○枝野幸男君 私は、
民主党を
代表し、
森総理大臣の
所信表明演説に対して
質問をいたします。
冒頭に当たり、突然の病に倒れられ、闘病
生活を続けておられる
小渕前
総理とその御家族の皆さんに対し、私からも心からお
見舞い申し上げます。
小渕前
総理は、病に倒れるまで、
総理としての責務に全力を尽くされました。私は、野党としての責務に全力を尽くすことこそが、何よりものお
見舞いであると信じるものであります。
すなわち、与野党それぞれが、みずからの信じるところに従って全力を尽くして
政策論争を繰り広げること、これが
小渕総理の意思にこたえるものである、私はそう信じるところであります。(
拍手)
それにもかかわらず、先ほどの野中氏の
発言は何でありましょうか。公党の党首がお互いに
政策論争をぶつけ合ってきたことに対し、それが病気の一因だなどと本
会議場で
発言することは、余りにも品位に欠け、非
人間的な
発言であり、
民主主義の
政策論争を否定する極めて卑劣な行為であります。
小渕前
総理の病に対する
国民の同情を利用するような
発言は、
小渕総理に対しても、私は極めて不謹慎であると思います。(
拍手)
この
発言を聞いて、
総理はどうお感じになったのか、率直に
お答えいただきたいと思います。
さて、私は、
日本の抱えるさまざまな問題点の中で最も深刻かつ本質的であるのは、法治主義の崩壊であると
考えます。
日本がルールなき
社会となっているのであります。
その象徴的な問題として、私も、
小渕前
総理の急病という緊急
事態におけるうそとごまかしについて異議を唱えざるを得ません。
青木官房長官は、四月二日午後七時ころ、
小渕前
総理から
臨時代理を務めるよう指示され、そもそも、何かあったら万事よろしくというのが本当に
臨時代理の指名に当たるのかどうか疑問でありますが、その直後である午後七時三十分ころ、容体が急変し、昏睡状態に至ったと述べておられます。
しかし、村上正邦氏の講演によれば、二日午後十時ごろから、村上氏と
青木官房長官を初め、
森総理御
自身も加わられた五人で協議し、
臨時代理について決定したとされています。宮澤大蔵大臣も、先ほどの青木長官の答弁とは異なり、この時点で
官房長官から
臨時代理就任の打診を受けたとマスコミに明言されておられます。
官房長官の説明が真実ならば、こうした協議や打診がなされるはずはありませんし、そもそも、その重大な指示は、午後十一時の
記者会見で発表されなければなりません。
森総理を含む五人の
政府・与党幹部は、
小渕前
総理が昏睡状態であることを利用して、その指示をでっち上げ、
首班指名に次ぐ国政の最重要事項を私し、つじつま合わせのためにうそをついているとしか言いようがありません。(
拍手)
もし、村上氏や宮澤大蔵大臣の
発言がうそであると言い張るのであるならば、
政府の
正統性を疑わせる重大な
発言を放置せず、大蔵大臣と自由
民主党参議院議員会長の辞職を求めるべきであります。
総理大臣の具体的な
認識と
対応策について
お尋ねいたします。
そもそも、この間の
不信は、医師団にその病状、
経緯について発表をさせないところから生じ、混乱を呼んでおります。少しでも
不信を払拭するために、
森総理は、今からでも、
小渕前
総理が
総理大臣であった間の病状及びその
経緯について
国民に発表するよう、医師団及び御家族に要請すべきであります。
もちろん、
総理を退任された現在の御病状については、御家族のお気持ちなどもしんしゃくし、一定の配慮がなされるべきであります。しかし、一億三千万
国民の安全を一身に背負っていた
総理在任中について
疑念や
不信を生むことは、
小渕前
総理も真意ではないはずです。
総理の
見解を求めます。
相次ぐ
警察不祥事も取り上げなければなりません。
大部分の
警察官の皆さんは、今もまじめに努力されていると信じますが、このように
不祥事が続いては、
警察全体への信頼が揺らぎ、ひいてはモラルハザードの蔓延につながりかねません。
対策は急を要します。
第一の問題は、
新潟県警不祥事への
国家公安委員会の
対応です。
国家公安委員会は、
不祥事への
対応を、
会議を開かないいわゆる持ち回り方式で決定し、これを正当化しました。しかし、
警察法は、委員長及び三人以上の委員の出席がなければ
会議を開き、議決することができないと明確に規定しています。いかなる詭弁を弄しても、正当化は不可能です。公安委員会がルール違反にほおかむりをするようでは、法治
国家の自殺行為です。牽強付会の解釈を改め、
責任を明確にしなければ、公安委員会への信頼は
回復しないと
考えますが、
総理、いかがでしょうか。
第二は、
森総理もかかわる石川県公安委員の加納氏に関する問題です。
加納氏は、
平成十年九月三十日まで、約二年間にわたって
森総理の後援会長を務め、退任からわずか三日後、石川県公安委員に就任しました。また、公安委員在任中の本年三月五日、金沢市で開催された
森総理のパーティーに出席し、乾杯の音頭をとっています。
公安委員会は、
政治的中立性を確保するための
制度です。直前まで特定
政治家の後援会長であった者は、仮に公安委員に推薦されたとしてもそれを断るべきでありますし、
森総理の立場からも断るよう促すのが当然であります。また、
政治家のパーティーは、選挙運動そのものではありませんが選挙を見通した重要な
政治活動です。そこに堂々と出席し、乾杯の音頭までとった
感覚は、公安委員として失格であると言わざるを得ませんし、これを依頼した
森総理の見識も疑わざるを得ません。
総理はどのような
責任をとられるのか、答弁を求めます。
第三は、
警察改革の焦点である外部監察
制度の導入について、
政府・与党の一部からこれを否定する声が出ている問題です。
現在、
警察庁のいわゆるキャリアは全体で約四百人、同期が二十人前後の閉ざされた
世界です。身内
意識が生じないとしたら、その方が不思議です。現実に、
新潟県警に対する特別監察など、内部監察が機能しなかった例は枚挙にいとまがありません。
警察以外の
不祥事については
警察という外部チェックが働きますが、
警察を取り締まる
警察は存在しないのです。だからこそ、外部監察の導入は不可欠なのです。
総理の具体的な
見解を
お尋ねします。
第四は、桶川で、将来ある女子大生がいわゆるストーカーの手にかかって殺害された問題です。
警察に訴えても助けてもらえない、しかも調書の改ざんまでしている。
国民は一体だれに守ってもらったらいいんでしょうか。
総理及び
国家公安委員長は、殺害された女性とその御遺族にどうおわびをし、また、再発防止のために何をなさるのでしょうか。明確な
お答えを求めます。
これに関連して、
民主党は、既にストーカーの処罰に関する法律案を取りまとめ、今週中にも
国会に提出する予定です。また、犯罪
被害者に対する
経済的支援と精神的な支援についても盛り込んだ犯罪
被害者支援基本法案も、先週末に提出しています。これらの法律は一刻も早い成立が必要であると
考えますが、
総理の御
見解はいかがでしょうか。
警察問題の
最後に、昨年、強行採決の末に成立した盗聴法について
お尋ねします。
明るみになった
一連の
不祥事の中には、証拠の隠ぺいやでっち上げのような事案も含まれています。こうした現在の
警察に、盗聴という強力かつ危険な権限を認めてよいのでしょうか。盗聴法は直ちに廃止すべきであり、少なくとも、
警察改革が断行され、その信頼が
回復するまでの間、その施行を延期すべきであります。
総理の御
見解を
お尋ねします。
白川代議士の秘書らが交通違反のもみ消しで逮捕された事件は、古い
政治がみずからルール違反と不公正に手を染めてきたことを改めて白日のもとにさらしました。
ところが、
自民党の複数の幹部は、今回の事件を反省するどころか、個別の交通違反に関する問い合わせくらいならば正当な行為であるとの
発言をしています。
行政が、把握する
個人情報を当事者以外に教えることは、原則として公務員法違反の犯罪であり、問い合わせること
自体、その教唆に問われかねない問題です。
こうした問題
発言をする方が与党の
責任ある地位にあることをどう
考えるのか。また、こうした
政治の
体質を抜本的に改めるため、
民主党が制定を強く求めてきたあっせん利得罪の導入を急ぐべきではないのか。さらに、
総理の事務所は個別の交通違反に関する
警察への問い合わせなどをしたことはないのか。御答弁を求めます。
森総理は、倫理観と道徳心を強調して、創造性豊かな立派な
人間を育てると述べられました。このこと
自体は、私もおおむね同感であります。
しかし、そもそも、倫理観と道徳心を失い、違法行為やルール違反すれすれの行為を繰り返してきたのはだれでしょうか。
先週金曜日の新聞に、高校生が最もなりたくない職業は
政治家であるとの記事が掲載されました。悪いことばかりしている、うそつきばかりというのが、私
たち政治家に対する子供
たちのイメージです。ルールが軽視される不公正な
政治を省みるとき、私は、こうした子供
たちの声に対する有効な反論の言葉を持ち得ません。
本当に
教育を
考えるのであるならば、まずは大人が、特に
政治が、ルールを守りうそをつかないという倫理と道徳の基本をみずから実践すべきであります。ルール無視の
政治、癒着による不公正な
政治の
中心を歩んでこられた
森総理がいかに声高に倫理や道徳を訴えても、説得力を持たないどころか、生まれるのは反発だけであると
考えますが、いかがでしょうか。
そもそも、
総理の
教育に対する
認識は甘過ぎると言わざるを得ません。現在の
教育は、安心して学校に行くことすらできない状態に陥りつつあります。
教育の場で傷害事件や恐喝事件が繰り返され、教師による生徒に対するセクシュアルハラスメントのニュースがしばしば報道されています。学校には行けない、行かないという不登校の生徒、児童も、一部の問題ではありません。
文部省を頂点とする上意下達型の管理
教育が強化されるのに伴い、強い者にはこび、弱い者には強く出る
体質に染まることを、教師も子供
たちも余儀なくされてきました。これを潔しとしない子供
たちと、他にはけ口のない最も弱い子供
たちに、今そのしわ寄せが集中しているのです。長年にわたり文教
行政の
中心にあって、こうしたひずみをつくり出してきたのは
森総理御
自身です。
まずは、安心して登校できる学校を取り戻すこと。そのために、まずはこれまでの文教
行政を反省すること。文部省による中央集権的管理強化
教育を、地域
社会、保護者、学校の三位一体による自主性尊重の学校運営に転換すること。このことが
教育改革の出発点になければなりません。
総理の御
見解をお伺いいたします。
私は、一九六四年、ちょうど東京オリンピックが開催された年に生まれました。
高齢化社会がピークを迎える二〇二〇年代には、私
たちの世代が五十代の働き盛りとして、より若い世代とともに、年金や介護を支えつつ、これまで蓄積された膨大な
財政赤字と戦うことになります。
しかし、私は、少子
高齢化に伴う負担増について、逃げるつもりはありません。私
たちの世代は、高度
経済成長など、先輩世代からそれ以上に大きな恩恵を受けているからであります。特に、少なくとも
経済的、物質的な側面では、少子化によって兄弟の数が少ない分、より恵まれてきたことを忘れるべきではありません。その裏返しとして、将来、一人当たりの負担と
責任がより大きくなることはむしろ当然のことだと思います。
問題は、私
たちの担うべき負担が公平なものであるのかどうかであり、私
たちに残されるツケが有効に使われた結果であるのかどうかです。
例えば、年金福祉
事業団による運用の失敗で、厚生年金に一兆七千億円ものロスが生じています。その
責任も明らかにしないまま、自主運用は拡大され、
国民の負担する損失のリスクと運用コストも膨らみました。これで年金給付額が削られ、あるいは負担が引き上げられたのでは、納得できるはずがありません。
年金福祉
事業団の運用損失に対する
総理の
見解を伺います。
現在、多くのお年寄りの皆さんは、決して十分ではない年金をさらに節約し、少しでも貯蓄に回そうと努力しています。万一、病気になった場合などの不安が大きく、それに備えたいという気持ちが強いからです。本来、
社会保障
制度が十分に機能すれば、受け取っている年金の範囲で十分な医療と介護が受けられなければなりません。しかし、
社会保障のトータルビジョンは手つかずであり、特に、介護基盤
整備のおくれによって、安心して年をとることができないのです。
その一方で、
政府は、
景気対策と称して
公共事業を
ばらまき、
財政赤字を拡大させています。当面の
景気対策のために一定の
財政出動がやむを得ないとしても、どうしてそれを介護基盤
整備などに集中
投資しないのでしょうか。特別養護老人ホームなどを必要十分なだけ
整備すること、特に、その住環境を
考えるならば個室化を急ぐこと、あるいは高齢者住宅やグループホームについても
目標を前倒しして必要数を確保すること、そしてホームヘルパーなどの養成を集中的に実施すること、こうしたことのために必要な費用は、この間にばらまかれた
公共事業費に比べれば微々たるものです。
少子高齢
社会を乗り切るために必要不可欠な費用として使われた結果であるならば、その
財政赤字の負担を私
たちは喜んで引き受けます。しかし、目先の利権と人気取りのために生じた多額の債務がツケ回されるとしたら、到底容認することができません。何よりも、今、参
政権を持たない子供
たちに対して、余りにも無
責任であります。
高齢化のピークをどのようにして乗り切ろうとしておられるのか、そのためのコストについてどう
考えているのか、多額の債務をツケ回される子供
たちに対してどのような言いわけをなさるつもりなのか、
森総理の御
見解をお伺いします。
明治維新以来の大変革期であると言われて、もう何年たったでしょうか。
森総理を含め、ほとんどの
政治家が
改革を唱え、しかし、
改革は全く進んでいません。
明治維新のとき、幕府の中にも、開国という
改革を断行して暗殺された井伊直弼がいましたし、勝海舟のような倒幕側以上の
改革派も存在しました。しかし、百年以上過ぎた私
たちは、徳川幕府が続いていては
日本の近代化は不可能であったことを、冷静に振り返ることができます。いかに変える意欲があったとしても、さまざまな既得権としがらみに取りつかれた体制では、時代の流れについていくことは不可能なのです。
ましてや、
森総理の所信表明から、
改革への具体的な意欲を感じ取ることはできません。真に、時代の流れに
対応し、
日本を立て直すためには、幕府を倒す、つまり
政権交代以外にはないのであります。
民主党は、確かに若い政党であります。しかし、明治新
政府で
日本の近代化を
実現したのも、経験に乏しい若者
たちでありました。今、必要なことは、既得権としがらみを断ち切る勇気以外にはありません。少なくとも、私
たちはこの勇気を持っています。
未来のために、勇気を持って、私は変えたい、このことを訴えて、
質問を終わります。ありがとうございました。(
拍手)
〔
内閣総理大臣森喜朗君
登壇〕