○田英夫君 これは、実は事の起こりはもう十年近く前、一九九二年ごろだと思いますが、ある人物が、M君と言っておきますが、私のところに、地雷除去機を考えた、今試作をしている、ぜひカンボジアへ持っていって実験をしたいと、こういう話から始まったんですね。
今、灌木除去機と言われましたけれ
ども、カンボジアの実情を私も行って見てきましたからよくわかっているんですが、高温多雨多湿のところですから、もと田んぼだったところに、二十年近い内戦の結果、人間の背より高い灌木が生い茂っております。したがって、そこに地雷がある。
小渕総理は、先日カンボジアを訪問されたときにパフォーマンスで地雷を探知することをやっておられましたが、あんなことでは何十年かかってもカンボジアの地雷はなくならないんですね。ですから、あれはパフォーマンスにすぎないのです。灌木ごと掘り起こして、そこに地雷があれば地雷が爆発する。こういうことを現地に、実はそのM君というのはバッタンバンに住みついて難民救援をやっていて、その体験の中から、地雷を除去しなければ農業国であるカンボジアの復興はあり得ないと。そのためには地雷を根本的に除去する機械をつくらなければならない。彼は機械が専門なものですから、皆さんにおわかりいただきたいのは、道路工事用の大型のシャベルカーですよ、このシャベルの
部分を取りかえられるようにして、ちょうど手のひらのようなこういう大型のすきのようなものを頭につけて、無限軌道で走りますから、灌木ごと全部掘り上げてしまう、それが結果的に地雷除去機になるんです。
ですから、今、
局長は灌木除去機と言われましたが、それは武器輸出三原則との
関係もあって、実はそのM君がそれを考え出して日立建機というところが試作をして、それをカンボジアへ持っていきました。一九九三年ごろです。バッタンバンへ運んだんですが、大変な苦労があったようです。通産省の武器輸出三原則をクリアしなくちゃいかぬ、そういうこともクリアしました。
そして、途中は省きますが、
費用も
民間で負担して持っていって、最終的には九六年からプノンペンの近くに、カンボジアの政情が安定したのでカンボジア政府が一千ヘクタールの土地を、それは地雷原ですよ、もと田んぼです、それを提供してくれたので、そこで実験をしていました。
私も九七年にはそこへ行ってみました。
外務省の当時大使館に勤務しておられたカンボジアのスペシャリストの、お名前を申し上げると気の毒ですから言いませんけれ
ども、私に同行して現地を見ております。したがって、どういうものかということは、
外務省、大使館、御存じのはずです。それから、大島前
経済協力
局長、今、国際平和協力本部の事務
局長ですが、私から写真も見せて
説明しましたから、
経済協力局、南東アジア課、現地の大使館、今川大使のころからですから、皆さんもう十二分に御存じなんです。ところが、なぜか
外務省はこの問題について積極的に協力をしてくださらなかった。そして、結果としてさっき言われた四台の灌木除去機なるものが供与されたんですが、この原型はM君が日立建機につくらせたものです。
ところが、時間がありませんから簡単に申し上げると、政府の協力がない。私は、これは将来五十台ぐらいの、一台に部品を積むようなトラックとかそういうチームをつくって、五十チームつくればカンボジアの復興はできると。それには五年ぐらいでやらなくちゃいけない。なぜ急ぐかといえば、さっき申し上げたように高温多湿の土地ですから、一年たつともう一メートルぐらいの灌木が生い茂ってしまう。だから、地雷を除去したら、その後続けて田んぼまでしてしまわなければならない。その一千ヘクタールの実験場ではそれをやっておりました。私が行ったときには、もう田んぼになって稲を植えゴマをとっておりましたよ。
そういうことを知りながら、大使館員は、これをようやく無償供与で四台というところにこぎつけたんですね。私は、歯がゆくて仕方がない。何とかこれをODAの大きな、百億ぐらいだろうとM君と話していたんですが、そのくらいの
費用でカンボジアの復興ができるんじゃないかということで、お願いなんですけれ
ども、積極的に検討していただきたい。
山本政務次官は、国際問題調査会で一緒にODAの勉強をしたことがありますから、よく御存じだと思いますが、今までともすれば政府のODAは透明性が欠けているとかいろいろ批判があった。ODA基本法をつくろうじゃないかということを国際問題調査会で小
委員会をつくってやりましたね。
今の話を聞いて、カンボジアの地雷除去にその規模のODAを
外務省として考えるということはいかがでしょうか。