○北野
参考人 皆さん、こんにちは。桃山学院大学の北野と申します。
今回の
社会福祉事業法等の
改正は、二十一世紀の
日本の
社会福祉を占う非常に大切な
法改正なのですけれ
ども、私の方は、この
法案につきまして幾つか私なりの
意見がありますので、きょうはその
意見を述べさせていただきます。
まず、私の方は、実は
障害者福祉論というのを専門にいたしておりますので、特に私の内容は
障害者問題を
中心に話を展開させていただきます。
まず最初に、
社会福祉事業法を
社会福祉法と名称変更される件について
お話しさせていただきます。
はっきり申しますと、
社会福祉事業法が
社会福祉法という名前に変わるとき、私はある種のショックを受けました。といいますのは、
社会福祉法と申しますと、どうしても私の頭の中にはスウェーデンの
社会サービス法であるとかデンマークの
社会援助法といった
法律を思い浮かべてしまうわけです。つまり、
社会福祉法ということになりますと、
社会事業者のための
法律ではなくて、
社会福祉とはどうあるべきかという
理念であるとか目標、目的を高らかにうたい上げる必要があるというふうに私は思います。
そういたしますと、例えばスウェーデンの
社会サービス法、これは一九九六年に変わりまして、新
社会サービス法になりましたけれ
ども、新
社会サービス法の第一条の
理念を見ますと、「
社会全体に関わる
社会サービスは、民主主義と連帯の基盤の上に経済的・
社会的安定、
生活条件の平等、
社会生活への積極的な参加へと人々を促すことを目的とする」とうたわれておりますし、第三項には、「
社会サービス事業は、
自己決定の
権利および人間としての尊厳に配慮して実施される」というふうにうたわれております。また、第三条四では、「身体的・精神的またはその他の原因によって、
生活上、相当の困難を抱えている人々は、共同
社会に参画し、他の人々と同様に
生活することができる」とあります。また、第五条の第一項には、「コミューンは、」つまり
地域社会は、その
市町村に「居住するものが必要とする援助を得るにあたって、究極的な責任を負う」というふうにうたわれております。
つまり、ここでは、ノーマライゼーションの原理に基づきまして、
障害者が
地域の中で他の市民と同等の
生活をする
権利がうたわれているわけです。また、そのために必要な
支援の究極の責任を
行政に課しているということは、
障害者には
地域の中で他の市民と同様に
生活するために必要な
サービスを受給する受給権が
保障されていると言えます。
また、
日本がモデルにしたと言われておりますドイツの
介護保険法、ドイツの
介護保険法は
日本の
介護保険法のモデルなんですけれ
ども、その第二条の「目的」を見ますと、「
介護保険の給付は、要介護者が援助を必要としながらも、人間の尊厳にふさわしい、可能な限り独立しかつ自律性のある
生活を送ることを援助するものである」というふうにうたわれております。
一方、
日本の
介護保険法の第一条の「目的」を見ますと、「この
法律は、」「入浴、排せつ、食事等の介護、機能
訓練並びに看護」等々「を要する者等について、これらの者がその有する
能力に応じ自立した日常
生活を営むことができるよう、必要な保健医療
サービス及び
福祉サービスに係る給付を行う」とあります。
つまり、可能な限り自立した
生活を求めていらっしゃるドイツの
介護保険法と、「その有する
能力に応じ」という表現のある
日本の
法律は、実は非常に大きな違いがあるということであります。
そして、今回の
社会福祉法を見ますと、
社会福祉法第三条の
福祉サービスの
基本理念ですけれ
ども、「
福祉サービスは、個人の尊厳の保持を旨とし、その内容は、
福祉サービスの
利用者が心身ともに健やかに育成され、又はその有する
能力に応じ自立した日常
生活を営むことができるように
支援するものとして、良質かつ適切なものでなければならない。」とあります。
その有する
能力に応じた自立という表現は、二つの
意味で二十一世紀の
福祉理念には似つかわしくない
理念であります。
まず一番は、
本人のできない部分は
本人の
能力の責任として、
能力の範囲に応じた
生活を強いられる可能性がこの表現では出てまいります。
スウェーデンにおいても、あるいはドイツにおいても、法の
意味するところは、ノーマライゼーションの考え方に基づいて、
障害ゆえの
生活上の困難を
障害者の責任として押しつけることなく、
社会環境の変革、例えばハートビル法であるとか、今回審議されておられます交通バリアフリー
法案であるとか、あるいは
支援サービス、例えばホームヘルプ
制度であるとかガイドヘルプ
制度等の充実によって、可能な限り
本人の希望する当たり前の市民
生活を享受するという考え方が、それによって否定される可能性が出てまいります。
また、二番目に、その有する
能力の違いによって、つまり、その
障害の種類であるとか程度によって
サービスの質量が限定される可能性も生まれてまいります。そのために、
施設入所以外の
選択肢がない人
たちが生まれてくる危険性があります。
私はカナダにしばらく住んでおりましたけれ
ども、カナダのブリティッシュコロンビア州においては、一九九七年の三月には、
知的障害者の
入所施設はすべてグループホームとアパートに変わりましたし、スウェーデンにおいても、この三月に、すべての
施設入所者は
地域生活に
移行いたしております。アメリカにおいても、九つの州は
施設入所者がすべて
地域生活に
移行しております。
つまり、そのような
時代に、その有する
能力に応じた
生活を求めるということは間違ったことであります。表現を「可能な限り自立した日常
生活」とすべきであります。
また、この
法案の最も
中心の
理念であるところの
利用者の
自己決定、自己
選択権の
保障、このことがこの
法案の最も大事なところであると
皆さんも言われておられますので、私はそれを入れて、第三条の
理念はこういう表現が望ましいのじゃないかというふうに考えております、「
福祉サービスは、
利用者の基本的
人権を尊重し、その自己
選択に基づいて、
利用者が可能な限り自立した日常
生活が営めるよう、
支援するものとする」。こういう程度でなければ、この
法律は十年後の
見直し規定がありますので、十年後の
見直しまでもたない、つまり、二十一世紀の前半を担うには少し表現が、私はまだ問題があるというふうに思っております。
もう一つ申させてもらいます。二つ目は、身体
障害者福祉法と
知的障害者福祉法の一部
改正の部分であります。
福祉の根幹というのは、実は二つの
権利によってでき上がっております。一つは、
サービスを受給する
権利であります。もう一つは、
サービスを
選択する
権利。この二つは
福祉サービスの二大
権利なんですけれ
ども、
日本のこれまでの
措置制度は、確かに、
サービスを受給する
権利も
サービスを
選択する
権利も、ある
意味でないに等しかったというふうに言えると思います。ですから、私は、今回の
法案をそれなりに評価はいたしております。
それに対して
介護保険法はどうかといいますと、
介護保険制度は、被保険者に要介護
認定に見合った
サービスを受給する
権利と情報開示に基づく
サービス選択権を一定
確保いたしております。
では、今回の
障害者に対する
利用費援助
制度、今度の
利用費援助方式はどうであろうか。この
法案によりますと、まず一定の
サービスが現存していること、存在していることがこの
仕組みの前提になっております。ですから、
本人がある
サービスの
提供者と
利用契約を結ばなければ、
利用費補助
制度、
利用費助成が発動しない
仕組みになっております。つまり、この
法案は、それ自体では
サービスの量を担保する
仕組みを持っておりません。
一方、
介護保険法においては、
本人が一定の要介護
認定を受ければ、それは少なくとも
サービスを受給する
権利性は担保されることになります。つまり、
介護保険法は、その
法律自体において
サービスを受給する側のインセンティブとして供給量を増大させる可能性を内発しております。
そのために、私は二つのことをぜひともお願いしたいと思っております。
一つは、この
法案は基盤
整備をみずから行えるような法的な
仕組みを持っておりません。ですから、この
法案自体では不可能な基盤
整備を、
利用契約制度が開始される二〇〇三年までに何としてでも行わねばなりません。そうしなければ、
障害者福祉と高齢者
福祉の間に大きな溝ができ、
障害者はある
意味で差別構造の中に置かれていると認識される事態に陥る可能性があります。
そこで、ノーマライゼーション七か年戦略に基づいて
市町村は数値目標のある
障害者計画を周知徹底する、ノーマライゼーション七か年戦略を各
市町村の
障害者計画に落とし込む
仕組みをかなりきっちりやることが必要であります。
二つ目に問題になるのは、今回出ている
社会福祉法案の百七条の
市町村地域福祉計画であります。
地方分権一括法との関連でこの表現が非常に弱まったというふうに思われますけれ
ども、この
法案の表現では、
市町村地域福祉計画を立てることが義務づけられていないどころか、立てなくても構わないのではないかというふうに読めるような表現ですらあります。基盤
整備は
障害者福祉におけるかなめであります。基盤
整備のための
地域福祉計画の法的義務づけは何ら地方分権とは矛盾いたしません。
地域福祉計画を
当事者や
地域住民の参画のもとでどのように展開するのかこそが、地方分権のもとで自治体の裁量としてなされるべきことでありまして、
地域福祉計画そのものを義務づけることは何ら地方分権一括法と矛盾しないということを私の方は言わせていただきます。
以上です。どうもありがとうございました。(
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