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国務大臣(宮澤喜一君) 多少お時間をいただけるようでございますので、同じ問題意識で
お答えを申し上げたいと思いますが、いずれにしてもこの問題は将来何年かたちましてもう一遍たくさんの方があるいは学問のテーマとしても考えられる問題だろうと思いますが、振り返って、私も一九八五年まで振り返るかなと。これはプラザ合意の年でございます。
そのころ
日本経済は絶好調でございまして、世界の大
銀行といえば十のうち九つまでは
日本の
銀行というふうに言われたし、我々もそれを当然と心得ておったような時代でございます。確かに量的には非常な、もともと資本の大きい
日本の
銀行でございますから、資金を擁して、大きな国内の貯蓄も持っておりました。そういう位置を占めていた。
当時、
アメリカの
銀行は、理由はいろいろあったと思いますけれ
ども、いわゆるセービングス・アンド・ローンの話もありましたし、主としてラテン
アメリカ等々に対する大
銀行、マネーセンターバンクスの不動産投資というようなこともあったと思いますが、非常な不調でありました。バンク・オブ・
アメリカが本店を売るというような話を私
どもは間違いではないかというような気持ちで聞きました。
しかし、やがて
アメリカは、これは一番悲痛な話は、ナショナル・シティであったと思いますけれ
ども、もう首を覚悟でリードという人が再建をかけたというような話はついこの間のことですが、結局バンク・オブ・
アメリカを含めて立ち上がることができた。
その間我々は大変に、栄華の夢にふけっておったと申しては情けない話ですけれ
ども、量的な拡大というものを誇っておって、しかもそれがバブルだと気がつきましたときに、ここはちょっと途中を飛ばすようでございますけれ
ども、いわゆる護送船団方式のもとに各行の間に本当の競争関係、食うか食われるかという関係はございませんでしたから、したがって本当に監査部の人たちの厳しい自己監査というものはなかったし、そのもとをたどれば監査をすべき国の
銀行検査がすべき検査をしていなかったということにならざるを得ないのですが、そういう状況の中で一挙に崩れ去ったと申し上げてほとんどいいのじゃないかと思います。
アメリカの方が早く立ち直りましたので、とても今太刀打ちはできない状況になりまして、いや決して悲観をしているのではございませんけれ
ども、そういう中で表面的に言えば九八年に突然三洋証券が倒れる、北海道拓殖
銀行があるいは証券
会社山一がといったような、国民には本当に降ってわいたように、思いもしない、みんなが
銀行へ列をつくったというような、突如としてそういう状況が起こったときに、政府は全く不用意、不準備ではなかったのですけれ
ども、その前の年ごろから早期是正というものを心がけたために、それが、それだけが先行しましたから、
銀行は引き締める、国民はおびえるということで、この状況を非常に悪くしたと思いますが、しかし全体として、やはり
銀行も不用意であったし、行政も全く護送船団方式ということでほとんどなすことをなさなかった。
わずかにその前の前の年あたりの住専
処理という問題、御承知のように国会の大きな御論議になりましたが、これもちょっと私の拝見していたところでは、その正体というものを十分把握し切れずに、何となく六千八百五十億金を出せばいいんだというようなことで、それで済めばよかったんですが、もうそのときにはそれで済まないということははっきりしておりましたから、それでさらにいわゆるバブルの不良債権というものの
実態に入っていかざるを得なかった、簡単に申しますとそういうことだと思います。
私はやはり、産業界と違いまして金融界は競争というものが、対外的な競争の自由化というものが非常におくれました。これはなぜおくれたのか、いろいろあると思いますけれ
ども、役所側の抵抗もあったと思いますけれ
ども、プレッシャーも意外に強くなくて自由化をしなかったということがやはり
日本の金融が自己監査を怠ったということになったのだろうと、これが一つでございます。自由化をしなかった理由は、護送船団方式というものがあって、その流れで物を考えていたということ。
一九九二年に私はたまたま総理をしておりましたけれ
ども、この状況というのは国が関与をする用意があると考えましたほど実は深刻であったと思いますが、しかしそのことは
金融機関にとっては、もし国が関与をすれば
責任問題になる、
責任者が出るという見方と、うちは大丈夫だ、ほかのことだというような見方。産業界は、金融に支援をするということはもう本能的に嫌いでございますから。そして、官僚機構は、今まで自分のお守りをしてきた行政がまあ土地でも何でもちょっと値段が上がればもとになるだろうと。いろいろ自分たちがやってまいりましたその努力というのはあるのですが、その努力は一種の、やがて土地が上がっていくだろうという、そういう希望に裏づけされておるものですから、したがってそれが実現しないときにはその努力というものは破れてしまう。そういう
立場からいうと、役人としても経済の好転を期待したいという気持ちがあって、とうとうこれは取り上げられませんでしたけれ
ども。そういうような全体としての現状是認、競争からくる気持ちの引き締めというようなものがない状況のまま突入してしまったというふうに思っております。
それで、最後のところで言われましたことは、しかしそうではございましたけれ
ども、こういうことになって、本当にかつての好敵手からはもう遠くに置いておかれて二十一世紀でやれるだろうか、各
銀行もうたくさんの
責任者が出る、上の方の人間がいなくなってしまいましたから、かえってそれはやがていいのかもしれませんけれ
ども、当面非常に経営というものもしっかりはしていない。そういう状況でございますが、いろいろありましたが、私は最悪の事態は過ぎただろうと。随分国民のお金も使わせていただいたし、いろいろでございますけれ
ども、随分高くつきました。そして、これは将来に向かって大きな国の
債務としてやっぱり残っていく、それももうやむを得ないことでありますから、大変に高くつきましたが、何とか立ち直れそうだと今思っております。
そこへいきますと、ペイオフを一年延期したということ自身は、私は前にも申し上げましたが、実は理由があってのことで、それが国際的な
信用なり国内の士気をくじくことにはならないと思っておるものではございますけれ
ども、
委員が言われましたような過去十何年の回顧というものはやはり私はこれからのことを考える上で非常に大事な問題だというふうに思っておりますので、御発想は私も極めて共感をいたすものがございます。