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八代国務大臣 いろいろと御意見をお述べいただきまして、ありがとうございます。
しかし、私、感じますのは、年金の
自主運用は
自主運用としての
責任がある。また我々は、
郵貯であれ
簡保であれ、そこをお預かりしている立場を所管する省庁とすれば、年金
運用の方は赤字であるか黒字であるか、それは確かに、国という
考え方では関心を持たずにはいられませんけれ
ども、そこはそこの
一つのセクションでしっかり
責任を持ってやってもらうという
意味では、セクショナリズムの功罪というものもあるかもしれません。
事
お金に関しましては、確かに国は
一つだというふうには
思いますが、それぞれの
預金者の、まさに
国民一人一人の御要望に対する
一つの入り口論としては、窓口とするのは幾つかあってもそれはそれでいいのではないか。それが正しく、それぞれの立場でしっかり
運用されて、それを
国民へどう還元していくか。
一たん預かる
財投という立場の
大蔵省がそれをどう国の発展のために、
国民の福祉の向上のために使われていくかということはいろいろ
議論をさせていただくといたしましても、私は、そういう
意味では、我々
郵政省に課せられた
責任を負うことが、まずもって、セクショナリズムと言われようと何であろうと、そこをしっかり大切にしなければならないという
基本的な
考え方があることは、ぜひ御理解をいただきたいと思っております。
財投改革によりまして、
財投の
資金調達については、必要な
資金を
市場において
財投債とか
財投機関債によって能動的に
調達する
仕組みに改めることになっておるわけでございますが、これに伴って、
郵貯資金については
資金運用部への
預託義務を廃止して
全額いよいよ
自主運用ということになります。今までは入り口については
責任をとれても、出口の方はもう大蔵当局に任せっ放しというところがあったんですが、入り口もしっかりやると同時に出口の方も我々が
責任を持つということにいよいよなってくるわけでございます。
そういう
意味では、今後、
郵貯資金が
全額自主運用となりますと、
商品提供からあるいは
資金運用まで、
郵便貯金事業として一貫した
経営ができる。
事業庁から公社へ、そういう
意味でも、その
責任というものは、やはり
国民の方にしっかり目を見開いて、しかも、とかくこういう自由金融
時代、あるいは金融ビッグバンと言われるときには、利息の低いところから高いところへ金は
流れていく。
あるいは、若干賭博性のあるような今の社会の中でも、ここ数年の金融ビッグバンの中でも、
郵貯をしっかり守ってくださった
国民の皆さんは、この二百数十兆円のほとんど半分ぐらいはどこか外国の方へすっ飛んでしまうんじゃないかという危惧も私自身も抱いたんです。
やはり
小口の
預金者というのは、身近な
郵便貯金というものを通じながら自分
たちの、むしろそこからリターンを求めるんじゃなくて、それによって私
たちは社会参加をし、地域のために発展を促し、そしてそれが正しく
運用され、それがやがて、少額であってもリターンという形で、
お金という形でなくても地域の発展やいろいろな形の中で使われているという、言ってみれば、そういう
公共性の意識が我々以上に預金をしてくださる皆さんの心にあるような気がします。
こうした金融ビッグバンにも、恐らく外国のそうした金融関係者はこの
郵貯をターゲットにしただろうと
思いますけれ
ども、今般の百六兆円の満期に至りましても、やはり我々の目標の七割を超えるほど、皆さんは
郵便貯金をそのまま置いておきたい、こういう意識が現実、数字の中にあるところを見ましても、そういう
意味でも、これから任される
自主運用というものは、入り口から出口に至るまで、私
たちの
責任も大きくなるし、それによって、
事業の
健全経営の確保ということも我々に課せられた大きな
責任だ、こんな
思いを持って、今、法案に臨んでいるところでございます。