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冬柴議員 大変大きい問題についてのお尋ねでございますが、私としましては、先ほ
ども触れましたように、今二十世紀が終わらんとしております。あと半年もすれば新しい世紀、二十一世紀が始まります。二十世紀を省みて二十一世紀の発展的展望を
考えなければならない、このように
考えております。
二十世紀は
国家の世紀であったように思われてなりません。
国家は、国策、国益を追って他国を植民地とした世紀でもありました。植民地とされた世紀でもありました。私
どもはそういうことを省みて、二十一世紀の
国家はそうではなく、そこに住むお一人お一人が豊かさとゆとりを実感できるそういう社会をつくっていかなければならない、そのために
国家はあるのだ、そう
考えてもいいように私は思っております。
二十世紀は、
国家の手段として、そこに住む
構成員が戦争に駆り出されたときもありました。また、戦後これほど民主
国家になりましたけれ
ども、
国家の、一国の繁栄のために、そこに住む
住民は
外国からウサギ小屋と酷評されるような家に住み、そしてまた、毎日毎日の通勤が旅行をするような、一時間半、二時間をかけて通勤されるような、そこに住む一人一人の幸せ、そういうものがどうも焦点に当てられなかったのではないか。二十一世紀は、そうではなしに、
構成員たる
国民のお一人お一人が、先ほど申しましたように、貧富にかかわらず、その日その日がゆとりと豊かさが実感できる、そういう成熟した社会をつくっていかなければならない。
そのためには、二十世紀の
日本の
国家は、一つの
国家目的、ある場合は富国強兵であり、ある場合は一国繁栄でありました。しかし、そういう
国家目的というよりは、そうではなしに、本当にそこに住む
人々の幸せというものを第一義とする、すなわち、人の生命、生活、生存を最高に尊重する人間主義、そのようなヒューマニズムの政治が行われなければならないのではないか、私はそのような予感がいたします。
憲法観といたしましては、昭和二十年八月十五日を境として新しい
国家に生まれ変わりました。
日本国憲法はまさにその象徴であります。この
憲法が基本原理とする、恒久平和主義、基本的人権の尊重、そして
国民主権主義というものは人類普遍の原理である、私はそのように思っておりますし、そのような
憲法観に立ったときに、そこに住む
人々の人権というものが最高に尊重される
国家づくりを二十一世紀はしていかなければならない、私はこのようにも思っております。
先ほど来の答弁でも申し上げましたけれ
ども、
地方のことはそこに住む
住民が自主的、主体的に決めていくべきだという
地方分権の
思想。実は、
平成六年でございますが、
地方分権推進に関する
法律案を私は提案
代表人として提案いたしました。その中で、従来国と
地方というものが、主と従、上下という
関係がありましたけれ
ども、これを対等、平等の
関係にする、そして、東京一極に過度に集中したものを
地方にお任せする、そういうふうに
地方分権型行政システムに改める、こういうことを提案いたしました。
それは、そこに住む人ということは、単なる
日本人たる
住民だけではなしに、コミュニティーを
構成する
外国の
人々もその
地域づくりに参画をして、そして、その
地域地域が最高に伝統、文化を尊重して発展していく、そういうものが
日本の
憲法の、少なくとも
地方自治の章の精神であろうというふうに思っております。
私は、
憲法三原理とともにこの
地方自治の精神も尊重していかなければならない、このような
憲法に対する感覚を持っている次第であります。十分ではないけれ
ども、そのような
考えを披瀝したいと思います。