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2000-02-24 第147回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十二年二月二十四日(木曜日)     午前九時三十分開議  出席委員    委員長 鈴木 恒夫君    理事 飯島 忠義君 理事 小川  元君    理事 奥山 茂彦君 理事 栗原 裕康君    理事 肥田美代子君 理事 藤村  修君    理事 西  博義君 理事 松浪健四郎君       岩下 栄一君    岩永 峯一君       小此木八郎君    河村 建夫君       倉成 正和君    小島 敏男君       下村 博文君    平沢 勝栄君       松永  光君    柳沢 伯夫君       渡辺 博道君    田中  甲君       松沢 成文君    山元  勉君       池坊 保子君    旭道山和泰君       石井 郁子君    山原健二郎君       濱田 健一君    粟屋 敏信君     …………………………………    文部大臣         中曽根弘文君    文部政務次官       河村 建夫君    文部政務次官       小此木八郎君    政府参考人    (文部省教育助成局長)  矢野 重典君    政府参考人    (厚生省児童家庭局長)  真野  章君    文教委員会専門員     岡村  豊君     ————————————— 本日の会議に付した案件  政府参考人出頭要求に関する件  文教行政基本施策に関する件     午前九時三十分開議      ————◇—————
  2. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  この際、お諮りいたします。  本件調査のため、本日、政府参考人として文部省教育助成局長矢野重典君及び厚生省児童家庭局長真野章君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————
  4. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岩永峯一君。
  5. 岩永峯一

    岩永委員 皆さん、おはようございます。  きょうは、トップバッター質問をさせていただくのですが、大変盛りだくさん質問でございますので、大臣並びに総括政務次官におかれましては、ひとつ明瞭に、簡潔にお答えをいただき、私の質問が消化できますように、よろしく御協力の方お願い申し上げます。  最初に、けさ我が党の中で、文教部会文教制度調査会高等教育研究グループ勉強会がございました。その席に、東北大学総長阿部先生京大総長長尾先生、それから九州大学総長杉岡先生にお越しをいただき、大学の中における改革の意欲並びに現在大学が抱えている問題点についてお聞きをしたところでございます。  その中で、私が総体的に感じましたのは、大学自身も今改革に向けて積極的に対応してきている。しかしながら、かつての反省の中で、日本大学教育というのは後追い型であったのではないかというような反省面だとか、これからはやはり国際競争力、外国の大学相手に、日本大学研究部門でも教育部門でもどれだけの知力をつけるか、そして競争に打ちかてるか、こういうことが大変大事であろう。  例えば、その中で具体的に出てまいりましたのは、やはり世界の一流の学者、教育者日本に招聘しなきゃならぬ。しかしながら、御承知のとおり、それに対応する、給料の面だとか建物、待遇の面でなかなか招聘できないという実は問題点も披瀝をされておりました。  そして、目標は大学自身がみずからつくっていかなきゃならぬのではないかという大学中立性の問題も出てきていたわけでございますし、よくここで言われる大学院大学設置についての問題等では、やはり、十八から二十二歳ぐらいの本当に吸収盛りの生徒を分離してしまうということになると、大学院大学としての問題点があるのではないかというような話が出ておりました。  私が大変興味深く聞いておりましたのは、大学教員任期制の問題でございますが、この問題についても大学で積極的に取り組んでおる。評議会それから教授会の中で具体的なそれに対するプロジェクトをつくったり、取り組みをやったりしている、こういうような話が出ておりまして、総体的に、今、文部省なり我が文教委員会の中でも大変大きな大学改革を進めておる、そのことを受けて大学自身が動いてきておる、こういう実感を得たわけでございます。  これから、国立大学からのヒアリング私立大学からのヒアリング、それから学識経験者からのヒアリングを現場の声として聞いて、そして文部大臣にいろいろと党としても提言を申し上げたい、そんな考え方でおりますので、ひとつよろしくお願いをいたします。  事かようなように、大学の果たすべき役割というのはますます大きくなってきているわけでございますが、大臣は、二十一世紀大学像をどのように考えておられるのか、またその実現のために大学改革をどう進めておられるのか、ひとつ大臣決意最初にお聞きしたい、このように思います。
  6. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員おっしゃいますように、大学の果たす役割というのは大変大きいものがございます。今も具体的に例をお挙げになりましたけれども、国際競争力のあるものにしなければなりませんし、また、これから、いわば大学全入時代といいますか、多くの学生さんが大学に行くようになっていくということを考えますと、大学改革を進めていかなければならないことは当然でございます。  大学の果たしている役割はいろいろありますけれども、すぐれた人材を養成確保するということ、人類の知的資産を継承していくということ、それからやはり未来に向かっての、未来を開く新しい知の創造、あるいは社会発展を支えていく中心的な役割をつくっていくという、大学自身がそういう中心的な役割を果たすことが期待されているわけでございます。  日本大学がこういう期待された役割を十分に果たし、また国際的な評価をされるようになるためには、改革をどんどんやらなければならないわけでありますが、そのために、二十一世紀に向けて、課題探求能力を持った質の高い学生をきちんと教育するということが私は大変大事なことであると思います。  具体的には、各大学におきまして、教養教育を重視するということ、それから、大学ですから、専門教育基礎基本重視等を指導しているところでございます。また、学術研究分野大学の重要な分野でございます。今、研究者待遇改善お話がありましたけれども、世界研究者を引きつけ世界最高水準学術研究を活発に進めなければならないとも思っております。  こういう取り組みを可能にするために、各大学教育研究につきまして、自主性自律性を高めるとともに、第三者の評価を含めた多元的な評価システムを確立していくということも今後必要であると考えます。  こういう改革を通じまして、大学個性化それから多様化を図り、競争的な環境を醸成して創造性を備えた人材を育成していく、そして世界水準学術研究ができるような、そういう大学改革を進めていきたいと思っております。
  7. 岩永峯一

    岩永委員 今回の大学改革の中で、大学評価をする、これは本当に画期的な対応である、私はこのように思って賛辞を送るものでございますが、今月の二十二日に有識者から成る大学評価機関創設準備委員会の報告が公表をされました。その中で改革案を提出しておられるわけでございますが、大臣自身は、この評価機関の設立の意義をどのようにお考えいただいているのか、そして、これにより大学をどのように変えようとしておられるのか、ひとつ具体的に、手短にお答えをいただきたいと思います。
  8. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 できるだけ手短に申し上げます。  先ほど申し上げましたけれども、大学改革では、大学自主性を確保すること、また自律性を確保すること、そして責任ある運営体制をつくっていくということが大切であろうかと思います。  文部省といたしましては、各方面の御意見を十分に踏まえつつ、適切な評価を行って、その結果を各大学に提供し教育研究改善に役立てるとともに、広く社会に公表していく、そういうことが大事だと思っておりまして、そうすることによりまして、大学社会経済界などからの要請を積極的に受けとめて、またその役割を的確に果たすことにつながるよう努めてまいりたい、そういうふうに思っております。
  9. 岩永峯一

    岩永委員 これは、できるだけ多方面からの英知を結集してやっていただきたい、このように思うわけでございますが、その英知をどういうように集約していこうとされているのかということと、あわせて一つ、国公立だけではなしに私学に対して国が大きな助成金を出している、そのそれぞれの私学の中における評価もやはり文部省が十分握るべきだ、そして握った上で、やはり、特別補助というか、成果を上げた大学に対する財政的な面、そしてまた文部省としての支援を送るべきではないか、このように私は思っているんですが、その辺の私学に対する考え方もお聞きをしたい、このように思います。
  10. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 大学評価ということは大変大事なことであります。大学評価機関創設準備委員会をつくっているわけでありますけれども、これは、大学評価機関組織とか事業等のあり方について検討を行うために、大学産業界等有識者の参画を得て昨年の四月に学位授与機構内にできたものでございます。  この大学評価機関が、国立大学だけじゃなくて、私立大学についてもそれぞれの建学の精神を尊重しながら評価を行ったらどうだ、そしてメリハリのきいた助成を行うなどいかがか、そういうお話でもございます。  今、私立大学が果たしている役割は大変大きいわけでありますけれども、文部省といたしましても、私立大学につきましては、経常費補助を初めとする私学助成の充実に努めているわけでございます。そして、経常費補助のうち、教職員人件費基礎的な研究費等について補助を行う一般補助について、教育研究条件整備状況に応じた配分を行っておりますし、また特別補助等行っておるわけでございます。  そのような経常費補助、それから特別補助、あるいは学術研究につきましても補助を行っているわけでありまして、今後とも私立大学教育研究活動に対して十分支援をしていきたい、そういうふうには思っております。  それから、すべての大学にというお話でございました。  評価を受けるかどうかという判断は、設置者が行うわけであります。国費により運営されている国立大学につきましては、すべての大学評価を行うことにしているわけであります。当分の間は国立大学について、その対象分野とかそれから対象機関を絞って評価を実施しつつ、この機構評価内容評価体制を整えることとしておるわけでありまして、私といたしましては、私立大学につきましては当分の間は評価を行わない予定でございます。
  11. 岩永峯一

    岩永委員 今、大学並びに学生の姿を社会から見ている目は大変厳しいものがございます。大学はレジャーランド化されているのではないか、学生はアルバイトと遊びとスポーツに興じておる、本当に二十一世紀科学技術立国を担っていく子供が育っているのかどうか。世界から見ると、これはいろいろな評価があるわけですが、その中でも、大変な日本教育研究の劣勢が懸念されている、こういうことでございますし、今全体的にそういう国民世論政府においても、また私ども国会においても機運が高まっている、大学の内部においても機運が高まっているときに、ひとつ文部大臣の強力なリーダーシップをお願いしたいということをお願い申し上げて、この質問を終わります。  次に、子育て教育についてでございますが、御承知のとおり、三つ子の魂百まで、このように言われるわけでございまして、家庭における幼児教育、しつけというものはその子供人生の将来までをも規定してしまう、こういうことでございます。子供たち基本的なしつけができていない状況の中で、今、学級崩壊だとか校内暴力家庭内暴力が多くの世論を巻き起こしているところは事実でございます。  私は、このことについては、かつて県会議員当時から、子供を産む前の母親父親、ここらあたりが本当に子供を産む心構えができているのか、また長期的な教育方針というものを持っているのか、生命とは何か、しつけとはどのような方針で行うのか、どんな人間に育ってほしいのか、そういうものを基本的に持って子供を産んでいるのかということの大きな疑問を持っておりました。  そういう状況の中で、生まれた時点から一歳、二歳、三歳、このときに全人生基本が形成されるとしたら、母親父親のその時点における心構えというのが大変大事ではないか、このことが私の大きな理念であったわけでございます。  それで、私もそのことを提言いたしました。文部省の生涯学習局では、子育て手帳母子手帳一緒に渡すとか、またビデオテープをつくって、そしてそれで、しつけとは、人間とはという教育をしてきていただきまして、私も、大きな成果を上げた、このように思っているのですが、しかし、それでは物足らないのではないか。だから、母子手帳をもらって五カ月、六カ月の間に母親なり父親が月に二時間だとか三時間、子供を産むまでの間、十時間とか十五時間、何か義務的にそういうような教育を受けるとか講習を受けるとか、そういうようなことができないか。  そうすると、本当にわくわくとしながら子供を産む。そして、こんな子供に育てていこうという理念、哲学みたいなものをおぼろげながら父親母親が持つ、その中からしつけがされるということになりますと、私は、幼稚園教育小学校、中学校高等学校大学まで進む過程の中で、日本国民として本当に立派な人格を持つ人間が育つのではないか、このことを強く考えておったわけでございます。  ひとつこのことに対する、大臣並びに総括政務次官基本的なお考え方をお聞かせいただきたい、このように思います。時間がございませんので、よろしくお願いします。
  12. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 おっしゃるとおり、子は国の宝とも申しますけれども、そういうことを考えますと、お父さんお母さんがまずしっかりしていただかなければならないのは当然であります。私自身も、教育の問題は、非常に幅の広い、また時間のかかる、奥行きのある問題だと思っておりまして、きょうあしたで簡単に改善できるものではないと思っております。基本は、お父さんお母さんたちがお子さんに対してしっかりとした、しつけを初めとした教育を行うことであろうと思っております。  そのためには、お父さんお母さん方に対して、委員もおっしゃいましたような家庭教育手帳とか家庭教育ノート等を配布もしておりますけれども、日ごろからそういう親に対する教育あるいは子育てについてのいろいろな相談に乗るということが大切だろう、そういうふうに思っているところでございます。
  13. 河村建夫

    河村政務次官 私からも、御指名をいただきましたので、一言。  岩永委員がおっしゃるように、残念ながら、親学というものを新しく起こして必須科目にでもしない限りという声が非常に強くなってまいりました。御指摘のとおりだと思います。  義務的にとおっしゃいますが、これはなかなか大変なことでありますが、考える必要がある。そして、保育所幼稚園というのがあります。そういうところがやはり子育て支援センターにならなければいかぬのではないかと私は思います。  せっかく手帳を配りましたから、これを教材にして、あれにはいいことが書いてありますから、それをただ渡して読んでおけじゃなくて、母子手帳をもらうとき夫婦一緒に来て、一度講義を受ける。やはり社会体験豊かな、あるいは校長先生上がりとかいうような、しゃべることのうまい人がいっぱいいますから、そういう方々先生になっていただいて、あの手帳中心にして講義をしていただく、こういう方途を考えたらどうか、こう思っておりますので、そういう方法等も含めて検討いたしたい、このように思います。
  14. 岩永峯一

    岩永委員 どうもありがとうございます。  今、河村総括政務次官の御答弁にありましたように、ひとつ何としてでも義務化をしていく、そして親としての心構えをきちっとしてから子供を産むというような、そういうシステムができたら、将来における日本教育の基盤、基礎というのがきちっとできる。だから、考えていかなきゃならぬというような積極的なお言葉、大変ありがとうございます。よろしくお願い申し上げます。  では、次の質問に移ります。  私は、昨年の二月の十日にこの文教委員会質問させていただきました。副担任制の問題でございます。基本は、四十人いる学級の中で一人の先生が黒板に向かって字を書いている、そして、やんちゃ盛り子供たち、体を動かしたい盛り子供たちが本当に一つ教室の中で勉強していけるのかどうか、こんなことを考えたときに、もうそのことには限界が来ている、だから三十人学級をというような話であるわけですが、私は三十人でも問題だ、このように思っておるし、アメリカなんかは十七人に二人の先生を置いているわけです。  では、こうした行政改革のときに、それだけの先生が置けるか。私は、これは工夫だと思います。一人は正教員を置く、一人は臨時先生を置く。学校教員をやめられたOB、また、教員免許は持っているけれども主婦として子の手が離れたから学校へ勤めたい、また、教員試験を受けたけれども行けない、またあるときには、短期的な研修をしてそういう臨時教員を養成する、そして月に十五万か二十万のお金で来ていただく。国が半分出して、県が四分の一出して、要望する市町村が四分の一出すというようなことでこのことをやってもらいたい、このように思っております。この副担任制の問題に対してどのように文部省としてはお考えいただくか。  ただ、ありがたいことに、私もその発言をしましてから、全国の教室の一割に当たる二千二十一校、平成十二年度で予算を組んでいただいた。そして、いよいよ副担任制がスタートしてその成果を見るという文部省の配慮には感謝をいたしますが、できるだけ十三年度の教育改革のときに一挙にこれをスタートさせていただきたい、このようにお願いをするわけでございます。
  15. 河村建夫

    河村政務次官 かねてから岩永議員にはそのことをずっと強調されまして、今既に御自身からも御指摘ありましたように、文部省としてもそれを政策実行に移す段階に来たわけであります。  特に、この副担任制と、それからチームティーチングという問題もあります。教科によっては、特に英語あたり習熟度別に分けていかなきゃいかぬだろう、こういうこともございますから、そういう専門分野を持った先生チームティーチング、チーム、二人組んでやっていくという形も一つ方法だと思います。  それから、ちょうど岩永先生指摘のときに、緊急雇用対策ということもございまして、これもあわせてこれに導入しようということで、実は平成十一年、今は年度内でありますが、緊急雇用対策として、約一万人の非常勤講師を採用して小中高に入れております。チームティーチング二千人、それから学校生活支援として一千人等々でございます。  これと、今お示しがありましたような、小学校等において指導困難な、いわゆる言われている学級崩壊、特にそれに対応して先生を複数にするということをこれからも進めてまいります。  これを全学校にということになりますと、予算的な問題もありますし、教科等の適性というような問題もございまして、一遍になかなかいかないと思いますが、相応の方向は深めていかなきゃなりませんし、一人の先生が持つ子供の数を少しでも減らしてもらいたいという方向は、これからの定数改善の中にも十分取り入れて、年次計画等も立てながら方向性を打ち出していくときだ、このように考えております。
  16. 岩永峯一

    岩永委員 この問題については、平成十三年度教職員配置改善計画が策定されるわけでございますので、ぜひとも取り上げていただきたい。そして、学校に二人大人がいるということの中の子供大人の接触、だから、子供だけの社会をつくるのではなしに、大人子供とが一つ教室の中でやはり肌を合わす、このことが大変大事だ、このように思いますので、平成十三年度の改善には期待をいたしておりますので、ひとつよろしくお願いをいたします。  それでは、あと五分でございますが、最後の質問にさせていただきます。  NPO法案ができました。私は、この法案には大変期待をいたしておりまして、当時内閣委員会の中で、この法案成立のために努力をさせていただいた一人でございます。その中で、確かに全国ネットのNPO、また、それぞれの分野におけるNPOがあるわけでございますけれども、私がこの法案期待しておったのは、地域NPOというのを実は期待しておったわけでございます。  だから、小学校単位ぐらいに、主婦で手のあいておられる方、また青年やお年寄りで時間のある方、そういう方々が、地域のためにどう我々がボランティアとして活躍していけるか。今介護保険制度がとやかく言われておりますけれども、独居老人寝たきり老人、そして地域の中で問題を抱えている方々のために、地域方々がみずから手を差し伸べていく。そして、お互いに共助の心でもって地域社会をつくり上げていく。またあるときには、環境の問題、ごみの問題、本当に地域を形成していこうと思うと多くの課題があるわけでございます。  そういうときに、区の組織だとか町内の組織というかつての組織がございますけれども、やはりそういう組織参加できない方もたくさんおられるわけでございますので、地域NPOというのをつくって、そして地域改善する声もそこで吸い上げる、また逆に、地域社会のためにボランティアとして奉仕活動をする、こういう社会ができたら本当にすばらしいのではないか、それもできるだけ小さい、小学校単位ぐらいにと、このように思っております。  しかし、ではだれがそれをするのかということになってまいりますと、私は、小学校単位ぐらいに一番いい行政拠点があるのは公民館だ、このように思っておりますし、公民館設置法の中でも、こういうNPOに対する協力、そしてNPOをつくっていく、そういうような項目があるわけでございます。  私は、公民館NPOを助ける拠点として公民館活動としての事務的な役割を果たす、むしろ、NPOのないところへは行政が出ていって、そして公民館活動の一環としてやっていく。今の公民館活動を見ておりますと、そういう地域参加地域への協力というのは公民館を使ううちの一割にも満たない、こういうことでございます。これからはやはり、参加する生涯教育参加する行政、こういうことがこれからの社会教育の根源だろう、私はこのように思っております。  どうかひとつ、このせっかくできたNPO法でもって、大変財政厳しい地方の財源に、ひとつボランティア協力をいただく、そして広く国民参加のもとに日本の国の活性化をしていく、地域社会盛り上げていく。私は、地域NPO活動が今一番国民参加しよい、そして国民の意思を集合しよい組織ではないか、このように思っておるわけでございますので、大臣NPOに対する考え方NPOを育成していく御決意をお聞かせいただきたい、このように思います。
  17. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員の、地域発展のために地域NPOをつくって、そして地域社会に貢献するという、私もまさに同感でございますし、そのためには小学校単位ぐらいで活動したらどうかという話でもありました。  そのために公民館を活用したらということで、委員が大変また御努力をいただきまして、実は平成十二年度からNPO等の団体がみずから企画して、町づくりに関するさまざまな事業を展開するための方策の調査研究事業を考えております。これは約一億円の予算を今計上しておるところでございますが、町づくり拠点である公民館中心として、NPOなどがみずから企画して、町づくり事業に関する情報の収集や提供、あるいは町づくり団体間の連絡調整、また町づくりフォーラムの開催などの事業を展開して地域社会発展に貢献するというものでございます。  そのために、この調査研究として、生涯学習分野NPOの連携による町づくり支援事業というものをこれから考えているわけでありまして、きめの細かい、地域におけるNPOの活動をさらに促進できますように、我々も全面的に支援をしていきたい、そういうふうに思っております。
  18. 岩永峯一

    岩永委員 どうもありがとうございました。  このNPOの問題に対しましても昨年度質問をさせていただきまして、以来、生涯学習局では、ことし五十カ所のモデル地域、そして一億円の予算つけていただいた。一地域二百万円の予算を充てて、各県に一つずつぐらいでつくっていくということでございますので、これが全小学校区にできてまいりますように、ひとつ文部省の積極的な御尽力をお願いしたい、このように思います。  きょうは本当に、短時間でございましたけれども、実のある大変積極的な御答弁を大臣並びに河村総括政務次官からいただきましたことを、心から感謝し、質問を終わります。ありがとうございました。
  19. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 次に、倉成正和君。
  20. 倉成正和

    ○倉成委員 自由民主党の倉成正和でございます。  本日は、質問の機会を与えていただきましたことに心から感謝を申し上げる次第でございます。  我が国が二十一世紀においても輝かしい国家として発展するためには、新しい世紀を担う人材を育てることが最重要の課題であると思います。そのためには、現在教育が直面しているいじめ、不登校、学力低下などの問題への対応ももちろんでございますけれども、新しい時代にふさわしい教育理念を初めとする学校教育全般に対する見直しが不可欠であると考えます。  我が国は、一八五三年のペリー来航以来、明治維新、戦後改革という二つの開国を経験いたしました。一八六八年の明治維新においては、欧米に学び、独立を保つという国家目標があり、アジアの中で、植民地化を免れて唯一近代化をなし遂げたわけでございます。また、一九四五年の敗戦においては、戦後の復興を果たして欧米諸国に追いつくという目標を掲げまして、経済大国になったわけでございます。  この原動力は何かと考えますと、いずれの場合も、それぞれ前の時代、例えば明治維新での一定の成功の原動力になったのは、やはり江戸時代において、近代化こそはできておりません、近代化こそは学んでおりませんでしたけれども、一定の教育水準が高かったことがその原動力になったのではないかと思います。  また、明治以来、全国に学校をつくり、教育に非常にお金を使った。そして、明治に日本にやってきたお雇い外国人が、日本はこんなに貧しい国なのにどうして教育にこれだけお金を使うんだろうかと一様に驚いたような、そういう教育に力を入れてきたことがあったからこそ、あの廃墟の中から日本がこれだけの経済大国に発展をしたのだと思います。  このような観点から、本日は、ちょっと盛りだくさんでありますけれども、五つほど質問をさせていただきたいと思います。御答弁の方の御協力をぜひお願いしたいと思う次第であります。  まず第一に、教育改革行政評価の問題について御質問をさせていただきたいと思います。  私は、行政改革特別委員会の委員としてその審議に参加いたしまして、今回の行政改革においての一番の成果は何か、一言で言うと、行政評価という仕組みを導入したことだというふうに考えております。もちろん、省庁編成の問題、内閣府の強化の問題、いろいろたくさんございますけれども、あえて一つ挙げれば、これまで行政全般において欠けておった、文教行政もその一つだと思いますけれども、新しい法律の制定とか制度の導入、これには非常に熱心でありますけれども、その結果どうなったのか、その結果本当によくなったのかどうかについての検証というのが十分になされていなかったのではないかと考えます。  これは平成十一年度の教育白書においても、この中で、教育改革成果という記述があるわけでございますけれども、内容がこういうふうに変わったとか数字的なことは書いてありますけれども、本当にその結果、こういう指導要領をやったことによってこうなったとかいうような、例えば具体的にこのことをやったことによって学力が向上したというような記述がないわけでございます。今後は、行政評価の仕組みを取り入れた具体的な検証作業が必要だと考えております。  具体的に言いますと、学力テストをきちっとやって、そして新しいものを導入して、新しい政策を導入した後には、それが本当によかったのかどうかもきちっと検証する。もちろん、支出に不正があったかどうかについてのことは会計検査院その他でやっておりますけれども、残念ながら、その行政評価という面は日本行政に大きく欠けていた面じゃないかと思っております。この点について大臣のお考えをお伺いしたいと思います。
  21. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員のおっしゃるように、行政評価、検証をきちっとするということは、それ以降の行政、政策を策定していく上で大変重要なことでございます。  教育の面におきましては、御案内のとおり、臨時教育審議会の四次にわたる答申を受けまして教育改革をずっと進めてきたわけでございます。その内容について細かいことは申し上げませんが、一例といたしましては、中高一貫教育を制度化したり、あるいは大学へのいわゆる飛び入学を実施できるようにしたり、あるいは放送大学の全国化、また外国語、情報教育の充実など、そういうようなものに取り組んできているわけでございます。  このように一定の成果が上がっているものと私どもは思っておりますが、教育改革成果を的確に評価をしていくということは大変重要でございます。  先ほど申し上げました教育改革プログラム、これの改定に当たりまして、教育改革の進捗状況評価を行っております。またさらに、教育白書におきまして、ことしは初めて教育改革を特集いたしまして、そして、主として臨教審後の教育改革成果の検証を行ったところでございます。  さらに、来年の一月からは新しい省庁再編ということで、これは文部科学省になるわけでありますが、新しい体制になる機会に政策評価のための組織づくりを考えておるわけでございまして、積極的にこういうような形で教育改革成果が的確に評価できるように努めていきたい、そういうふうに思っております。
  22. 倉成正和

    ○倉成委員 大臣から非常に前向きの御答弁をいただきましたけれども、従来、やはり行政評価という面では、これは文教行政だけではないのですけれども、行政一般に欠けていた面があるのではないか。こういうふうになった、こういうふうに変わりましたということは言っても、それによってどうなったか。例えば、週休五日制の導入がありました。しかし、そのことによって具体的にどういう効果が出てきたのかということについてなかなか調査がされていなかったのではないか、実証がされていなかったのではないかということを私は考えている次第でございます。  この辺は、これから非常に改善期待されるということで、今の大臣の御答弁を受けてこれから改善期待されるというふうに受けとめて、評価をしたいと思っております。  次に、学習指導要領の問題についてお尋ねをしたいと思います。  いよいよ、新学習指導要領というのが平成十四年の四月に施行予定になっております。小学校と中学校のものが、いよいよ平成十四年、二年後に迫ってきております。この学習指導要領においては、おおむね三割程度の教育内容を削減するということで、この教育白書の中でもうたっております。  この内容については、国会審議においても十分審議、議論をされてきたことであるというふうに思いますけれども、しかし、いよいよ実施までに二年と目前に迫ってきて、果たしてこの内容で学力低下を招かないか、ゆとりの教育といううたい文句は非常にすばらしいけれども、実際にはそれで塾通いがふえていくのではないかという懸念が、国民の間にも広がっております。お母さん方あるいは教育の現場の方のいろいろなお話を聞くと、そういう不安の声というのが非常に高まっているというのが一方であります。私自身も、率直に言って大きな懸念を抱いている者の一人でございます。  この懸念を打ち消すためには、先ほど申し上げました行政評価の仕組みを本格的に導入して、具体的な検証作業を行うというふうなことが必要だと思います。  例えばの例で申し上げますけれども、今回、三割程度の学習内容の削減ということをうたっているわけでございますので、七割ぐらいの学習内容になるわけですね。その結果、少なくとも、その七割程度の学習内容について、前の学習指導要領と新しい学習指導要領をやったときに、七割のものについては学力が上がっていなければおかしいわけでございます。当然ながら、それが同じだった、よかったじゃなくて、七割に絞ったわけですから、学力が、それについての理解度は高まった、そのために今度やるわけですから、それが実際に実証されて初めて、この学習指導要領で大丈夫なんだということが少なくとも一つ言える。そのような具体的な検証の方法を導入いただきたい。そういうことで、文部大臣のお考えをいただきたいと思います。
  23. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 学習指導要領の改訂によりまして、委員お話しありましたような、内容が三割程度削減ということになりますが、これは一方で、七割といいますか、基礎基本はしっかりと身につけてもらおう、そういうものが根本でございます。そして同時に、児童生徒みずからの学ぶ意欲とか知的好奇心、探求心などを身につけさせて、そして、自分たちから問題を解決する能力を向上させることをねらいとしているものでございます。  御指摘一つは学力の実態把握でございますけれども、これは、昨年十二月の中教審の答申におきましても、児童生徒の学力の実態を把握するための総合的な調査や、それから各学校段階ごとの到達度を評価することなどの御提言をいただいたところでございます。  この答申を受けまして、現在、教育課程審議会に、今後の児童生徒の学習の評価のあり方、それから学習指導要領に示す目標、内容の達成状況評価のあり方、さらに教育課程の実施状況等から見た学校の自己点検、自己評価のあり方について、私から諮問をし、今審議をお願いしているところでございます。  また、平成十二年度から、各教科の目標や内容の実現状況の把握等を目標とする、学力の評価に関する調査研究を三カ年計画で実施することとしておりまして、児童生徒の学力の実態をしっかりと把握して、そして、今後も学習指導等の改善、充実に努めていきたい、そういうふうに思っております。
  24. 倉成正和

    ○倉成委員 これについても大臣から非常に前向きの御答弁をいただきまして、本当にありがとうございます。  この具体的な検証作業をしないで、新しい指導要領だ、新しいんだからいいんだということだけでは、これからの教育に非常に問題だと思います。新しい指導要領をやって、確かに目的は非常にすばらしい。ゆとりのある教育、あるいは生きる力をつけるんだということで、非常にすばらしいことを言ってあるわけですけれども、本当にそれが実現されたかどうかを検証するのがこれからの行政にとって非常に重要ではないかと思っております。  その辺で、ぜひ具体的な内容、それは形はいろいろあるかと思います。あるいは、地域の個々の学校の学力について発表するのはいろいろな問題が生じるかもしれません。そういう場合は、全国レベルで、あるいは地域、大きなくくりでやっていくことが必要かもしれませんけれども、その発表の仕方にはいろいろ工夫が必要であると思いますけれども、やはり生のデータを、生のというか本当のデータ、具体的なデータを出して、これだけこう変わったんだということが言えるようになって初めて新しい指導要領をやった価値があるというふうに思っておりますので、ぜひその点をこれからの行政に生かしていただきたいと思う次第でございます。  時間が迫ってまいりましたけれども、次に、具体的な小学校の学習指導要領についての中で、国旗・国歌の扱いについての御質問をさせていただきたいと思います。  日本の戦後教育について、大きな誤解が存在すると私は考えております。それは、戦後教育ではアメリカ式の民主主義教育が導入されたというふうな誤解であります。実は、導入された戦後民主主義と言われるようなものでは、その一番の中核の部分が取り除かれておりました。それは、自国の国旗・国歌について教育するという部分であります。すなわち、アメリカにおいては、立派なアメリカ人であること、アメリカという国に誇りを持つことが民主主義教育基本であります。  ここで、お手元に配っております参考資料をごらんになっていただきたいと思います。  まず、日本教科書を見ていただきたいと思います。  現在の日本教科書では、社会科の教科書、これは二つほど参考に持ってまいっておりますけれども、小学校四年生のところですね。例えば「新しい社会」という、この東京書籍で出しているもので見ますと、これは一番最後のページですけれども、このページをちょっとごらんになっていただきたいのですけれども、地図が載っております。  そして、写真が幾つかありまして、これは「ドラえもん」の中ののび太少年でしょうか、タケコプターかなんかに乗って見ておりますけれども、「どの国にも、国旗があるんだね。」というような記述があります。そこで書いてあるのは、「それぞれの国の国旗は、その国の人々のねがいや気持ちがこめられた大切なものです。」そういう記述がございます。それだけでございます。具体的に、まあ日本のところに確かに国旗の絵がありますけれども、これだけでございます。小学校の四年生でやっとこういう記述でございます。  それから、六年生でもうちょっと、少しは出てくるかなと、この光村図書の「社会6下」というのを見ていただきたい。これは、もちろん教科書によって扱い方が非常に違うわけですけれども、この光村図書の六年生の記述は、ちょうどこれはバルセロナ大会のときの絵が書いてあって、「オリンピックの表しょう式」ということで書いてあります。その中で「バルセロナ大会では、日本の選手が優勝したとき、日の丸がかかげられ、君が代が演奏されました。 世界の国々は、どの国も国旗と国歌をもっています。国旗と国歌には、それぞれの国の歴史や理想がこめられ、その国を表しているといわれています。わたしたちは、自分の国だけでなく、外国の国旗や国歌もたいせつにしなければなりません。」こういう記述があるわけですね。  これは記述があることだけでもいいとは思いますけれども、少なくともアメリカの教科書は、今御参考に皆さんのお手元にありますけれども、「マイワールド」という、これは小学校の一年生の教科書でございます。私の手元に借りてきておりますけれども、この中では、まずこういうふうなところで、見開きのページで、ちゃんと記述があります。それから、その中に、国旗に対する忠誠を誓う、忠誠の誓いのやり方まで具体的に書いてあります。  そういう意味で、残念ながら、日本教科書の中で国旗・国歌についてちゃんとした記述はありません。世界の国、いろいろな国があるので、それぞれありますよという記述はあるわけですけれども、残念ながらそういう記述はございません。  それで、ちょっと見てみますと、きょうは全部それぞれの国のを持ってきたいと思ったのですけれども、あとは小学校の一年生の教科書、アメリカの「マイワールド」というのが一年生ですけれども、二年生、三年生それぞれで、それぞれの発達段階に応じて毎年記述があるわけですね。そしてその中で、教室の中で国旗・国歌について教えるということ、立派なアメリカ人であること、それに誇りを持ちなさいということがアメリカの民主主義教育基本になっているわけです。  ところが、日本で導入された民主主義教育、アメリカ式の教育だと思って導入されたものは、実はその中核の部分が抜かれていた。それは当然であって、占領軍がいた時代というのは、日本がまた再び軍国主義になってアメリカに刃向かってきたら困ると、軍政をしいていたわけでございますから当然なことでありますけれども、残念ながら、占領軍の時代が終わった後五十年も、いまだにそのことを引きずっているわけでございます。これをぜひ教科書の中で、まともな扱い、つまり小学校の一年生から、程度に合わせてで結構でございますので、一年生、二年生、三年生という形でちゃんとした、それに合わせて教えていくことが私は必要だと思います。  その教える内容についてはいろいろな議論があると思います。しかし今回、国旗・国歌法、法律が成立した段階をしっかりと踏まえて、次の学習指導要領、今、もう決めたのだからこれは十年変えられないみたいな話がありましたけれども、そうじゃなくて、状況が変わっているわけです、しっかりとした法律として、日本の国の国旗は日章旗である、そして国歌は君が代であるということが決められたわけですので、それに沿った対応をぜひしていただきたいと思っております。  質問があと二つほど残っておりますので、手短に、そして簡潔に、小学校一年から導入するというお答えをいただきたいと思います。
  25. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、またこれを尊重させる態度を養うということは大変重要でありますし、同時に、諸外国の国旗・国歌についてもこれを尊重する、当然のことでございます。  小学校におきましては、入学式や卒業式において国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう指導しているところでありますし、また、小学校に入学した直後から、入学式の場を通じて国旗・国歌に関する指導は行っているところでございます。  御指摘社会科の授業でございますが、小学校では、社会科は三年生からあるわけであります。現在は、四年と六年において国旗・国歌についての記述があり、また尊重させるよう指導しているものでありますが、新学習指導要領におきましてはこれを改訂いたしまして、三年から五年、六年、三、四、五、六と四学年にわたって指導するようにというふうに改善をしているところでございます。  国旗・国歌、アメリカの例も今お話ありましたけれども、他国の国旗・国歌も尊重する、そういう心を養うということは、これからの国際化時代、スポーツも大変国際化してきているわけでありますけれども、大事なことであります。日本人として生きていく上での、まさに基本的な知識あるいは素養として大事なことですので、十分な指導をしていきたい、そういうふうに思っております。
  26. 倉成正和

    ○倉成委員 だんだん時間が迫ってまいりまして、駆け足で恐縮でございますけれども、次に、高等教育改革の話、私学助成、それから幼児教育についても御質問させていただきたいと思いますので、御協力をいただきたいと思います。  まず、岩永先生から先ほど大学教育改革についてのいろいろ御意見がありましたので、私が準備してきた中で一つだけに絞ってお話をさせていただきたいと思います。  今までの日本大学の中でそれなりの研究の成果教育成果というのは上げられてきたのだと思います。ところが、研究の成果に絞って考えますと、その成果が、いわゆる知的財産としての登録なり権利の設定、それからその活用という面では非常に欠けていた面があるのじゃないか。この制度が、これが非常にアメリカとの競争力の差につながっている。もちろん研究の中身の違いもあるかもしれませんけれども、せっかく研究をした成果が、論文とかそういうもので発表されますけれども、それが特許という形とかあるいは知的財産権の設定ということではうまくされていない。そして、その活用に至っては非常に欠けているということでございます。  そういう点で一つの参考になるかと思いますけれども、マサチューセッツ工科大学、MITの中に技術移転事務所というのがございますけれども、そこでやっているのは、九九年までに特許出願が二百六十件、ソフトウエアのライセンスが百十件、創業企業が二十四件ということで、非常に成果を上げているわけですね。大体収入も、技術移転に伴う収入も二億ドル程度というふうなことになっております。これは、詳細なデータを私もこれから調べてみたいと思っておりますけれども。  こういう試みが、日本大学の中でも多少はされておりますけれども、特にこれから非常に重要になってくるのではないかなと思っております。これはこれからの、独立行政法人化の議論もございますけれども、その中でも一つ大きな課題として取り上げていただきたいと思っている次第でございます。  あと用意した大学についてのものは、時間の関係もあってちょっと省略させていただきますけれども、やはり教育分野、研究の分野私学役割というのは非常に大きかった。今までも果たしてきた役割は大きいわけでございますので、国立大学の独立行政法人化の議論の中でぜひ、私学役割国立大学との役割はどう考えていくのか、そこのところもきちっと考慮に入れた、国立大学だけをどうするかじゃなくて、日本大学全体をどういう方向に持っていくのかの議論をしていただきたいと思っております。  あと質問一つ残っておりますので、手短にお答えいただきたいと思います。
  27. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 一つは、大学での知的所有権のお話がございました。  大学等におきます研究成果、これが特許などの形で広く社会に還元されて活用されることは極めて重要なことでございます。個々の政策等は申し上げませんけれども、従来から各般の条件整備に努めております。  それから、今国会、これからお願いするところでございますけれども、産業競争力強化法案、これは国会に提出をさせていただいておりますけれども、大学教員や公私立大学における特許料等を軽減する措置とか、あるいはTLOに対して国立大学等の施設の無償使用を認める、そういうような措置も盛り込んでおります。今後も大学教員の特許取得やその実用化の支援に努めていきたい、そういうふうに思っております。  それから、私学の重要性でございますが、大学の中での私立大学は、学生数の約八割を占めておるわけで、大変重要なものでありますし、建学の精神にのっとって個性のある教育をやっていただいているわけであります。そういうことから、文部省といたしましても、今後も経常費の補助等を中心にいたしまして、教育また学術研究分野がますます促進されるように支援をしていきたい、そういうふうに思っております。
  28. 倉成正和

    ○倉成委員 最後の質問をさせていただきたいと思います。  先ほど、岩永先生からも幼児教育の問題の御質問ありましたけれども、今現在教育の直面しているいろいろな問題を考えますと、いじめだとか不登校、学級崩壊その他を考えますと、やはり母親父親のあり方も含めて、幼児期からの教育というのが非常に重要であるというふうに思っております。そしてまた、一方では幼児虐待の問題もございますけれども、この深刻な被害に遭うのも幼い子供たちであります。この時期にやはり適切な教育を受けること、行うことが極めて重要であると思います。  そしてその一方で、女性の社会進出に伴っていろいろな、幼児教育についての、保育についての需要というのが多様化をしているというのも事実でございます。そしてまた、一方では少子化の歯どめも行っていかなければ、社会全体の問題だというふうなことであります。  その中で、今、同じ三歳児、四歳児、五歳児について、文部省が所管する幼稚園と厚生省が所管する保育所という二つのシステムがあります。それぞれの役割、歴史的経緯というのはよく承知しておりますけれども、より一層連携とか相互乗り入れというのが必要であると思います。  その中で一つだけ、具体的な例でちょっと申し上げたいと思います。もちろん要件が満たされた上での話でございますけれども、例えば幼稚園を経営しているところが保育所をその中に併設するとか、あるいは逆のものも認めるような方向に、これからそういうことが必要になってくるのではないかという考えがございますので、その辺につきまして、総括政務次官、あるいはまた厚生省の方からも、数秒程度のお答えをいただければと思います。
  29. 河村建夫

    河村政務次官 倉成委員指摘のとおり、方向としてはこれからその方向に進むということで、今、両省検討に入っておるわけでございます。既に平成九年から、幼稚園保育所のあり方に関する検討会、これは担当課長レベルでございますが、そこでその問題について真剣に今やっております。施設の共用の問題とか、あるいは幼稚園教諭といわゆる保母さん、保育士、これの合同研修をやるとか、一体化を図るべく、今、その方向に向けて鋭意研究、努力をしているところでございます。
  30. 真野章

    真野政府参考人 保育所につきましては、従来、原則として地方公共団体または社会福祉法人が設置するという、設置主体の制限を課してまいりましたけれども、今先生指摘のとおり、この設置主体の規制に関しましては、最低基準を満たす認可保育所をぜひつくりやすくして、待機児童の解消などの課題にこたえたいということから設置主体を撤廃するということといたしておりまして、本年度中に実施をしたいというふうに考えております。
  31. 倉成正和

    ○倉成委員 総括政務次官から、また厚生省の真野局長からそれぞれ前向きの御答弁をいただきまして、本当にありがとうございます。  この二つのシステムが、やはりそれぞれの役割があると思いますけれども、そこの中でできるだけの連携をして、本当に社会全体が、子育て、あるいは保育、幼児教育についての取り組みができるようにぜひお願いしたいと思います。  質疑時間が終了いたしましたので、これで私の質疑を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  32. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 次に、藤村修君。
  33. 藤村修

    ○藤村委員 民主党の藤村修でございます。文教委員会で、中曽根文部大臣そして河村総括政務次官に、多分初めて質問をさせていただくかと存じます。よろしくお願いいたします。  問題は高等教育に絞りまして、多々ある中で、きょうは余り細かい話でなしに、できるだけ大きな、今後の改革の話、こういうことをさせていただきたいと思います。ですから、余りメモを見ていただかなくても答えられるような質問にしてはおります。  それで、本委員会でも高等教育に関する小委員会を設けまして、もう三年来ずっと日本の高等教育の問題を進めてまいりました。ですから、委員の皆さんも、例えば去年の七月に立花隆参考人をお呼びして聞いたときは、大変ショックを受けられた方も多いかと思います。あのときのお話というのは、学術崩壊という言葉でした。つまり、日本の高等教育が大変、今、世界的に見ても知的水準が下がっているのじゃないか、あるいは大学生と小学生で分数の足し算をやったら小学校の方が点数がよかったとか、あるいは大学でも今それぞれ補習しないと大学教育についていけないだとかという、大変ショッキングな昨年の参考人のお話を聞いたりいたしておりました。  これは考えてみますと、昨年、私も本会議の代表質問でも小渕総理あるいは当時の有馬文部大臣にも質問したんですが、日本の初等中等教育というのは世界的に見ても本当に非常によくできるということを、二十年前、エズラ・ボーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で、ベストセラーになりましたが、褒められた。ただ、あの本の中に、余り紹介されていませんが、日本大学教育はだめだ、そう書いてあったんです。あれはもう二十年前でございます。  以来、では、どういうふうにしてきたか。確かに、過去十数年、大学改革ということでの非常にたくさんの努力はしてきたものの、どうも身になっていない。それが、先ほど岩永委員からの質問でもございました大学のレジャーランド化とかで、このことが本当に大丈夫なのかなと。  特に、知的立国といいますか、技術立国といいますか、科学技術立国ですか、日本が将来本当に世界に伍して経済活動も含めてやっていくには、まさに資源のない国、これには人的資源であるし、その際の日本の高等教育がこれだけ今、世界から見てどうもレベルが低いのじゃないか。ある統計によりますと、世界大学ランキング、これはちょっといいかげんな部分もありますが、百位の中に日本大学はどこも入っていないようでございます。  そんなぐあいで、日本の高等教育、特に大学ということに関して非常に問題点が多いんですが、このことは、昨年の立花参考人の学術崩壊などという言葉も小委員会でも聞いておりますが、この認識につきまして、まず中曽根文部大臣のお考えをお伺いしたいと思います。
  34. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 大学生の学力の低下につきましては、実証的なデータがあるわけではありませんが、そういうようなことも言われておりまして、これが事実だとすれば、大変なことだ、憂うべき問題だ、そういうふうに私は思っております。  今後の大学の学力の向上につきましては、いろいろな方策がありますけれども、授業を、いわゆる予習というのですか、事前学習等もしっかりさせるとか、あるいは成績の評価、単位の評価につきましても厳しくこれを認定するとか、レジャーランド化されているというようなお話もありましたけれども、大学に入ったらやはりしっかりと学生が自覚を持ってもらって勉強するような指導も必要でありますし、また学校の方の体制も、そういうような形で指導していく、勉強を教えていく体制にしなければいけないと思っております。     〔委員長退席、小川委員長代理着席〕
  35. 藤村修

    ○藤村委員 そのとおりなんですが、そのためにどうするかということがやはりもう少し具体的に議論をされ、あるいは実行されていかないと、本当に教育というのは、今こうしたからすぐこうなるという話ではない。多分、何年かかかる。  去年の立花参考人の御意見で割に具体的だったと思うのが、ここのところの、今大学にいろいろな問題を先生たちが感じ始めている、補習も必要だと。例えば医学部に入る人、農学部に入る人で、生物や化学をとっていない。  これは、はっきりしていることは、六年前の、一九九四年の高校の教育課程の改正にあったわけであります。ここで、一方では、ゆとりが必要であるとかと言われながら、特に理科系の教育においては、物理、化学、生物、地学、我々はその四つをある意味では必修でやったわけですが、今は、必修でその四つをやる必要はないというふうに変えた。  これは、一方で、ゆとりをつくるとか、言葉は悪いですが、落ちこぼれというか、そういうついていけない人のためにもいろいろ配慮はあったのでしょう。ただ、これは六年前でございまして、この二、三年、それがじわっときいてきた。統計によりましても、最近の三年から五年、そしてこの一、二年というのでも、七割の大学先生方が、この五年以内ぐらいでどうもえらく学生の知的能力というかレベルが下がっているということをお感じなのは、まさに九四年の改訂の一つの結果が少しずつ出ていると言わざるを得ないわけであります。  この改訂が全部悪いとは申しませんが、再来年ですか、新しく教育課程を、つまりゆとりを大切にすると。先ほど来御質問もございましたが、三割ぐらい、相当科目を減らしたりして総合学習の時間をつくる。これはこれで正しい方向に向いてはいると思うものの、一方で、日本の学術崩壊について言いますと、さらに科目を減らしたりすることが本当に、大学あるいは高等教育という分野では、さっきの、六年前に高校の中身を変えたことで今きいてきているように、これまた五年、六年、十年先に、あのときちょっと間違ったことをしていないだろうかという思いにひょっとしてなる可能性がある、特に高等教育という分野でですね。  そこで、ゆとりを求める一面で、日本の知的レベルの維持あるいは向上を図るという部分と、どういうふうに整合性というか調整していくのかな、この辺の基本的なお考えをお示しいただきたいと思います。
  36. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 新しい学習指導要領におきましては、知識を一方的に詰め込む教育を改めまして、委員も御承知のとおりでありますけれども、みずから学び、みずから考える力などの、いわゆる生きる力を身につけさせることを基本的なねらいとして、特に小中学校におきましては、教育内容を基礎基本に厳選をしたところでございます。  しかし、中学校高等学校におきましては、生徒が興味、関心、また進路希望等に応じ選択して学習できる幅をこれまで以上に拡大するとともに、特に高等学校におきましては、このような選択科目のほかに、学校や学科の特色に応じて各学校が独自に設けることのできる学校設定科目を履修することにより、さらに高度な内容を学ぶことができるようにしているところでございます。したがいまして、高等学校の卒業時点における各教科の達成レベルは、現在より下がることはないものと考えております。  医学部や農学部の入学者に生物や化学を勉強していない学生がいるという、最近よく言われる現状につきましては、高等学校の段階では、将来どの分野に進む生徒にも必要な学習として、理科については、物理、化学、生物、地学などの、最低その中から二科目を必修にしているわけであります。将来その分野で必要とされる科目をしっかり履修することは重要なことでありまして、各高等学校におきましては、科目の履修指導を適切に行うことが大切であると考えております。  また、大学の側におきましても、専門分野教育を行う上で必要な科目はやはり入学試験で課したり、それから高等学校での履修を求めるなど、適切な措置をとるとともに、また、入学後の教育をしっかり行う体制を整えることが当然である、そういうふうに思っております。
  37. 藤村修

    ○藤村委員 今のは、私の質問は御通知しておりましたが、この今のお答えと、今からはちょっと御通知していないものですが、まず一つ大学入試でと今おっしゃいました。  それで、先般の小委員会で入試センターの日程の問題が一つ出て、実は物理と生物が一緒の日で、医学部へ行こうというような人たちが物理を選ぶ傾向があると。これは、生物というのはやはりこつこつ勉強して、点数をとるのは一点、二点積み上げてとる。物理は三問、四問あって数学に近い。当たればぼんと点数がとれる、ややかけに出るといいますか。  だから、そこをひとつ工夫しないと、今、東大の医学部に入っている人で四〇%が生物をとってこなかったということのようでした。これはちょっと本当に問題視していただいて、具体的な部分ではこれはもうすぐ、入試センターの問題としても日程をずらすとか、それから、やはり大学の側にもそういうあらかじめのアナウンスを、医学部に来る人は生物はとっておいてくださいよというアナウンスをしていただくとか、まさに受験技術に走って、どっちが得かみたいな受験が今行われているという部分、これを何とか、本当に必要なものをとって必要なそれぞれの専門に行っていただかないと、まさに知的レベルが落ちてくる。このことが私は一つあると思います。  この点について、何か改善点はございましょうか。
  38. 河村建夫

    河村政務次官 藤村委員指摘のように、ゆとりある教育は逆に学力低下を招くという一つ問題点を醸し出しております。今の御指摘は、医学部の関係者に聞いても、当然やらなきゃいけないことをやるんだから、これはもう必修にしてもらいたいという声が圧倒的にあります。これは、私はその方向で検討すべき問題だと思います。  大学は、必要なら必要だとはっきり言ってもらわなければいかぬ。文部省もそういう指導と一致させなければいかぬのではないか。私は、その問題についてはそういうふうに思っておりますので、その方向で検討すべきであろう、このように思っております。
  39. 藤村修

    ○藤村委員 もう一つ、中曽根文部大臣さっきお答えいただいた中で、生きる力、あるいは心の教育という新しいタイトルは出てきたのだけれども、実は、生きる力を伸ばすにはどうしたらいいかというのは、本当はわからないといえばわからないのじゃないでしょうか。人の心に立ち入って教育するというのは、これはまず無理なことでございます。そういう意味では、確かに標語的に、生きる力、心の教育は悪くはないのですが、これは具体的にどうするかということです。  それからもう一つ、さっき冒頭でも申しました、日本の知的レベルの維持という部分と、科目を減らす、基礎基本に絞るというのは、これはこれで正しいと思うのです、そのかわり、そこをしっかりやってその次のステップに上がっていくわけです。こういうことがないと、生きる力、心の教育といいながら、どうも手抜きになってこないか。  そのことが非常に典型的にあらわれたのが、教育課程をちょっといじることで、今、大学先生方、大学関係者が、このところどうも本当に学力が低いというか、これはもうやっていない人が入ってきていますねということになっておりますので、二〇〇三年からの教育課程の改訂について、よほどその辺は慎重に御検討いただきたい。  まだ間に合う話です。大体いろいろなことが決まってきているとは思いますが、あれもこれもというよりは、もちろん厳選、精選していくことは私は賛成でございます、しかしそのかわり大事なものは決して忘れないというか、この点をひとつ確認させていただきたいと思います。
  40. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 おっしゃるとおりでございまして、私どもは、まず基礎基本をしっかりと身につけてもらおう、そしてさらに創造力のある学生を育成しよう、そういうような基本的な考えにあるわけであります。  大学での医学部のお話もありましたけれども、こういう入試の科目等の問題につきましては、入試センター等でこれから検討してもらいたい、そういうふうに思っております。
  41. 藤村修

    ○藤村委員 そこで、では、今度は大学の中身ということでございます。  大学の中身、いわば学術のレベルが平均が下がっているというのは、これは一面でいたし方ない部分というか、当然の部分があると思うのです。それは、要するに大学が大衆化したということでございます。  私は昭和四十四年次入学ですので、このときは、高校を出て大学に行くいわゆる進学率は、四人に一人、二五%程度でした。中曽根大臣も多分似たようなところかもしれません。去年の四月でいえば、これはもう四九%ぐらい、ほぼ二人に一人と言っていいと思います。その意味では、大学の大衆化、みんなが、行きたい人が大学に行けるようになった。これは喜ぶべきことではございます。  だから、その意味で、いわば水準というか平均が下がることは若干いたし方ないとするとしても、問題は、日本の先端的な科学とか技術とか、そういう専門の分野で、できる人がそれに引っ張られて全体が下がっているというところに問題があると思うのですね。私は、ここをいかに食いとめるか、これが大学教育の中身の問題になってくると思うのです。  それで、一つちょっと先に前提としてお伺いしておきたいのは、大学は、学生の定員数とか、もちろんその際にでは入学者は何人と、それぞれ設置基準で定員を決めている。それはいわばお国が許可するのか、認可するのか、設置基準で決められている。この大学入学定員とか学生定員というのは、一体どういう考え方で決めているのかということ。  それから、今一般的には、日本の場合は、百人入った人がおおむねそれに近い数出ていくという、ところてんでありますが、これなど、今の文部省方針では、例えば百人入って二十人しか卒業しなかったら指導上まずいのか。  その辺、ちょっと二点だけ確認でお聞きしたいと思います。
  42. 河村建夫

    河村政務次官 大学できちんとした教育を受けて付加価値をつけて卒業していただいて、社会に役に立っていただく、そのための大学生にふさわしい学力をどうやってつけていくかということが、これからの大きな課題になってまいります。  今御指摘のように、大学側としては、設置基準に基づいて教育条件はやはり最低限きちっと整備をしていただかなければならぬわけですから、大学の持つ施設とか収容定員によって教授数は大体このぐらいは最低要るというようなことは、やはりそろえていかなければいけない。これは、委員も御存じのように、大学設置基準の十八条第二項等によってそういうことに決められておるわけですね。だから、最低限の条件は整えていただく。  それで、これまでは、今御指摘のように、定数に対しての卒業者、いわゆる留年者がどんどんふえてきた、それで収容定員を大きく上回ったような現象については、文部省としては、次にさらに新しい学部をつくるときにはその設置基準について条件をつけるとか、あるいは私学助成について厳しい査定をするとか、そういう方向があったのであります。  しかし、やはり、大学教育をきちっとやったがゆえに留年者がふえたということについては、それは一つ方向だということで、今申し上げたような条件は外す。要するに、新しい学部をつくりたいといったときに、あなたのところは留年数が多過ぎるからだめだというようなことはもう言わない、あるいは私学助成についても、それを条件に、そういうことがあるために私学助成のお金を下げるとか、そういうことはもうしないという方向になってきたわけです。  しかし、だからといって、どんどん収容定員がふえていくということによって、いわゆる授業がマンモス授業になってきて、それに本当にふさわしい教育条件が整っているのかということについては、おのずから限界がある。それは大学側が、まさに自主努力といいますか、みずからの責任において、大学生、四年間の卒業成績といいますか、厳格な成績評価をきちっとやって社会に送り出していただかなければならぬわけですから、これを余りにもないがしろにされて、定数がどんどんふえていくということについては、おのずから限界があるので、それは幾らでもいいんだというわけにはいかないのではないかというふうに思っております。
  43. 藤村修

    ○藤村委員 それは正論でございます。ただし、きちんとした教育を受ける条件でこの程度という定数を決めていて、冒頭から申し上げていますとおり、では、大学できちんとした教育を受けて、学力、学術のレベルはちゃんと維持されて、そして大学を出た人はそれなりに能力を持って社会に出ているかというと、社会はそういうふうに全然評価しておりません。今特に企業関係で評価するのは、どこの大学へ入ったという、ここまでのいわば偏差値的な能力を評価していて、四年間大学の中でどんなことをした、あんなことをしたということは余り世間がきっちり評価しない、これは長年の実態であります。  だから、企業側というか、社会側にも問題がある。まず、大学でどれだけのことをどういうふうにやってきたかをちゃんと評価していただかないといけないことは事実でございます。しかし、さっきおっしゃったように、きちんとした教育を受けられる条件の範囲で定員を決めると言って、それはそれで正しいのですが、でも実態としては、今、きちんとした教育が行われ、学力のレベルも維持され、あるいは向上されということにはなっていない。これは矛盾が起きているわけですね。  ですから、私学助成などできょうまでの考え方をやや柔軟にしていただいたこと、これはこれで評価をいたします。ただ、もう少し大きな転換をしないといけないのじゃないかなと。私は河村総括政務次官と過去、例えば、これは多分この委員の皆さんも同意されると思うのですが、大学は、入りやすく、しかし出るのは非常に難しいよというものにしたいというので、これは多分政党的に関係なく、今そういう方向に持っていかないといけないのじゃないかなという考えは同意されると思うのですね。たしか、それは河村総括政務次官も、そう強力におっしゃっていたことがありました。  ですから、入りやすく、しかし出るのは難しい大学というふうに転換するにはどうしたらいいかとお考えでしょうか。     〔小川委員長代理退席、委員長着席〕
  44. 河村建夫

    河村政務次官 大学入試そのものをなくしてしまったら、これは希望者をどんどん入れるということが原則的にはできるかもしれません。しかし、当然それには、きちっとした教育条件のもとで教育できるかという問題にまた遭遇していくわけであります。  しかし、これからの少子化時代を迎えて、大学定数はまだ収容定員がふえる方向に若干ありますから、このままいきますと、第二、第三希望あるいは第四希望でも持てば、ほとんどの高校生は大学に入れるという時代が来るわけです。  そして、御指摘のように、企業側も、何を学んできて、どういう資格を持って、どういうことができるかということを問うていきませんと、今の企業競争に勝てなくなってまいりました。既に御案内のとおり、いわゆる一般に言われる一流大学、一流企業に行ったら、必ずしも幸せでなくて、今そういう大企業が倒産をしたという現実があるわけでありまして、そういうことを考えますと、ただ企業側も、どこの大学を出てきたから安心だというものではなくなる。そういう一つ社会的な大きな要請というものが高まってきている。  だから、大学側もそれに応じた教育を当然しなければなりませんから、これは委員ともこれまでいろいろな段階でいろいろな話をしてきたときにも、今文部省も、収容定員というものは教育条件の整備というのでできるだけ守ってもらわなければならぬだろうと。やみくもに水増しをどんどんしてもらうということは、少子化時代の大学競争ということもありましょうが、それはある程度基準を、しかし定員もある程度、五割ぐらいは認めるとか、かなり弾力的に収容人員についても見ておるようでありますが、全入ということにはならぬと思います。  入るは易しくする、そのかわり、出るについては、例えば、今は大学を出さえすれば経済学士になったり商学士になったり法学士になっていますが、その学士号についても、ある程度、一定の基準に達しているかどうかというのを見た上で学士号を与えるとかいうような形のもの、これは私の私案的なものですが、そういう形で、出るを厳しくしていく。出口を厳しくしていく。  きちっとした実力をつけて出ていただくように教育方向を持っていくということは、これは当然社会の要請であり、また本人にとっても必要なことではないか、私はそういうふうに感じております。
  45. 藤村修

    ○藤村委員 今度は文部大臣にお尋ねしたいのですが、二〇〇九年、九年後でございますが、全国の大学のその年の入学者数、これは定員で決めてあるので、七十万七千人ぐらいが全国の大学の入学者定員となります。そして、少子化などの影響もございまして、一方で大学の進学率の高まりも加味したら、これは大学審の答申の推計でありますが、そのとき、また高校卒業で大学進学希望者数が七十万七千人、つまり数字がイコールになります。  だから、二〇〇九年というのはそんな先の話ではないのですが、ここを目指して、やはり大学教育をどうするかということを今から真剣に考え、ある意味では改革していかないといけないのですが、入学定員というのはそこで必要なくなるわけですよ。あるいは、入学定員と入ってくる人の二本は、総体で考えれば、七十万七千人イコールになるので、もう入学定員という考え方が要らなくなるのです。だから、そこへ向けて、入学定員というものは廃止するとした場合に、どんな重大なことが、あるいは重大な問題があるのでしょうか。
  46. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 入学定員を廃止するということは、各大学の入学学生数というのは希望者数になるということだと思います。  そこで出てくる問題というのはいろいろあろうかと思います。つまり、入試を廃止するような感じになってくるのではないか、私はそういうふうに心配をしておるところでございます。まだ入試を廃止するという議論にはなっておりませんけれども、そうなりますと、特定の学校へ生徒が、希望者が集中してしまう心配もありますし、あるいは、学校によって学校独特の教育方針等があるわけでありますから、学校のそういう方針に必ずしも合致していない学生が大勢入学を希望してくるというようなこともありまして、いろいろな問題が出てくるのではないかと思っております。  今、委員おっしゃいましたけれども、二〇〇九年のいわゆる全入時代といいますか、そういう時代を見据えて、これからいろいろ考えていかなければならないということはおっしゃるとおりだと思っておりまして、そういう観点で、我々もいろいろ検討していきたいと思っております。
  47. 藤村修

    ○藤村委員 文部省の御認識は、入試がなくなると困るというか、問題があると今たしかおっしゃったように思います。どうしてですか。入試がなくなってはいけないのでしょうか。
  48. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 まず最初に考えられることは、入学試験がなくなるということによって、学生が勉強しなくなるということがあるのではないか、そこから学力の低下というものが起きてくるのではないかと思います。  それから、今も申し上げましたけれども、収容人員の問題とか、あるいは学校のそういう教育方針に合った人が果たして入ってくれるかどうかとか、いろいろ問題が起きてくるのではないかと思います。
  49. 藤村修

    ○藤村委員 これは初等中等教育小中高の問題として議論をしていけば、大体大きく、一つは、やはり大学入試というもの、過度な受験競争というものが大変大きながんであるということは、もうどんな議論をしても、小学校、中学校教育の問題を考えるときにたどり着く一つのいわばがん、壁でございます。これをなくすということは、その部分が高校以下の教育の問題の大きなエクスキューズになるのではないかな、非常にメリットがあると思うのです。  もう一つは、今、競争がなくなって勉強しなくなるとおっしゃいましたが、入試があるから、それまでの教育の問題がいろいろ複雑にある。一方で、入試があって、その後、それを越えた人たちが、競争がなくなったら全然勉強しない。これを転換させるわけでありますので、入試がなくなることは、今おっしゃった論理では、そんなに悪いことではないと思うのですが、もし御意見がありましたら、もう一度。
  50. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 一般的に想像できるというか、予想されることとして私は申し上げたのでありまして、必ずしも入試、今の受験、受験地獄とも言われておりますけれども、そういうものがよいとは私は思っておりません。  先ほど河村総括からもお話しいたしましたけれども、入学はどちらかというと入りやすくし、そして卒業を厳しくする、学校に入ってから十分な勉強をしてもらうということが私は大切と思っておりまして、そういうところから入試を、まあ易しくするということについては私は必ずしも反対ではありませんが、廃止ということについては、先ほど申し上げたような懸念があるということでございます。
  51. 藤村修

    ○藤村委員 日本教育の問題で、特に小学校、中学校で入試というものが本当に大きな壁、ネックであって、私どもは今、この国会にも中高一貫教育、これは高校入試をなくすという意味で大きな意味があるわけですから、それで中高一貫教育を提案しておりますし、文部省の方も、半歩、一歩おくれながらも、この四月以降、全国五百ぐらいをめどに中等教育学校、つまり高校入試のない学校をつくろうというわけでしょう。これはこれで大きな前進であります。  でも、そうすると必ず問題が出てくるのは、では小学校から中学校へのときに過度な競争がまた起こるんじゃないか、子供たちに負担をかける、こういう議論が出てきます。それはなぜかというと、その先の大学入試があるからなんですよ。そうであれば、まさに、大学入試を取っ払えば本当にそういう意味では初等中等教育における問題の非常に大きな部分、とげを抜くことができるのではないか。  そして、しかし大学入試なくしたらいろいろな問題出るよとおっしゃるのも、そういう御心配はわかります。一つの、例えば東大にみんな行きたいから集中するとか、それはちょっと後で私説明します。  例えばアメリカの先生に聞いたところでは、アメリカは基本的に大学入試がないですよ。それぞれ自分が行きたいところに希望を出して、大学がそれを選んで、では来なさいと。では、アメリカは高校以下そんなに競争心とか闘争心が欠けているかというと、そうじゃないと思うのです。やはりこれは自己の確立という面もあるのでしょうけれども、アメリカの中高生も非常に猛烈な競争心とか闘争心を持って勉強しています。  日本は、唯一、入試だけのための競争で勉強しているわけですけれども、彼らは全然別な自己の目標を持って、つまり、教育というのは各段階においてそれぞれ学生たち、生徒たちに目標を持たせて、その意味では競争はさせないといけないと思うのですよ。競争は必要だ、しかし受験競争は不要である、こう言っているわけですが、もし御意見がございましたら。
  52. 河村建夫

    河村政務次官 今の入学試験そのものに、非常に難問、奇問といいますか、そういうことで特別な勉強をして、例えば中高一貫の私学へ行かなければ入れないような競争を強いているところに非常に大きな問題が一つあるわけです。  ただ、私は、もっと大学側も、どういう学生を採りたい、うちの大学はどういう社会人をつくっていくんだ、どういう勉強をするんだともっとオープンにする。今後も独立行政法人の問題とか、あるいは大学評価の問題がこれから出てくるわけでありますが、そうやって学生側にオープンにして、今アメリカの直接面接をしてやるというような、そういう仕組みにしていって、しかしやはりある程度一定の基準を満たしているかどうかというものは、その大学側の自己責任において認定をしていただく。  だから、やはり入学試験そのものも、その人の総合力を見るような方向に変えていくというあり方で変革をすれば、そういう方向になるんじゃないでしょうか。  そして、私は、選択肢がいろいろあっていいと思うんですね。我が大学は試験はやりません、しかし入ってきたらこういう勉強をして、出るときにはこういう厳しいものが待っていますがそれでどうぞという、うちは試験はやりますよ、それはどうぞ挑戦してください、しかしそのかわり、こういう方向教育しますというものをもっとオープンにしていけば、おのずから学生が選べる。  しかし、今、大学も連合で互換制度をしいていますから、この大学に入ったからどうだということじゃなくて、何を学んだかということの方向を今模索していますから、その方向でいけば今のそういう問題は解決されていくのではないか。藤村委員指摘のことと、ある面では一致していると思います。
  53. 藤村修

    ○藤村委員 今の河村総括政務次官の方からの、それは非常にいい提案だと思うのです。つまり大学が、自分たちはこんな教育、あるいはうちの大学を出たらこのレベルで社会に出て活躍してもらうんだ、そのためには三年時点ではこれぐらいのことをちゃんとマスターしてもらう、二年ではこうだ、一年ではこうだ、入ってくる人にはこれぐらいのものを要求すると公表し、学生もそれをそれぞれ選んで、それなら自分はここなら行けるということで入ってくる。それなら、入試をなくしてもいいわけですね。私も今すぐに全部なくせとは言っておりませんので、それは非常にいい御回答であったと思います。  一点だけ中曽根大臣に、ちょっと私的なことでございますけれども、私も大学生の子供を持つ親でございます。中曽根大臣のところはまだ大学生になっておられないか、高校かもしれませんが、大学が今、一般的にはいわば親がかりで行っているというのが大半で、どうもそれが普通の傾向、兆候でございます。ただ、我々の親の時代というか、三十年以上前ぐらいなら、高校までは何とか苦労して親が学費とか出す、生活費もやる、面倒見るけれども、大学は自分で行くというのは割に普通だったわけで、むしろそっちへ戻したらどうかと思うのです。  これはかつての、二代前の町村文部大臣お話ししたら、いや、大学は本当に自分で行くべきですというお答えもあったのですが、中曽根文部大臣自身はどうお考えでしょう。つまり、大学はもう自分の力で行くと、経済的に。
  54. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員指摘のように、大学進学については、みずからの希望、また判断によって、また経済力的にも自分で工面をして大学に行けるということが理想であろうかと私は思っております。また、できるだけそういうような世の中にしていかなければならないとも思っております。  外国の例等も参考にしなければならないわけでありますが、それぞれの家庭の事情とか環境等によっても、このような形で大方の大学入試あるいは大学での勉強というものが実現できるものでもないと思いますし、方向性としてはそういうような形で、自立して自分でやっていくという方向にできるだけうまく持っていければと、そういうふうに個人的には思っております。
  55. 藤村修

    ○藤村委員 このことも、大体社会的にも、確かにそうだなという人は多いと思うのですね。そうすると、やはり国というか、文部行政ではそういうことを促進できると思うのです。あるいはそれにお手伝いをする。これは何かといいますと、奨学金なんですね。その意味では、今の奨学金制度が非常にお粗末、全体的にはお粗末である。  私は、一つの提案としては、最初大学入試をなくすということに向けて今提案をしたいと思っているのですが、大学はそれなりに金がかかります。今から大学の授業料が上がっていく可能性も高いと思います。でも、それに対応した奨学金の制度を整える。一人の学生に対して大体年間で奨学金三百万円、四年間で三、四、千二百万円でございます。しかし、この千二百万円は、いわば自分が自分に対する投資として、将来二十年、三十年かけてローンで返すわけです。これは、住宅ローン、家を建てたローンというのは多分もうちょっと高いでしょう、その倍以上。車を買ったら、ローンだとそれより大分安いけれども、その間ぐらいですよ。この千二百万円ローンを、金利などの補助を若干国でやっていって、民間でやってもらおうと。  だから、だれでも大学行きたい人は必ず三百万年間借りられます。そうすれば、生活費も学費も多分これでほぼ面倒を見られると思うのです。そのことによって今の大学生を持つ親の負担がなくなるわけですから、これは四十代、五十代、私どもがそうですが、二人私学へ行ったら家計はパンクというか、可処分所得の四割、五割が食われる。これがなくなるんです。それが消費に回れば大変な経済の、消費の活気にもつながるわけですね。かつ、本人は、学生時代に千二百万借りて、自分が子供を持つ代になったら決して子供教育費の負担はないんですから、ある意味ではどこで負担をしてどこで返していくかという、いわば入れかえするだけの話なんですよ。  そのことを、つまり国の奨学金というもの、もちろん国の奨学金制度の日本育英会もありますが、それとは別な、民間で借りていけるというものに相当、年間三百万円ぐらいは貸しますよというものを一つ提案したいと思うのです。  これをさらに、今度は大学入学の、入試をなくすことに応用するわけです。  大学はもう一つ、これは国で、制度でいいと思うのですが、先ほど河村総括政務次官もおっしゃった、こんな大学、つまり、うちの大学は本当に日本の高度な研究者世界に伍して、冠たる教育者あるいは技術者を出します、そのためにはこれぐらいの卒業生のレベルを要求します、三年ではこれぐらい要求します、二年ではこれぐらい要求します、一年に入ってくる人にはこれぐらいのことを要求します、それをオープンにする。そして、その要求で一年生みんな来なさいと。二年生に上がれる人には奨学金をこれだけ、いわばインセンティブ出せます、学費は免除します、二年生から三年生に行く人は生活費の若干の補助までしますとなれば、選びますよ。  自分はあそこへ行っても、ちょっと難しいから、これは留年したらもう奨学金はもらえないな、しかしこっちへ行けば、その意味では偏差値のちょっとまだ、今で言う易しいところかもしれません、そこへ行けば、ひょっとしたら奨学金をちゃんと大学からもらえるなというインセンティブを与えて、そして、一つ大学に相当集中するという心配は確かにあるんですが、これで相当整理をする。  あるいは、さっきの河村総括政務次官の、うちの大学はこうです、こういうものを目的にします、そのためにはこういう方に入ってもらいたいということを公表して、志望する学生たちはそれをずっと全国から選んで、自分ならここへ行けるなと。それで、もう一つそこにいわば奨学金インセンティブを与える。そうしたら、自分はここへは何とか行けるけれども、でも奨学金は受けられないだろうな、こっちへ行けば奨学金を受けられるな、そのぐらいのインセンティブで整理をしていったときに、相当私は入学混雑というのは防げると思うし、これが定着すればみんなやはり選ぶようになります。そして大学側も、まさに希望する学生を取り込めるようになる。  それで、一年、二年、三年、本当に厳しく厳しく、まさにキックアウトさせる。ここでキックアウトというのは、留年でなしにもう退学ですよ。その場合には、近所の大学間の提携によって、それならこっちの大学は受け入れますよと。つまり、全体の大学の定員は足っているわけですから、受け入れられる。なれば、せっかくきょうまでつくってきた大学の入学定員のインフラも死なずに済むわけです。今までのままでいくと、大学はいっぱいつぶれていきますよ、これは。これもしなくていい。  という、こんなアイデアでございまして、ちょっともう時間が多分ないと思いますので、一つの提案をさせていただいて、御感想を、大臣総括政務次官からいただきたいと思います。
  56. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 大学教育をよりよいものにしていくということは大変に重要なことであります。委員がいろいろ御心配され、また今いろいろな御提言をいただきまして、大変参考になると思っております。  一定の水準以上の学生というような形で受け入れるというような話もありました。それにしても細かい話になりますけれども、一定以上の者がある大学に集中するということも心配されますし、そうなりますと、またその中で何らかの選抜もしなければならないんじゃないか。あるいは奨学金にいたしましても、これは何といっても学生の立場、学生個人個人という観点からは公平性がなくてはならないと思いますし、いろいろ検討しなければならない課題は多いと思いますが、お考えの趣旨というものは十分理解できました。今後の大学教育行政の参考にぜひさせていただきたいと思っております。
  57. 河村建夫

    河村政務次官 大学全入の方向というのは一つ方向にこれからなっていくと思います。  ただ、その場合に、奨学金がインセンティブになる、ならないというのは、いわゆる学費免除等々が一つのオプションでインセンティブになって大きな目標になるということは考えられますが、奨学金事業というのは教育の機会均等の一つの根幹をなしておるものですから、これからの方向としては、本当に大学で学びたいという人は奨学金は全部どなたももらえる、しかしそれは自分の自己責任において返還をしていくという方向でなければならぬと思うんですね。だから、今の千二百万円ローンというものについても、自分でそれを背負って将来計画を立てていく、その自信のある人が大学に入っていくということでなければいかぬわけです。ただ大学側に、それが一つの何か条件的になることについては私はまだ若干の疑義がありますので、そこはもうちょっと詰める必要があるんではないかと思います。
  58. 藤村修

    ○藤村委員 終わります。
  59. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 次に、山元勉君。
  60. 山元勉

    ○山元委員 民主党の山元でございます。  この国会は、一月の二十日に今までにない異常な形で始まりました。ここでそういう論議をしようとは思いませんけれども、私どもからいうと、いわゆる議会制民主主義というんですか、ルールが無視されたような形で進められたということでああいう状況になったわけですが、その中で総理が施政方針演説をされた。きょう私は、この総理の施政方針演説と中曽根大臣の所信表明に少しこだわって御質問をさせていただこうというふうに思います。  今の話、私も出ていませんでしたけれども、新聞やあるいは速記録で十分読ませていただきました。小渕総理はその中で、教育改革国民会議の問題をうたい上げていらっしゃるわけですね。単に教育制度を見直すだけでなく、社会のあり方まで含めた抜本的な教育改革が求められております、広く国民各界各層の意見を伺い、教育の根本にまでさかのぼった議論をするために、教育改革国民会議をつくりたい、こうおっしゃっているわけです。そして、その中で、私は内閣の最重要課題として教育改革に全力で取り組むことをお誓いする、こうおっしゃっているんです。この文字づらだけですと、歓迎するところです。  また大臣も、先日のこの委員会で所信を述べていらっしゃるわけですけれども、その中では、この問題については、文章でいうと一行半ですね。国民会議を発足させるに当たっては国民全体に広がりを持った御論議をいただきたい、こういうふうにおっしゃっているわけです。  この教育改革国民会議というものが一体どういう役割を果たしていくのかということについて、先ほど申し上げましたように、私は文字づらとしては歓迎をします、重要課題として取り上げるべきときだというふうに私も思いますから。けれども、この総理の演説や大臣の所信からは、一体何を中心に据えてどういう人の知恵をかりるんだ、ああそうかというものは、失礼ながら何も伝わってこないわけです。  総理は、創造性の高い人材を育てることが教育の目標だと。もちろんそうです。あるいは学校地域家庭、三者一体になってやるんだ、悪いことをしている子があったらよその子でもたしなめましょう。こんなことは、壇の上で言ってもらうことではないんです。よその子も我が子と一緒にしかりましょうというのは、私の地元のある中学校のPTAの標語として、田舎道に看板が立っていますよ。ですから、そういう状況になっているときに、一体何をテーマにしてどういうような仕組みでやるのかということが見えてこないことは残念でならぬわけです。  そこで大臣に、総理は一体何をお考えになってしていらっしゃるのか、あるいは文部省として、これを受けて、今申し上げましたようなどういうことを考えていらっしゃるのか、まずお伺いをしたい。
  61. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 教育改革につきましては、何も小渕内閣で初めて教育改革を取り上げているというわけではありません。今までも、歴代の内閣、あるいは国会や全国各地それぞれのところで、教育に対しては改革が行われてきているわけであります。今回、教育改革国民会議設置しようということは、委員御案内のとおり、昨年の与党三党の連立の話し合いの過程において政調担当者の間で合意されたものであります。これを受けて、内閣としてこの会議を発足させようというものであります。  戦後五十数年たちました。日本教育水準というのは世界のトップレベルにもなりましたし、また、そういうことから経済的にも発展をして経済大国と、今は言われませんけれども、言われるようにまでなってきたわけでありますけれども、教育のいろいろな現場におきましては、いわゆる学級崩壊とかいじめの問題とかいろいろな問題があります。それから、例えば私の所管しております科学技術の関係でも、事故等も発生したり、あるいはよその官庁の所管になりますが、今、警察の問題とかマスコミの問題とか、あらゆる社会で不祥事が起きたりしているわけであります。  そういうものは、考えてみますと、行き着くところはモラルの問題であり、また教育の問題にまでなってくるのではないか。社会が大きく変化をしておりますし、ちょうどそういう時代の変わり目、また世紀の変わり目にも来ておるわけでありまして、ここで、教育の問題について国民の皆さんの幅広い意見を伺って、そして、この新しい時代における教育というものはどうあるべきか、教育理念とかあるいはどういう日本人を育成していったらいいのか、そういうことまで含めてここで議論すべきではないかということではないかと思っております。  メンバーとかそういう会議の詳細につきましては、総理が中心に今お考えいただいておりまして、私どもの立場といたしましては、一体となってこれを進めていくという気持ちでございます。メンバー等はまだ決まってはおりません。その前に各界の皆さんの御意見を伺ってから、国民会議のあり方あるいは議論の方向性等、御意見を伺ってから決めたいという総理の御意向でございまして、先日は、総理と私で連名で各界の方にお手紙を出させていただいて、御意見を今いただこうとしているところでありますし、国民の皆さんにも、どうぞお手紙やインターネットで御意見をお寄せくださいということでお願いをしているところでございます。  二月の末が一応の区切りの日となっておりますので、それらを参考にしながら、三月に発足をさせていきたい、そういうふうに思っております。
  62. 山元勉

    ○山元委員 総理の演説の後で、新聞の解説の一つに、総理が言っているようなことは全部周知の事実だ、こういう批判がありました。今改めて、二十一世紀の入り口できちっとしなければならぬ、これとこれとが大事なんだということについて見えてこない。田舎道に立ててあるような標語を総理大臣が言ってということでは、これはやはりそうだということにはならぬ、国民的な参加は得られないという気がするんですよ。今の大臣お話も多分にそういうところがございます。  例えばメンバーについても、広く求められることはいいことだというふうに思います。けれども、この論議に参加をしてほしいという人は、きっちりとやはり文部大臣として持っていていただかなければならぬ。  総理大臣として、私的諮問機関をつくったり、いろいろなことをなさりますけれども、この場合は、相当の決意を持って文部大臣が、一番この問題で苦しんでいるのは、親なのか、教職員なのか、あるいは管理職の校長、教頭なのか、あるいは教育委員会なのか、さまざまなところからの声をきちっと——そういう人はもう明けても暮れても教育のことを考えているわけですから。森羅万象とは言わぬけれども、あらゆることに目を配っている人たちと違って、日々本当に胸を痛めて教育に携わっている、今申し上げましたような人たちには、きちっと意見を言ってもらおう、知恵を出してもらおうというスタンスがきちっと見えてこぬといかぬだろうと思うんですね。  そして、その人たちに語ってほしいのは何だと。例えば、先ほどから出てきてあるように、高等教育をどうするんだ、幼児教育をどうするんだ、あるいはぼろ校舎をどうするんだということから出発しないといけないと思うんですよ。そこがどうももう一つです。  これは質問ですけれども、新聞の論調で見ますと、教育基本法を変えることが一つ中心テーマになるだろう、あるいは愛国心の復古が一つのテーマになるだろう、いろいろなことが書いてあるわけです。私はやはりそこのところは、文部省がどこに目を当てるのか、総理と一緒なら一緒でもいいですけれども、そのことでこの国民会議をつくろうとしているのかということについては、文教政策に責任を一番持っている文部省として、やはりきっちりと今持っていただかないと、わあっと、広く意見を聞きましょう、異議なし、こういうことになるだけのものだったら、私は中教審だってあるじゃないかという感じがしますから、そこのところはどうですか、もう一遍。
  63. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員のおっしゃっていることは、大変重要な大切なことだと思っております。私ども、この方針といいますか、そういうような青写真が全くないというわけではございません。総理もお持ちと思いますし、私も思っております。  また、メンバーについても、私なりの考えもありますし、総理のお考えもあろうかと思いますし、また、委員おっしゃるように、全国いろいろなところでいろいろな方が問題意識を持ち、いろいろお考えであろうと思います。そういう意味で、メンバーの話になりますと、先ほど申し上げましたけれども、そういう方々の意見ができるだけ反映されるようにという配慮も当然なされなければと、そういうふうに思っておるところでございます。  あと、この教育改革国民会議において、教育基本法等の話もあるけれどもということでございましたけれども、最初に申し上げましたとおり、戦後の教育の総点検から始まって、今後のことまで幅広く御議論いただこうというのが基本的なことでもございますし、その中で、法律的な面ということで教育基本法についても議論が出てくるのではないか。私は、個人的には議論は大いにしていただきたい。中小企業基本法や農業基本法も改正いたしまして、憲法についても両院で御審議が、調査が始まっておりますし、そういうことから、これについてもタブー視することなく議論していただくということは、これは非常に大切なことではないか、そういうふうに思っておるわけでございます。  以上でございます。
  64. 山元勉

    ○山元委員 私も、教育基本法の問題をタブー視せよとは言っていないわけです。それはいいんです、論議をすればいいと思いますけれども、私は、まずそれがある、中心テーマになるだろうというふうにマスコミの目にも映る、それでは、今のときに、今の教育の現状からいって好もしいことではない、筋を違えていくおそれがあるのではないかということを気にするのですが、政務次官、今までの論議で、お気持ちを聞かせていただきたいのです。
  65. 河村建夫

    河村政務次官 今、日本教育の現状を、国民の皆さんは、やはりこのままではいかぬのではないかという思いをみんな持っておられると思うのですね。いろいろな、国民全体を覆っているモラルハザード等々を突き詰めていくと、やはり教育に突き当たる。これは今の国民の皆さんの気持ちでありましょうから、なかなか、山元先生のように専門家的な立場から見ると核心に触れていないではないかという御指摘もありますが、事教育に関しては、日本の高い教育レベルの中でみんな思いを持っておられますから、やはりここは、総理として、また大臣としても、上からこういう方向だというのではなくて、やはり一応、国民の皆さんのいろいろな意見をまず聞く方向をとっている。  今、官邸にはファクスとかインターネットで随分入ってきているそうでありますが、そういうものをある程度テーマごとに集約をしながら、そしてテーマを打ち出していこうというのが私は一つ方向だというふうに思っておりますので、その方向教育改革国民会議等が進んでいくと思うのです。  教育基本法の問題は、何かそれに焦点が当たる、私はそんなことはないと思います。教育基本法の問題は、これから国家百年の大計にかかわる大きな教育基本をどうするかという問題ですから、これはやはり時間をかけてやっていただく。  それから、山元委員がよく言っておられます三十人学級問題等々も含めて、今ある程度金をかければできる、当面教育現場に降りかかっているいろいろな学級崩壊等々の問題はこれは即やらなければいけない問題で、これもこれで、当面の問題として即方向を出していただくということ。私は、今すぐやらなければいけない問題と、百年の大計にかかわる、長期的にある程度時間をかけてやらなければいけない、この大きな二つの問題に分けてこの国民会議の中で議論をしていただく、方向づけを出していただきたい、このように思っています。
  66. 山元勉

    ○山元委員 先ほども言いましたように、広くということについては異議がないわけですけれども、できるだけきちっとした入り口をつくっていただくようにお願いをしておきたいと思います。  それから次に、文部大臣は、所信のところで定数改善について述べていらっしゃるところがございます。今後、新たな「教職員配置改善計画につきましては、児童生徒一人一人に対応したきめ細かな指導を行うチームティーチングなどに配慮した現行計画の完成を図る」、ここのところは六次計画の完成をおっしゃっているのだろうというふうに思います。この第六次改善計画について完成をしたいと。今後新たな施策に着手できるように準備を進めてまいります、こうあるわけです。  そうすると、来年度で六次計画が終わって、次どうするのだということについて、やはりしっかりと着手しようというふうにおっしゃっていただいているのだろうと思いますが、ここのところの、今の定数改善についての文部省考え方、思いというものを聞かせていただきたいと思うんです。
  67. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 今後の学級編制あるいは教職員配置のあり方につきましては、委員も御承知と思いますけれども、教職員配置の在り方に関する調査研究協力会議というものがありまして、ここで中教審の答申の提言内容を受けまして、また、それを基本として今研究を行っているところでございます。教職員配置と定数のあり方とか、また学級規模とか、あるいは学習集団のあり方について行っているところでございます。  また、委員もおっしゃいました三十人以下学級に関することにつきましても、民主党さんで法案を提出していただいておりますけれども、多くの請願や、また御意見もいただいているところでありまして、この三十人以下学級についても、国民の皆さんの関心の高さというものも反映されているわけであります。平成十三年度からこの新たな施策に着手できるようにということで、これからも準備を進めていきたい、そういうふうに思っております。
  68. 山元勉

    ○山元委員 今も大臣からありましたけれども、二年、この六次計画の完成はおくれた。そういう中で、各自治体の県、市町村の議会が請願や意見書をどんどんと採択していますね。私の地元でも皆がやろうと。ところが、ある筋からというか、ある党の本部から、こんなものやめておけよという話があって、ずるずるずるっと倒された。けれども、やはり各市町村が全国で、何とか今の現状を、うちの地域子供のために、三十人学級、あるいは教職員定数の配置基準の改善をしてほしいということで、意見書やあるいは請願を採択しているわけですね。  今の状況、そういうものが上がってきている状況というのは把握できていますか。
  69. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 請願につきましては、平成十一年度、今そうでございますが、約八百件いただいております。
  70. 山元勉

    ○山元委員 今言いましたように、確かにこういうところでも何遍も三十人学級ということは論議されていますけれども、実際に各地域の、自分の地域学校子供の実態を見て、そういう請願や意見書を上げざるを得ないという気持ちに皆さん駆られているわけです、課題がたくさん多い中で。  そこで、これは私は十一月のこの場でも申し上げました。前に河村政務次官一緒にヨーロッパを回ったときに、四十人というような国はなかった。そして、今どんどんと少子化が進んでいる。一番日本は進んでいると考えてもいいだろうと思いますが、そういう中でなぜ改善できないのかわからぬのですね。今とてもいいチャンスなんです。ですから、そういうチャンスに、国民的な請願やこういう声を受けて、文部省が本当に早く、二年延びたことを取り返すような思いで作業をしてもらうということが見えてこない、見せてほしいわけですけれども。  そういう点については、例えば次の計画を立てようとすると、ことしの概算要求は、八月、夏の時分にはもう既に見えてこなければいかぬわけですね。だから、七次計画を計画されるのか、それともそのほかの、定数法を改善されるのか。しかし、もう論議を詰めていかないと概算要求には間に合わぬだろうというふうに思うんですが、その準備を進めてまいりますか。そのテンポはいいんでしょうか。
  71. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 先ほど申し上げました平成十三年度から新たな施策に着手できるよう準備を進めていきたいということで、これは委員おっしゃいましたように、来年度の予算案、いわゆる概算時期までに結論を出そうということでございます。  調査研究協力会議で今精力的に、そういう学級編制とかあるいは教職員配置については御議論いただいておりますので、私どもはそれを見守っているところでございますが、三十人学級について申し上げますと、前にも申し上げたと思いますけれども、一つは、人数が少ない方が児童一人一人の、生徒一人一人の特性に応じた指導を行うことができると考えられますけれども、ただ、学級規模と教育効果の関連というのは、必ずしもまだ明確になっていない。  私自身、このところいろいろな学校を視察させていただいておりますが、学校によって、クラスによって、いろいろやり方を工夫しておられます。少人数の学習集団を編成して効果的な授業をやっているところもありますし、御案内のとおりのチームティーチングを取り入れているところもありまして、なるほどなというような形で私も勉強してきているわけで、効果的に行うには固定的な学級人数ということにこだわらなくてもいいのではないか、そういう気持ちもしているところでございます。  また、これはお金の話になって恐縮でございますが、一気にあるいは一律に三十人以下ということになりますと、それなりの相当の財政負担も必要となるわけでありまして、そういういろいろな面を考えながら、また協力会議、こちらの結論を見ながら検討していきたい、そういうふうに思っております。
  72. 山元勉

    ○山元委員 ところで、四月一日からG8の教育サミットが始まります。これは質問通告していませんが、集まってくる皆さんの国々は、それぞれ教育に力を入れているところが多いわけですね。そういうG8の中でも、先ほども言いましたように、少子化が最も進んでいる日本です。そこのところで、G8でこの問題をどういうふうに意見交換されるのか。恥ずかしくて言えないのではないかというような感じもするんですよ。本当にこのG8のところでも論議をして、世界の流れとして、子供に対して教師がどのように接するのか。  今大臣は、学級規模、私たちも学級規模にはこだわりません。例えば以下学級というのも、弾力的に配置する。これは、各地域が弾力的にやってもいいし、学校の中で、一年生はちょっと少なく五年生は多く、荒れている学級は少なくというふうに、いろいろの弾力的な運用ができる。  けれども、定数法を変えなければ、いずれにしても改善しなければ、人もいないのに弾力的にというのはないわけで、五十人学級をつくって片っ方は三十人というわけにはいきませんから、そこのところはやはりきちっとした、第七次に相当するような計画、これも前のように五年かかるなら五年かかるという計画で、きちっとした日本教育方向教育条件の方向というものをつくり上げていく努力を急いでしてほしいというふうに思います。  さっきのところにまたこだわって、おかしなこだわりをしますけれども、小渕総理が最重要課題だとおっしゃるんでしたら、教員はもっとどんとふやそうということか、あるいは地震が来ても大丈夫なように耐震校舎をどんとふやそうというのか、何か日本子供を大事にすることを、我が内閣の最重要課題とすると胸を張るだけのことはしてほしい、見えるようにしていただきたいと思うんです。そのことの責任は、私は、小渕総理個人ではなしに、文部省がやはりきちっとそのことについては責任をとってもらう必要があるんだろう。そういう意気込みで御努力お願いしたい。これは、お願いをしておきたいと思います。  その次に、これも大臣の所信や何にかかわるわけですけれども、中高一貫教育についてです。  これも大臣が所信の中で述べていらっしゃいます。これは、制度ができたわけですから、進めていかれるんだというふうに承知をしていますが、当面高等学校の通学範囲に一校、高等学校区で一校、だから五百程度の設置を目標にその整備に積極的に取り組んでまいります、こうあるわけです。  これは、あの制度ができるときにも私どもも論議をしました。日本の今の六・三・三・四の学制の根幹にかかわることです。いわば三・三・四のところだけは六・四になるわけですね。三・三のところが六になるわけです。根幹にかかわる問題。そこのところを五百に進めていこうということに踏み出すわけですけれども、しかし、このことは私どもは大胆にどんどんと進めてほしいという基本的な気持ちは持っています。けれども、この法律ができたときに危惧されたことについては、やはりきっちりと検証しながらやっていかなければやばいという感じがするわけです。  そこで、もう一回、中高一貫教育、中等教育学校についての意義だとか現状についてどういうふうに文部省として認識していらっしゃるのか、お尋ねをしたいと思うんです。
  73. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 中高一貫教育を行うことによりまして、高等学校入学者選抜、これの影響を受けずにゆとりある学校生活を学生が送れるということ、それからもう一つは、六年間継続して生徒を指導できることから、個性を伸ばしたり、あるいはすぐれた才能を発見することがより容易になること、そういうような意義があると考えておるわけでございます。  現在まだ四校しか設置されておりませんが、平成十二年度には十五校、平成十三年度以降は二十校の設置が予定をされております。  お話のとおり、当面、全国に五百程度ある高等学校の通学区域に一校ずつ整備をされることを目標に、今、促進、努力をしているところでございます。
  74. 山元勉

    ○山元委員 そういうふうに進めていかれる、入試のない学校、伸び伸びとゆとりのある学校をつくっていこう、これはいいんです。  しかし、そこに入れる子は、効率的な学校、ゆとりのある学校先生にも中高一貫で教えてもらえる、例えば音楽が好きだとしたら中一から高三までずっと同じ先生に教えていただける可能性があるとか、こういうメリットが、うまくやれば極めてある学校ですから、みんな行きたいというのは当たり前だと思うんですね。  そこのところで、あのときに附帯決議がつけられています。この附帯決議をちょっと読みますと、「中高一貫教育の内容は、「ゆとり」のある学校生活の中で、児童・生徒の個性や創造性を大いに伸ばすという本旨にのっとり検討され、受験準備に偏したいわゆる「受験エリート校」化など、偏差値による学校間格差を助長することのないように十分に配慮する」とか、あるいは「入学者の選抜にあたって学力試験は行わないこと」とする、こういうふうに附帯決議が出ているわけですね。  ですから、特別の子が入ってエリート校化していくことについては防ぎなさいよ、あるいは、そこのところへ、今言いましたように、いい学校だから、みんなが入りたい、選抜をする、できる子というのか、点数の高い子が入っていくというような学校にしてはならぬ、だから入学試験はしてはならないよという附帯決議がついているわけです。  今大臣がおっしゃるようにどんどんふえていくとすると、今までは、たしか四校ですか、確かに目が行き届くけれども、これからどんどん、五百になってくると、法をつくったときの精神、エリート校化しないでおこう、あるいは受験年齢の低年齢化を防ごう、こういうことについては、文部省が目を光らす、あるいは、中高一貫教育推進会議、これからどういうふうに本当のねらいというものを実現していくか。できたら、五百が千になり、二千になり、日本じゅうになるというふうになっていくためには、私は後でちょっと言いたいと思いますが、間違いのない検証というのが必要だと思うのです。その点についてはどういうふうに進められているんでしょうか。
  75. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 今の数は確かに少ないわけでありますけれども、先ほど申し上げましたように、今後は全国的に展開をしていきたい、そういうふうに思っております。  そのためには、現在あります学校を初めとして、それらの中高一貫校の教育がどういうふうに生徒の個性の尊重等に役立っていくか、どういう問題があるか、あるいはどういう点がよい点であるか等は十分に検証していかなければならないと思いますし、検証しながら、また、この方向づけといいますか、拡大に向けての施策をとっていかなければならないと思います。  しかし、基本的な方針といたしましては、先ほど申し上げましたような、六年間という間で伸び伸びと個性を生かした教育ができるようにということでございますので、先生方のそういう御指導もいただきながら、また附帯決議を十分尊重しながらやっていきたいと思っております。
  76. 山元勉

    ○山元委員 言いましたように、五百をどんどんとつくっていく中で、いろいろな問題が出てこようと思うんですね。今の中高一貫教育推進会議というものの果たす役割、これからも続けられるのか。それとも、この四校、十三校、十四校というときの推進会議の仕事は、どんどんと広がっていく、いろいろな難しい問題を抱えながら実施をしていく、そういう状況に入っていったときに、これは大変だろうと思うのですね。  そうでないと、やはりあの地域学校はエリート校化したよ、あの学校はがんがんと入試をやっているよというようなことにならないようにしないと、これはふやしていく勢いというんですか、方向は出てこないと思うんですが、その推進会議なるものはこれからどういうふうに力を発揮していくんですか。
  77. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 この会議は、各県、四十七都道府県でこれから広げて設置をしていこう、そういうふうに思っております。
  78. 山元勉

    ○山元委員 そういうネットをつくっていくということは大事なことですし、それを束ねるというんですか、それの元締めとなる文部省というのは、やはりこの附帯決議を本当に守っていく、そのことが中等教育学校の、生死にかかわると言ったらおかしいけれども、やはり一番のポイントだということについて、しっかりとした検証というんですか、監視をしながら進めるようにしていただきたいというふうに思います。  そして、このことについて、この推進会議がこの一月に報告を出していらっしゃいますけれども、その中で、幾つか問題はありますけれども、余り時間がないですから、例えば、この中等学校には三つのタイプがあって、その中の連携型のことについて述べている中で、意欲ある生徒はできるだけ積極的に受け入れることが望ましい。その連携というのは、宮崎にあるような一つの県に一つ学校をつくってずっと集めるというのでなしに、地域の中学校地域の高校とが連携をする、こういうことだったと思うんですね。ですから、そのことがしやすいのかもわからぬけれども、これは学校をこれからも拡大していくことになるんだろうと思いますが、意欲のある生徒はできるだけ積極的に受け入れていくということになってくると、これはおのずと能力、キャパシティーの問題になってくるんだろうと思うんですね。  一体、この推進会議がいい格好だけ言っているのか、本当にそうやって希望する子、意欲のある子はどんどんと入れていくのか。学校も弾力化、自由化していく今の流れが一方でありますから、ですから、学校を自由化をしていく、拡大をしていく中で、そういう意欲のある子については積極的に受け入れていくとなると、パンクをしてしまうだろうと思うんですね。そういうことについて、一体、この推進会議は実態に合わせて考えていらっしゃるのか、可能だと考えていらっしゃるのか。  私はここのところに飛びつきたいのですけれども、やはりどんどんとそれはふやしていく必要がある。例えば私の県で一つか二つかと、こう言われていますけれども、検討していらっしゃる。けれども、それをどんどんとふやしていって、意欲のある子がそれぞれ受け入れられていくというように、学区の弾力化を文部省は言っているわけですから、それと合わせてどんどんとふやしていくというと、五百や千では追いつかぬことになるわけです。前向きにどんどんと意欲のある子を積極的に受け入れるという方向学校を整備をしていく、つくっていくという方向文部省はよしとされるというんですか、方針として持っていらっしゃるのかどうか、ちょっとお尋ねしたいと思います。
  79. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 ことしの一月の中高一貫教育推進会議の報告では、中学校高等学校の垣根を低くするという中高一貫教育の趣旨を踏まえて、連携型については意欲ある生徒は積極的に高等学校に受け入れることが望ましい、そういう考えを示しているところでございます。
  80. 山元勉

    ○山元委員 ですから、積極的にということはいいんです。私は今飛びつきたいと言ったのですが、簡単に言えば、そうやって本当にふやしていくつもりなんですかということ。そうでないと、これはきれいごとだけで済むのではないかというふうに思うのです。
  81. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 先ほど申し上げましたけれども、当面は五百校程度ということで考えておりまして、先ほどから話がありましたけれども、そのときの状況等もよく見ながら、またさらに、ニーズがあれば、そのときでまたさらにふやしていくということも考えていくことになろうかと思います。
  82. 山元勉

    ○山元委員 御承知のように、高校の入学率が九七%を超しているわけですね。中学校から高校へ行きたいという子が九七%。そういうときに、学力による選別、あるいは意欲による選別ということもこの場合あるかもしれませんが、そういう状況ではないというふうに私は今考えているわけです。  すべての子供がやはり、先ほども言いましたように、効率的な学校をつくるんですよ、ゆとりのある学校をつくるんですよ、あるいは入試のない学校をつくるんですよと、皆入りたい、九七%の子が。いや、僕はあの特別な高等学校に入りたいとか、それはありますよ。けれども、そうでない子はほぼ全員と言っていいぐらいにそのことを望むだろうと思うんです。ですから、日本教育の六・三・三・四制についてしっかりとやはり考える、もう入り口に入ったのですから、考えて、方向が見えるようにしなきゃいかぬだろうというふうに思うんです。  私ども民主党は、前にこの中高一貫制度ができるときに、議員立法で提出をしています。希望する子がすべて入れるようにすること、いわゆる六・三・三・四制を三・三の部門で専ら六年の中等教育にしていくんだ、そこのところでは入試なしなんだ、そして私どもは、いろいろな論議がありましたけれども、この法律は施行後十年たったときに、高校の、今は義務教育じゃありませんから授業料は徴収されていますけれども、授業料についても徴収をしないような形になる。積極的に中高一貫教育を進めながら今の高等学校、後期中等教育の部分を義務制化していこう、義務教育ということではなしに準義務教育という言葉を使っていますけれども、そういう方向で今、意欲のある子、積極的な子については受け入れていくという方向であればいいわけですけれども、そうでなければこれはやはり言葉づらだけのことになるだろうと思うのです。  もう一回、九七%の進学率のとき、そういう六・三・三・四の学制について考え直す。そして、先ほども論議ありましたけれども、入試の一つ、高校入試のところでやはり子供たちは大変な苦労をしているのですし、教育がゆがめられている部分が大きいわけですから、そこのところをなしにしていく中高一貫教育については、将来は、今私ども民主党が出しているような法案方向をやはり是とするというふうに文部行政としてなっていかなきゃいかぬのと違うか。この推進会議の報告から見てもそういうことが思えるのですが、重ねていかがですか。
  83. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 民主党さん提出のこの中高一貫教育の推進に関する法律案、内容につきましては今委員からお話があったとおりでございますが、十年以内に中学校及び高等学校を廃止して、そして中等教育をすべて、この中等教育学校ですか、一貫学校で実施することを目標としているものでございます。  しかし、私としましては、生徒がそれぞれの興味とかまた関心に応じてみずからの将来を決定するためには、一律にすべてこの中等教育学校にするのではなくて、やはりこれまでのように中学校高等学校に加えまして、またこのお話の中等教育学校、これの併設型とか連携型とか、そういうふうに多くの選択肢が用意されて、その中から生徒が自分の希望する学校を適切に選んでいくということ、これがよろしいのではないか、多様な教育制度が望ましいのではないか、そういうふうに思っております。
  84. 山元勉

    ○山元委員 余り時間がありませんから、私はもう一つ、評議員制度についてもお尋ねしようと思ったんですが、これは次の機会にさせていただこうと思うんです。  今の問題については、これもやはり日本教育制度の根幹の問題ですね。ですから、やはりしっかりと論議をして、九七%になっている子供大臣の今の御答弁でいうと、どれだけかの大きな部分はそれを望まない子があるようなことがなければ、これはもう先ほどから私が何回も言っているように、いい学校をつくろうという意気込みですから、そこのところにみんな入りたい、あるいは皆さん入れますよという姿勢が正しいのだろうと思うんですね。そうすると、私どもの法案が絶対いいとは言い切りませんけれども、その方向はやはり論議をする必要があるだろうというふうに申し上げておきたいと思います。  そしてもう一つですが、G8の環境サミットが私の地元で、滋賀で四月に行われる。教育サミットが東京と沖縄で行われるのですが、私の地元でいいますと、環境サミットというのは、ポスターもごっついのを張って、そのマークもつくってわあわあと、この際環境について県民、国民が考えようとなっているんですけれども、教育サミットのポスターも、その音も聞こえてこぬですね。  ですから、実際に主要国の皆さんが来て教育サミットをやる、うちの国の教育はこうだ、あなたのところの教育はどうだ、これから人類はどうなっていくのだというところの論議を教育サミットでしていただけるんだとしたら、私はこの際、国民の皆さんにうんと関心を持っていただいて、やはり日本教育はすばらしいなと皆が言うのか、やはりここのところは三十人学級についてはおくれているなと言うのか、大学教育についてはどうだと言うのか、いずれにしても、どういうテーマでどういう論議をします、国民の皆さん見てください、意見を言うてくださいと言う。  日本に今までにない、各国、主要国の教育の最高責任者にお集まりをいただくわけですから、私は、国民の皆さんが日本教育をあるいは世界教育をということで目を向けていただく絶好のチャンスだと思うんです。  今からでも遅くないから、滋賀でとは言わぬけれども、ポスターも張られて、そして民間テレビでも、その催しをやるんだ、こうだと。あるいは、NPOの皆さんが全国から集まるんだとかいろいろなことを言って、環境についてこの際考えようということになっているわけですから、教育についても、やはり先進国に学ぼうということ、あるいは教えようということになるかもわかりませんけれども、そういうサミットにしていただかないと、そういう中で日本の中曽根大臣が光ってもらうことが一番望ましいと思うんですけれども、ぜひそのことについては一遍努力をしていただきたいなとお願いして、終わります。  ありがとうございました。
  85. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 G8の教育大臣会合についても、今本当に貴重な御示唆と御提言をいただきました。委員のおっしゃるとおりであろうと私も思っておりまして、十分参考にさせていただきたいと思っております。ありがとうございます。
  86. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時五十五分休憩      ————◇—————     午後一時開議
  87. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。松沢成文君。
  88. 松沢成文

    ○松沢委員 民主党の松沢成文でございます。  大臣とは科学技術委員会や予算委員会でも何度も議論をさせていただいていて、大臣は相当私の議論に辟易していると思いますけれども、どうか四十分、ぜひともおつき合いをいただきたいというふうに思います。  さて、教育現場の荒廃、大臣も所信の中で触れておりますけれども、特に公立学校教育現場、いじめだとか不登校だとか学級崩壊だとかさまざまなニュースが毎日のように流れていて、今の日本の公立学校教育が完全に機能不全というか、おかしくなっているというところは多くの人が認めているところだと思います。そこで教育改革をしなければいけないということで、総理も、そして中曽根文部大臣も、その教育改革を強く所信の中で訴えているわけであります。  ただ、難しいのは、この教育改革というのは、単にここが悪かろうからこういうところを制度いじりをするという繰り返しをしても、私はいい方向にいかないんじゃないかなと。その制度いじりをする前に、むしろ、教育の目標とか教育の目的とか、あるいは教育の任務とか役割とか、こういう最も基本的な部分できちっと議論をし方向性を見出しておいて制度改革に入っていかないと、私はうまくいかないのじゃないかなというふうに思います。  そこで、大臣の所信でも触れていますが、中曽根文部大臣として、教育の目的と目標、あるいは任務と役割、最も基本的な部分ですが、それはどういうものであるというふうに考えるか、まず最も基本的なことですが、お伺いをしたいと思います。
  89. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員がおっしゃいますように、教育には、さまざまな現場での問題もありますけれども、教育理念的なもの、基本的なものをきちっと道筋を立てて、そして、その線に沿って教育なりあるいは教育改革を行っていくということが大変大事であることは、もう言うまでもございません。教育は、あすの日本発展のために、また世界へ貢献するために人材を育成していくものであります。この国際社会に貢献していくということは、これからの国際国家としても大事なことでありまして、優秀な人材を輩出もしなければなりません。そのためには、あらゆる社会システムの基盤となる教育についての不断の改革を行っていかなければならないということでございます。  それと同時に、人間として、日本人として立派な人材を育成する、日本人としての自覚を持つととともに、国際感覚を持った自立できる人間の育成、これが私は大事だと思っているところでございます。
  90. 松沢成文

    ○松沢委員 日本人として立派な日本人を育成していく、また同時に、国際感覚を持った日本人をつくっていく、これが教育の目標であり目的であろうと、こんなふうに今受けとめました。  それでは、教育理念だとか目標だとか、あるいは任務だとか役割とか、これを規定したものが教育基本法という法律なんだと思うのですね。私は、こういうものを法律にするのがふさわしかったかどうかというのは別の議論があると思うのですが、ただ、教育基本法という法律が日本教育基本的な理念的なものをうたっている法律だということだと思います。  それでは大臣、今大臣が言った、立派な日本人を育てるとか国際感覚を持った日本人をつくっていくとか、こういう教育の目標は今の日本教育基本法にあらわれているのか、合致しているのか、その辺はいかがお考えですか。
  91. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 教育基本法は教育における憲法のようなものでありまして、大変重要なものであります。戦後、昭和二十二年三月に制定されて以来、この教育基本法を大きな柱として日本教育が行われてきたわけでありまして、この基本法の果たしてきた役割は大変大きいものがあると私自身思っております。  委員も御承知のとおりでありますけれども、この教育基本法にあります「目的」等を見てみますと、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、」「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」こういうふうな基本的な考え方がありまして、私の考え方もこれと合致するものと考えているところでございます。  しかし、五十年たって、当時制定されたのは終戦直後でありますから、時代も変わってきております。時代に合ったものかどうか見直すということも、ほかの基本法も昨今議論されて、また改正もされておることを考えますと、教育基本法につきまして議論するということは大切なことではないかと思っておるところです。
  92. 松沢成文

    ○松沢委員 先般の予算委員会で我が党の肥田美代子議員の質問に答えて、今後、教育基本法も今おっしゃられたような観点で議論しておくことが必要だろうと。その中の論点として三つほど挙げているんですね。まず一つは、今の教育基本法には生涯学習のような規定が入っていない、二つ目が、日本の歴史、伝統、道徳教育についての記述がない、三つ目が、既に定着している男女平等に関する規定がまだ入っていて、ある意味ではこれはもう必要じゃないんじゃないか、こういうような論点があると思いますということだったと思うのです。私も、おおむねこういう論点はあるというふうには賛成であります。  ただ、もう一点あえて私が訴えたいのは、教育基本法の中で、政治教育とか宗教教育社会教育とさまざま条を設けて書いてありますけれども、私は、これからの日本あるいは世界の中で、日本教育に大変重要なことはむしろ環境教育だと思うのです。もちろんこれは、では社会教育の中の一部分かといっても、社会教育のところには環境という言葉は全く出てこないんですね。ただ、日本がこの地球社会の中で発展を続けていく、あるいはこの地球そのものを将来永劫にわたってすばらしいプラネットにしておくには、これはもう環境問題をクリアできるかどうかというところにかかっていると思うのです。ところが、なかなかこの環境問題、総論ではみんな賛成だけれども、ついごみも勝手に出してしまったり、なかなか人間の自制がきかない部分があって、さまざま環境悪化をもたらしているのが現状だと思うのです。  そういう意味で、今後の教育の中に環境教育を充実させる、これは、日本、そして世界の将来にとって物すごく重要なことだというような規定が入ってもいいんじゃないかというふうに私は思うのですが、大臣はいかがでしょうか。
  93. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 生涯教育の規定がないとか、それから歴史、伝統あるいは道徳教育についての記述がないとかいう委員お話、私も委員会で申し上げたものでございます。男女共学の規定があるというのは、一つの例示として今は当たり前になっているのではないですかということでございます。  御指摘環境教育につきましては、私も大変重要だと思っております。そういうことから、学校でも授業の中で環境教育をやっておりますし、今後もしっかりとやっていく必要があると思っておりまして、このようなことは議論の中で出てくることもあろうかと思います。
  94. 松沢成文

    ○松沢委員 教育基本法のあり方というのは、これからさまざま政治の場での議論になってくると思います。私は、なかなかこれといって反対しにくい法律でありますし、よく書けているという総合的な見方もあると思いますし、また、時代の動きから見てみると、足りないところ、あるいは余分なところがあるじゃないかというのもわかるんですね。ただ、私は、最初に申し上げましたように、これは制定の議論のときからあったんですが、教育理念とか目標とか任務、役割というものを法律という形にすること自体が好ましかったのかどうかというのは、またそこも一つの論点だと思うのです。  そこで、一つの意見ですが、教育基本法はまずそのままというか、さておいて、教育理念というものを国民が議論をしコンセンサスをつくり、教育基本法とは別に、教育宣言とかあるいは教育憲章みたいなものをつくってみたらどうかという意見もあるんですね。  例えば、児童憲章という有名なものがあります。あるいは、その評価は別として、戦前は、勅令ですね、教育勅語という一つの規範のもとに日本教育が行われてきたんですね。私は、教育勅語に戻れという意味では全然ないんですが、やはり教育のあり方、理念というのをもう一度国民的に議論をして、自分たちはどういう教育を目指すのかというのを国民のコンセンサスとしてつくり上げる、その議論の中で共通の目標を持って教育改革を行っていくというのは大変重要だと思っています。  大臣は、例えば教育憲章とか教育宣言みたいなものを日本でつくったらどうかという意見に対しては、どうお考えでしょうか。
  95. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 戦後の教育の根本理念、これを確立することが大変大事である、そういう認識から、戦後この教育基本法ができたものと思います。  この教育基本法の中に道徳的なものが欠けるという御意見があると先ほど申し上げましたけれども、委員も御指摘のように、今後の若者、青少年の育成にとりましては、そういう面をさらにしっかりと指導していかなければならないと私自身は思っております。  教育の根本法たる性格を持っているわけでありますけれども、教育理念を宣言する、そういう意味で、私は、この教育基本法はある意味での教育宣言でもある、そういうふうに思っているところでございます。  こういう経緯を踏まえつつ議論をしていくわけでありますが、私自身は、今申し上げましたような教育基本というものにさかのぼって、今後、御議論がある場合には幅広い検討をしていただけたら、そういうふうに思うところでございます。
  96. 松沢成文

    ○松沢委員 ちょっと議論を進めますけれども、今度、与党三党の政策合意の中で、教育改革を進める、そのために教育改革国民会議というものをつくってやっていくんだ、こういうのがありました。そこで、新聞では、二月には形ができるんじゃないかとか、もっと早くできるんじゃないかという期待もあったんですけれども、随分おくれているように思うのです。  教育改革国民会議、今準備をされていると思うのですが、どういうメンバーで発足をするのか、またどういうテーマを、単に漠然と教育改革について議論をしてくれというのか、あるいは、具体的なテーマを設定して、協議をお願いして答申をいただくのか。  その中には当然教育基本法のあり方というものも入るんだと思いますけれども、どういうメンバーで、どういう法的根拠で、例えばこれは国家行政組織法の第八条のような総理の諮問機関としての委員会を想定しているのか、あるいは総理の私的な諮問機関のようなものを想定しているのか、こういうことです。それと、どういうテーマをお願いするのか。この辺について、現段階でどういうふうに議論が進んでいるんでしょうか。
  97. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員承知のとおり、教育改革国民会議は、与党三党の政策担当者の合意を受けて、近々発足をしてもらおうと思っているものであります。  教育の問題は、非常に幅が広く、国民どなたもが心配をされており、また御意見もお持ちであろうとのことから、この会議の発足に当たりましては、この会議をどういうような会議にしていくかという参考にするために、総理と私との連名で、各界の方に今御意見をいただくためのお手紙を出しているところでありますし、また、国民の皆さんからもいろいろな御意見をいただきたいということから、お手紙やあるいはインターネットによる御意見を今いただいているところで、随分たくさん、国内各地から、また各階層の方から今御意見がこちらに届いている、そういうふうに聞いているところでございます。  メンバー等につきましては、国民会議ということでありますから、先ほど申し上げましたような各界各層の方々による会議ということでありますので、いろいろな方に入っていただくことになろうかと思いますが、これにつきましては、総理が中心にお考えになられ、また私も私なりの意見もあり、申し上げるつもりでありますけれども、今後、メンバーについては検討していくこととなっております。  また、法的根拠につきましては、この会議の位置づけというものは、まだはっきりと確定はしておりません。御意見を参考にしながら、テーマについての話にも移りますけれども、大きなテーマも決めていきたいということもあるわけでありまして、位置づけについても、今の時点でははっきりと、どの法律にのっとった会議になる、審議会とか何になるとか、そういうことは申し上げられません。  ただ、テーマにつきましては、私は、教育の問題というのは、総理や文部大臣がこういうものをやってくださいとか、こういうことをやるべきだとか、こういうことをテーマにということじゃなくて、やはり国民の皆さん、いろいろ御意見はお持ちだと思いますし、それから、仮に新たな道づけなりそこからの結論が出てきても、実施する場合には、お父さんお母さんを初めとして各層の人の御協力なくてはできないものであります。つまり、国民運動的なものでないとこの教育改革というのはできないわけであります。そういうことを考えて現在御意見を伺っているところでございまして、それを参考にしながら、テーマは大きな方向づけがなされるものと思っております。
  98. 松沢成文

    ○松沢委員 メンバーもテーマも法的根拠もまだ議論中でこれからだということですが、総理が所信表明で一番先にこれを挙げているんですね。所信表明というのは、この一年間、私は何をやるかということを国民に宣言する演説だと思うのです。その一番先に挙がっている教育改革、それは教育改革国民会議で諮問してお願いしてやるんだと言っているわけですね。その一番先に出ているテーマが、まだ検討中で全く姿がはっきりしていない。これで果たしてやる気があるのかなと、失礼ながら、一国民として、一野党の一員として思ってしまうわけであります。  そこで、今、文部省設置法には中央教育審議会というものを置けるということであるわけですね。この中央教育審議会にも、大臣は、教育基本法や教育基本的なあり方について諮問をしたということであります。  この中央教育審議会というのはどういう審議会で、どういうものを議論するんですか。私の把握では、やはり教育の「基本的な重要施策について調査審議し、」と書いてあるんです、この法律にも。  そういう意味では、中央教育審議会に大臣大臣の権限でこういうことをやってくださいと諮問するのは当然なんですが、この前、教育基本法や教育基本的なテーマを諮問したという新聞記事が載っていましたが、具体的にどういう諮問をしたのか、教えていただきたいと思います。
  99. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 まず、委員が、新聞記事に教育基本法を中教審で論議をするということになっているがというお話で、それを前提にした御質問がありましたけれども、この記事は正確なものではないと私は思っております。  中教審の役割はまたこれで大変重要なものがあるわけでありまして、私どもとしては、中教審における審議事項につきましては、教育改革国民会議の動向等を見ながら、勘案しながら、考えていきたい、そういうふうに思っております。  もちろん、教育の問題、教育改革について中教審で今後テーマを決めて議論をしていただくということになろうかと思いますが、そういうことで、並行して同時にということはない、現時点では私は、そういうことはない、そういうふうに思っております。
  100. 松沢成文

    ○松沢委員 並行して審議するということはないとおっしゃるんですが……(中曽根国務大臣基本法」と呼ぶ)基本法についてですね。この前、文部省の官房長がどこかの雑誌のインタビューで、並立審議でというような見解を述べていたんですけれどもね。  その問題は、大臣基本法については並立じゃなくてやるということですからいいとしても、教育改革国民会議と中央教育審議会、どこがどう違うのですか。教育基本的な問題あるいは教育改革について重要な事項の審議をお願いするということだけれども、これはまだ私はよくのみ込めないんですが、どこがどう違うのか、わかりやすく御解説をいただきたいと思います。
  101. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 まず、並行して審議のお話をちょっと補足させていただきたいと思います。  官房長の発言を私は承知しておりません。これはまだ、国民会議でやるかどうかもわかっていないわけであります。それから、中央教育審議会におけるテーマというものも決まっていないわけであります。そういうことから、仮に国民会議教育基本法をやって、中教審でも同時並行して全く同じ議論をするということはないでしょうということを私は申し上げているのであります。  それで、中央教育審議会で御審議いただくものというのは、さっきも申し上げましたけれども、教育改革国民会議での議論を勘案しながら必要な事項について審議をしていただくことになると考えておりまして、教育改革国民会議の方が近々そういう方向づけがなされると思いますので、そういうものを見ながら、中央教育審議会で御議論をいただくことについて検討していきたいと思っているところであります。
  102. 松沢成文

    ○松沢委員 今の大臣の話を聞いていますと、教育改革国民会議の方が上にあって、ここで大きな方向を決めて、その方向性を受けて、必要であれば中央教育審議会にも議論をお願いする。要するに主と従と言っては失礼ですが、上下関係でいうと、教育改革国民会議というのが上にあって、その議論によっては中央教育審議会にも諮問をする、こういう上下関係にあるということでよろしいのですか。
  103. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 教育改革国民会議は、委員お話しになりましたけれども、内閣の最重要課題である教育改革、これの一環として設置をされ、これについて議論するもので、この会議の位置づけというものは大変に重いものであります。  上とか下ということはありませんが、中央教育審議会の方は、その時々の教育改革の具体的なテーマについて御論議をいただくわけでありまして、国民会議の方は、大きな立場から長期的な問題も含めて御議論いただくということで整理させていただきたいと思います。
  104. 松沢成文

    ○松沢委員 かつて臨教審というのがありました。三年間続いたわけなんですが、その臨教審が設置されている、一九八〇年代だったと思いますけれども、この三年間は、中央教育審議会の方は休止状況になったのです。休止状態になっている。すなわち、臨教審で最も根幹的な大きな議論をするんだから、それを受けて、その答申を受けて必要な方向性について中教審で議論をしていく、こういう主と従の関係というか上下関係にあったのです。  となると、教育改革国民会議をやっている最中は、国の基本的な、一番大切なエッセンスの問題をやるわけですから、中央教育審議会は休止をしていただいて、その答申を受けてから必要であれば審議をスタートする、こういうふうに考えてよろしいのですか。
  105. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 先ほどの答弁をもう一度補足させていただきます。  教育改革国民会議は、三党派間の合意に基づいて内閣総理大臣設置をし、そして内閣の最重要課題である教育改革について審議をするものでございます。それから中央教育審議会は、これは国家行政組織法の八条機関でありますが、文部大臣の諮問機関として、教育、学術、文化の専門家を中心に、教育に関する基本的な重要施策について審議するものということでございますから、今の説明でそれぞれの位置づけというものを委員は御理解いただけるもの、そういうふうに思っております。  それから、臨教審のとき中教審が休止をしていたけれどもということでございますけれども、臨教審が設置されました五十九年から六十二年までの間、中央教育審議会の方は確かに活動を停止いたしました。中教審と臨教審は、やはり今の国民会議と同様に趣旨が異なるものでありますけれども、あのときは、両方とも国家行政組織法八条に定める同じ審議会だったわけであります。そういうことから、両者の関連を考慮して、臨教審が開かれている間は中教審において審議を行うことを見合わせた、そういういきさつがございます。
  106. 松沢成文

    ○松沢委員 あのときは国家行政組織法八条の委員会で、両方ともかち合ってしまったから中教審の方は休止をしていただいたということですが、そうであれば、今回かち合わないようにするということは、完全に総理の私的な諮問機関として教育改革国民会議を置くということになりますね。国家行政組織法第八条の総理の諮問機関としては置けないですよね。そういうことですか。
  107. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 先ほども申し上げましたけれども、現在、まだその位置づけというものが確定いたしておりません。今後この会議がどういうような議論をしていただくことになるのかという、テーマの問題等も含めて、設置に向けて議論されるものであります。  内閣総理大臣設置するというふうに私は申し上げました。一方、中央教育審議会の方は八条機関でありますけれども、教育改革国民会議で、先ほどから申し上げましたような、戦後の教育問題についてのいろいろな総点検を初めとして、今後の道づけ等御議論をいただくことになるのではないかと思っておるところでございます。
  108. 松沢成文

    ○松沢委員 私はこの問題がすごく大事だと思うのです。といいますのは、日本の国の教育改革理念だとかそういう最も大切なことを、政治の勝手な判断で二つ審議会をつくって、両方に諮問して、恐らく諮問された審議会の方は、それこそみんなで議論をして、いい案をまとめて出してくださるのでしょう。そうしたときに、その見解が二つかなり違ったら、どちらを文部省は、あるいは文部大臣は、あるいは総理かもしれない、採用するのか。もし同じ時期にそういう審議をお願いするのであれば、それはお願いする審議会にとっては大変失礼なことになりかねないのじゃないかなと思うのです。もし違った見解が出てきたら、どちらをとるのか。違ったら違ったでそれは無視すればいいや、こういうことになってしまうのでは、これは極めて無責任だと思うのですね。  私は、そういう意味で、もし二つを並立審議で教育の重要テーマについてお願いするのであれば、テーマをきちっと決めて、ではこのテーマについては教育改革国民会議お願いします、そのかわりこういうテーマについては中教審でお願いしますというふうに分けて諮問しないと、では教育基本法のあり方についても両方にお願いしますとなったら、両方とも違った見解が出てきたら——こういうものはやはり体系的な見解で答申を出すんですよ。こっちのいいところとこっちのいいところをつまみ食いして、これで教育改革だと言ったって、極めておかしいものになってしまうのです。  だから私は、どちらかを優先してどちらかを休止するのか、あるいは両方審議をお願いするのであれば、テーマをきちっと分けてそれでお願いしないと、その後の結果も、恐らく文部大臣も迷ってしまうと思いますし、国民にも説明がつかないだろうと思いますし、そして、受ける審議会の委員に対しても大変失礼なことになると思うのです。その点についてはいかがでしょうか。
  109. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員のお考えと私も大きな変わりはないと思います。  先ほどから申し上げておりますように、教育改革国民会議の方は、内閣の総理大臣設置して、最重要課題として幅広く教育の問題について議論してもらう。中央教育審議会は、八条機関として文部大臣の諮問機関としての役割を果たしていただくということでありまして、私は、議論するテーマについてはこれは全くダブるということはない、そういうふうに思っております。  おっしゃるとおり、審議会の委員先生方にもそういうことであれば失礼だと思いますし、それぞれの役割というものをはっきりと分けて、効率よい、また効果的な審議を行うことが大事だと思っております。
  110. 松沢成文

    ○松沢委員 そういう方向でやっていただきたいと思います。  私がすごく懸念するのは、今の小渕総理は、何でも審議会なんですね、私的諮問機関というのでしょうか。経済戦略会議をつくってみたり、ものづくり何とか会議をつくってみたり、この前は「二十一世紀日本の構想」懇談会ですか、ここからも答申が、こんな分厚いのが出ています。また今度は教育改革国民会議、恐らく総理の私的諮問機関でつくるのでしょう。  この前の「二十一世紀日本の構想」の答申でも教育の問題にかなり触れているんですよ。この中で、例えば週のうち三日を義務教育教育日に当てて、あとの二日、三日はもっと多様な教育を行ってもいいのじゃないか、こんなすごく基本的なことまで、重要なことまで答申しているのです。こういうのは、本気で上がってきた答申を、総理がちゃんとこれを実現していく方向をお持ちなんでしょうか。  私は、これは中曽根大臣じゃないのですが、今の小渕総理の政治を見ていますと、審議会をたくさんこさえて、自分に合った答申が上がってきたときは、世論の各層からお話を聞いてお墨つきをいただいた、こう言われる。自分たちができない答申が上がってきたら、それはほとんど無視する。経済戦略会議の答申なんか、半分も実現できないのじゃないでしょうか。  こうやって審議会に自分がとるべき政治のリーダーシップを全くゆだねてしまって、自分がみずから決断を下し国民を引っ張ろうとしない、この今の小渕総理の政治姿勢に対しては、私は、野党として見ていてすごく憤りを感じておりまして、またこれはほかの機会にただしていきたいと思います。  さて、次の質問に移りますけれども、オウム真理教の問題であります。  今、各地でさまざまなトラブルが起こっていますけれども、最近の新聞にいろいろな記事が出ています。オウムの元幹部なんでしょうか、服役中でありますから今は幹部じゃないですね、元幹部の子供が各地に何人かおりまして、その中で、公教育を受けたい、小学校に入学したいということでさまざまなトラブルが起きております。  例えば、埼玉県の都幾川村の小学校で、オウムの元幹部の女のお子さんが小学校の入学の通知が来ていないということで今問題になっているようですが、中曽根大臣はこの問題に対してこれまで、どういう御意見というか対応をされてきたのか、まずお伺いしたいと思います。
  111. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 文部省といたしましては、埼玉県の教育委員会を通じまして、これまで、都幾川村のオウム真理教の元信者の子供さんの小学校の就学問題について、まず情報収集に努め、それから相談に乗ってきたところでございます。ことしに入りましてからも、一月三十一日、それから二月十四日に埼玉県教育委員会から直接現地の状況について報告を受けたところでございます。  私どもといたしましては、まず、地域住民の皆様方の不安は十分に理解できます。昨年の春から、この問題については住民の皆様方たちが話し合いを行いまして、就学反対の要望書のようなものも出されていたと思いますが、一方、児童生徒の教育を受ける権利というものにつきましても、これは当然でありますけれども、尊重されなければならないということであります。この両方を十分に認識した上で、関係者の方々、村の当局、教育委員会、それから御父兄の皆さん方、学校当局等で十分な話し合いをやっていただくことが大切だろう。つまり、村全体の問題として話し合いをしてほしい、そういうふうに私は思い、また、助言と言うとなんですが、お願いをしているところでございます。  住民の皆さん方も、子供さんの教育を受ける権利は尊重されなければならないというのは十分御理解していただいているのですが、自分のお子さんがクラスでそういう宗教関係者の、オウムの関係の方の子弟と一緒になるということについては大変な心配を持っているわけです。現に、別のところで、松本智津夫といいましたか、長男が誘拐されたというようなことがあったり、そういう事件もあったものですから、大変に心配されているわけでございます。  埼玉県の教育委員会は今、精力的に間に入って、調整役、話し合いのための御努力をしていただいておりますし、先日も、住民の皆さんで保護者会もあったようでございますので、私は、みんなが心配し、またみんなが反対しているだけでは全然解決しませんので、十分な協議をしていただければきっと解決策も見出せるのではないか、いろいろな方法も知恵を絞れば出てくるのではないか、そういうふうに思っております。
  112. 松沢成文

    ○松沢委員 今大臣考え方をお聞きしましたが、やはり本当に難しい問題だと私も思いますし、大臣のお言葉からも、大変慎重に対応されているというのはわかりました。  いろいろな報道を見ていますと、大臣はこの問題が出てきて最初のころは、これはいい悪いを言っているのじゃないのですが、こんなふうにコメントされているのです。「現場が混乱すると、児童の勉強が影響を受ける。村教委はそういうことまで考えて慎重にやられていると思う」、ある意味で、村教委の御苦労も理解できるということですね。  それからまた、十八日ごろからは、記者会見で、もうちょっと踏み込んでいるというか、「児童生徒の教育を受ける権利は尊重される必要があるということを前提に、村内やオウム真理教の関係者の話し合いが必要だと、県教委を通じて助言をしている」と。教育を受ける権利というのはやはり大切にされなければいけないという方向で、やはりきちっとある意味では対応してほしい、村教委も大変だと思うけれどもそういう方向で頑張ってほしいというふうに、ちょっと微妙な見解の変化があったんだと私は思います。  そこで大臣、これは大変難しい問題ですが、政治家としてどう考えているかお聞きしたいのですが、この問題は、両方の言い分とも、憲法にまでかかわる問題なんですね。それこそ、教育基本法もそうなんでしょう。  片方の考えは、それこそ憲法の教育の権利というところに象徴されていると思うのです。例えば、親がどうであろうと教育の権利は子供にも保障されている、子供と親は別人格であって、親が犯罪を幾ら犯したとしても子供の権利は奪われることにまではならないという考え方ですね。  もう一つは、憲法の言う公共の福祉というものを強調する考え方でありまして、オウムの社会復帰を認めがたいという住民感情は極めて自然だ、逆に言えば、公共の福祉を乱しているオウムですね。憲法でも、すべての人権は公共の福祉によって制約を受けるんだ、教育を受けられない不幸な子女が出てしまうことになっても公権力は社会を安全な状況に保つ必要がある、社会を安全に保つには公共の福祉によって人権が制約を受けることもあるんだ、こういう考えですね。  さて、大臣は政治家として、この法治国家日本大臣として、大臣考え方はどちらの見解に近いのでしょうか。よろしくお願いします。
  113. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 私の発言の変化のようなことについてのまず御指摘がありました。  当時は、一月の末でありましたか、つまり、学校が始まる二カ月前に就学のこういうような手続をしなければならないということで、この問題が大きくマスコミにも取り上げられてきたわけであります。あの時点では、もちろんお子さんの教育は大変大事でありますが、仮に子供さんが学校に行った場合に、授業にならなくなってしまう、あるいは、これはもういろいろなことが想定されるわけでありますけれども、マスコミの方が来たり、あるいは御自分のお子さんを学校にやらない父兄が出てきたりということなどによって、学校が混乱し、授業にならないということになると、まさに公共の福祉ではありませんが、ほかのお子さんの勉強ができなくなるということを大変心配した次第でありまして、当時は、二カ月前ということもありまして、慎重に対応をお願いしたいという気持ちを述べたものであります。  しかし、私は、文部大臣という立場もありますし、子を持つ親でもありますし、考えてみますと、ではお二人の子供さんはどうなってしまうんだということであります。やはり教育を受ける権利というものは尊重されなければならないものでありますから、どうしたら授業が受けられるだろう、そういうところからいろいろ議論してもらって、知恵を出してもらう。これはほかの、お子さんをお持ちのお父さんお母さんにも一緒になって知恵を絞ってもらって、そちらの子供の立場にもなってもらって、あるいは教育委員会の立場にもなってもらって、みんなで知恵を出し、相談をしてもらわなければならないだろうということで、私の発言も、権利を尊重して、それを前提として議論してくださいというふうに申し上げたものであります。  どちらが優先ということはありませんけれども、知恵を絞っていただければきっと解決策が見出せる、私はそういうふうに信じておりますし、現にいろいろな話し合いを今進めていただいておるものですから、これを見守っていきたいと思っております。
  114. 松沢成文

    ○松沢委員 では、最後の質問です。  そこで、大臣が知恵を出してほしいと言って、村教委も、村でも説明会までやって、みんなで知恵を出して、一つの知恵が先日出てきましたよね。オウムの子が学校には来ないで、教員が訪問して授業をする。これであれば公共の福祉にも反しないし、逆に、この子女が、女の子が教育を受ける権利も満たせるじゃないか、こういう村の一つの知恵というんでしょうか、あるいは妥協案というんでしょうか、一つの提案が出てきているんですが、では、大臣は、話し合ってほしい、一生懸命話し合って、こういう結果が出ました。この対応ならばよしとしますか。
  115. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 いろいろな方法が考えられるのではないかと思っておりますし、その中の一つとして、こういうようなやり方が新聞でも報道されているのではないかと思います。  さらに話を、いろいろ協議をしていただいて、私どもも、これは、地方分権といいますか、直接的には地元の教育委員会等が御決定されることでありますが、相談等には積極的に乗っていきたいと思いますし、それから、何らかの知恵が出て、何らかの国の支援が必要ということになれば、それは当然、私どもも全面的に協力をしたいと思っております。
  116. 松沢成文

    ○松沢委員 時間です。どうもありがとうございました。
  117. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 次に、池坊保子さん。
  118. 池坊保子

    ○池坊委員 公明党の池坊保子でございます。  今まで、各議員から大所高所の大変にいい教育の審議がされておりましたけれども、私は、ちょっと具体的に、先回の大臣の所信表明を受けて、初等中等教育の充実の中で触れていらっしゃいました子ども読書年について、また、健康教育の推進の中で、児童の薬物乱用についてお伺いしたいと存じます。  その前に、九州・沖縄サミットに先駆けて、四月一日から三日まで、東京、沖縄で教育サミットが開催されることになりました。これは、昨年のケルン・サミットで教育が初めて重要課題として取り上げられまして、ケルン憲章というのが採択されました。それを受けての教育サミットではないかと思っております。  私ども公明党も、二十一世紀はすべての柱は教育ではないだろうか、各国の教育のあり方こそが二十一世紀を支えていくと信じておりますので、教育サミットの開催を望んでおりましたので、大変喜ばしいことだと思っております。  中曽根大臣はその教育サミットの議長でいらっしゃいますので、どのような抱負を持ち、そしてどのような取り組みをなさるかをちょっと伺いたいと存じます。
  119. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員お話しのとおり、本年四月には、G8によります教育大臣会議を行います。これは、昨年六月のケルン・サミットにおきまして教育の問題がサミット史上初めてテーマになり、またそこで、憲章にも取り上げられたものを受けて、ある意味ではフォローアップという形でこの会議が開かれるわけであります。  初めての試みでありまして、議長役を務めることに恐らくなると思うのですけれども、私といたしましても、この会議が成功して、そしてその成果が、G8参加国のみならず、世界教育改革あるいは推進に役立つものとなるように万全を期していかなければならない、そういうふうに思っているところでございます。
  120. 池坊保子

    ○池坊委員 G8の中で、日本は唯一のアジアの国でございます。ですから、日本の主張のみならず、私は、アジアもさまざまな諸問題を教育問題の中で抱えているのではないかと思いますので、大臣は、この間中国を御訪問になり、中国の教育事情も御視察になったと存じますけれども、それらのアジアの問題も反映し、アジアの代表としてのさまざまな提言もしていただきたいというふうに思っております。それについて、ちょっと一言伺いたいと存じます。
  121. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 アジア各国の要人といいますか、政府関係者がよくお見えになりますが、私のところには文部大臣がよくお見えになります。きのうも、モンゴルの文部大臣文部省にお越しになりました。そういう際には、必ず教育の問題をお互いに話し合うわけで、意見交換をしてきたわけであります。  お話しのとおり、先月には中国を訪問しまして、先方の教育大臣や文化大臣等ともいろいろ議論いたしました。また、河村総括政務次官も、同じく一月には、シンガポール、またタイを訪問いたしまして、両国の教育大臣と会談したところでございます。  おっしゃるとおり、アジア唯一のG8参加国として、サミットはもちろん、今回の教育大臣会合も出席をし、また議長役をやるわけでありますから、アジア諸国のそういう意見を十分にお聞きしながら、これらも会議の場で、発言の中でそういうものを尊重しながら会議をやっていきたいと思っておりますし、また、その会議の後も、そういう成果というようなものについても、必要があればそういう各国にもまた説明をしていきたいと思っております。
  122. 池坊保子

    ○池坊委員 これはいい機会でございますから、私は、日本がアジアの国々から、日本というのは教育立国なんだ、日本に学ばなければならないのだというふうな認識を持っていただきたいと思いますので、ぜひそのように方向づけていただきたいと存じます。  そして私は、このサミットに二つの提言をしたいと思っております。それは、ぜひ取り上げていただきたいのは、人権教育と国際理解教育でございます。  各国を見回しますときに、まだまだ私たちには、民族、国境、性、年齢、さまざまな越えなければならない人権問題があり、そして、それが紛争となって大きな問題をはらんでいるのではないかと私は思っております。人権問題というのは、頭で考えるのではなくて、小さいときから心で受けとめることによって、初めてバリアフリーというのができるというふうに思っております。  ですから、ぜひ、G8で集まりますときに、小さいときからの人権教育が大切だということを提言していただきたいと思いますのとともに、私たちは、他国のことに関して余りにも正しい認識を持っていないのではないかというふうに感じております。  例えば、アメリカを知っているつもりでいながら、本当の意味でアメリカをどれほど理解しているのか。また、イギリスが日本をどれほど理解しているかというと、これは大変おぼつかないのではないかと思います。  二十世紀の戦争の世紀から、二十一世紀は平和の世紀、共生の世紀にしていきたいと思うならば、私は、まず互いに認識をし合うこと、正しく認識し、その基本に立って、思想、信条の違いを乗り越えた理解を持つときこそ、初めて二十一世紀があるのではないかと思っておりますので、これを取り上げていただけたらと思っております。それについての大臣の所感をお伺いしたいと存じます。
  123. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 四月のG8の教育大臣会合におけるテーマにつきましては、事務方を中心に各国と調整をやっているところでございます。  委員指摘の人権教育、それから国際理解というものは大変重要なものでありまして、今回の会議ということだけでなくて、幅広く取り上げられるべきことであろうとも私は思っております。  今回の会合の中では、文化の多様性の中での教育というような形の議論があるわけでございまして、また、もう一つは、国際交流の促進というようなことも話し合われることになろうかと思います。そういう中で委員指摘のような問題については話し合われることになろうか、そういうふうに思っております。  それからもう一つは、四月一日、二日が東京でこの会議が開かれるわけでありますが、三日には沖縄に移動しまして、現地の方にも御参加いただいて、また、フォーラムも開催する予定であります。そういう一連の会議の中でこういう問題も話をしていったらいいのではないかと思っております。
  124. 池坊保子

    ○池坊委員 あわせて、日本には、大臣の所信表明の中にもございましたように、数多くの伝統文化がございます。これは、道をきわめるということは、世界にはございませんで、日本が今まで大切にしてきたすばらしい、生きざま、そして人生の価値観ではないかと思っております。このようなことも、ぜひサミットの中に入れていただけたらと思います。  そして、教育サミットを成功させて、この報告書を沖縄サミットにおける首脳会議に提出し、教育問題に関する特別宣言を採択できるようにしていただきたいと私は強く願っております。  次は、具体的な話で、全くがらりと変わってしまいます。  昨年十一月、総理府が全国五千人を対象にして、薬物乱用についての調査を行っております。今までは、一九九六年までは成人を対象にしていたのが、今回初めて、十五歳以上の十代の子供も対象にしております。  これによりますと、過去三年間に自分の周囲で薬物を使っている人を見聞きしたことがあるという人は一〇%、一割でございます。つまり、一割の人たちが大なり小なり薬物の影響を受けているということで、これを年齢別に見ますと、十代後半は一八・七%、二十代は一六・三%と大変高い比率になっております。若年層が日々の生活の中でじわじわとこういう薬物に汚染されているのがわかってくるかと存じます。  覚せい剤使用で警察に摘発された少年というのは、昨年九百九十六人を数えております。私も、少女のための少年院、愛光学園に参りましたときに、大変に純粋な子供たち、かわいらしい子供たちのその八割は、薬物に汚染されて、出たり入ったりしているのが現状でございました。  現行の五カ年戦略では、中学、高校への啓発、指導を中心に挙げております。しかし、総務庁が行政監察で、中学校や高校の薬物乱用防止授業は不十分であるというふうに指摘しております。文部省の手引にございます、三年間で四、五時間の基準を満たした学校は、九七年当時、調査対象の半分にも満たなかったのが現実でございます。  今大変な薬物に汚染されておりますアメリカとかイギリスでは、幼稚園の時代からビデオだとかさまざまな教科を通じて薬物の恐ろしさというのを教えております。私もこの委員会で事あるたびに、中学、高校では遅いのではないか、なぜならば、身をもって薬物というのは恐ろしいのだという気持ちを植えつけなければいけない、それには低学年からそのような教育をすべきだというふうに申し上げております。外国を見ますと、ただ保健科だけでなくて、芸術のときとか体育のときとか、事あるたびにそういうことをしているわけでございます。  この世論調査を踏まえて、大臣はどのようにお考えかをちょっと伺いたいと存じます。
  125. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 薬物の乱用の問題は、大変深刻な問題でありますし、大変重要な問題であります。  各国の状況を詳しくは知りませんけれども、各国でも、今お話がありましたように、相当の対策をとっているようであります。我が国においては、余り表には出てきませんけれども、じわじわと浸透しているような気がしておりまして、低年齢化が進んでいるものと思います。  実は、私自身も、地元のある更生保護婦人会の皆さん方からも、何年か前でしたか、薬物乱用に対する、子供に対する漫画の本がある、中学校向けでわかりやすいんだけれども、ぜひ小学生にもわかるような漫画の本をつくってくださいとか、いろいろな御相談を受けてまいりました。  それから、大臣就任前にも、青少年健全育成基本法というような、これは仮称でありますが、有害図書、有害玩具あるいは薬物等、子供たちに有害なものができるだけ触れないようにと、各県で条例があるわけでありますが、これの上に国の基本法としてのものをつくってほしいと随分多くの市町村からも陳情をいただいておりまして、衆議院でも御議論いただいていると思います。私どもも勉強してきたものがあります。  いずれにしましても、委員大変に御心配のとおり、我々もこの問題は真剣に取り組まなければいけないと思っております。  総理府の公表されましたデータについても、私もデータを持っておりますけれども、十五歳から十九歳の年齢においての子供たち、青少年でありますが、ここ三年くらいの間に自分の周囲で薬物を使っている人がいるようなことを見聞きしたことがあるとする割合が、他の年代、二十代から上より非常に多いんですね。つまり、若い層の人ほど、周りにそういうようなことが起きているとかそういう話を聞いているということでありまして、重ねて申し上げますが、情勢は極めて深刻であると思っております。  学校教育の場におきましても、我々はそういう点を十分に配慮しながら、防止教室を開いたり、あるいは広報活動を行ったり、また、先生方を対象とした研修会を行ったりしてきたところでありますが、平成十二年度においても、さらに調査やビデオの配付等もやっていければと思っているところでございます。
  126. 池坊保子

    ○池坊委員 やっていければじゃなくて、ぜひこれはやっていただきたいというふうに思っております。(中曽根国務大臣「やります」と呼ぶ)  と申しますのは、これは厚生省が出しております中学校、高校に向けての小冊子でございます。これは九百五十万部刷っておりまして、保護者に向けてやっております。これをお読みになりました保護者の方々が大変に有効であると言っていらっしゃいまして、これは厚生省がつくり、各学校に配付いたしております。  ただ、私は、これにかわるような小学校向けの、まして子供のものをつくっていただきたいというふうに思っております。  それとまた、中学校ではビデオがございますけれども、私は拝見いたしましたけれども、ぜひちょっと文部大臣にも見ていただきたいのですが、暗くて、中学生が見ますと、何か暗いだけであって余りいい印象を与えない。私は、もっと明るく健全に、でも薬物はいけないのだというインパクトのあるものをつくっていただきたいというふうに思っております。  ですから、文部大臣も大変薬物に対しては関心をお持ちということでございますので、ぜひ小学生が読みますもの、そして保護者が読みますものをおつくりいただきたいと思います。最後にちょっと、もう一度念を押させていただきます。
  127. 河村建夫

    河村政務次官 私の方から補足的に答弁申し上げます。  今御指摘いただきましたこと、特に、御指摘のように、薬物乱用がだんだん低年齢化してきたということ、小学校にも及んできたということで、これは特に小学校にも警鐘を乱打しなければいかぬということで、平成十年度の新学習指導要領におきましても、小学校の今度の教科書、体育の保健領域において、新たに薬物乱用防止に関する指導を行うことということが明示をされるようになるわけで、これで、特に小学校五、六年になるわけでございますが、このあたりから本格的にこの問題に取り組むということでございます。  また、小中学生を持つ親のために家庭教育ノートというのがございます。この中にもちゃんと「「覚せい剤には手を出さない」と、子どもが自分で決めるために。」ということがございまして、注意があります。  それから、これまで文部省も、中高生用のパンフについては毎年、十一年、十二年度とつくってきております。小学校のビデオについてはこの十一年度中に、間もなくできると思いますが、実は平成九年に高校、十年に中学、そして今度いよいよ小学校、こうなってきたわけでございまして、間もなくビデオができる。さらに、教師指導用のビデオも今作成中、こういうことで対策を講じているところでございます。
  128. 池坊保子

    ○池坊委員 ありがとうございます。  薬物防止のキャラバンカー、「ダメ。ゼッタイ。」というのがございます。これが大変に子供たちには好評でございまして、好奇心を駆り立てながら、どんなに恐ろしいかということが自然にわかるようになっております。これを小学校などで運用するのも私は確かな方法ではないかと思っておりますので、ぜひそれもしていただきたいというふうに考えております。  次に、子ども読書年についてお伺いしたいと存じます。  大臣は、その所信表明の中で、本年は衆参両院の決議により子ども読書年とされています、文部省といたしましては、関係各界の理解と協力を得て読書に関する普及啓蒙活動などの取り組みを進めていきたいと思うと述べていらっしゃいます。  昨年八月、衆参両院本会議で、子ども読書年に関する決議が採択されました。その中で、参議院は「読書の持つ計り知れない価値を認識して、子どもたちの読書活動を国を挙げて応援」と述べられ、衆議院は「政府は、読書の持つ計り知れない価値を認め、国立の国際子ども図書館が開館する平成十二年を「子ども読書年」とし、国を挙げて、子どもたちの読書活動を支援する施策を集中的かつ総合的に講ずるべきである。」としております。  まさしく、決議文にございますように、読書の持つはかり知れない価値を論議することの必要性に迫られているのではないかというふうに私は思っております。  京都大学の桑原武夫先生は、その書の中で、たくさんの本を読み、その本の粗筋はすべて忘れてしまっても構わない、だけれども、感動したこと、あるいは主人公と一緒になって泣いたりはらはらしたり悔しがったりするその心の軌跡が、大人になったときに、さまざまな問題に遭遇し、価値判断を迫られるときに大きな影響、役割を果たすのではないかというふうに述べていらっしゃいます。  平成十二年度末までに、インターネットが中学校で完備いたします。私は、インターネットが完備すればするほど、それとともに、読書をすることの大切さを教えていかなければいけないのではないかというふうに思っております。人間形成上必要な思考力、理解力、表現力、想像力などは、読書によって養われ、それが今私たちが大変問題にしております心の教育にもつながっていくのではないかと思います。  今、朝の十分間の読み聞かせ運動というのが行われております。この運動を文部省も大変に積極的に取り組んでいらっしゃいますけれども、これによって、学校に行くのが嫌だった子供学校に行くようになった、あるいは荒れている学校が荒れなくなったというような事例もたくさん出ております。  ちなみに埼玉県では、八百三十五校ある小学校のうちの三百五十二校、中学校四百二十二校のうちの百二校で朝の読書が行われております。朝の読書は、漫画とか雑誌以外の好きな本を自由に児童に選ばせて、感想文などを書かせるというような制約は一切しないで行われているということです。  これを始めまして一年たって子供たちにどのような変化が見られたかのアンケート調査をいたしております。このアンケート調査によりますと、本を読むことが大好きになったが三二%、少し好きになった五七%、一カ月に読む本が一冊ふえた三七%、二冊以上ふえた三四%など、七一%の生徒が本を読むことがふえたというふうに答えております。書店に行く回数がふえたは六一%など、読書に対する姿勢が大変に積極的になってきておりますし、朝の清掃時間を読書の時間に変えましたところ、遅刻をする子供もいなくなった、それから荒れていた学校も静かになり、そして好きな本を選ぶ過程で生徒の自主性、主体性をはぐくみ、本の登場人物や情景を思い描くことによって思考力とか想像力を養うというような教育もできたというふうな調査がございます。  文部省も一億六千万の予算を組んでいらっしゃると思いますけれども、今後どのようにそれを展開していらっしゃるかをちょっと伺いたいと存じます。
  129. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 まず最初に、子ども読書年のお話がありました。国際子ども図書館設立推進議員連盟もございますけれども、この子ども読書年が、来るべき二十一世紀世界に羽ばたく子供たちの健全な育成に資するように、各種の普及啓発事業や、それからこれを推進するグループ等の支援も私どももやっていきたい、そういうふうに思っております。  朝の十分間読書運動につきましていろいろお話がありました。授業開始前の一定時間に一斉に児童生徒が読書を行う、いわゆる朝の読書活動が多くの小中学校高等学校で行われておるわけでございます。  子供たちは、読書によって感動体験や夢を与えられるとともに、知的好奇心、それから探求心をかき立てられて豊かな感性をはぐくむことができるわけであります。昨今の読書離れの傾向の中で、こういう朝の読書やそれから読み聞かせなどの活動はとても有意義なものであると考えておりまして、読書活動が一層広がるように、私ども、学校の現場はもちろんでありますが、いろいろな機会を通じてこれを広がるよう努力していきたい、そういうふうに思っております。
  130. 池坊保子

    ○池坊委員 小学校では確かに成果を上げておりまして、一カ月の読書量が七・六冊というふうになっております。ところが、中学校になりますとこの教育が余りなされていないので一・七冊、高校生では一・三冊と激変いたしております。一カ月に一冊も本を読まなかった子供は、小学校ではたったの一一%なんですけれども、中学校では四八%、高校では何と六七%の子供が本を読まなかったという現状でございます。  私は、ぜひ文部大臣には小学校だけでなく、せめて義務教育の中学校まで本を読むことの、何か教科の中でそれを入れていただきたいというふうに思っております。もしこれに対しておありでしたらちょっと短く、これは願いでございますけれども。
  131. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員の今の御提言等を十分に踏まえて、今後も読書がふえるように努力していきたいと思います。
  132. 池坊保子

    ○池坊委員 本年の五月五日に東京上野に国際子ども図書館が開館されます。大変に喜ばしいことではございますが、子供の読書環境というのはまだまだ未整備でございます。全国三千二百六十一の地方自治体の公共図書館設置率というのは何と四九%で半分でございます。そして村は一五・八%しかない。つまり、八五%の村が図書館というのを持っていないということでございます。  文部省としてこれから子供の読書を普及していこうとお思いになるならば、より多くの、保育園とか幼稚園を初めとした総合的な読書環境というのが必要なのではないか、そういう整備が早急に急がれるというふうに私は考えておりますが、そのような政策はどのようにお考えでございますか。
  133. 河村建夫

    河村政務次官 池坊委員指摘のように、ことしは読書年で、この際にという思いを皆抱いているわけでございますが、日本の読書環境が十分かと言われると、今数字を挙げて御指摘のように、公共図書館等まだ不足でございます。アメリカあたりへ行きますと、ポストの数ほど図書館がある、こう言われておりますから、そういう面ではまだ整備をしなきゃならぬというふうに思っております。  文部省としても、学校図書館あるいは公共図書館につきましては交付税措置で自治省と一体となって進めておるわけでございまして、平成五年度から平成九年度まで五年間に、学校図書館につきましてはその整備五カ年計画を立てまして、毎年百億、計五百億の地方交付税措置を講じておりまして、図書館の整備を続けておるわけです。さらに、この十年、十一年も百億、十二年度につきましても今要請をいたしておるようなわけでございまして、それによりますと、現在、学校図書館は、平成十年三月の統計でございますが、蔵書数が、公立の小学校で一億四千七百万冊、中学校で七千九百万冊、高等学校で七千八百万冊、こうなっておるわけでございまして、引き続いて図書館の図書の整備に努めてまいりたい。  また、公共図書館におきましても同じような形でこれまでやってきておりますが、この方は社会教育に対する交付税措置ということでございまして、例えば平成十一年度では、都道府県について、人口百七十万規模の地方自治体に四千百五十八万円、市町村については、人口十万人の標準団体で一千四百一万ということで地方交付税が積算をされておりまして、それに基づきまして公共図書館の整備が今進められておるわけでありますが、平成二年度には約一億六千二百万冊が、現在、平成五年度には約一億九千五百万冊、さらに平成八年度には二億三千八百万冊と増加をいたしておるようなわけでございます。  しかし、まだまだ御指摘のように図書館の整備は進めなきゃならぬ点がございますので、自治省にもお願いを申し上げながらといいますか、一体となりまして図書館の整備にさらに努めてまいりたい、このように思っております。
  134. 池坊保子

    ○池坊委員 自治省に働きかけていただきたいと思います。と申しますのは、交付金でございますから、必ずしも図書館をつくらなければいけないということではなくて、私も調査をいたしましたところ、大変にばらつきがございます。図書館が必要だと思うようなところはたくさんできておりますが、そうじゃなくて、図書館なんかは必要じゃないというところは蔵書も大変少ないんです。それの落差が余りにも多くございますので、文部省としても適切な指導をしていただきたいと思います。  私は大変読書好きでございますので、私といたしましては、立派な公共図書館をつくることも大切でございますが、コンビニ式の小さな図書館があったらいいなというふうに思っております。子供がふらりと一人で行ける、あるいはサラリーマンのお父さんが通勤の途中に立ち寄ることができる、あるいはお母様がお買い物の帰りに立ち寄ることができる。  それのかわりをしておりますのが移動図書館ではないかと私は思います。これは七百台でございますので、まだまだふやしていただきたい。特に高齢者にとっては、移動図書館がございますことは、生涯学習というのが一番先にうたわれておりますけれども、一番手っ取り早い生涯学習の場になるのではないかと思いますので、あわせてこの増強も心していただきたいというふうに思います。  それともう一つ、国際子ども図書館というのは国立国会図書館の管轄でございますね。学校図書館というのは文部省の管轄ですから、この連携というのが必要なのではないかと私は思っております。国際子ども図書館は、インターネットやいろいろな設備がございますので、十三年度にインターネットが確実に各学校に普及するわけでございますから、学校図書館と子ども図書館をつなぐ工夫、連携をいろいろと図っていただきたいのです。それについてちょっとお伺いしたいと存じます。
  135. 河村建夫

    河村政務次官 せっかく国際子ども図書館ができます。これはまさに子供の本と子供の文化のナショナルセンターになるわけでありますから、これを活用していかなければなりません。  まず、国際子ども図書館の充実ということも急がれるわけでございますが、それにあわせて、各学校図書館とインターネットで結んでいく、これも当然やらなければならぬわけでございます。今、学校図書館情報化・活性化推進モデル事業というのが文部省事業にございます。これによって、学校図書館とインターネット、あるいは学内LANも進めていかなければなりませんが、今の、新しくできる国際子ども図書館と、さらに公共図書館とかほかの学校の図書館を結ぶ、あるいはさらに博物館、美術館とも結ぶ、そういう方向でこれから大いに進めていかなければなりませんし、平成十三年度までに、御指摘のようにすべての公立学校がインターネットに接続できる、こういう状態でございますから、これと図書館とをしっかり結びつけていって、読書をさらに進めていくツールにしたい、このように考えております。
  136. 池坊保子

    ○池坊委員 生きる力とか心の教育、それからゆとりある教育と口で言うのは簡単ではございますが、具体的にどうするかということが問題であると存じます。  その一つに、私は、先ほども申し上げましたように、みんなが本を読むということは大切な要因ではないかと思っておりますので、ぜひこれを広めていただきたいというふうに思っております。本を通して、自分が体験することのできない相手の立場とか、誇りを持って生きることとか、人間として何が大切かということを学ぶことができるのではないかと私は思います。  唐突ではございますけれども、ロケットの打ち上げ不発とか、あるいは先年起こりました原発事故に思いをはせますときに、私は、先端科学技術が日本は劣っているというふうには考えておりません。ただ、何が問題かと言われましたら、昔はたくみと言われる方たちがいらっしゃいました。つまり、職人気質というものが失われつつあるのではないかと思います。それは、ある意味では、私がいたしております道というもの、道をきわめるということにもつながっていくと私は思いますけれども、自分がやっていることに対して誇りを持っていく、自信を持っていく、そしてそれが大切であるという意識を持つということが、私は大事なのではないかと思います。  飛行機も整備員の方々の力がなければ飛ぶことができないように、その末端で働いていらっしゃる方の力、その誇りによって、ロケットがきちんと飛び、また原発も運営されていくのではないかと思いますので、そういう心の教育としての読書も考えていただきたいと思いまして、この質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  137. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 次に、松浪健四郎君。
  138. 松浪健四郎

    ○松浪委員 自由党の松浪健四郎でございます。  早朝より、大臣並びに総括政務次官におかれましては、長時間本当に御苦労さまでございます。いましばらく時間をいただきまして、幾つかのことについて御質問をさせていただきたい、こう思います。  しかし、朝から同じような質問ではつまらないという一面もございますでしょうし、大臣や次官におかれましても、重複を重ねるというのもおもしろくない、こういうふうに思われると思います。そこで、違った質問を幾つかさせていただきたい、こういうふうに思います。  昨今、日本人の英語力は世界で悲惨な状況にある、恥ずかしい、こういうお話があちらこちらから飛んでまいります。私は、決して恥ずかしいとは思いません。むしろ、日本人が英語ができない、苦手である、このことを誇りにすべきものだとも思っております。なぜそのように申すのかと申しますと、これは、日本が欧米の国々から支配されたり植民地にされなかった結果である、私はそう思っております。  日本語というのは、この国の風土がもたらした極めて重要な文化であります。そして、私たちはこの文化をいつまでも伝えていかなければなりません。日本語というのは、世界で三千あると言われる言語の中で独特な言語であり、仲間を持たない。このこともまた、日本人が英語が下手くそだという一つの証拠であるかもしれません。とにかく、てにをはを使って私たちの感情を微妙に伝える繊細な、誇るべき言語であります。これをいつまでも伝え、また大切にしていかなければならない、このように思うわけであります。  そこで、大臣の所信表明を聞かせていただきました。わずか五分の所信表明の中に二十幾つかの英単語が出てくるわけであります。国語を守り育てていかなければいけないその大臣が、親切さを欠くというか、日本語をないがしろにしているつもりはないのでしょうけれども、ちょっと苦言を呈したくなる、そう思ったところであります。  ちなみに、ほかの大臣の所信表明を見ましたところ、運輸大臣は極めて親切であります。  そこで、失礼とは存じますが、中曽根大臣に幾つかテストをさせていただきたい、こう思うわけであります。  超電導磁気浮上式鉄道、これを英語で言っていただきたい。もう一つは、超高速船。そして、超大型浮体式海洋構造物、これを英語で教えていただければと思います。
  139. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 超電導磁気浮上式鉄道ですか、リニアモーターカーですね。それから、超高速船はテクノスーパーライナー。それからもう一つ、超大型浮体式海洋構造物、メガフロートであると思います。
  140. 松浪健四郎

    ○松浪委員 正解でありますけれども、日本語では非常にわかりにくい。メガフロートと言ったり、あるいはリニアモーターカーと言った方がわかりやすい。私たちはそういうことになれてしまいました。日本語で表現しようとする努力を怠ってきたのかもしれません。  チームティーチング、エコスクール、これを日本語で訳して教えるというのは難しいかもしれませんけれども、しかし私たちは、国語を大切にする、そういう意味からは、そのような作業をも丁寧にしていかなければ日本語を将来にわたって伝えることができないのではないのか、結局は外来語ばかりの母国語になってしまうのではないのか、そういうふうな懸念を持つものであります。  したがいまして、大臣お願いしますことは、これからは、これは英語の方がわかりやすい、そういうふうに思われても、日本語をつくられて併記していただく、そのようにお話をしていただくという努力お願いしておきたい、このように思いますが、そのことについてどのようにお考えでいらっしゃいますか。
  141. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 私自身もかねてから、こういう国会での演説あるいは質疑を初め、いろいろなところで、英語というのでしょうか、こういうものが随分使われているということについては、大変に委員と同じような心配を持っておりました。  別に文部大臣という立場を離れて、日ごろそういうふうに思っておりましたが、今回、政府のミレニアムプロジェクトあるいはバーチャルエージェンシーとかいろいろな言葉がありますが、果たして国民の皆さんはおわかりになるのだろうかというような気持ちを持ちながら私自身も使っておりましたし、また、所信表明の中でもいろいろな言葉を使ったわけでありますが、全く委員と同じ考えでありますので、十分反省しながら、また私の立場もよくわきまえて、認識をして、今後、自分自身気をつけるとともに、できるだけ国民にわかりやすい言葉で、それから美しい、正しい日本語でそういう答弁や発言をするように気をつけていきたいと思っているところでございます。     〔委員長退席、飯島委員長代理着席〕
  142. 松浪健四郎

    ○松浪委員 次に、所信表明の中で、教育改革プログラムについて書かれてあります。そして、心の教育を重視するということでございます。そのためには、道徳教育を盛んにし云々、このようにございますけれども、それも一つ方法であろうかと存じますが、私は、昨今、中学校高等学校におけるクラブ活動の衰退について大変心配をしております。この特別教科外プログラム、教科外活動、これらは心の教育上極めて重要であります。  そこで、大阪府は、高等学校の授業料を値上げする、その値上げした分をクラブ活動を教えてくれる指導者の給料にするというような発表をされました。私は、文部省も、単に大阪府に任せるだけではなくて、全国の中学校高等学校でクラブ活動を盛んにするように、そして教員採用試験の折には、その採用される新しい先生が一芸を持っていて、そしてそれをクラブ活動で指導することができるということを義務づける必要があるのではないのか、こういうふうに思っております。  そして同時に、女性の先生がふえております。何も私は差別する発言をするわけではございませんが、そうしますと、産休があったりしてなかなか教えにくい教科も出てまいります。となりますれば、音楽であるとか、図工であるとか、あるいは体育といった先生方は、専科教員として採用するか、あるいは非常勤講師として使うか、これらが求められると思います。  それらについて文部省はどのように取り組まれているのか、考えられているのか、お尋ねしたいと思います。
  143. 河村建夫

    河村政務次官 松浪委員指摘のように、クラブ活動の効用というのは大きいものがあるというふうに、私も思います。クラブ活動を通して、高校生あるいは中学生等々も含めて、上下関係であるとか、あるいは人間関係、また先生との触れ合い、これは授業で得られない大きいものがある。これをさらに重視することの必要性は、私も高く認めておるところであります。  そこで、今御指摘のように、特に産休でお休みになる先生方にどう対応するか等々、そういう場合にどういうふうに取り組んでおるかという御指摘だったと思うわけであります。これにつきましては、文部省も、小学校専科指導の充実を図るための非常勤講師の配置ということで授業を持っておりまして、十二年度予算でも一億一千八百万円で、理科、音楽、図画工作、家庭、体育、この教科について特別に講師制度を設けまして、そういうときに特に配置をするということもいたしておるわけでございます。  その重要性を認めて、これからもクラブ活動が後退しないような形をとっていかなければいかぬ、このように考えております。
  144. 松浪健四郎

    ○松浪委員 次に、歌川豊国さんという方は「九十六歳の大学生」という本を書かれました。その一節に、「私は希望どおり、九十六歳の現役大学生になりました。卒業するときは、満百歳になるはずです」と。近畿大学に合格されて、そして通学されているわけであります。  大臣の所信表明の中には生涯学習の振興ということが書かれてあります。もちろん、今の高齢化社会の中にあって生涯学習には、社会人の入試、また特別枠等、各大学努力をされておりますけれども、私は、高齢者にも思い切って入学枠を設けるような指導を文部省がすべきではないのか、あるいは、サマースクールを設けて、そこで高齢者に単位を取らせて専門的な学問を身につけていただくとか、あるいは、それらはやりたいんだけれどもできないというようなお年寄り、高齢者に対しては思い切って奨学金を出すというような考え方、これらを持たれてはいかがかと思うわけですが、文部省はどのようにお考えでしょうか。
  145. 河村建夫

    河村政務次官 今の高齢化社会、そして生涯教育の観点からいって、今の御指摘は、高齢化社会に対する、一つの希望を与えるといいますか夢を与える、そういう大きな意味もあろうと思います。  私も、事前に、松浪委員の方からこういう御質問があるということで、実際にそういうことをやっている大学はあるのかということも調べてみたのでありますが、現在では、いわゆる社会人の公開講座に参加をしていただくということでありまして、シルバー向けの専門は、まだ設置されていないようでありますね。私は、これは需要の問題等もあろうと思います。今のところ、家庭主婦、一般、そういう方々が行かれる社会人の中にどうぞお入りいただきたいということで、門戸は広がっておるわけでありますが、さて、高齢者だけに集まっていただいてということが現実問題として可能なのかどうなのかという問題、その点について、まだ文部省としてもきちっとした見解を持っておりません。  ただ、これから高齢者枠を設けたらどうだという御指摘でもございますから、高齢者の皆さん方に特に、社会人の一般講座などにもどうぞひとつ高齢者の皆さんもというPRもするとか、そういうことで高齢者の皆さんが積極的にこうした公開講座等に参加できるような仕組みをつくったらいいと私は思います。  それから、途中まで勉強してその勉強を果たせなかった、さらには、年はある程度いったけれども、せっかくあそこまでやったのだから学位ぐらい取りたいんだと言われる方にはその道は開けておりますし、学位授与機構もそのためにあるわけでございますから、そういう道は私は閉ざされてはいないと思います。  いないと思いますが、さらに、そういう高齢者が進んでいかれるような道を開く、PRをする、また学校側にもそういう要請をする、そういうことは文部省としてとれる方法であろうと思いまして、今の御指摘評価いたしたいというふうに思います。
  146. 松浪健四郎

    ○松浪委員 冒頭で、国語は文化である、文化は大切にしなければいけないし、我々はずっと伝承していかなければいけない、このように申しました。  そこで、きのうの予算委員会を見ておりますと、ある女性議員が、間もなく始まる大相撲の春場所において女性の知事を土俵に上げるべきだ、このように述べておられました。相撲協会に行って話をしたらば横綱が序の口を張り手で飛ばすように相手にしてくれなかったというような趣旨の発言もございました。官房長官並びに文部大臣はまあまあ適切な答弁をしていたなというふうに私は見ておったのでありますが。  私は、かつてスポーツ人類学を専らとした者であります。その視点から述べますと、あの質問は、男性である私が宝塚に入れろといってごねているような質問であります。男女共同参画社会基本法、この法律ができました。私はこの質問でも野中官房長官に二回質問をさせていただいたのでありますが、これは、何も我々の文化を踏みにじるための法律では決してございません。  相撲というのは極めて古い身体文化であることは、古事記の中に記述されている国譲りの相撲、あるいは日本書紀の垂仁天皇七年七月七日の条のノミノスクネとタイマノケハヤの相撲から始まり、全国にいろいろな神話、伝説、これらがございます。そして、現在の相撲は、明治の時代になって初めて女性が見ることが許されるようになって今日に至っております。  一民族一格闘技と申しまして、世界じゅうに幾つもの格闘技があります。けれども、日本の相撲は物すごい多義性、独自性があります。多義性と申しますのは、相撲の起源は、まず豊穣儀礼、鎮魂儀礼、葬送儀礼、そして服属儀礼という四つの儀礼に基づいて、神占、それらに基づいて行われてきた、世界に類を見ない歴史的な格闘技であります。  そして、この現在の相撲は、なおかつ特徴を持っております。  一つは、土俵があるということであります。世界じゅうに、ここから出たら負けというルールのスポーツは、我が国の相撲をおいてございません。おおむね柔道のように、外に出れば待った、そして中に入れるというふうになっておりますが、土俵がある、これが相撲の特徴であります。  それともう一つは、第三者におしりを見せるということ、つまり、まわし姿で競技を行うということ。キリスト教では、おしりは悪魔の顔と言われて、人前にさらすものではありませんでした。なぜお相撲さんがおしりをさらすのかといえば、日本人は昔から、男性の活力はおしりに象徴されてある、このように考えてきて、全国の祭りでも男性がふんどし姿で祭りに参加する。これは、その活力を神様に奉納するという思いでやっているわけであります。  そして三つ目は、両力士がゴングや太鼓やベルの合図で競技を始めるのではなくて、あうんの呼吸で、何の合図もなしに競技を始めるという特徴を持っております。これが、極めて希有なルールと言っていいかもしれませんけれども、大きな特徴であります。  そして、女性を土俵に上げないというのは、女性は汚れがあるとか不浄なものという考え方は俗説でありまして、実は全く違います。人身御供から発した、豊穣儀礼に発した、その話をしていますと時間が終わってしまいますから割愛をさせていただきますけれども、女性を土俵に上げないのはおかしいというのは全く学問的に言いがかりでありまして、女性は遠慮すべきであります。男性は宝塚に入りたいというようなことは遠慮すべきであります。  もちろん、同列に考え、発言すべきものではないかもしれませんけれども、文化であります。その文化を、伝統や慣行を直していくんだという考え方で相撲協会が女性を土俵に上げられるとしたならば、相撲協会自身日本の伝統文化を踏みにじり、また、それをつぶしてしまうことになる、私はこう思っております。  日本の身体文化やいろいろな文化には、例えば華道、茶道、いろいろあります。剣道もあれば柔道もあれば相撲道もある。これらをやるときには、けいこという言葉を使います。外来のスポーツは、練習、トレーニングであります。けいこという言葉は、様式、形式、作法を学ぶということであります。これを英語に訳せと言われますと、なかなか難しゅうございます。私は、正確に英語で訳すことはできない、このように思っております。  つまり、これらのことは伝統美であるとか様式美というものを伝えるんだということ、そして、お相撲さん自身は、その修行をし、そして伝統美、様式美、形式美を持っている。そして、説明をするとしたならば、男性の中で最高に美しい姿である。その横に、女性と言われる美しい人が並ばれるということは、実は、その相撲で鍛えられた力士の美を否定することになる。これも一つ考え方でありますけれども、私は、けいこということでずっと様式、この国の形式、伝統、これらを伝えてきたものに一石を投じる話であったか、そうは思いますけれども、これを議論するのは、国会の場でやるのは甚だ遺憾である、このように思うものであります。  もし、優勝杯を贈呈したい、そのように知事がお思いであるならば、土俵下で拍手をすればいい。何のために副知事がいるのか。  また、十年前に、森山眞弓当時の官房長官がこれでかなり食い下がったことを覚えておりますし、私はあちらこちらのメディアに反論を書いたことをも覚えておりますけれども、非常に情けないな、そして、我が国の固有の文化を自分たちでつぶしたいのか、こういう思いを持ったものであります。  したがいまして、大臣には、相撲協会は相撲協会で独自に判断をし行動してもらう、このようにおっしゃっておられましたが、私は、非常にありがたい答弁であった、こういうふうに思っております。何もこれは質問でありませんから、答弁を求めません。  次に、質問をさせていただきます。スポーツの振興についてでありますが、大阪でオリンピックをやろうということで、招致運動が活発になってまいりました。文部大臣としてはさらにこの招致活動に協力をしていただきたいというお願いでございますが、それについての所見をお伺いしたいと思います。
  147. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 二〇〇八年の大阪オリンピックの招致につきましては、これまでも、政府といたしましても、閣議了解を行うなどさまざまな支援を行ってきたところでございます。  いよいよ招致活動も、ことしに入りまして本格的な段階になってきたわけでございます。オリンピックの招致運動というのは、招致委員会であります、この場合は大阪市でございますけれども、中心となって進められるものでありますけれども、引き続きできるだけの文部省としての支援をしていきたいと思っております。  招致については、このところ、IOCのいろいろな問題等、マスコミを通じて報ぜられてもいるわけであります。関係者の方々のフェアプレーの精神に基づく招致活動の結果、大阪市がこの二〇〇八年オリンピックの開催地として栄光に輝くことを私は大いに期待をしているものであります。  以上でございます。
  148. 松浪健四郎

    ○松浪委員 よろしく御協力のほど、お願いを申し上げます。  ことしはシドニー・オリンピックの年であります。文部省もその競技力向上のためにかなりの予算を上げているわけですが、河村総括にお尋ねします。このシドニー・オリンピックではどれくらいの金メダルをとってもらいたいなというふうに希望されているのか、お尋ねしたいと思います。
  149. 河村建夫

    河村政務次官 今まで、アトランタ大会でメダル獲得数が十四ということでありまして、金メダルはわずか三個であります。  これが日本の国力に合った数であるかということについては、いろいろ議論があるようでございます。しかし、我々としては、できるだけたくさんとっていただきたい、こう思っておりまして、出る以上は、全部金メダルを目指して頑張っていただきたい、このように思っております。
  150. 松浪健四郎

    ○松浪委員 かつて、金メダルをとったけれども、表彰台でシャンペンをまいたり、国旗掲揚、国歌演奏のときに帽子をかぶってぶざまなことがあったりというようなことがございました。オリンピック前には、総括の方から、そういうことのないように御注意もあわせてお願いしておきたいと思います。  かつて私は、有馬文部大臣に、オリンピック研究所、これをつくってほしいという要望をしました。その進捗状況について大臣にお尋ねしたいと思います。
  151. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 オリンピックに関する研究や調査を進めるべきという先生のお考えにつきましては承知をいたしております。有馬前文部大臣に対して、オリンピック研究所設置についての御質問が以前ございました。  オリンピックは、私から申すまでもなく、国際親善等にも大きな意義があるわけでございます。そういうことから、また国民にも大きな夢を与えるものでありまして、今河村総括からも答弁ありましたけれども、出場する選手には大いに頑張っていただきたい。  そういうことと関係いたしまして、国立スポーツ科学センター、こういうものの建設も進めているわけでありますけれども、お尋ねのオリンピックに関する研究等につきましては、国立スポーツ科学センター、それから既存の機関あるいは施設との連携を深めまして、そのあり方について検討を行っているところでございます。
  152. 松浪健四郎

    ○松浪委員 二〇〇二年にワールドカップサッカーが日本と韓国の共催で行われるわけでございます。私はサッカーくじ法案の提出者の一人でありますけれども、どうもサッカーがこのごろだんだん人気が落ちてきているんではないのか、本当に二〇〇二年のワールドカップは盛り上がるだろうかという心配をするものでありますけれども、思い切ってこのワールドカップにサッカーくじをやったらどうか、こういうふうに思うものでありますけれども、これについて大臣はどのようにお考えになられるか、お尋ねしたいと思います。
  153. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 二〇〇二年のワールドカップサッカー大会につきましては、今議員からお話がありましたように、委員もスポーツ振興投票法の提案議員としてこの法律の成立にも御尽力されたわけでありますけれども、この二〇〇二年のワールドカップサッカー大会につきましては、御存じのとおり、現行法においてスポーツ振興くじの対象とはなり得ないわけであります。法改正が必要であります。  法律については詳しいことを申し上げませんが、スポーツ振興投票法におきましては、文部大臣は、民法第三十四条の社団法人を全国を通じて一つに限り対象試合開催機構として指定することができる、これすなわちJリーグということでございます。  それからもう一つは、第四条で、対象となる試合は指定を受けた法人が開催するサッカーの試合とする旨、それぞれ規定されているわけであります。  このワールドカップサッカーは、財団法人日本サッカー協会、それからFIFA、これは国際サッカー連盟というのでしょうか、それからもう一つは財団法人二〇〇二年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会の三者の共催であることから、現行法をワールドカップサッカーに適用することは不可能である。そういうことから、委員せっかくの御提言でありますけれども、実現は難しい、そういうふうに思っております。
  154. 松浪健四郎

    ○松浪委員 どうも変わった質問ばかりで恐縮に存じますが、時間が参りましたので、これで終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。
  155. 飯島忠義

    ○飯島委員長代理 次に、濱田健一君。
  156. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 大臣におかれましては、相撲の土俵使用についての論議を、スポーツ担当の文部大臣として丁寧な御答弁をされなければなりませんし、また翻って、科学技術庁長官としては、東海村の難しいエネルギーの問題も論議をされなければならない。幾つものお仕事、お顔を持っておられまして、本当に御苦労さまでございます。わずかな時間ですが、少し大臣とディスカッションをしてみたいと思います。  所信の二ページに、「子どもたちを取り巻く環境の著しい変化や社会全体のモラルの低下があり、学校だけの力でこれを解決することは困難であります。このため、学校家庭地域の緊密な連携のもと、心の教育の一層の充実を図るとともに、」云々というふうに書かれているわけですが、この文章を読んだときに、心の教育をだれにするのかという方向性は触れられていないわけでございますけれども、私自身、自分を見詰めたときに非常に心が貧しい者でございますので、子供たちへの心の教育というのは当然大臣が意識してお書きになっておられると思うのですが、それだけなのか。もしかすると、大臣自身も含めて大人にもそのことを、ある意味でいうと警告として触れておられる、ないし生涯教育としての心の教育という意味合いも含めての部分なのかどうか。その辺の御認識といいますか、余り難しいことではなくて結構ですので、大臣の率直なお考えがございましたらお聞かせいただければと思います。
  157. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員も今御発言になりましたけれども、この心の教育ということにつきましては、まず子供たちにこういう教育をしていかなければならないと思っております。いじめとかそれから暴力行為などの子供の問題行動は大変憂慮すべき状況でありますし、その背景には、子供たちに生命を尊重する心とか、それから他者への思いやりとか、あるいは倫理観とか、また正義感、こういう豊かな人間性が希薄になっているのが原因ではないかと思っておりまして、まず子供にしっかりとこういうようなものの大切さを教えていくことが大事なことは言うまでもございません。  そして、これを教えるのは、ここにも書いてありますけれども、学校家庭、それから地域のみんなでこれをやっていこうということであります。また、みんなでやらなければならない、一体となってやらなければならないということでありまして、そういうことからも、やはり大人一人一人が心の教育、もう少し言いかえればモラルの問題、最近の社会のいろいろな不祥事等も、各界、こんな方までがというような方たちが不祥事を起こしているわけでありますけれども、こういう大人一人一人が、モラルの問題、また倫理観の問題等反省していかなければならないわけでありまして、そういう意味では、子供のみならず、私を初め社会全体で心の教育に取り組むといいますか、反省しなければならない点だと思っております。
  158. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 ありがとうございます。大臣の率直なお考えをお聞かせいただきまして、大変ありがとうございます。  卵が先か鶏が先かの論議は私はするつもりはございませんけれども、やはり社会全体がというか、私たち大人全体がやはりみずからの姿をもう一回何らかの鏡に映してみるということを、隗から始めよではございませんけれども、必要だろう。  年明けに、私の地域の教護院に行ってまいりました。もう卒業前の子供も何人もいるわけでございますけれども、高等学校の進学、就職等々、一生懸命園長先生初め多くの先生方が頑張っておられるわけですが、園から一回家庭に帰すと、そこでまた悪くなって、帰ってきてしまうということを、本当に涙を流すような感じで吐露をしておられました。  学校教育と教護院との関係、所管は違いますけれども、教育という場、教え諭す、守る、そういう場での担当していらっしゃる皆さんの思いというのが、端的に言うと家庭社会のいろいろな問題がやはり子供そのものに反映をしているという、現実の問題を本当に如実にあらわしているというふうに私自身も思ったところでございます。  心の教育というものを一生懸命やる、そのときに、心の豊かさというのは何なのだろうか、いつ論議をしても私自身もわからない。心の貧しさとは何なのだろうか。ではそれを、学校というところはよく評価をしたがりますが、どういうふうに評価をすれば、この子の心は豊かだ、この子の心は貧しいのだというふうになるのか。余り私自身はそのことについて評価をしないタイプの教員だったと思うのですけれども、大臣の率直なお考えといいますか、御所見がございましたらお聞かせいただければと思います。
  159. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 心の豊かさとか貧しさ、これはどういったものかということもありますけれども、今、子供一人一人のそういうものを評価するという表現をされましたけれども、私自身はいかがなものかな、そういうふうにも思っておるところでございます。  どういうものが心の豊かさかという御質問でもございましたけれども、他人のことも考えることができるゆとりとか、心が広いということ、確固とした責任感を持っているということ、社会的な弱者を助けようとする思いやりの心を持つこと、あるいは日本の伝統や文化、そういうものを大切にしようという心を持つこと、また夢や目標を持ってそれに向かって努力をしていこう、そういう気持ちを持つということなどが心の豊かさの例として挙げられるのではないかと思っております。
  160. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 まさにそのとおりだと思います。  ですから、それにアプローチするために、これ以上この問題はやり始めたら切りがないものですから、この辺できょうはやめておくのですが、だからこそ、自分自身として、今大人たちがどうなのということを問わざるを得ない。子供は、今のいびつな状況というものを、自分からそうなろうと思って表現しているわけでもなし、いろいろな行動を起こしているわけでもないんですね。結果そうならざるを得ない家庭状況社会状況かれこれが自分たちの周りにつくられてきたということが、私は先だと思うのです。  ですから、こういう論議はおもしろいんだけれども、やったら切りがないし、続けませんけれども、そのことをすぐに道徳によって、枠をはめるというのはちょっと言い過ぎかもしれませんが、道徳教育が云々だ、ボランティアがどうだという一つの形で縛るというか、形の中で教育をしていくということには、それでやったとしても絶対うまくはいかない。道徳は、日本の道徳と中国の道徳とその他の国々の道徳と、文化、伝統それぞれで違うということ。日本の道徳、日本の文化と言えば言うほど、では国際化との関係はどうなのかというふうになる。これらを、本当に時間をかけて大臣と論議をしたいなというふうに私は思います。  総合的な学習の時間についてという二番目の質問でございますが、戦後の学習形態、発見学習だ、観察学習だ、総合学習だ、何とか学習だと、いろいろな名前がつけられて、そのときそのときに研究が進み、華々しく講習会や研修会が行われてきたと思います。  子供たちを研究する方法や、子供たちの何かに到達するための学習の方法というのは、この戦後の半世紀を見ても、これが一番いいんですよというものは、結果なかった。一つ一つの時代的な要請の中で、文部省もいろいろなことを考え、現場の先生方もいろいろなことを試みてきましたけれども、結果これが一番よかったというのはなかったのではないかと私は思います。  総合的な学習の時間、おおむね新しい指導要領では二〇〇二年から本格的に導入をされますが、ことしの四月からは、移行期の中でもこれを取り入れることができる。週三時間程度ということになっているようでございます。いろいろな取り組みがなされているかと思うのですが、何をやればいいのという声もまた聞こえてまいります。大臣先生でしたら、どういうことをさせたいとお思いでしょうか。     〔飯島委員長代理退席、委員長着席〕
  161. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 この総合的な学習の時間を設けるに至った基本的な考え方というのは、内容を、今おっしゃいましたように三時間程度削減をいたしまして、その分、ゆとりといいますか、そういうものを多少持つ中で、子供たちに、国際理解とか情報、あるいは環境の問題、福祉の問題等、あるいは健康の問題等、そういうものを横断的に、また総合的に勉強してもらおうということであろうと思います。そういう中で、具体的には自然体験とか社会体験とか、そういうような体験的な学習、また問題解決的な学習を行うということがそういう中でも一番好ましいのではないかという考え方でございます。  先ほどの最初の御質問の心の問題にも関連してくるのですが、ある調査によりますと、自然体験とか社会体験とか福祉体験をした子供ほど、道徳的な道徳心といいますか、そういうものが高いという調査結果もあります。そういう意味で、単に教科について勉強するだけではなくて、幅の広い、まさに心の豊かな子供になってほしいというところから、こういうような総合的な学習を設けたわけでございます。
  162. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 ゆとりの時間というものが、現在、学校教育、公教育の中で取り入れられているわけでございますが、このゆとりの教育も、エリアのないさまざまな角度で、教師の創造的な子供への教材提示や仕込みによって運営をされていると思うのです。ゆとりの教育と、今度の総合的な学習の時間、ゆとりの時間というのは週一時間だったと思うのですが、枠が広がっているという時間的な違いがあるとは思うのですけれども、この違いがございましたら、教えていただきたいと思います。
  163. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 ゆとりの時間というのは、委員承知のとおり、昭和五十二年の学習指導要領の改訂の際に、標準授業時数の削減によりまして生じた時間で、各学校の裁量によって自由な教育活動を行うことができるようにしたものでございます。総合的な学習の時間の方は、教育課程の基準として一定の時間を配当して、各学校が創意工夫を生かして自主的にカリキュラムを編成することができるようにしたわけでございます。
  164. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 わかりました。  ゆとりの時間もそうでしたし、今度の総合的な学習の時間、大臣の所信の二ページから三ページの間にも書かれておりますとおりに、「学校におきましては」というのが主語になっているのだろうと思うのですが、「ゆとりをもってわかる授業を行い、子どもたちに達成感を味わってもらえるよう努めます。」というふうに書かれております。  私は小学校教員でしたので、中学校高等学校はよくわかりませんが、朝、学校に八時前に出勤をする。そして、授業が始まる前にいろいろなその日の準備をする。授業が始まると、五分、十分の移動時間以外は、ほぼ一日五時間、六時間、小学校学級担任制のある教師は授業をやる。昼休みは四十五分間ございますが、子供たちの出してきた宿題を見る、生活ノートを見るという時間に費やされる。放課後は、学校のいろいろな係を背負っているとその係の仕事が入る。  何を申し上げたいかというと、つまり、仕込みの時間というのがほぼ絶望的に教員という世界には、日常生活の中ではないということを大臣は御存じだろうと思います。  だからこそ、公的な研修もございますし、夏休みとか冬休みとか春休み、特に夏休みというところで先生方には研修をまじめに積んでいただいて、日常の授業、子供たちの指導等々に役立たせるということが当然大事なことになっていくわけでございます。  どうなんでしょう、大臣大臣一つ文部大臣というお仕事をされるに当たって、仕事の中身は全然違いますけれども、多くのサポーターがおられます。お隣には河村総括政務次官もおられます。役所の中にもたくさんおられます。学校の、少なくとも小学校教員にはそういうサポーターというのは、私の経験でいうと、いない。じゃ、きょうは自分のクラスで何かをやろう、例えばこういうパネルをつくりたい、こういう道具をつくりたいというときに、いないんですね。ほぼいない。  だから、残業手当はないけれども、調整額四%というものはあるけれども、五時以降に、何回も、何時間も残って、例えば、密室になってしまう学校に、女の先生だけが八時も九時も十時も残って仕事をやるということが現実的な状況になってしまう可能性もあるわけでございます。きょうはそこがどうこうは申し上げませんけれども、そういう大臣のおっしゃるような総合的な時間をつくっていくために、教師はどう変わらなければならないとお思いでしょうか。
  165. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 教師の方々は、今委員おっしゃいますように、確かに大変だろうと私は思います。  もちろん教科を教えるということに際しては御自分もいろいろ準備もしなければなりませんし、また学級崩壊と言われる、あるいは校内暴力、いじめ等、学内でのいろいろな問題についても気配りをし、また対応をとらなければなりません。また、御自分の専門とする科目、学問等についての勉強もしなければならないということで、基本的に大変だと思いますし、また、それだけ大変重要な仕事をやっていただいているわけでございます。  御質問の、総合的な学習の時間の実施に当たりましては、教員方々は、この総合的な学習の時間の趣旨、ねらいにかんがみまして、やはり自分の専門の教科や、それから学級担任などの枠にとらわれることなく、全教職員協力してこの時間を有効に使うということが大事で、また協力して指導に当たるということが期待されていると私は思います。  したがいまして、さっき申し上げました体験的な活動とか、それから地域に関する学習などを行うに当たりましては、先生方のみならず、保護者や地域の人々の協力も得て、一体となって活動をやって、それを豊かなものにしていくことが大事であろう、そういうふうに思っております。
  166. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 かつて信州で恵那の教育というのが一時期いろいろありました。総合的に、例えば一年間ヤギを自分のクラスで飼って、そのことが有機的な、生き物を中心としながら国語や数学や保健体育や美術含めていろいろな形で動いていく、この総合的な時間というのは、本当に教師が独創的なカリキュラムをつくっていける、まさにカリキュラムの自主編成のスタートだろうと私は思っております。  大臣言われましたとおりに、私は、とにかくばらばらに動いていってはどうしようもない世界でもありますので、決まりというのはあるわけですが、ここに書いてある本当のゆとりというのは何なのかということを、文部省も、そして学校の現場も、先生たちも、子供たちも真剣に考える。決して先生がサボっていいとか子供たちに楽をさせるという意味ではなくて、いい意味での遊びのない世界というのはいろいろないい結果を生み出さないという人間世界の常識をきちんとやっていけるように、私たちはしっかり見守っていきたいなと思うところでございます。  最後に、学校評議員制度でございます。  学校というところは、当然、先生方を中心として、子供たちがいて、保護者がいて、その周りに地域の人がいて、PTAがあって、同窓会があって、いろいろな団体があって、いろいろな形で学校を見守りながら、端的に言う子供たちの健やかな賢い成長を願っているというふうに思うわけです。今回学校評議員制度というものが取り入れられるというのは、そのことが学校に対してプラスな側面を、法的な縛りはないけれども、生み出すということを期待されているようでございますけれども、ややもすると主体が客体になってしまって、外側からの声が主になってしまう可能性というのが、学校というところは非常にあります。  そういう面からいって、大臣は、この学校評議員制度が導入されるに当たって、どんなよい影響を子供たちに与えるために制度化されたのか、その辺の趣旨をお伺いして、質問を終わりたいと思います。
  167. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 学校評議員制度につきましては、学校がより地域に開かれた、そういう学校となるように、そういう観点から、学校地域の実情に応じまして、一つは、保護者やそれから地域住民の意向を把握して反映をしながら、そしてもう一つは、そういう方々協力を得ながら学校運営を図っていくための新しい制度でございます。また、学校運営の状況等を周知するなどして、学校としての説明責任を果たしていくことができるようにするものでもございます。  これによりまして、学校が、学校のさまざまな活動について、保護者や地域住民の理解と協力を得ながら、地域に根差した、そして開かれた、また特色ある教育活動が展開できるもの、そういうふうに思っております。  また、家庭地域の皆さん方も学校状況をよく知ることができ、また、それらの意見が反映されるということもありまして、総合的に学校というものが、子供の健やかな成長のため、また教育のために、大きく今以上の役割を果たすようにこの制度を導入することによってなるのではないか、そういうふうに期待をしているところでございます。
  168. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 ありがとうございました。
  169. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 次に、石井郁子さん。
  170. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。  同僚議員の御質問と重なる点があるかと思いますが、幾つか質問させていただきます。  まず初めに、文部大臣の所信表明で述べられました教育改革についてでございます。  先ほどの質問でも、教育改革国民会議と中央教育審議会とはどう違うのか、何を議論されるのか等々の質疑があったかと思いますけれども、私も、大臣所信は十八日だったと思いますが、朝日新聞の記事を見てびっくりしたわけであります。朝日新聞の夕刊でしたけれども、そこでは、文部大臣教育改革教育基本法の見直しを並行して進めるという考えを示したという紹介、そして、教育基本法見直しを含めて教育のあり方を文部大臣が中教審に諮問することを正式に表明したというふうになっていたわけでございます。  先ほど文部大臣は、正確ではなかったというお話でございましたけれども、私も所信表明を伺って、どうしてこう読めるのかというのは率直に思ったのです。国会あるいは政府のいろいろな流れの中でこういう読み取りもあったのかなというふうに思ったのですけれども、改めてお伺いをさせていただきます。  文部大臣は、中央教育審議会に対して教育基本法見直しについて諮問されるのかどうか。それから、「近いうちに必要な議論をお願いする」というのがこの所信の中にございますけれども、その内容は一体何なのでしょうか。その諮問の内容を、この際お伺いをいたします。
  171. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 私の先日の所信の中の中央教育審議会の審議についての新聞報道をもとにした御質問でございました。  委員もお読みいただければおわかりになりますように、私自身は、ここで述べておりますのは、教育改革について、中央教育審議会においても近いうちに必要な議論をお願いすることを考えております、そういうつもりで述べたわけでございまして、教育基本法についてここでの審議をお願いするというふうに述べたわけではございません。そういうことから、正確性に欠ける記事ではないか、そういうふうに思っております。  教育改革国民会議の方は、けさからも、また予算委員会等でも御説明させていただいておりますけれども、総理が中心になりまして今後この会議を立ち上げるということでございまして、戦後五十年の日本教育を総点検しながら、そしてこれからの教育理念的なものを議論していただくと同時に、さまざまな教育の問題もあるわけでありますから、そういうものについても御議論をしていただくことになるのではないかと思っております。  しかしその前に、幅広く国民の皆さん方の御意見をまず伺ってみて、国民の皆様方がどういう点に関心をお持ちでどういう御意見を持っているかということをよく伺った上で、参考にしてテーマを決めたいという総理のお考えもございます。  教育の問題は、本当に奥行きも深いですし、幅も広いですし、一朝一夕に改革ができるものでもありません。そういう意味で、けさほどから先生方から、テーマはどういうものかとか、もうちょっと主体性を持ってやるべきであるとか、遅いではないか、まあそういう表現はございませんでしたけれども、多少そういうような感じの御意見もございました。  私どもといたしましては、設置をしたらまずじっくりと御議論をしていただきたいと思っているわけでありまして、そのためにも、テーマやメンバー等についても国民の皆さんの御意見を伺いながらやっていきたい、そういうことでございます。  中教審における審議事項につきましては、教育改革国民会議は総理が主体でつくるわけで、中教審の方は文部大臣諮問の機関でございますので、教育改革国民会議の動向を勘案しながら、これでの審議のテーマについては考えていきたい、そういうふうに思っているところでございます。
  172. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それでは確認をいたしますが、中教審では教育基本法の問題は議論をしない、あるいは見直しなどを諮問はしないということを確認できますね。  これは当然、文部省設置法に基づいて中教審が設置されるわけでして、やはり憲法、教育基本法のもとでの調査審議事項というふうになるわけですから、そもそもできるはずがないというふうに思いますから、今の御答弁は、中教審には教育基本法の見直しなどは諮問しないということで、まずよろしいですか。
  173. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 委員教育基本法の見直しという言い方で御質問をされておられるわけでありますけれども、まず教育基本法についての議論が起こるかどうかということは現時点ではわかりませんけれども、こういうことも大切ではないかと私は申し上げているところでございます。  それから中教審でのテーマということにつきましては、先ほどから申し上げておりますように、教育改革国民会議で何を議論するかということを踏まえて中教審でのテーマを決めていくということでございます。したがいまして、現時点では、中教審においても今後どういうことを御議論いただくかということについては白紙であるわけでございます。
  174. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は大変重大な発言だというふうに伺ったのですね。  教育改革国民会議の方では教育基本法も含めて大いに国民的な議論をするし、して結構だという話かなと思っていましたら、その教育改革国民会議を受けて、中教審でも教育基本法についても議論することはあり得る、どうも今そういうお話ですよね。そういうことでいいですか。
  175. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 教育改革国民会議と中教審は別であります。しかし、同じ教育の問題を議論するわけですから、全く別々のことを議論するということでもないと思います。  それから、このテーマにつきましては、現時点では、私、白紙でございますと申し上げたわけでありますけれども、いずれここの審議会で御審議いただくテーマについては検討をし、決定をしていかなければならないと思っております。  なお、教育改革国民会議は大きなテーマを、あるいはこれから何になるかわかりませんが、議論いただくわけでありまして、その中でいろいろ議論された結果から、中央教育審議会あるいは別のところでさらに議論をしてもらうのが適当であるというようなことも出てくるかもしれません。そういう意味で、この中央教育審議会の審議のやり方というものにつきましてはまだここではっきりとどういうものと申し上げられない、そういうふうに申しているところでございます。
  176. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私が伺っていますのは、要するに教育基本法の問題を中教審が議論できるのかと聞いているのですよ。これはもう、教育基本法体制下でできている審議会ではないですか。文部省設置法のもとでできている審議会でしょう。そこでその教育基本法を見直すということはどういうことですか。自己矛盾も甚だしいでしょう。まさに法の逸脱ということにもつながるし、それはあり得ないのではないでしょうか。  文部大臣がそういう認識であるということは、私は本当に驚きなんですね。大変重大だというふうに思うのですが、はっきりさせてください。教育基本法を中教審で議論されるのかされないのか、端的にお答えいただきたいと思います。
  177. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 議論するかどうかは、現時点ではわかりません。それから、教育基本法について中教審で議論はできないということはございません。  ですから、先ほどから教育基本法についてお尋ねでありますけれども、教育改革の中の幅広い議論の中で教育基本法も議論が出てくるであろうというふうに申し上げたのでありますし、国民会議の中でそういう議論が出てくるのか出てこないのか、あるいは中央教育審議会でどういうテーマを扱うのか、現時点ではまだ白紙でありますと申し上げているところでございます。
  178. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 国民的な議論として、あるいは国民の間で教育基本法について議論をするというのは、あり得ることだし、あっておかしくないわけですけれども、今、限定しているわけですね。文部省設置法のもとの中教審でこれをちゃんと議論にのせるというのは、本当に初めて伺う話ですよ。  先ほど来、臨教審のときも問題になりましたけれども、ちょっと聞いてください、あのときも、文部大臣の答弁は、我が国の教育制度全般に通ずる基本理念だ、その原則を明示したものだ、だから臨教審も教育基本法の精神にのっとって設置されると、わざわざ教育基本法を入れましたよね。それはやはり、教育基本法をそういうものだというふうに認識をされ、位置づけているからじゃないですか。これは当時、八四年の森文部大臣の御答弁ですよ。  ですから、この答弁と違いますよ。違うのですね。中曽根文部大臣は森文部大臣の答弁と明らかに違う答弁を今されたということです。教育基本法を中教審で見直しをするという御答弁として確認できるというのは、これは本当に今までの答弁を大きく踏み外すものですよ。いいのですか。
  179. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 先ほど臨教審と中教審の関係を申し上げましたのは、両方とも審議会でありますと。したがいまして、同じテーマの審議をする同じ審議会でございますから、臨教審開催の、三年間でございましたか、中教審の方は休止をしていたわけでございます。今回は、まだ国民会議の位置づけは決まっておりませんが、中教審の方は文部大臣の諮問により審議を行う機関でございまして、先ほどお話がありましたけれども、教育基本法についてもそこで議論してはいけないということはございません。  ただ、私が白紙と申し上げましたのは、教育基本法そのものについて中教審に審議をお願いすることは、現時点では考えてはいないということであります。
  180. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は、やはり文部大臣としては本当に、教育基本法を変えるつもりはないと、そういう立場で御答弁をされるべきだというふうに思うのですが、そういう御答弁できませんか。
  181. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 申しわけありません。もう一度御質問お願いできますか。
  182. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 もう一度御質問をしてください。
  183. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 文部大臣としての教育基本法に対する考えを伺っているわけです。
  184. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 教育基本法は昭和二十二年三月に制定されたものでありまして、いわば教育の憲法ともいうべき基本的なものを示したものでありまして、大変重要なものであります。その前文、第一条の目的の中におきましても、教育のあるべき方向性をしっかりと明示しておりまして、私は、この教育基本法の戦後の教育で果たしてきた役割は大変大きいと思っておりますし、そういう結果、教育水準も上がり、また世界の主導国にもなり、経済的にも発展してきたものと思っております。  ただ、時代も、制定から五十数年たちまして、現場では、いじめの問題とか学級崩壊の問題とか校内暴力とか不登校とか、そういうさまざまな問題もありますし、それから、ちょうど時代の変わり目ということもあり、あるいは農業基本法や中小企業基本法や、また憲法まで今議論されているという時期でございますから、教育基本法についても幅広く議論していただくということは大切なことではないかと思っておるわけです。  そして、さらに、いろいろな方々の御意見でもありますけれども、今の教育基本法の中には、日本の歴史とか文化とか道徳教育とか、そういうものに対する記述がないとか、あるいは今当たり前となっている男女共学、こういうものの規定が五条でわざわざ書いてあるわけでありますが、そういうような御意見がいろいろあるわけでございまして、私は、今の時代に合ったものかどうか、また、本当に日本人としての教育基本法となっているかどうか等、タブー視することなく御議論をいただくということは大変に大事なことである、そういうふうに思っております。
  185. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 きょうは時間の関係上、教育基本法をどう見るとか、その内容についての議論には入れないわけでございますけれども、私は、本当にそういう大臣の認識については根本から異議を唱えたいというふうに思っているわけです。  それと、言われましたように、現実に今、学級崩壊やいじめや暴力や、本当に痛ましいというか深刻な実態がいろいろございますけれども、この実態が教育基本法を変えるという理由には、私はどこにもならないというふうに思っているのです。むしろ、教育基本法の精神をきちんと守った教育行政がされてこなかった、そのことに問題があるというふうに私は思っておりますので、その辺はこれから大いに議論がされなければいけないことだというふうに思っていますが、そこはおいておきまして、次に、教育行政の具体の問題でお話をさせていただきます。  まず、教職員の配置でございますけれども、先ほどもこれも出ていましたけれども、来年度予算、今審議中の予算でようやく教職員の配置改善の第六次計画が終了するわけですが、問題は、二〇〇一年度からこの計画をどうするのか。先ほども、概算までにはという話はちらっと出ておりましたけれども、文部省として、次期計画はどのように検討されているでしょうか。
  186. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 今後の学級編制、それから教職員配置のあり方などにつきましては、委員も御承知と思いますが、教職員配置の在り方等に関する調査研究協力会議、ここにおきまして、中教審の一昨年九月の提言内容を基本として、また諸外国の実情、実態等も参考としつつ、教職員配置と定数のあり方や、それから学級規模、また学習集団のあり方などについて検討を進めているところでございます。  文部省といたしましては、この協力会議の検討を含めて、今後新たな施策に着手できるよう準備を進めていきたいと考えているわけでございます。  まだ一定の結論を得るには至っていないと承知をしておりまして、現時点でその報告等の時期等についてはここでは申し上げられない状況でありますけれども、平成十三年度、二〇〇一年における新しい政策並びにいろいろな政策ということを考えますと、遅くともこの夏の概算要求の時期前には一定の結論をいただかなくてはならない、そういうふうに思っているところでございます。
  187. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 調査協力会議はもうかれこれ二年近くになろうかと思うのですね。皆さん、いろいろ地方自治体も含め、関係者を含めて、やはりその報告結果を待っているというふうに思うのです。その報告が出されて、すぐ概算じゃないですか。だから、国民的にはその調査協力会議がどういう報告になるのか、それについてのいろいろ意見もあるでしょう。そういう点では大変、概要を見せないという点では、どうも文部省はおかしいですよ。  それから、調査協力会議の議事録もインターネットにも入らないということで、全然見えないわけです、国民からすると。もう当然、次の計画を文部省はいつ発表するのか、出していいのじゃないかということになっておりますから、その辺はちょっと言っておきます、近く出すだろうということですが。  その中に、少人数学級というのは、私は世界の流れだというふうに思うのですね。先ほどもちょっと質疑の中で出ておりましたけれども、文部省は一貫して教育効果があるのか疑問だという言い方をされているのですけれども、協力会議の中でこういう少人数学級教育効果については議論されているでしょうか。これは端的にお答えください。
  188. 河村建夫

    河村政務次官 当然、少人数学級の効果、また世界の、中教審等の答申でも、いわゆるヨーロッパ、欧州並みに近づけるように努力をという話も来ておりますし、ただ、前の有馬文部大臣の答弁の中にもありますように、それでは、例えば三十人学級にしたらすべて、効果は全部上がるものかということについては、いろいろ疑義を挟む専門家もいらっしゃるということであります。しかし、全体の流れはそういう方向にあるということは、私も、文部省の政務次官を拝命いたしまして特に強く感じておるわけであります。  それに向けては、財政的基盤はどうあればいいのかとか、いろいろな具体的な検討をしなければいけない問題、特に第七次をどうするかというのは、これから財政再建路線も考えられるわけでありまして、非常に厳しい状況下にあるということも念頭に置きながら、願わくば、教育についてはシーリング枠がどうとかそういうことなしに、やはり教育はこれからの日本の国の将来を担う大きな投資であるという基本的な考え方に立ったもので、予算獲得等について文部省としては、私、大臣ともお話をしているのは、やはりこの際、大胆な計画を立てるときに来ているのではないかというふうに思っております。今、内部で、いろいろな検討を待って大臣と政治的な判断をしなければいけないのではないか、このように私は思っております。
  189. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 今伺ったのは、協力会議教育効果についての調査や検討は、とりわけ調査ですね、調査としてされているのですかという質問なんです。答えはイエスかノーかで、もう、しているかしていないかだけで結構です、ちょっと時間がありません。
  190. 矢野重典

    矢野政府参考人 先生がおっしゃいますような、実践的な意味での調査は行っておりません。
  191. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は、予想できたのですけれども、改めて本当に残念に思います。それでどうして少人数学級をやることがいいかどうかという結論を出せるのですか。やはり調査が先になければいけないですよ。  その点で言いますと、私は、やはりアメリカはアメリカなりに努力しているところを非常に最近感じるのですよ。よく大統領の一般教書で教育問題に触れていて、教師の十万人計画だとか少人数制に踏み出すということで、三年続けて言われていますよね。その裏づけがやはり調査なんですよ。  これはテネシー州の調査なんですが、もう十年にわたって、十五人のクラスと二十五人のクラスと、それから補助教員がついた、文部省がお好きのTTという二十五人のクラスと、三つに分けて、特に算数と国語でずっと調査をしているのですね。そうしたら、明らかに十五人学級では学力は上がると。まあアメリカはアメリカ独自の、非常に基礎学力を上げなきゃいけないという、ちょっと日本とは違った問題意識はありますけれども、しかし、やはりこういう調査をしている。それに基づいてやはり政治が物を言っている。やはりこういう立場に文部省が立たなければ、どこが立つわけですか。そういう意味で、私はぜひ、ちゃんとしたそういう調査に基づいて次の計画を立ててほしいということを強く申し上げておきたいと思います。  それともう一点、この教職員の問題で、きょう、特殊教育学校の定数問題あるいは標準法の問題で質問をいたしたいと思うのですけれども、今、二つ以上の障害を持っている子供たち、あるいは重度の障害児、大変増加の方向にあるわけですね。知的障害と病弱だとか、あるいは多動をあわせ持つだとか、肢体不自由と病弱だとか、いろいろあるかというふうに思うのです。それで、この重複障害の子供たちへの教育というのは、これはこれとして本当に行政が手厚くやらなければいけないし、父母や教職員の皆さんも努力されていると思うのですが、実は、こういう問題が今あるのですね。  特殊教育学校も単式学級学級編制の基本としているのですが、例外として、重複度障害学級のみに複式学級、これは二つ以上の学年にまたがって生徒の合計数が三人以下の場合は一クラスにしてもいいということがあるのです。今、これは大阪で幾つかの学校であるのですけれども、例えば、学年に二人ずつであれば二学年で四人になるから、ここでは学年ごとでやると二つのクラスというふうになるのですけれども、それを全部どんぶり勘定にして、足しまして三で割る、一年から六年までというふうにするわけです。これは、大阪だけではなくて、全国的にもあるかもしれません。  こうすると、明らかに学級数は、その標準法で計算したよりも下回るわけですよ。少なくなるのです。二つ、三つというふうに少なくなるのです。それで、教師の定数が出るということです。こういう標準法どおりでない学級編制がやはりあるという事実については、文部省は把握していますか。
  192. 矢野重典

    矢野政府参考人 お答えいたします。  事実について把握をいたしておりまして、特殊教育学校における学級編制につきましては、先ほどお尋ねの重複学級に関しましては、二以上の学年で編制することができ、そうした複式編制の場合も含め、一学級三人以内で編制すること、また、それ以外の学級につきましては、学年ごとに六人以内で編制することが標準法上定められているところでございます。  そこで、御指摘の大阪府におけるような重複学級の編制のあり方についてでございますが、これは一般的には、先ほど申し上げました標準法の内容、すなわち重複学級学級編制は三人を超えないこと、また、その場合、二以上の学年で編制することができることという標準法の趣旨、内容に照らしまして、大阪府の編制の仕方は、これは私ども、都道府県の裁量の範囲内にある事柄であるというふうに考えているところでございます。
  193. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 これは文部省の方も、学級編制を弾力的に運用できる、あるいは都道府県の範囲だということで見ているかというふうには思うのです。しかし、明らかに、その標準法どおりでやる計算と違うという部分と出てくるわけです。これは、障害児の関係者の方々は、こういう弾力的な運用というのは結局条件を下げるものにつながるという点で、やはり障害児も標準法を守って法のもとの平等を保障すべきだという考えが強く出ているわけですね。  私はきょうはそういうことで言っておきますけれども、やはり都道府県が標準法を厳格に守る、あるいは、守って学級数、教員定数がそういう形で文部省に出されるということがあれば、文部省としては当然財政負担をするということは認めていいですね。それをちょっと短くお願いします。
  194. 矢野重典

    矢野政府参考人 そのとおりでございます。
  195. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 いろいろな問題がありまして、ぜひその辺もよろしくお願いをしたいというふうに思います。  さて、あと最後の時間で、きょうはちょっとテーマをがらりと変えまして、国民体育大会、国体の問題で、経費、運営の問題を少しお尋ねをいたします。  国民体育大会、五十五回目で、ことしが富山、再来年が高知ということで、先日冬季大会も終わったばかりなんですけれども、この国体は、文部省日本体育協会、それから開催都道府県の三者が共催で開くということでずっと戦後持たれてきたかというふうに思うのです。  しかし、ここ数年の間に、この存在意義、運営をめぐっていろいろ疑問の声も出されているわけでございます。これは一昨年、九八年に、高知県知事の橋本大二郎さん、今は何か知事の発言がいろいろ話題になる時期でございますけれども、国体が世界記録を競う場でない以上、地域のサイズに合わせた国体とすればいいという発言が、新聞紙上をちょっとにぎわわせました。  それと前後して、九八年八月六日に国体開催地、開催内定地の県七県で、文部大臣日本体育協会あてに要望書が出されているのですね。この七県は、神奈川、熊本、富山、宮城、高知、静岡、埼玉と、もう既に終わったところや今かかっているところもありますけれども、その要望の一つは、国体運営の簡素効率化に積極的かつ具体的に取り組むこと、二つ目が、国体の運営に対して共催者として応分の負担を行うことというものでございます。  それで伺いたいのですけれども、その共催者の一つである都道府県から連名で要望書が出される、これは、国体の歴史上ちょっとなかったことじゃないでしょうか。文部省では、こういう要望が出てきたということをどう受けとめていらっしゃるでしょうか。
  196. 河村建夫

    河村政務次官 石井委員指摘のとおり、要望書が出ております。国体の簡素化、またその応分の負担をということが主な点であります。国体がこれまでずっと開催されて五十年経過をいたしまして、いろいろな社会的な情勢も変わってきたわけであります。また、昨今の経済事情、東京都の例を見るまでもありませんが、各県の経済事情も非常に逼迫してきたということでこういう要望が出たものと、文部省としても受けとめておるわけでございます。  現在、開催県、体育協会、そして文部省と、国体はこの三つの共同開催の形をとっておりますが、どうしても開催県にウエートがかかってきております。今、この三者の協議をやっておるところでございまして、この一つ方向を見て、文部省としての取り組みを考えていかなければならぬ、今、文部省考え方はそういう立場に立っております。
  197. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 どうも少しすっきりしないのです。やはり文部省と体協に対して開催県の方から要望が出ているわけですから、その協議会でいろいろ御協議されるということはあるかと思いますが、もう既にこの夏で二年になろうとするわけで、いつごろ文部省として、あるいは体育協会として回答されるのでしょうか。あるいは、どういう内容で御準備されているのでしょうか。
  198. 河村建夫

    河村政務次官 まだ、検討がいつまとまるという時期に来ていない、具体的にいつなら結論が出るという状況にございません。開催も迫っている県もあるわけでございますし、できる限りこれも早急に取りまとめをしなければいかぬ、こう思っております。  国の財政もこういう状況でありますから、できること、できないこと、あるわけでありますが、今真摯な討議をしておりますので、早急にその結論を待ちたい、こういうふうに思っています。
  199. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 少し具体的に聞いてみたいと思うのです。  やはり共催者として応分の負担をという要望がなぜ出ているかということなんですけれども、国体経費の規模あるいは国の補助について見ますと、これは文部省から資料をいただいたのですけれども、競技施設の新設費を除いた大会運営にかかわる事業費というのはずっとふえていまして、ずっとこの間、愛知大会でも三十三億六千万とか、福島大会で二十八億二千六百万とか云々ずっとありまして、大阪大会でも三十六億二千八百万、神奈川大会で三十九億四千万、平均大体三十四億円ぐらいかかっているわけですね。これに対する国の補助というのは、この五年間もう一律でして、三億五千八百万円です。私は、この少なさにもちょっと驚いたのです。  都道府県というのは、財政力もスポーツ人口も競技施設も、いろいろ違いますよね。そういう中で、その事業費の九〇%を負担しなきゃいけない。これは事業費でありまして、新設の競技施設をさらにもっとつくらなきゃいけない。それはまた別なんですよ。それは、都道府県のいろいろお考えもあるのですけれども。  というふうに考えますと、こういう事業費の総額というのは適切なんだろうか、あるいはお金がかかり過ぎるんじゃないかというのが、いろいろ声が出てくるのは当然であります。それに対して国の補助は余りにも少ないじゃないか、これが三者共催なのかというふうになるわけで、この辺で、文部省として、開催地の財政規模、状況を考慮して弾力的な運営にするとか、あるいは補助率を上げるとか、そういうことは考えていらっしゃるのかどうかということをちょっと伺います。
  200. 河村建夫

    河村政務次官 今協議をされておるわけでありまして、その中には今御指摘のような御意見もあることも踏まえて、最終的な討議の結論を待って考えるということであります。
  201. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 簡素化、効率化の問題なんですけれどもね。だから、競技施設の整備にかかる費用というのは大変なものだ、都道府県の持ち出しになるということで、先ほど河村さんもおっしゃったように、財政が圧迫されているわけです、もう内容は申し上げませんけれども。  文部省としても、その点では、国体の競技施設は既存の施設をできるだけ使用することとか、そういう通達も出されているわけで、それは大変いいことだと思うのですけれども、やはりここには二つ問題がありまして、国体を機に、地方としては競技施設をいっぱい立ち上げようとかつくろうという話があるかというふうに思うのですね。そういう地方自治体のお考えもあるでしょう。ただ、もう一つは、国体の開催基準の細則あるいは競技施設の設置基準、これがやはり大変、枠としてというか、あるのですね。だから、既存の施設では国体競技の基準に合わない、それで新築、改築、あるいは改修等々をしなきゃいけないという問題があるのです。  この辺で私は、これは文部省からいただきました開催基準要綱、その要綱、細則と見ますと、それはもう本当に大変なものですね、事細かに。もちろん、これは競技スポーツもあるわけですから、きちんとルールや条件がないとできないというのはあるとは思うのですが、相当なものです。だから、それを全部地方自治体が守らなければいけないとすると、えらいことになるんだろうなというのは予想がつくわけであります。  それで、一つ伺いたいのですが、こういう開催基準要綱あるいは細則というものの中に、競技施設は簡素に努めるとか、あるいは既存の施設で間に合うようにするだとか、いろいろなこと、そういうことができないのかどうか。ちょっと、そういう柔軟な対応というのはあり得ないのかどうかという点を一点、伺いたいのでございます。
  202. 河村建夫

    河村政務次官 これまでも開催された中で、一〇〇%このとおりでなきゃいかぬということもないわけでありまして、柔軟な対応もしてきておるわけでございます。大阪の国体のときは、カヌーが五百メートル必要ということになっていますが、これは四百メートルしかとれないということで、それで実施したという例もあるわけでございまして、柔軟な対応はできる、各県の事情、立地条件等いろいろありますから。  そういうこともあるわけでございますので、かつては、さっき御指摘のように国体をもとにして県勢振興ということを非常にしておったが、一巡いたしましたから、国体のねらいも変わってきて、今こういう状況下にある。確かに情勢も変わってきたということでありますから、できるだけ開催基準要綱の柔軟な対応ということは考えなければいかぬことだというふうに思います。
  203. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は当委員会で少し前、二年前になるのですけれども、陸上競技場で第一種の競技場がすごく規模を膨らませたことがありまして、五千人を三万人にするということで質問をいたしました。それはちょっと余りにも無理過ぎるんじゃないかということで、何か一万五千人に変わったということも伺っているのですが、それをちょっと確認させていただきたいのでございますけれども、いかがでしょうか。
  204. 河村建夫

    河村政務次官 御指摘のように、改定前は、例えば開会式、閉会式は陸上競技場とするということまで入っておったのであります。ただ「開会式は三万人を収容できる施設」ということが入っておりますが、今度は「仮設を含み」ということで弾力化されております。それから、陸上競技場も、「第一種競技場は固定席三万人」というものを「第一種競技場ではあるが、芝生を含む」、固定席をつけなくても芝生を含む一万五千人でいいというふうに改定後されておりまして、かなり弾力的に運用を図れるようになったというふうに思います。
  205. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 スポーツは大変多くの国民が愛好していますし、またスポーツの振興は地域にとって重要ですし、やはり二十一世紀のスポーツの問題だというふうに私たちも思っておりまして、今おっしゃったように、もう二巡目ですから、やはり新しい国体のあり方ということをもっと、きょう話した以外のこともいろいろございますけれども、ぜひ前向きに検討していただきたいということを申し上げまして、質問を終わります。  どうもありがとうございました。
  206. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 次に、粟屋敏信君。
  207. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 御苦労さまでございます。最後でございますけれども、短時間、御質問をさせていただきたいと思います。  中曽根文部大臣には、いろいろと御心痛な点が多いと存じますけれども、教育は国の基本でありますし、また我が国の将来にかかわる問題でございますので、勇気を持って教育改革その他へお取り組みになることを心から御期待を申し上げるところでございます。  先般、小渕内閣総理大臣の所信表明演説におきまして、その後文部大臣も所信表明におきましてそれをフォローされましたけれども、教育立国を目指す、そうして社会基礎にかかわるような根本的な問題をも深く探求をして、教育改革国民会議で議論をして教育改革を行うということをおっしゃいました。  教育改革の論議が出ましたのは、橋本内閣のときに、六つの改革の中の一つ教育改革を据えられたわけであります。それを受けまして、恐らく文部省教育改革プログラムを策定をされて、そうしてそれを実施をされていると思うわけでございますが、今の段階で、小渕内閣総理大臣が施政方針演説であえてもう一度教育改革の問題を取り上げられた。これは、教育に対するかなりの危機感がおありになったのではないかという感じがいたします。  教育改革国民会議有識者あるいは多くの国民の意見を聞いて教育改革を進める、これはもちろん結構なことでございますけれども、文部行政の責任者であられる文部大臣、あえて新しい教育改革を進めるに当たっての御決意、また理念等おありになれば、お伺いさせていただきたいと思います。
  208. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 我が国が活力ある国家としてさらに発展し、さらに他国からまた尊敬もされ、そして世界の繁栄に貢献できる国となることを目指していくためには、あらゆる社会システムの基盤となっております教育について不断に改革を進めていくということが一番大切なわけであります。  このため、あすの日本を担っていく子供たちが、豊かな創造性を持って、そしてたくましく、心豊かに成長し、さらに日本人としての自覚を持ち、国際人として、また国際感覚を持った日本人として成長していくように教育改革を進めていくということが大切なわけであります。  お話しのように、橋本内閣あるいはそれ以前の歴代の内閣におきまして、教育というものを重要視し、それなりの改革も行ってまいりました。しかし、委員承知のとおり、さまざまな問題が現在起きておるわけでありまして、科学技術の方面でのいろいろな、ロケットの失敗等を初めとして、あるいは、先ほども別の委員に御答弁申し上げましたけれども、社会でのいろいろな不祥事というものが多発しているわけであります。こういうことはモラルの問題でもありますが、さらに突き詰めていきますと教育の問題にぶち当たるわけであります。  学校現場や家庭で、京都の小学校で本当に罪もないお子さんが殺されましたけれども、本当にいろいろな問題が起きておる。そして同時に、戦後五十数年たって、時代も大きく変わろうとしている。子供を取り巻く環境も大きく変わった、社会環境も変わってきたということで、ここで教育の問題をもう一度見直して、そして新たな時代に向けての教育理念というものを打ち立てて、それに沿った教育改革をやっていこうというのが、小渕総理初め私どもの考えでございます。
  209. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 御趣旨はよくわかりました。  私は、今度の教育改革の論議を進める際に、先人が築いてきました我が国の歴史、精神文化、並びにその底を流れる日本人の心について再確認をし、またその正しい継承を図っていかなければならない、そういうふうに考えています。特に、今大きく経済社会が変わろうとする時代、また世界も変わろうとする時代に、その再確認、また正しい継承ということは非常に重要だと思っております。  行政改革会議の最終報告がなされましたけれども、その中で、司馬遼太郎先生の言葉を引いて、「「この国のかたち」の再構築」ということを掲げております。それと同時に、「明治期の近代国家の形成が、合理主義的精神と「公」の思想に富み、清廉にして、自己に誇りと志をもった人たちによって支えられた」という司馬遼太郎先生の言葉を引いて、また司馬遼太郎先生が、亡くなるときに、明治維新をなし遂げた人々の、日本人の心が失われていくということを慨嘆されたというふうにも、その報告書で書いております。私は、まさにそうであろうと思います。  また私、最近読みましたのですが、京都大学の中西輝政教授が、回帰のエネルギーということを言っております。改革を進めるためには、プラグマティズム、これを大事にしなければならないことはもちろんであるけれども、その底に不変なものがなければならない、不変なものとは何かというと、歴史と伝統に基づく自信である、こういうことを言っておるわけであります。  さらに中西さんは、サッチャー改革やレーガン革命も、それが成功したのは、アングロサクソンの伝統的な価値観と、それからアイデンティティーに支えられたものだ、こういうことも言っておるわけでございます。  これから非常に厳しい時代を迎えます我が国にとりまして、今申し上げましたようなことはぜひとも必要であると思いますし、教育改革についても、そういう裏づけを持った教育改革がなされなければならないと思いますけれども、文部大臣の御所見を伺いたいと思います。
  210. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 行政改革会議の最終報告におきまして、司馬遼太郎氏の、「「この国のかたち」のあり様を問い、明治期の近代国家の形成が、合理主義的精神と「公」の思想に富み、清廉にして、自己に誇りと志をもった人たちによって支えられた」という言葉、これについては、私も全く同感でございます。  明治以降、今日までの教育発展には、こうした先人の業績の積み重ねによるところが大変大きいわけでございまして、こういう現在の教育成果というのは、我々の世代の責任としてしっかりと受け継いで、そしてさらに、新しい時代に向けた改革に不断の取り組みを行っていかなければならない、また次の時代に引き継いでいかなければならない、そういうふうに思っておるわけでございます。  あすの日本を担う青少年たちが、しっかりと日本人としての自覚を持ってたくましく成長する、また、先ほども申し上げましたけれども、国際感覚を持った日本人として自立できるように、教育改革に全力で取り組んでいきたいと思っております。
  211. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 所信表明の中で「環境教育の充実」ということが述べられております。環境問題は、我が国で認識をされましたのは恐らく昭和四十年代初頭であると思います。そのときはまだ、いわゆる公害でございまして、国民の健康に影響がある、支障があるということで環境問題に取り組んだわけでありますが、その後、国民の健康だけではなく、地球全体の運命にかかわる問題として地球環境問題が取り上げられてきたわけであります。  我が国でも平成五年に環境基本法が制定をされて、初めてその認識を示したわけでありますけれども、これから、人類愛また国際平和の創造にとって地球環境問題に取り組むことが非常に大事である、私はこう思っております。  今まで人間にはおごりがあった。要するに、自然を征服する、それが文明であるということでありましたけれども、これからは自然と宇宙、地球が共存をしていく、それでなければ人類の未来はない、そういうことであろうと思うわけでございまして、文部大臣が力を入れていただく環境教育が非常に大事だと思いますけれども、改めて、文部大臣のお取り組みの姿勢について伺いたいと思います。
  212. 中曽根弘文

    中曽根国務大臣 環境問題は、人類の将来の生存と繁栄にとって大変重要なものでございます。先日のエンデバーからの毛利さんのテレビ中継等もありましたけれども、そういう毛利さんからのいろいろな発言からも、これは全地球的に取り組んでいかなければならない、また考えていかなければならないものだと私は非常に痛感をしたところでございます。  そういう中で、私たちは学校教育において、この環境の問題を子供たちに正しく理解させていくということが非常に重要だと思っておりますし、環境を大切にする心、また態度を身につけるとともに、環境の保全それから創造のために、主体的に子供たちがこれから率先して取り組んでいくような、そういう教育もしていかなければならないもの、そういうふうに思っております。
  213. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 どうもありがとうございました。
  214. 鈴木恒夫

    鈴木委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時五十九分散会