○土井たか子君 私は、社会民主党・市民連合を代表いたしまして、森
内閣総理大臣の所信表明
演説に対して質問をいたします。今回は、
国民の負託にこたえなければならない
国会を構成する議員の一人として、どうしてもはっきりさせておかなければならないことがございます。
森新
総理の所信表明
演説を聞きまして、私が共感を持ったのは、ただ一点でございます。それは、急病に倒れ、退陣を余儀なくされた
小渕前
総理大臣の一日も早い御回復を祈られたくだりであります。
もともと、
政治家の仕事というものは、休むことを許されない激務であります。とりわけ、
日本全体の
責任を負う
内閣総理大臣の日常は、想像を絶する過酷なものと言わねばなりません。
政策において対立し、時に激しいやりとりをした仲ではありますけれども、
日本の現在と将来を真剣に議論し合った同時代の
政治家の一人として、私は、
小渕恵三前
総理大臣の一日も早い御健康の回復を心よりお祈りする次第でございます。
さて、
小渕内閣の後を受けた森新
内閣であります。森
総理みずから天命と称し、
日本新生をうたった
内閣ですから、本来大きな期待を寄せたいところでありますし、襲名の披露にはお義理でも
拍手をしなければならないものです。しかし、甚だ残念ながら、この
内閣の不思議きわまりない
成立の過程を見、また空虚としか言いようのない所信表明
演説を聞きまして、そのような期待は少しも抱くことができなかったことを率直に申し上げざるを得ません。
日本が今直面している
経済その他の大きな危機に対して、この
内閣は果たして的確に対処できるのだろうか。私は、深い疑念を抑えることができません。
森
総理が事実上内定したのは、
小渕前
総理が急な病に倒れられた後の空白の二十二時間においてであります。四月二日の深夜、青木
官房長官の記者会見が行われるまで、
国民はもちろん、大多数の
政府関係者や
国会議員も、
総理大臣の異変について全く知りませんでした。そして三日、青木
官房長官が
総理大臣の
臨時代理に任ぜられたのですが、その過程は今もって不可解です。昨日の青木
官房長官の御答弁でも、なおかつ不可解です。
国政に全
責任を負う
内閣総理大臣は、
日本にただ一人です。そして、
総理大臣も人間である以上、健康、事故その他不慮の出来事がないとは言い切れません。だからこそ、不測の
事態に備えて、
内閣法九条は以下のように定めております。「
内閣総理大臣に事故のあるとき、又は
内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する
国務大臣が、臨時に、
内閣総理大臣の職務を行う。」
総理の代理をする者は「予め指定する
国務大臣」とはっきり書いてあるのです。
では、青木
官房長官は、あらかじめ指定を受けていた
国務大臣だったのでしょうか。そのようには承知いたしておりません。副
総理が任命されていたならば、その副
総理が
臨時代理の指定を受けていると考えるのはごく自然のことですが、
小渕内閣では、副
総理は任命されていませんでした。
だれが、どのような権限において、青木
官房長官を
臨時代理に任命したのでしょうか。昨日、
官房長官はこの本
会議場で、二日の夜に、
小渕総理から、
有珠山噴火の心配もあり、何かあれば万事よろしく頼むとの意向が示されたと言われましたが、
総理の
臨時代理を指名されたという明確な確認がなされているとは言えません。
報道によれば、二日、
総理の御病気を知って集まられたのは、青木
官房長官のほか、森
自民党幹事長、亀井
自民党政調会長、野中
自民党幹事長代理、そして村上
自民党参議院会長の五人とあります。
官房長官を除けば、みんな
自民党の幹部であります。このやり方は、公私を全く転倒しているとしか言いようがありません。
総理大臣とは、公人中の公人であります。この公人の代理を選ぶのに、なぜ私たる政党、しかも一政党の幹部だけが集まって協議をし、どういう権限によって、あらかじめ指定されていない方に就任の
要請をしているのでしょうか。前
自民党幹事長である森
総理大臣及び青木
官房長官にお聞きします。
このやり方は、法をないがしろにし、
政府を私物化しているのではありませんか。圧倒的な与党の数さえあれば
政治の最も
根本的な
原則であっても軽んじてよいとのおごりがあるからこそ、このような密室の
決定ができたのではありませんか。さらに言えば、密室の協議を行ったのは、
自民党の中の主流各派閥の幹部であります。幾ら緊急の
事態とはいえ、ここまで
政治を私してよいのでしょうか。
病のために
総理の職を引かれた前例として、戦後七人目の
首相であり、自由民主党第二代総裁であった石橋湛山氏があることはよく知られております。一九五六年十二月、
総理の地位につきながら、肺炎に倒れ、医師から二カ月の療養を求められると、
首相の
国会欠席は
公約たる
国会運営の正常化に背くとして、翌五七年二月、辞任されたのであります。
もちろん、
小渕前
総理とは病状は異なりますが、このとき石橋
総理は、五七年一月、岸信介外相を
総理臨時代理に指名、同時に、その指名について、
官房長官を通じて衆議院の議院運営委員会に了承を求めております。同年二月五日の第二十六回衆議院議院運営委員会は、
官房長官の出席を求めて、
総理大臣の
臨時代理の権限について詳しく議論もしております。
こうした前例を振り返るまでもなく、
総理の御病気あるいは執務不可能という
事態が生じたとき、直ちに
国会に報告し、
臨時代理などの措置についてその了承を求めるというのは、余りにも当然のことであります。なぜなら、
内閣総理大臣は、
国会の議決によって指名されたものだからです。
総理の権限の源は、国権の最高機関であり
国民の代表で構成する
国会以外にはないからです。
今回、私の確認した限り、議院運営委員会には何の連絡もなかったと聞いております。
総理が職務にたえないという医師の診断書が示されたということも聞いておりません。
議長への通知をしたと言われるのは、どんな通知方法をとられたのか釈然といたしません。甚だしい
国会軽視、いや
国会無視ではありませんか。
国会の無視は
国民の無視であります。この点が一番の問題です。(
拍手)
総理を指名したのは
国会です。与党でも、ましてや
自民党や
自民党の派閥でもありません。この余りに常識的なことがいつの間にかこの国では忘れられ、軽んじられているという思いを禁じ得ません。
また、憲法六十六条は、「
内閣は、行
政権の行使について、
国会に対し連帯して
責任を負ふ。」と定めております。そのためには、まず緊急臨時閣議を開くべきだと思いますが、閣議は開かれたんですか、いかがですか。憲法と
関係する諸法条に明確に違反したこのやり方は、国家のなりわいそのものを比較第一党である
自民党がみずからの手で崩していると言わねばなりません。なぜ
国会に対する速やかな報告を行わなかったのか、
総理と
官房長官の明確な答弁を求めたいと思います。
一国のリーダーである
内閣総理大臣がひとときでも不在である時間などあってはならないことです。外国紙から、
日本の
政治システムは、予期せぬ混乱に直面すると特にみすぼらしく見えるなどと書かれる
事態は、
世界の先進国と自任し、
民主主義を掲げている国として不名誉きわまりないことではありませんか。国際的に影響力の大きい
日本の
政府代表として、森
総理の御
見解をお聞かせいただきたいと思います。
もう
一つ、森新
政権に清新さが感じられないのは、
政策の論争や
合意を通じてではなくて、ただ
自民党の派閥間の密室の談合によって生み出された旧態依然たる
政権だからです。
小渕総理は、
政権の維持に最優先の目標を置いた自自公連立
政権をつくりましたが、そのまま引き継いだ森
総理が、幾ら新生をうたい、口当たりのいいキャッチフレーズを披瀝されても、しょせんその正体は理念なき談合
政権以外の何物でもないことが
国民に見えているんです。余りに時代おくれで非民主的な
政治のありさまです。そして、この森
政権の姿こそ、この十年の
政治改革とは何だったかを示す惨たんたる象徴にほかなりません。
選挙制度を変えれば
自民党の派閥はなくなるはずだったのではありませんか。
選挙に
お金がかからなくなり、政党
中心の
政策論争が活発に行われるはずだったのではありませんか。
自民党の各派は、それぞれ
選挙を前にして数億円を集める集金パーティーを五月中旬まで次々にホテルで行う予定と発表されております。
小渕前
総理の
事態を受けて中止となったパーティーがあったとは聞いておりません。
政治改革で設けられた政党助成金を十分もらった上に、
企業からの献金も続けてもらい、パーティーを開いてそこでも
お金を集める。
お金を出す中には、公的資金を投入された銀行や
公共事業で潤うゼネコンがあります。十年前とどこが変わったんですか。話が違うじゃありませんか、もっとひどくなったじゃありませんかと
国民のだれしもが思っております。
森
総理の所信表明の中に公務員倫理法に触れた部分があります。不祥事の続く公務員の綱紀の粛正と倫理の向上を求めておられる。
確かに、公務員の倫理問題は深刻であり、綱紀の粛正は必要でしょう。その点、私も同意します。しかし、当の公務員
たちが今何と言っているか御存じですか。じゃ、
政治家はどうなんだ、自分
たちは全部抜け穴をつくっておいて、一番の問題は自分
たちじゃないか、こうであります。
政治家がみずからを厳しく律してこそ、公務員の倫理を問う資格と説得力が生まれるのではないでしょうか。
総理、いかがですか。
厳しい
財政事情の中で、閣僚の俸給の一割を国庫に返納することを初閣議で申し合わせ、昨日の
総理の御答弁では、個人的
見解とされながらも、
国会議員の歳費カットについて、
国民に対して
政治家としての
姿勢を示すという意味において極めて意義があると言われました。この気構えがあるのなら、まずは集金パーティーを自粛されることだと申し上げます。いかがですか。(
拍手)
政治家の倫理問題を私が言うのは、単に
政治家個人の
お金に対するモラルを問うているのではありません。このような
政治姿勢で、一体
日本の現在の難局を乗り越えることができるのかと問うているのです。
二〇〇〇年度末に残る六百四十五兆円の
借金、しかも、このままではさらに悪化することが確実視されていますが、このただごとでない
財政をどう立て直すのか、あるいは高齢少子化で破綻を免れない
年金などの
社会保障のシステムをどう立て直すのか、リストラと不正規
雇用の増大で不安定化する社会をどう安定させていくのか、どれもこれも先送りの許されない深刻な問題が私
たちの前に山積しております。いずれも容易なことでは
解決しない難問であります。
この難問に対処していくために絶対に必要な条件とは何か。それは、
政府や
政治家に対する
国民の信頼であります。
政治家が、自分だけあるいは一部の
地域や
企業だけのためでなく、全体の利益を考えて行動していると
国民が心の底から信じてこそ、問題の
解決に参加し、本気で
努力し、犠牲を払うのだと思います。
小渕内閣を継承すると言われながら、
選挙を意識して、健康保険法の改正は困難と早くも見送ろうとされる
姿勢、これだけ世間を騒がした相次ぐ警察の不祥事に、不退転の決意で改革を
公約されたはずの警察法改正案の出し直しが難しいと言われていることは、問題の先送りがまた始まったわけで、どうしてこれで新生
日本丸のかじがとれるのか、心もとない気がいたします。
警察不祥事の根底にあるのは組織の病理です。神奈川や新潟の県警本部ぐるみの乱脈ぶりに
国民は怒り、治安を維持し犯罪と厳しく対決するはずの警察が捜査資料を盗み出して女性をおどしたり、職務上の犯罪が放置されたまま、憲法で
保障された通信の
秘密を侵す盗聴法の施行を
政府は今凍結するべきです。警察組織が外部から公平にチェックされ、国家公安委員会が十分な機能を取り戻し、
国民の警察への信頼回復が果たされるまで盗聴法は棚上げとして、警察改革の決意を示してはいかがでしょうか。
そして、
有珠山のことが気にかかります。
被災者
生活再建支援法の適用が考えられますが、阪神・淡路大震災の教訓からすれば、何よりも被災者の声に耳を傾けて、自助
努力の回復のために、縦割り行政の調整にとどめないで、独自の
予算と人員を持って、各省庁機関を統合し得るような
災害救助のための常設機関の設置が望まれます。また、義援金は免税とすることが考えられてもいいのではありませんか。
総理の御
見解を求めます。
ところで、昨日、朝鮮半島の南北の首脳がこの六月にピョンヤンで会談を行うという、衝撃的な、そして喜ばしいニュースが飛び込んでまいりました。半世紀にわたる厳しい対立を考えるならば、両国首脳の決断は、まさに
世界史的な決断と言えましょう。これも、さきの村山元
総理を団長とする超党派の訪朝団の成功が大きな契機になったことは間違いありません。私は、こうした決断を行った両国首脳の勇気と志に対し、この会談が民族の和解と東
アジアの平和につながることを願うとともに、日朝間の
関係正常化に向け大きな前進となることを願うものであります。
なぜ
沖縄に一万六千もの
アメリカ海兵隊が常駐する必要があるのか、それは朝鮮半島が不安定だからと説明されてきました。その前提が大きく変わろうとしているのです。
総理、海兵隊の普天間
基地の移転は、もはや必要がなくなるのではないんでしょうか。あるいは、少なくとも、
沖縄の
県知事を含め
沖縄住民の最低限の条件とも言える移転
基地の十五年
期限は、まさに
現実的なものとなったのではありませんか。お答えをお聞かせください。
沖縄サミットをだれが仕切るかというようなことが今度の
選挙のテーマではありません。我が党は、もとより早期の
解散・総
選挙を求めてまいりました。
国民の信を受けていない自公保・森
政権が、
選挙管理
内閣として、
解散を決断され、早期に
国民の
審判を仰ぐことを強く求めて、私は、質問を終わります。(
拍手)
〔
内閣総理大臣森喜朗君
登壇〕