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小島分科員 おはようございます。自由民主党の
小島敏男でございます。
きょうは、
分科会での発言の
機会を与えていただき、心から
感謝をしているわけであります。私ども、
余り質問の
機会というのがありませんけれども、今回希望の
委員会を申し出いたしましたところ、
建設省の方で許可をいただきまして、早速これから
質問に入るわけであります。
予算委員会というのは、大まかに、たくさんの視野に基づいて、
日本全体のこと、世界のこと、そういうことを論じるわけでありますけれども、
分科会の場合には、私どもが一番知っているところも
質問してよろしいということでありますので、ただいまより
質問をさせていただきます。
公共事業のばらまきということが言われているわけでありますけれども、これはもうたくさんの方が言っておりますが、私は
埼玉県に住んでおりますので、
埼玉県は、現在の
人口が六百九十万人、そして
全国で一番
人口増があるところということで、ここ数年はずうっと
全国一位の
人口増をしているところであります。ですから、勢い
公共事業が助けになるわけでありまして、
公共事業なくしてはとてもその六百九十万の
人口を支えることができませんので、
県民も、
国民もやはり
公共事業を大変に当てにしているということをぜひ御
理解をいただきたいと思います。
埼玉県そのものは、関東平野のど真ん中ということであります。しかも、
人口がふえるというのは可
住面積が多いということでありまして、これからなおふえていくだろうという予測が立っているわけでありますけれども、現在、
全国で第五位の
人口を有する
場所であるということであります。そういう
埼玉県におりますと、
人口増に対していわゆる
公共機関の追いつかない
場所がたくさんあるということでありまして、その点、細かく言いますと、地下鉄や
道路、
河川、水路、そういう問題に多くの課題が残されているということであります。
きょうは、全体の問題と、私が住んでおります
地元熊谷市を
中心とした問題について、何点かお伺いをしたいと思います。
まず初めに、お伺いしたいわけでありますけれども、
平成十六年、西暦の二〇〇四年に、
埼玉県に二巡目の
国体が決定されております。
国体の
開催というのは
全国各地で行われるわけでありますけれども、この
国体の
開催というのは、ともかく
日本全土に均衡ある
発展をさせよう、これが
スポーツを通じてそういうことをしながら
経済効果も図ろうということでありまして、
開催される
土地におきましては大変に歓迎をされている。しかし、近年、ややもすると少し派手になってきたという批判もありますけれども、
県民の団結、意識の高揚並びに
経済的波及効果ということを考えますと、
国体が来るということは非常にその
地元にとっては大きなインパクトがありますし、
期待をされているということであります。
第一回目の
開催というのは、
大宮の隣の
上尾市が
中心になりました。これは、
上尾市がちょうど
大宮の近くにある、
交通の利便もいいということでありますけれども、今回は、
土屋知事が第二巡目の
国体の
開催地というのを決めるときに、大変にいろいろなところから立候補をされたわけであります。しかしながら、熟慮の結果、これはやはり国の均衡ある
発展と同じように県土が均衡ある
発展をしなきゃいけないということで、
県北地域、私
たちの住んでいる
熊谷に
メーン会場を持ってきたということであります。そういうことで、大変に
熊谷市民といたしましては、また
県北の
地区住民といたしましては、
国体の
メーン会場を
県北に持ってきたということに非常に
感謝をしているところであります。
六百九十万の
人口ということなんですけれども、それでは、
上尾にある、
昭和四十年代に第一回目の
国体が来たのですけれども、その
上尾に来たときにつくった
陸上競技場、これが第一種なんですね。第一種というのはなかなかないんですけれども、今もって二巡目になるまで、
埼玉県では第一種の
陸上競技場というのは
上尾しかありません。ですから、
人口がたくさんいても、第
一種競技場というのは
一つですから、利用が激しくて、
上尾の場合には普通、申し込んでおいてもなかなか予約がとれないという
状態なんですけれども、今度
熊谷に来るということで、
熊谷のいわゆる
メーン会場にも第一種の
陸上競技場をつくるということで、
陸上関係者の
期待というのは非常に大きいものがあります。
施設設備の概要というのは、現在の
景気動向並びに自治体の財政を考慮いたしまして、非常に簡素にやるということであります。それはそれで私は結構だと思うのですね。余り派手にやることはないというふうに思います。
たまたま、私が
昭和四十七年にアメリカから
ヨーロッパひとり旅をしたことがあります。そのときにはちょうど
ミュンヘンに行ったのですよ。
ミュンヘンに行ったら、
ミュンヘンの
オリンピックをつくるというときに、私、たまたまめぐり合わせたのですけれども、そのときに、
ミュンヘンの
陸上競技場というのは、
メーンのところは全部
コンクリート、そして外側は全部
木枠なんですね。
ドイツ国民の
堅実性をあらわしているかなと思ったのですけれども、
ドイツの
人たちは、もう
ミュンヘンに
オリンピックが来ることはない、もう近々来ることはないんだ、だから
オリンピックが終わった後には、一番使いやすいものだけ
コンクリートで残そう、そして
ミュンヘン市民が、
ドイツ国民が使うのに一番いいというようなものを残すんだということで、それを聞いたとき、なるほど、
ドイツの
国民というのはすごいなと思ったわけであります。
そのときに、たまたま
日本の方では
冬季オリンピックが開かれたのですね。
冬季オリンピックが開かれたときに北海道の山を何億円かけて削って、それでその
冬季オリンピックのために使って、その後また埋め戻して復元をするということでありますけれども、効率から考えたときに、
ドイツの
国民性というのを見習わなきゃならないなということを今から三十年前に私思いました。
ですから、今回
熊谷でつくるいわゆる
陸上競技場にいたしましても、大変に質素につくって、やはり取り外しができるようにするとか、また国の方で考えていることは、いわゆる観覧席だけじゃなくて、芝生に座って見る、このことも観客、顧客の人数にカウントするということに変えたようでありますけれども、今の時代を考えると、非常にそういうことは、おくればせながらとはいえ、すばらしいことであるというふうに思っております。
そこで問題になりますのが、
会場までの
アクセス道路ということであります。たまたま
新幹線が
東京から上野から
大宮から
熊谷、
高崎と行くんですけれども、
新幹線の駅から北に三キロの
地点がいわゆる
国体の
メーン会場なんです。その三キロの
地点が
メーン会場なんですけれども、その間に
熊谷バイパスという大きな通りがあります、これは五十メートルの
幅員でありますけれども。その五十メートルの
幅員を越えたところにいわゆる十五万坪の
スポーツ文化公園、プラス今度の
国体の
メーン会場の十五万坪、合わせて三十万坪の
スポーツと
文化の
土地があります。その
場所が
メーン会場になるわけでありますけれども、一時、
バイパスができたときには
自動車がどんどん通ったのですけれども、今はそこも渋滞しているということであります。ですから、
選手がそのところを通らない限り
国体の
会場には行けないということでありまして、そのところをぜひ
立体化をしてもらいたい。それはもう二本あるんですけれども、その道を
立体化してもらいたいということが主な要望であります。
立体化の
場所でありますけれども、
主要地方道の
熊谷館林線並びに
県道太田熊谷線というのが二本ありますけれども、その
場所を
立体にして、いわゆる
通過をする
自動車というのはそのままどんどん
通過をしてもらう。そうすれば、
熊谷を
通過するのがいっぱいあるんですから。ですから、その
場所の二本だけ
立体化をして、
選手だとか何かが北に自由に行けるようにということであります。
平成十六年ということでありますけれども、
地元市町村が
建設大臣並びに
総括政務次官の方にも
陳情を出しておりますけれども、その辺のことについてぜひお聞かせをいただきたいと思います。
それからもう
一つは、
熊谷バイパスは、
東京に向かって行きますと、鴻巣でちょうどとまってしまいます。その先は
上尾道路ということで、いわゆる
大宮バイパスから
上尾道路を通って
熊谷バイパスに来て、それが
上武国道を通って
高崎の方に行くということであります。
その
上尾道路でありますけれども、今から三十一年前、
昭和四十四年に、いわゆる
都市計画決定をされました。
平成元年にまた
都市計画決定をされて、今度は
幅員を五十七メートルにしたということでありまして、三十年来の懸案の
場所でありますけれども、そのことについて、
見通しとしてはどのような
見通しを持っているか。
上尾道路の
関係についてもお聞かせをいただきたいと思います。
続けて
建設関連だけ
質問をさせていただきます。
そこで、もう
一つ、全体的な問題でありますけれども、これは
全国的に問題になっていることでありますが、ちょうど
昭和四十三年に
都市計画法が
改正をされまして、
市街化区域と
調整区域という形に
線引きがされたわけです。当時、私は
市会議員をしておりましたので、五年
ごとの
見直しということですから、五年たったらば大幅に見直すだろうということを思っていたわけでありますけれども、
線引きがされた後の
状態というのは、
大臣初め
関係議員の方も全部知ってのとおり、
土地の価格がもう本当に天地、雲泥の差になったということであります。
先ほど話した、
熊谷から北に向かって行くと
バイパスがあるというんですけれども、この
バイパスの北側と
南側を
線引きして、
市街化区域と
調整区域に分けたわけですね。そうすると、
バイパスの
南側というのは
坪幾ら、
バイパスの向こうになると反
幾らということで、非常に大きな格差が出たわけであります。
そういうことを考えますと、この
線引きというのはどういうことだったのかなということを疑問に思わざるを得ないわけであります。四十三年に
線引きをしたときは、
市街地の
スプロール化をとめよう、どんどん畑の方に行ってしまうと。ですから、
市街化区域内は快適な住環境をつくるためにいわゆる
区画整理をして、そしてその
区画整理に基づいてやっていこうということでやったのですけれども、三十年たった今、果たして四十三年に
線引きをされた
都市計画法の
改正がうまく機能しているんだろうかどうだろうかということに対して、私は非常に疑問に思っているところであります。
私のところにも相談に来ますが、恐らく
国会議員の方々にも、この
市街化調整区域の中で家を建てたい、
分家住宅を建てたい、しかしこういう規制があるので思ったところに家が建てられないということであります。バブルがはじけて、
土地も非常に
均等化、いわゆる鎮静化したという嫌いがありますけれども、今こういう時期にこそ、四十三年に引かれた
都市計画法の
改正、つまり
線引きについて大幅な
見直しをするべきではないかと私は思っております。その点についてお聞かせをいただきたいと思います。
加藤総括政務次官は
埼玉県選出の
国会議員でありまして、今度
総括になられたということで、
埼玉県の隅々まで
御存じであり、しかも
県北に居住されておるわけでありますので、私が
質問したこと、それから
国体の
関係については大変お骨折りいただいたということでよく
御存じなことだと思いますので、その辺についてもぜひお口添えをいただければありがたいと思います。
きょうは、
中山建設大臣、御出席いただきましてありがとうございました。