○
広岡参考人 子
どもの
虐待防止センターで一九九一年、開始当初から
相談員をしております
広岡と申します。よろしくお願いします。
今、お二人の
参考人の
児童相談所関係者の方々のお話を聞きながら、その話だけに終息いたしますと、恐らく皆さん方は、
虐待というものは
自分たちの話ではないんだ、何かとんでもない、貧困であったり無知であったり、そういった人
たちのところで起きていることだから、何か我々とは関係ないんだというようなお顔をして聞いていらっしゃるような気がしたのですけれ
ども、私は、決してそうではないということをまず
一つは訴えたいと思います。
御存じのように、
子供の
虐待というのは英語で、何で英語なのかというのはいつも思うのですけれ
ども、マルトリートメントという言葉があって、クリントンさんで有名になりましたが、不適切な関係である、親の
子供への不適切な関係、つまり不当
処遇が
子供の
虐待であるということなんですね。
そうしますと、確かに我々は、
子供が血がだらだらと
流れるほどの暴力は
子供には振るっていないかもわかりません。身体的な
虐待というのは、確かに今目の前で見えるんですよね。でも、実は
虐待には、心理的な
虐待というものがあります。これは目に見えません。私の体験では、恐らく
児童相談所に心理的な
虐待で
通報があるということは大変少ないだろうと思います。
同じ心理的な
虐待でも、心理的
虐待には、ネグレクトとそれから心理的アビューズというふうに二つに分かれるのですけれ
ども、心理的なネグレクト、
学校に行かせないとか、病気になっているのに病院に連れていかないとか、そういったものは
通報として上がってくると思うのですが、恐らく、心理的なアビューズ、これは非現実的な期待ですとかそれから差別ですとか、愛情を与えないとか、言葉でのおどしもそうですね、こういったものは、今私
たちの前で、
子供は決して傷ついた姿であらわれないんですね。
私の体験では、まさにこういった心理的な
虐待を受けた
子供たちが大人になって親になったときに、
自分はやはり認めてもらえなかった、愛されていなかったから、どうしても
子供が抱けないんだということを訴えてきたような気がするのです。
ちょっと前置きが長くなってしまいましたけれ
ども、私がまず訴えたいことは、
虐待というのが、何度も繰り返しますが、血がだらだらと
流れるものだけではないんだ、実は目に見えない
虐待こそが深刻で、これこそ我々の社会の暮らしの内側にあるものなんだということをまず頭の中に入れておいて、そして法案もつくっていただきたいなというふうに思います。
虐待防止センターは、私がかかわった仕事というのは、まず一、
電話相談です。これは
電話相談が大きく二つに分かれまして、
一つは
通報ケース。
虐待を目撃している人
たちから、どのように
対応していいかわからないという
相談がたくさん寄せられた。それに対して、私
たちはアドバイザーという形で危機
介入するわけですけれ
ども、子
どもの
虐待防止センターには
措置権がありませんので、
ネットワークを開催してその中に出ていくという仕事をしたわけです。
それからもう
一つは、これは八割が
母親自身からの
電話相談であったということで、当然お母さんの
電話カウンセリングがありました。実は、この
電話の最大のメリットは、
虐待している親
たちが、なぜ
自分が
子供を
虐待しないといけなかったかということを
電話で私
たちに伝えてくれたのです。つまり、
虐待している意識があるわけですから、これを放置しておく手はないわけです。彼女らが
虐待をやめるために治療することができたわけです。
そしてもう
一つの仕事として、私
たちは、MCG、これは精神科医の斉藤学先生が初めに提唱なさったのですけれ
ども、マザー・アンド・チャイルド・グループ、つまり、連鎖であるということは皆さんよく聞かれていると思うのですけれ
ども、もちろん
虐待は一〇〇%連鎖で起こっているわけではないです。いろいろな条件が重なり合ってできているわけですけれ
ども、つまり、
虐待をやめるための治療は何かといったら、
子供時代に
自分がどのように親に扱われたかということをもう一回立ちどまって考える、そして初めて今
自分が
子供に
虐待していることがわかるということなんですね。
懲戒権という言葉がありますけれ
ども、
虐待している親に、自覚のない人に、どんなにこれがし
つけじゃないなどということを言っても、それは通らないと思います。彼らに、それがし
つけじゃない、これは
虐待であるということがわかるためには、やはり
自分が何をされたかということがわからなければ、彼らはどんなに
説明されても同じことをやると思います。
もしかしたら皆さんだって、親だと思うのですけれ
ども、
自分は全然
虐待と関係ないと思っていても、もし、ティーンエージャーになった
子供たちが、または青年期を迎えた
子供たちが、おやじ、あんたのは
虐待だったというふうに言われたら、確かに殴ってはいないかもわからないけれ
ども、もう一回立ちどまって、
自分が
子供に何をしたかということは考えないといけないのじゃないでしょうか。
ちょっと話がわからなくなりましたけれ
ども、それは以上にしておいて、そういったMCGという治療グループも始めた、この三本柱で私
たちは仕事をしてまいりました。
まず、この中で見えてきたことを伝えたいのですけれ
ども、
児童相談所に対する批判は非常に声が大きくなっていますので、私があえて言うことでもないと思うのですけれ
ども、むしろ
児童相談所を批判するのではなくて、実は我々が問われないといけない話じゃないかなというふうに非常にいつも怒りに思っています。
なぜならば、
通報ケースで、医者から、赤ちゃんが入院してきた、どうも
虐待らしい、しかし医者は
児童相談所に連絡するということを知らなかったですよね。それは保健婦さんであろうが教師であろうが、もしかしたら弁護士さんだって、
虐待問題に
児童相談所が第一線の
機関であるということを一体どれほどの人が知っていたかといったら、ほんの十年前までだれも知らなかったんじゃないかと言いたいぐらい、実は、これは
児童相談所の問題ではなくて、我々の問題であったというふうに私はとらえ直したいなと思います。
そして、
通報ケースの中で
一つ見えたことをお伝えしておきますと、
一つは、
法律や何かで皆さんはハードの側面で話されているわけですが、私は、そういったことは余り詳しくありません。それで、私が見えたものというのは、
児童相談所の職員の専門性の問題です。これは恐らく、
児相のワーカー
個人の問題ではないと思います。これこそ政策や
制度の問題なのかなというふうに思いますけれ
ども、ちょっと具体例を話しますと、例えばこれは
通報ケースだったと思うのです。
保健婦さんが、乳
幼児健診の中で、あるお母さんが、
子供って案外死なないものですねというふうに言ったんですね。この言葉をとらえて、これは
虐待なんだろうかという
電話が入りました。私
たちは、恐らくこれはやっています、もし実の
母親が
自分の
子供をほうり投げるとか、命の危険にかかわるような暴力を振るうという
認識がなければ、恐らくこの保健婦さんは動かなかったと思うのですけれ
ども、これは
虐待です、すぐ行ってみてください、行ってみました。
子供はほうり投げられていて、次の日、すぐその場で病院に入院しました。
保健婦さんは全くどういうふうにしていいかわからなかったので、ぜひ病院に入院させて、安全な場所が確保、獲得できるまで、
子供を決して帰しちゃいけないと。これは
児童相談所を病院に呼んでください、だけれ
ども児童相談所だけの仕事ではないんですよ、病院も、社会的入院といって、実は
子供の安全な場所が確保できるまで入院させておかないといけないんですよと。早速
児童相談所の方も出向いて、病院でミーティングをして、そして
子供は数週間後に乳児院に
保護されました。
その後なんですけれ
ども、お母さんから防止センターに
電話が入ってきまして、実は週に一回、土、日に、乳児院に私は呼ばれていると。これは、病院の先生や
児童相談所の職員が、
母親と
子供を長期に離しておくとますます母子関係は危なくなるから離してはいけないんだ、なるべく早くに統合しないといけないということで、分離しながらも一週間に一回会わせる努力をするのです。
恐らく皆さんもそういう頭があるんじゃないでしょうか。うまくいかないのだったら、離したらますますうまくいかないのじゃないか、一週間に一回、
母親なんだから乳児院に面接に行くのは当然だと。だけれ
ども、これはお母さんとしては苦しいのです。そんなことができるのであれば、
子供をほうり投げたりはしないわけです。ここはやはり
児相のワーカーの専門性が問われるところだったと思います。
例えば、よくあることなんです。双子がいたら、一人が
虐待されるということはしばしばあります。そのときに、
児相のワーカーの
対応を見ていると、かわいい子を乳児院に預けましょう、かわいくない
子供と一緒にいなさいという
指導をするんですね。これは
虐待というものに対しての
認識がない結果だと思います。
虐待というのは、その人の道徳観ですとか人格に問題があって、そして
子供を
虐待するわけではないわけです。日本には
家族イデオロギーという言葉があって、どんな
親子関係でもやはり
家族が一番だという考え方がありますね。こういう考え方が実は、
虐待をしながら、分離されているのに一週間に一回会いに行きなさいという言動になったり、かわいい
子供を預けてかわいくない
子供とうまくやりなさい、こういった言動になるのは、やはり私
たちの社会が、
虐待の問題に対して、ソフトの部分で、なぜ親が
虐待するのかというところに対して、余りにも無知で無関心であるからこういったことが起きるんだと思います。
児童相談所の職員は専門家ですから、やはりここのところについては学んでほしいというふうに思います。
それから、医療関係者も同じでした。親が
虐待をしますと、まず精神鑑定する。
虐待した親に精神鑑定をしても、何も出てこない場合が多いのです。精神科医の方に聞きますと、あえて病名を
つければ、人格障害だとか境界例だというふうに私
たちは病名をもらっています。それが
通報ケースの中で私
たちが見たことです。
実は、私は、この後、お母さんからの
電話相談について皆さんに訴えたいと思います。
今、
電話相談全体では、九年間、一九九一年から今日まで、約一万九千件の
電話相談が入っていると思うのですけれ
ども、このうちの八割が
母親本人からの
電話相談です。
このお母さんの
電話相談を、実は四つの段階に分けることができたと思います。
まず
一つは、育児不安のお母さん
たちです。育児不安だからといって殴っていないかといったら、とんでもないです、殴っています。なぜ殴っているかといったら、
一つは、御存じのように、密室で、孤立で、都市化している中で、昼間だれも見てくれている人がいないんです。人間には限界があって、皆さんもそうだと思うのですが、だれも見ていなかったらうちの中で何でもできちゃうんです。親のストレスは当然弱い方に行きます。
子供に行きます。
これは不思議なことに、私は、お母さん
たちの声を聞いていますと、いろいろな日本社会の病んでいる部分、例えば教育の問題も含めて、競争社会の問題も含めて、すべてお母さん
たちの声の裏に見えてきます。きょうは、それを話すともう時間がないので話しませんけれ
ども、この人
たちも無視できないです。
一つ言えば、私が最近出会うお母さんの中に、
子供が泣くと
自分は窓をあけると言ったお母さんがいました。普通、
自分がたたいて
子供が泣けば、昔のお母さんは窓を閉めたり雨戸を閉めたりして
子供を殴っていたと思うのですけれ
ども、今のお母さんがあけるというのはどういうことかわかりますでしょうか。やはりだれかに気づいてほしいんだ、まるで置いてきぼりにされているんです。だれかにこの窮状をわかってもらいたい、こういうお母さん
たちがたくさん
電話相談してきたのです。
このお母さん
たちが
虐待じゃないかといったら、聞いていますとやはり
虐待です。
虐待の分類でいけば危惧です。
児童相談所がこのケースまでやるということになったら、これは
児童相談所はパンクしているのにもっとパンクしてしまいます。
ですから、ついでに言わせてもらいますと、厚生省は、民間と
児童相談所は車の両輪だというふうに
発言しているそうです。両輪という割には、私
たちのところには補助金は全くゼロなんですよ。
今言っていいかどうかわかりませんけれ
ども、私
たちのところは家賃で年間二百七十万出ているのですが、たしか
地域社会
福祉振興財団から出ているお金が五百万円弱です。一千万円は
自分たちで、自助努力で集めております。きょうはこれだけは絶対言ってもらいたいと言われていますので、せめて場所代だけ出していただいたら、どんなに育児不安のお母さん
たちが救われるでしょうか。それが一です。
それから、二番目のお母さん
たちなんですけれ
ども、この人
たちが私
たちの先生でした。なぜ
自分が
虐待をしたかということを言ってくれたのです。これは明らかに世代間連鎖の話なんです。
ちょっと皆さんの身近なところで話をしますと、あるお母さんは非常にし
つけが厳しいのです。余りのし
つけの厳しさに、
子供の
心身に問題が起きていました、例えば多動であるとか言葉が出ないとか。これはもう
児童精神科医にかからないといけないほどの
状況がありました。物すごく乱暴なんです。ですから、公園などに連れていかないんです。
このお母さんをケアしてきて、このお母さんから出てきた言葉にはっとしました。彼女も気づいていなかったんですけれ
ども、
子供時代、ずっと
父親に言われていた言葉が、おまえはばかだ、おまえみたいなばかな子には友達なんかできるはずがない、ばかだ、ばかだ。つまり、
自分がいい子じゃなかったから、優秀じゃなかったから親は私を愛さなかったんだと。彼女の中では、やはり
子供をいい子にしないといけないという気持ちが大変強くて、そして非常に厳格な子育てをしていたんです。
このような形で親の声が頭の中に残っていて、親の呪縛にかかったように子育てをしているという親がたくさんいたということをまず
一つ報告しておきます。
子供がジュースをこぼします。ジュースをこぼしたらぶん殴るお母さんがいました。彼女は、ジュースをこぼすと
自分の
父親が殴る、
自分は殴られた、お父さんに殴られないために
子供を殴った、こんな妙なことが世代間連鎖の中で起きているんです。
もっと深刻なことでいいますと、今、心的外傷とかトラウマという言葉が使われていますけれ
ども、
子供を抱いていた。赤ちゃんというのは動き出します。当然、顔をたたいたり髪の毛を引っ張ったりします。そのときに、乳児に殺されるなんてだれが思うでしょうか。そのときに、この子に殺されると思ったお母さんがいた。
それから、男のお父さんでもそうです。例えば、四歳児の
子供がお漏らしをしたときに、切れて、お漏らしをしたといって怒ったんです。これは私の前で起きたことなんですけれ
ども、そのときに
子供がよけたんです、やめてパパと。そうしたらその手がパパに当たったときに、この
父親が何と言ったかといいましたら、おまえはおれを殺す気かと言ったんですよ。四歳の
子供が果たしてあんたを殺すはずがないわけですね。
もちろん、これは
一つの視点です。科学ではかれるものでも数量ではかれるものでもないので、厳密な科学者によれば、そんなものは信用ならないという人もいると思います。それはそれで認めます。ただ、
一つの視点として、私
たちは、彼らの言う言葉をそのまま真に受けて、信じてケアするという方法をとっています。そういった
立場です。
この中で見えてくるのは、彼らのかつての心の傷、心的外傷。よく、親になって知る親の恩、何かそういったものがあると思うのですけれ
ども、私
たちがこういった
電話相談を聞いていますと、まるで、親になって知った親の憎しみというんですか、これは助産婦さんなどからも報告されています。例えば、分娩台の上で狂乱分娩をしたお母さんがいたとか、分娩した途端におかしくなった。夫からも報告されています。
自分の妻が、全く普通だったのに、
子供を産んでからおかしくなった、私は危ないから精神科医に通わせてほしいなんて言う人も出てきたそうです。
これは、
虐待問題というものが広がってきて、社会に根づいてきて、こういったお母さんが前もって
自分の危うさに気づいて、
相談機関や
医療機関につながるようになったという意味では大変よかったと思います。これは二番目です。
三番目が、これはまたやはり、本当にここ二年ぐらいで変わってきました。今
虐待をしているというお母さん
たちが実際に登場してくることができました。
これは私が体験した
事例なんですけれ
ども、よくあることなのでお話しして大丈夫だと思いますけれ
ども、私は
子供を殺しそうなんだという
電話が防止センターに入ってきました。殺しそうだと言われても、私
たちは、ややもすると大げさだとかそんなはずがないというふうに
対応していたんですね。でも、今私
たちは違います。
このお母さんの声を聞いていたら、
警察も役に立つものだと思うのですが、お母さんは、夜になると
警察に
電話をしていたそうです。夜は
警察が声を聞いてくれる。
警察に、私は殺しそうだと。
相談員は、このお母さんは本当に苦しんでいるということで、
児童相談所に
電話をします。
児童相談所は
保健所に
電話をしました。このように
ネットワークは動くんですね。
保健所に
電話をして、保健婦さんに、訪問に行ってと言いました。保健婦さんが訪問に行きましたら、実は、お母さんも
子供もそんなに悪い関係ではない。
子供にあざなどないんですね。
でも、保健婦さんも最近はなかなかソーシャルワーカーでして、精神科のドクターにこのお母さんと
子供を連れていきます。
子供を連れていきまして、ドクターの診断で、やはりひとまずの分離が必要だろうということで、分離になるわけです。次の日に
児童相談所、
児相が出てきて、書類をつくって、正式に分離ということが決まるわけです。
ここで私が何を言いたいかといいましたら、やはり
虐待というのは発見が難しいのです。言葉だけで分離ができる、できたということは、ここに関係した
児相のワーカーと保健婦さんと精神科医の見識が高いということなんです。ですから、
虐待の問題についてはかなり専門性の高い人の配置が必要だということを言わせてください。それが三番目です。
最後、これは四番目。
最後にします。
四番目というのは、まさに親。危機
介入があって、
自分が
子供を
虐待した、
児童相談所が
介入してきた、そして分離された人
たちが、実は子
どもの
虐待防止センターの
電話相談に最近ふえています。なぜかといったら、なぜ
自分が分離されたかわからない、もっと
説明をきちんとしてもらいたかった、
子供は
保護されたのに
自分を
保護してくれる者がだれもいない、実は
自分もケアを受けたいんだということを言ってきた人がいるのです。
皆さんの中には、
虐待親の治療なんか必要ないというふうに思っている方がいらっしゃるかもわかりませんが、
虐待親というのは間違いなく、だれも救出してくれなかったかつての
子供たちなんです。ですから、そういったことを考えれば、
子供の治療も
虐待親の治療もコインの裏表ということで必要なんだということを伝えさせていただきます。
これでおしまいです。(拍手)