもおかしい。
それでおかしくなったら、大体
株主総会をもち切れるのかと。私も
銀行の
株主ですから、今度は行って頭取の首をとってやると言って、そうしたら、いや先生それは勘弁してくださいと言うんですね。だって、それだけの損して、自分の責任でもないものをああそうですかと放棄してきたら、
銀行おかしくなったらどうするんだという話をしているんです。
ここまでお話を申し上げると、いかにこの開発計画というのは国主導でやられて、県がもう何にもわからずに乗っかってきて、まあいろんな
条件はあったでしょう、その失敗のツケをまた負わされると。
この間も
委員会で森総理にも言ったんですが、こんなことを県民の税金で負担する、新幹線も盛岡から博多まではただでつくって、いよいよ貧乏な岩手県の盛岡から先の北と青森県に来たら三分の一負担してくれと、一千九百億。それで、在来線は北海道から九州までつながっているのに、青函トンネルを抜けてきた途端に、青森県と岩手県の一部、盛岡までは第三セクターで維持してくれと。それもしかも青森県だけで二十二億ですよ、負担が、毎年赤字が。やれるわけがないんです、こんなことをやられたのでは。それで、私は知事に、線路を取っ払ってバスで代行すると言ってやれ、あとはどこを通っていこうがと。岩手県通らぬでいい、青森に来たら秋田県の方を通って行ってくれと、こう言って頑張っているんです。
ですから、その辺の枝線でない鉄道をそういう扱いにもするということでは本当に私は困ったものだな、こう思うんですが、ここまでの私の
意見を申し上げました。どう感じられるか、ちょっと
お答えいただきたいんですが。