○田英夫君 昨日、時間が足りなくて余り申し上げることができませんでしたから、引き続き日朝国交正常化交渉の問題を
意見を交えて申し上げたいと思います。
既に日朝赤十字会談が行われました。
外務省佐々江参事官が
出席しておられたようでありますから、ここにおいでになりますがきょうは質問はいたしませんけれども、その雰囲気を改めてまた別の機会に聞かせていただければと思います。今のところ、赤十字会談に関する限りいいスタートが切れているのではないかと私も思っておりますけれども、今後、日朝国交正常化交渉というのは、実は今まで戦後数多く行われてきた国交正常化にテーマを絞ってもいいんですが、そういう交渉の中で最も難しい交渉になるのではないか。
思い出してみますと、ジャーナリストの時代から含めてですが、日ソ国交正常化の話は
河野外務大臣の父上が関与されましたが、これも発端は非常に劇的な黒子役の方がおられて、そして軌道に乗っていくということができた。日中国交正常化交渉は、やはり非常に各界のいわば黒子役の方が息長くやられた結果ついに成功したというようなことになるわけでありますが、それから日韓基本
条約が結ばれたときのことを考えても、過去のいきさつがありますから非常に困難なこともあったと思いますが、結果は実を結んだわけであります。
これに比べると、戦後五十数年たってしまっているという
状況も含めて、また率直に言って、北朝鮮という国の
国民性といいますか特殊性といいますか、そういうことも含めて考えると大変難しい交渉になるのではないか。この交渉がうまくいくかどうかは、先ほど
防衛庁から御
説明のあった防衛
予算の中にも明らかに北朝鮮を意識したものがあるということは言わざるを得ないわけでありまして、そうした今後の
日本が平和にこのアジアの中で暮らしていけるかどうかということに直接かかわる問題でありますから、大変重要だと思っているわけです。
一つ、これは私の経験から御参考までに申し上げたいことは、大変、こういう言い方が当たるかどうかわかりませんが、誇り高い民族だということを相当やはり意識してかからないといけないんじゃないかと思います。
実は、一つの例として、中国の唐家セン
外務大臣がこのことで特に私と話したときに体験談を語ってくれました。それは、彼が次官のときに黄長ヨプ書記が
日本に来て、北京で亡命をした。その亡命の
処理を唐家セン氏が担当したわけですが、そのときに何よりも私が配慮したのは、北朝鮮のその誇り高い民族ということを考えて、そのメンツ、体面に傷をつけないということ。それは当然そうでしょう、その黄長ヨプという人は北朝鮮の非常に高い地位にあった人が亡命をするわけで、しかも政治亡命ですから、一方でその人権を守らなければいけない。結果的には、御存じのとおり、フィリピン経由で韓国へ亡命しているわけですが、そうしたことにまた時間もかけたと思います。そんな話を聞いたことがあります。
私自身の実は失敗談でありますけれども、ここでも話したことがありますが、もう今から十七、八年前、北朝鮮を訪問したときに、いろいろ話し合いがうまく進まないという不満もあったものですから、帰りがけにほぼ徹夜で長い書簡を金永南、現在ナンバーツーの人ですが、当時の
外務大臣にあてて書きました。それは、私は友人という気持ちで率直に、もっと
国際社会に門戸を開いて、具体的にこういうことをしたらどうですかというようなアドバイスをしたつもりでおりましたけれども、結果的にこれは唐家セン氏も既にそのことを知っていて私に指摘しておりましたが、田さん、あの人たちに説教しちゃいけませんねという、
日本語で言いましたが、その説教というニュアンスは非常に見事だと思ったんですけれども、結果的にはそれ以後私は北朝鮮との
関係が非常に悪くなりました。そういう体験もありまして、今後の交渉の中で何かのお役に立てばと思います。
もう一つ、そういう意味で言いますと、日中国交正常化交渉が成功したのは、一つはLT貿易と言われる高碕達之助さんと廖承志さんの名前をとって、そのお二人の個人的な事務所という形で貿易事務所を北京と東京に置いて、実はそれが大きな役割を果たした。
同時にもう一つ、記者交流ということをやりました。双方同数の数人、三人ぐらいでしたが記者を交流して、それが北京と東京に駐在することによってお互いの事情も報道されるし、同時に中国から来た、当時、呉学文とか丁拓とかという人でしたが、そういう人たちは
日本に多くの友人をつくって、その広がりの中で話がうまく進んでいったという記憶があります。ただ、北朝鮮と話をするときに、中国ではこういうことをやってうまくいきましたからやりませんかという言い方は、これは厳禁だと思いますね。
それで、今から三年ほど前に、当時の与党三党、自民、社会、さきがけという三党の代表団でピョンヤンを訪問したときに、宋朝日親善協会会長と話をする機会がありました。この人はアジア太平
洋平和
委員会の副
委員長でもある。つまり、今重要なポストにいる人ですが、その人と話す機会があったので、どうですか、この国交正常化交渉が始まったら同時に記者交流をしたらどうでしょうかということを、もちろん非公式に個人的に提案をしました。即座に、私どもは
日本のマスコミを信用していません、だめですと、こういう拒否の態度を表明いたしました。それ以上は話をしませんでしたけれども。
そういうことが返ってくる
可能性がありますね。中国の場合はうまくいきましたけれども、北朝鮮の場合は。実際、中国には
日本新聞協会が責任を持って選んだ記者を
日本側から派遣したわけでありまして、同じことをやれば決してうまくいかないことはないと思いますけれども、北朝鮮は入り口からそういうことは受け入れないと、以上御参考になればと思って申し上げたんですけれども。
これからは御質問ですが、これからどういう段取りで進んで、公式な
政府間交渉というものは進んでいくことになるとお思いでしょうか、
外務大臣。