○
安倍(基)小
委員 保守党の
安倍基雄でございます。本
会議でも
質問いたしましたので、また、
委員会でも
質問いたしましたから、余り重複は避けますけれ
ども。
私は
委員会で、
平成十年八月号の中央公論を
皆さんにお配りいたしました。そこに書いてございますように、やはり日本のあれというのは非常に
少年に対して甘いというか寛大である、ほかの国に比較して、非常にその辺が
教育刑的な思想がある。やはり法というものは、その当時における
社会情勢のもとにつくられる。
社会情勢が変わってくれば当然変えていかなければいかぬ。戦争直後の、そのときの
少年法の提案理由か何かの議論にございますが、戦争中はなかなか
教育も不十分だった、戦後も大変だ、窃盗なんかも多い、だから、そういったことで一生を台なしにしてはいかぬというような思想が広く、強く貫いておる。
それを本来は、
社会情勢の変化に応じて、当然変えていくべきものであった。ところが、一遍できますと、いわゆる
人権論者というか、
少年がかわいそうだということがすぐ話になる。それ以外にいろいろ、
教育が悪い、
社会が悪いと、すぐ
責任をそちらに持っていっちゃう。これが、
少年法の
改正というものを妨げてきたと私は思います。
今回の法
改正は、
手続上の問題である、実体にはほとんど触れていない。しかも、
犯罪の
内容を知るためには、いわば
被害者が民事訴訟でもしないとわからないというような状況、これはやはりどうしても変えなきゃいかぬ。その面で、
手続上の
改正というのがまず第一歩である。
しかし、
年齢の引き下げとか
処分の、要するに、罪を犯した者は罰せられるという原則をちゃんと保たなきゃいかぬ。さっきも出ましたけれ
ども、犯人の中には、この前、
裁判官が実名を出そうとしたのを、それは更迭すべきだというようなことをインターネットでやっていた、これはバスジャックの
少年らしいですけれ
ども。そういうようなことを、我々は守られているんだということを意識している連中がほとんどである。不良
少年なんかも随分、情報化
社会ですから、すべておれ
たちは絶対
死刑にならぬ、やっても大したことにならないんだということがどうしても
背景にある。ですから、やはりそういうほかのものを、
家庭が悪い、環境が悪いというんじゃなくて、
最後には自分
自身が罪を負わなきゃいかぬのだという意識をきちんと自覚させなきゃいかぬ。これはどうしても必要です。
よく
被害者の父兄の中には、出てきた犯人を引っ張り出して殺してやりたいという気持ちまである。結局、刑というのはもともと、ほっておけば復讐
社会になる、復讐しちゃう。だから、その復讐をとめる、そのかわりに刑を科すというのが刑の本質じゃないかと私の論文で書いたんですけれ
ども、そういった
意味で、
教育刑的なものじゃなく、やはり基本的には、刑というものはもともと、私的復讐を禁止して公的でもってそれをいわば救済するという
意味のものが刑の本質である。
このことを考えますと、
凶悪犯というのはやはり普通の窃盗とかとは
意味が違うんだ、これをきちっと分けてやらなきゃいかぬ。ほかの国でも、重罪についてはイギリスはクラウン
裁判所というような
裁判所もあり、
裁判所をそもそも分けてやっていますが、そういう
意味で、
凶悪犯と軽
犯罪とは全く異質のものである。しかも、
凶悪犯になってくると、全く分別がわからない
年齢というのはもっともっと下でございまして、十六歳、十八歳という話じゃない。そういうことで、私は、
少年法は基本的に考えていかなきゃいかぬだろうと思います。
それとともに、前回ちょっと
質問したんですけれ
ども、いじめの問題。あれはやはり、もっと
教師に
責任を持たせるべきだ。要するに、いじめによって
子供が殺されたり、あるいは自殺に追い込まれる、これは
教師の業務上過失致死じゃないかというような言い方をしましたけれ
ども、やはり
教育の面でも、単になあなあじゃなくて、もしそういった
事件が起こったら
教師はきちっと
責任をとるというくらいの、ぴしっとした姿勢が必要だ。
日本
社会は、戦後、どうも
責任をとらないことが原則みたいになっちゃっていますから、そういった面で、文部省のころに、もう少し
責任をとらせる体制をつくろうじゃないかという話をしたんです。そのうち私が更迭されましたけれ
ども、そういった
意味で、私は、こういった
教育の問題も、
責任を中心とするという気持ちをきちっとさせなきゃいかぬと思います。
もう時間でございますから、これで終わります。