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日野委員 水かけ論は避けましょう。
では、私、別の論点から
質問をいたします。
小渕総理の席、何もそれは
総理の席でなくたっていいんだろうと思うのですが、どなたもそこにはやはりお座りにならない。それがやはり
総理の持つ重みなんでございましょうね。きょうは
総理のかわりに、どなたが置いたか、そこにメモのようなものが置いてありますがね。
総理の権威も軽くなったのかな、こんな
思いがいたします。
私は、出てこいと言いたい。なぜなら、今、二十
世紀が終わろうとしている、二十一
世紀に入ろうとしているというようなことばかりじゃなくて、多くの問題が山積しておりますよ。しかも、
日本が今抱えている問題というのは、私は大変重い問題だと
思います。
我々は、今まで幸せな時代を生きてきたんだと思うんですよ。ここにいる
同僚議員の多くも、
閣僚の
皆さんも、一応、夢を持って、目的を持って国政に携わってきた。そして、
経済的にもまあまあ恵まれてきた。しかし、今それが、いわゆる
先進国に対するキャッチアップと言われるものは終わって、さあ、これからどうするんだ、我が国はこれからどうするんだ、何を見詰めながら行けばいいのか。若い
人たちの
生きざまを見てまゆをひそめる人はいる。しかし、その
人たちに、そういう
生きざまではなく、もっとしっかりした
目標を見据えて生きろという、その
目標を
皆さん、提示できていますか。私は、できていないと思う。
これが現在の
経済の不振にもつながるであろうし、
日本が抱えている多くの問題につながっていると私は
思います。綱紀の乱れ、それから、公の
仕事に携わる
人たちの無気力、ミスの頻発、こういったものは全部そこから出てきているような気すら私はしているんであって、今、大事なんです。
しかも、この時期、私は、
小渕総理にぜひ論戦を挑まなければならないことがある。
小渕総理は、
富国有徳という四
文字熟語をつくられた。どこかの学者に頼んでつくってもらったらしいんだが、私は、その
内容をずうっとフォローしているんです、追っかけているんです。
小渕総理が
総裁選挙に立候補をするときにつくった文書があるんですね。「「
日本新生」
富国有徳の
国づくり 元気で渡ろう「二十一
世紀への架け橋」
小渕恵三」、こう書いてある。まあ、これは
選挙用につくったんだからそんな立派なものじゃないんでございますとはおっしゃらないだろうと思うんですが、この
内容も見てみた。しかし、
富国有徳にふさわしい
内容であるとは私には到底思えない。
富国有徳というこの四
文字熟語の意味するところ、これが何であるかということは私もよくわかりません。
ただし、ある貴重な文献が出ました。「二十一
世紀日本の構想
日本のフロンティアは
日本の中にある」。私もこれを読ませていただいた。労作である。かなりいい点をついておりますし、かなりすばらしい
問題意識に貫かれていると私は思う。後でけちもつけるんですがね。私は、これを受け取られたときの
総理の
反応というものをいろいろな新聞で拝見したんですが、これはすぐにはできないことだ、ずっと先のことだというような
反応を
総理は示しておられたような印象を持っております。
ところが、
施政方針を拝見しました。私、これは本
会議場で聞いたわけじゃありませんので、後で拝見したと言わせていただきます。そうしたら、何、これはずっと先のことで、中長期的な課題だというようなことを言われた
小渕総理が、
施政方針演説の中にはこれを引いて、褒めたたえているわけですな。そして、その用語までそのまま引き写しにしておりますね。そして、その
考え方、これが随所にちりばめられているわけで、私は、ほう、
小渕総理も随分変わられたなと思うのです。
ところが、私は、この二十一
世紀懇談会のこの
問題意識、これは十分に注意していた人でなければしっかりと受けとめることはできない
問題意識だ、こう思っております。
よく引かれる話ですが、アイザック・
ニュートンが
万有引力の法則を発見した、こう言われます。しかし、彼は
リンゴが落ちるのを見て
万有引力に
思いが及んだというのですが、まさか
リンゴが、私は
万有引力に引かれて落ちたと
ニュートンに言ったわけじゃないんです。それから、
フレミングが
ペニシリンを発見した、こう言われますね。あの
ペニシリンをシャーレの中で見たときに、
ペニシリンは、私が
ペニシリンなんだ、ほかの雑菌の繁殖を食いとめる力があるんだと
フレミングに語ったわけでも何でもない。
フレミングにしたって
ニュートンにしたって、この起きている現象をきちんと受けとめて、
自分の中でそれを整理していくだけの精神的な鍛錬があった、
訓練があったからそういうことができたわけなんで、私は、今まで公表されてきたような、
マスコミに告げられているような
小渕総理の
態度から見て、この二十一
世紀懇の
レポート、これをきちんと
問題点を理解して、そして
施政方針演説に書き込んだのではないのだろうと実は思っています。
小渕総理、
真空総理だなんて言われるので、
真空だからどんどん入っていくのかな、そんなことを思ったりもするんですが、何度かこの二十一
世紀懇に
出席をされた
小渕総理は寡黙であった、その二十一
世紀懇のメンバーの一人がこう書いておりますね。そして、いたずらに
富国有徳という
言葉を繰り返していた、そんなふうに言っているんです。
私は、この全部について、今その
問題点を
小渕総理と議論をしようとは思わない。それは無理なことだし、むだな
部分もかなりあるでしょう。しかし、この
施政方針演説の中に
小渕総理がとっておられる
言葉、それについて、その
問題点について、私は
小渕総理の
意見を聞きたい。どうしてもこれは
小渕総理でなければ答えられない事柄でありましょう。ほかの
閣僚の
皆さん、これは優秀な
方々がき
ら星のごとくに居並んでおられますけれども、まさか、
小渕総理の語っておられるこの中身、それを
皆さんが解明できるとは思わない。
それで、要するに
個人と公との
関係について
小渕総理はこの
施政方針演説の中で語っておられる。そして、
レポートとこれから言いますが、この二十一
世紀懇談会の
レポート、これの中でも、その
部分については非常に多くのスペースを割いて
説明をしておられるところです。私は、個がその質を高めて、そして公に
参加をする、公と並んで
一つの新しい公をつくるという
考え方、これは私も
賛成なんです。
さっき、
小渕総理に
ニュートンや
フレミングのような精神的な
準備があったかというようなことを言いましたが、実は私はあるんです。この問題について検討をしたことがあるんです。そして、私の名前は出ませんでしたけれども、本に書いたこともある。これは、今ここでちょっと明らかにしておきますが、昔、
社会党が新宣言というものを出した。そのときの
仕事はこれだったんですよ。あのとき
社会党がそれをちゃんと生かしていればという
思いはあるけれども、歴史にもしはないというから今そんなことは言いませんが、私もそれだけの
準備があって
発言をしているんだということで、
小渕総理にはこれはあだやおろそかには聞いてもらいたくないという
思いを込めて、私はこれから
小渕総理に対する
質問をします。どこかで答えてもらいたい、必ずしっかりと。今、本当はそこの席から立って答えてもらいたいのです。
これは大事なことなんだ。これからの
日本の
国家をどのようにつくっていくか、社会をどのように組み立てていくか、今、
日本の国にとって、これほど大事な問題はほかにないと言っていいくらい大事な問題です。だから私は、
小渕総理に出てこいと言いたい。私がこんな
発言をして、
小渕総理はこれに答えないとしたら、
敵前逃亡だ、これは。私はあえてそう言いますよ。(
発言する者あり)敵と思っていないとすれば、
国民を軽んじている行動にほかならない、私はそう
思いますね。
それで、私もこの
レポートを読みました。それはわかるんですよ、今私もちょっとお話ししましたが、その
内容はわかるんだ。しかし、大事な
キーワードが二つ抜けている。私も同じような
結論に達しているんです。
国民が質を高める、それから、
ボランティア団体にしてもいろいろな
グループにしても、それが質を高めて、そして
参加をして、そこで新しい公なるものをつくっていく、この
考え方には
賛成です。そういうことができれば非常にいい、だが、それが果たしてうまくいくのかどうか、こういうことについて、私はいろいろな事象について頭の中でシミュレーションをしてみているんです。しかし、なかなかこれはうまくいくものじゃない。これは、言うはやすく、
現実はもっと厳しいというべきことなのでありましょう。
大事な
キーワード、私は、その中で二つあると
思います。
この
レポートには抜けている
キーワード、それは、
一つは
責任です。特に
リーダーの
責任。結局、
国民が
参加をするといっても、一人一人が裸のままで
参加できるわけではない。何かの
グループをつくる、何かの会をつくる、組織をつくる、そうやって
参加をしていきます。そのときの、
参加をする側の
リーダーの
責任、それから、それを受けとめる側の主として政治の
責任、行政の
責任、これが
一つの
キーワードであろう。
もう
一つは
理念でございます。そうやってみんなが
参加をしてくる、それを統率していく、統合していく、そのときには、
責任を持った
リーダーがその
人たちを説得しなければなりません。何をもって説得するのか。多くの
利害関係もある
人たちが集まってくるでしょう、
理想もそれぞれに違うでしょう、そういった
人たちをきちんと統合して
一つの新たなる公をつくっていく、そのときに必要なのは
理念なんです。
しかし、この
理念、この
レポートはここまで迫れなかったと私は見ているんですよ。これは迫るべきだった。この中には、
国家目標という
言葉はあります。しかし、それは遊離した形で使われているといううらみがありまして、どのような
理念を持って
小渕総理はこの
日本をどこに導こうとしているのか、今これを聞かなければならない、私はこう
思います。
その前に、もう
一つ大事な前提について、私、言うのを忘れておりました。
この
レポートは、
個人、これの質を高めて完璧な
個人となることを期待しているんです、完璧な
個人。しかし、完璧な
個人というものはあり得ないのでありまして、完璧な
個人ではない、やはりいろいろな雑多な
人たちがいる、高まってはいるが雑多な
人たちがいる、そういう
人たちをどのような
理念を持って、どのような
責任を持って導いていくかということが本当は大事なんでしょう。
私は、完璧な
個人はないが、
日本人というのは非常に高い
レベルにはもう既に達していると思っているんです。まず、それはやはり行き渡った教育でしょうね、それから
民主主義の中での
訓練、それから
日本の文化、こういったものが
日本人の
レベルをかなり高いものに押し上げている、
レベルをアップしていると私は
思います。
ですから、そういった意味からは、私は、こういう公と個との
関係、これを進めていくためには、やはり
理念をまず先行させていくということが必要だろうと思うんです。我々が抱くべき
理想、
理念というものはいっぱいあると思う。まず平和ということが
大前提でなくてはいけません。これは、
日本は平和ということがなければ生きていけない国でありますから、そういう平和を世界的に創造していくというのは
大前提です。
それから、今や問題は
日本ということだけではなくて、
日本の
生存というだけではなくて、全人類の
生存というところに我々は視点を持っていかなければならないと思う。非常に多くの
理想があるが、その全部を同時並行的に追い求めろといったってこれは無理なのでありまして、私は、その中で最も大事なものを
一つ選んで、それに全精力を傾けていくという
方法論、これも大事なことではないかというふうに思っているのであります。
私は、
自分自身では、これは今の
日本にとって非常に重い問いかけだなと思っていることを今
問題点として提起をいたしました。そして、一応私なりの
考え方も申し上げました。これについて、私は、
小渕総理にぜひ出てきて答えてもらいたい。これは
総理がやるべき当然の職務だと私は思う。
クエスチョンタイムができたんだからいいんじゃないかなんと言う人もいるんですが、問題はそうじゃないと思うんですね。クエスチョンタイムというのは党首間の論争です。しかし、今ここで私が問いかけたこと、これは
総理がこの衆議院の
予算委員会に対して答えるべき事柄であろうというふうに
思います。それに、議員というのも、これはいろいろなものでございまして、党にまとまってはいるが、
皆さん決して党の決めたことに全面的に服従してやっているわけでも何でもない。これは自民党だって、まあ共産党さんはどうだかわかりません、公明党さんもどうだかわかりませんが、民主党だって右から左までいる、そしてその中で激しい議論をやる、とてもいい党ですよ。それが本来あるべき姿なんであって、ここで、
総理がこの衆議院の
予算委員会の場において我々の問いに答える、これはぜひとも私は
小渕総理に出てきて答えてもらいたい。
私も、実は
小渕総理のきのうの日程見ましたよ。余り大した人と会っているわけでもない。太宰府天満宮の梅娘さんたちと会ったり、それは結構です、会ったっていい。しかし、それより前にやはり
予算委員会、きのうも
総理に対する
質問にふさわしい
質問が随分出ておりましたよ。きょうはどういう予定なのかわかりませんがね。きょうどんな予定になっていますか、官房長官、
総理の予定。僕の持ち時間は午前中ですから午前中だけでもいいが、ちょっと言ってみてください。