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青山(丘)
委員 実は、会場
計画が明らかになっておりませんので、万博というイメージが市民の中にもなかなか定着してこないのです。積極的に
推進していきたいという多くの市民の人たちの
気持ちは、万博誘致のために自分たちも積極的に参加をして、つまり、みずから進んで参加をして、
皆さん、多くの人たちがモナコへ行かれたり誘致のためにいろいろな
運動をされたりしたのですけれども、その後、実は余り情報が入っておりませんで、そして万博はあたかも環境破壊であるかのようなニュースばかり流れておりまして、少し
気持ちに満たされないものがあるのです。
万博会場の海上の森、カイジョウの森と書いてカイショの森と読むのですけれども、実は、私はあの万博会場から車で五分くらいの本当に近いところで生まれました。そして、そこで育ってきておりますから、
地元の市民の声としてひとつぜひ聞いていただきたいのは、万博会場の建設は自然破壊であるという認識は、私の
地元の人たちは全く持っておりません。むしろ、自然を大切にしたすばらしい、世界に誇れる万博会場を
計画してもらいたい。
瀬戸の町は、御
承知のように、千三百年の陶器の町として知られております。瀬戸でできた陶器のことを瀬戸物と、後に日本じゅうでそういう言葉で言われるようになってきた陶磁器の産地です。その海上の森を抱えている瀬戸に隣接する青少年公園に会場が大きく展開してきました。
実は、この青少年公園の土地は、愛知県長久手町という、名古屋に隣接する落ちついた、まだ豊かな緑、自然のある立派な町なんです。小牧・長久手の戦いで有名な、天正十二年、一五八四年四月といえば、雪も解けて、いよいよ戦争、実は家康軍と秀吉軍が戦った数少ない戦場なんですが、小牧から長久手へ戦場が移ってきて、そして、そこでは美濃の大垣城主
池田勝入恒興公が討ち死にしている有名な長久手の古戦場のあるところですけれども、この落ちついた美しい町で世界の人々を迎えていくわけです。
今、実は欠けておるのは、万博が開かれることがどういう
意味になってくるのか、万博とは一体どういうことであるのか、万博が開かれたことによって、その後の世界じゅうの人々の生活や経済にどれぐらい大きく貢献することができたかというような意義について、まだ余りPRがなされておりませんから、このことをこれからも考えていただいて、万博会場の進捗
状況はこんなところまで来ています、環境アセスについても十分な取り組みがなされておりますということもひとつぜひこれから考えていただきたいと思います。
通産
大臣には、そこまで今の答弁をいただいたから、本当は私が聞いたのは会場
計画や環境アセスについてですが、実は、認識だけもう一点共通に持っておいて、これから進めていただきたいと考えているのは、今
お話がありましたように、跡地の
計画なんですね。
跡地
計画というものは、万博が開催されて、成功して、その後のものですよ、したがって、万博が済んでからにしてくださいという発想ではなくて、やはりこれからまだ、万博について
地域の人たちが正しく理解をし、
気持ちよく支持してもらえるためにも、跡地の考え方をもう少し詰めていただきたい、そのことが必要だということが実は私がきょう特に申し上げたいことなんです。
なぜかといいますと、私が小学校三年生のころですから、戦争が終わって何年かたってはおりますが、実はあの
地域は窯業の町ですから、山にある木はかなり切り倒されておりまして、窯場の窯の燃料になったり、家庭の燃料になったりして、山はもうひどく荒れておりました。もっとわかりやすく言いますと、瀬戸の町は、地面をほじくって陶磁器の原料にするのです。だから、山も荒れているというのですか、掘るのが仕事のようなところでございまして、まして残った緑は燃料として大切ですから、そういう
意味で、私たちは子供のころ、当時の小学生や中学生がみんな山に入って木を一本ずつ植えたのです。その大切な植樹が今自然になってきておるのですから、私たちは、万博を通じて環境破壊をしようなどという
気持ちはちりほどもありません。むしろ、豊かな緑をもっといろいろな形で育てていかなければいけない。
本当は、あれから四十年、五十年たっていますので、もっと立派な木になっていなければいけないのですが、土質が悪いのです。だから、余り立派な木に育っておりませんが、大切にしていきたいという
気持ちを強く持っておることをぜひ御理解いただいて、跡地の
計画は、なるほどあいち学術研究開発ゾーンはやがてあの
地域における知的
財産として大きな
役割を果たしてもらうことができますから、期待しています。
しかし、それだけではやはり何だか物足りない。ですから、せっかくの緑をもっと私たちの生活に生かしていくという形で、豊かな自然の森林公園、これはちょっとこちらの、
建設大臣の方に来るかもしれません。
それから、陶磁器の町ですから、世界陶芸村、陶芸作家や陶芸作家の卵たちが、世界の人たちが来てくださって、
地域のそういう陶芸に
関係する人たちとの交流であるとか、自分で作陶活動をしていただくとか、そういう
意味で非常に価値のある世界陶芸村構想なども進めていく。
あるいは、もっと言えば、環境は大事ですから、非常に高温である三千度の電極処理の処理場を建設していく、あるいは環境保全センターをつくっていくというような、幅広い考察で万博跡地の中をこれからぜひ積極的に考えていただいて、そこのところをも会場
計画と一体的な発想をひとつ持っていただくことがこれから必要ではないかということを、答弁は要りませんから、共通の認識を持っていただければそれで結構でございます。
建設大臣の方にお尋ねしたいと思います。
実は、東海環状自動車道を二〇〇五年までには、万博開催が二〇〇五年三月二十五日の予定になっておりますから、当然、
運輸大臣とも新空港についてはきちっと詰めさせていただきたいと思っておりますけれども、豊田東インターから北へ上っていく東海環状自動車道が非常に有効な道路として万博開催期間は機能すると私は見ておりますので、東海環状自動車道が万博開催の二〇〇五年二月ぐらいまでにはどれぐらいの進捗
状況になっていって、大きな
役割を果たすことができるのかという見通しを。
それから、名古屋瀬戸道路についても、この間うちの質疑の中では、非常に消極的、マイナス的なとらえ方で、あれはつくっちゃいけませんというようなふうに私には聞こえましたが、これをつくっていただかないと——いやいや、
質問者からは、そんなふうに私からは聞こえましたが、私は、あの道路がなかったら万博と世界の人たちとを結ぶ重要な路線がなくなってしまう。したがって、万博開催までにはこれは非常に必要な道路としてぜひ完成を見ていかなければいけないと思っていますので、
建設大臣の立場で、東海環状自動車道と名古屋瀬戸道路について、わかっている範囲でひとつ
方針を述べていただきたいと思います。