○
国務大臣(
河野洋平君)
議員から
お話がございましたように、私は
東チモールへ行ってまいりました。
東チモールの
印象は、
飛行機から見た
感じは、大変美しい海と非常に緑豊かな島、しかし相当な山もあるという
状況でございました。
飛行場そのものは
飛行機が
十分着陸もできますし、
飛行機から降りてすぐ
飛行場の横にございます
事務室に入って、出迎えてくれました
デメロ氏と若干の話をするという部屋ぐらいは残っておりました。しかし、今
お話がございましたように、
独立派と反
独立派といいますか、その間の大変厳しい
対立というものは想像以上のものがございました。
昨年八月三十日に
住民投票によって
独立ということになったわけですが、それ以後
独立に反対する
人たちのいわば
暴動といいますか、によりまして、かつてあったに違いない
商店街はほとんど惨たんたる
状況になっているということでございます。
私は、
コソボにも昨年参りましたけれ
ども、
コソボの
被害と
東チモールの
被害は根本的に違いますのは、
コソボはやはり爆撃によって壊されている、爆薬によって爆破されているという
状況でございますのに対しまして、
東チモールの
商店街は、恐らく丸太ん棒かこん棒で
窓ガラスをたたき割って壁をぶち壊して、そしてうちの中にあるものを全部外に引きずり出して壊しちゃった。それは、壁といわず
屋根といわずトイレの便器に至るまで、もう全部ぶち壊した。しかもそれは、一軒残らずと言うと少しオーバーになりますが、恐らく九十数%までそうした
状況であるように見受けられました。
したがいまして、そこに恐らく平和に住んでいたに違いない
住民たちも、一時は山の中に
避難をする、あるいは
議員お話しのように
西チモールの方へ
避難をする、そういう
状況であったと思いますが、その後治安が現在回復いたしまして
住民たちは
相当程度町へ戻ってきております。戻ってきておりますが、住むべきうちはございません。したがいまして、恐らくかつて住んでいたであろう
地域の近くに、
掘っ立て小屋といいますか、あるいは中には簡単な
屋根だけつくったところにじっと座っている、そういった
状況でございます。もちろん、町の一角には
市場な
どももう既にできまして、その
市場には相当な人だかりをするというような
状況でもございました。
そこで、
国連から派遣をされましたUNTAETの
代表でございます
デメロ氏、
国連東チモール暫定行政機構の
事務総長特別代表でございますが、この
デメロ氏と会って話をいたしましたところ、
デメロ氏が一番
心配をいたしましたのは、国際的に一時は
東チモールに非常に目が向いて、
国際社会は
東チモールのことを大変
心配した。しかし、それがもう目は別の方に向いているんじゃないだろうか。
これは、
国際社会の
動きの中にいわゆる
CNN現象とでもいいますか、つまり
CNNの
テレビカメラが向いている間はそこにみんなが
関心を持つけれ
ども、その
CNNの
テレビカメラが別の
事件に
カメラを移してしまうと、もうそれまでの大変な
事件というものは忘れ去られていってしまうのではないか、こういうことを
デメロ氏はしきりに
心配をして、彼は、G8の
外相会議などがあったらそこでぜひ
河野さんからも
東チモールの問題について
問題提起をしてもらいたいというようなことをしきりに言っておりました。
それからもう一方、これは
チモール抵抗民族評議会の議長でございます
シャナナ・グスマン氏ともお目にかかりましたが、グスマン氏は、
東チモールに対して大いに
国際社会から
援助の申し出もある、しかし、それが目に見えた形で
復興の姿が我々の目の前にないのだと。今、
東チモールで八十万と言いますけれ
ども、八十万人口の中で一説によれば八〇%が失業者だと。つまり、仕事が何もないんだと。その八〇%失業者、これは人によってパーセンテージは大分違いましたけれ
ども、少なくともディリの町の中では大変失業率が高いわけですが、その八〇%と言われる失業者が、仕事がしたいんだけれ
どももう何の
作業も目の前では行われない。早く目に見える
復興のための仕事を始めてほしいということをしきりに言っておられました。
我が国として、
東チモールの
復興に対しては積極的な
支援をいたしておりますから、これはUNTAETからこういうプロジェクトをやろうと言ってくれば、それが具体的に
作業に取りかかれるような準備を我が方としてはできておりますから、どうぞひとつ具体的な計画と
作業について早く計画をつくり上げましょうというような話をしてきたわけでございます。
それからもう
一つ、こもごも言われたことは、うちは直せば直る、しかし今大事なことは人材だと。つまりこれから国づくりをやらなきゃいけない。かつて
我が国でも国づくりは人づくりなんという言葉がございましたように、とにかく人材を自分たちは育てなきゃいけない。その人材を育てるためには、例えばインドネシアとかシンガポールとかあるいはフィリピンとか、そういうところにかつて
東チモールの人が留学生で出ていた学生がいる、それがもう学費も送れなくて本当に困っている、そういう学生に対する
支援がほしい、こういうことも言われました。
もちろん小学校に対する
支援も我が方としては具体的に行っておりますが、そこでシンガポールに参りまして、JSPP21、
日本・シンガポール・パートナーシップ・プログラム21というスキームがございますから、そのスキームで
日本とシンガポールが協力して
東チモールからインドネシアに留学している学生に対して
支援をしようと。あるいはそれは必ずしもインドネシアと限らなくてもいいかと思いますけれ
ども、つまり留学生に対する
支援を
日本とシンガポールと両方でやろうと。あるいは、シンガポールとの間の話し合いは、シンガポールで公務員の研修な
ども思い切ってやろうではないかということな
ども話をいたしまして、シンガポールの
外務大臣とは、それはいい、ぜひ公務員の研修を
日本と一緒にやろうじゃないかというようなことで
合意をして戻ってきた次第でございます。
邦人は、
東チモール、現地で五、六十人の
日本から
東チモールに行っているNGOでございますとか
援助関係者、あるいは
国連東チモール暫定行政機構の中で職員として働いている方、そうした方々に五、六十人集まっていただいて私は
お話も
伺いました。医療、病院を初めとしてさまざまな分野で大変積極的に働いておられます。赤道の直下で大変暑いところ、しかも冷房のあるスペースなどはほとんどないわけでございますから、大変な厳しい環境の中で、しかし意気軒高、大変積極的に活躍をしてくださっているこうした
人たちに会いまして、激励をすると同時に私自身も大いに力を得た次第でございます。